国際平和思想



 国際平和の思想が、昨今段々と強くなりつ、ある事は、疑を容れない事実である。国際関係を常に平和の状態
にあらしめんとするには、一つには友愛の情を漂はしめると共に、又一つには争のあつた場合に、腕力に訴へて
                         さば
之を解決するの手段に出でしめず、必ず道理を以て之を捌かしむることを要求する。国と国との交際も、個人と
個人との交際の如く、相愛互助の精神に依るやうになることが、甚だ望ましいことであるが、個人間でも然るが
如く、常に斯くあることを必することは出来ない。少くとも今日迄の世の中の引続きとして、今後も争ひの種は
残り、利害の衝突なども免れ得ないであらう。然れども之を常に道理に依つて捌くと云ふことになれば、争ひ共
のものも平和的に解決が出来るし、又その当事者をして、将来道理を尊重するやうに訓練することにもなるから、
此処に国際関係は充分平和の状態を保つことが出来るであらう。斯くして無用の浪費を避け、無用の惨禍から免
れて」吾々にとりて此の世の中は、真に住み心地の好いものとなる。
 何んとかして、此の世の中を住み心地好いものにしたいと云ふのが、人類の昔からの熱望であつた。其の為に、
彼等は心を砕き、工夫を凝らして来た。余は是等の点を、今此処に詳しく述べて居る暇がないが兎に角、今日迄
あらゆる人類の努力の大半は、此の目的の為になされたと云ふても好い。斯くして吾々の間には、色々の制度が
                   かな
立てられ、又一方には、此の目的に適ふやうに人類そのものを訓練する設備もある。又人類の交際の上に、何ら
かの圃違が起れば、徹底的に之を解決する方法も建つた。例へば学枚や教会は前者の例であり、警察とか裁判所

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▲弄「


】国
の如きは、後者の例である。而して国際関係はと云へば、思想的には成程四海同胞の大義に立つ色々の運動など
も、盛んであるが、其の間の争を、根本的に解決する制度と云ふものに至つては、甚だ不完全なものであつた。
若しあれば、国際法ぐらゐのものである。其の国際法は実に、国際関係を常に平和的にならしめる制度としては、
実は不完全極まるものであつた。
              たと
 今日迄の国際法は、薬に喩へて云ふなら、許はゞ沈静剤のやうなもので、疾病に対する根治薬ではな.い。不治
                            な   し ま
の病と諦めたのか、或は慢性的なる為に、遂に之に馴れて仕舞つたのか、根本の病の方の始末には、一向頓着な
く、只だ時々起る痛みを止めやうとか、苦みを緩和しやうとか云ふのが、即国際法の内容である。斯う云ふ点を、
最も明白に語るものは、仲裁々判条約に関する、今日迄の国際法の規定であら、サq仲裁々判の制度は、近頃余程
                    たし
発達して来たが、之が完全になれば、懐かに戦争を未然に防ぐの効はある。個人間でも、昔は武士の間には切り
合ひが許されてあつた。今日は断然是等の私闘を許さない。共の代り国家が個人の凡ての争を道理に依つて有効
に捌いて呉れるからである。戦争は、謂はゞ国家間の私闘のやうなものだ。之を禁じて本当に正しい道理を、其
の間に行はしめるのは、有効なる裁判でなければならない。此の意味に於て、仲裁々判制度の発達は、著しいも
のがあるが、然し今日の実際を観ると、第一其の執行カに於て、薄弱であり∵第二に其の当然管轄し得べき事柄
の範囲に於て狭い。国家の上に、仲裁々判の決定を強制し得べさ方法がないことは己むを得ない。其の為めに、
有効に強制し得ない問題は、特に避けたのかも知れないが、普通に国家の栄誉、その生存、並に独立に関する問
題、領土保全並に重大なる利害に関する事項は、仲裁裁判に対するに適せないと認められて居る。学者は仲裁裁
              だ
判に附し得る事項を、出来る丈け広く解釈せんとして居る。然し実際政治家は必ずしも学者の考へ通りには動か
1
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                   いわゆる
ない。条約の解釈とか云ふやうな、所謂法律問題の仲裁々判に適するものは、之を拒むわけに行かない。斯うし
て重大なる閏遁になると、出来得る丈け、之を所謂仲裁々判に附するに適せない間遭と解釈して、道理の審判を
避けんとして居る。之を避けた結果は、何うなるかと云へば、即いざと云ふ場合に、武力に訴へると云ふことに
なる、だから武力を擁して居る国ほど、斯う云ふ問題に同情がない。従つて、又従来は斯う云ふ種類の開演は、
弱い固から主として唱へられて居つたと云ふ傾きもある。それでも段々と仲裁々判制度が開けて来ると、之に従
         いたで               わのすか
はないと、世間から徒らに争を好む者なるが如く見られ、自ら一種の重い道徳的責任を負はねばならぬことにな
                                 せつかく
るから、結局矢張り、平和思想の発達を促すことになる。それでも、折角仲裁々判と云ふことを唱へ出しながら、
重大な事、即戦争までして争はんとする、重大な事項につきては、初めから除外すると云ふのだから、喧嘩は止
めると云ひながら、但し重大なることに就きては、此限りに非ずと云ふので結局に於ては、矢張り絶対に戦争を
なくしやうと云ふのではなかつた。
                                          もつと
 斯う云ふ類の事をさがせば、他に幾らもある。殊に戦争法規になると甚だしい。尤も之は始めから戦争の存在
を前提しては居るものであるが、然しやるにしても、徒らに惨たらしい事は、仕たくはない、喧嘩をするにして
も、綺麗に立派にやりたいと云ふことから起つたのであるから、之を尊重することは、矢張り平和思想の養成に
なる。然るに実際の戦争では、余り尊重されない。此のことに就きて、学者は大に不平を持つて居る、従来色々
の会合でも、戦時法規が、もつと厳格に守られんことを要求することを決議したことが再三に止らない。処が
ドイツ
独逸の多数学者の国際法の著書に於ては、色々詳細な戦時法規を掲げ、而して最後に是等の法規は、戦争の必要
の為には、必ずしむ之を尊重するを要しない、と云ふやうな事を述べて居るものがある。斯う云ふやうな乱暴な
思想を、学者政治家が、平素から唱へて居るやうでは、以て如何に国際法規などと云ふものが、ほんの申訳的に
2
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イ苫「


一凶
説かれて居るかと云ふことが、判るであらう。
    そ
 若し夫れ国際間の慣例に至つては、更に甚だしいものがある。人或は此の状勢を目して、弱肉強食の世の中と
云ふが、是亦一面の観察として誤つて居ない。前にも述べた通り、今日の人類は、少しでも住み心地の好いもの
として、此の世の中を平和ならしめんと、苦心惨澹して居るのに、独り国家間の争と云ふ問題になると、何う云
ふものか、戦争と云ふ迷夢から覚醒し切ることが出来なかつた。更に甚しきは、武力を擁し、戦を以て他を脅か
し、以て自国の発展を図るのが、当世だなどと云ふものもある。之が実に国際平和の思想の発達を妨げて居つた
のである。
                                          しばしば
 最近までの国際関係が、何故に右に述べた如く、甚だ険悪なものであるかに観では、是まで蜃々本誌上に於て
述べた事であるから、今又之を繰返さない。兎に角、個人間の関係は、段々道理を以て処理され、吾々の社会生
活が、甚だ気持の好いものになつて行きつ、あるのに、一度び国民と国民と云ふ考へになると、世の中が働かに
物騒になる、此処に近代人の心の底には、強き矛盾と堪へがたき煩悶とが起らざるを得なかつた。
 尤も考へ様に依つては、斯くも見られる。吾々の現実の生活は、是までの長い歴史によつて、色々な様式が与
へられて居り、夫れ丈け又容易に改め難いものである。処が之が何か一つの新らしい理想に依りて根本的に改造
さるゝと云ふ必要に迫られると、改造の事業が、凡ての方面に亘つて、俄かに出来上り難いものだから、世の中
       たけのこ   む                                                    たと
の物事は詰り筍の皮を剥くが如きもので、一皮づゝ剥けて行くのである。吾々の現実の生活を、暗黒の山に響へ、
新しい理想を、東の空から差し上る旭日に喩へると、山の頂から、段々〈と光に照されて、山全体が新しい光
に照される迄には、相当の時間がかゝるのである。従つて例へば相愛互助の精神も、先づ最も近い個人的交際の
ュノ
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1

中に現れて来たが、国と国との交際の上に及ばないと云ふことは、必ずしも不可思諌なことではない、進化の理
法から云へば、或は当然のことかも知れない。只だ吾々は現に不都合な世の中に住んで居るのだから、煩悶もあ
                         一そ
れば不平もある。生れ合せが悪いと云へば、然うも云へるが、然し又吾々の努力の如何に依つては、早く斯かる
時期を経過し得ると云ふことも考へなければならない。
当節の様な変態な状態にあるから、客観的に観れば、当然の現象だと申したが、たゞ之を自然界の事物の如く、
           やが
打つちやつて置ても、躾て又相当の発展をするものと思ふならば誤りである。今日の様な過渡の時期を、早く通
過すると通過せないとは、則ち国民の努力如何に依ることで、又共の国民の大小を分つ標準になる。何時迄も此
過渡期に停滞して居る結果、遂に大勢に遅れて滅亡するものも、歴史1には可なり多い。大国民は何うしても、
其の道徳的努力に依りて、早く此の時期を通り過ぎなければならない〇一刻も早く真理想の光を受けなければな
らない。太陽は独りでに登つて、山を照して呉れるが、人間界のことは、此方から骨折つて首を差伸ばさねば、
太陽の光を見ることは出来ぬ。是れ自然界のこと1人生との区別ある処で、又人間社会・の面白味のある処でも
ある。
 但し吾々は、又他の妄に於て、現状に不満なるの余り、不当に性急になつては好けな・い。何もかも、凡ての
                                        一々こが
方面に、一時に光明を見やうとするのは、所謂革命家の迷想であつて、共の理想に憧る、の熱情には、大に尊敬
すべきものあるも、実行の方法としては採らない。吾々の立場は、常に漸進主義である、只だ漸進主義の名は、
往々臆病者の好く月実にされる嫌はあるが、然し斯う云ふ誤解を恐れるからとて、特に熱狂的態度を高調する必
                               やす
要もない。吾々は常に丁歩々々着実に進み進んで、然も常に息むことなからんことを欲する。
                                                              ・つ・▼エ
 何れにしても、今日吾々の生活は、国民として同胞に対する時と、外国に対する時と、旨く両立しない場合が
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 まれ                                  にく
稀でない。国内に於ては、他人の物を盗んだ者は、悪者として悪むべきものと教へられて居る。然し同胞の一人
が、間諜として、外国政府の或る重要書類をでも盗んだと云ふ話を開くと、之を悪んで良いのか、賞めて良いの
か、判らない。泥棒したのだから、悪いとは云ひたいが、吾々の同胞の多くは、国家の為に、危険な特別任務に
                             もし
服したものとして、賞めたゝへて止まない。若夫れ自分が政府から、斯う云ふ種類の命令を受けたとしたら、如
何であらうか。他人を殺しては好けないとは云へ、然し敵国人を殺すのは好いと云ふが如き、浅薄に考ふれば何
でもないやうだが、少しく良心の鋭敏な者からすると、或は堪へがたい苦痛たらざるを得ない。早い話が、兄弟
は伸好くせよ、然し隣りの彷ちやんとは喧嘩したら殴り飛ばしても勝つて来いと云ふのでは、本当に兄弟親睦の
                                               むつまじ
情操を、子供の頭に養ふことは不可能だ。外に対して兇暴なれと教はれば、兄弟の伸も必ずや睦くない。人間の
頭は、国の内外に依りて、然う明白に使ひ分けの出来るものではない。斯うして†近代の吾々の生活心は、客観
的に観て、確かに矛盾があつた。一つの生命に生きて居る人間としては、到底之に堪へ得るものではない。其処
で煩悶もあれば、矛盾もある、而して此の頗悶と矛盾とは、到底之を突破せずしては居ない。然うでなければ、
人間の生活と云ふものは殺風景なものであり、人間の世の中は、甚だ住みにくいものであるからである。之を温
かな住み心地好いものとすると云ふことが、人間自然の強き要求でなければならない。此処に国際平和思想の起
らざるを得ない主観的根拠が存すると思ふ。
尤も単に是丈けのことなト、今に始つたことではない、常にある。従て如何なる時代にも、微弱ながら此の思
想に欄砥する色々の運動があるが、私の此処に特に説かんとするのは、国際平和の思想が、最近即ち欧洲戦争後、
特に強くなつたと云ふ事柄である。前からあつた平和思想が、最近特に大に飛動活躍するの機会を得たと云ふ事
柄である。如何なる事情が、最近特に此の思想の勃興を促したか、否、最近の世界人心が、如何なる事情に依つ
くノ
8
1

て、平和的に改築せられつゝあるか、又其処から今後如何なるものが生れて来るで為らうかと云ふ点につきて、
更に少しく考へて見やうと思ふ。
〔以上、『新人』一九二一年七月〕
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8
1
国際平和思想は昨今、段々社会を支配する、有力な現実の勢力となりつゝある。此の現実の勢力となりつ、あ
ると云ふ点に特に注意せられんことを希望する。其の意味は国際平和思想は、昔からあるので今に始つたもので
ない。けれども昔は単純な思想として、謂はゞ学者の机上の空論として存在して居つたもので、政治の実際家か
らは全く顧みられなかつた。即国際平和などと云ふことは、宗教家などの専らにすべき問題だとして、政治家は
之を高閣に束ねて等閑に附して居つたのである。即政界を支配する現実の勢力とはならなかつたのである。斯う
云ふ平和思想なら、前述の如く昔からあるので今に始まつたのではない。夫れが、昨今に至り現に政界を支配す
る実際の勢力となつた。独り宗教家のみならず政治家も又此思想を尊重することなしに、実際の政治を取扱ふこ
             じゆんち
とが出来ないと云ふ形勢を馴致するに至つたと云ふことが、余の先に特に主張せんとする点である。
国際平和思想が、何故に現実の勢力と頂ったか。一つの思想が現実の勢力となるには、常に其処に一つの歴史
を要する。名薬が発明されたと云ふても直に天下に行はれるものではない。何か偶然な出来事があると、之を縁
故として確実な基礎が出来るものだ。疫病の大流行を、主として宝丹が逐出したと同様に、何かの特殊の歴史的
事実あるによりて、或る思想が実際の勢力となる。故に或る思想の実際的勢力としての之を了解するには、其の
歴史的背景を知らなければならない。然らば如何なる歴史を背景として、国際平和思想が昨今現実の勢力となつ
て居るか。
             あらかじ
 此点に関して、今一つ予め注意して置きたい事は、或る思想が現実の勢力となつて居ると云ふ事は又其の之を


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碓丁

一国
促した歴史的事実によりて条件されると云ふ事である。換言すると其の歴史的事実によりて、特に強く印象づけ
られた方面に於て著しく其の思想が勢力を張るけれども、其の以外の方面には案外に無勢カであり、甚だしきは
其の反対の考が横行すると云ふ様な事もあり得ることである。思想が思想として勢力を得るに至つたのなら、根
本が改まつたのだから其の思想で、吾々の生活の全局面を支配すべき道理だけれど事実そうは行かない。実物教
                                      まいもう
訓で余儀なく開発されたのだから、其の方面だけ先に開けて、他は未だ昧蒙の域を脱しないと云ふ様な事があり
                                あた
得るのである。余は滋に国際平和思想の歴史的背景を説くに方つても、此点に多少注意せられんことを、読者に
希望せざるを得ない。何故かなれば余は或る一面に於ける国際平和思想の勃興を説くの側ら、実像世上には之と
                                                    たと い
反対の思想も、可なり強く横行して居ると云ふ事実が、存在するが故である。只だ先に疑のない点は、仮令、不
徹底であるとは云へ、一旦端緒を開かれた頭脳の開発は、段々と其の領分を拡めないでは居ない、と云ふ事であ
る。或る歴史的事実によりて開かれた思想は、更に又他の方面に新なる歴史的事実を作りつ\更に他の方面に
於ける平和思想の確立を、促して行くからである。
 然らば、国際平和思想の勃興を促した歴史的事実とは、如何なる事を云ふか。此の事に就きては異つた題目の
下に、是進度々本誌上に於て解明した事がある。故に細目は、くだJトしく儀返す必要がないと思ふから、滋に
は話の順序として、只だ大体の項目を挙げるに止めて置く。
 (一)戦争参加に因る人心の反省。戦争は惨憺たるものであつて、勝つても負けても後に苦痛を遺すことが著
                 やや
しい。それでも、従来の戦争では動もすれば勝つた者は、夫れに誇り、負けたものは、他日の復讐を思ふと云ふ
情に駆られざるを得なかつた。又心から斯う云ふ苦しい戦争を、二度と繰返したくはないと云ふ風には考へなか
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              かんが               っらつち
つた。而して、斯う云ふ苦みを何んな方濱で鑑みても、断じて二度と繰返し度くないと云ふ事を熱々と考ふる様
になつたのは、先づ此度の戦争が始てだと云つて好からう。今度の戦争も、半頃迄は一生懸命に勝利を目的とし
            ながぴ
て戦つた。然れども戦争は長延くばかりで、容易に結末が付かない。其中に規模は益々広大になる。規模の広大
                                             あらた
と年限の長いのとで、苦痛は益々加はる。其の惨禍の如何に大なる者であつたかは、滋に更めて説く必要はなか
らう。斯くして、やり掛かつた戦争だから、やるにはやるものの、然し斯んな馬鹿げた事は二度とやるものでな
いと云ふ考が、深刻に起つて来たのである。斯かる考へが深刻に起つたと云ふ事の結果として、起る三の重大
なる点は、戦争終結の方法に関する考方の変改である。従来の如くに、一方が他方を根本的に庄服すると云ふの
では、是れ、恨みを他日に遺すものであつて、戦争の根本的終結ではない。一時的終結は取りも直さず、他日の、
より大なる戦争の準備に過ぎない。其処で、今迄の様な結末を付けると他日、も一度戦争をせねばならぬ事にな
る○而して此の第二の戦争は、又第三、第四の戦争を誘発する事になるから、今度一度で蔵本的に戦争をなくし
やうと云ふことには、何うしても他に異つた方法を求めなければならない。それには何うしても、腕力の支配に
代へるに道理の支配を以てしなければならない。道理の捌きのみが、凡ての事を終局的に解決し得るものなので
ある三日の頭で云ふと、道理の解決が出来ないから腕づくの戦争と云ふことになつた。戦争は即道理の無力なる
                                   こぞ
結果である。処が、今度は腕力の解決を不可なりとして、世界の人心が挙つて道理に向つて注いで来たから、共
                                                       もた
処で従来無力なりし道理は、始めて有力なる勢力となる。斯う云ふ傾向が今度の戦争の半頃から、段々と頭を撞
げて来た。従来屡々説いた事であるが、勝負なしの平和と云ふことを提唱したのは最も明白に、此の新株運に乗
じたものである。
 ハニ戦争の目的の抽象化。戦争の目的に就きては、各国各々宣戦布告を発して、美辞麗語を列ぬる事を例と
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8



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壬「



する。然しながら、各国の戦争に依つて達せんとしたる現実の目的は、土地並に金に対する野望に外ならずと云
っても好い。従て之等の物質的関係に於て、利害の相衝突する間柄でなければ、容易に戦争の起るものでもない。
而して之等の利害関係は、各国個々別々のものであるから、所謂戦争の目的は、本来個別的な具体的なものであ
る。従て戦争は道理上、各々目的を異にする、多数の個々の戦争の機械的集合と、見なければならない。即英独
の戦争であり、仏独の戦争であり、日独の戦争であつた。然るに戦局の進行と共に、容易に勝利が得難いと見る
ゃ、作戦の実際上の必要は、之等の個々の戦争の間に、有機的関係を附するの必要を見るに至らしめた。実際の
必要が、先づ第一に各国の機械的関係を、有機的関係にならざるを得ざらしめた。之が即戦争の目的抽象化の第
                                   つな           と て
一歩である。その初めは、同趣意を単独不嬢和条約やら、各種の密約やらで繋いで居つたが、夫れでは到底も遣
                                                         たとえ
り切れなくなつた。其処で段々共同の目的の為に戦ふと云ふ意味に変つて来ね堵からなかつたのである。即例
ば、英なり仏なりが尚一層密接に作戦を共同にせんとせば、互の個別的野心を多少譲合ふと云ふことが必要であ
る。そう云ふ処から、特殊な目的は、段々と蔭になつて、共通の点が特に高調される事になる。其の結果戦争の
目的が、普遍的抽象的なものになることが当然の順序である。
 (三)戦局の拡張に伴ふ戦争目的の普遍化。前段に述べた傾向は、更に戦局の拡張と共に著しく促進された。
其は聯合側が、少しでも余計に独逸を世界の交通から封鎖して、一日も早く勝利を収めんと、焦つた処から、あ
らゆる国に参戦を勧めた。其の結果東洋ではシャムなど迄、参加するに至つた。然し此等の国は独逸側と直接の、
                                   も はや
利害関係はない。斯かる国々をも仲間に入れると云ふことになると、最早英仏側は全然其の特殊的な目的を捨て
ねばならぬ。慾の為に戦ふ自分達の戦争に勝つたとて、何も取れる見込の無かりさうな、第三者の参加を勧める
訳には行かないからである。其処で此の段取りになると、今度は戦争は国際正義の為だとか、自由平等の為だと
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                   た                       そ
か云つたやうな、抽象的な普遍的な目的を樹てなければならぬことになる。斯くして、目的が然う云ふ事に変つ
た結果、今度の戦争は当事者は多数あるけれども、戦争其のものは一つの目的の為に戦はる、一個のものと云ふ
ことに、ならざるを得ない。斯くして、戦争の意味が従来とは全く変つた。前の考では多数国の戦の集合であつ
たが、今度のは渾然たる単一の戦である。国際聯盟などと云ふ思想も、実は斯う云ふ見方の変遷から促されたの
である。何となれば、単一の戦争と云ふ事になれば、敵国からの分捕品の如きは、直接に取つたものは誰である
にせょ、所有権の帰属は同盟国全体であり、従つて全体の名に於て、占領地の処分を決める当事者が設けられね
ばならなかつたからである。
 (四)米国参戦及び露国事命の影響。米国の参戦と露国革命とは、互に相連絡なき二個の出来事であるけれど
も、殆ど時を同じくして起つた出来事であるから、一括して説くことにする。而して此の事に就きては、又従来
蜃々繰返して述べた処であるから、凡て簡略に言ふことにする。詳細は其の当時の本誌を参照せられんことを希
望する。
 米国の参戦は、戦争の目的の抽象化と云ふ事に、更に大なる影響を与へたものである。シャムの様な小国の参
加さへも、可なりの精神的影響を与へたと云ふことは前にも述べたが、米国の様な大国が、然も独逸から何等か
の得る処あらんとする野心あるに非ずして、参戦したのだから、英国や仏国は、夫れでも自分達の戦争目的の中
                          ひきず
に、色々の不純の野望を隠す事が出来なくなつた。米国に引摺られて、不純の分子を、否や〈ながらも捨てな
ければならなかつた。斯くして居る中に、露国事命の結果が段々に響いて、是れ又戦争の目的に何等の不純の野
            ゆえん
心を、包蔵すべからざる所以を力説して止まなかつた。露国は、米国の立場と異る社会主義の立脚地から、無賠
償、非併合を執つて立つたのだが、兎に角戦争の目的の中から、最も露骨に、不純分子を捨つべきを迫つた点に

ハソ
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‥国
於ては、著しいものがある。而して当時の形勢上、米露両国の意向が甚だ重きをなして居つた処から、之が聯合
国戦争目的の純化の上に、非常に有力であつたことは想像に余りある。
 以上述べた様な事情に基きて、戦争の目的に関する思想が、著しく訂正を要求せられ、即此の戦争に依りて達
せんとする各国の目的は、個々特殊の野心ではなく、抽象的主義原則で、而も其の主義原則は、此の世界の凡て
の人に採りてd住み心地好きものたらしむべきものでなければならないと云ふ次第であるから、是が取りも直さ
ず、最も有力な国際平和思想である事は云ふ迄もない事であらう。此の思想のカが、やがては戦争終結し、嬢和
会議を指導するに至つた。尤も構和会議には、之と反対の思想も有力に働いた。永く草根木皮に親んで居た者は、
                                                  〔仕来り〕
西洋医者の名薬の効能を信じながらも、不用意の間に、時として古い式たりに執着する事を免れざるが如く、古
い世界に教育された政治家が、構和会議に集つたのだから、世界の問題と共に、又自国の利害を提げて、随分妙
                                      え たい    ぬえ
な議論も闘はされたのである。斯くして、出来た構和条約は、思想の一貫しない、得体の知れぬ鶴的なものにな
つたが、然し、あれ丈け迄に漕ぎ付けた処を見ても、従来の婦和条約とは、大に選を異にする事が判る。理想か
ら云へば、今度の構和会議は明白に失敗だ。然れども理想が、全然容れられなかつたのではない。理想が、全然
容れられなかつたのなら、あれ丈けの成績すらが出来なかつた筈だからである。要するに、昨今平和思想は勃然
として興りつ、ある。唯だ之に対する反動思想も非常に強い。単純に、現在丈けを切り離して考れば、平和思想
も未だ世界を支配するには至つて居ないが、過去に於ける状琴から、将来に対する予想を加へて、全体から遷観
する時は、吾々は此の平和思想の前途を楽観視せざるを得ない。然し吾々は只だ此の事実に満足するのみでは好
けない。更に吾々は道徳的努力に依りて国際平和思想の勃興を更に大に助長する処あらせねばならない。
                                         〔以上、『新人』一九二一年九月〕
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