学術上より見たる日米間遭
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                        いわゆる
今年の春、北米合衆国カリホルニア州に於て所謂土地法案が議会の問題となつてより、日米関係は再び我が国
朝野の大問題となつた0該法案たる、言ふまでもなく、共表向さは何であるにしろ、必東日本人の土地所有権を
禁止せんことを目的とするもので、我が邦人は彼地にあると内地に居るとを間はず極力其廃棄に尽力したのであ
つた0然し其甲斐もなく、該案は、五月二日二票に対する三十五票の多数を以て上院を、又翌三日三票に対する
                                                         ここ
七十二票の多数を以て下院を通過した0超て十九日加州知事ジョンソンは之に署名して先に立派な法律となり、
憲法の規定により八月十日より実施せらる、事となつた0其の以前から米国外務省と交渉中であつた駐米帝国大
使の活動は、今尚ほ引続いて居るとの事であるから、本問題は外交上未決の事件ではあるけれども、併し法律の
既に成立し実施せらるゝを見たる以↓は、事実1先づ解決は善かれ悪かれ付いたものと見ねばならぬ。従つて内
                        すこぶ
地に於ける操触社会の議論も、本件について此頃は頗る下火になつたやうだ。
併し加州土地法案問題は、所謂日米間遺1一層適切に云へば米国に於ける排日問題
のすべてではない。
故に前者の片がついたとて後者の考察を閑却してはならぬ○予輩の考では、米国に於ける排日思想は其根底決し
て浅くない0之が色々の場合に種々の形に現る、ので、加州土地法案の如きも其一種に過ぎないと思ふのである。
故に今次の加州事件が、仮りに日本の利益に解決がついたとしても、排日思想の條然として存する以上は、他日
学術上より見たる日米間遺
                                                                  な
また何かの機会に問題が起るに相違ない。故に日米関係の問題は、加州事件の落着如何に拘らず、今後永く仰ほ
我々に絶へず困難なる事件を提供して解決を迫るであらう。是れ本間題の慎重なる研究が、吾人に取りて最も緊
       ゆえ ん
要なりと信ずる所以である。
 尤も今次の加州事件に関連して、排日問題の根本的討究に触れた議論は少からず新開雑誌などに見えた。併し
多くは問題の一端にふれて全斑に通じない傾がある。殊に米国に流行する表面皮相の議論に捉へられて、共裏面
に流る、大潮流に着目せるものゝ少かつたのは、予の甚だ遺憾とする所である。従つて我々の論難は、彼地に於
                    けだ
いて一向要点に当らなかつたのである。蓋し米国に於ける排日思想は、極めて複雑なる要素から起つて居るもの
である。之を細かに分析して研究しなくては、其真相は解らないのである。我輩は敢て本問題に通ずるを以て任
ずる者ではないけれども、平素多少研究してゐる事もあるから、其一端を披歴して世の質問に応ぜんとするもの
である。
      二

 我輩の観る所を以てすれば、所謂排日思想なるものは、大体五つの要素から成り立つて居ると思ふ。而して此
五つの要素は、自ら一種の段階をなして、歴史的にも、論理的にも、彼此相関達して居ると思ふ。換言すれば、
排日問題は、当初或る狭い簡単な形で現れたが、漸次根底の深い要素を含むやうになり、今日に至つては、之等
                                                こ こ
の要素相混交して、頗る複雑な問題となつたといふのである。而して其の滋処に至る迄には、前の五つの要素と
いふ事と相対照して、予は五つの段階を経たと見るのであるが、以下其次第を簡単に述べやう。
 第一段一体排日思想の実際問題として起つたのは何時頃かと云ふと、今より十二三年前頃からである。而し
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て此頃の排日問題は、其性質をよく研究して見ると、純然たる労働問題であつた。即ち此時代に於ては在来日本
人は、労働者といふ資格に於て、先づ彼地白人労働者の眼底に映じ、彼等は我等を商売敵として排斥せんと決心
                                               サンフランシスコ
したのである。例へば一千九百年五月七日、職工組合の主唱に基き、太平洋岸の労働組合を誘引して、桑 港
に開ける所謂市民聯合大会の決議T此会議に於ては、日本人は競争者としては支那人よりも危険なりとの理由
に基き、外交官以外の一切の日本人を排斥するため、法律の制定又は他の適当なる方法を講ずべき事を、中央議
会に建議すべき旨の決議をしたのである1の如き、又一千九百一年、時の加州知事ヘンリ」・デー・ゲージが、
州会に宛てたる教書の如き、其明白なる証拠である。殊にゲージの教書は、当時の排日思想の性質を極めて明白
に述べて居る。日く
  (前略)日本労働者の無制限なる来住に依りて蒙るべき危険は、清国労働者より受くべき危険と、同一性質
  のものなり、其労働賃銀の低廉なるは、米国労働者に取りて由々しき大事なるが故に、之を禁止し又は制限
 するが為めに、中央政府が新なる法律を作り又は日本との条約を改締するは、合衆国民を保護するに必要な
  りとす(下略)。
 此教書の結果として、州会は、日本移民制限の建議を中央議会に致すべきの決議をしたのである(同年ネヴア
ダ州会も同様の決議をした)。其等の事のあつた以前には、実は排日的思潮は余り世間に現れなかつた。夫れも
其筈である。其頃までは、在留日本人の数は至つて少かつた。合衆国移民調査報告に依れば、全国在住日本人総
数は、一千八百九十年には佳に二千〇三十九名であつて、其後は毎年千四五百名宛の入国を見るに過ぎなかつた
                          にわか
のである。然るに一千八百九十八年頃より、移民数俄に増加し、二千三千を超え、一千九百年には一万二千を超
ゆるに至つた(但し一千九百〇一年には五千に減じ、爾後時々消長はあるが六七千前後といふ計数を示してゐる)。
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学術上より見たる日米間葛
                           もた
而して此趨勢と共に、排日的思想は、段々頭を撞げたのであるが、前申した通り右排日思想は、先づ労働問題と
して現れたのであつた。換言すれば、排斥を叫ぶ者は、主として競争者たる白人労働者であつて、其他の者は之
 一のずか
に与らなかつたのである。而して労働者を中心としての排日の叫は、先づ加州に起つたのであるが(在米日本人
の約三分の一は加州に居る)、併し之は加州にのみ止らず、暫くすると、他の方面にも蔓延した。其証拠は、一
千九百〇三年、シカゴ市に開催せられたる合衆国労働者大会の決議である。此会では、日本の労働状態調査のた
め、二名の調査委員を日本に派遣することを決したのである。其調査報告の結果は、「日本の労働状態は、経済
上未だ工業時代に入らずして、所謂農耕時代を脱せず。従つて体力上の競争に於ては、合衆国労働者の遠く及ぶ
所に非ず。故に合衆国労働者の保護の為め、彼等の来任を防止するは極めて必要な川」と云ふにあつた。又翌一
     \\
千九石〇四年十一月、桑港に開ける合衆国労働同盟大会に於ては、遂に従来の支那人排斥の条項を日本〔人〕労働
者にも適用すべきの決議をなし、正式に日本人の入会を拒むことに決めた。
 斯の如く、日本人は、白人労働者より共同の敵として排斥せらるゝ様になり、而して米国は労働者の抜属する
処なるだけ、排斥の声は盛であつたけれど、併し此段階に於ては、排斥するものも、排斥さる、者も、労働者だ
けであつた。従つて其以外の人々に付いて見れば、排斥どころか、却つて歓迎するものも少くなかつた。殊に雇
主側に在つては、日本人労働者を以て、賃銀低廉にして且勤勉怜例なりとして、盛に共使用を喜ぶといふ有様で
                                      いくば
あつた。然るにこの排日思想は、不幸にして永く労働問題としてのみ止らなかつた。幾くもなくして、之は更に
一転進して、一つの広い経済問題となつて現るゝに至つたのである。
 第二段 日本の移民が、労働者として一生を終るものであつたら、排日問題は所謂労働問題以上に発展する事
はなかつたであらう。然るに、幸か不幸か、勤勉にして敢為なる我が同胞中のある者は、永く労働者として人に
19

使役せらるゝに甘んぜず、刻苦精励の結果、多少の貯金を土台として、遂に企業家として立たんとするに至つた。
無論之は主として農業の方面である。人も知る如く、彼地には、茫々たる無開墾地今日なほ少くない。地主は一
手で之を拓き尽すことが出来ないから、借らうと思ふものがあれば、喜んで貸す。予の見開したる所に依れば、
地主は其所有に属する原野を七年間無賃で貸す。借主は之を開墾する為めに、最初の一年は若干の資本を之に投
じて力役するが、二年目三年目には多少の収入を見、五年目位から相当の利益を得る。七年の期限の尽くる迄に
は、可なりの利益が出来るのである。七年を経過すると、地面を地主に返すが、地主の方から云つても、ドーセ
只遊ばして置く地面だから、無賃で貸tても損はなく、而かも七年の後には立派な耕地として帰つて来るのだか
ら、大に利益のある訳であり、又借主から云つても、最初の一二年食つて行く丈けの貯があれば、七年の後には
相当の金が出来、更に之を基として一層広き新地面を借りて大仕掛けにやる事も出来るから、之も利益である。
米国西岸には、今日なほ斯んな地面は幾らでもある。而して日本人は中々農耕に慣れてゐるといふ評判なので、
                                               や かま
米国人は他国人よりも先づ日本人にならば喜んで貸すと云ふ有様である。今日排日の声は八釜しき際ですら、日
本人に土地を貸したいから世話して呉れなどと頼みに領事館などに来る者は少くないとの事である。要するに、
右の様な便宜があるので、少し心掛けのよい者は忽ちにして労働者より一転進して農業経営者の群に入る事が出
来るのである。斯うなつて来ると云ふと、日本人は今度は彼地の二農業経営者を共同の敵として有せね〔ば〕ならぬ
         ここにおいて
事になつて来る。於是排日思想といふものは、独り労働者間のみの問題ではなくなつて来るのである。此点は
                                                        ど こ
最近の排日問題を研究する上に決して看過してはならぬ。最近に於ける排日の声の最も高く起るのは何所である
か。桑港か。ロスアンゼルスか。シアートルか。否々。斯かる都会地にあらずして、三々五々農家の散在する田
舎である。即ち中流の農業経営者が、最も熱心なる排日論者である。無論、都会の雇労働者も排日を叫ばぬでは
0
2
学術上より見たる日米間邁
ない。併し之等よりも熱心なる排日論者が田舎に居るといふ事を忘れてはならぬのである。所謂加州の土地法案
の如きも、必克の目的は日本人の農業経営を覆さんが為めで、即ち日本人を農業経営の上の商売敵として起つた
事柄である。此点は、米国西岸に於ける日本人の農業的発達といふ事を見れば、猶一層明である。馬鈴薯王の称
ある牛馬氏の成功、而して同氏が実に米国に於ける馬鈴薯の相場を左右するの実力あることは言はずもがな、ソ
                     しんしよう       いも いちニ
ンな大仕掛なものでなくとも、五万十万位で身上を造り上げて、薯や苺の栽培に従事してゐるものは幾らもある。
          い“す
而して之等の人々は、執れも其任する狭い範囲に於ては、常々相場を左右する位の境遇に居る。日本人は第一勤
勉であり(殊に農業移民は)、第二に熟練である。従つて同じ労働同じ資本でも、其獲る所は概して白人よりも多
い。従つて少々位安く売つても引き合ふ。此点に於て白人は少くとも農業の点に於ては日本人の敵でない。それ
に日本人は隣同志でも白人とは交際せず、日本人だけ寄り集つて別天地を作つて居るといふやうな事情なども加
                                                     こぞ
はつて、日本人は白人事業家から嫉視さるゝに至つたのである。要するに、今日となつては、白人の農業家は挙
つて日本人を排斥するといふ勢に立ち到つたので、之が労働者の排日の叫と呼応して、近時益々盛になつたので
ある。
 斯くいへばとて、農業家は悪く日本人を排斥するといふのではない。中には今日なほ、日本人を労働者として
使用せんと欲するものはある。従来日本人の労働に依つて発達したる砂糖業の如きは、今以て日本人を歓迎して
             ハ ワイ
居る。一千九百〇七年二月、布畦転航の禁止せらる、や、日本人の来住大に減じたる為め、一部の事業界は大打
撃を蒙り、中部諸州の実業家三十余名、時の商工務卿ストラウスを追ひて桑港に来り、転航禁止の解除を迫りし
が如きは其一例である。故に、多数労働者の来住によりて、開拓事業の進歩をはかりつ、ある地方に於ては、事
                                                  ど・つ
業家の日本人を歓迎するといふ事は今日でも沢山あるが、併し之も日本人の発展の工合で如何変るか分らんので、
21

何時までも当にする訳には行かぬ。日本人が進歩発展すればする程、事業家雇主の側も亦労働者と一緒になつて、
排日の声をあげるのは、一つの趨勢であると見なければならぬと思ふのである。是れ我輩が、排日問題は最早単
                                        か
純なる労働問遺に非ずして、モ少し広い経済間邁でもあると云つた所以である。嘗つて労働者保護といふ理由の
ために唱へられた排日問題は、今や其主張の理由の中に、新に産業保護といふ項目を加へた次第である。故に或
               しばしば              ぉも
る一部の論者の如く、加州に於て特に蜃起る排日問題は、労働者及び之に阿ねる一部野心政治家の姉計により
て起れりなどゝいふのは、大なる謬見である。
 第三段 排日思想が前申す第二段階で止つて居る中は、つまり我々を排斥するのは、各自の経済的利己心より
之を敢てする労働者並びに農業経営家の連中のみであるから、問題は比較的簡単である。解決も左まで困難では
なかつたと思はる、。然るに此間遭は、不幸にしてこ、に止らず、更に一歩を進めて、一種の社会風紀の間是と
して現る、に至つた。於是排日思想は、日本人を共同の商売敵とする連中より拡がりて、段々に日本人と何等利
害の交渉のない階級にも及ぶといふ事になつたのである。
 之も其縁因を究むれば無理もない事である。そは一千九百年この方、日本人の移住は著しく其数を増して来た。
数が殖へて、都会や村落に密集団体の生活を営むといふことになれば、其地方の社会では、最早日本人を無視す
る訳にゆかぬ。そこで日本人の混住といふことは、一つの社会問題として研究せられざるを得ざる訳になる。今
参考迄に一千九百年来の日本人の移入を挙げやう。
22
一九〇〇年

一九〇一年

一九〇二年
一二、六二五
四、九〇八

 五、三二五
学術上より見たる日米間是
叫九〇三年

叫九〇四年

一九〇五年

一九〇六年

一九〇七年
一九〇八年
一九〇九年
一九一〇年

一九一一年

一九一二年
六、九九〇

七、七七一

四、三一九

五、一七八
九、九四八
七、二五〇

一、五九三

二、五九人
四、二八二
四、九人四
 猶此外に布畦よりの転航といふ者がある。合衆国移民局の調査によれば、一千九百二年一月一日より一千九百
五年十二月三十一日迄の四年間、布唾より約二万〇三百人の日本人が大陸に渡来したとの事である。又布畦移民
局の報告によると、同地より大陸に転航せし日本人の数は、一千九百六年度には一躍して一万二千二宮二十七人
                いささ
に達し、翌一千九百七年度は、研か減じたるも猶五千四百三十八人を計へたとの事である。斯くて日本人は、ア
メリカの社会に於て有力なる一分子となり、従つて其風俗、習慣、思想等は、白人社会に何等かの影響を与へず
には居ぬことゝなつた。殊に白人等が、日本人の常に同胞相集りて城壁を築き、心を虚にして其の中に来らざる
の事実を見るや、彼等は乃ち所謂日本人不同化説を唱へ、日本人の在住は、白人の社会的生活を害するものでは
あるまいかと考ふるに至つた。換言すれば、白人社会の健全無純の発達を期する為めには、全然異つたる考を以
2う

                                                     ただ
て生活する日本人を遠くることは、必要であるまいかと考ふるものを生じた。斯うなると、排日問遣は、膏に経
済上の競争者に関するのみの問題でなくして、更に其範囲を広くすることゝなるのである。之れが証拠として、
予は一千九百五年五月組織せられたる亜細亜人排斥協会を挙げる。之は設立後無数の賛成加入者を得、本部を桑
港におき、支部をシアートル、ポートランド、デンバー等に設け、盛に日本人排斥の運動に力めて居る。其加入
者の大多数は労働者農業家であるけれども、然らざるものも多く、而して会員の範囲は遠く英領地方にまでも及
んで居るとの事である○而して其主意とする所は、労働者保護を標傍して居るけれども、其外猶次のやうなこと
を言つてゐる。
  (前略)二個以上の同化し難き人種は、同一領土内に平和に棲息する能はざるものにして、斯かる異人種の
 雑居は、終に身体上精神上其他の生活状能だ不適当なる性質を有する人種の滅亡を来さゞるを得ず。而して
 我が地方に於ける生活状能詣、結局労働状能だょりて走るが故に、此状態に最も適当なる日本人は、終に吾
 人を滅亡に帰せしむべし(中略)。吾人は北米の土地を、現今及び将来の米国人の為めに保全し、且つ米国人
 をして、逮徳上及び社会上最高の地位を得せしめ、斯くて自由及び自治の最高理想に適する社会を維持存続
  せしむる為め、本協会を組織す。
観るべし、彼等の排日の趣旨は、今や単に労働〔者〕保護のみに止らずして、更に米国の道徳的社会的品位の保護
に在ることを0従つて此協会に加はる者も、今や単に労働者等従来排日を叫び来つた者のみではない事になつた。
             いやし            ねが
牧師もあれば、教育家もあり、筍くも米国社会の健全なる発達を翼ひ、而かも日本人の在住を以て之を妨ぐと考
ふる者は、来り投ずると云ふ有様になつた〇一千九百人年の報告によれば、加州のみで此協会に属する者、十一
万を超ゆるといふ事である。更に一千九宙九年五月の加州部会の大会の報告に依れば、団体として加盟せるもの、
24
学術上より見たる日米間題
二百二の労働組合を筆頭として、十二の市民団体及び二三宛の慈善団体、軍事団体及び政社がありしとの事なれ
ば、以て此問題は、労働問題経済問題たるの地位より、更に一転進して社会問題といふ形能首執り、広く社会有
識の士の着眼を若いた事が分るであらう。
 第四段 社会的見地より唱導せらるゝ排日思想は、幾くもなくして人種的侮蔑心を伴ひ来り、益々日本人に不
利益なる主張を開くこと、なつた。由来白人は有色人種を劣等なものと見ておる。近来西洋人中にも、日本人の
優秀を説くものはある。併し如何に日本人を讃美すればとて、之を自分等よりも優等なる人種なりとは決して考
へて居ない。否多くの人々は、結局有色人種は、白人の理想を了解するの能力なく、白人に支配せらるべき運命
 も
を有つて居るものと信じてゐる。有色人種は、其如何に高等なるものと錐も、白人に比して其生活の理想が低い、
万事が劣等であるとは、彼等の信条である。而して此信条に基いて、彼等は排臥針首張した0日く、生活理想の
低い日本人の多数来住するは、白人の生活の標準を荒らし、之を低下するの危険ありと0斯かる偏見を加ふるこ
とゝなると、排日思想は、更に進んで人種間還といふ形を取つたものと見ざるを得ぬ。
 人種的見地から排日を説くもの、中には、右述ぶるが如き偏見を立脚地とする者の外に、もう一つある0之は
必ずしも日本人の劣等と云ふ事を論拠とするものではない。不同化といふことを説くのである0此種の論者の言
をきくに、日く、日本人が白人に比して劣等なりや否やは今間ふ所でない。只彼等が吾人の生活関係と同化せぬ
点が、彼等の来任を拒まねばならぬ根本の大理由であると。人種が異れば、自然同化は困難であるが、中にも日
本人は最も同化の困難なる人種なりとの論拠に立つて、彼等は排日を主張するのである〇一千九百七年一月九日、
加州知事ハーデーは、其職を去るに臨みY次のやうなことを言つたと伝へられて居る。
  日本人は、支那人よりも同化性に富むが如きも、彼等は国人相集合して離散せず、其取引は彼等同国人間
2う

 に限られ、白人と来往するを好まず0日常の生活に於ても、徹頭徹尾其故国の習慣を墨守す。要するに、日
 本人は吾人と人種を異にするを以て、米国に同化すること難し(下略)。
又享九宙九年の加州々会は、其年二月、現行支那人排斥法を拡張して日本人にも適用すべきことを、中央議会
に求めんとするの決議を通過したるが、其主意は主として労働者保護といふことにあるけれども、高また人種
開港にも渉つて居る。次に共全文を示さう。
 一国の進歩幸福安寧は、其住民が同壷族に属するを条件とす0米国民の生活と適応せざる、即ちアング
 ロサクソン人種と同化せざる亜細亜人の流入は、米国民の生活標準を低↑し、米国労働者の賃銀を減少する
  の結果を来すべし。
 現行排斥法の下に支那労働者を排斥するは、国民の経済的社会的幸福を維持するに効果あること、加州の
 利益は、該排斥法を引続き存続するの外、更に其精神を拡張して他亜細亜人にも適用するによりて最もよく
 保護せらるこ」と、蒜合衆国民をして、亜細亜人間題に関する太平洋沿岸民の真正なる感情と意思とを了
 解せしむるの適切なることを認識し、1↑両院は、先に合衆国中央議会に敬意を表し、現行排斥法を保存す
                             あまね
 ること、井びに同法の各条項を拡張して全亜細亜人に普く之を適用するに至らしめんことを建言すパ
 合衆国中央議会に属する加州選出↓下両院議員は、前記提議の貫徹に全力を注ぐべく、又加州知事は、本
 決議文を大統領、合衆国中央議会↓下両院議長及び中央議会に属する加州選出上下両院議員に通達すべし。
 斯んな風で、人種的見地から排日を主張するの論は段々盛になつて来た。此議論にも実は相当の根拠はあると
思ふ0ノ最も宗教家などの中には(日本に居ると彼地に居るとの差なく)、正義とか人道とかの論拠をふりかざして、
人種的差別を為すの不当を論ずるものもあつたけれど、大した反響は無かつたやうだ。又事実を云べば、日本人
26
臣臥断熱敷野野掛掛
学術上より見たる日米間題
                 〔尤〕
の在住が米国の生活標準を低下するといふも最もの点もある0無論道徳の問題で争へば、白人にも怪しからぬ奴
は多いから、日本人のみを責むるは不都合であるけれども、余り教育のない下層の日本人の密集的生活は、白人
の社会的生活に、忌むべき印象を与ふるといふ事も蔽ふことは出来まい○本年四月、例の土地法案が加州議会の
問題となるや、国務卿プライアン氏は大統領の命をうけてサクラメントに急行したが、二十八日早朝、其到着を
                        おもむ あた        わぎ
停車場に迎へたる知事ジョンソンは、停車場より己が官邸に趣くに方り、其必要もなきに、放と日本人街に自働
車を乗り入れたといふ事であつたが、此皮肉な知事のやり方も、ツマリは日本人のダラシの無い生活を、先づ国
務卿に見せつける為めにあつたに相違ない。我々日本人は、一人居る時は端然として居つても、多数集ると直ぐ
ダラシが無くなるから、之と全く裏腹な西洋人と接触する場合には、常に誤解を招き易い0
 其外仏教の活働も亦人種的の考を深からしむるに与つてカあると思ふ。白人灯すべてに熱烈な宗教心ありや否
ゃは今暫く間ふまい。併し自分の信仰の厚薄の如何に拘らず、異教に対する反撥心の強烈なるは白人一般の通性
                                        ト ル コ くるし
なることは、丁占…の疑はない。古代に於て十字軍は此精神で起つた0今日バルカン半島で土耳其の賓められてゐ
るのも、必尭は肘掛野人に普ねく此精神があるからである0然るに今米国−兎も角も基督教主義に基き自由の
                                                                                    キ‖ソスト



                                                                  +● 、
理想国を設けんことを建国の精神とする米国−の一地方に於て、図らずも異教が澄〃つて来た0見慣れぬ伽藍
は到る処に立つた。信徒は全然白人の社会と孤立して、伽藍の中にこもつてゐる0白人は之を何と見るであらう0
若し夫れ、日も沈み世間の静まり返つた時に、仏寺よりゴーンと響く鐘の声を開くとき、彼等は異教の剣を以て
肺腑をえぐらる、の思はせぬであらうか。宗教の異は人種差別の観念を一層強烈ならしむることは、歴史の証す
る所、事実の示す所である。目下加州地方に於て、天主教の僧侶が、特に排日を主張するのは、嘗主たる理由は
滋にある。新教の方は日本人中にも其信徒は可なり多数あるけれど、天主教の方は殆んど日本人と交渉がない0
27

岨馳埋
学術上より見たる日米間邁
故に天主教の僧侶は、十字軍的熱誠を以て排日を説くのである0彼等は排日の思想を寺の教壇より説く。而して
天主教の信徒は、南欧諸国の移民よりなる労働者を多数とするの事実、及び米国太平洋岸の白人は、新教徒より
も旧教徒の方が遥に多数なるの事実を思ふとき、仏教の活動が、如何に排日思想の有力なる根底をなして居る
かゞ分るであらう。
第五段以上説く所で、排阜問題は年と共に段々深い根底に根ざして来る事は分つた。今日では、最早簡単な
問題といふ事は出来ない0然るに、最近に至つてモ一つ深い根底が、排日思想の成立要素の中に加はり来つた事
を我輩は見るのである0夫は人種の違つた者が、一国内に雑居するは、共国の統妄害するとの思想である。従
来も異人種の雑居を難ずるの声はあつたけれど、共場合には之によりて損害を蒙るのは米国の社会的生活のみで
あると考へられて居つたのである0然るに此頃に至つて、異人種の雑居殊に日本人の雑居は、膏に米国人の社会
的生活を害するのみならず、米国の政治的存立を危くするといふ考は、段々起つて来た。此事は少しく説明を要
する。
 諒異人種雑居と国家の政治的統一との関係は、従来米国では余り問題とならなかつたけれども、欧羅巴大陸
では、夙に之は学者実際家の研究に1つて居つた0異人種の雑居の為めに、国力の統完至発展の害せられて居
                               オーストリアハンガり−
る実例は、欧羅巴大陸に頗る多い0先づ土耳其は之が為めに土崩瓦解した0換太利句牙利の蓑振はざるの一つ
の原因も之である0射覿が国力の発展今日の如く隆々として而かも猶イザといふ時に左顧右晒するのも、三方に
異人種を有つてゐるからである0其他英国も、露国も、自国も、皆此問題には悩んでゐる。之等の諸国の中には、
少数なる異人種に対しては同化の政策を執つたが、共成績は先づ失敗である0人種的我といふものは、中々庄伏
し去ることの出来ぬものであるといふことが分つた0殊に近年著しいのは、従来全然同化されて仕舞つて居たと
28
考へられてゐた人種までが、段々独立の自覚を喚び起して、自立の要求をなし来つたことである0ソコで、異人
種といふものは一体同化の出来るものかといふことが問題となつて来た0最も開明の程度の非常に差あるもの、
間には、同化が出来るかも知れん。併し最も殖民的天才ある英国人すら、開明の度の頗る低さ印度人を、十分同
            いわ
化し得ぬではないか。況んや多少開明の度に達した人種は、到底同化し得ざるものではあるまいか0斯んな考は
段々起つて来る。従つて、戦勝の結果其他の特別理由で新に領土を増し為めに異人種を自国民中に加ふる場合は
致し方がないが、然らずして異人種が自ら自国内に移住し来り、先に別天地を作るが如き場合は、大に将来の為
めに考ふべき問題であるまいかといふ風に、識者の考は向いて来た(以上の点につき、特志の読者には、新日本
臨時増刊世界民族号所載「政治上より観たる今日の民族競争」と題する拙著小論文を参考せられんことを乞ふ)0
斯くて久しく米国識者の研究に上つて居つた移入民間題(−mmi慧tioロ)は、最近著しく其政治的方面に於て、盛
なる論究を見ること、なつたのである。米国の先覚者ルーズヴエルト井びに其関係するアウトルック誌の本鹿二
月以来の論調は、正に此潮流を代表するものであるい試みに其二三を抜拳せんに、一月十日号の社説には、次の
様な文字があつた。
  (前略)排日開港の根元は、単なる感情にあらず、猫疑にあらず、又文明の程度低しと云ふにあらず、徳育
 の欠くる所ありと云ふに非ず、安価なる労銀に甘んずるといふにもあらず、生活状態劣等なりといふにもあ
 らず。日本人は敢為の気象を有し、高潔なる品性を有するに於て、敢て欧洲移民に劣る所なきは吾人の認め
 て疑はざる所なり。只問題は、米国の文明は欧洲人種によらずして健全なる発達をなすことを得るや否やに
 在り。日本人は諸種の優秀なる性質美徳を有すれども、先天的に欧化せざる国民なり。この点に就ては、日
 本文明に特殊の研究を加へたるラフカヂオ・ハーンの如き其著書に明記せる所なり○日本人排斥の理由は、
29

ll
学術上より見たる日米問題
 実に此同化せざる点に存す○故に此問題は、米国に取つては、単なる労働問題、経済問題、人種問題にあら
 ずして、実に国家存立の基礎に関する一大問題なりとす(下略)。
この最後の文字が、何物を暗示するかは、賢明なる読者の洞察するに難しとせざる所と信ずる。又二月十五日号
の社説には、
  (前略)若し地をかへて日本が我国と同一の地位にありとし、多数の米人日本に来りて同一の権利を獲んと
 せば、日本は果して如何なる処置を執るであらうか。
といふやうな文字があつた0斯ういふ風に考が向いて来ると、排日問題は、最早社会問遺や人種問題といふこと
                                 た、と え
ではなく、米国々家の存立に関する問題である0斯うなると、仮令日本人に同情ある者又は日本人を讃美する者
であつても、重大なる国家間遺としては頸を傾けねばならぬ事となる0斯くて排日問題は、国家の前途を憂ふる
う0
識者の根底深き重大問題となつたのである。
さかん
ことに斯の念は、日露戦争後俄に著しくなつた0戦争開始の当初、米国人の我に対する同情の職であつたこと
は言を待た々小0然るに戦局の進むと共に、日本人の技偶の劣るべからざることが分ると共に、漸く恐怖の念を
生じ、之に日本人を侵略国民なりとする感情が加つて、遂に同情は変じて嫉視猫疑となり、奉天大戦争の頃より、
米国の論調は漸く一変した○即ち所謂黄禍論がボツ〈見ゆるやうになつたのである。例へば或る赤新開の如き
は、戦場に馳駆して嚇々の功名を立てたる百万の勇士、除隊の後群をなして加州に来らば、加州は乃ち第二の布
畦たらんと云つたやうな記事を連載し、甚しきは日米開戦説をさへ唱ふる者があつた。而して斯かる浮説輩語が、
単に無智なる下層階級にのみ行はれしに非ることは、夫のマググレナ湾問題之を証して余りある。享九宙十二
        一
年、加州サクラメント在住の日本人某、某会社の勧誘に従ひ、同会社員と共に、墨国下カリホルニアを視察する
ゃ、日本政府マググレナ湾租借の意思ありとの流言は、直に四方に伝はり、日本政府新に六万の除隊兵士を重囲
に入り込ましめたりとの独逸電報と共に、痛く米国人の神経を刺戟し、四月二日、上院議員ロツヂをして、マグ
グレナ湾調査の提議を為さしめ、遂に七月三十日、上院をしてロツヂの提出せる次の決議案を四対五十一の大多
数を以て通過せしむるに至つた。
  南米大陸に於ける港湾若しくは他の地点が、海陸軍事上の目的を以て租貸せられ、而かも其租貸が合衆国
 の交通及び安全を威嚇するの恐ある場合に於ては、仮令右の租借が会社又は組合によりて為さる、とも、其
                                           〔治】
 会社又は組合にして、南米大陸以外の第三国政府に、政府的目的のために、該租借地、支配の実権を与ふる
 如き関係を有する限り、合衆国政府は其会社又は組合の租借に村し、深甚なる注意を払ふことなくして、之
  を看過することを得ず。
 右の如きは余りに神経過敏の説ではあるが、併し米国人が我々同胞の行動に対し過敏なればなる丈け、同胞の
移住は彼等の懸念して止まざる所である。而して此懸念は、米国の前途を憂ふる所から来るものなる故に、経済
的、社会的、人種的の見解の如何に拘らず、筍くも一片憂国の至情を有する者は、均しく此問題に対しては無頓
着で居れぬことゝなるのである。
 さて以上五段に分析して述べた所によりて、排日問題の真相は如何かこうか明白にし得たと思ふ。由之観之、
我国の新開などで往々唱へらるゝ 「排日問題は太平洋沿岸地方に於ける労働者井に之を利用する一部野心家の好
策に基くので、米国全体の問題でない」といふ説、「正義人道に訴へて彼地識者の反省を促せば、解決が出来る」
といふ説、或は「米国の言論界は、最近に至りて其非を悟り、排日の鼓吹をやめ、漸次日本に好意を表して来
             あやま
た」といふ説の如きは、骨謬りである。少くとも彼国言論界の皮相の現象に迷はされて、根本的考察を怠つた謬
う1

説である0斯な考をして居ては、到底解決は出来ぬ0少くとも、米国人の考の要点に適中する見解を立てること
は出来ぬのである。
う2
   三
排品邁の真相は先づ分つたとして、サテ次に来る問慧、之に苧る解決方策如何といふことである。今根
本的解決案として世間に唱へられて居るものを数ふると二つある〇一は帰化権の獲得であつて、二はキヤンペイ
ン.オヴ・エヂユケーションである。
第扁化権の獲得之は懐かに解決の毒である0併し解決の一つの方案であつて、竺の方案ではない。今
              たし
次の加州土地法案は、帰化権の有無といふことを以て、土地所有権を獲得し得る者と否とを区別したから、少く
とも今次の開港は、帰化権の獲得によつて全く解決することが出来る筈である○し粥繋今次の加州土地間讐離
れて、蒜に抽象的の排晶誓いふものを眼中に置いても、帰化権の獲得は我に取りて大に有利である。何と
なれば、日本移民は之によりて彼地の政界に新に妄力となることが出来るからである0加州辺に居て盛に排日
を唱ふる者は、多くは日本移民と同じ様に欧洲大陸から流れ込んで来た労働者である0同じく流れ込みの箆労
働者であるのに、彼のみ独呈入管して我を排斥するといふのは何の訳かと云ふに、必克彼は米国市民となり
得るに我は之が出来ないからである0而して彼等労働者は、数に於ては優者なるが故に、其希望は自ら政治上法
律上に実現さるゝから、従つて我々日本人は、常に法律1政治1頗る不利益なる取扱を受くるのである。今次の
土地法案の如きは、僅に其一例に過ぎぬ0然るに若し日本人も亦市民となるの権利を獲たならば、是人の意思
も矢張り政治上に多少重きをなすから、日本人は今までの様に虐待を受けずに済むであらう0此点に於て、帰化
l
学術上より見たる日米間題
権の獲得は憶に有利である。併し乍ら、滋に一つ忘れてならぬことは、帰化権の獲得によりて受くる日本人の利
益は、只経済的利益を異にする白人労働者の圧迫に対抗することが出来るといふ事に止るのである。然るに近頃
は、排日思想を砲く者の中には、何も日本人と利害の交渉のない者も少くないことは、前段述べた通りである。
故に排日問題が予の所謂労働間邁又は経済問題たるに止る間は、帰化権の獲得は優に問題の完全なる解決であり
             い か ん
得たであらうけれども、如何せん今日の排日問題は、ソンナ浅薄なものでない。是れ我輩が先きに帰化権の獲得
を以て唯一の解決案でないと断じた所以である。又更に思はねばならぬことは、今日帰化権の獲得は可能である
 どうか
か如何といふことである。排日問題が労働問題経済問題たるに止る間は、排日思想は太平洋沿岸→部の人民に限
るが故に、米国民全体の思想に訴へて、帰化法を修正せしむることは、必しも不可能ではなかつた。然るに今日
となつては、最早排日思想は決して只一部分にのみ流行するものではない。一般の所謂識者の階級にも有力なる
主張者を見るに至つたのであるから、目下の模様では、到底帰化権獲得の望はないと云はねばならぬ。此事は新
               ニューヨーク
開の調子などでも分る。今年の夏、紐育の某新開は、上院議員七十余名に対し、日本人に帰化権を与ふるの可
否を質したるに、二三名の可とする者及び答弁曖昧なるものあつた外、大部分は否定論者であつたさうである■。
 第二キャンペーン・オヴ・エヂユケーション(C巴口冨i雪OfEdun邑on) 之も解決の一法たることは、前項帰化
                                                      〔尤〕
権の獲得と同一である。米国人の排日思想の要素の中には、吾人の観て以て最もとする所もあるけれども、中に
は随分飛んでもない誤解に基いて居るものもある。之等に対しては十分なる説明を与ふるの必要がある。日本人
を以て、到底白人の生活の理想を了解し得ぬ劣等人種と見る考の如きは、最初に弁明せねばならぬ事柄であらう。
                                             すべ
異教排斥の念の如きも同様である。彼等が基督教を以て最上の宗教とするに異議はない。併し凡ての宗教は皆均
                                                             フイフイ
しく神の光である。基督教は神より出づる最大の光であるかも知れぬも、唯一の光ではあるまい。仏教も回々教
うう

も大小完不完の差はあつても、皆是れ神の光を人類に輝さんが為めに生じ来れるものである。斯かる度量は彼等
白人に是非持たしてやり度いものである0次に日本人を好戦国民、侵略的国民なりとする思想に対しても、能く
            た
其誤りを解いてやり度いものである0由来欧羅巴人は東洋人について一種特別の先入的偏見を持つて居る。そは
東洋人中時々武力の優れた人種が勃興し、夫が西進して西洋の文明を揉踊しに来るとの考、是である。一度びマ
ホメットやサラセンに侵された彼等は、東洋に少しでも勇敢な国が勃興すると直ぐ之を連想する。此点は可笑し
                                                   ドイ ツ
い程神経過敏である○而して此偏見は日本の勃興に伴つて直に所謂黄禍説の唱導を促した。黄禍説は独乙皇帝の
首めて唱へたものであるけれども、今や米国に警も之は輿論となつて居る0是れ実に大なる偏見と誤解に根拠
はじ
するものなるが故、キャンペーン・オヴ・エヂユケーションの事業として是非此革もやつて貰ひたいのである。
併し之も実は根本唯一の解決案ではない0何となれば排日問題に関しては、彼に責むべき事があると共に我に
亦幾多の改むべき所があるからである0我に改むる所なくして、換言すれば、我に附着する排日の原因を除去す
ることなくしては、如何に二三の誤解を弁明しても、排日の思想は動かぬからである。故に誤解の説明とか、日
本の実相の紹介とかいふやうな事は、手前の方の改善と相伴ふに非んば、何も実効はないのである○●粍撃問題
は一転して吾人は如何なる点に於て従来の面目を改めざるべからざるかといふことに移る。
う4
我々は如何なる点の改善によりて、排品題の解決に妄を進むることが出来るかといふに、夫れは無論吾々
に附着して排日思想の原因を作して居るものを、漸次取り去るに在ることは論を待たない。然らば排日思想の原
                な
因を作してゐるもので、吾々自身で如何様にも処分の出来るものは何かといふに、

学術上より見たる日米間題
 第、は米国に移住せぬ事である。米国に移住さへせなければ、何も八釜しい問題は起らない。併し米国移住は、
或る意味に於て、我国に取つて国民の運命に関する重大なる問題だから、今更断念する訳に行かぬ。労働者から
           しりぞ
嫌はれても、農業家から斥けられても、ドン〈発展しなければならぬ。此点は外に致し方はないのである。故
                                    やわ′つ
に移住は已むを得ぬことゝして之を許した上で、少しでも排日の思想を和ぐる手段方法を考へねばならぬ。
                                        たの
 第二は同胞の品位を高むることである。米国に居る移民中には、多数密集の勢を悼んで、随分ダラシのない生
                  ひんしゆく
活を公然と営み、心ある白人をして肇燈せしめ居る者少くない。之は排日論の直接の原因とならぬまでも、少く
とも排日論に有力なる口実を与ふるものである。之は何んとかして矯正したいものである。仏教基督教の教師諸
氏の奮起を望まざるを得ぬ。
 第三に在留同胞が白人社会より絶縁してゐる事も一つの考ものである。白人と交際してゐなければ、白人は一
片の風説流伝によりて日本人の生活を解するより外ない。之はツマラぬことで日本人を誤解するの種となる。最
                                        やや
も語学の点よりして、思ふやう十分に交際の出来ぬといふ点もあらうが、一体に動もすれば孤立したがるのは日
本人の弊であると思ふのである。
 第四に仏教教師に対してはも少し積極的な活動を希望する。我輩は先きに第二項に於て、仏教徒の活動が人種
的偏見を深からしむると云つた。予は必しも仏教徒の活動を無用有害と云ふのではない。否、却つて仏教の中に
は大に白人に教ふべき真理があると思ふのである。只当節のやうに、消極的に日本人間に障壁を築き、其中に閉
ぢ寵つてゐるのみでは、日本人の健全なる発展に著大な障害になると思ふ。日本人の教化に尽力するのは大によ
し、併し彼等に若し果して確実なる信念あらば、何ぞ之を以て白人の間に押し出さゞる。予は仏教徒にしても少
し積極的に活動し、白人の間にも宣教を試みる位の気概あらば、脅に日本人信徒を狭陸なる城壁内に孤立せしめ
うう

ざるのみならず、又仏教を通じて白人間に東洋文明の真相を伝へ、彼等をして大に啓発する所あらしむることが
出来たらうと思ふ0今のやうでは、全く日本人に対する白人の誤解を増すの用を為すばかりである。この点は日
本住民の発展のためには勿論、仏教其物のためにも切に考へて貰ひたいと思ふのである。
 第五に日本人の米国移住観を改むることである0是は一番大切な事であると思ふ。我々は米国移住といふこと
                      かつ
を、利己的動機から考へて居るやうである0曾て米国は支那人労働者を排斥する際、次の如き理由を挙げた。
  支那人は、我国の文明を享受せんが為めに来るに非ず0単に只暫く来り止り、相当の財産を作り得ば、再
 び本国に帰り、安逸に余生を送らんの目的を以て来任するのみ(ミユンステルベルク氏著『米国』)。
 而して此非難は、丁度日本人にもあてはまるものではあるまいか0無論在留同胞の中には、米国に永住の考を
有する者はある○夫にしても、彼等は米国を以て自分の生命を托する処、又は共同して其発達進歩の為めに尽力
すべき処と為すの気分は、有つて居ない0他の言葉を以て云へば、米国を以て、我がものとするの感情を有せな
いのである○之れでは米国の方で継子扱にするのも無理はない0彼等は、吾々の移住の動機を個人的乃至国家的
利己心にありセ解する以1、吾々を歓迎するといふ訳には行かぬのである。吾々の方に米国に移住するの必要な
ければ則ち己む、然らざれば、右の考を改めなければ、到底大和民族は、安全に平穏に米国に発展することは出
来ぬのである。
一体米国といふ国は、外人の移住によりて開けた国である0而して今日猶ほ外国人の移住を必要とする国であ
る○故に異人種の雑居といふ問題に対しては、本来欧羅巴諸国の如く心配しては居ず、又経済の発達の上から、
コンな心配はして居られぬのである○此点は欧洲の古い国とは余程事情が違ふ。建国の当初の如きは、圧制迫害
を蒙れる者に、自由の天地を供するといふ意気込みで、盛に旧大陸よりの移住を歓迎したものだ。竺千八百九
う6
学術上より見たる日米間亀
               イ タ ‖ソ ア
十年頃より、貴国、襖包囲、伊太利国等よりの下等移民の来る者激増してから、多少品質を標準として移民入国
の許否を八釜しく云ふ様になつた。今統計の示す所に依れば、一千八百六十年から同七十年に至る十年間、米国
へ来住したる者、露人は四千、襖句人は七千、伊人は一万一千であつたのに、一千八百九十年から一千九百年に
至る十年間には、激増して露人五十八万八千、換旬人五十九万七千、伊人六十五万五千に上つた。之等は従来の
移民の大部分を占めて居た英、独、瑞、諾諸国の人民と比し、著しく品位が劣等であつたから、先に始めて移民
排斥の声は高くなつたのである。而して排斥の理由は、経済上よりは寧ろ社会上、道徳上であつた。即ち下等移
民の来任は、徒らに貧民の数を増し、従つて一般労働者の生活標準を低下するの事実、救貧院や監獄に収容さ
る、者の割合之等外国人非常に多きの事実、特に無政府主義者の如き危険分子が之等下等人民の来任後、著しく
増加したるの事実を挙げて、品質を標準として移民を選択するの必要を主張したのであつた。併し之は決して移
民其もの、排斥でないことは忘れてはならぬ。米国の健全なる社会的、道徳的生活の保護のため、已むなく八釜
しくは云ふものゝ、経済的発展の上からは、固より多数移民の来任は、希望する所なのであつた。故に米国の生
活の理想を了解する者であつたら、何時でも歓迎せらるこJとを得るのである。
 然るに不幸にして日下のところ、月本人はこの所謂「歓迎すべからざる移民」に属すると見られて居る。具体
的の場合を取れば、排日の理由は此外に幾らもあるが、之等の理由を取り去つても、猶ほアトに右申す様な要素
が残るのである。而して斯種の考は、実に有力なる識者の頭の裡に潜んでゐるのだから、ウツかりしては居れぬ
のである。ルーズヴエルト氏が、日本人不同化説を以て排日を主張するが如きは、其著しき例であらう。所で然
らば、同化といふことは、日本人が所謂歓迎すべき移民に属する為めに必要な条件なりやと云ふに、之には少し
く疑問がある。我々日本人中にも同化といふことを以て、排日問題解決の一法と唱ふる人が少くない。併し之は
う7

同化といふ文字の意味如何によることであらうと思ふ0若し之を外形的に解し、日常の生活の工合をアメリカ風
にするといふことであるとすれば、之は何の役にも立たぬ○又之を精神的に解し、全然アメリカ魂になることで
あるとすれば、之は第二口本国の為めに好ましいことでない0日本国民は何処までも日本国民として、大和魂を
保有して居て貰ひたい○且つ又この意味での精神的同化といふことは可能であるかと云ふに、予は否と答へざる
を得ぬ0現に亜米利加に来て、アメリカに帰化しておる多数の外国移民を見ても、之等の者は全く同化してゐる
      ア メ ‖ソ カ
かと云ふに、必しもさうでない0無論其間に程度の差はあるけれども、全然同化してゐるとは云はれない。平時
には之を窺ふことが出来ぬけれども、イザといふ時に、故国魂を発揮することは、能く見る所である。例へば
                               アイルランド
驚人が、時々露国反抗の運動をして米国政府の累を為すが如き、又愛蘭人が遥に故国同胞の事業を助けて、
為めに米国政府の施設を妨ぐるが如き(在米愛蘭人は、1院議貝間に運動して、タフト大統領の英米仲裁条約を
                                                 フ ラ ン ス
廃棄せしめし事あり)、其例である0去れば、永年米国人となり済まして居ても、独逸人は独逸人、仏蘭西人は
仏蘭〔西〕人としての悌を、何処かに残して居る故に同化といふことは、完全には出来ない事であると思ふ。
         わもかげ
 又米国に取つても、この意味での同化は、必しも要求しないと思ふ0米国といふ国は、建国の精神から見ても
分る通り、諸方の外国人をかり集め、其協同のカによりて、宗理想国を立てんとの主義を有する国である。故
に此主義に於て表するならば、共外の同化は必しも翼ふ所でない0故に吾々日本人も、此主義をさへ能く呑み
込んで居るならば、吾々は日本人として其俵米国の国家的経営に参加することが出来るのである。各自建国の理
                                         さしつかえ
想の一部を分担して立つの決心あらば、所謂同化はしてなくとも、米国に在住するに差支はない。差別は決して
協働を妨げないのである0ミユンステルベ〜とは其著に於て、米国の国柄を説明して、
  米国人民の活働の真の動機は、自主の精神に存す0而して彼は外来移住者に、必ずこの自主の精神を鼓吹
う8
学術上より見たる日米間題
  して、理想を一変せしめ、以て米国に対する真の愛国心を感得せしむ。・…=米国人の愛国心は、土地と関係
 を有せず、又人民とも無関係なり。而かも猶無数の外来移民を同化し、箪固なる協同一致の精神を有するに
  至らしむるは、其強烈なる社会的理想に在り(文明協会の訳書による)。
と云つたのは、多少我輩の所見と吻合する所ありと思ふ。要するに、米国人の砲負といふものは、其土地を広く
世界の人民に開放し、其協力によりて理想の天地をひらき、以て世界文明の進歩に貢献せんとするに在る。此精
神を呑み込んで来る者は、何人でも歓迎を受くるのである。ルーズヴエルトが、同化云々と云つたのも、多分此
精神の体得を意味したものであつて、之が為めに故国魂までも捨てよといふのでは無かつたと思ふのである。
 さて然らば、日本人は能く米国の理想を解することが出来るかといふに、残念ながら予は否と答へざるを得ぬ。
                                                     なら
何故かといふに、日本従来の国民教育の方針が全然この主意に反して居たからで卦る。従来併びに今日の国民教
育は、子弟に向つて世界文明の進歩に対する日本帝国の責任といふやうなことを教へて居るか。吾々は一個人と
して知らねばならぬ多くの智識は教へられた。郷党に対する義務、殊に国家に対する義務は完全に教へられた。
併し世界の一員としての責任については、何等の智識をも授けられて居ない。要するに現今の教育は、善良なる
国民は作つたけれども、世界の一員としての資格は作つてやらなかつた。故に国民は、日本帝国あるを知つて世
界あるを知らぬ。況んや世界に於ける帝国存在の理由の如き、世界文明の進歩に対する帝国の使命の如きは、彼
等の夢想にだも上らない問題である。従つて、我々は亜米利加に来ても、其国の精神とは一切交渉なく、単に自
分の利益、精々日本の利益を図る位で終つて仕舞ふ。即ち米国在住の動機は、個人的乃至国家的利己心である。
之では米国に於て歓迎せぬのも、当然であるまいか。
 依つて我輩は、教育方針の一変によつて、此障害を排除せんことを主張せざるを得ぬ。世間には能く、国家的
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精神と世界的精神と表せざるを唱ふる者がある0例へば夫の帰化権の獲得についても、外国に帰化するなど、
云ふ事は、日本罠としてあるまじき事であると論じた者があつたさうだ0無論国民の忠君愛国の精神は、愛護
せなくてはならぬ0併し世界の為めに尽すは、日本国の為めに尽すと相衝突すると考ふるが如きは、断じて排斥
せねばならぬ0昔し封建の時代には藩あるを知つて国家あるを知らなかつた0今日は垂国の利害と、帝国全
体の利害とは、必しも衛突せず又壷二国の利益が同時に国家全体の利益である場合も多い。否両者の壷を見
当として行くのが政治の要義である0国家の世界に於ける亦同じことである0若し両者を以て相反すと見る者あ
らば、之は未だ封建的思想に捉へられて居るものと云はねばならぬ0今日の日本は、最早英国民をして東洋の一
隅に胴蹄せしむるを許さぬ0果して然らば、国民に世界的精袖を鼓吹するは、最も必要と云はねばならぬ。而し
  きよくせき
て之は広義狭義の教育のカに待つて期すべきことであると思ふのである。
斯くて若し教育のカに依つて国民の世界的精誓陶冶することが出来たならば、我々は日本国民の資格を有し
乍ら、若しくは日本国民の本性を失ふことなしに立派に米国に在つて其精神を感得し、其経営に参加することが
出来る、換言すれば、米国の経営施設の1に董要なる一部を分担することが出来ると思ふのである。彼地に於
ける鞍者の日本人観も表するに至るは論を待たない0然るに不幸にして此点に関して、日本の言論界は明白に
其説明を与へなかつた0殊に加州事件の際の言論の如きは、余りに利己的であつた0為めに却つて心ある識者を
して、「呈人は国家あるを知つて何物も知らぬ人民」であると叫ばしむるに至つた0あの時我国の言論界は、
正義人道に訴へて米国を責めた0而して求むる所は只日本人の利益を害すなといふに過ぎぬ。於是彼等は余りに
日本の要求の利己的なるに憤慨し、遂に五月二十四日のアウト〜ツク誌をして次の放言をなさしむるに至つた。
 H何人を合衆国領土内に入国せしめ、又何人に帰化を許すべきや、合衆国人民のみ之を決すべき全権を有
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学術上より見たる日米間題
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   す。
 0 何人を日本の領土内に入国せしめ、又何人に帰化を許すべきやは、日本人民のみ之を決する全権を有す0
 臼 以上の決定を為すに当り、世界の国民中より之が選択を為すの権は、両国共に之を有す。日本が米人を
  排し、独乙人を容るゝも、米国が亜細亜人を排し、欧羅巴人を受入るゝも勝手なり。
是れ明に売言葉に買言葉である。要するに、米国が日本を以て、偏狭なる利己的国家主義を執るものと見るは其
根底決して浅くない。之を打破するのは容易の事でない。而かも之を打破しなくては、日本人の発展は到底期し
難いのである。而して之には我国の教育の方針が既に責任ありと思ふから、先づ第一着に我が方面から此点を開
                         こちノしよ
発しなくてはならぬと信ずる。若し此点を筍且に附するならば、我が大和民族は、膏に米国に於てのみならず、
世界到る処に発展の進路を塞がるゝであらう。
附言、本稿を起すに際し、学友在桑港日米新聞記者千葉豊治君の研究の結果に負ふ所甚ゼ多し。記して深厚な
 る謝意を表す。著者識。(大正二年十二月五日塙)
                                       〔『中央公論』一九一四年一月〕