日露交渉の前途


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 支那の話が長くなつたから、この間題は簡単に項目だけを列挙するに止めて置く。
H 目下北京で、芳沢カラハン両氏の間に折衝されて居る間邁は、旧債権問題だの、旧条約問題だの、‥廟イエ漑ク町
題だのと、いろノトあるやうだが、我々の想像するところでは、或るものは完全なる了解を得、或るものは欧洲
                          ▲まとま
列強と同一歩調を執る事に双方の話が纏り、今日伝ふるが如く、協定甚だ困難な点が残されてゐるとすれば、夫
は恐らく利権問題の他はなかりさうに思ふ。当局の発表は多言にして然かも何も言はざるに等しく、文字は長い
                      さつぱ
が、要点は全然隠されて居る。だから本当の事は薩張り分らないい従つてこれが日露交渉の真相だなどゝはつき
り言ふ事が出来ないが、私の想像するところを遠慮なく言ふを許さるゝならば、大体問題は次のやうな点にある
のではないかと思ふ。
                       しば  からふと
出 先づ、利権に就て日本の希望は何所にあるか。暫らく樺太問題を限つて説明してみるなら、利権開発の区域
    だ
の出来る丈け広い事、これが開発経営を独占したい事等でなければならない。そこで仮りに日本からさういふ要
                 ロ シ ア ど
求を提出したとする。これに対して露西亜は何ういふ返事をしたであらうか。これも日本人の立場を離れて暫ら
                                                         ・も
く露西亜の立場に立つて考へてみる。第一に、この要求を提出するにつき、日本が若し尼港事件の賠償責任と閑
聯せしめて、露西亜をして義務履行の一形式としてこれを承諾せしめようといふのなら、露西亜は必ずや断然こ
   ・†小
れを弾ねつけたに違ひない。も一つは、露領内に於ける日本側の産業経営につき、殊にその内部の資本対労働の







かんけい
干係につき、露回国内法の適用をさし控へよ、といふ要求があつたとすれば、これ亦露西亜は断じて承認を拒む
であらう。露西亜の国内法が産業に於ける労働の地位を如何に認めて居るかは、多く説明する迄もない。所が、
             か
さういふ労働尊重の観念は嘗つて日本にないのみならず、日本の在来の産業経営方法では、到底露西亜のやうな
決め方に堪へ得るものではない。日本産業の資本主義は、露西亜国法の労働尊重主義と全然相容れないものであ
                                             お
るが、露西亜としてはその労働尊重主義が実に立国の根本的大使命なるが故に、何を差し措いてもこれ丈けは譲
                                つぶ
れまい。これを譲つては百日の説法も屁一つで新露西亜の面目はまる潰れだ。が又日本としても露西亜の国法を
その俵適用されるのでは、資本家中一人もこれに手を出すものはあるまい。之をどう調和して行く積りであるか」
新開の伝ふる所によると、日本側は訳もなく国内法の除外例を露西亜に求め得るかの如く考へてゐるやうだが、
       あやま
これは大いなる謬りであらう。まるで酒呑みが熱心な禁酒論者を捉へて、一杯位拙いゝでせうといふやうな形に
見える。
                 なかなか
臼 かう考へて見ると、利権問題は却々困難な案件だ。局外から見ると丸で出来ない相談ではないかとすら考へ
らるゝ。ところが、新開の伝ふるところでは、これに就て段々細目の協議が初つて居るとやら。左すれば夫は必
ずや露西亜側の若干の譲歩に依つたものと見なければならない。もしさうとすると、露西亜は必ずやその交換条
                                 がえん
件として労農露西亜の承認を求めた筈だ。ところが日本は承認を肯じない。妖…らば露西亜が、そんならこの間題
は漠然たる大綱だけに止めて、細目は追つて承認後に協議しようといふ事に出るのが当然だと思ふ。
戟@承認は今しないのだといふから、そんなら細目まで決めて利権を急いでやらないといふ態度に出られても致
し方がない。が、さうなると日本は事実困る。何故なれば利権の譲与せらるべきを予想して、既に開発事業は政
                                     な
府の保護の下に、初められて居るからである。既に初めたものは、喪くするのは惜しい。これ丈は永久に継続さ
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            や
して行き度い。又今現に行つて居る丈けの事は、これから先も滞りなく行らしたい。細目の協定は後日に譲つて
もいゝが、それ迄の間は今日の事業をそのま」継続して行つてもいゝといふ事にして貰はなくては困る。これが
日本側の言分だ。かういふ要求に接して、露西亜は先づ第一に何んな風に考へたらうか。これも仮りに露西亜人
になつた積りで考へて見ると、うつかり現在の事業はそのま、継続してもいゝと言つては、陰微の間にどん〈
範囲を拡張するかも知れない。その上後日細目の協定が纏り難いといふ場合にも、日本側は急に繰らなくても損
                       わそ
ではないといふところから、何時までも延す惧れがある。即ち細目の協定に就て露西亜は日本側に制御さる、惧
れがある。早く細目を定めないでは損だといふ立場と、決めなければ決めないでい\急いで決めなくても損は
ないといふ立場との間には大変な強弱の差がある。この点でも彼我の間には見解の開きがあるだらうと思はる、。
これらの点がも少し明かにならないと、日露交渉の前途をはつきりげすることは出来ない。
                                       〔『婦人公論』一九二四年二月〕