労働農民党に対する希望



 労働農民党の成立を喜ぶ 三月のはじめ労働農民党の名を以て去年以来期待された無産者政党はめでたく成立
を告げた。在来政界の腐敗を矯正し普選施行の美果を収むべく新局面を打開する為には、所謂無産階級の政治的
結束は必要であつたのだ。此意味に於て新政党の成立を見たことは我々の大に喜ぶ所である。殊に新しいこの政
党が大体理想主義の立場に在る人々を中心として組織せられたこと、為に各地の大衆が安心して之に参加し得る
に至れることは、一層我々の喜びを深うする。但し無産政党の成立その事が直に一切の美果を我々に持ち来すも
のでないことは勿論である。無産者階級の政治的結束は我々の達せんとする目的の遂行の第一の関門で、之に依
て前途の方向がやつと決まりかけたといふに止まる。最終の目的を達成するまでには、之から先き又色々の努力
奮闘が必要であり、且つ之を妨げんとする障擬もこの先き絶へず起るべきを覚悟する所なければならない。朝に
                  はふ                                        う                       きゆうじん
一秦を抜き夕に一城を屠る。日に夜に奮闘は続けられざるを得ず、途中で迂つかり気をやすめては所謂九何の功
 いつき か
を二章に磨くの恐れなしとせぬ。一つの成功を見る毎に吾人は一層気分を緊張せしむる所なくてはならぬ。
 無産政党に対する私の立場 無産政党の問題に就ては去年の秋以来私は再三再四本欄で評論した。之を記憶に
留めらる、読者は、前段の私の所説を読んで怪まる、に相違ない。何となれば私は絶えず、H無産者階級は自ら
                                           まか
進んで政党組織に干与す可からず、。政党のことは自ら政治家を以て任ずる専門家に委すべく、臼而して之等専
門政治家の問題としても、政党組織は無産階級代表の代議士を中心とするを得策とすべく、今急いで結党するの
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                ゆ え ん
は将来に於て政党を大にする所以でない、糾獅ツ政党運動と政治教育運動とは根本的に其目的を異にするものな
るが故に、政治教育者を以て任ずる自分としては断じて政党には干与せぬ積りであるとの旨を繰り返して来たか
らである。斯く云ふ所以が無産政党運動に反対する為でないことは言ふまでもない。無産者政党の本当の発達を
希望するからこそ斯く苦言を里するのであることは、読者諸君も定めし諒とせらる、所であらう。従て私は今度
出来た労働農民党に対しても、自分の希望した棟の経過を取らなかつたからとて無下に之に反対するものではな
い。出来た以上は同情もしその将来の健全なる発達をも希望する。但だ私は元来あゝした経過を執ることを不可
としたゞけ、あ、した経過を取つて出来た新政党の前途には格別の難関がないだらうかを心配すヰ。之をうまく
処置しないと折角の新政党も散々味噌をつけぬと限らない。斯くて私は一方に新政党の成立を歓ぶと共に、他方
                                  も                 たど
その健全の発達の為に別にまた種々の注文を提出したい。新政党が若し将来に吟て健かなる発達の途を辿るもの
とすれば、表面の言ひ分は何であれ、事実上は必ず私の注文せるが如き態度を取る結果でなければならぬとひそ
かに自信しても居る。
                                         すべか   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ
 新政党に対する希望 新政党に対する私の注文といふのは是れだ。日く、新政党は須らくH経給の樹立と。代
 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ               ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
表者選出の準備とに主力を注ぐべく、臼純政治行動の規準は他日挙げらるべき代議士に委し自らは之に干渉すべ
きでないと。
 こ、に一寸「政治」といふもの、意味を説明して置くの必要を観る。「政治」は「経給」そのものではない。
例へば金融の問題はどうすればいゝか、産業の振興にはどうすればい、か、之を理論に照し実際に徴して攻究す
るのは「経給」である。或は「政策」と謂てもい、。之をいよ〈実地に行ふときに始めて「政治」の問題が起
る。而して理想としては「政治」は則ち「経給」の実行そのものでなければならぬのだが、現実の世の中は極め
【ヽノ
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て複雑で、為に経給その俵の実行を許さぬことが多い。丁度医学上の原則が患者個々の体質如何に依り処方箋の
      しんしやく                              とん
上で自由勝手に掛酌されねばならぬのと同様である。在野党時代の主張を政府の局に当つて頓と実行せぬのはど
うした訳だなどと能く議会で問題になるのであるが、是れ「経給」と「政治」との別より来る当然の現象なので
ある。尤も此二者の近いのが政界の健全なる証拠であり、又この二者を出来るだけ近づけるのが頼み甲斐ある政
治家に期待さる、所だけれども、兎に角実際的施設に当ては抽象的に論定された「経給」を其俵行ひ難きは已む
                                           ヽ ヽ ヽ ヽ            ヽ ヽ ヽ ヽ
を得ないのである。以上は「政治」と「経給」とを阻隔せしむる物的原因であるが、其外に人的原因と云ふもの
もある。そは外でもない、「政治」に在ては多数の賛成を得るを要するといふことである。「経給」は独りでも立
てられる。「政治」はさうは行かぬ。而も思ふ通りにならぬとて中途で思ひ止ることも出来ぬ。政治は謂はゞ急
病人に投薬する様なもので、病人がある以上、薬は何としてもやらなければならぬ。而して之をやるには多数の
                                                          よ
賛成が要る。その多数の賛成を得る為めには場合により最善の薬を見す〈棄てゝ次善の薬に侍ることあるも致
し方がない。理想通りにならぬからとて、丸で投薬もせずには置けぬからである。斯く云ふ点から、政治は妥協
だとも謂はれる。理想家から云はすれば残念ながら妥協を余儀なくさるゝのである。さてこの妥協を余儀なくす
る原因には、官僚的専制思想の余竜もあれば、資本家階級の利己心もある。そこで之を憎むの極遂に議会政治否
認の鋭も起るのであるが(この意味に於て私は此種の説に理論上の承認を拒みつゝ事実上大に同情を表するもの
である)、既に議会政治を認むる以上、原則として到底右の妥協を認めて掛らなくてはなるまい。実際問題とし
    もと
ては、固より妥協の程度に従つて是非の論起るを避くべきではなからうが、原則としては、既に議会政治を容認
せる以上妥協そのものを排斥するのは謬りであらうと思ふ。
 ことに我国のやうな政界の現状の下に在つては、妥協を必要とする程度は中々甚大であらうと思ふ。それ丈け
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国民として監視の目をみはる必要があるが、同時にまた之は実際の掛引に与らぬ人々に依て決定さるべき問題で
はない。即ち之れだけ・はどうしても代議士に委せなくてはならぬと思ふ。監視の方法は別に立てる。臨機応変の
処置は彼等の人格を信じて代議士に一任する、傍から指図すべきではないと考ふる。是れ私が純政治行動に就て
他日代議士の行動を拘束するが如き規準を決めることは今度の新政党に慎んで貰ひたいと云ふ所以である。
 私が以前の論文に於て急いで政党を作るなと主張したのも実はこの意味であつた。政党といふ意味を純政治行
動をする者の団体と狭く限れば、一人の代議士もないのに政党といふのもをかしな話だ。無産者階級が政治的結
束の必要に目醒めて滋に恒久的団結を組織し、之に政党といふ名を附したとすれば、彼の差当り為すべき当然の
     ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
範囲は、経給の大綱を示すことと自家の代表者を選出する為に今より準備しておくことに限るべきだ。政党とし
ての完全なる活働を今すぐに始むべきではない。其外労働組合が其俵政党組織の構成分子となるを非とする別個
の論拠も加はつて居るのだが、とにかく私は英国の昔の労働代表選出準備委員会のやうなものに止めて欲しいと
思ふのである。之れだけの仕事に限るものなら、政党といふ称呼は適当でないが、併し政党といつた方が事実こ
の勢に大衆を引きつけるには便利かも知れない(便利なだけ後に起る弊害も懸念されるが)。要するに名目の問題
はどうでもい、とする。私は新政党が純政治行動の干渉を慎むといふ条件の下に其成立を歓迎するものである。
一部無産階級者の政党観 右のやうな事は一体言はなくても分つて居る。今度の新政党が将来も政党としての
                                                かかわ
機能を発揮するの日は、必ずや私の云ふやうな風にやつて居る時に相違ないからである。それにも拘らず私が
      くどくど
こゝに之を詳々しく説く所以は、一部の人の間に全然私の立場と違つた説を堅く信ずる人があるからである。そ
は外でもない。代議士は民衆の代弁者である。従て一々共の訓令するまゝに行動しなくてはならない。在来の政
界の弊害は実に代議士があべこべに民衆を指揮したから生じたのだ。実際政界に於ける中央集権的仕組は断じて
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認めてはいけないと。サンヂカリズムだのボルセヴイズムだのが紹介されてから、斯うした議論を尤もと信奉す
る者の著しく多くなつたことは、改めて説明するまでもなからう。
 この説の謬りなることは後に説明するとして、一体斯かる思想の起つた歴史的事情を考へて観ると、成程とう
なづかる、節がある。そは従来民衆政治といふものを誤解して居つたからである。従来は民衆政治とは民衆自身
のやる政治だと思つてゐた。デモクラシーの定義としてよく引き合に出さる、リンコルンの言葉即ち〔○<巧n・
m冨tOfthのPgヱの」orthの℃g勺訂●bqthの焉OP訂の如きは、正に其の著しき証拠だ。斯ういふものと妄信し切
つて、さて能く実際の政界を観察すると、政治は必ずしも民衆の為めばかりではなく、而も実際政機運用の鍵を
                                               ここ
撞て居るものは民衆の代弁と僧称すを少数者と分つた。斯う分つて見ると、麦に反動は起らざるせ得ない。斯く
して起つた反動を説明する学説にまた二種類ある。一つは民衆政治主義徹底の不可能(U已urnhahrb胃k各der
d望ロOkr邑繋h3−d▲且を説くもので、有名なMinhel∽の政党論などが好代表であらう。此派の極端なものになる
と、どうせ民衆政治だなんて駄目だから、寧ろ始めから少数賢明の官僚に委した方がいゝなどと云ふ。哲人主義
だの善政主義だのと林するのは之れだ。他は今までの民衆政治は皆虚偽の民衆政治だから、之からは本当の民衆
政治にしなくてはならぬ。それには我々民衆が直接に且つ完全で一切の問題に対する支配権を握らなければなら
ない上するもので、或は代表制度はいけない代理主義で行かうの、又は政界の中央集権制を抑えてソヴイエト主
義で行かうのといふ諸主義は、みなこの部類に属する。従来の民衆政治が種々のあやまりを重ねた所より考ふれ
                       なが
ば、斯種の説の生じ来るのも無理はない。併し乍ら冷静なる研究家から観れば、所謂徹底的民衆主義の政党観も、
官僚的善政主義と共に、実は同一の根拠から発芽した境遇の産物に過ぎぬことが明であらう。
 所謂徹底的民衆主義の政党観の誤謬一体徹底的民衆主義の政党政治といふものは実際に行はれ得るものかど
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ぅか。何人にも考へつくことは、支那のやうな民間に古来自治的訓練の行届いて居る処なら幾分行はれるかも知
れぬことである.∵それでも政治問砥の処理は本来特殊の専門的智識を必要とするものなるを思ふとき、如何に自
治的訓練が行届いて居ても、民衆が自ら直接に治め得る仕事の範囲には限りがある。此点に於て一番人をあやま
る言葉は、「自分の事は自分が一番よく分る」といふことだ。成る程腹が痛いか頭が痛いかは他人には分らない○
                                          ま
併しそれが何の病気であるかは必しも本人に明了ではない。況して如何にして之を治癒するかに至ては専門家た
る医者絹聴かなくては到底分るものではない。政治に於ても亦然り。政治家を医者と同様に専門家と観れば、そ
の智能を信頼して一切を之に托した方が得策ではなからうか。故に徹底的民衆主義の政党観の如きは、従来の医
者の不信に懲りて自分で自分の病を処置する様なもので、所謂生兵法は大庇の基、危険之より大なるはない。
 尤も我々をして斯かる謬見を抱くに至らしめた原因に就ては大に諒とすべきもめがある。そは単に専門家に過
ぎなかつた政治家が我々に向つて永く支配者の態度を以て臨んだからである。甚しきは我々の疾患を毒も診察せ
ず勝手に怪げな薬を盛つたからである。併し事情は事情だが理窟は理窟だ。どこまでも其区別ははツきりして置
く必要がある。従来の弊害に憤慨するの余り多少常親を逸した議論をするは己むを得ぬとして、その常規外れの
議論を其佳真理と振り廻されては困る。是れ私が老婆心を顧みず敢て斯んな余計な詮索を試みる所以である。
 も一つ序に云つておきたいことは、所謂徹底的民衆主義の実際的試みは、今日其結果に於て立派に期待を裏切
              ロ シ ア
って居ることである。例へば露西亜では、この主義のチャンピオンとして起つたと称し乍ら、事実上今や之とは
反対の極端に立つヂクテーター政治をやつて居るではないか。之を弁解する者は日ふ、民衆の訓練がつくまでの
                                                    い つ
暫定的政治様式だと。其の通りだ。民衆め訓練が到らぬ間は、その完全なる自治は望まれない。問題は何時にな
ったら訓練が完全につくかの点に在る。民衆の完全なる自治即ち専門家を不要とする完全なる民衆直接政治は、
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Z瀾袖」′字…β
実は民衆の極度の発達を前提とする。而してこの極度の発達は、人類不断の努力の最終月標にして、永遠の将来
にのみ期し得るものではないか。換言すれば、現実の世界では到底期せられないといふことではないか。故にヂ
クテーター政治を暫定的様式だといふのは、理論上あやまりではないけれども、他の一面からいへば、この以外
の形式に侍る見込は現世には絶対にないといふことにもなる。是れ人類の完成の上にのみ言ひ得べき無政府主義
が、現世政界の実際主義たり得ないと同様である。故に言葉を極端にしていへば、徹底民衆主義的政治を主張す
                               ま
るなどは一種の欺瞞だともいへる。故に之を真にうけて、之からの民衆政治は万事この式に依るべきものと思ふ
なら、それこそ飛んでもない大間違である。
                                                         ど う
 徹底的民衆主義を試行する結果の予想 仮りに今度の新政党がこの主義を差し当り実行したとしたら如何なる。
政党構成各分子の委員が集つて中央執行委員会を組織する。それが一々代議士の行動を指揮せんとする。其通り
行けば結構だが、代議士が果して其の言ふ事を聴くだらうか。聴かねば再選せぬまでだといはんも、代議士の選
挙を左右するまでのカはいろ〈の点に於て急に新政党には望めない。又さう代議士の行動を拘束するやうでは、
中央執行委員会の威望の名実共に大なるものでない限り、代議士がついて来ない。折角の政党も議会に於て多数
       も
の代弁者を有たなくては駄目だ。代議士を我に牽きつけて置く為に、中央執行委員の我佳は何よりの禁物だ。少
くとも議会制度そのものが今日の如くである以上、政党の中心勢力はやがては代議士の方に集るのが当然の運命
ではないかと思ふ。現に既成政党の状態を見ても、代議士だけが政党の実際上の構成分子で、代議士以外は殆ん
ど有名無賃でないか○故に新無産政党に於ても、中央執行委員が権威を張れば代議士と衝突して悲惨な崩壊を見
                                                                とう
るに終るべく、幸にして政党としての機能を発揮する様に発達するとすれば、勢力の中心は疾に代議士に移つて
居るに違ひない。また斯くなる事が当然の順序でもある。


2
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一る








                 ここにあいて
 〔新〕政党の今後執るべき途 於是私は新政党に対し今後執るべき途につき一つ二つの提言を献じたい。
 第一は新政党の当然の運命に従順なることである。詳しくいへば、将来勢力の中心が代議士に移るを予想し、
             あらかじ
純政治行動は彼等に一任し予め之を拘束するなからんことである。従てまた他日代議士を選定するに当ても、一
旦信任を与へた以上は故なくその行動を細目に於て左右するなからんことである。何となれば斯くすれば政党は
潰れるにきまつて居るからである。
 第二は民衆と代議士との関係に就ては在来政党の陥つたやうな常弊に堕せざる様心掛くべきことである。在来
の政党も同じく党員は之を大衆の中に求めたのだ。此点新政党と壷も変らない。併し実際は中央幹部が一切を切
り盛りし、地方党員は中央の命の優に機械的に盲動し即ち其指定する人に一票を投ずる道具に過ぎない。其間選
挙人の自由意思の実際に働く余地は竜末もない。新無産政党もこの同じ過誤を踏襲しては何にもならぬ。代議士
の行動を個々に拘束せぬ代り、全体として人格的に監視するを怠つてはならぬのである。それには民衆が判断の
                                                いたす
自由を確保してゐなければならない。この意味に於て私は実は民衆の政党参加に極力反対したのであつた。徒ら
に政党の地盤政策の犠牲となり、政界の野心家の踏み台となるに過ぎざるを恐れたからである。之と同じ主意で
                            たと え
私は今度の新政党に向つても、せめては純政治行動(仮令そが代議士を有つに至つたときでも)だけには極力遠ざ
からんことを望むものである。
 第三に私は経給政策の大綱の樹立と近き将来に於ける選挙準備とに関しては万遺算なからんことを希望する。
私は代議士選出の標準は人格的信頼に置くべく、個々の行動を政策的細目の提示に依て束縛す可らざるを信ずる
も、其の主義政策の大綱に於ては固より始より走る所なくてはならぬと考へる。是れ新無産政党が既成政党の外
に別に設立せらる、を必要とする根本理由だからである。而して是亦同時に所属代議士の行動に対する最大限の
1

2

                                                       ま
拘束線を示すものである。其中に如何なる条項を掲ぐべきやは概して畔ぼ走る所ありと信ずるが、其中に特殊の
人生観を奉ずる者に限るの一条を逸す可らざるは云ふまでもない。之等の点に付ては新政党の今後の行動に徽し
更に筆を改めて評論することにしやう。
                                         〔『中央公論』一九二六年四月〕