米国の世界政策構成の主要素


 ア メ 」リ カ
 亜米利加の村世界的態度については我国に二種の誤解がある。一つは傍若無人に我俵を押通さうとするのが米
                   な
国流だとする考で、他は米国は今尚ほワシントン、リンカーン以来の正義公道を以つて立つ国だとする考、是れ
    キ爪ソスト
である。基督教会の先生方などは、其摸する宣教師などを通してのみ米国を観、其最近の社会的経済的発展の状
             やや             やす
態に余り注意しない所から、動もすれば極端な楽天観に陥り易い。然るに他の一方には米国の最近の態度を皮相
的に観、殊に日本に対する彼等の反感を気に病み、且又吾々同胞をして常に緊張した気分に在らしめようとする
                                                            も
考なども加はつて、此次ぎは米国と衛突するのだなどと説き廻るものもある。常に仮想敵を有たなければ国民の
元気は作興し得ないなどと考へて居る連中は、得たり賢しと米国の脅威を宣伝し廻る。是等の二つの考は共に米
                                                すこぶ
国を、少くとも其対外的態度を正当に解したものと云ふ事は出来ない。米国の対外的態度は云ふまでもなく頗る
傍若無人である。全然吾々に取つて脅威でないとは云へない。然し又米国を以つて直ちに吾々の敵と視るのも誤
りだい米国には又確かに正義人道の基礎に立国の方針を置かうとする有力なる団体もある。只、是等の思想が実
際政治の上に如何に消長するかが開演である。是等の点について予輩の考ふる所を極めて簡単に述べて置かう。
米国の対外的能伽度が常に世界的である事は昔から著るしい特色である。建国の精神から云つても、世界の虐げ
られた人々に自由の■天地を提供せんと云ふのが趣意であつた。従つて米国には民族といふ観念が無い。来る者は


、王








一凶

                       すべ
拒まず、米国に来た者又米国で生れた者は、凡て米国人とするといふ建て前であつた。近頃排日問題の如きが盛
んに起つて、之れとは反対の趣を示すやうになつたけれども、之は他の特殊の原因に由るもので、前の原則は依
    かわ    つま
然として漁らない。畢り米国民族の純正を保たんが為め(否、米国民族なるものが初から存在しない)ではなく、
米国の国土に於ける或る理想の実現を傷けられん事を恐れて排日運動をするのだ。よし之れが誤解であるにしろ、
                                           と・も
兎ペ角米国といふ土地を或る理想の発現地として、世界の人と倶に楽まうとする根本思想は之れを疑ふ事は出来
                                           しばしば
ない。此点に於いて排日閏選を人種間是だなどと説ぐのは極めて浅薄な考へである。此事は現に屡々本誌上で逢
             わた
べた事もあるし、又余談に亘るから今は是れ以上説かない。何れにしても米国建国の趣旨は世界の人々の為に米
                                         はたら
国を経営するのだといふ理想を取つて居り、而して此精神は今日に於いて尚ほ有力に活いて居る事は疑を容れな
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1
い。
                                        あち
 従つて米国人のやる事は何をやつても着眼が世界的だ。今日公私両面を通じて凡ゆる世界的運動を列挙して見
たなら、恐らく其大半は米国に発祥すると云ふてよからう。是等の点も一々証拠を挙げる煩累を避ける。斯くし
て彼等は又自ら世界の問題を自分の問題とする気分になる事も当然だ。此態度は今度の戦争並に講和会議に対す
                  上【
る米国の関係を考へて見れば瀧く分る。要するに米国は本来何事を考へるにも世界的に思索し又判断する。他の
                                                         lのた
国にも斯ういふ態度は見られないではないが、米国程著るしいものは無い。米国の対外的態度を観察するに方つ
て、先づ此事を念頭に置く必要がある。
                 ど   ただ
斯う云ふと人或はモンロー主義は何うかと質す者があらう。モンロー主義の当初の精神は朗乱数大陸の事には
特に関係しないから、米大陸の事には欧洲諸国から干渉して貰ひたくないと云ふに在る〇一種の門戸閉鎖主義で
ぁる。問題を一地方に局隠するといふ能産である。之は確かに世界的な考へ方と相客るゝものではない。之が米
くノ
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1

国外交の伝統的根本原則だとするなら、之と其世界主義とは如何に調和する事が出来るか。
 モンロー主義を其起原について考へて見ると、之は当時欧洲の神聖同盟が米大陸の植民地に干渉して、自由主
義の運動を撲滅しょうとしたから、之を放任すると米国の理想が傷けらる、といふ事を大いに恐れたからである。
従つて単純に自分の事は自分で処理するからといふ自主独立の態度を形式的に主張したのではなく、自由といふ
 理想の実現を少しでも傷けまいといふ内容を有つて居つたのである。無論モンロ主義は其後全然濫用されない
 とは云はれない。けれども其当初主張せられた根本観念から云へば、彼等が最も大事と考へた自由の理想の実現
 の為めに已むを得ず唱へたもので、此息に於いては排日閏警同じく、実際の事情に促されて已むを得ず取つた
      や
 主義なのである。唯斯う云ふ主義は壷び実際の社会に因ると根本の理想から切離して形式的に又部分的に固執
 せらる毒はある。或る疾を癒す為めにコカインを注射する事が度び重なると、遂に其疾が癒つた後までも其注
             やまい なお
 射を続けねばならぬやうな状態になるのと同様である○根本の理想に柑する執着が弱いと、遂に是等の形式的な
 部分的な原則によつて週まらる、が、有繋に米国の根本精神たる世界主義は常にモンロー主義と闘つて、必要以
                    きすが
 外に此主義の抜慮を許さない。現に今度の戦争に米国の参加したのは、明白にモンロ主義の要求に従つたもの
       ばつこ
 ではない。実際の政界に於いては、何処の国でも、いろ〈矛盾した主義が雑然と行はるゝ事が免かれない。短
 い時期を限つて見れば、其間には矛盾もあれば混乱もある○只吾々は其間に何れの主義が正系であり、何れの主
/義が傍系であるかを区別して、結局に於いて強く米国を率ゐる思想の何たるかをはつきりと見定める事が必要だ。
 此点に於いて予輩ゼンロ主義は漸次世界主義によつて洗練せられて行くものと信じて疑はない。而して此事
 はモンロー主義の歴史から観ても断定は出来ると思ふ。
  更にもノつ考へねばならぬ事は、最近米国に於ける所謂ナショナリズムの勃興である。独自扁の見を主張し
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国際聯盟の加盟を拒んで居る態度などを見て、米国はもはや世界的精神を捨てたと説くものがある。然し予の観
    よ
る所に拠れば、之も亦大いなる誤りだ。所謂ナショナリズムといふ考へ方には三つの種類がある事を注意せねば
ならぬ。一つは偏狭なる我意を主張するもので、初めから竃も他と共同する考を欠くものである。米国の国民主
義は少くとも其種類に属するものではない。第二は自国民族の世界文運の進歩に於ける使命の自覚から、自家の
見識の世界に尊重せられん事を要求し、之が為めに少しも他に譲歩する事を耶せざる能産を云ふ事がある。戦前
 ドイツ
の独逸は確かに此主義を極端に押通したものと云へる。米国に斯かる考へが無いとは云へない。けれども米国に
於ける最近のナショナリズムの考は、之れとも亦少しく趣が違ふやうだ。滋処に於いて第三種のナショナリズム
               、ノ
を考へなければならない。そは共同の問題は共同して定める○之が為めに必要とあれば犠牲も払ふ。戦前の独逸
のやうに強いて自我を主張しない。けれども共同に多数決で定めた事だから其儀之け盲従するといふ事はしない。
何うせ同じ結果になるにしても「いよ〈斯うすると云ふには、やはり最後の決定を自分でする事にしたいと云
ふのである。米国の最近の態度は即ち此処に在るやうだ。例へば国際聯盟規約第十条に関する議論を見ても、欧
洲に事変が起つた時、蝕くまで出兵を拒むと云ふのではない。必要あらば出兵もする。けれども理事会が定めた
からとて出兵の義務を生ずるのは困る。出兵の必要及び其範囲は皆で相談して定めた理事会が之を指定する、そ
    ●
れは宜しい。けれども確実に出兵の義務を負ふのは、米国の議会で之を議定んた上の事にしたいと云ふのである。
国際聯盟に対する米国の態度も究極する所此点に在ると観てい、。而して米国は何故に斯う云ふ態度を固く執つ
           ひつきよちノ
て動かないかと云ふに、畢尭欧洲諸国の国際的思想に疑を抱いて居るからであらう。英仏諸国が真に国際平和の
進捗に誠意ありや、或は国際平和の名の下に聯盟を利用して自国の利益を図らんとするのであるまいか。此疑惑
には予輩も多少の根拠ありと信ずる。然らばうつかり理事会の決議にも盲従し得ないではないか。本当の国際平

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〕「

              だ
和の精神に忠実であればある丈け、自家独立の見識を固執せんとするに至るは当然である。斯う云ふ所から米国
                       ねが
の昨今の国民主義は、其世界主義の本当の実現を翼ふ所から起つたと云つてよい。米国が斯ういふ態度を執つて
居る結果、如何に英仏諸国の我佳を牽制して居るかは、対独賠償問題ヤシレジア問題などにも顕はれて居るでは
ないか。
 之を要するに米国の対外態度の世界的なるは、昨今殊に鮮明を極めて居る。ウイルソン時代に於いてもさうで
                                            そしり
あつたが、ハーデイングの時代になつて更に一層露骨になつた。無遠慮の諌は免がれない。けれども其情実に
斬肝せざる点に於いて、正々堂々の態度を多とせざるを得ぬ。日本は或る意味に於いて表向き米国と反対の立場
                 〔直〕
に立つて居るやうに見えるので、動もすれば之を□祝し得ざるの嫌ひはあるが、少しく冷静に観察すれば、恐ら
く何人も此点については予輩の観察を疑ふものは無からうと思ふ。
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世間には能く世界的といふ事と正しい事とを混同するものがある。(尤も世界的だと云ふ事を感情的に嫌ふ者
                                                   よしあし
もあるけれども。)然し世界的だと云ふ事は唯其態度を云ふので、世界的に振廻すところの物の善悪はまるで別
                                             ちよろノりよう
な、所謂内容の問題である。戦前の独逸は其侵略的軍国主義を以つて世界的に跳梁した。米国の対外策の世界的
なるは此意味に於いて憎むべきものなるか何うか、彼は如何なる内容を其世界政策の中に盛るのか、此点を更に
考へて見る必要がある。
 米国の世界政策の内容を構成するに与つて力ある要素は、大体に於いて三つあると云つていゝ。仮りに予は之
 な づ
を名称けて有識階級、実業家及び労働者と云つて置く。甚だ漠然たる区別であるが、是等のものが中堅となつて
代表する三つの階級に米国の社会を分ける事は、決して不当な見方ではない。









山世

一凶

 第、の有識階級は政治家、学者、論客等所謂社会の指導階級に属するもので、米国の内外に対する輿論を作る
に最も有力なる階級である。是等の階級の政治理想の根本が何処に在るかと云へば、即ち建国以来のピューリタ
ン的人道主義に在る事は疑ないと信ずる。細目の点に於いては無論いろ〈の差異はある。けれども近くはウイ
                   さかのば
ルソンにしろハーデイングにしそ又は少しく遡つてマッキンレーやルーズベルトやタフトにしろ、彼等の根本
思想が遠くワシントンやリンカーンと大いに相交渉するものあり、之を一貫する大理想の横溢すをものを看取す
るに難くない。此思想が実に米国をして大ならしめたもので、又此思想の勢力が衰へざる限り米国は永く世界に
其大を誇る事が出来る。実際問題を通じて旦別の米国を観るに方つて、吾々は常に此勢力が当該問題の取扱ひの
上に如何に清いて居るかを慎重に見なければならない。
 第二に農業家の勢力はまだなか〈米国に於いては有力である。彼等も米国的教者を受けたものである丈け、
個人としては第一種の人々と甚だしく理想を異にするものではない。けれども其資本家企業家といふ立場から、
                            とら
知らずして所謂資本主義的利害の打算に囚へられる。若し米国に昨今甚だしく侵略的色彩を其政策の上に表はす
ものがあるとすれば、そは疑も無く此勢力の影響であると云はなければならない。此勢力が国内に於いて最も大
   わぎわい                                          〔制〕
いなる禍を醸したのはトラストであつた。米国の有識階級が如何に其圧倒の為めに苦心したか分らないけ対外的
                    メ キ シ コ
方面で最近最も多く識者を悩ましたものは墨西寄問題であらう。資本家の利害を暫く計算の外に置く事が出来た
                                  いたず      ののし
なら、米墨の国交はあれ程紛糾せずに済んだらうと思ふ。一旦反感を生ずると国民は只徒らに昂奮して互に罵り
合ふのであるけれども、共基く所は資本家の利害の打算に誤られた事が多い。此点に於いて米墨の関係は丁度日
        に
支両国の関係に肖て居る。何処の国でも資本主義の抜属する所は常に侵略主義の横行する所で、米国なども対外
政策が段々変り初めたのは、丁度資本主義の発達と伴つて居るのである。米国の人道主義も怪しくなつたとか、
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                                       しかのみならす
傍若無人に利己的政策を以つて突進するとかいふ説は、実に全然根拠が無いのではない。加之、時として此第
           へいどん
二の勢力が第一の勢力を併呑して、最も露骨に侵略的政策を撮廻した事すらある。
併し乍ら最近の米国政界を見ると、一方には有識階級にして実業家階級と結托する者もあれば、又他方には之
   なが
を非として両者の連合を断ち、否、資本家的勢力の抑庄を目的として奮起したものもないではない。実を云ふと
最近の政界は此二つの勢力が相交替して政界を支配したと見てもいゝ。多くの国が有識階級と資本家階級との結
托によつてます〈禍を深くしつゝある際に、兎も角も最も資本主義の盛んな米国に於いて之が粉砕を期する勢
               たのも
カの奮起を見るのは、先づ〈頼母し・い方だと云はなければならない。
 次ぎに第三に労働階級の勢力が昨今段々勃興しっ、ある事を注意する必要がある。米国以外の国に於いては資
本家階級が余りに有識階級を併呑して禍を深くしつ、ある所から、労働階級の之に対する反感を不当に刺戟して、
今や階級闘争を激成しっ、ある。此影響は昨今米国にも及んで居る事は、夫のT・W・Wの盛んなるに見ても分
る○唯併し乍ら米国に於ては、人少くして而かも富源は尽くる所を知らず、労働者の境遇は、資本家との比較の
開港を別にすれば、先づ頗る裕福だと云はなければならない。そこで全体として労働者は欧羅巴大陸と同じやう
な意味に階級的自覚を遂げて居ない。此息に於いて米国の労働運動は一種特別のものである。従つて労働者とい
ふ独特の影響を実際政界の上に何れ丈け及ぼすかといふ点になると甚だ心細い。彼等が階級的に自覚すると、動
もすれば矯激に流れる。着実な態度で実際に重きを置かれるやうになると、考が資本家的に堕する。けれども漸
次彼等の勢力は認められて来た。而して彼等は実業家階級とは政治上の意見に於て反対の立場に在るから、彼等
が段々勢力を得る卜いふ事は、有識階級と資本家との結托に対しても有力なる対抗要素になる。此意味に於いて
 米国に於ける労働運動の将来は大いに注目に催するものと思ふ。

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…世

」国

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7

 之を要するに米国の政策の実際の方向は、資本家と政治家との結托と、並に之を非なりとする理想主義的政治
家の−群との勢力の兼ね合ひによつて定まる。実際上から云へば、甲が勝ち或は乙が勝つといふ変動はあるが、
大体に於いて米国の態度の帰する所は、此両勢力の今後に於ける消長如何によつて定まる。而して此南勢カの消
長の上に多大の関係を有するものは、即ち労働運動の将来である。予は結局に於いて第一と第三の勢力が相結ん
で遂に第二の勢力を押へるやうになるのが、大勢の帰する所だと信ずるが、唯第二の勢力が之に処して如何なる
道を取るかは今より断言は出来ない。只差当りの問題としては人道主義的政治思想もなか〈有力ではあるが、
                      み のが
資本家の勢力も亦隠然重きをなして居る事実を看遺す事は出来ない。
                                       〔『中央公論』一九二一年六月〕