欧洲大戦と平民政治
 現内閣の超然主義を弁護せんとする説の中に、今度の欧洲戦争は明さまに平民政治の為す無きを暴露したと唱
へて、以て政党政治を排斥せんとして居るのがある。其の説に日く、今度の欧洲戦争は、先づ第一に吾人に示す
に、平民政治の流行する国は常に戦争に於て負て居る事を以てして居る。是れ平民政治では到底今日の激甚なる
国際競争に当つて、国家の富強を図ることが出来ないことを示すものである。第二には、右の教訓に基いて、近
                                                          なとり
頃平民政治の国も段々に覚醒し、今や軍国の実権を少数者の手に収めて、却つて敵方の超然主義に倣はんとし
つゝある。是れ平民政治の国が自ら其の平民政治に諦めを附けたものではないか。更に第三に、今度の大戦争の
         一一▲さ
結果として、将に近き将来に来らんとする思想界の大変動は、必ずや平民政治の流行に終りを告げしめるであら
う。十九世紀初頭の大動乱は、平民政治の確立を以て一段落を告げたが、今や二十世紀の新時代に入らんとし再
び前にも劣らざる大動乱が起り、此れに由つて更に政治上の新主義の勃興を促すに至るべきは、
ないと。
 併しながら此の説は、我々の見る所に依れば全然誤りである。
      もち
亦怪しむを須ゐ
186



_......■一■
榔扱治
 第、に平民政治をやつて居つた国は今度の戦争に姶終負たといふけれども、果して此等の国が終局に於いて戟
敗の運命を担はねばならないものか否かは、今日容易に之を断定することは出来ない0成程開戦の初期に於て、
イギリス フラン ス
英青利、仏蘭西は独嗅の為めに大に悩まされた。若し是れが独逸が所謂超然主義を取り、英米が所謂平民政治を
取つて居つた為めの当然の結果なりとすれば、少くとも平民政治の国は超然主義の国に比較して戦争の準備を為
すに欠くる所あるの事実を現出したといふことが出来る0併しながら開戦当初の勝敗は、それ丈けで決して終局
に於ける戦争の勝敗を定めるものではない。故に独嗅側は結局最後の勝利を得るといふことにならなければ、未
だ以て平民政治が国家の富強を図るに足らないと断言することは出来ない0現に昨今の形勢に拠れば、今や漸く
英仏側は勢ひを盛返して、独嗅側に大なる庄追を加へつゝあるではないか0故に今度の戦争で、平民政治の国が
負たと断定するのは、余りに早計に失すると同時に、少くとも前後二年有余を経たる今日の形勢には合するもの
ではない。
 しかのみなら】T
加之、開戦の当初英仏側の戦争に負たのは、決して平民政治の直接の結果といふことは出来ない0人は能く
云ふ。英書利は平民政治に毒せられ、国民普個人的自由を熱愛するの余り、国家の為めに喜んで生命財産を提供
するの美徳を知らない。随つて徴兵制虔も出来て屠ない。彼等は不断から軍国的目的の為めに其自由を束縛せら
るこ」とを欲しないから、国民は此方面に於て更に何等の訓練も与へられて居ない0是れ皆平民政治は到底国民

欧洲大戦と平民政治
 現内閣の超然主義を弁護せんとする説の中に、今度の欧洲戦争は明さまに平民政治の為す無きを暴露したと唱
へて、以て政党政治を排斥せんとして居るのがある。其の説に日く、今度の欧洲戦争は、先づ第一に吾人に示す
に、平民政治の流行する国は常に戦争に於て負て居る事を以てして居る。是れ平民政治では到底今日の激甚なる
国際競争に当つて、国家の富強を図ることが出来ないことを示すものである。第二には、右の教訓に基いて、近
                                                        なら
頃平民政治の囲も段々に覚醒し、今や軍国の実権を少数者の手に収めて、却つて敵方の超然主義に倣はんとし
つ、ある。是れ平民政治の国が自ら其の平民政治に諦めを附けたものではないか。更に第三に、今度の大戦争の
         まさ
結果として、将に近き将来に来らんとする思想界の大変動は、必ずや平民政治の流行に終りを告げしめるであら
う。十九世紀初頭の大動乱は、平民政治の確立を以て一段落を告げたが、今や二十世紀の新時代に入らんとし再
び前にも劣らざる大動乱が起り、此れに由つて更に政治上の新主義の勃興を促すに至るべきは、
ないと。
 併しながら此の説は、我々の見る所に依れば全然誤りである。
      もち
亦怪しむを須ゐ
186
欧洲大戦と平民政治
 第、に平民政治をやつて居つた囲は今度の戦争に始終負たといふけれども、果して此等の国が終局に紛いて戟
敗の運命を担はねばならないものか否かは、今日容易に之を断定することは出来ない0成程開戦の初期に於て、
イギリ ス フ ラン ス
英書利、仏蘭西は独嗅の為めに大に悩まされた。若し是れが独逸が所謂超然主義を取り、英米が所謂平民政治を
取つて居つた為めの当然の結果なりとすれば、少くとも平民政治の国は超然主義の国に比較して戦争の準備を為
すに欠くる所あるの事実を現出したといふことが出来る0併しながら開戦当初の勝敗は、それ丈けで決して終局
に於ける戦争の勝敗を定めるものではない。故に独嗅側は結局最後の勝利を得るといふことにならなければ、未
だ以て平民政治が国家の富強を図るに足らないと断言することは出来ない0現に昨今の形勢に拠れば、今や漸く
英仏側は勢ひを盛返して、独襖側に大なる圧迫を加へつゝあるではないか○故に今度の戦争で、平民政治の国が
負たと断定するのは、余りに早計に失すると同時に、少くとも前後二年有余を経たる今日の形勢には合するもの
ではない。
 しかのみなら止丁
 加之、開戦の当初英仏例の戦争に負たのは、決して平民政治の直接の結果といふことは出来ない0人は能く
云ふ。英青利は平民政治に睾せられ、国民普個人的自由を熱愛するの余り、国家の為めに喜んで生命財産を提供
するの美徳を知らない。随つて徴兵制度も出来て居ない0彼等は不断から軍国的目的の為めに其自由を束縛せら
るこ」とを欲しないから、国民は此方面に於て更に何等の訓練も与へられて居ない0是れ皆平民政治は到底国民
を国家的に訓練し得ざるを語るものであるといふ。併し乍ら、英国民が「自由」を以て終始するは、是れ古来の
民族的性格にして、必ずしも其の平民政治組織の結果ではない0而も彼等は、軽卒に政治家の煽動に乗つて、生
命財産の提供に甘んずることはないけれゼも、併し能く先覚の政治家などが懇に其の必要を説く時には、彼等は
決して国家的に奮起することを厭ふものではない0唯だ一般国民を納得せしむるには、先輩の政治家の大なる努
187

186
欧洲大戦と平民政治
 現内閣の超然主義を弁護せんとする説の中に、今度の欧洲戦争は明さまに平民政治の為す無きを暴露したと唱
へて、以て政党政治を排斥せんとして居るのがある。其の説に日く、今度の欧洲戦争は、先づ第一に吾人に示す
に、平民政治の流行する国は常に戦争に於て負て居る事を以てして居る。是れ平民政治では到底今日の激甚なる
国際競争に当つて、国家の富強を図ることが出来ないことを示すものである。第二には、右の教訓に基いて、近
                                                        なら
頃平民政治の囲も段々に覚醒し、今や軍国の実権を少数者の手に収めて、却つて敵方の超然主義に倣はんとし
つ、ある。是れ平民政治の国が自ら其の平民政治に諦めを附けたものではないか。更に第三に、今度の大戦争の
         まさ
結果として、将に近き将来に来らんとする思想界の大変動は、必ずや平民政治の流行に終りを告げしめるであら
う。十九世紀初頭の大動乱は、平民政治の確立を以て一段落を告げたが、今や二十世紀の新時代に入らんとし再
び前にも劣らざる大動乱が起り、此れに由つて更に政治上の新主義の勃興を促すに至るべきは、
ないと。
 併しながら此の説は、我々の見る所に依れば全然誤りである。
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亦怪しむを須ゐ



一■■■・一■・・一■
欧洲大戦と平民政治
 第、に平民政治をやつて居つた国は今度の戦争に始終負たといふけれども、果して此等の国が終局に於いて戟
敗の運命を担はねばならないものか否かは、今日容易に之を断定することは出来ない0成程開戦の初期に於て、
イギリ ス フ ラン ス
英青利、仏南西は独襖の為めに大に悩まされた。若し是れが独逸が所謂超然主義を取り、英米が所謂平民政治を
取つて居つた為めの当妖…の結果なりとすれば、少くとも平民政治の国は超然主義の国に比較して戦争の準備を為
すに欠くる所あるの事実を現出したといふことが出来る。併しながら開戦当初の勝敗は、それ丈けで決して終局
に於ける戦争の勝敗を定めるもので掛ない0故に独嗅側は結局最後の勝利を得るといふことにならなければ、未
だ以て平民政治が国家の富強を図るに足らないと断言することは出来ない0現に昨今の形勢に拠れば、今や漸く
英仏側は勢ひを盛返して、独嗅側に大なる圧迫を加へつゝあるではないか0故に今度の戦争で、平民政治の国が
負たと断定するのは、余りに早計に失すると同時に、少くとも前後二年有余を経たる今日の形勢には合するもの
ではない。
 しかのみならdT
 加之、開戦の当初英仏例の戦争に負たのは、決して平民政治の直接の結果といふことは出来ない0人は能く
云ふ。英青利は平民政治に毒せられ、国民皆個人的自由を熱愛するの余り、国家の為めに喜んで生命財産を提供
するの美徳を知らない。随つて徴兵制度も出来て居ない0彼等は不断から軍国的目的の為めに其自由を束縛せら
るこ」とを欲しないから、国民は此方面に於て更に何等の訓練も与へられて居ない0是れ管平民政治は到底国民
を国家的に訓練し得ざるを語るものであるといふ。併し乍ら、英国民が「自卦」を以て終始するは、是れ古来の
民族的性格にして、必ずしも其の平民政治組織の結果ではない0而も彼等は、軽卒に政治家の煽動に乗つて、生
命財産の提供に甘んずることはないけれども、併し能く先覚の政治家などが懇に其の必要を説く時には、彼等は
決して国家的に奮起することを厭ふものではない0唯だ一般国民を納得せしむるには、先輩の政治家の大なる努
187

カと又多少の年月が要る。現に英国人は開戦の当初戦争に熱心したものは上流の社会のみで、労働者の末に至る
まで真に挙国一致の実を挙ぐるに至つたのは、漸く昨年の夏頃からのことであると云ふではないか。而も彼等が
一旦覚醒していよ〈進んで国事に当るといふことになると、一個人一個人が其の目的を意識して尽すのである
から、非常に強い。故に英国の戦闘カは、戦争開始当時に於ては実に見るに足らないものであつたけれども、今
日に於ては最も強い力として他国の尊敬を樽して居る。故に英国は平民政治の国であつた為めに、戦ひに弱いと
いふの当らざるのみならず、其の開戦の当初戦さに弱かつたのも、実は平民政治其ものゝ罪に非ずして、国民の
民族的理想が、唯だ単純なる武力の整頓拡張といふ事の外にあつた結果であると思ふ。
                                   〔以上『横浜貿易新報』一九一七年四月九日〕
188
     「二」 の二

 次に又或人は仏蘭西に就いて斯ういふことを云ふ。仏南西も平民政治の国であるが故に、中央の政界に於て余
りに議論が多く、此種の政論の為めに在外軍人の自由の行動が大に束縛せられるので、随つて戦争の遂行に統一
と敏活とがないと。併しながら此説も亦実は深く仏南西の内情を知らざる者のいふ事である。仏蘭西では勿論申
                                        せいちゆう
央の政界が在外の軍人を束縛するといふ事実はある。又不断から文官が大に武官を撃肘するといふ組織にもなつ
て居る。併しながら、之は同国平民政治主義の結果ではなくして、他に特別の原因があるのである。そは仏蘭西
は、此の頃でこそ共和国体といふものが固まつて居るけれども、今より十年二十年前頃までは、随分国内に共和
国体顛覆の陰謀が盛にあつたのである。一入七〇年ナポレオン三世が独逸軍の捕虜となつて、帝政鼓に終りを告
げた時、一国内に実は王政一回復の説が盛であつて、共和党の勢力は其の半にも至らなかつた。それでも或る特別の
欧洲大戦と平民政治
事情があつて、仮りに暫く共和組織でやつたのが、同国先輩政治家の苦心努力に依つて、到頭共和国でやり適す
ことになつたのである。随つて共和国は出来ても、其以後永らくの間之を顛覆して王政の回復を計らうといふ陰
                                               すこぶ
謀が常に絶えなかつた。而して此の陰謀は常に軍人を後援として居る0即ち軍隊の内部に王政回復の思想が頗る
深く、且つ広く行き亘つて居つたのである。此れが為め共和政府は何れだけ悩まされたか分らない0そこで政府
は共和国体の基礎を固くする為め、已むなく軍隊を強くすることが出来ないといふ羽目に陥つた0少くとも共和
政府の文的カを以て武を抑へるといふ仕組みにする必要を感じた0是れ同国の陸軍組織の完全ならず、或は参謀
本部の中に文官を入れるとか、或は地方の各師団長等を中央政府の手で抑へるとか、又各地方に散在する各軍隊
      ことさら
間の連路を故に悪くして置くとか、甲地より乙地に軍隊や軍器を送るにも、一々巴里まで来て更に巴里から之を
運ばねばならぬ様にするとか、各地軍隊間にも直接の連絡を附けて置かないとか∵中央の陸軍大臣は常に文官を
以て任じ、決して武官を用ゐないとかいふ色々の原則が立てられた所以である。さういふ風に、故さらに軍隊の
敏活なを行動を妨げるやうに組立られて居つたのである○近年仏蘭西は隣邦独逸の強大なる武力に庄迫せられて、
之に対抗する為めに、どうしても軍隊をもつと有力なものに組み直さねばならぬ必要に大に迫られて居つたけれ
ども、如何にせむ、内政上右の如き理由がありし為めに、どうしても改革の断行が出来なかつたのである0それ
でも近年モロッコ事件などあつて以来、仏国の人心更に大に独逸に対する敵憬心を興奮し来ると共に、もう軍隊
を改革しても大丈夫であらうといふので、国内に段々改革論が盛んになつて来て居つた0只此改革が未だ十分に
出来ない内に、遂に今度の戦争になつたので、為めに仏蘭西の陸軍は、独逸から其始め大に追ひ捲くられたので
                                               まこと
ぁるけれども、是れ畢克以上述べた如き理由に基くもので、仏国に取つては渦に気の毒な訳である0而して之を
唯だ平民政治の罪なりといふのは、全然皮相の見解にして、更に仏蘭西の内情を知らない人の云ふことである0
189

 之を要するに、英仏が開戦当初暫く敗戦を続けたのは、断じて平民政治の罪ではない。
         ゆる
 暫く論者の説を容して、英仏の当初戦争に負たのは平民政治の為めであつたといふならば、其の反面に於て超
然主義の政治なれば何時でも戦ひに勝つものであるといふ結論に達する訳である。が、併し若しさういふ結論が
正しいものならば、独逸許りでなく露西亜も亦大に戦争に強くなければならない筈である。然るに独逸よりも猶
ほ一層専制的の露西亜が、今度の戦争に一番弱いといふ所を以て観れば、平民政治を止めて専制政治をやれば、
何時でも戦争に強いものと断言することは出来ないではないか。然らば独逸が戦争に強いのは、是れ其の国が専
制的政治組織なるの結果ではなくして、他に原因があると謂はねばならない。故に独逸と英仏を比較して、今後
                                      あたか
の国家は平民政治ではいけない、専制政治でなければならないといふのは、恰も日本人は魚を食つて居るから強
い、支那人は豚を食つて居るから弱い、富国強兵の道は豚を食はずして魚を食ふにありといふやうな類にして、
共の皮相浅薄の見たることは、固より一笑にだも催しないものである。
 予輩の観る所では、独逸の強きは専制政治なるが故ではない。共原因は他にある。而して専制政治でなかつた
ならば、猶ほ一層強かつたらうと思ふ。独逸の強いのは、思ふに同国の貴族富豪の階級に属する所謂上流の社会
が、非常に堅実にして且つ賢明なるの結果である。貴族富豪はそれ自身に於て既に多大の尊敬を社会から受ける
ものである。然るに猶ほ彼等は真に政治上、軍事上、学術上又道徳上、国民の儀表たるに恥ぢざるの実力を備へ
                                       たと え
て居るが故に、彼等が国家の上流に居つて国民指導の任に当るや、国民は仮令其の形式の専制的なるに憤慨して
も、其の政治の実質に対しては文句を云ふべき口実が無いのである。国民全体は、実は其の専制的政治組織に対
して甚だ不満足なのである。此のことは同国社会党の年々増加して止まざるに徴しても分るのである。
                                    〔以上『横浜貿易新報』一九一七年四月一二旦
190
欧洲大戦と平民政治
     「二」 の三

 最近数年間の形勢に照して、我々は実は独逸も早晩専制政治を止めるであらう、又止めねばならないであらう
と考へて居つた。独逸の貴族は、制度の上で随分無理をして専制政治を保存せんとして居る。夫れだけ民間の不
                                    さかん
平が又随つて高かつた。故に一面に於て独逸内部に於ける民間の不平の俄なるは、丁度露西亜に類するものがあ
った。唯だ露西亜の貴族は独逸の如く賢明に非ず且つ堅実に非ず、知識の点に於ても、道徳の点に於ても、真に
貴族たるの名に恥ぢない実力を有しなかつたが故に、彼等は結局国民の心服を得ない、又国民の心服を得るだけ
の実質上善良なる政治を行ひもしなかつた。此の点に於て独逸は確かに露西亜とは面目を異にして居る。独逸の
貴族は其の知識に於て道徳に於て、真に貴族たるの体面に適する実力を有つて屠懲此の実力を傾けて国家の為
めに尽し民生の為めに尽すのであるから、仮令其の政治上の形式が専制で、随つて此の形式に対して人民が如何
に不平を抱いて居つても、事質上どうしても其の政治に満足せねばならないといふことになつて居るので、随つ
て相当に専制をやつても、いざといへば国民が大して不平を有たなかつたのである。之に加ふるに、独逸は四面
                                                    ねら
強国に囲まれて一刻も油断が出来ない。若しも政府が少しでも手を緩めると、忽ち四方の強国から其の隙を岨は
れるので、仮令国家百年の計とは云ひながら、急激に現状に大改革を加へるといふことは、実に色々の困難があ
るのである。此等の点は平民政治家も能く分つて居るので、いざといへば大抵政府に譲歩して居つた。是れ独逸
があれ程の開明の国であつて、今日猶ほ専制政治を行ひつ、ある所以である。即ち独逸の貴族が優秀なる能力を
有つて居るといふこと\四面強国に囲£れて居るといふ其の特殊の地勢が、独逸をして貴族専制の維持を可能
ならしめたものである。而して其の優秀の貴族が其の優秀の才能を傾けるといふ所に、独逸富強の要訣があるの
191

で、決して貴族が平民の拘束の外に立つて仕事を為し得るといふ点が独逸の強い原因ではない。無論平民の拘束
を受けるといふことは、幾分か貴族の仕事をする邪魔になるかも知れない。併しながら、若も心から国民全体の
納得を受けて、其の上に政府の政策を押立てるものであつたならば猶ほ一層有力であつたであらうと思ふ。只独
                                    デンマーク
逸には独逸民族の外、或はポーランド人とか、或はアルサス・ローレン人とか、或は丁抹人とか、独逸に取つ
て獅子身中の虫とも謂ふべき、一から十まで独逸の富強を欲しない多数の民族があるから、此等の民族をも
ゼ ル マ ン
日耳鼻民族と同一の地歩に立つて、政府を有効に拘束し得るの地位に置くことは頗る危険であるので、斯の国情
の然らしむる所、自ら平民的勢力の有効なる拘束を認め難いといふ事情もある。若し独逸に此の如き特別の事情
が無かつたならば、彼は決して今日の如き専制政治を施いて平気で居るものではなかつたであらうと思ふ0故に
独逸が専制政治を行つて、而も相当に美果を収めて居るといふのは、一には其の国情の反映であり、一には貴族
の優秀の結果であつて、専制政治其のものが独逸をして富強ならしめたのでは断じてない。かく独逸の国情が暫
                                    ぽ ろ
く専制に依らねばならない様になつて居り、而して色々の事情が又専制でも大した檻複を出さずに事を済まして
行ける様になつて居るだけのことで、若しも事情が平民政治の実行を許すものであつたならば、独逸の心ある政
治家は決して之を避くるものではあるまいと思ふ。然るに我が国の一部の論客が、深く此の独逸の内情を究めず、
極めて皮相浅薄の見解を以て、独逸の専制主義を謳歌するのは、誤れるも亦甚だしいと謂はねばならない0且つ
日本には専制を行はねばならない程の内外の事情も無い。此の点は独逸と全然趣きを異にするのみならず、日本
の貴族は独逸の貴族のやうに国民の心からの尊敬を受ける程に、優秀の資格を備へて居ない。国民は大体に於て
貴族富豪の子弟に信頼しない。貴族や金持の出といへば、初めから皆凡庸の輩と極めて居る。道徳の上に、才能
の上に、真に国民の尊敬を博するに足るだけの資格が備はつて居ない以上は、貴族専制は到底我が国に於て行は
192
欧洲大戦と平民政治
るべゝさものではない。
      三

 第二に今度の戦争の結果、従来の平民政治の国が其の誤りを悟つて、其政治組織の形式を一変しっ、ありとい
                   しばしば
ふ考へも、亦全然誤つて居る。成程英書利は蜃々内閣の改造を行つた。仏蘭西にも内閣の改造があつた。併しな
がら此の内閣の改造は、決して従来の根本主義を棄て、独逸の専制主義を真似たと謂ふべきものではない。成程
表面上の形を見ると、従来二十人もあつた内閣員では徒らに議論が多いといふ様な次第で、軍国政府の実権を少
数の人の手に収めたといふことになつて居る。仏蘭西も此の意味で内閣の改造を行つた。即ち多数より少数に収
縮するといふ方針を取つたのである。併しながら此の多数より少数に収縮するとLい・ふことは、決して平民政治主
義を棄てゝ専制主義に移たものではない。何故ならば、如何に内閣の実権が少数人の手に収縮しても、彼等は決
して全然議会の監督の外に立つものではないからである。唯だ戦時中のことであるから、平時よりもヨリ多くの
権限を此少数者に依託して、他からは之に干渉せず、其の自由行動を許すことになつて居るけれども、是れは唯
だ直接軍事上の計画に就いての話のみで、一般の政務は矢張り依然として従来の主義に依つて議会の監督の許に
運用して居るのである。故に大体よりいふに、此次の内閣改造といふものは、一般の政務の取扱は従来と何等変
る所はないので、唯だ軍事上の行動に就いてのみ、従来十人で相談したものを今度は五人の相談に任せょうとい
ふの類に過ぎないものにして、決して全然一から十まで独逸流の超妖州主義に移つたものではない。勿論露西亜や
オースト11ノア
嗅太利のやうに、戦時中議会で色々の文句を云はれては妨げがあるといふので、憲法を無視して国会に無期停会
を命ずるとか、或は独逸や露西亜に見るが如く国会を開いても直に之に休会停会を命ずるといふやうな遣方をす
19う

るものなら、是れは明白に従来の主義に反するものである。併しながら斯く極端な方法に出で、居るのは、平素
平民政治の十分なる運用十分なる施行を妨げて居つた所の独逸とか露西亜とか襖太利とかいふ専制的国家に於て
のみ見るの現象で、英書利や仏蘭西では全然此の如き態度を取つては居ない。故に平民政治の国が今度の欧洲大
戦の結果、幾分政府の組織に変更を加へたといふことは出来るけれども、全然根本の主義を改めて、即ち平民政
治より専制政治に移つたといふことは出来ないのである。戦争の経験に基いて、此等の平民政治の国は其の誤り
を悟り、最早平民政治に諦めをつけて居るなど、いふのは全く事実を精密に考へずして発する所の妄断である。
                               〔以上『横浜貿易新報』一九一七年四月一二日〕
194
 終りに今度の欧洲戦争の結果として、将来の思想界に大変動を生じ、英一つの現象として、平民政治主義は二
十世紀の国家社会に於て全然其の価値を認められざるに至るであらうといふ説に至つては、其の無根拠の暴断も
亦甚だしいと謂はねばならない。無論戦争の後に於ては、平民政治の運用方法も幾多の改正を見るであらう。併
しながら其の改正たるや、平民政治の根本義に相反する方面に行はるゝものに非ずして、平民政治の根本義を猶
ほ一層能く拡張充実完成する方面に行はれるものであらねばならぬ。
 蓋し戦争以前に於ても、平民政治の今日の運用方法に対しては、幾多の非難があつた。併しながら此の非難た
るや、従来の運用方法が悪いとか、平民政治は全然之を棄ねばならないとかいふ絶対的の非認論ではなくして、
従来の運用方法には斯く斯くの欠点がある。此の点は斯様々々に改めねばならないといふ、所謂相対的非難であ
った。換言すれば改革の主張であつた。然るに日本に於ける一部の固随なる学者は、此等の非難の一端を採つて、
欧洲大戦と平民政治
西洋には近頃平民政治立憲政治代議制度に対して斯く斯くの非難がある、即ち平民政治は西洋に於ても段々下火
になつたと附会するものがあるが、是れは実に甚だしき牽強附会であつて、西洋の書物を故意に半分読んだこじ
つけた論結である。更に後の半分を読めば、西洋の学者は是れだから平民政治はいけないといふのではなくして、
斯く斯くの欠点があるから平民政治は未だ完成して居ない、此等の欠陥を補ふて将来大に平民政治の完成を図ら
ねばならぬと説いて居ることが分る筈である。而して若し今度の戦争が平民政治の運用に就いて何等か重大なる
教訓を与へたとすれば、従来唱へられて居つた改正実行が一層必要であるといふことであらねばならぬ。即ち其
の改正を怠つて居つたといふことの結果が、今度の戦争に於て端無くも暴露されたので、戦後に於ては、平民政
治の猶ほ一層の完成の為めに大に努力するといふ事になるであらうと思ふ。之を絶滅すべしとか、或は之を猶ほ
一層制限すべしとかいふやうな議論は、全然無からうと思ふ。現に露西亜の如a掛戦後を待つに暇あらずして此
                    【政〕
の運動の開始を見、従来の憲制の運用方法に満足せず、猶ほ一層平民政治の面目を発揮せんとて、一大事命運動
が起つたではないか。而して之に関聯して嗅太利の民心も亦動揺し、独逸も昨今頻りに帝国議会に於て、選挙権
の拡張乃至選挙法の改正問題が盛に怒号せられて居るではないか。是れ皆平民政治の完成が目下の急務であると
いふことを、つくぐ戦争の結果として悟つた為めであると謂はねばならない。
 十九世紀の世界的大動乱は、思想界に空前の大影響を及ぼしたが、二十世紀の世界的大動乱も亦思想界に同じ
様な大変動を与へざれば己むまいといふ見解は、前後相対照して如何にも尤もらしく聞える、又事実此の如くあ
るに相違あるまい。けれども、十九世紀の動乱が、従来の専制政治を打破して新たに平民政治を打立てたといふ
                                     【に〕
ことに対照して、二十世紀の大動乱も更に平民政治の一大打撃を与へて、再び専制的方向に一般の思想を転換す
べしと観るのは、一寸対照の妙を得て居るが如くにして、実は非常に誤解である。十九世紀の政治思想の変転は、
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文芸復興並びに啓蒙時代に遠く根底を有し、個人の覚醒自由思想の勃興といふことに非常に深い文明的根底を有
して居るものである。決して十九世紀になつて突然起つたものではない。否古来数百年間の経験を積んだ結果、
十九世紀になつて先に愈々一大覚醒を為し斯くて自由といふことが始めて確立せられた訳なのである。而して一
旦開発せられた「自由」といふ思想は、今後益々開発せらるべき運命のもので、最早決して其の前途を他の小事
件の為めに阻止せらるべき筈のものではない。今度の欧洲大戦争と維も、自由思想の進歩発展の前途に対しては
何等の障碍をも与へることを得ないものである。今度の大動乱を以て十九世紀初頭の大動乱にも勝れりと観るの
は、只其の外形を見ての説であつて、思想界に及ぼす変動から云へば、今度のは、十九世紀の初頭の如く世界の
歴史を前後に両分するが如き重大の意義を有するものに非ずして、十九世紀初頭に於て人類の覚醒に伴つて生れ
た新文明の、其発展の前途に横はる障擬を排除して、共進路を滑にし、今後は冶々として大に発展せしむべき一
転機を作りしに過ぎざるものである。此の点から観れば、今度の大動乱の如きは、其文明的意義に於ては固より
之を十九世紀初頭の変動と比較すべきものではない。否な十九世紀の初めに第一歩を踏出した新しき人類の進歩
の、其の発展の途上に於ける小波瀾小進展に過ぎないのである。故に今度の欧洲戦争が、十九世紀の初めに於け
るが如き意味に於て、重大なる革命的変遷を思想界に及ぼすべしと観るのは断じて誤りであつて、殊に十九世紀
を以て、始めて開かれた道が、今度の動乱で更に方向を全然一転するだらうと観るが如きは、歴史を知らず近代
人の心理を解せざる一大妄断である。故に日く、欧洲大戦の影響として来るべき所の戦後の思想界の変動は、十
九世紀の初めより起り来つた一大原理の方向転換に非ずして、却つて其の完成であり、其の充実であり、其の猶
ほ一層の進歩である。平民政治は、戦後に於て更に大に改革せられ、更に新たなる形に於て世界の総ての国に花
を咲き実を結ぶべき運命にあるものである。        〔以上『横浜貿易新報』 叫九一七年四月一三旦
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