秘密外交より開放外交へ
      (一)
 デモクラシーの傾向の盛んになると共に、内外百般の政務は万民環視の下に行はれ、些かの秘密の伏在をも許
                                              いささ
さざらんとするの今日の時勢に於て、独り外交の事が軍事と共に特別の例外的取扱を与へられて居るのは、各国
に通有の現象である。法制上より之を観るも、例へば我国の憲法に於て、軍事統率の権と宣戦講和並に条約締結
                                    ■王
の確が、他の一般政務と区別されて居る事は言ふを倹たない0独逸のやうな聯邦制の国でも、又は襖句国のやう
な聯合制の国でも、軍事と外交と丈けは之を各邦の権限より引離して中央政府の手に収め、而かも尚且つ他の中
央の一般政務とは特別の取扱を与ふる事になつて居る。
                                     くだくだ
何故に外交軍事に限つて特別の取扱を与ふるやの理由の如きは、固より此処に管々しく述ぶるの必要も無から
    ここ
ぅ。唯麦には特に外交については最も機密を尊び、漏洩を怖るるにあるを三日するに止むる0旧式の外交に於て
は自国の為めに洩れ、又対手国に洩れることを怖れたものであるが、公明正大を旨とすべき今日の外交に於ては、
此方面に於て漏洩を怖るべき理由は大に減却した0若し漏洩其事の親交に害あることありとすれば、そは利害関
係を異にする第三国に漏るゝ場合である。併し之とても徒らに秘密々々と隠し立てをするのが結局得策でもなく、
又隠くし終うせることでもない。とは云ふものゝ今日の所外交事務は軍事と同じく、未だ〈内政の事務と同一
に取扱ひ難き事情ある事は、之を認めなければならない。
ううう

併しながら特別の理由あつて特別の取扱を与ふるといふ事は、又他の一方に於て特別の弊害を伴ふ怖れがある
といふ事を避くることは出来ない0厳密なる国民的監督の下に行はるゝやう、制度の上に組織立てられたる内政
                                                   いわ
事務の遂行についてすら、今日多くの国々に於てはいろ〈意外なる弊害の発生に苦んで居る。況んや初めより
局に当る者の比較的広き自由裁量の余地を認めらる、軍事外交に於ておや。従つて国によつては軍事に対しては
其濫用を戒め、外交に対しては国民的利害を無視する事なからしむる為め、多少の方法を制度の上に顕はさんと
して居るものがある。英国の議会が常備軍の設置に関するの同意を一年限りとして居る制度の如きは其最も極端
なものであるが、外交上最も重要なる条約締結の最後の決定権を上院に留保して居る制度の如きは、米国を初め
南米大陸の諸国に少くない0支那の臨時約法の如きは更にもつと極端に行つて居る。若し夫れ最近露西亜の過激
派などが主張する所謂民主的外交の如きは、在来の外務官吏によつて代表せらるゝ外交は真の国民共物の外交に
あらずと為すものにして、外交の全権を間接に彼等の所謂平民の手に収めんとするものである。細目の点につい
てはいろノ\議論するの余地はあるが、兎に角此等の風潮の中に通じて一貫するものは、従来の軍事外交の取扱
方には十分満足する事が出来ないといふ事である。併しながら軍事と外交を凡ての内政事務と、全然同一様に取
扱ふ事が出来ないといふ事も亦明白である。軍事の事は今予輩の直接問題とする所ではない。独り外交を取つて
吟味するに、之を全然議会の討論に上したならば、吾々は却て其弊の多きに堪へないであらう。斯くして外交事
務の取扱は多少の弊害があつても、今の所依然旧態の下に置かれなければならない草になつて居る。
うう6
    (二)
                い か ん
併しながら斯くても時勢の影響は奈何ともする事が出来ないと見えて、近世諸国の外交は制度の拘束に拘はら
秘密外交より開放外交へ
ず、段々開放的になりつゝあるを看る。又斯くならざるを得ざる因縁もあると考へらる、。然らば何が近世諸国
の外交に影響して、\斯くの如くならざるを得ざらしむるかといふに、其最も著るしきものは矢張り内外一般の政
務に通じて盛んになりつゝあるデモクラシーの傾向に外ならない。
 デモクラシーと外交との関係は、之れ亦一個独立の興味ある研究問遺であるけれども、之を詳論するは予輩の
今問題とする所ではない。唯滋には次の二つの点を明かにして置きたい。第一はデモクラシーは外交に向つて国
民的利害に立脚すべき事を要求する事で、第二はデモクラシーの盛んになるの結果として、国民自身がもはや外
交其物に対して無関心なる事を得ないといふ事である。此両方の要素は自ら内政事務に対する参政権の要求の如
く、人民をして外交事務に干与せんと欲するの希望を促すものであるが、唯此希望は内政の場合の如く、制度の
上に自由に発表するの機会が与へられて居ない。従つて外交に対する人民の干与なるものが、制度の上の問題と
しては極て微弱である。けれども若し人民全体の智見が相当に高ければ、其道徳的勢力の当局者の施設を牽制す
るの度合は、亦相当に強きものあるを見るのである。政府の外交方針に対する民間の批難は支那に於ても非常に
強い。けれども政府が殆ど之を無視して勝手に振舞つて居るのは、民智総じて未だ甚だ低きが為めである。此点
に於ては我日本も亦支那と相去る事遠くはない。従つて外交事務の処理は比較的今尚秘密裡に裁決せらる、の状
態にある。けれども欧米の諸国に於ては頗る之と趣を異にし、政府の外交政策に対する道徳的牽制カは、制度上
の無勢カなるに反比例して意外に強きものがある。其結果外交政策は内政の場合のやうな法規上の拘束からは自
由であつても、輿論の実際上の拘束を受くる事頗る大なるものがある。であるから現代此等諸国に於て外交は、
君主の個人的欲望を満足するが為めになさるゝといふ事はない。十九世紀初頭の欧洲の大乱は或は之を那翁の個
人的野心に淵源すと観るを妨げないかも知れない。廿世紀初頭の今次の大乱の淵源をカイゼルの野望に帰するは、
うう7

川.汁.−
断じて正しき歴史的見解ではない。又今日の外交は宰相の出来心によつて決せらるゝといふ事も無い。或奇矯な
る歴史家は普仏戦争の原因を以て、那翁三世に対するビスマルクの私怨に帰した。或夏ビスマルクが妻君と共に
             やす
ある温泉場のホテルの庭に憩んで居つた時に、其前を通り懸つた一人の立派な紳士が、紳士に有るまじき軽蔑の
態度を以て、ビスマルク夫人の足の大きいのを笑つた。怪しからん奴だが誰だらうと尋ねて見ると、後に那翁三
世となつたルイ・ボナパルトであつた。此時の怨みが後の戦争の原凶だと説くのは、一場の座談としては面白い
けれども、現代の外交上の重大な出来事が、単に個人の出来心に左右さるゝと観る点に於て誤つて居る。国の組
織に於て極めて重要な地位に居る人の三竺行が、国の運命を動かす上に極めて重大な関係を有つて居る事は争
はないけれども、今日の外交を以て全然国民の輿論と没交渉に動くと見るのは大なる誤りである。当局者が国の
行動を右に向けんとして右に向くのは、右に向く丈けの素質が国民の中にあるからである。右に向く素質が強く
国民の中に潜在する以上、当局者が初め左に向けようとして舵を執つても何時か知らん右に引つ張られて行くと
いふ結果になる事が珍しくない。故に現代の外交は其時々の短かい時間内の経過について観れば、時の当局者が
此問題について何を考へて息るかを研究する事が必要であるけれども、永きに亙る全体の外交的経過の判断には、
当該国民の考が何処にあるかを研究するのが何よりの急務である。支那や日本の外交を論ずるには、寺内首相・
            だんき ずい ひようこくしよう
後藤外相乃至元老諸公若くは段祓瑞・鴻国埠の諸公が、何物を其脳中に画きつ、あるやを知る事が相当に必要か
も知れない。けれども欧米の外交を達観するに当つては、其国民的思想に多少通ずる所あれば、ロイド・ジヨー
ヂやウイルソンやポアンカレーやの頭脳は已むを得ずんば之を不問に附しても妨げはない。否、彼にあつては此
等諸公の思想を知る事が即ち其国民の思想を知る事になるが、我にあつては上記先輩諸公の思想を研究しても、
現代国民の思想の那辺にあるかは全く分らない。要するに所謂近代拘家を以て居る所の諸国の外交政策の底流を
うう8
秘密外交より開放外交へ
なすものは国民の思想である。国民の思想は之を隠す事が出来ない。是に於て外交に秘密といふ要素が大に減ず
る事になる。之れ制度の上に幾多の故障あるに拘はらず、近来の外交が実際上段々開放的に進みつゝある所以で
ある。
 右述ぶるが如く今日の外交は葦当つては個人によつて動かさるゝ、が結局に於ては国民によつて動かさるゝ。
個人によつて動かさるゝ部分と国民によつて動かさる、部分との釣合は、国によつて一様では無いけれども、個
人的要素の重きせ為す国に於て程外交を包む秘密の雲は深くなる。而して近来の外交は段々個人的要素が薄らい
で、国民的要素が深くなりつ、あるが故に、昔と今とを比較して見ると、吾々は種々の点に両者の相違を見出さ
ざるを得ない。昔は君主宰相の運命と国家の消長とは非常に密凄なる関係にあつた。両者の密凍なる関係にある
事は、固より一概に非難すべき事ではないけれども、例へばシャーレマン大帝の彗と共に彼の大帝国が四分五
裂し、豊臣秀吾が死んだからといつて朝鮮征伐といふ兎も角乾坤一榔の国家的大事件が忽然として中止せられる
などは余り感服した事ではない。明君賢相の輩出して国家を率ゆるは固より望む所であるけれども、国家の仝運
命を其一身に繁らしむるは、少くとも今日に於ては好ましき事でない。幸にして国民的要素は今日大いに伸張し
た。一個人の運命の外に立つて国家的大事件が支障なく遂行され得るといふのが現代の特徴である。此今日と昔
との相違の点は政治上の暗殺が少くなつたといふ事にも又あらはれて居る。個人的要素が重きをなして居つた時
代には、列国の明君賢相を暗殺する事は、国家競争上の最も有力なる武器であつた。今日に於ても暗殺が多少の
損害を与ふる事は云ふ迄もないけれども、之に依つて敵国を根本的に屈服する事は出来ない。何故なれば往時に
於ては暗殺は即ち総ての計画の源泉を絶づ事であつたけれども、今日の暗殺は偶々一個の優秀なる実行者を失ふ
                      こんこん
事であつて、計画の源泉は国民の思想の中に涼々として尽さざるものあるからである。昨今でも政治的暗殺と云
うう9

ふ事実は全く無いではない。けれども此れ等は支那のやうな今尚個人的要素の重きをなして居る国に行はる、か、
又は伊藤公の暗殺の場合の如く彼を失ふ事に依つて日本の対韓政策を根本的に覆し得べしとする旧式の迷想に出
                      ギリシア
づるかを外にしては、先年希隠王の暗殺、又は遡つて米国大統領マツケンデーの暗殺の如く無政府主義に出づる
ものか、又は襖旬国皇儲殿下の暗殺の如く、極端なる民族的反感に基く自暴自棄的行為に出づるものであつて、
全然政治上の積極的目的を達せんが為めになされたる例はない。更にもう一つの往時と今日との差の著しい特徴
                                              イギリ ス               フ ラン ス               ス ペ イ ン
は、各国王室の親族関係の外交上の意義である。昔は英青利のヘンリー七世が仏蘭西の庄追に対して、西班牙の
   か                         めと
助力を籍らんが為めに、其子の為めにチヤーレス五世の妹を穿つたと云ふやうな政略結婚が盛んに行はれ、支那
で有名な彼の王昭君が今日漠宮を出でゝ明日胡虜に嫁したのも、各統治者の親族関係の開拓によつて外交上の目
的を達せんとしたものである。然るに今日に於ては、各国王室間の結婚に附せらるゝ政略的意味は大いに薄くな
つたのみならず、又事実斯かる親族関係は最早や国民的外交関係の自然の進行に殆んど何等の影響も及ぼす事も
出来ないやうになつた。視よ、英独両国皇帝は最も近き従兄弟の間柄ではないか。ウイルヘルム二世の母はジヨ
ーヂ五世の父エドワード七世の柿である。露国の廃帝ニコラス二世の如きは英独両国皇室と又最も密接な関係に
ある0露帝の母はポ痢の前の王クリスチアン九世の娘であつて英帝の母の妹である0而して独帝の祖父ウイル
ヘルム一世の妹は、露国廃帝の祖父アレキサンダー二世の母であるから、少し遠廻はりではあるが叔父甥の関係
にある。此等の関係が今度の戦争の勃発に際して、殆んど何等の影響を及ぼさなかつた事を考ふれば、蓋し思半
ばに週ぐるものがあらう。
 斯く云へばとて外交上明君賢相の活動すべき余地が全く無いと云ふ意味ではない。兎に角直接に外交の局に当
つて策を樹て事を司る者は、明君なり又賢相なりである。少くとも制度の上に於ては局に当る明君賢相は、外交
う40
秘密外交より開放外交へ
事務の処理に就いて相当に広き行動の自由を与へられて居る。併しながら客観的に観て彼等は果して全然自由の
行動を執つて居るか。否、事実は自ら之を意識して居ると意識して居ないとの差はあれ、彼等は又実に人民の輿
論に左右されて居るのである。故に外交上の永い経過を一個の事実として客観的に観察する時に、我々は大体に
於て今日の外交は個人的出来心によつて渦導せらるゝにあらず、国民的支配の下に動くものであると云ふ事が出
来る。一個人の出来心は比較的に変り易い。国民の思想は其大本に於て容易に動揺するものではない。斯くして
今日の外交は総べての文明国に通じて、二疋の軌道の上に走つて居ると云ふ事が出来る。故に昔の外交の歴史は
単に変転常なき嘗実の連続的記述に過ぎなかつたが、現代の外交史に至つて、初めて略ぼ一定の理路を辿る一個
の学問となるに至つた。斯の如き時代の外交に秘密の要素の著しく減却するに至るは怪むに足らない。
      (三)

 個人の出来心は変り易くもあり、又隠す事も出来る。従つて秘密を伴ふは免れない。斯くて外交は本当の腹を
示さず、巧妙なる辞を以て表面を粉飾するを事とするに至る。所謂外交的辞令の称ある所以である。之に反して
               たやす
国民的意潜は短日月の間にさう容易く変るものでもなければ、又よしんば必要があつても、さう何時までも隠し
了ふせるものでeない0従つて秘密あるを許さず、又秘密あるを得ない0斯くして巧妙なる辞令を弄ぶ事が外交
界に段々流行しなくなる。此点は今日未だ十分徹底しては居ないやうだけれども、兎に角最近の外交界の風潮は
虚飾の辞令を避けて、事実を卒直に表明するを尊ぶやうになつて居るではないか。
 併し斯くの如きは実は最近の事であるb昔は外交と云へばしらぐしい嘘を言ふ事と極つて居つた。或人はデ
プロマシイの字義を解して二枚の舌と云ふ意味であると説いた。今日我々俗用の言葉としても、出鱈目を云つて、
う41

」めちら こちら
彼所此所を巧みに操つて歩くものを外交家的など、云ふ事もある。併し本当の外交界に於て雪を墨と云ひくるめ
るやうな風潮は近代に於て実はビスマルクから初まると云つていゝ。成程最近の歴史に於てビスマルク程友を欺
                         ゆる
き、人を売つた者はない。けれども彼には尚恕すべき所がある。何故なれば彼が苦肉の計を設けて嘘偽りで独逸
                       ヽ ヽ ヽ
の外交政策を堅めたのは専ら、やつとの事で出来上つた足弱の独逸新帝国を少しでも安穏に育て上げんと欲した
          わも                                                                   オーストリア
からである。惟ふに彼が独逸帝国建設の大業を成就するまでには随分無理をした。之が為めに彼は一度嗅太利と
      やが                 」ノ ロ シ ア
千曳を交へ、躾て又仏蘭西と戦端を開いた。国内には普露西の統制を快しとせざる獅子身中の虫も少くない。内
外に幾多の弱点を有する新興帝国を守り立てる事は、彼にとつて一通りの苦心ではなかつた。而して彼は出来る
丈け敵を少くし、又到底両立し得ざる仏蘭西を外交的に孤立せしむる為めに、余儀なく或は露西亜を売り、或は
襖太利を欺いたのであつた。斯くして彼が大いに欧洲外交界の風気を混濁したる罪は免るゝ事は出来ないけれど
も、而かも其衷情に立ち入れば尚一片恕すべき点がないでもなかつた。然るにビスマルク以後の欧洲外交界の当
局者は、彼の一面の成功に眩惑して、恐らく彼の本意に非らざる之の一面に争うて倣つた。斯くして欧洲外交界
                    かつさ
は、巧妙なる辞令の交換の中に隠険なる乾詐を包み、秘密の中に他国を出し抜かんとするを競ふやうになつた。
而して最近に於て此流儀の最も著しい外交家は、前の襖旬国外相エーレンクールである。近代の外交家中彼ほど
平気で、無い事を有ると云ひ、有る事を無いと云ひ得た者はなかつたと云はれて居る。史上で有名な出来事とし
                                           ト ル コ
ては、一九〇八年のボスニア・ヘルツエゴヴイナの合併事件を挙ぐることが出来る。同州はもと土耳其に属し一
    ベルリン
八七八年の伯林条約に拠つて襖包囲が其地の統治権の行施を委任せられて居つた事は人の知る所である。而して
条約によつて定められた此関係に何等かの変更を加へんと欲せば、必ず該条約調印諸国の同意を得なければなら
ない。而してエーレンタールは我同盟国のみの同意を以てしては不十分なるを思ひ、時恰かも蕗国外相の来遊せ
う42
秘密外交より開放外交へ
るを幸とし、ダーダネル海峡通航権の獲得に助力すべきを約して以て露国を誘ひ、且つ露国を通して又仏蘭西の
                                            ウィーン
内諾をも得んと欲した。然るに彼は斯かる堅い約束ありしにむ拘らず、露国外相の維納を去つて未だ巴里に入ら
ざるに先ち、急遽ボスニア・ヘルツエゴヴイナの合併を単独に宣言して欧洲を驚かした0此事件が今度の戦争に
深い関係を有する事は今之を説かない。唯斯の如き遣り方を以て外交上の成功と自負した人もあり、又時代も有
つた事を記憶すれば足るのである。
 併しながら所謂ビスマルク式の外交は幸にしてエーレンクールを以て終りを告げた。彼の死は一九一三年二月
十七日であるけれども、前年の春以来眼疾の故を以て其職を退いて居つた。彼の後任ベルヒトールドは彼程欧洲
                             ざんぜん
の外交界に重きをなさなかつた。而して彼の退隠後欧洲の外交界に斬然頭角を表はした者は、英のエドワード●
グレI、仏のポアンカレIである。而して一つには此両公の個人的人格にもよわ∵又一つには時勢当然の風潮に
も基くことであらうが、彼等に依つて指導せらるゝ欧洲外交の新局面は、最早や虚飾的辞令を弄ぶ事を許さず、
出来る丈け卒直に其所信を披涯せねばならぬやうな形勢を作つた。之より欧洲の外交は著しく秘密の雲から取り
出されて、国民の眼前に開放さるゝ事になつた。固より開放的外交に成り切つたとは云はない0けれども今日の
外交界の傾向が往日と全く面目を異にして居ると云ふ事だけは争ひ難い。而して此傾向がウイルソンが米国の首
脳となるに及んで著しく助長せられた事も亦争ふ可からざる事実である。


      (四)
 今日の外交が事実上開放的になつたと云ふ事は、必ずしも法制上更に一歩を進めて、外交を輿論の支配の下に
置べしといふ結論を導く訳ではない。外交上の最終の決定権を上院に置くと云ふ米国の現制に一歩を進めて、更
う4う


に下院に此権限を認むべしと云ふ議論は、一部の極端なるデモクラットの間に説かれないではない。此論の是非
に就いては自ら別に論ずるの余地はあるが、併し民智の程度高まり従つて民間輿論の道徳的勢力が盛になれば、
制度の如何に拘らず、外交を国民的支配の下に置くの目的は達せらるゝ。故に差当つて我々の希望する所は制度
                                               わ一それ
の改革よりも民智の開拓である。人或は云ふ、民主的外交は政策をして変転常なからしむるの怖ありと。併しな
がら民智の相当の高き国に於ては、外交政策を常なからしむるものは、寧ろ之を個人的支配の下に置く場合であ
ることを知らねばならぬ。
外交が個人的秘密裏より、国民的指導の下に開放せらるゝ事の、政治上の効果に就いては今滋に論ぜ頂い。滋
には只秘密外交が漸次開放外交に進む実際上の傾向を記述するに止むるのであるが、此点に就いても一つ注意す
べき事は外交其物の解放と共に、外交当局者の解放と云ふ事が、又見逃し難い最近の一新傾向であると云ふ事で
ある。如何に外交其物が解放されても其局に当る者の撰択の範囲が極めて狭きに限られて居ては、開放外交の実
は十分に挙らない。然るに不幸にして従来外交当局者の撰択の範囲は極めて狭さに限られて居つた。其最も主も
なる原因は、今日の外交に伴ふ種々の形式は往昔の宮廷外交の伝習に支配せられて居るの結果である。所謂外交
的典例が実際上の外交事務の重要なる一部をなすが故に、第一此等実質的無意義の典例に特に通ずる者でなけれ
ば外交官たるを得ざる慣例を作り、第二には社会的栄爵を有し蒙著なる生活に堪ふるやうな貴族富豪でなければ
成功しないと云ふやうな風潮を作つた。現に8本でも金の無い者は外交家になれないとか、え爵の無い者には早
く爵を与へてやるとか云ふ実例が有るではないか。斯くの如きはもと往昔の宮廷外交の余弊で有つて、今日之に
拘束されて適材を抜擢し得ざるは極めて遺憾の事で有るけれども、各国共通に守る所の典例に背くは、又人情の
能く断行し得ざる所と見えて、各国何れも此点に一大改革を加へんとする者は無かつた。而して最近に於て此風
う44
秘密外交より開放外交へ
習に向つて→大鉄砲を加へた者はウイルソンである。何をか一大鉄槌といふ〇一九一三年四月無資無産の一新開
記者ウォルタ!ハインス・ペーヂを挙げて英国大使に任命した事が之れである〇一体英国駐在の大使は、米国
外交官中でも金のか、るを以て闘えた役目である0俸給の外毎年数十万の私財を投じ得る者でなければ此任に就
き得ない。任も重いが又金もかゝる。然るにウイルソンは就任の初め此地位を基督教青年万国同盟の幹事モット
氏に提供した。モット氏の之を拒むに及んで、彼は転じてペーヂ氏に白羽の矢を向けた0従来の慣例を知れるペ
                か亡つか
−ヂは初め此申出を受けて、人を椰輸ふにも程があると云ふ風に考へた0けれどもウイルソンは適材を適所に置
くの趣意に拠つて、彼を抜擢したるの意を明かにし、一億二夕の夜会に数万の金を使ふとか、又入つては綺羅を
飾り、出づるに車馬を駆らねばならぬと云ふやうな儀礼が間違つて居る0人を招待しても誠意さへ通れば茶漬に
沢庵の御馳走でも事足るではないかと云ふやうな説明を開くに及んで、彼も其卓見に服し快く其任を受けたと云
ふ事である。ウイルソンが其他各方面の大使公使の選択に如何なる用意をなせしかは今一々之を承知せざるも、
兎に角彼が従来の典例儀式に囚へられず、全然能率本位に人才を抜擢して居る事丈けは明かである0従▲つて之に
拠つて外交界の儀式典例が、幾分か旧来に比して単純化されつ、ある事は略ぼ想像する事が出来る0昔は外交官
と云へば有爵高位の貴公子でなければならないとせられて居つた0今は平民でも外交官たる者少からず有るけれ
ども、尚彼等の多くは他の官吏に比して不当に早く爵位を授けらる、か、又は少くとも任地に有つて貴族的生活
を営まねばならぬと考へて居る。平民が平民の生活を営みつ1外交的折衛に与へられたる使命を全うすると云
ふ意気は、今日諸国の外交界に未だ著しく横溢しては居ないけれども、ウイルソンに依つて初められたる運動は、
必ずや漸次其波動を及ぼさずしては止むまい。
斯くして余輩は外交其物が秘密より開放へ、又外交当局者が貴族的より平民的に進み、総ての国際的交渉が直
う4う

裁簡明なる手続きに依つて取り纏めらる、事が、現代の動かすべからざる趨勢なりと認むるものである。
                                        〔『中央公論』一九一入年七月〕