学生大検挙に絡まる諸問題
今春来いたく世人をして憂惧せしめた学生大検挙事件は、去月十五日の記事掲載解禁に依り漸く其真相の一端
を現はし始めた。之に依ると検挙された者の総数は三十人名、主として東西諸大学の学生で、中に少数の既に学
籍を去つた者も混つて居る。罪名は全部が治安維持法第二条の違反、その中の約三分の一は併せて出版法第二十
六条違反とある。不敬罪に当るとせらるる者も一名あるが之は特別の例外と観てよからう。故に結局本件は治安
維持法と出版法とに関する犯罪事件と謂つてい、。
事は去年十二月一日の払暁、京都府警察部特高課が京都帝国大学・同志社大学等に在学する社会科学研究会貝
三十余名の宿舎を襲ひ、之を検挙拘置せしに始まる。検挙拘留と共に二三の書物を押収したが、之が如何にもさ
すなわ
うした本を読むことが怪しからぬと云ふ様に見へた所から、乃ち研究自由の圧迫といふ問題が起つた。之に加ふ
るに一警察のやり方には手続上の法規違反があるといふ非難もあり、京大法学部並に経済学部教授諸氏の声明吾が
発表され、之に勢を得てか学生側が一時大にいきまいたのであつた。やがて拘留学生も一卜先づ釈放されて一段
けnリ
の最がついた様に見へた。当時私は、警察のやり方に手続上の疎漏あることは明白だが、そんな事は本問題の主
たる論点ではないと論じた。最も大事な点は研究自由の範囲如何に関するものだが、之に付ては世俗並に官界の
見解と吾人の見解との間に大なる隔りがあり、之を一朝にして解決することは困難だ、従て今度の事件に関して
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八雲けだ題増接り憎畑鴻畑山沌畑川棚ポ”d.1′‥一小ヰJ.▲=.1一掛jト」、1.小柁 −′ J ▲、 ′k1
むし
も、今更之を官憲と論争するは何の役にも立つまい、寧ろ学界の人と官界の人とが、
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劉
検
大
生
学
事件の表面的解決の一段落
を告ぐるを待つて、、共に一堂に会し篤と懇談を遂げて見てはどうかとの案を提出した。拘置学生の一卜先づ釈放
せらるるや、社会科学研究会の諸君は得たり賢しと追撃戦に移り頻りに官憲に喰てか、、る。之に対しても私は、
みだ
其の己れを省みずして濫りに他を責むるの愚を論じ、少くとも官憲に対しては懇切に諒解を得るの寧ろ望ましき
いす
を勧めたのであつた。孰れにしてもこの第一段落に於ては、警察官憲が軽々に無用の庄抑を学生に加へたるの外
観を呈したことは争はれなかつた。
ゃがて第二段の活動が本年一月二日から始まつた。同月十四日以来、記事掲載禁止の命令があつて、永く事情
を知ることが出来なかつたが、九月十五日の解禁に依り、始めて去年十二月十六日司法省に開かれた秘密大会議
で大体の方針が定まり、閣議の決裁を経てこの再活動の開始を見たことが分つた−ゃ宜ハ結果は即ち前項述ぶる通り
である。
治安維持法第二条に触るる罪とは、國體を変革し又は私有財産を否認することの目的を以て、その目的たる事
項の実行に関し協議を為したるものを指すとある。今度の事件は國體変革には関係が無い様だから、詰り共産主
義の実現を期し其の実行手段を協議したといふことになるのだらう。
いわゆる
所謂社会科学の研究を以て任ずる血の気の
多い青年の事としては、
出版法第二十六条は、
あなが
強ち無さそうな事でもない。
ぴんらん
政体を変壊し国憲を素乱せむとする文書図画を出版したる者を所罰する規定である。
P
日小
ち社会組織改造の目的を達成する為め、革命的手段に依るべきを鼓吹する所謂第三インタアナショナルの戦術を
説く文書の出版の如きは、正に此の法条に該当するものである。之等の図書の或るものは、輸入を禁止されて居
ュノ
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は い
るとは云へ、事実随分各方面に這入り込んで居るさうだ。従て自らそが社会札学研究者の机辺に出没するは己む
を得ない。而して之を研究する傍ら多少の複本を作つて有志に之を配るといふが如きことあらば、是亦同法の違
反たるを免れないであらう。
右に述ぶ.るが如き事情なるを以て、私は問題となつて居る多数の学生が治安維持法第二条及び出版法第二十六
条を以て問はるるに至つたことを別段深く怪まない。併し事実彼等が本当に之等の法条を以て論ぜらるるに催す
るや否やは、もつと詳細な報道に壊しなければ分らない。
ノ4
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2
治安維持法第二条出版法第二十六条に触るると開いて、今次事件の頗る重大なるを唱導するものがある。新聞
の報ずる所にして誤りなくば、京都地方裁判所の古賀検事正は大逆事件にも比すべき怖るべき重大犯罪だと語つ
たとやら。成る程共産主義の実現を期し革命的手段に訴へて社会組織を根本的に改造せんことを企てたといへば、
如何さま恐るべき陰謀のやうに開へる。段々調べた上で、そは真に恐るべき陰謀であつたといふ事になるのかも
分らぬ。併しそは又実に治安維持法及び出版法の違反であるだけ、私共に取つては、単に右の法条に触るると開
いた丈で直端株挙学生の不蓮を推定するわけには行かぬのである。そは案外無害な行動でも、多少の不用意の為
め、右の法条に触るることもあり得るからである。
この事を明にする為めには先づ次の三点に留意することを必要とする。
一、治安維持法は制定当初より其の無用を説かれ又その濫用をおそれられしこと。並びに出版法も特に其第二
十六条につき字義の曖昧なることが非難され来りしこと。
二、私有財産の否認を目的とする結社又は其の実行に関する協議は其事自身何故治安に妨げありや、且つ単純
み な
なる共産主義は何故に国憲の素乱と見倣されざる可らざるや。此点に関する治安維持法及び出版法の根拠並
に解釈に付ては」世上大に疑義あること。
三、右第二の点に関する見解の異る結果、同一事実に対する評価の著しく相違し得ること。即ち共産主義を非
常に悪いと観る人は、例へば之に関する単純の雑話をも所謂協議と目して処罰せんと欲し、又一寸した手控
の謄写の如きをも直に出版法違反を以て論ぜんと欲するだらう、斯れ亦決して絶無に非ること。
斯く云へばとて私は学生を曲庇する積りは毛頭ない。今度の事件に関連して、私は社会科学研究を標傍する学
あきだ
生の最近の態度には頗る鰊らぬ節あることを明言しておく。併し単に治安維持法第二条出版法第二十六条に該当
すると聞えた丈けで、その表面の形の重大なるに驚き直に恐るべき大隠諜の暴露のやうに狼狽するのは、余りに
見苦しい早計だと信ずる。
題
問
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劉
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学
出版法第二十六条は、政体の変壊・国憲の素乱を目的とする文書図画の出版を所罰するものである。その限り
もと ゆだ
に於て之は固より必要なる規定だ。併し何を以て政体の変壊とし国憲の素乱とするか。之は一に官憲の解釈に委
ねられて居る。そこで官憲の見解如何に依てはこの個条はまた大に濫用さるる憂ないではない。国憲素乱の字義
の解釈につき今日の如く極端に反対な意見の行はるる時代に在ては、殊に強ペ之を懸念すべき理由がある。例へ
ば社会主義の理想に基く社会組織の根本的改造を主張するとする。甲は之を以て無上の理想となし、その実現の
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為には身命を捧ぐるに催すると信ずる‥之に対して、乙は之を嫌ふこと蛇嶋の如く、国基を傷くる恐るべき害睾
として極力その実現を妨げんとする。元来之は思想の争なのであるが、今日の我国では公権的解釈を以て一方を
立て他方を抑へて居る。之は本来甚だ面白くないことだが、差当り如何ともし難い。而してせめて我々評論家だ
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けでも特に此点に関しては冷静公平ならんことを努めたいと思ふ。是れ私が今度の問題に付ても世上の狼狽震骸
に雷同せず、努めて先入の備見に累せられざらんことを期する所以である。
も ど こ
若し夫れ治安維持法第二条に付ては、一体私有財産制度の否認並に其の実行の協議がそれ自身何処が悪いのか
と云ひたくなる。その手段方法さへ宜しきを得れば、共産主義の実現も一向避くべきでないではないか。共産主
義になつたがい、かどうか、之はまた別問題である。私自身は元来之に賛成はしない。併し之を実現せしめざる
可らずと主張する議論があつたからとて、何も之を極力禁庄せざる可らざる必要はないと思ふのでこの事は更に
次にモ少し詳しく論じておきたいと思ふ。
一6
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治安維持法は「私有財産の否認」を「國體の変革」と並べ之を無条件に恐るべきものに数へて居る。「國體の
変革」は如何なる方法を以てするも之を許す可らずとするに相当の理由はある。「私有財産の否認」に至ては、
之と並んで絶対に許す可らずとする理由は何処に在るか。法律の許す範囲内に於て漸次私有財産制度をやめよう
と云ふ類の説は何故わるいのだらう。治安維持法第二条は、斯うした穏健の実行方法を協議するものまでをも、
ゆえん
七年以下の懲役又は禁錮に処せんとする。是れ此の法律の是否得失が常に世上に論議せられる所以である。同法
制定の際識者間に非難の多かつたのも主としてはこの為でなかつたか。而してこの法律あるが為に、我々の目し
もつと な
て以て無害と為す行動も時に重刑に処せらるることあるは免れない。尤も斯かる法条あるを知て伐ほ敢て之に触
るる者の不謹慎なるは亦言ふまでもない。
但し「私有財産の否認」即ち「共産主義の主張」を以て恐るべきものと看傲したに就ては、一応の理由はある。
そは共産主義は多くの場合「無政府主義」と結んで主張せられ、所謂「共産派」は其の主義の実行に概して極端
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過激なる手段を執るからである。私共は歴史の研究に於て共産主義といへば直に無政府主義を連想し、共産派と
いへば敏に兇暴なる直接行動を思ひ浮べる。従てまた自ら共産主義に壷の偏見を寄せたくもなる次第である。
そは自ら俗情の免れ難き所とはいへ、併し両者はもと決して必然相伴ふべき筈の現象ではない。故に理窟の上で
は何処までもこの二者を区別して考へる必要がある。共産主義といへども、許されたる方法に依り、その漸進的
実現を要求するものなら理に於て之を斥くべきではないと思ふ。排斥すべきは、従来多くの場合に現はれたるが
如く、そが兇暴なる直横行動に依て主張さるる時に限るべきであらう○果して然らば真に恐るべきは実は共産主
義そのものではない、之を実現するが為に執らるる所の手段に在るのだ。思ふに我国の官憲はこの二者を混同し
て居るのではあるまいか。少くとも其の手段に恐るべきものあるを苦に病んで目的そのものまでを排斥するの過
誤に陥つて居るのではあるまいか。
斯くして我国の官憲は、どうも怖るべきものを見誤つて居る様だ。例へば不義を以て富を作つた者を見て、直
に金を儲うけたこと其事が悪いと云ふ。富を作り得ずんば不義も答めず、金を儲けた者はその方法の如何を閏は
ず皆わるいと責められる。貴められた者に悪い奴も無論ある。併し全部がみな悪いのではあるまい○そこで私は
いふ、治安維持法で間はれたからとて、必しも皆悪い奴とは限らないと○只法の存在を識つて之を遵奉せぬ罪は
固より免れない。たゞ外形を見て内心の不迄を説くのはまだ早いと云ふのである。
治安維持法又は出版法に閏はれた事を以て直に学生の不蓮を推定してはいけないと云ふ論と、問題となつた三
十余名の学生は全然不遥の徒でないかどうかの論とは、全く別問題である。この第二の問題に付ては自ら事件の
進行がやがて明に語る所があらう。此際我々は只之れ丈けのことを云つておく、最近所謂第三インタアナシヨナ
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ルの戦術に興味を有つ者わが学生界にも頗る多くなつたことを。社会科学の研究は美原上昨今なか〈盛んであ
る。そは決して所謂この研究を標穣する者のみに留らない。而して之を標梼する者に自ら一定の色彩あり二疋の
傾向あることも疑なき事実である。之等の点も今度の事件を公平に判断せんとする者に取ては看逃してはならぬ
点であらう。
一tし
第三インタアナショナルの戦術が公安妨害の護りを免れ難きものなるは云ふまでもあるまい。この事は現に之
いさぎよし けだ
に拠らんとする者の亦自ら隠すことを層とせざる所でもある。蓋し彼等はこの方法に依るに非れば社会改造の
〔然〕
期し難きを信じ、一身を挺して敢てこの聖業に当るのだと声言する。事未前に敗るれば一死も辞せず、即ち自ら
まこと
革命の闘士を以て任ずる所以である。その動機や渦に尊敬すべきものあるが、併し社会の秩序を重んずる者から
観てそがまた危険千万なものなるは申す迄もない。気の毒だけれども彼等が法の制裁を受けるのは免れ難い運命
である。彼等としても固より強て之を逃れんとするが如き卑怯な事は考へもすまい。孰れにしても斯うした考の
人の昨今段々我国に多くなつたことは事実だ。而して学生間にも此種の人の今日少らざるは亦言を待たぬ事実で
ある。
但し今度検挙された人達がこの第三インタアナショナルに共鳴する一味なりや否やはまだ明でない。彼等の属
する社会科学研究会が必しも斯うした仲間と限らぬことは、過般京都帝国大学及び同志社大学内の同研究会の発
表した聯合声明書に明白だ。彼等は頻りに自分達の団体が色眼鏡で見られ、左傾赤化の悪宣伝を蒙り、共産主義
聯盟の焼印ををされるのは心外だと叫んで居る。故に或る一部の人がいふが如く、社会科学研究を標棟する者の
全部を不蓮のかたづりだと見るのは誤りであらう。併し少数ながら共中に危険視をるる丈の人もありとせば、今
度の様な事件を以て単純な思想庄迫と見るのは当らぬのである。固より之に関連して思想圧迫の事実の起るは予
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期せねばならぬだらう。併し今次の裁判事件そのものは思想抑圧の外に別に独立の理由を有つものと観なければ
ならない。
今度問題となつた学生が事実どれだけの事をしたのかはまだ十分に分らない。之に関連して目下世上には学生
の分際といふことが間違になつて居る。学生が其の分際を超へて余計なことに狂奔するから斯んな事が起るのだ
といふのである。
然らば一体学生はどれ丈けの事をしていゝのか。世間では漠然と研究はけ、宣伝はわるいと云ふ。今度の事件.
について京大及び同志社大学の社会科学研究会幹事の発表した前記聯合声明書にも、自らを指称して真撃の研究
しl書
者となし、切りに之を弾圧するの不法を鳴らして居る。松村警保局長の談として新聞に現れたものにはまた、研
かり
究に名を薄て実行又は実行に移る協議をしたのが宜しくないといふ様な言葉がある。研究以外に出でないのだか
ら兎や角云はれる筋はないといふのも、研究範囲に留らないから悪いのだといふのも、共に「学生の本分」を
こ
「研究」といふことにおく考である。其の逆をいへば、即ち実行宣伝はすべて悪いといふことになる。這の考は
世間にも相当広く流布されてあると見え、或る新聞には大学の教授にして実行に参加して居るものもあるなどと
しか
眼をむいて驚いた様な記事も見へて居た。知らず、実行宣伝は無条件に爾く悪い事なのか。
▲ヌか
私の考では、学生だからとて、宣伝実行すべて罷り成らぬといふ理窟はない。仏教青年会などは盛に宣伝をや
って居る。而して之を誰も不都合なこととは責めぬ。基督教育年会などに至ては宣伝の為に米国の金をさへ使ふ
こともある。而して私は未だ之に依て日本の実質的弊害を断ずる人あるを開かない。東京帝大のセットルメント
の如きは、立派に足を実行の域に踏み入れたものではないか。此種の社会事業に手を染めて居る者は外にも多い。
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而して世人は寧ろ之を学生界の実挙とさへ覚めて居る。是れ皆宣伝実行の必しも答むべからざるを語るものでは
もと たまたま
ないか。但しその為に学生の本務に惇る可からざるは云ふまでもない。尤も偶々本務にもとることありとしても、
そは単に学校訓育上の問題たるにとゞまり、刑事問題などを引き起すべき筋合でないことは勿論だ。孰れにして
も宣伝実行一切不可なりと速断するの誤りなることは明白である。
そんなら宣伝実行常に無条件に差支ないかと云ふに、さうも云へぬ。宣伝実行してならぬものもあるからだ。
ヽ ヽ
詰り実の所は宣伝実行そのことに良否の別があるのではなく、宣伝実行さるべきものに本来善悪の区別が立つも
のなのである。何を標準としてこの区別を立つるやは今こ、に詳説せぬが、研究と宣伝実行とを境として此処に
学生の分際が定まるとする考の誤り怒ることだけは、篤と了解しておく必要がある。
。
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こ、まで書いて来て、さて本日の新聞を見ると予審決定書なるものが発表されて居る。之に依るとだいぶ巨細
の事実が分る。同時に又前段に於て私の予測したことが大抵間違でなかつたことも分るのである。即ち之を読ん
での私の考を略叙すれば次の通りである。
(一)暫く目的たる事項の如何を念頭に置かず、唯その手段だけを見ると、なか〈精密入念に工夫したもの
と感搬するの外はない。私共も学生時代に宗教的目的のための青年会を組織し共の全国的統一を企てたこともあ
るが、之れ程精密なものではなかつた。其の用意の周到なるには取り分け感服の外はない。而して斯く精密入念
の組織の下に宣伝実行に従事するといふこと其自身には、何等の不安も危険も感ずるの必要はない。
(二)学生達の這の計企に何等かの不安と危険を感ずる必要ありとせば、そは必ずや其の目的たる事項と関連
しての話でなければならぬ。宣伝実行が悪いのではない。悪い事を宣伝実行するから不問に附して置けぬことに
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なるのだ。斯の観点からすると、裁判所の行動は成る程、固より一部の人のいふが如き単純なる思想庄追と断じ
去ることが出来な.くなる。
(三)私は先きに、同じく共産主義実現の実行手段の研究といふても、理論上無害なものと危険なものと二種
あることを述べた。治安維持法は.この区別を立てず一様に之を禁止して居るから、理論上無害なるの故を理由と
して法の制裁を免るることは出来ない。この法律はわるい早晩改廃さるべきだと論ずるはいい。が、正しくない
たとえ
法律だからとて之を犯しても構はないと云ふ理窟はない。此点から云へば、仮令治安維持法の存続に反対の考が
あつても、今度の事件そのものを無条件に失当と云ふわけには行かない。
(四)学生達の行動が予審決定書に挙ぐる通りであるか否かは、今後の事件の進行に徹するの外はない。仮り
に法の制裁を免れぬものとして、さて彼等の行動は我々の所謂無害なるものに属するや否や。この点に関する裁
しんしやく
判所側の情状判断は、他日如何の掛酌を刑の量定に加へたかを観察することに依て明白にし得ることだが、予審
決定書に現れた所だけに付て推定するに、どうも相当重く見て居る様に考へられる。さうと言葉をはツきり使て
は居ぬが、危険なる思想を危険なる手段に依て実現せんとする企と観るのが裁判官憲の狙ひ所らしく思はるる。
予審決定書に対する是否の論は、局外の者からは容易に下し難い。一般的心刑事政策上の見地から多少文句を
云ふ余地はある。予審決定書に現れた司法当局の論点そのものに対する直接の抗弁は、ひとり被告自身のみがな
し得る所である。この点に付ては今の所私に何もいふべきことはない。
唯一つ学生側の発表せる声明書に付ては、一言しておくの必要を認める。京都で社会科学研究会が声明書を出
したことは既に述べた。東京でも全日本学生社会科学聯合会の名を以て簡単な声明書が発表された。裁判上での
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被告は先きに取調べを受けた三十人名に外ならぬも、元来彼等は皆社会科学研究会を中心として行動したものだ
から、社会的には之等の団体が即ち被告だともいへる。従て前記の声明書はその債被告側の抗弁と見ても差支へ
あるまい。そこで私は之を土台として、此際に於ける被告側の態度を簡短に批評して見る。
(一)東西両地で発表せられた声明書は、文字は違ふが、大体その趣旨を同うして居る。そして共に当局の処
置を目するに封建的弾圧を以てし、研究並に普及に対する挑戦と呼んで居る。研究及び普及に対する抑圧は成る
程わるい。併し之は司法当局の狙ひ所を適切に云ひ当て〔た〕ものだらうか。司法当局の処置の自然の結果として、
研究並に普及に何等かの障擬を来すことは勿論あらう。併し彼の直接に狙ふ所は恐らくここではあるまい。学生
側が適切なる抗弁を当局に呈し併せて世間の誤解をも一掃せんと真面目に考ふるなら、何が双方の論点なりやを
もツと慎重に考へ直す必要があらう。
且つ研究普及の擁護を楯に取て抗弁すると、軽卒なる傍観者は官憲の処置が研究自由の揉踊に在ると妄信する
所から、安価に世上の同情を自家に集むるの利便はあらう。併し少しく事件の真相を研究せんとする者をしては、
かえつ
却て学生側の窮せる余り顧みて他を言ふものに非ずやを疑はしむるの恐れがなからうか。更にもツと困る事は、
一方に於て、研究と普及とだけをやつて屠るのだから之を弾圧するのが不都合だと説く所からして、他方に於て、
ら.ち
研究普及の玲外に逸するものは学生達も始めから不都合なものと考へて居るかに思はしむる恐れのあることだ。
若し他日たま〈彼等の行動が研究普及に留らざりしことが明かとなつた場合、彼等は果して何と之を弁明する
だらうか。幸にして世間の俗説は漫然として研究の自由を犯すは怪しからぬといふ。さればと云て忽ち其尻馬に
乗り、全くその通畑だ、我々は只研究だけをやつて居るに過ぎぬ、それを政府が兎や角いふのは不都合だなどと
いふのは、不得策であるばかりでなく、又甚だ男らしからぬ態度のやうにも思ふのである。
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(二)私の感ずる所を卒直に述ぶるなら、学生側の弁明には、自分達のやつて居る所を正直に告白し之が何で
悪いかとも少し大きく出る態度があつても然るべきだと思ふ。どう云ふものか、彼等は余りに世間の批評に気兼
ねする。世間で研究の自由は尊重すべきだといへばすぐ我々は研究だけをやつて居るのだと附いて来る。思想の
普及を謀るも差支あるまいといへば、忽ち防禦線を「研究」から「普及」にまで拡げる。即ち官憲の拘束に対す
る防禦線をば、事毎に世間の思惑にかり、而して事実何をやつて居るかは一切秘密にする様に見へるのである。
今度の事件が起つてからも、いろ〈の事に付て、私は切にこの事を痛感して居る。或る人は彼等の行動を許し
て、名を研究に籍つて云々の事を企つると云つた。云々の事を企つるといふの当れりや否やは別論として、名を
〔軌〕
研究に籍るの護りは到底免れまい。名をこゝに着りて不規を図るものなどとは固より信ずることは出来ないが、
専ら研究に全力を集中するものとはどうしても考へられない。私どもの知人で今度特別弁護人たらんことを嘱せ
られたものも少くないが多くは皆この点で引受けを躊躇したやうだ。彼等が実際何をして居つたか分らぬからで
ある。彼等自身の勢力は成る程青年の間には着々拡がつたらう。而してまた之に依て十分の目的を達したのであ
なが
らう。併し乍ら之に依て先輩の間に漸く同情同感を喪ひつつあつたことも事実である。
彼等が事を秘密にするからとて、私は必しも其の為す所を悪いとのみ断ずるのではない。けれども若し彼等に
して其の為す所を真に之を善とするの信念があるなら、之をまた確実に世人々して信ぜしむるに努むべきであつ
た。それには自分の為す所を正直に公表し、何で之が悪いかと高飛車に出るの必要がある。斯くして世間も始め
て其事の正否に反省するの機会に置かるるからである。之を明に声明せず、声明してもそは唯世間の思惑に辻複
を合はす丈けのものであつては、世間は.いつまでもその蒙を啓かれずして終るだらう。
孰れにしても、彼等は此際自分達の従来の立場を赤裸々に公表し、真面目に世間の批判を求むることが必要で
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ある。これまでの態度は、何としても安ツぽい小利巧さを示すに過ぎなかつた。
(三)例へて云ふなら、彼等にして若し真に共産主義実現の目的を以て社会改造の実行方法を協議したのなら、
明らさまにさうだと云つてはどうか。単純なる研究にとゞまるなどと、今更卑怯なことは云はぬがいゝ。其の為
に治安維持法第二条に触るるは、己むを得ぬ犠牲として甘受すべきである。斯く彼等が堂々と明らさまに共所信
を披渡するとき、恐らく始めて治安維持法そのものの適否がまた世間からも反省さるるだらう。強いて宜い加減
のことを言ひ張つて居ては、世人はいつまでも治安維持法の存続を必要とする官憲の態度を後援することになる
だらう。
私は時間の足らざる為めこゝで楓筆せねばならぬことを遺憾とする。実は之に続いて「社会科学研究を標梼
する者の態度」に幾多の難ずべき点あるを指摘し、更に警察行政上の間逼として並に教育上の問題として、
「如何の範囲に学生の社会科学研究を認むべきや」を論じ、真個有益なる社会科学の発達の上に司法上行政
上の取締の及ぼす効果如何をも論究せねば、私の意見は十分明白にならぬやうの気がするのである。之等の
点或は次号に於て再び論ずることになるかも知れぬ。
〔『中央公論』一九二六年一〇月〕
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