戦後に於ける欧洲の新形勢


 戦争は何時止むか、今日何人も之を予言することは出来ない。英国のキチナー元帥は三年計画を説いたが、ま
さか三年に亙る事はあるまい。けれども昨年暮欧米一部の人に予想された如く、本年六月を以て終了すると云ふ
こともなからうと思ふ。独逸と仏蘭西では目下壮丁に欠乏を感じ、英露は比較的尚ほ新に募集すべき余地あるや
ぅに見ゆるけれども、武器弾薬の供給に困じて居る様である。最近英国は厳重な息封鎖の宣言をなして、独逸の
糧道を断たんと企てゝ居るが、之れは独逸に尤大なる苦痛を与へるものに相違ない0殊によると之れが独逸破滅
                                                    かた
の原因をなして案外早く戦争の終末が着くかも知れぬと思はる、。けれども今日の処猶ほ一両月の間に方がつく
とは思はれない。
 戦争の終局は何時つくとしても、此戦争が我々に何を教ゆるかと云ふ事は今より断言する事は出来る0今日の
処では独逸が勝つてをるか、聯合軍が勝つてをるかといふことは軽々しく断言することは出来ぬが、終局の勝利
                            たと え
が聯合軍にあると云ふことは言…の疑ひを容れない0仮令独逸が個々の戦争で勝つても、英、露、仏に致命傷を
与ふる事は到底予想することが出来ない。而して懸軍神崎の状能首長く続くれぼ続くる程、独逸の不利となるの
だから、結局の平和が如何なる事情の下に締結されても、終局の勝利はどうしても聯合軍の上にあるものと見ね
ばならぬ。して見ると我等は此戦争の経過に由つて、戦闘に勝つは必ずしも戦争に勝たのではなく、また戦争に
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勝つものは必ずしも国際競争の最後の勝利者ではないと云ふことを認めざるを得ない。斯く云へばとて余は戦闘
に勝つの必要はないと云ふのではない。又戦争の勝利の価値を全然認めないと云ふのではない。最後の勝利は常
に戦勝に伴ふと云ふことは元より論を待たないのである。唯だ戦闘の勝利者が必ずしも最後の勝利者でないと云
ふことはくれノ〃\も世人の承認を求めたい。最後の勝利を得るには戦争に勝つと云ふことの外に今一つ大事な方
                          ベ ルギI
面の勝利者でなければならぬ。白耳義の如きが、あの通り戦争には負けて惨々な目に逢つても、尚今度の戦争で
                                   は か
全く其独立を失ふ事なかりさうに思ふ時、我等は一面に於て小弱国の果敢なさに同情すると共に、猶ほ被れが他
の何等かの方面に一種の勝利を博しっ、ある事、少なくとも白耳義人が英、仏、露の国民の中に凱歌を以て迎へ
られつ、あることを認めざるを得ないのである。
 翻つて思ふ。我国の識者は今日、今次の戦争に於て、果して如何なる教訓を感得しっ、あるか。今度の戦争に
活動して居る多くの国民の何れの部分、何れの点に感服して居るのかと云ふ事を考ふる時に、余は多くの遺憾を
感ずるものである。何となれば我国の識者の中には独逸が孤軍奮闘、列国の包囲攻撃を受けて屈せざる其の勇ま
しい武者振に感服してをるものは多いけれども、被れが戦闘に勝つて而して最後の勝利を得る能はざる所以に教
訓を求めんとして居るものが少ないからである。最も独逸賞讃者の中にも余の見る所では二の種類があるやうで
ある。第一は全然若くは絶対的に独逸に感服するものにて、独逸と交戦関係に入つた我国の政策を否認するが如
き口吻を洩らし、寧ろ此戦争にて独逸と同盟する事の得策たりし事を説き、甚だしきは戦後英露を振り捨て、日
独同盟を結び、相提携すべしと説く者すらあるに室つてをる。又第二は之れ程でないけれども、兎も角独逸の態
度は立派だとか敵ながらも感服にたへぬ、日本の将来は正に斯くの如くでなければならぬと云ふ風に説くので、
畢寛独逸は友として頼むべきものではないとしても、範として之に則るべきものであると説くのであつて、両者
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淵澗朋朋∵
戦後に於ける欧洲の新形勢
共に独逸心酔者たる点に於ては同一である。私の考へでは之れも今回の戦争の我等に与ふる大教訓のノであるに
は相違ない。即ち平時に於て変に処するの準備を怠らず、其計画や周到、其用意や細密、一朝事あらば横敏神速、
一度頭で命令すれば国内の諸機関は手足の如く之に応じて働くと云ふ風に、国家の凡ての組織は悪く一令の下に
動くやうになつて居ると云ふ点は敬歎して措かざる処であつて、我等の学ばねばならぬ独逸の長所である。乍併
之れと同時に我等は独逸のやり方には重大なる欠点を伴ふことを忘れてはならぬ。其の重大なる欠点あるが故に
列国の嫉視を招き、遂に今日の窮境に陥つた所以を深く鑑みる事が必要であると思ふ。
 歴史に照して之を考へると今日の独逸はフレデリツク大王時代のプロシヤと非常によく似てをる。而して又カ
ィゼル、ウヰルヘルム二世は多くの点に於て、フレデリツク大王とよく似てをる様に思ふ。大王は多芸多能の人
                                たしな
であつて、独り将軍とし〔て〕抜群なりしのみならず、文芸の嗜みも相当にあつた。カイゼルも亦同様である0大
王は当時独逸聯邦内の後進国であつたプロシヤ王国を、聯邦内の雄国たらしむる政治的理想に動いたが、カイゼ
ルはウイルヘルム一世によつて欧洲の雄国となつた独逸帝国を世界の大国たらしむるの政治的理想を以て現に動
いて居る。而して此理想を実現せんがためには手段を撰ばず、国際道徳を無視し、小国を揉踊して恥としなかつ
                                                オ1・スト川ソア
たと云ふ点に於て二者全く同一である。フレデリツタ大王はプロシヤ王国の膨脹を遂げんがために、嗅太利のマ
            こんばい
リアテレザIが相続戦争に困燻して居るに乗じてシレジアを奪つた。カイゼルの仇名たる火事場泥棒は大王に於
て既に立派な先例を示してをる。勿論余灯之れが為めに大王並にカイゼルの道徳的動機を非難するものではない0
彼等は飽までプロシヤ王国乃至独逸帝国と云ふ国家的利益を図るの外、更に他念がなかつた。所謂国家主義の見
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地から見れば彼等はプロシア王国乃至、独逸帝国の守護神である。唯だ我等は彼等が「国家」に執するの余り、
猶一層高い処を見ることの出来なかつた見識に服することが出来ないのである。されば彼等は共に英邦国のため
には全心全力を捧げたのであるが、偶々列国の憤激猶忌を招き、やがて世界全体より危険人物祝せられ、共包囲
攻撃を蒙むるに至つた0此点に於て今日の戦争は正さに十人世紀半に於ける七年戦争の如きものである。七年戦
                         スウェーデン                                    /
争に於て大王は露、換、仏、サクソニー、瑞典の包囲攻撃を受けて僅かに英国の同情の下に滅亡を遁れた。当
時大王が孤軍奮闘、東奔西走、機敏神題なる活動を以て屡々奇勝を惇し、列国を故に受けて容易に屈せなかつた
点は、カイゼル目下の境遇とよく似てをる0けれども兵足らず財糧乏しきを告げ、一時は聯合軍の急追を受けて、
失望の極自殺せんとした事すらある0カイゼルも亦今日之に類した経験を嘗めつゝある事であらうと思ふ。大王
                    う や hU や
は七年戦争の後種々の事情からして、有耶無耶の間に戦局を結んだが、結局何の得る処なくして好戦国の虚名と
国力の疲弊とを嵐ち得たるのみに止まつたのである0今日の独逸が戦後如何なる獲物を得るかは分らないが、要
           カ

するにフレデリツク大王以上の実質的利益を得る事は困難であらうと思ふ。虚名と疲弊の外、何等国運の実質的
                  ひきゆう
進歩を来す事なしとすれば百万の批淋も何の役に立つか。軍備其物は必要な物には相違ないが畢売手段である。
                                             みだり
国家の尊ぶべきは其広大なる軍備に依て世界に主張せんとする処の思想其ものではあるまいか。妄に独逸の皮相
に学ばんとするは本を忘れて末に走るもの漣古はざるを得ない。
独逸は幾多の学者、幾多の思想家を出して甘介の精神的文明の進歩に貢献する処、鮮が大であつたが、共政治
立の理想に至つてはラレデリツタ大王の時より今日に至るまで、決して高遠なるものとして許すことは出来ない。
彼等が目標を定めて夫れに達するためになす処の努力其のものには我等は飽まで感服し、且つ之を学ばんことを
欲する0けれども彼等が立てし所の目標其物は断じて我等の学ぶべからざるものである。大王は七年戦争後二十
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戦後に於ける欧洲の新形勢
年L間、戦後の経…官に腐心し」国力の回復を図り、其結果十八世紀の末に於ては欧洲に於て最も強大なる一国のノとな
つた。が夫れでも仏蘭西のミラボーが、当時プロシヤの制度文物の研究に来て看破した如く、百制備はつて然も
唯だ一の大事を欠いてをつた。此評は今日の独逸に対しても猶ほ之れを適用することが出来ると思ふ。余は我国
民が此独逸の例によつて大なる教訓を得るの必要を感ずる。殊に偏狭なる国家主義を奉じ組織の勢力を重んじて、
やや
動もすれば自由を抑へんとする我国の今日に於て此独逸の轍を踏むなかれと警告するは寧ろ必要であると思ふ。
      三

 戦後に於ける欧洲の形勢は益々独逸流の軍国主義を流行せしむるであらうかどうか。之れに就ては二棟の考へ
方がある。先づ終局に於て独逸が負けるものとして、其負け方が全然独逸の屈服ビえふことであれば、独逸流の
軍国主義は其干を収めて、四海同胞の平和主義が段々に勢力を占むるであらう。独逸は負けるには負けたが再び
立つことが出来ない程に負けず、猶多少の余力を残したと云ふ場合にはどうであるかと云ふに、之れは独逸の将
来に対して取る態度によつて間遺が決する。此際独逸が真に其欠陥を自覚して大に目醍むる所あれば、彼等は無
論進んで軍国主義を捨るであらう。之れに反して若し暗に再び報仇を念とする事があるならば、各国は決して彼
に対して安心することが出来ず、各々再戦の準備にカを注ぐであらう。然る時は今後暫くは矢張り広く軍国主義
              かくの「−とく
の繁栄を見るの外はあるまい。如斯んば何れ其中には又戦争の勃発を促すであらう。斯くして各国が真に覚醒し
て平和的の世界経営に従ふ事になるまでは政争はたえぬであらう。要するに終局に於て世界の将来は平和にある
と信ずるが、差し当りの所ろ軍国主義になるか、平和主義になるかは、戦後に於ける独逸の態度に依て走るので
ある。余の考へでは独逸は恐らく軍国主義の迷夢より醒むるであらうと思ふ。斯く信ずる理由は種々あるが、一■
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←I「
には独逸の人民は今度の戦争でつく′ぐ−戦争の惨禍と云ふ事を感じたらうと思ふ。戦争の惨禍と云ふ事は日本人
                                                 かんか
には分らぬ。何となれば我々は日活、日露の大戦役を経験したが、未だ曾て我等の領土内に敵を迎へて千曳を交
へた事はない。故にせい′〃\夫や子供に戦死されたとか親や兄弟に討死されたとか云ふ位が関の山で、例令ばベ
ルギー人などの様に家を焼かれ、財物を掠奪せられ、一家離散し、外国に放浪せねばならぬと云ふ様な、惨憺た
る経験はした事がない。故に我等は実を云へば未だ戦闘の経験はないと云つてもよい。而して所謂主戦論などを
唱へるものは、此種の経験なき連中に多いのであつて、我国にても親しく旅順等の戦争の辛苦を嘗めし人々の中
には衷心から平和主義になつて居る人もありと開く。況んや欧洲人は自から深く之を経験してをる。独逸は比較
                         つぶ
的外敵の侵入から免れてをるけれども戦争の惨禍は具さに経験して居るに相違ない。故に戦争中は敵憬心にから
れて熱狂して居ても、戦後彼等は必ず最も熱心なる平和主義となるに違いない。
 次に現に今日戦争に参加せざる米国にて既に非常な非戦熱が起つてをる。今日戦争に関係なき中立国は何れも
皆今度の経験によつて極めて熱心な平和主義となつた。此影響は全く独逸に及ぼさずして居るであらうか。更に
第三の原因としては婦人の勢力の増加を見ねばならぬ。多数の青年男子が出征した結果、之れまで男子の独占に
帰しし或は主として男子の占領する処たりし幾多の職業に婦人が入つて来た0従て婦人の社会的活動の範囲が著
しく拡張されたのである。之れは一面に於て婦人の経済的独立と云ふことを更に一層進めたものである。以て婦
人は直接間接に将来必らず政治上に於ても一段重きをなすであらうと思ふ。婦人の勢力を認める処は平和論の尤
も盛に唱へらる、処である。日本では戦争のある度毎に軍人と金持の践屁を進めてをるが、今度の戦争では最も
著しく婦人の勢力の膨脹を来すやうに見ゆる。此等の点を併せて考ふると戦後の独逸は遅かれ早かれ軍国主義を
捨て、世界的平和主義に移らざるを得ないと思ふ。
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戦後に於ける欧洲の新形勢
 戦後に於ける欧洲の形勢斯の如しとすれば、我等の戦後に於てとるべき方針も亦明かである。我等は世界平和
の大義が戦後如何なる速力を以て発展するか、又は如何なる段階を経て其理想を一歩々々に実現して行くかを審
       いと王
かに述ぶるの追がない。其経過の中途には勿論多少の波瀾があり、時としては軍国主義などが、ちよい〈頭を
出すこともあらうと思ふ。乍併大勢が平和主義にあると云ふ事を信じて疑はざるが故に、余は軍備の整頓、力の
養成を以て唯一の若くは最要の国是とは思はない。勿論其の必要は認めるが我等は唯だ現在に生き、瞬間の形勢
に動かされて、徒に右顧左晒するのみを以て能とするものにあらざるが故に、日本人が国家永遠の大局に着目し
て策を立つる思想家の立場から我等は深く戦後に於ける世界の形勢如何を同胞に警告し、其将来に取るべき真実
の怒度を定めんことを希望して巳まないのである。

                                             〔『新人』一九一五年四月〕