戦争の基督教に及ぼせる影響 米国教会同盟の質問に答ふ
〔朋〕
此の間米国の教会同盟より我が郎邪教青年会同党を通じて、次の七ケ条の質問に対し我々の解答を求めて来つ
た。糾日本国民は今度の戦争の真の意味を、どう考へて居るか0又基督教との関係を、どう結付けて居るか0
ヴアリデイティ ニード もし ブラックティカビワテイ
糾督教の有力性、必要、若くは実 行 性に閑し今度の戦争は日本国民の思想に何等かの影響を与へたか、
轄。度の戦争は基督教に対する求道者を得る事を容易ならしむるの結果を生ずるか、又はその反対なるか、訣。
度の戦争は所謂基督教文明に対する国民の考に如何なる影響を与へたか、牛。度の戦争は基督教以外の他の宗教
ヴアイタリティ
の活 力に関する国民の確信を強めたか、又は弱めたか、轄。度の戦争は国際主義を強めたか○若し然りとせ
ば国際主義に対する福音として基督教を持ち出すの新なる機会有りとすべさや、∽戦争は社会的不安、又は
アスピレーション せんめい
向上心を促進せるや。若し然りとせば、福音の開明に就き我々の力を注ぐべき方面に何等の変更を加ふるの必
要なきや。余は之に対して次の様な簡単な答解を作らう。
、
二
先づ第ノの問題に就いて答へん。
166
戦争の基督教に及ほせる影響
今度の戦争は民主々義自由主義平和主義国際主義に対する専制主義保守主義軍一国主義帝一国主義の戟であるとは
西洋に於けると同じく我国に於ても又多くの人より唱へられた。尤も戦争勃発の発初は、或はチユートン人とス
イギリ ス ドイツ
ラブ人との衛突と云ひ、或は英書利と独逸との覇戦なりと云ひ、或は独仏両国民の多年の反感の結果なりと云ひ、
又は最近に於ける険悪なる国際関係の大波状であると云ひ、色々の解釈があつた。之等の解釈は一つ一つ皆今度
の戦争の一部の意味を説明して居るものに相違ない。戦乱勃発の表面の歴史上の原因を述べょと云ふならば之等
なが こんたい
の点は何れも等閑に附する事を得ない。然し乍ら今度の戦には、尚其の根帝に今少し深い意味があつた事は始オ
ら識者の疑はざる所であつた。唯だ之は始めあまり表面に著しく出て来なかつた。然し表面に現れなくとも、こ
う云ふもののあつた事は世界の多くの国が此の同じ戦争に共働したと云ふ事実に見てもわかる。世界の多くの国
が共働したと云ふ事は此の戦争に対して皆共通の或る重大なる意味を感じて居たからであるが、此の事は又更に
原因となつて、始めボンヤリして居た此の共通の観念を、だんだん著しくした。之を我々は戦争の目的又は意味
の普遍化又は道義化と云ふ。而して其の結果として極めて明白になつたのは前に述べた通り、民主主義自由主義
平和主義国際主義に対する専制主義保守主義軍国主義帝国主義の戦であると云ふ事である。西洋諸国にても識者
の多数が斯く見て居らるゝと信ずるが、我国にても今日にては国民の多数が此の見解に一致して居る事は疑を容
れない。
但し我国の一部には、此の見解に不服な者のある事は又見逃す事は出来ない。之にも二色ある。一つは戦争の
さ
真義をかく観察する事を承諾した上で、扱て民主々義自由主義等の勝つたのが気に入らない。矢張り国家は専制
保守の軍国的帝国主義で行かなければいけない。此の主義を代表する独逸の負けたのはどうでもよいが、其の結
果日本にも之と反対の自由平和の思想が盛になるが、これ誠に国家の為めに憂ふべしと云ふ考である。かういふ
167
考は、国民多数、殊に若い青年の間には殆ど認められて居ないけれども、不幸にして現に社会各方面に有力の地
歩を占めて居る年寄りの連中に多い。国民の考はと間はるれば、こんな馬鹿な考を持つて居るものはないと答へ
ちゆうちよ
るに躊躇しないけれども、実際政治に及ぼす勢力と云ふ点から見れば此の愚説、中々侮り難い事を自白せざるを
ゆえ ん
得ない。是れ我々が欧洲戦争と同じ意味の思想的戦争を我が国内に於て奮闘しつつある所以である。
もう一つの反対論は、平和自由に対し侵略保守の戦争と見る、其の見解に異議を唱ふる考である。其の中にも
いつわり
細かに分くると色々の種類がある。例へば、英米は民主々義を代表すると云ふけれども、英米の民主々義は偽の
民主々義、即プールジヨアジIの民主々義にして、本当の民主々義ではないと云ふものがある。更に一歩進めて、
英国などは偽の民主々義を通り越して、ネーヴアリズム(海賊主義)を取つて居るではないか。英のネーヴアリズ
ムは独のミリタリズムと其の罪竜を同じうするものであると云ふ者もある。又他方には少くとも今度の戦争にな
▲よ ね
つてから英も米も、又仏は云ふ迄もなく、皆独逸を真似て軍国主義を取つたではないか。軍国主義を取つたれば
こそ戦争にも勝つたのだ。故に負けたのは独逸の保守専制の軍国主義だけれども、勝つたのは自由平和の民主々
あらず
義には非して、之を捨てて新に取つた英米の軍国主義であると云ふ者がある。之より推して更に或る者は、英米
の勝利に依る此の戦争の結果は決して自由平和の新天地を開くものではない。戦後に於て我々は独逸の軍国主義
の様な形でないにしても、何等かの形に於て英米の侵略主義に苦しめらるゝだらうと云ふものがある。英米のデ
モクラシーを、本当のデモクラシーでないと敢て云ふのは必しも正当の見解ではない。英国のネーヴアリズムを
独逸のミリタリズムと同列に置くのは少くとも最近の歴史に現れたる限に於ては、之等を活用する精神上の主義
わわ トン′
に眼を蓋ひ、唯だ兵数や、頓数等の外形のみに捕へられた見解である。戦になつてから各国が皆軍国主義を取つ
たと云ふのも兵隊を作る事が即軍国主義だと見る、あまりに皮相的の見解である。若し夫れ英米が勝つても独逸
■
1(;8
戦争の基督教に及ぼせる影響
はつこ
が扱層した昔の如く、世界は矢張り侵略主義の為めに苦しめらる、だらうと云ふのは、これ又あまりにひねくれ
た考である。従つて我国の識者階級は之等の諸説に対して、それ程の重きを置かない様だけれども、然し之には
又叫面に於て多少の真理がある。少くとも最近の歴史殊に構和会議等に現れた幾多の欠陥を指摘し、之に対して
吾人を警戒すると云ふ点に於て大なる暗示を与ふるものたるは疑を容れぬ。換言すれば我国の識者階級の多数は、
今度の戦争が自由平和対保守専制の争なりと云ふ事には疑を容れないけれども、前者の勝利が徹底的に戦後の世
つ
界に現はれ来るかどうかに就いて可なりの不安を砲いて居ると云ふ事を意味するのである。
然し我々は又他方に於て、凡そ真理は一足飛びに実現完成さるるものでないと云ふ事を知つて居る。神の支配
する世の中にも罪悪はある。罪悪と奮闘する処に人類の進化発達があると云ふ所に又神の摂理を見る事が出来る。
多少の遺憾として主観的に見れば惨忍であるけれども、斯くして我々は根本真理め・結局の完成の為めに、今後奮
闘努力するの余地を与へられたと云ふ事を感謝を以て受けなければならないと思ふ。かくして我々は前途に幾多
かか
の不安を抱き現在幾多の不満を有するに拘はらず今度の戦争を民主主義自由主義等の勝利と断定するに躊躇しな
い。
民主々義とは何か。これ吾人人類の性能の無限の発達、云はば神になり得る可能性を信ずる所から、凡ての人
類に能力発展の均等の機会を与へんが為めに平等を主張し又能力発展の障害たる人為的階級より凡べての人類を
解放すべしと云ふ立場から自由を主張するものではないか。久しく抑へられた此の自由平等の大義は十九世紀に
到りて始めて我々に与へられた。唯だ然し乍ら十九世紀は人と人との間に此の関係の発展を進めたけれども、民
族と民族、国と国、又は違つた人種の間には充分に発展し得なかつた。此処に十九世紀文明の一大矛盾があり、
一大煉悶がある。今度の戦争は即ち此の矛盾を解かんが為めに起つたものと云ふべく、即、国と国、民族と民族
169
との間にも自由平等の原因を立て、殺伐なる庄追や暴行を杜絶し又国内に於ける自由主義をも一層完成して、出
だ
来る丈け国際紛争の原因を取り除こう、三日にして云へば武力の支配に終を告げしめて国際関係も亦国内の個人
関係と同様に、等しく皆完全に法律と道徳との支配する所たらしめんとするのが今度の戦争の意味ではないか。
而してかういふ新しい世界を作り出そうとする世界的努力の思想上の根帝を為すものは世界同胞〔の〕基督教的人
道主義なる事は云ふを待たない。
基督教主義より行けば今度の戦争に依つて世界の人が達せんとし又現に今日我々が目標として居る所の計画は
当然の話なのである。唯だ之を妨ぐるものは物質であつた。十九世紀は一方に於て、デモクラシーの精神が非常
〔マ マ〕 すこぶ もうへい
に盛なりしと共に、他の一方に於ては自然科学の発達とした物質主義の挑戦も亦頗る猛柄なものがあつた。つま
り之が為めに世界の人は百年間苦しんだのである。而して今度の戦争は此の物質主義に対する世界同胞の精神主
義が一先づ勝利を占めた事を意味するものに他ならない。唯だ此の人道主義が一挙に完全な実現を遂げ難い事は
やや
云ふ進もない。されば講和会議に於ては動もすれば物質主義が飛び出して各種の問題の人道主義的決定を妨げる。
や
これも、ものの進化の順序として已むを得ない点であらうが、然し我々一個人としては誠に残念に堪へない。そ
れでむ我々は、たとひ表面には色々の波瀾曲折がネつても、底を流るる大潮流は厳として動かない、即争ふ可か
らざる基督教的人道主義なる事は疑はざるものである。我が国民の多数は未だ基督教に対する充分の理解が無い
から或は今度の戦争は基督教の勝利だと云つたら納得しないかも知れない。けれども四海同胞の人道主義の勝利
であると云ふ事を疑ふものはあまり沢山は無い。故に我々から之を見れば、日本国民の見て以て勝利を占めた主
義とするものは、即基督教でみる。従つて又戦後の世界を指導する所の大原則は同じく此の基督教的人道主義で
なければならないと考へるものである。
170
妻一・皇ll
戦争の基督教に及ぼせる影響
1わギr
要するに今度の戦争は現代の科学を武器として百年間世界を馳け廻した悪魔を、やつとの事で基督毅が抑へつ
けたものと見る可きである。
三
次に第二問に対して答へよう。
日本に於ける基督教の最近の発達は、可なり著しいものがある。殊に基督教的の精神は頗る広く且つ深く行き
渡つて居るけれども、然し全体としては、我が国は基督教国ではない。従つて国民の大多数は基督教に就いて充
分の理解を持つて居ない。故に問題に示された様な点に就いての国民の思想の変化と云へば大体に於て何にも無
いと云ふの他はない。けれども基督教其者は知らないにしても国民の思想が基督教で云ふ様な人道主義に同情共
へだた
鳴して居る点に於ては頗る著しいものがある。日本は由来愛国心に富む。而も封建時代を距る事あまり遠くない
ので、其の愛国心たるや頗る偏狭なものであつて、それに明治初年以来随分外国の勢力に威嚇されて居たので幾
やや
分排外的色彩を帯びたのも己むを得ない。之が稀実力を蓄へて来ると侵略的になるのは又己むを得ないが、従つ
て日露戦争迄の国民一般の思想に軍国的の色彩の濃厚なりし事を隠サ事は出来ない。けれども最近に於ては、此
の方面は著しく変つて来、殊に今度の戦争の始より我国民の思想の人道的覚醒には頗る斯著なるものがあつた。
今日の内政の問題に就いても其他、対朝鮮対支那の政策に就いても又色々の外交問題に就いても、専制的軍国主
あやま
義的の見識は常に反感を以て迎へらるるに反し、人道的見識に基く言論が多数青年の同感共鳴を得るに過たざる
は我々の最も愉快となる処である。唯だ彼等自身は之を基督教主義だとは知らないけれども、事実上今日世界の
各方面に於て多数青年の思想を指導して居るものは大部分基督教的修養を積んだ人々である事は疑はない。一部
171
やや
の頑迷者流は昨今稀此の現象に注目し、之を以て国家の一大事と為して、基督教を猛烈に攻撃する者を生じた。
シ ベ リ ア
朝鮮の騒動も宣教師が煽動したとか、西比利亜には基督教育年会が過激派と結托したとか、色々の流説を放つて
居る。それでも国民の多数は少しも基督教に対して反感を抱かない。かういふ形勢を作つたのも我々は戦争の与
ひ
へた影響の主なる一つと見て居る。唯だ我々は一歩進めて、之が基督教の勝利だと国民の考を露骨に基督教に若
き付ける事を必要と思ふけれども、之には教会並に基督数倍徒の更に一段と奮闘する事を必要とする。
第三の質問に答へる。
前述の如く昨今民衆は著しく人道主義に動いて居る。且又我々の同胞は或は西洋程では無いかも知れぬが、兎
も角今度の戦争の結果として内面的に非常に緊張した気分となつて居る。今迄の様に、ぼんやりして居られぬと
あ
云ふ風に精禅的に渇望し煩悶し焦慮して居る気分が見へる。其の結果思想の自由を求めて従来の旧慣に糠き足ら
ない。否多くの場合に於ては之に反対する。そこで頑迷者流は大いに驚いて反抗の声を高めて居るが、此の保守
派の反抗の声の高いと云ふ事が、取りも直さず精神的動揺の盛なるを語るものである。且又今日の多数の青年の
精神的に求むる処は、智識に非ず、思想め整理でない。直接に或生命に触れ度いのである。直感的に真理を獲得
もが
し度いのである。彼等は之が為めに全身を挙げて挽いて居る。唯だ彼等は基督教に於て其の渇望を満たされるか
どうかを知らない。又今日の基督教会が彼や此やの欲求に応ずべきの正しき準備があるかどうかも多少の疑問で
あるが、正しく斯かる状態は求道者を得るに最も便利なる状能小たる事は疑を容れない。唯だ、其の割に教会が之
等青年の喜んで出入する所となつて居ないのには、多少反省するの余地はあらう。
第四の一間題に答へる。
第二圃第三一間に答へた所は又幾分第四問∵に対する答弁にもなる。概して日本人は基督教に対する理解に乏しtさ
172
パ紺l
戦争の基督教に及ぼせる影響
が故に、従つて基督教的文明なるものに対する正当なる理解にも欠げて居る。されば戦乱勃発の当初、文科大学
の有名なる叫教授にして、此の忌むべき戦乱勃発を止め得なかつたのは基督教の為す無きの証拠であると高言し
た者があつた。然し日本の識者の問には、斯かる説を一笑に附する丈けの聡明はある。然し一般に云へば、基督
教と云ふと多少の反感を持つものなれど、基督教文明其者に就いては多く、好意と敬服とを傾けて居るのである0
今度の戦乱の影響として国民は、どれ丈け基督教文明の評価に就いての考が変つたかはわからないが、基督教文
明の根砥の固い事、又基督教文明の成果たる各般の制度文物は大いに之を採用すべきものと云ふ考の強められた
事は疑ない。
第五の問題に答へる。
基督教以外の宗教と云へば、儒教神道仏教などがある。神道は宗教であるかどサかがわからないのみならず、
此の頃反動的に之を担ぎ廻る者があるが、国民の精神並に生活の上に何等現実の勢力を持つて居ない事は疑を容
れない。儒教と仏教、特に仏教は特色ある東洋的宗教として相当に民心を支配して居るとは思ふけれども、然し
乍ら単独に之のみで今日の世界に立つ国民の精神的根砥を造り得るかどうかの見定めは、未だ全体の国民につい
て居ない。それが出来ないと云ふのではないが、国民の全体が夫れ程の信頼を未だ仏教に与へて居ないと思ふ0
尤も今度の戦に動かされて今迄眠つて居た仏教は大いに奮起せんとするの趣を呈して居る。それとても従来基督
教会がやつて居る事を真似る位の程度であるが、之が基督教程の実際的影響を与へ得るや否やは、是からの問題
である。要するに今度の戦争は、之等の宗教に対する国民の観念には殆ど何等の影響を与へなかつた○之に対す
る信頼の念を別に弱めたとも思はないが、決して強めたとは云へない。若し今度の戦争が何等かの影響を仏教な
どに与へたとすれば、そは仏教に対する国民の信頼心に向つてでは無くして、仏教信者の眠を覚ましたと云ふ事
17う
あらで
である。然し眠を醒ましたのは実は仏教界の故老先輩に非して、殆ど青年に限られて居る。之は大いに祝すべき
現象であるが、唯だ之がどれ丈け今後の国民を動かすかは是からの問題である。
第六の問題に答へる。
今度の戦争が国際主義の精神を強めた事は既に第一間に対する答弁に於て詳しく述べた通りである。此の戦争
は或る意味に於ては、十九世紀の帝国主義の時代を送つて、二十世紀の国際協調主義の序幕を開いた転機を為す
ものと云ふべきである。其の昔十九世紀の始めにした様に、「他人を見たら泥棒と思へ」と云ふ封建的武士道よ
り「旅は道連れ世は情け」 の立憲政治に移つた様に、今度の戦争は、国と国との間には道徳無しと云ふ時代より
友愛信義を以て国際関係を規律すべしと云ふ新時代を迎へんとするむのである。帝国主義的文明の波状たる今度
の戦争は軍事行動を共にすると云ふ其の事自身に於て大いに共働の精神を発揮し、之が戦前に於ける世界人類の
良心の煩悶に適応して此処に戦の結果としては、どうしても国際主義が現はれざるを得ざる事になつた。一体基
督教が欧洲の根砥である以上は、国際主義の起るのは当然である。之を長く妨げて居たのが十九世紀の初頭の急
激なる産業の革命に伴ふ国際競争の結果であつたが、然し乍ら此の経済の発達は又自から国と国、並に一国民と
他国民との経済的並に社会的関係を複雑にし、斯くして少くとも欧米の如きは、法律的には多数国家の集合なる
あ
も、社会的には単一なる共働の団体たるが如き観を呈するに至つた。これ豊に国際主義の大いに発達せざるを得
ざる物質的基礎が漸を以て作られた事を示すものではないか。而も基督教的人道主義がある。然らば国際主義は
其の実現完成に必要なる精神的並に物質的条件が備はつたのに、十九世紀の初め以来伝統的に各国政府の取つた
軍国的帝国主義が有るが為めに其れを妨げられて居る。而して之が今度の戦争の原因であり、又今度の戦争は此
の革一国的帝一国主義を排斥せんが為めに起つたものであるから、戦勝と共に国際主義の勃然として起るべきはもと
174
戦争の基督教に及ぼせる影響
〔之を〕
ょり当然の試である。而して国際主義が大いに勃興するとすれば、共に指導し、之を支配する精神の基督教たる
べきは云ふを待たない。十九世紀文明の煩悶は又同時に基督教の煩悶であつた。十九世紀に於けるデモクラシー
の不徹底は基督教其者の不徹底であつた。今は煩悶は除かれ不徹底も除かれた。基督教の為めには更に自由に活
動すべき一新天地が此処に開かれたものと云はざるを得ない。
終りに第七間に答へる。
此の今度の戦争が国際関係を種々の方面に於て、著しく世界の民心を啓発したと云ふ事には疑がない。国内の
方面に於ても亦同様な影響を与へて居る。中にも其の最も大なるものは、デモクラシーの精神の盛になつた事で
ある。国内関係に於けるデモクラシーは十九世紀の始めより現はれた事は前にも述べたけれども、十九世紀に於
ては自由平等の精神が充分に徹底しなかつた為めに、国内に於ては対異民族の批厳があり、国外に於ては殺伐を
極むる競争がある。うつかり之に対して正義公道を説けば、所謂宋裏の仁に陥るを免かれないので各国は一面に
於て幾分専制主義を採用せざる〔を〕得なかつた。即専制主義と保守主義と帝国主義とは、こう云ふ時世の必要に
応じて各国共に幾分之を行つて、デモクラシーの徹底を妨げたのである。唯だ不本意乍ら之を行つた〔も〕のと、
之で行くのが本当だと自負するものとの差別はあつた。然し何れにしても、今日は先づ大体に於て専制を加味せ
ねばならぬ実際の必要は取り除かれた。専制で行くのが善いと自負して居た独逸側は充分屈服させられた。然し
又独逸自身大いに覚醒した様でもあるから、今や各国は特に大いなる不安を感ずる事なしにデモクラシーを徹底
せしむる事が出来る時代となつた。斯くして今度の戦争は国内の関係に於ても大いに民心を向上せしむるの効果
を挙げて居る。
デモクラシーの徹底は他の一面に於て現在の支配階級に対する不平と不満とを持ち来たすにより、皮相的に見
17う
れば社会的不安と云ふ現象を伴ふ事は免かれない。然るに、昨今は戦争に伴ふ物価騰貴其他各種の理由より世界
各国を通じて人民の生活が著しく威嚇されて居る。此の生活の問題が又一つの原因となつて、所謂社会的不安は
昨今頗る激しくなつて居る。唯だ我々は何処進も之等の不安動揺を促した根本の考は、此の国家社会を少数の人
の手に任せず仝人民の経営する所たらしめんとする理想である事を見逃してはならない。唯だ之が実際の運動と
おそれ
なつて現れると、此の根本の考から離れて単なる破壊的運動に終らんとする憾も無いでは無いから、之をして誤
る所なからしむるには、凡べての人民に社会に対する充分の責任を感ぜしむる必要がある。之を他の言葉を以て
云ふならば、社会的不安とか或は社会改造の運動に於て我等の期する処は、神の子として同等の地位にある其の
凡べての人の社会たらしめん事である。而して之と同時に是の如き要求を為す他の一面に於ては、凡ての人が又
同じく神の子としての充分なる人格を備へ責任を感ぜなければならぬと云ふ事である。仝人民の社会を造ると云
ふ事が社会改造の目標である以上は凡ての人民に其の全体の社会に対する権利と義務、要請と責任とを充分に教
へ込む必要がある。これ又基督教にして始めて成し遂げ得る処ではないか。基督教の責任も亦甚だ大なりとすべ
きである。
唯だ今日の基督教会は是の如き重大なる任務を尽くすに果して適当であるかどうかは一の疑問である。.前にも
述べた様に、基督教精神の勃興の今日の如く著しくして、而かも教会はあまり多く青年の集る所となつて居ない。
是れ何の為めであらうか。我々は今日の基督教会に向つて、時世の要求し又青年の要求するものは唯だ一に基督
教的生命にある。教会の教ふる所の色々煩雑なる形式が此の真生命の把握を妨ぐる処無きや否やに反省して貰い
たいと思ふ。
〔『新人』一九、九年七月〕