樞府と内閣他 吉野作造/著者 朝日新聞社 1950
民主主義政治講話 吉野作造/著者 新紀元社 1947


ヘーゲルの法律哲学の基礎
国家魂とは何ぞや  『新人』一九〇五年二月
木下尚江君に答ふ
平民社の国家観
「国家威力」と「主権」との観念に就て
社会主義と基督教
精神界の大正維新
国家中心主義個人中心主義 二思潮の対立・衝突・調和
デモクラシーと基督教
戦争の基督教に及ぼせる影響 米国教会同盟の質問に答ふ
国家と教会
国家生活の一新 『中央公論』一九二〇年一月
政治学の革新 『中央公論』一九二〇年一月
クロポトキンの思想の研究
アナーキズムに対する新解釈 『中央公論』一九二〇年二月
国家的精神とは何ぞや 『中央公論』一九二〇年三月
現代通有の誤れる国家観を正す 『中央公論』一九二一年一月
現代政治思潮

海老名弾正  日本魂の新意義を想ふ
木下尚江   『新人』の国家宗教

1

教育界に於ける基督教の圧迫を難ず
選挙権拡張論
民衆的示威運動を論ず  『中央公論』一九一四年四月 13
政治に対する宗教の使命  『新人』一九一四年五月 27
山本内閣の倒壊と大隈内閣の成立
蘇峰先生著『時務一家言』を読む
戦後の婦人問題 『基督教世界』一九一五年四月
婦人の政治運動 『新女界』一九一五年五月
大正政界の新傾向
三大党首の会同協定
元老官僚閥と党人との調和
寺内内閣の出現に対する儼正批判
蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む  『中央公論』一九一七年一月
首相内相の訓示を読む   『中央公論』一九一七年三月
斯くの如き標準によつて選挙せよ 『中央公論』一九一七年三月
善政主義と政争無用論を駁す 一九一七年四月
総選挙後の寺内内閣の執るべき態度  『中央公論』一九一七年五月
総選挙後の政戦と国民党の責任 『中央公論』一九一七年五月
徴兵制度に就き軍事当局者に望む 『中央公論』一九一七年六月
所謂排法科万能主義によつて暗示せられたる三大時弊  127
原内閣に対する要望 『中央公論』一九一八年一〇月
陸軍拡張に反対す
言論自由の社会的圧迫を排す 『中央公論』一九一八年一一月
国民思想統一論者に与ふ 『中央公論』一九一八年一二月
政治学の立場より男女の同権を述ぶ 『新女界』一九一九年二月 142
我憲政の回顧と前望 『我等』一九一九年二月
選挙権の理論的根拠
改造同盟の成立を祝す 『中央公論』一九一九年九月
政党の地盤政策を難ず 『中央公論』一九一九年二月
社会改造の第一楷段としての普通選挙 『中央公論』 1919.12
言論の自由と国家の干渉
加藤総裁の演説を読む 『中央公論』一九二〇年五月
小選挙区制の利害 『中央公論』一九二〇年五月
国民は果して政治に冷淡か 『中央公論』一九二〇年五月
総選挙の結果に就いて 『中央公論』一九二〇年六月
国策といふ言葉の濫用を戒む 『中央公論』一九二〇年七月
官製婦人会よりも女子教育 『中央公論』一九二〇年一一月
現内閣の運命を決すべき転機 『中央公論』一九二一年一月
二重政府より二重日本へ 『中央公論』一九二一年三月
言論の圧迫と暴力の使用を難ず 『中央公論』一九二一年四月
実業家の打算的軍備制限運動 『中央公論』一九二一年四月
原首相の兇変に就て当局の一官人に与ふるの書
兇変より新内閣の成立まで 『中央公論』 1921.12

3

露国の満洲占領の真相 『新人』一九〇四年三月
露国の満洲閉鎖主義 『新人』一九〇四年三月
征露の目的 『新人』一九〇四年三月
露国の敗北は世界平和の基也 『新人』一九〇四年三月
露国に於ける主民的勢力の近状 『新人』一九〇五年五月
露国貴族の運命 『新人』一九〇五年五月
学術上より見たる日米問題
愛蘭問題
欧洲動乱とビスマークの政策
欧洲戦局と波蘭民族の将来
白耳義と仏蘭西の政党
欧洲戦局の予想
国際競争場裡に於ける最後の勝利
戦後に於ける欧洲の新形勢
戦後欧洲に於ける社会的新形勢
戦後欧洲の趨勢と日本の態度
露西亜の敗戦  『中央公論』一九一五年一〇月
協商は可、同盟は不要  『中央公論』一九一五年一〇月
独逸強盛の原因を説いて我国の識者に訴ふ  『新人』一九一五年一二月
英国に於ける強制徴兵
新日露協約の真価
米国の対東洋政策
欧洲戦局の現状及戦後の形勢を論じて日本将来の覚悟に及ぶ
欧洲大戦と平民政治
露国革命の真相と新政府の将来 『新人』一九一七年五月
独逸に於ける自由政治勃興の曙光 『中央公論』一九一七年五月
戦争継続乎講和乎 『中央公論』一九一七年六月
露国の前途を楽観す 『中央公論』一九一七年一〇月
日米共同宣言の解説及び批判
米国大統領及び英国首相の宣言を読む
平和の機運を促進しつ、ある三大原則
出兵論と現代青年の世界的傾向
所謂出兵論に何の合理的根拠ありや
軍閥の外交容嘴を難ず 『中央公論』一九一八年五月
民本主義と軍国主義の両立 『中央公論』一九一八年七月
秘密外交より開放外交へ
浦塩出兵の断行と米国提議の真意
恒久平和の実現と基督教の使命
何ぞ進んで世界改造の問題に参与せざる 『中央公論』一九一八年一二月

5

 

国際聯盟は可能なり
世界の大主潮と其順応及び対応策 『中央公論』一九一九年一月
講和会議に提言すべき我国の南洋諸島処分案
人種的差別撤廃運動者に与ふ 『中央公論』一九一九年三月
講和会議に対する国民の態度 『中央公論』一九一九年三月
帝国主義より国際民主主義へ
独逸の将来と講和の前途
対支借款団加入の是非
何の点に講和特使の成敗を論ずべき 『中央公論』一九一九年九月
満蒙除外論を排す 『中央公論』一九一九年九月
駐兵論の先決問題  『中央公論』一九二〇年二月
国際問題に対する米国の態度の矛盾
国際聯盟と民衆の輿論
委任統治に関する日本の主張に就て 『中央公論』一九二〇年二月
独逸反動革命の観察 『中央公論』一九二〇年四月
独逸の将来を判ずべき二つの観点 『中央公論』一九二〇年六月
我国現下の三大外交問題 『中央公論』一九二〇年七月
波蘭問題の教訓
加州排日立法の対策
加州土地法の合法性
過激派の世界的宣伝の説について 『中央公論』一九二一年二月
ヤップ島問題
ハーディング成功の要因
米国の世界政策構成の主要素
日米交渉の一問題としての山東問題
国際平和思想
軍備縮小会議に就いて
石井・ランシング協約と太平洋会議
太平洋会議に対する米国の正式招待
国際会議に於ける形式上の成功と道徳的の成功 『中央公論』一九二一年九月
軍備縮小の徹底的主張 『中央公論』一九二一年一〇月
愛蘭問題の世界的重要意義
国際協働的精神に徹せざる我操觚界 『中央公論』一九二一年一一月
重ねてヤップ島問題に就いて
平和思想徹底の機正に熟せり
四国協商の成立
外交に於ける国民的示威運動の価値 『中央公論』一九二二年一月
政治家の料理に委かされた軍備制限案 『中央公論』一九二二年一月
華府会議正式批判の標準
愛蘭問題解決の側面観
華府会議協定の側面観
YMCA万国大会に於ける話題
青年将校の観たる西伯利出征軍の実状
国際問題の処理に関する驚くべき無智と無責任 『中央公論』一九二二年一二月
日露交渉の前途
近く開かるべき軍縮大会議
軍縮会議の提唱に関連して
田中内閣の満蒙政策に対する疑義 『社会運動』一九二七年一〇月
露支紛争の合理的解決を望む
リットン報告書を読んで

6

 

満韓を視察して
朝鮮統治策
朝鮮暴動善後策
対外的良心の発揮 『中央公論』一九一九年四月
水原虐殺事件
朝鮮統治の改革に関する最小限度の要求
支那・朝鮮の排日と我国民の反省
新総督及び新政務総監を迎ふ
朝鮮統治に於ける「向上」と「正義」 『中央公論』一九一九年九月
朝鮮人の自治能力 『中央公論』一九一九年九月
所謂呂運亨事件について
朝鮮青年会問題 −朝鮮統治策の覚醒を促す−
朝鮮統治策に関して丸山君に答ふ
支那朝鮮基督教徒の大会不参加
外交上に於ける日本の苦境
朝鮮問題
朝鮮問題に関し当局に望む
亡国の予言=鄭鑑録 日本と朝鮮との交渉に関する研究の一  『文化生活』一九二一年六月

東学及び天道教 −日本と朝鮮との交渉に関する研究の二−
小弱者の意気 −日本と朝鮮との交渉に関する研究の三−
朝鮮人の社会運動に就て
朝鮮人虐殺事件に就いて 『中央公論』一九二三年一一月
朝鮮の問題
朝鮮の農民 『文化の基礎』 一九二五年九月
朝鮮農民の生活
朝鮮の牛馬鶏犬
山東問題
北京学生団の行動を漫罵する勿れ
北京大学学生騒擾事件に就て
支那の排日的騒擾と根本的解決策
狂乱せる支那膺懲論 『中央公論』一九一九年七月
日支国民的親善確立の曙光 −両国青年の理解と提携の新運動−
青島専管居留地問題に就いて
台湾に於ける共学の実施 『中央公論』一九二〇年二月
日支学生提携運動
〔『台湾青年』発刊への祝辞〕
対支政策の転回 『中央公論』一九二〇年九月
支那留学生問題 『中央公論』一九二一年四月
武器問題に依て惹起せられたる我が東亜対策の疑問 『中央公論』一九二二年一一月
日支条約改訂問題 『中央公論』一九二三年四月
支那の将来 『婦人公論』一九二四年一一月
満洲動乱対策 『中央公論』一九二六年一月
支那と露西亜と日本 『中央公論』一九二六年九月
無産政党に代りて支那南方政府代表者に告ぐ
日支両国大衆の精神的聯繋
対支出兵問題 『中央公論』一九二七年八月
対支出兵 『中央公論』一九二八年六月
支那の形勢 『中央公論』一九二八年七月
支那の政治と日本の政治 『中央公論』一九二八年一二月
民族と階級と戦争 『中央公論』一九三二年一月

 

米騒動に対する一考察
民衆運動対策
青年学生覚醒の新気運
過激思想対策
労働不安の世界的流行に目醒よ
労働運動の人道主義的指導
労働運動に於ける政治否認説を排す
労働代表としての高野博士の選定について
治安警察法適用の問題
労働運動に対する予の態度
日本社会主義者同盟
権利の主張と実行の責任
我国労働運動の一大欠陥
プロレタリアートの専制的傾向に対する知識階級の感想
神戸労働争議の側面観
労働運動と所謂外部の煽動
如何にして今後の労働問題に処すべき

過激社会運動取締法案を難ず 『中央公論』一九二二年四月
現今労働運動に対する私の立場 『文化生活』一九二二年四月
我国労働組合の対政治思想の近況 『中央公論』一九二三年一月
我国に於ける唯物論者の三傾向 『文化生活』一九二三年三月
水平運動の勃興 『中央公論』一九二三年四月
「極右」「極左」共に謬想 『中央公論』一九二三年四月
両者の正しい関係と間違つた関係
早稲田の騒動に顕はれた反動思想の擡頭
学園の自由と臨検捜査
〔『国際労働会議と日本』〕序文に代へて
失職者問題と思想善導問題
無産政党問題に対する吾人の態度
無産政党問題追記
労働組合法制走の最大難関
共同戦線論を評す
学生間に於ける社会科学研究の問題
単一無産政党の前途
学園の自由と警察の干渉
農民労働党の禁止
労働農民党に対する希望
思想は思想を以て戦ふべしといふ意味
英国炭坑争議と我国小作問題
学生大検挙に絡まる諸問題
無産階級の陣営に於ける内部闘争
無産政党の無力
無産諸政党は近き将来に共同戦線を張るだらうか
無産党議員に対する国民の期待
無産党の村議会策
起り得る四五の問題についての私見
大学に対する思想弾圧
合同問題側面観
無産党合同論の先決問題 『中央公論』一九二八年一二月
国民社会主義運動の史的検討 『国家学会雑誌』一九三二年二月
日本学生運動史

10

 

新井白石とヨワン・シローテ
泊翁先生を中心として
桂川甫周のこと
新書古書〔東京数学会社雑誌〕
切支丹の殉教者と鮮血遺書
グリツフヰスのこと
『奇抜な訳語』集の中より
『英政如何』
『律例精義』と『律例精義大意』及び其の訳者
福沢先生と洋服
神田孝平訳の和蘭探偵小説
我国最初の海外留学と其の齎せる政法書
明治文化の研究に志せし動機
『海外新話』と『漂荒紀事』
帝国憲法の俗解
自由民権時代の主権論
原敬と天主教
静岡学校の教師クラーク先生
明治啓蒙期文献雑話
明治啓蒙期文献雑話〔二〕
婦人問題に関する文献
新旧混沌時代の思想及び生活
『明治文化全集』は如何にして編纂されたか
日本外交の恩人将軍李仙得
明治文化に対する神田孝平先生の貢献 −その著述の解説−
明治維新の解釈
我国近代史に於ける政治意識の発生
聖書の文体を通して観たる明治文化
維新より国会開設まで
我国に於ける最初の財政学書
明治初期の新聞雑誌に現れたる政論について
岩倉大使日米条約談判の顛末
スタイン、グナイストと伊藤博文

11

 

自分を語る
評論家としての自分並佐々政一先生のこと  『新人』一九一八年一−三月
所謂「私共の理想郷」 『改造』一九二一年七月
村芝居の子役 『婦人公論』一九二三年一月
予の一生を支配する程の大いなる影響を与へし人・事件及び思想 『中央公論』一九二三年二月
新人運動の回顧 『新人』 一九二三年四月
軽桃なる批議 『文化生活の基礎』一九二四年四月
悪者扱さるゝ私 『文化生活の基礎』一九二四年二月
[吉野先生のために妄をひらく〕
転地先から〔抄〕
本屋との親しみ  大正一四・八・一八
小学校時代の思ひ出
投書家としての思ひ出
少年時代の追憶
初めて読んだ書物
青年学生の実際運動〔抄〕
帝大青年会の寄宿舎に始めて這入つた頃の事ども
民本主義鼓吹時代の回顧
資料の蒐集−明治文化研究者として−
日清戦争前後 『経済往来』一九三三年一月
知友先達を語る
僕の観た河上君
小山君の思ひ出
中沢臨川君を悼む 『中央公論』一九二〇年九月
〔有島君の死は・・〕 『中央公論』一九二三年八月
有島君の死に面して 『文化生活の基礎』一九二三年八月
有島君の死をどう観るか 『新人』一九二三年八月
島田三郎先生を弔す
島田先生全集刊行紀念講演会−「島田三郎先生の追憶(私の日記から)」より−
管原伝氏と私
外骨翁と私
服部誠三羽の追憶
滝田君と私
穂積老先生の思ひ出
〔新渡戸稲造先生と私〕
志賀重昂先生
田口先生と私
左右田博士を悼む
中由敬宇
鈴木文治君の素描 −序文に代へて旧稿を録す−
信条を語る
走る者非歟
個人的創意の抑圧
社会と宗教
賢者ナータン
魂の共感
クルランボオ
社会評論雑談〔抄〕
理想主義の立場の鼓吹−阿部次郎君の『人格主義』を読みて−
人類の文化開展に於ける種子・地盤・光熱の三要因
斯く行ひ斯く考へ斯く信ず
評論界に於ける浪費主義の排斥
見開を語る その他
秋の月
劇界の新風潮
清国の夏
ハイデルベルグ大学 「滞徳日記」より
独逸のクリスマス 「独逸見開録」より
古いサロメ
袁世凱及其遺族
青年思想の最近の傾向
夏休中の青年諸君に告ぐ
『ローザ・ルクセンブルグの手紙』序
『維新前後に於ける立憲思想』推薦の辞
『三十三年の夢』解題
岡田文相の社会主義研究
宮島資夫君の『金』を読む

12

思想家と実際家との協戮を提唱す  『中央公論』一九二二年二月「巻頭言」
議会政治の刷新 『中央公論』一九二二年三月「巻頭言」
高橋内閣瓦解のあと 『中央公論』一九二二年四月
後藤東京市長の提案が・・・ 『中央公論』一九二二年四月「小題小言四則」
政界革新論 『中央公論』一九二二年五月
現代政局内面観 『中央公論』一九二二年六月
加藤内閣存立の根拠 『中央公論』一九二二年七月「巻頭言」
最近政変批判 『中央公論』一九二二年七月
国家思想に関する近時の論調について  『中央公論』一九二二年七月
主観的真理の強説か客観的真理の尊重か 『中央公論』一九二二年九月
新政党に対する吾人の態度 『中央公論』一九二二年九月
憲政常道論と山本内閣の使命  『中央公論』一九二三年一〇月
自警団暴行の心理 『中央公論』一九二三年二月「巻頭言」
山本内閣と普選断行  『中央公論』一九二三年一一月
甘粕事件の論点  『改造』一九二三年一一月
山本内閣の倒壊から清浦内閣の出現まで  『中央公論』一九二四年二月
新内閣に対する期待  『中央公論』一九二四年七月「巻頭言」
貴族院改正問題  『中央公論』一九二四年九月
昨今の世相  『中央公論』一九二四年一〇月「巻頭言」
第二次加藤内閣の出現  『中央公論』一九二五年九月「巻頭言」
普選と政治教育 『中央公論』 1925.4月号
貴族院政党化の可否 『中央公論』 1925.10月号
枢密院に対する期待と希望  『中央公論』一九二五年十一月「巻頭言」
地方長官公選論 『中央公論』一九二五年十二月
所謂地方分権論に就て   『中央公論』一九二五年十二月
近衛公の貴族院論を読む   『中央公論』一九二六年一月
田中政友会総裁の地方分権論  『中央公論』一九二六年二月
軍縮に因る損失の補償    『中央公論』一九二六年二月「小題雑感数則」
加藤没後の政界  『中央公論』一九二六年三月
政党運動と政治教育運動 『中央公論』一九二六年三月「小題雑感数則」
軍事機密費に関する醜聞  『中央公論』一九二六年四月
後藤子爵の新運動    『中央公論』一九二六年五月
軍部大臣文官任用論の根拠  『中央公論』一九二六年五月「小題雑感」のうち
新自由主義の提唱  『中央公論』一九二六年六月「巻頭言」
自由主義提唱の弁  『中央公論』一九二六年八月「小題雑感数則」
新設さるべき思想課の使命   『中央公論』一九二六年九月
西園寺公の元老無用論  『中央公論』一九二六年九月
神社宗教論  『中央公論』一九二六年一〇月「小題雑感」
基督教徒の宗教法案反対運動  『中央公論』一九二七年二月
教授と政党員との両立不両立 『中央公論』一九二七年三月
枢密院と内閣  『中央公論』一九二七年六月
政党首領の今昔  『中央公論』一九二七年九月
府県会議員選挙の跡を見て 『中央公論』一九二七年一月
天皇中心主義と議会中心主義  『中央公論』一九二八年七月
現代政局の展望  『中央公論』一九二九年二月
浜口内閣の前途  『経済往来』一九二九年九月
憲法と憲政の矛盾 『中央公論』一九二九年一二月
統帥権の独立と帷幄上奏  『中央公論』一九三〇年七月
選挙と金と政党   『中央公論』一九三二年六月
政界の回顧と展望  『経済往来』一九三二年一二月
議会から見た政局の波瀾  『中央公論』一九三三年一月


憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず
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『三十三年の夢』解題
民本主義鼓吹時代の回顧 『社会科学』所収 昭和三年 『閑談の閑談』所収 昭和八年
北京大学生騒擾事件について
朝鮮青年会問題
民族と階級と戦争
明治文化の研究に志せし動機
わが国近代史における政治意識の発生

 

 

参考
吉野作造論集
吉野作造選集

吉野作造−閑談の閑談〈抄〉(人間の記録 66) 吉野作造/著 日本図書センター 1998.8
吉野作造評論集(岩波文庫 33‐131‐1) 吉野作造/著 岩波書店 1983.11
日本の名著 48(中公バックス) 伊藤整/[ほか]編集 中央公論社 1984.12