グリツフヰスのこと









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 前号に書いた『鮮血遺書』の序文の中にまた次の様な文句がある0
                   みかど
 ===明治七年米国にて出版せし『帝の国』と題する日本歴史あり0是は些別福井の城主松平家に傭れ在し米
                 ゃむ               キリスト
 国プロテスタン徒グリヒンス教師の筆なるが、止を得ず織田信長豊臣空口徳川家康の時代に真の基督教会な
                                  たくみ
 る天主教会の我邦に盛大なりし事を述べ、彼方此方の話を取交て工に理針附け、世界の公教たる天主教を
  ローマ                                        王こと   ある
 羅馬教と唱へ、之は国を奪ふ為に渡りし教なれば遂に日本を放逐されしが、是は塞に然も在べき事にて是等
      ことこと
 の信者は悪く責殺すも有司の止を得ざる業なり云々と論じたり:…・
 之はグリツフヰス(安登の名著『皇国』(→hのMik邑〇・岩mpIr仲)のことたるや疑ない0初版は明治九年の出版
のやうである。最初は一冊であつたが近年は二冊となり更に第三編として日露戦争後国力の東亜大陸の方面に発
展した辺までの記述を増補してゐる。通俗を旨とした丈我々日本人に取つては夫れ程参考となるものではない0
           カ
此点に於て之は夫の了ドック(M邑○丑の日本歴史など、は自ら選を異にするものである0が餅し西洋人の読
み物として又其の日本研究の道案内としては頗る興味あるものであらうと思ふ0兎に角この書は、我日本をよく
西洋に紹介したものとして、古くはかの有名なケンフエル(河野岩音r)の日本史の類と共に我々の感謝に催する
ものと云つて可い。
くノ
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きて前に引用した様な文句は、グリツフヰスの本のどの辺にあるのか探したけれども急に見附からなかつた。
グリツフヰスは多少極端と見ゆるまでの日本びいきで、何事にも好んで日本弁護の労を取つて居るから、前凋の
              まぎ
如き評論を試みたるは咄想像するに難くない。
                          *
                                        なかんずく
グリツフヰスは割合によく日本を西洋に紹介したといふ点に於て我々の感謝に値するが、就中特に彼に敬服す
                                                   いわゆる
るはその維新革命論の卓見である0詳ミミば、日本の改革は外人のカに因るとの西洋人の通説を駁し、所謂王
覇の別を弁じて王政復古の当然の理たるを力説した点にある○是は第一編の末章に論ぜられてあるが、此部分だ
けを抜拳して『日本に於ける近代革命』(→F∧遠賀已ぎ01ulionlロ1葛n)の名の下に小さなパンフレットの形に
作られたものが毒我国に広く行はれた様に記憶する○そして之にはまた翻訳もある。牟田豊訳述『日本近世変
                                       なお
草論』といふのがそれだ○明治十五竺月の版で1↑二冊になつて居る0猶之は始め明治八年に『維新外論』と
還して一冊だけ出版し其儀中絶したのを、十四年になつて表題を改め二冊議に出版したのである。維新外論も
ちよい〈古本屋で見るが之は上巻一冊だけしかないのである。
 『計本近世変革論』に中村数字先生の序文がある〇八年撰十三年書とあるから、維新外論として出版する当時
                            いよいよ
頼まれて起稿せられたのを、近世変革論として出すときに愈々清書して与へたものだらう。之によると能くグリ
ツフヰスの経歴が分る0其要点(原文は漢文である)を抄出するとかうだ。
 希利比士米本国に在る時勝海舟君の長子を教授す0既にして福井藩良師を求む。希氏召に応じて至る。至れ
  グ り ヒ ス
 ば即ち郷子弟を訓通し、忠原絶筆、造就法あり、材俊技芸の士多く出づ。京に来るに及び開成枚教師となり、
                     くんて・き

          かん             たまたま
 余と時々常々往来し相得て甚廃す0…希氏性忠厚なりとい睨も抗直に過ぐ。会々一二部貝と議相合はず、一
/hU
一6
旦忽然として去る。・・…・発するに臨み、
        し∫▲しlf
前数月、希氏屠.茅舎を訪ひ、叩くに数々の事を以てす。余応答響







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                       とつ
  の如くなる能はず。而も希氏は則ち筆を把て疾く書すること飛ぶが如し。手腕殆ど疲して尚已まざる也=・…
 福井藩に於ける生活の模様は、前記『皇国』の第二編第八草に書いてある。未だ通読の閑を得ないが、その中
読んで紹介するの機もあらう。希氏と勝海舟との関係についても面白い材料があるに相違ないが、之も段々調べ
て見たいと考へて居る。因に云ふ『皇国』の第一編は日本の歴史で第二編は見開記である。第三編のことは既に
述べた。
 『日本近世変革論』の内容を大略紹介しやう。先づ冒頭に、日本が維新の改革に成功せるは「外人該国に駐留
するに在り」とするが「欧米諸国一般の通論」であるが、之は全く何等の根拠な軒憶測に過ぎぬと喝破して居る。
外人の駐留は清々助成因たるを得べきも、改革の真の因子は日本国民の歴史的精神に内在するの深きものありと
                                  もと     ゆえ ん
て、之より日本の歴史を一卜通り説明し、幕府政治が国体の本能に惇るものたる所以を力説して居る。一体西洋
                                                    いま
人は、将軍を唯一の権力者だと思つて居たのに、江戸の所謂大君の外京都にもモ一つ高い位の帝の在すことを開
             いず
いて、一時本当の主権の所在執れに在るや分らなかつたのであつた。而して実権は矢張り幕府自ら声明する通り
江戸にある。そこで彼等は京都の皇居を以て羅馬の法王の様なものだと合点して仕舞つた。故に在来の西洋人の
日本記述は殆んど京都をヴアチカンと観て怪まなかつた。然るにグリツフヰスに至て始めて日本の本当の国体が
明にされたのである。我々から観れば何でもないが、西洋人の謬見を此方面にひらいたといふ点に於て彼は中々
功労あるものと云つていゝ。
 王覇の弁に気焔を挙げ、朝廷を持ち上げて幕府の覇政をコキおろすの極、彼は更に口を極めて其陰険圧政を罵
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一6

                 ふ し だら
倒し、果ては歴代将軍の過分の贅沢と不仕鱒な生活振を猛烈に罵倒して居る。だから勤王論の起るのは当然だ、
況んや日本本来の主権者は京都の朝廷なるに於てをやとて、勤王運動の次第を叙し、夫がペ・ルリの来航に伴つて
いわ
穣夷説と一緒になる道筋をも明にして居る0月並の説き方だから滋には一々挙げぬ。
                                ■うんじよう
夫より日本が討幕に成功して直ち〔に〕開国に一転する機運の醍醸を説き、「日本人は本能の良性あり、週を知
れば必ず改め、善を見ては能く移る0実に貴重すべき」素質を有し、之に「木戸大久保後藤」の如き「日本の古
学に通じ摂て西説をも学び得たる者」が先達となつて開発に尽すのみならず、福沢諭吉中村正直を始め、森(有
               〔瓜生三東?〕
礼)、箕作(秋坪?)、加藤(弘之)、西(周)、爪生(寅)、内田(正雄)等の先覚者の文化開発に大に努力するものあ
る以上、新日本の前途は大に楽観して可なりと云つて居る○而して更に日ふ。「余日本に客たる殆ど四年間、交
を国中の英雄豪傑に結び、許多の実験を経て後に熟思するに、日本人をして共心思を改めしめ今日開明の域に進
入せしむる者は、日本語を以て印行せる著書訳書の功甚だ多きに居れり」と。終りに「民権及び奉教の自由」の
振張に由て文明開化を更に大に導進すべきを忠告して結論して居る。
 以上の引用は皆牟田氏の訳に依たが、原文と対照するに大概誤りはない棟だ。
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/0
 グリツフヰスには右『皇国』の外日本及び東洋に関する著述は沢山ある。僕の知る限り同じ種類の一番新しい
著書は、一九一五年出版の『日本天皇論』(→ト…1k各こnslll巨○…已冒son)であらう。併し彼の著書で更に
                  いちべつ
別種の意味で何うしても我々日本人の一瞥を与へずに居られぬのは
 フエルベツキ伝(<巧b邑○ニ葛ロ‥袈) ヘボン伝(巳官b50‖葛ロ‥−≡)
の二曹である0フエルベツキとヘボンとが、維新前後我国に凍り大に文化開発の趨勢を助成促進したことは人の







 ー一ノ

∧ソ
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              さしお                    しかのみなちJT
知る所である。新日本は何を差措いても此二大偉人に感謝する義務がある。加之グリツフヰスが其著の表題に
副注し、前者を呼んでACitiNeロOfnoCountrYとなし、後者をばArifの∽torqof→oi〓orChristと呼べるが如く、
                ど
其の尊貴高逸なる人格はまた何れ丈美しい感化を彼等に渡せる新日本の青年に残したか分らない。有らゆる意味
                                  たユよた士−
に於て此両偉人の伝記は我々に於て丁寧に味ふべきものだのに、偶々グ氏の著がある。筆者亦頗る其人を得たも
のと謂はねばならぬ。
 グリツフヰスのことについてはその著書以外に僕は多くを知らぬ。多分まだ存命中なのであらう。未見の恩人
として先に僕は深厚なる敬意を彼に表しておきたい。

                                           〔『新人』一九二二年一二月〕

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