〔吉野先生のために妄をひらく〕
吉野先生は明治十一年一月二十九日を以て宮城県志田郡古川町に生る。父某は綿あきんどで多少の産を興し、祖父某は駄菓子屋でやり損つて家屋敷を失ふ。其の先遡ること数代、寺の過去帳を繰て各厳めしき法号を知ることを得れども、固より何処の馬の骨やら分つたものにあらず。蓋し神武天皇以来の土百姓に相違なし。
父某、勤倹力行、やゝ徳望あり。晩年挙げられて町長となる。田舎商人に珍しく、利の為に曾て嘘を吐かず。従てまた、三十年の力行にかち得たるもの、僅に九尺二間の小店舗のみ。故を以て其家太だ郷党に重きを為さず。先生偶々錦を着た積りで郷に帰る。年の若い者は、流石に目を聳てゝ仰ぎ見るが如きも、故老に至ては、ハゝア吉野屋の作造さんかと鼻も引ツ掛けず。
先生誤て帝国大学に職を奉ぜしことあるも、素より学徳の深く身に積む所あるに非ず。先生自ら其の足らざるを識る。而もいさぎよく世上の買ひ被りの妄を釈いて有の儘の作造さんに復り能はざる所以の者は、虚名を売ることに依て僅に一家の口を糊するが為のみ。よく先生を識る者ひそかに先生の為に深く之を憫む。
買被り党の一人増田君、何処からか先生の肖像を持て来て壁間に飾る。先生の為に栄するが如しと雖も、斯くして虚名の二重売りするは、聊も先生の素志に非ず。乃ち先生の為人を赤裸々に裏面にしるして、先生の素志に奉じ、一には世上の妄をひらくと云ふ。
十四、六、十七、 後学 野古川生識
〔増田道義氏に与えた写真(本巻口絵)の裏に〕