無産階級の陣営に於ける内部闘争



 文部当局の研究自由圧迫方策に対して多年極力反抗の共同戦線を張つて来た学者思想家教育者評論家の間に、
                                     わわ
去年の学生大検挙事件の発生以来漸次悲しむべき亀裂の生じ始めたことは蔽ひ難い事実である。文部当局の取締
手段を否とし殊に学生の行動に関し大袈裟な検挙拘留を以て臨んだことを遺憾とする点に於ては、今日なほ一人
の異論もないやうだ。たゞ学生の現に懐く所の思想拝に現に執る所の行動を如何に評価すべきやになると、彼等
の間に著しき見解の相違あることが昨今明白にされたのである。
 学者思想家等の一団は、その始めひとしなみに青年学生の社会科学研究には多大の同情を寄せてゐた。之を抑
圧せんとする文部当局の時勢を知らざるの甚しきには、憤りもし又呆れもした。従て事ある毎に彼等は無条件に
学生側の味方であつたのだ。それが検挙事件の顛末を開くに至つて少しつゝ変つて来る。固より社会科学の研究
                        な
に従事する青年学生の誠実と熱意とには今彷ほ多くの同情を寄せては居る。が、その懐砲する思想と現に為し
っゝある行動とを開くに及んで、彼等の或る者は実に意外の感にうたれたのでぁる。尤も一部の人の意外とする
ものを、他に徹頭徹尾賞讃に催すると観て居る人もないではない。要するに斯くして学生の思想行動に対する背
                            い“す
者思想家等の評価は昨今大に動揺を来して居る。二つの立場の孰れを正しと観るべきかは別に論ずるとして、斯
うした事実の存在することだけは今日何人も之を認めずばなるまい。
 この点に於て学友新居格君が『新潮』一月号に寄せたる「共産主義党派文芸を評す」中の次の一節の如きは、
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最も注目に催するものであらう。日く「学生は社会科学研究の名に於いてコンミユニズムを研究する。学徒とし
て社会科学を研究して居ると云ふよりも、青年コンミユニストを以つて任じながらコンミユニズムを研究して居
                                       ばうあつ
ると云ふのが当つてゐる。それに対する庄追の手が下れば、学徒としての研究の自由を防過するのだと抗議する。
彼等は楯と矛との二つをもつてゐる。楯の方が学徒としての研究の自由であつて、矛の方がコンミユニズムの研
究である。私はしかしその態度をむしろ怯なりと見る…=・社会科学研究会に当局の庄追が来ると、明らかに共産
主義を奉じてゐない左傾思想者をも誘ひ込んで、共同して抗議しようと提議する」云々と。新居君のこの説明に
は私も或る点まで同感の意を表するに躊躇しない。之と同じ様な感想をいだく人は世間にまだ沢山あらう。要す
るに青年学生の社会科学研究は、その内容を純共産主義に限局しその行動の方針を純共産主義的戦術に塗りかた
めた点に於て、今や盛に識者の問題に上つて居るわけである。
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 同じ様な立場から来る評価の相違は、無産階級の政治運動に付ても起つた。昨年の後半季労働農民党の分裂よ
          そうしゆつ
り多数の無産政党の族出を見るに至るまでの経緯は、一時世人をして大にその去就に迷はしめたのである。単一
無産政見主義の文字通りの賛成者でないまでも、無産大衆の出来るだけ広汎に結束すべき必要のあること、殊に
                              きよ・ワニ
政治上経済上その要求を十分に貫徹せんが為には輩固なる共同戦線を張らねばならぬこと等は、何人も異議を唱
へぬ所であつた。所が実際に於てそれがどうも旨く行かぬ。局外の傍観者ははじめ之を無産階級の無教養に帰し
た。或は相争ふ当事者の一方の主張をきいて、左翼進出がわるいの右翼の消極主義がわるいのと云つても見た。
併し結局問題は所謂共産主義の思想及び戦術の良否如何といふことに落ち付いたではないか。斯く考へて見ると、
無産階級の政治運動に就て、同一の行動に対し相異る評価の附せらるるに至つたのも、その根本抗和がば学生検
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挙事件に於けるものと殆んど異る所はないのである。
 若し夫れ文芸の分野に至ては、之に類した論争は既に数年前から開始されて居る。而して社会科学研究の問題
                               きど)
ゃ無産政党の問題の論議に促されて更に一層強く闘はるべきの萌しは、昨今既に一層著しく顕はれて居る。同じ
く『新潮』一月号に出た林発未夫氏の巻頭論文「笛吹けども踊らず」の如きゼ」の意味に於て頗る注目に催する
ものと思ふ。
 斯う云ふ新しい現象に対して所謂共産系の人達が極度の憤激を示すのは亦之を察するに難くない。彼等は定め
て今後数ケ月間は丸で狂気の如く反対派の人々を悪罵するに全力を傾けるだらう。自分の意の如くならざるにい
ら〈するのも尤もだが、社会改造の唯一の正しい途は自分達の砲挿する所の主義だけだと盲信して居る所から、
自分に反対する者を目して直に社会改造に全然熱意なきものと断じ去り、心から之を憤慨するのも考へて見れば
いさゝか同情に催する。併し本当の社会改造の方針は斯うした彼等の頭の中から出て来るものではない。彼等の
開から彼等に疑を差し向けるものが起つて始めて段々本当の光が現れて来る。彼等の奉ずる弁証法から云ても、
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彼等の陣営に内部闘争の始まるのは亦必然の一過程だといふべきであらう。反を伴はざる正だけでは、一段の高
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い綜合は得られない。
 私の古い経験をいふと、日露戦争直後我が国に社会主義の大に勃興した当時、私は或る雑誌に拠て盛に社会主
義の思想的基調を攻撃したことがある。すると幸徳氏の一派は大にいきまいてそんならお前はこの社会の惨状に
日を蔽ふのかと逆襲して来た。そこで私は社会主義の主張は社会閏遺存在の認識その事とは違ふ旨を弁じ、解決
を要する問題の存在を認めるからとてその解決案の一種たる社会主義を奉ぜねばならぬ道理はなく、社会主義を
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奉ぜぬからとて社会問題の存在までを否認するとされては甚だ迷惑だと答へたのであつた。新しい運動の初期に
於てはとかく斯うした誤りが繰り返されるものと見える。今日でも共産系の人達の言ひ分に少しでも反対すると、
直に無産大衆を裏切つてブルジョア階級の走狗となるものだなどと痛罵を浴せる。つまり共産主義者の命令を奉
ぜざる者に対しては、直に無産階級の利福をはからざるものと折紙をつけてしまうのだ。此派の人達の頭は、社
会主義と社会問題の存在の認識とを混同した素朴な当年の社会主義者と比較して、果して今どれだけの進歩を見
せてをるだらうか。
 幸にして世間は馬鹿ばかりでない。社会一般の進歩に連れて無産階級の友を以て任ずるものの頭も大に開けて
来た。斯くして始めて無産階級の本当の利福は正しく営まれ得るに至るのだらう。昨今無産階級の陣営内に所謂
                                                  やや
内部闘争の盛ならんとする傾向あるは、一面に於て喜ばしい現象と云はねばならぬ。只その争ひが動もすれば醜
悪なる人身攻撃に堕するの嫌あるは遺憾至極だけれども、併し之は無産階級に限つたことではなく、謂はば日本
人共通の欠陥として別に救済の道を講ずべきものであらう。之あるが故を以て内部闘争を無理に阻止すべき理由
              こ
は竜末もない。況んや斯は実に無産階級の発達に避くべからざる必然の一週程なるに於てをや。
                                          〔『中央公論』一九二七年二月〕
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