蘇峰先生著『時務一家言』を読む
〔第一回〕
一
『時務一家言』は社内の北山学人が既に本誌三月号で比較的詳細なる批評を試みてをる。之れは余程著者に同情のある批評で、私も大体に於て至極同感である。実は私は蘇峰先生には数年、教をうけて居る一人で、先生の政治上及び社会上に関する御意見を親しく承はつた事も度々ある。本年二月『時務一家言』の出版なるや、一冊の御寄贈に与つて批評を求められた。素より私には批評する丈けの力はない事を知つてをる。併し徒に先生の厚意を無にする訳にも行かぬからして、読んで感ずる処を述べて先生の厚意に酬いやうとは、初めから考へてをつたけれど、爾来今日に至るまで筆を取るの暇なく、心ならずも先生の厚意に背いてをつた。此頃多少閑を得たので今一度先生の著を熟読して得たる感想を述べて見ようと思ふのである。敢て批評とは云はない。唯読んで得たる感想を順序もなく羅列したに過ぎないのである。本号に於ては先づ緒言を読んで得たる感想丈けを述べて見よう。
緒言三十四頁に亙る大文字は、畢竟する処、先生の政治的出処進退の弁明と、最近の政見の告白である。私は之れを読んで非常の興味を感じたのみならず、又幾多の暗示と啓発とを受けたのである。之に就て感ずる処がいろ/\あるけれども、私は先づ専ら政治と云ふ方面を主として二三の点を述べて見ようと思ふ。
二
緒言の中で尤も興味のある部分は十頁以下に詳述せられたる先生の思想の変化の弁明である。先生は初め平民主義(と云つてよからう?)を取られ、中頃帝国主義を取らるゝに至つた。此点は一寸考へると一方の極端から他の一方の極端に移つたので、余りに急激な変化を見たから、先生はために大に世間の誤解を招いたと云ふ事である。而して今先生の弁明を読んで見ると云ふと、先生の思想の変化は事理明白であつて毫も曲解すべき余地がない。先生は常に国家を思ふの至誠に立つて、其時その勢に応じて常に適当の説を立てられたのである。先生は至誠国を思ふと云ふ点に於ては終始一貫である。先生自から弁明せらるゝが如く、立場の異なるによつて意見を変ぜられたのではないと云ふ事は(十七頁及二十六頁)私の深く諒とする処である。乍併私の見る処では、少くとも先生の自から緒言に於て述べらるゝ所によりて断定すれば、先生が世間の誤解を招いたと云ふ事に就ては或は全然先生に罪なしと云ふ事が出来るだらうかどうか、此点を私は一つ考へて見たいと思ふ。
第一に先生が初め取つて居つた処の平民主義と云ふものは何か。先生曰く「余は維新の皇謨が開国進取を国是とし、天下と与に天下の政を為すにありとの一事は始終一貫して今尚我が中枢意見の一たるを悦ぶもの也」(十二頁)と。即ち先生は世界共通の思想に基き民衆と共に国家の休戚に任ぜんと志されたのである。乍併先生の平民主義は之れに止まつたであらうか。先生は此点に就て明かなる説明を与へては居られない。又其当時の先生の言論は私の少年時代の事で読んだ事もないからよく分らぬけれども、先生自から緒言に於て、先生の当時の意見が「英国ヴヰクトリア朝中紀の学士論客の説殊にスペンサー、コブデン、ブライトの影響を受けた」(十一頁)と自白せられて居る処によつて見れば、先生の平民主義なるものは、恐らく頗る偏つた平民主義であつたと思ふ。何を以て之を云ふか。之れは委しく論ずるまでもなくヴヰクトリア朝中紀の時代を考へ、殊に前記三名の名前を見た丈けでも分る。一体英国は名義は王国なるも建国の精神は民主国である事は同国の憲法史上疑ひのない処である。現に今日でも「英国の主権はパーリアメントにあり。パーリアメントは国王、貴族院及び衆議院よりなる」と云つて居る。之れは学者が云つて居るのみならず、現に私自身英国の議会に於て首相アスキスの口から之を聞いた事がある。斯う云ふ国柄であるのに、搗(か)てゝ加へてヴヰクトリア朝中紀と云ふものは尤も民主的思想の盛な時であつた。殊に選挙法の改正とか其他種々の自由主義の運動があつて、所謂官憲に対する反抗の尤も盛な時代であつた。スペンサーなぞは政府を「必要な罪悪」と云つた時代である。換言すれば官民調和挙国一致の議論の盛な時代ではなくして、官民抗争の時代である。此時代は或点に於て先生が平民主義を説かれた時代と似てをる。即ち日清戦争以前の我国は久しく外患がなく、内部の争が政界の全般に瀰漫して居つた時代である。斯る時代に居られた先生が、英国ヴヰクトリア朝中紀の政治論の感化を受けたとすれば、先生の平民主義は或は殊によると共和主義に成り兼ねまじき極端なものであつたと想像される理由がある。併し之れも広い意味の平民主義の一面ではあるけれども、其凡てではない。今日欧米の立憲諸国に於て解せらるゝ処のデモクラシーと云ふものは右の様なものとは大変趣きが違ふ。さうして見ると云ふと、先生が日清戦争以前に取られた処の所謂平民主義を捨てねばならなかつた場合に、先生は平民主義に他の面があると云ふ事を考へられたであらうか。他の一面の平民主義をも之を捨つべき理由ありとして、そこで先生の所謂帝国主義に移つたのであらうか。先生は必ずや従来取られた平民主義の欠点を悟るに及び、直ちに平民主義と名のつく凡ての者を捨てられたのではあるまい。
先生は平民主義を捨てゝ何に移られたか。先生自から其思想変化の因縁を十二頁以下に説いて居る。先生は廿七八年戦後の実物教訓に依て所謂「力の福音に帰依した実力あらば無理さへも押し通さる…苟も実力なければ十分の道理さへも押潰ぶさる…只だ自から力を養ふ以外には何物をも恃む所なきを覚悟」(十六頁)せられた。先生は其主義に帝国主義と云ふ名称を与へてをる。即ち平民主義から帝国主義に移られたのである。併し私の考へでは帝国主義にもいろ/\区別がある。唯だ漠然と帝国主義と云ふのみではどう云ふ主義か分らぬ。そこで先生はどう云ふ種類の帝国主義を取つたであらうか。先生は「帝国膨張の旗幟」(十三頁)と云ふ事を説かれてをる。又「無力なる道理も有力なる無理に勝たず、道理をして実行せしめんとせば之を実行せしむる実力なかるべからざるを覚悟した」(十五頁)と云はれてをる。是等を綜合して推測すると、先生の帝国主義は、先づ武力的膨脹主義と云つてよい。私が斯く断言するは先生が「伊藤公の外交政策を以て尤も帝国の発展に妨害あるものと認め」(十八頁)られた事によつても疑ひはないと思ふ。其結果として先生は従来の態度を一変して、熱心なる軍備拡張論者となつた。而して当時の軍備拡張論者は目前の急を見るに余りに敏にして、此事業のためには有らゆるものを犠牲とせなければやまなかつた。而して之に多少でも反対するものは、悉く之れを消極主義者又は臆病者として排斥せねば已まなかつた傾向がある。之れ武力的膨脹主義者の往々にして陥る処の弊害である。私は聡明なる先生が此偏狭なる考を支持せられたとは云はない。併し少くとも斯る偏狭なる帝国主義者と事を共にせんとしたと云ふ責任を免るゝ事は出来まい。此点は先生が二十五頁に述べて居らるゝ処で稍(や)や明白である。私一個の考を申せば、軍備拡張論には必ずしも不賛成ではないが、地租増徴には反対であると主張した当時の所謂消極的民力休養論者には賛成は出来ぬ。乍併軍備拡張の前には何物をも犠牲とする事を辞しないと云ふ極端なる膨張論にも異議がある。要するに当時の争と云ふものは極端なる積極論と極端なる消極論との争ひであつた。而して先生は以前は大体に於て極端なる消極論者とも見るべき部類に属して居つたのが、今度は極端なる積極論に移つたのだからして、世間は其急激なる態度の変化に驚いたのであつたらう。而して極端なる積極論は偶々当時官憲の唱ふる処であつたから、先生は不幸にして御用記者とか、変節漢とか云ふ嘲りを受けられたのであらう。私は先生が或は消極論をとり、或は積極論をとられたのも、一に愛国の至誠に出て居ると云ふことを信ずるからして、先生の此際に於ける苦衷には無限の同情を表するものである。乍併聊か先生のために遺憾に思ふ事は、先生が其思想の変化を説いて審かならざるの点である。而して此説いて審かならざるの非難は、今度公にされた『時務一家言』の緒言に於て之を云ふことが出来ると思ふのである。
一体先生の説かるゝ松隈内閣時代の論争と云ふものは、両極端の争であつて、本当の帝国主義と平民主義との争ではない。一体帝国主義と平民主義とは本来の性質に於て両立しないものと思ふのが大なる誤りである。私の見る所によれば此両主義は共に国力の充実発展を期する点に於て一致するものであつて、唯聊か方面を異にするのみである。斯様に考へて見ると我日本は日清戦争を期として平民主義的基礎からして帝国主義的基礎に移るべき本来の運命にあつたものと思ふ。之は管々(くだくだ)しく云ふ迄もないのであるが、戦争前の日本は日本の日本であつて内部の充実に専念すべき時代である。故に此際の国家政策が主として平民主義的基礎の上に立つべきは論を待たない。日清戦争は日本をして一躍して世界の日本とならしめた。茲に於て我国の国家政策は更に一転して帝国主義的基礎の上に立つの必要に迫られた。併し茲に忘れてならぬことは、帝国主義を取つたからと云ふて、平民主義は之を捨てねばならぬ理由は毫頭ないことである。若しも一方を取るがために、他の一方を捨てたならば、其国家は到底永続するものではない。余り月並めいて居るが羅馬の歴史之を証し西班牙土耳古の歴史之を証し、更に土耳古の現状之を証すと云ひたい。今日健全に発達して居る国家は何れも此両主義を十分に取つてをる。例令ば帝国主義の尤も繁栄を極めてをる独逸は、社会政策の最も十分に行はれてをる国家である。それでこそ国家の円満なる発達は期する事が出来るのである。然るに世間往々にして此二主義を以て全く相容れざるものであるかの如く考へ、右と云へば必ず左を捨てなければならぬ様に思つて居るのは大なる間違である。此点に於て私は民力休養のみを眼中において、軍備拡張の必要を軽視した当時の誤つた平民主義者(?)の説に左袒せざると共に、「戦後経営に反対して増税案を否決したる団集」を非帝国主義として罵倒する所の議論(二十八頁)にも服する事が出来ない。若し当時の消極論者が偏狭なる軍備拡張論者を厭ふがために帝国主義其ものまでも嫌つたと云ふ誤りをなしたとすれば、当時の所謂帝国主義者も亦極端なる増税否認論に服せないからとて、等しく一切の平民主義をも排斥するに至つたと云ふ誤りを犯したと云ふ事は出来まいか。此処は特に先生に向つて重ねて説明を求めたいと思ふ点である。
三
次に興味ある点は先生が一頁以下に於て本書著述の来歴を述べられた点である。此部分に於ては先生最近の政見を覗ふ事が出来る。而して先生の政見は桂公と屡々意見を交換したる結果であり、且つ「公の円熟したる思想と其豊富なる経験とに得たる処浅少ならざりし」(二頁)との事であれば、先生自から云ふ如く、桂公の政見と余程近いと云ふ点に於て、更に一段の興味があるのである。而して其政見の大要は尤も明白に、先生が桂公の求めに応じて筆を執られたる立憲同志会創立旨趣書草案に表はれてをる。然るに此草案は旧国民党側より来党したる人々の満足を買ふ事が出来なくなつて、大に訂正せられたとの事である。其結果として表はれたのが、即ち現在の立憲同志会宣言書である。然らば如何なる点で旧国民党側の人士は先生の起草したる桂公の草案に不満足であつたか、此点は桂公並に先生の政見を見るに欠くべからざる大切なる点である。そこでどう云ふ処が両方の意志の合致しなかつた点かと云ふに之は草案と宣言書とを比較して見ると分る。今此の両者を比較して見るに、文字は大部違つてをるが内容の上で極く肝要なる点で違つてをるのは二点ある。一は草案は予め政綱の要目を列記し、宣言書の方も同じく大体の要目は掲げてをるが、其細目の点は他日発起者諸氏の審議を待つて議定すると云ふ事にしてをる。即ち一方は専制的貴族主義をとり、他の一方は発起人一同で相談をすると云ふ所謂民衆主義をとつてをる。此点が著しい差である。今一の点を要目として列挙して居るものゝ中に、宣言書は「国務大臣の責任を厳明」にすると云ふ個条があり、原案には之を掲げてゐないと云ふ事である。之れも立憲政治の通義である大臣の責任を認めると、認めぬとの差であつて、即ち一方は飽までもアリストクラチックの態度をとり、他の一方では何処までもデモクラチックの態度をとると云ふ差別である。此区別と云ふものは政治の根本問題に関する区別であつて、容易に彼是相移る事の出来ない筈のものである。而して桂公は初めは貴族主義を以て臨んだけれども、後には旧国民党側の人々の説に従ふて、民衆主義に移つたものらしい。併しかう云ふ根本の大義を変へると云ふ事は責任のある政治家として軽々しく出来る事であるかどうか、先生は此桂公の行動に裏書をして居らるゝが、先生亦果して十分此点の弁明を辞せられざるや否や。而して余が先生の著書を通読して得たる感想は、先生は決して初め原案に書かれた処の貴族主義と云ふものを捨てられた跡は見えない。従て私は桂公も亦心から宣言書で云ふ処の根本義を十分に納得して、政党の組織に身を入れられた事と信ずる事は出来ない。果して然りとすれば桂公は宣言書では何と云はうが、自から貴族主義を取り先生初め多くの貴族主義的趣味の人を率いて民衆主義者たる旧国民党の人々と提携したものであつて、立憲同志会の一大弱点は先に存するものと見なければならぬ。之を要するに貴族主義と平民主義との是非得失は暫く別問題としても、少くとも此貴族主義の草案から、平民主義の宣言書に移られた筋途に就ては、私は尚ほ先生の更らに明白なる弁解を承はりたいと思ふのである。
四
緒言を読みて得たる今一の感想は、先生が自から云はるゝが如く、其天分は議論にありて実行にあらず、新聞記者として一生を終るべき人であると云ふ事には異論はないが、然し先生の思想は理想的であるよりは、寧ろ余りに実際的ではあるまいかと云ふ事である。私は数回親しく先生の教を請ふ機会を得た。乍併まだ十分に先生の為人を知る程の深い関係には立つて居ない。故に軽々しく先生の人物を論ずるのは甚だ礼を欠くかもしれないけれど、敢て先生の許を得て忌憚なく私の感想を述ぶれば、先生は其の已むにやまれぬ至誠から国家の問題に対する政策を論議せらるゝに当つて、余りに目前の急に応ずるに忙殺せらるゝの嫌ひはあるまいか。従て目前の問題を顧念するに急にして、動もすれば他を顧みるに遑なしと云ふ様な事になりはしまいか。私は素より先生を盲目的に一の目的のみに驀進するものとは思はない。本来多趣味なる先生は其性格上、到底一方面のみで終る事は出来まい。乍併先生の国を思ふの情の切なる、何か当面の大問題があれば其問題の解決に熱中して他の不急の問題は事の軽重を問はず、悪く之を犠牲に供するも辞せずと云ふ様な事はあるまいか。斯う云ふ風に考へなければ聡明なる先生が一度遼東還附の実物教訓により、俄に熱心なる軍備拡張論者となり、此事のためには有ゆる犠牲を払ふ事を辞せざらんとし、更に進んで此事の実現のためには之れが実現を成功し得る何人とも―其他の点は問はず―結托する事を辞せなかつたと云ふ点が説明がつかぬ。之れ即ち先生が一度松隈両老の提携に腐心し、再び桂公に全心を傾倒した所以ではあるまいか。斯く目前の急のためには何事もさし置いたと云ふ点が、先生の長処でもあり短処でもあり、又同時に世間の誤解を招いた理由ではあるまいか。
私は曾て先生と会談した時に、先生は「自分は未だ曾て女に惚れた事はないけれど、男にはよく惚れる」と云つた事を記憶してをる。而して近年に於ける先生の桂公に対する関係は殆んど恋愛に比すべき深い交りであつたと思ふ。先生は茲にも例の一本調子を出して、桂公の運動を助けるためには―桂公によつて先生多年の抱負を実行せんがためには―何事をもさし置かんと云ふ態度を示された。之れは先生が同志会に入られた理由によつても明白である。先生の同志会に入られたのが唯だ桂公が組織された政党であるからで、其外には何も理由がない。先生の志は私は深く之を諒とするけれど、併し之れは果して政見実行の常道であるかどうか、大に疑ひなきを得ない。先生は自から「政党は主義を以て存し人によりて立たずと云ふものあれども、余は本来桂公を相手として此意見を行はんと欲したるまでにして云々」と云はれてをる。一体かう云ふ政党観は我国には却々(なかなか)多い様である。近頃も政友会の領袖の一人たる伊藤大八氏は「政友会は西園寺公あつての政友会で、政友会あつての西園寺公ではない。西園寺公なくんば政友会存在の理由はない」と云ふ様な事を臆面もなく述べて居つた。若し果して我国の政党が或は西園寺公あつての政友会であつたり、又桂公あつての同志会であつたりするものなら、政党は最早公党ではない。桂公なり、西園寺公なりの個人的の政権争奪を助くる所の私党に過ぎないのである。西園寺公や桂公の政治家としての人格には、何等の非難がないにしても、其人の周囲に集つて政党を組織してをると云ふのでは、政界の争は常に個人的闘争と云ふ面目を改むる事が出来ないので、之れは近世立憲政治の根本義とは全く相容れざるものである。若し桂公あるがために同志会に入り、西園寺公あるがために政友会に入ると云ふのなら、之れは支那や墨西哥の所謂政治家が、或は袁世凱の利用する所となり、或はウエルタの利用する処となると何等撰ぶ所はないのである。之によつて我国憲政の進歩に貢献せんと考ふるものあるならば、それはパンを求むる者に石を与ふるものである。
私の考へでは先生は本来政党の人ではない。先生が政党に入つたのは既に甚しい不合理であつて、唯だ桂公に恋々たるの余り、識つて敢て行動に出でられたものであると思ふ。先生は本来一種の英雄崇拝主義の人である様である。根が民衆を相手とする人ではない。現に桂公死して、抱負の実行が水泡に帰した事を歎ずる余り、其経綸を本書によつて世に問はんとするに当つても、「空言世に益多からざるを知りつゝ」(一頁)と云つてをる。之れ実に民衆を相手とする事の何等世に実益なきを認むるものではないか。先生は先には「天下と与に天下の政を為」(十二頁)さんとするの主義を取られたけれども、之れは二十七八年の頃に捨てられた。今日先生は語るの友を英雄に求めて敢て民衆を指導せんとするの考へがない様である。新聞記者と云ふ本分には不似合な事と思ふけれども、どうも先生の根本観念はこゝにないかと思ふ。
終りに臨んで本号に於ては勿論、尚次号以下に於ても、忌憚なき管見が或は礼を失する事があるかも知れぬ。此点は切に先生の寛大なる宥恕を講はんと欲する処である。
〔以上『新人』一九一四年六月〕
〔第二回〕
本号以下に於ては全篇を通読して批評する積りであつたが余儀ない事情があつて全篇を通読することが出来なかつた。全六十篇中、前二十五篇(一−二五四頁)は大体本論の序言とも見るべき者であつて、先づ当今我国の内外の形勢を説明し、今後日本の処すべき途を論ずるの前提として居る。二十六篇以下に於て初て先生の積極的意見と云ふものを窺ふことが出来るやうである。即ち二十五篇以上と廿六篇以下とは前後の両段をなすものと思ふから、本号では廿五篇迄を読んで得たる感想を述ぶるに止めやう。
本書立言の趣意は最もよく第二篇(七−十一頁)に表はれてをる。先生は戦後に於ける対手国たる露国の興隆の事実を説き、之に対して戦勝国たる我国が空々寂々何事もなさなかつたことを慨し、我大和民族の前途其世界に於ける立場に付て我々に一大警告を与へんとしてをる。所謂露西亜興隆の事実は事実として多少の異議がある。幾分誇張に過ぎる嫌はあると思ふけれど、大体に於て第二篇に表はれたる先生の意見に対しては同感に堪へない。我国民は上は一国の最高の政治家より、下は種々の職業に従事する人民に至る迄世界的の思想がない。我国が世界に於ける一国(一等国ではないとしても)として起つた以上は、我国の世界に対する関係を顧慮せずしては何事も為し得ない。世界に於ける日本の地位を明にすることは当今の急務である。此点に於て先生の『時務一家言』は最も当今の急に応ずるものと云はねばならぬ。
二
先生は第三篇以下に於て先づ最近に於ける国内の時務を頗る詳かに説いてをる。先生の観る所によれば、当今の時事咸(み)な非也といふに帰する。日露戦争以後若し事功として挙ぐるに足るものは唯三つある。鉄道国有、条約改正及韓国併合是れなりといふてをる(九頁)。此三つが最近八年間に於ける我国政府の推賞すべき事業とすべきに於ては必しも全然一致する訳には行かぬ。併し之を細論すれば水掛論になる故夫れは暫く措くとして、次に先生が最近の我国に於て憤慨すべき点として挙げて居る所のものを列挙して見よう。先づ第一に先生は政界に於ける一種の消極論といふものを否認してをる。否な寧ろ先生が領土拡張を唱へ、大陸経営を唱へ、従て軍備拡張を唱ふるに急なるの余り、之に反対なる凡ゆる説を排斥せんとしてをる傾が見える(十四頁)。夫れから第二に先生は無用なる内部の政争に勢力を浪費するの愚を斥けてをる。即ち先生は所謂憲政擁護の運動なるものを非常なる悪感を以て排斥してをる(十五頁)。所謂憲政擁護の運動なるものは夫自身に於て「見苦しき事件」であるといふことは異論がない。ああいふ事件の起つたことは、我国民に「政治的常識」がなく、「政治的恒心」がなく、「政治的一貫せる見識」のなきことを証明するものであるといふことにも異議はない。乍併之を政治発達の歴史から見れば、憲政進歩の一階段として一種の積極的意味を有するといふことは、是れ亦疑ふべからざる事実である。此点は先生と余と多少観る所を異にするかとも思ふが、先生は啻に憲政擁護の運動のみならず、一般に民衆の運動に対して同情なき観察を下すやうに見える。余の推測する所によれば先生は元来民衆に同情のない人ではない。しかも民衆の運動に同情のない観察を下す所以は、先生が対外関係に於ける日本の困難なる地位を見るに急にして、従て国力を統一して此対外関係に於て大に為す所あらしむる所以に急にして、国力の対外的統一結束を弱くする所の一切の出来事に反対するといふ所から来てをるのではあるまいか。先生は本書の処々に於て外に張ると共に又内を省るの必要といふことを説いてをるけれども、併し大体に於て国内の政争に対しては余りに痛激なる批評を加へて居る。無用の政争の為に対外勢力を散漫ならしむるは素より国家の不祥事である。乍併国内の政治に関して国民全体に同一の意見を有せしめ様とするのは無理である。政見は種々に違ひ得る。政見の差によりて相争ふことは当然であつて又必要である。況んや統一の名を借りて異論の対立を抑へやうとする考は、往々にして一部の勢力の専制的跋扈を助長し、不知不識政界の腐敗堕落を来すの傾あるに於てをや。先生はまた近時の精神界に於ける忠君愛国の思想の欠乏を慨(なげ)いてをる(十九頁以下)。所謂忠君愛国の思想が(従来説かれたる意味に於て)、新日本の最高の精神的権威たるを得べきや否やは暫く別問題として、兎も角も此思想が薄らいで国民の精神が中心を失つて居るといふことは先生と共に我々の深く憂ふる所である。我国の青年の間には今や先生の云ふ如く破壊思想虚無思想が蔓らんとしつゝある。而して斯うなつた原因は何かといふと、先生は明白に「旧式なる忠君愛国一天張の教養」であるといふやうな意味を説かれてをる(廿八頁)。此忠君愛国一天張の教育が反て偽忠君偽愛国を養成するに止つたといふことは、先生と共に吾人の切に天下に警告せんとする所である。猶吾人は更に之に他の原因として政治の失敗と云ふ事をも数へたい。人間は万物の霊として物質を支配するものではあるけれ共、又他の一面に於て物質的境遇に支配せらるゝといふことも疑ひない事実である。然らば忠君愛国といふ如き抽象的の倫理主義も、国民の物質的境遇の安全が或程度まで君主国家の側から保障されて居なければ、深くなるものではないことも認めねばならぬ。忠君愛国思想の最もよく発達した封建時代を見ると、所謂武士は一定の封禄を世襲し、其君に仕へ其国を護るといふことは、同時に彼等自ら生活の基礎を保護するといふことである。且彼等は親戚故旧相密接して生活して居るから、仮令戦争があつて一命を捨てゝも、遺族は親戚故旧の世話になることも出来るし、君主から其家に付てゐる封禄をも貰へるし一向心配はない。然るに今日は家族の生活の基礎たる収入は個人的のものとなつた。自分が死ねば直ぐ其日から遺族が生活に困ることは目に見えてをる。加之今日は昔の封建時代と異りて、先祖代々同地に住んでをることはない。人間到る処青山ありだ。斯る時勢になれば命も惜しいと云ふ考の起るは当然である。何で高尚なる理想の為に命を捨てることが出来やうか。それにも拘らず今日の時勢に於て、忠君愛国の思想を封建時代に於ける如く養成しやうとならば、君主と国家と人民の生活との関係を、政治法律の力を以て昔のやうに密接なものとしなければならない。畏れ多いことではあるけれど近年我国の皇室は多額の金額を下万民の為に下し給ひて済生会の成立を見た如き漸々人民との関係が密接になつて来た。唯不幸にして宮内省辺の人が聊か頑固で、陛下と人民との間に障壁を設けたがるといふことを聞くが、どうか斯ることのなきことを望む。独り金を下し給ふのみならず、君主が真に上万民の休戚を思ひ給ふことになれば、忠君の思想は油然(ゆうぜん)として勃興することを疑はない。其例は最近伊太利西班牙之れを証してゐる。西国などに於ては多年暴政を行ふた結果、共和思想が横溢して、数年前迄は西国が先に共和国になるか、葡萄牙が共和国になるかと云はれて居つたのであるが、葡国は已に共和国となつたに拘らず、西国は反つて共和党の数が漸く減じて、今日は王政万歳の有様である。これは何故かといふに現主「アルフォンソー」十三世が、英国から来られた賢明の皇后と共に、屡々人情溢るゝばかりの行動を人民に示され、今や深く国民の愛慕を獲てをらるゝからである。此点から考へると、皇族の教育は甚だ畏れ多いことではあるが、国民の忠君思想の養成には第一に必要なことである。次に国家の側から云ふと、近年は経済上の発達などの為に、益々一般人民の生活が困難になるもの故、政治家は此点に着目して、所謂社会政策を行うて国民の生活を保障してやらねばならぬ。若しも国家が仮令時勢の変とは云ひながら、年々歳々人民の生活が困難になつて行くのを放任して居るといふことであつては、どうして国家を愛する心が深くなることが出来よう。如何に彼等に向つて、日本は今や世界の一等国となつたとか、朝鮮満洲にも発展したとか、世界の尊敬を受けてをるとか聞かした所が、夫が為に税金が重くなり物価が高くなるのみでは、何で国家の有難味が分らう。是れ即ち「吾人が祖先は国体論について未だ何故との疑問を発したる者なかりき。今日の青年に於ては殆んど其疑問を発せざる者なき」(廿七頁)所以であると思ふ。斯く論じ来れば忠君愛国の思想の欠乏は、一方に於ては形式的教育、他の一方に於ては社会政策なき武断政治が其の責任を分つべきものであると思ふ。何は兎もあれ、我国今日の形勢は頗る憂ふべき状態にある。人心萎微して更に溌剌たる元気なきは、先生と共に深く其感を同うする所である。
三
更に進んで先生は我国の国際間に於ける形勢を説いて居る。先生は先づ英国の形勢を説き、日英同盟の如きはイザとなれば当になるものにあらずと説いてゐる。露国とても亦同様である。若し夫れ米国に至りては到底我と融和することを得ない。其上に隣邦の支那に於ては常に紛擾の種は絶えない。従て我国は亜細亜大陸に於て紛乱の渦中に投ずべき機会に富み、又太平洋に於てアメリカと争ふべき運命にある。而して日英同盟必ずしも頼みとならず、日露協商の如きも亦頼むべからずとせば、我々は自ら自力を以て起つの外はない(四十九頁以下)。凡そ一国として独立の体面を保つ以上は、自ら守るの実力を養ふを必要とすることは論を俟たない。況んや我国の如く先生の述べてをる如き境遇に在るに於ては最も此必要がある。此点に於ては先生と全然同感で且先生と共に深く国民に警告したき点である。先生は更に進んで自ら衛るの良策は、更に奮つて外に発展することにありと説いてをる。真に自ら衛るは現状に休止することではない。先生の最も力を込めて説く如く国際競争に於て休止は即ち退却である。現状より一歩も退かざらんとすれば一歩を進めねばならぬ。進むか退くか、此の二つの外に採るべき途はない。かくて余は先生の帝国主義に全然同感の意を表するもので、先生の最も熱心に排斥せんとする、夫の内部の充実の為めに暫く対外発展の勢を差控へやうとの説には大反対である。
先生は右の趣意を明白にせんが為に大に帝国主義を論じ、殊に英国の帝国主義(六十二頁以下)、アメリカの帝国主義(二百廿三頁以下)を論じてをる。如斯各国が帝国主義を採りて海外に発展してゐる以上は、我国も之と伴うて外部に発展せずんばある可らずと云ふは当然である。かく競うて外部に発展すれば、どうしても其間に衝突あるを免れぬ。先生の吾人に教ふる如く、日本は到底太平洋と支那とに於て各国と衝突すべき運命をもつてをる。
世には世界主義又は人道主義を唱へて、世界万民融和の方面を高調して各国の利害の競争といふ暗黒なる方面に耳目を蔽はんとする者がある。成程一面に於て所謂同胞主義なるものが国際競争の禍を緩和するの傾向あることは疑はない。乍併此緩和的勢力は今日のところ極めて微弱で、国際間に於ては個人間に於けるとは異つて、先づ道徳はないといふてよい。殊に日本と西洋との如く人種宗教を異にしては此点は尚ほ一層甚しい。余の考では人種の差はそれほど隔をつくる原因ではなくして、宗教の差が彼此を分つ重大の障壁となる。宗教が同じければ異人種も割合融和し得る。人種競争の最も甚しい所は同時に宗教の差を伴ふ所に多いことは歴史上明白なる事実である。日本人は必ずしも之が為に政略として基督教を採る必要はないけれども、若し日本が漸時に基督教文明の精華を咀嚼して、彼の西洋人と共通の雄大なる世界思想を解し且抱くことゝならば、彼等と今よりも一層融和し得ると信ずる。今日日本人がアメリカなどに於て排斥を受くるのは、日本人が此偉大なる世界的精神を解して居ないことに責任があると思ふ。此問題は暫く措くとするも、兎に角今日国際関係を支配するものは、個人に於けるとは異りて、道徳が主でなくて腕力が主である。無論余は道徳は全然国際関係の支配に入つて来ぬとは云はぬ。寧ろ余は此数年来道徳が国際関係の規範として漸く重きをなしつゝあるの喜ぶべき傾向を見るものである。此事は他日別に論ぜんと兼々考へてをる。併し夫にしても今日の所は猶ほ腕力が主たる支配者であるんだから、そこで吾人は国際関係に於ける国家の独立乃至体面を維持保護する為には十分なる武力を養ふの必要あることを信じて疑はないのである。
此点迄は余は先生の説に承服する。而して先生は更に進んで日本国民の発展の為めとしては勿論日本国民の自存の為としても領土拡張の必要、否大陸経営の必要従つて軍備拡張を力説して居る。要するに軍備拡張と大陸経営とは先生の二大根本主張であるやうに見える。之にも余は全然同感である。且余の考にては現今の日本政客中には極端な消極論者を外にしては大概此点には異論はあるまいと思ふ。唯問題の起るのは軍備拡張の程度如何である。何を以て大陸に発展するかの内容の問題である。此の点が当今の政界に一番大切な問題であるから、余は此の点に関して十分詳細なる先生の意見を承りたかつたのである。
軍備拡張の必要は無論之を認むるけれども、唯この事は非常に金のかゝること故、必要の最小限度(ミニマム)に拡張を止むることが必要である。少しにても余分にするは毛頭必要なきのみならず、我国の如き財政困難の国にては最も此程度の確定が大切な問題であるのである。余は財政との均衡のみを着眼し軍備を極端に制限すべしとの論には、主義としては賛成しない、之は先生と同意見である。併し全然財政を無視する議論にも従ふを得ない。先生は貧国にして強兵なるはあれど富国にして強兵なるは難しと云はるゝが之は事実と異る。今日の意味で強兵とは唯軍隊の強いのみならず、軍隊を動かす財政的基礎がなければ以て強兵の要素を完全に有するものとは云へぬ。又金ばかりあるも軍隊がなければ駄目だといふけれども、アメリカや英国が依然強国の体面を保つ所を見るも、又今日弱国などゝ蔑視せらる、自耳義和蘭瑞西の如き中立国が、今や旭日昇天の勢を以て国力を張つてゐるのを見ても、富力が強国の一要素なることがわかる。瑞、自等を富国弱兵の例として挙ぐるものゝ如きは、深く之等の国の近状を研究せざるの誤である。それで余は軍備問題にはどうしても経済問題を関聯せしめたい。先生が軍備拡張の前には経済問題を犠牲に供するも可なりとする如き考の傾の仄見ゆるのは余の遺憾とする所である。さればとて余は経済問題を旨として軍備拡張に反対する議論に対しては先生と共に賛成が出来ぬ。之は日本今日の経済状態が軍備拡張に耐ゆるや否やの実際問題にも関聯するが、余は租税の負担を尚一層公平―私は今日の租税は余りに下に重く上に軽いと信ず―にすれば、軍備拡張などは憂ふるに足らぬと思ふ。軍備拡張に反対するの議論は夫が為に必要なる租税の増徴を恐るゝ一部階級の利害の打算から起つた議論であらう。此の如き議論は素より顧みるの必要がない。真に主義として軍備拡張の否を論ずる者で在つても、多くは民力休養など、称へて、軍備拡張の財源を上流の富者階級よりとりて差支なきを心付かざるに基づくもので、此点に心付いたらば軍備拡張にはそれ程反対せぬかも知れぬ。要之余は軍備拡張には必ずしも反対ではないが、唯其必要なる程度を余程よく研究し且之と相伴ふて経済方面の素養をも怠つてはならないことを高調したいのである。次に又其拡張程度如何に付ては四囲の内外の形勢を参酌し、之を軍事の技術上から決定するのではあるが、必ずしも絶対に軍事の専門的眼光からのみ決すべきものではないと信ずる。余は先生と共に同盟とか協商とかの外国の力を便つて、自ら衛る所以を援くすることは危険也と信ずるけれども、乍併巧に外交関係を利用して多少軍備の足らぬ所を補ふことは是れ実に政治家の最も力むべき所であると思ふ。外交関係を利用することを知らずして専門の軍事家の云ふ通りの軍備を備ふる如き馬鹿正直な、例へば資本の運転を知らずして大金を銀行に預け其利息で生活する如き愚直極る政治を行ふてをる国は今日世界の何処にあるか。遺憾ながら我国の外交は甚だ不振である。当局者は外交を利用すること甚だ巧妙ではないと開いて居る。若し大に外交の刷新を謀り有為なる人物を外交官に挙げなば大に之を軍備問題の助とすることが出来ると思ふ。故に軍備拡張を論ずるに当り余は外交の刷新を絶叫したい。此辺の事は必ずしも先生と反対の意見ではないけれども、先生の説は兎角軍備拡張一天張の偏狭な議論であると誤解さるゝ嫌ありと思ふから茲に之を一言するのである。
対外発展といふことも単に此問題の形式だけには恐らくは何人も異論はあるまい。乍併何を発展するかの内容の問題に至りては大に議論の存する所、又此内容の問題が吾人の特に先生から承りたい点であつたのである。是迄の所にては先生は我国の政治的権力を外国に樹てることを以て対外発展の内容也と主張せらる、如く見ゆるが、真意は恐らくは茲にはあるまい。世界に優勝なる国民として永く其跡を天下後世に残してをる国民は、物質力に於て優れてをるのみならず、必ず精神力に於ても優れてをることは歴史の証明する所である。若し我日本民族が武力を朝鮮満洲に樹つることのみを是れ能とし、其外に何等優秀なる文明的理想の以て大陸に扶殖せんとするものを有つて居ないなら、吾人到底大陸経営の永遠の勝利者たる資格が無い。高尚なる理想の扶殖は無論武力の後援を必要とする。されど武力を以てする大陸経営は少くとも主義としては従たるものであらねばならぬ。余は世の道学者流と共に所謂正義人道を唱へて先生の所謂「力の福音」を軽んずるものに非ざるも、「力」は到底目的其ものではない。主義としては少くとも手段であると看ねばならぬと思ふ。此点は先生に於て必ずしも御異議はあるまいと思ふが、説いて詳ならざるものあると思ふ故、茲に附け加へたのである。
四
第十五篇以下に於ては最近の社会主義的趨勢に付て説いてをらるゝ。殊に主として英国の内治政策最近の傾向が大に社会主義的なること、(九十九頁以下)、其極終に貴族院が平民の前に兜を脱いだ始末(百四十五頁以下)を主として説かれてをる。学究的説明は先生の厭はるゝ所なるも、しかし社会主義なる文字の用法に付ては少くとも誤解を防ぐ点より先生に対し異論がある。英国の所謂社会主義も、仏国のサンヂカリズムも共に広く之を達観して、同一の名目中に之を包含することは不都合とは思はざるも、乍併多少の精密の議論をなすときは、之を混同する事は論者往々誤をなすのみならず、開く者をして亦大なる誤解に陥らしむる恐がある。何となれば英国の所謂社会主義と仏国のサンデカリズムとは其間に無論一致点はあるけれども、其実際上の主義として大に径庭のあることは、先生の所謂積極的帝国主義と消極的平民主義との差よりも著しい。抑も漠然社会主義といふときは、近時の用例によれば独逸流の社会主義を意味する。英の社会主義は之をソシヤリズムといふ者が少い。仏のサン
ヂカリストの如きは自ら社会主義者にあらずと断言してをる。之れは名目の争とのみは云ふを得ない。英国流
の社会主義ならば頑固なる保守党と雖も心ある者は之を採るに躊躇しまい。此点に於ては先生も我輩も均しく社
会主義者である。乍併独逸流の意味に於ては、先生は素より社会主義者にあらず、余も亦社会主義者也といふに
躊躇する。若し夫れ仏のサンデカリズムに至りては苟くも日本国民たる者は余程極端な平等思想を抱く者でも容
易に承服することは出来まいと信ずる。故にサンヂカリズムの悪むべきを説いて社会主義の一の弊と論ずるとき
は、軽卒に之を聞く者は英国流の社会主義をすらも之を採るに躊躇するに至るであらう。
ロイド・ジョージの社会主義的政策に付ての先生の説明は丁寧懇切を極め読者は必ずや之によりて大に啓発せ
らるゝ所ありと信ずる。此傾向を以て予は近代の有力なる政治家の思想が漸時社会主義になつたといふ証拠な
りと解する。併し若し之を以て労働者が社会主義の要求の声を放てるの結果と見る者あらば夫は誤である。ロイ
ド・ジョージは決して労働者ではない。又今日の自由党政府は昔と同じ様に其勢力の根拠の一般は労働組合にあ
るも最近社会主義的政策を実行するは、其勢力の根拠が漸次労働者間に益々拡まり行さつゝあるが為にはあらず、
自由党の勢力の根拠としての労働組合の範囲は昔に比して特に増しては居ない。否労働党の発生以来反つて多少
減少してをる。それ故に自由党は今日労働者の要求に押されて社会主義的政策を採ると云ふ訳には行かぬ。然ら
ば自由党政府は今後漸く労働者間に勢力を拡張せんが為に、彼等の要求に迎合して社会主義的政策を行ひ居るか
といふに、或意味に於ては之は確かである。併し之を以て社会主義的労働階級の要求に迎合したものといふなら
ば是亦事実を誤つてをる。勿論自由党の政策は社会主義の要求と異りたる方向には向つて居ない。けれども彼等
の要求に迎合せるものでは決してない。其の証拠は自由党と社会主義の連中とが決して融和して居ないのでも分
る。今日労働党が政府党たるの事実を見て、自由党則ち労働党の要求に大に動かされたりと断ずる者あらば、是
れ全く皮相の観察である。労働党中社会主義に属せざる比較的富有なる高等労働者の団体は自由党との提携を欲
するけれども、社会主義を奉ずる下級労働者の団体は寧ろ自由党との提携を主義の為には恥辱と考え、事によれ
ば労働党は為に分裂するに非ずやと思はるゝ程である。因みにいふ、「英国に於ける社会主義の蔓延」(一〇四頁)
と還する一篇は、頗る簡明に英国に於ける労働党のことを説いてあるが、唯其中「千九百8年二月「ハル」の総
会に於て其究竟の目的として社会主義をとることを議決し、又同年を以て万国社会党事務局に加盟したり」と云
ふは事実に相違してゐる。成程同年の総会にては社会主義を労働党の究竟の目的とすべき時期は既に到達せり
との決議をなしたけれども、此意味は党の憲法を修正し其結果社会主義の遵奉を労働党加盟の条件上するの企は
大多数を以て否決せられたもの故、今日に於ても労働党は社会党と労働組合との聯合であつて純粋なる社会主義
の党派ではない。要するに英国の所謂社会主義化は、先生の所謂「取る所の社会主義」にあらずして「与ふる所
の社会主義」である。上流政治家にして進んで社会政策を行ふこと英国の如くならずんば、社会政策は下流労働
者の要求する所となりて、他日政界に紛乱を来すことは各国の等しく経験する所である。我々は英国の例により
て健全なる将来の進歩の為に、ロイド・ジョージの如き、先生の所謂貧者の勢力を後援として富者の産を奪取す
るに遅疑せざる大政治家の出顕を望まざるを得ない。兎に角英国は社会主義が蔓延して勢力を振ふたといふ例に
挙ぐるよりも、寧ろ見識ある政治家が勢に先じて憂ふべき社会主義的紛擾の発現を見事に制したる例として挙ぐ
べきものである。
次に貴族院の権力の打破に付ても余は先生と見る所を異にする。貴族院の権限を縮少すべきや否やの問題に付
いて貴族が失敗せるは(百五十六頁)必ずしも多数の平民が少数の優等階級を暴力を以て抑へ付けた訳ではない。
貴族の語義にもよるが、若し此語が現に国王から栄爵を附与せられた者及其の子孫のみを意味するならば、貴族
院権限の縮少は即ち貴族の特権の縮少にして、先生の云はるゝ如く貴族の失敗である。併しよく考ふると、貴族
は単に貴族也との故を以て何故に斯の如き特権を有して居るのであるか、余は其理由を知るに苦む。貴族が一国
の運命に関する政治上の事に付て斯の如き大なる特権を有するは道理に合はぬと思ふ。少くとも英国の貴族院の
如き特別の構成を有するものは、衆議院と相対峙して同等の権を行ふことは、歴史上の偶然の発達を度外視して
は何等説明すべき理由がない。貴族院権限の縮少は、実は此不合理を取り除いた正当の所置であつたといふも可
なる程である。日本の貴族院の如き、事実は然らずとするも、主義の上から云へば、単に形式上の貴族のみなら
ず実際上社会の優等なる分子を網羅するものであるから、衆議院と相対立して同等の権利を行ふに不都合はない。
然るに英国では上院は全然形式上法律上の貴族の集合である。事実上社会の優等なる能力は、余の所謂事実上の
貴族は、悉く下院に集つて居ると見ていゝ。故に上下両院の戦は社会的に分れて居り上下の階級の争ではなくし
て形式的貴族と事実的貴族との争である。貴族の失敗は平民の勝利といふよりも寧ろ形式的貴族に対する事実的
貴族の勝利である。英国の下院は常に平民の勢力を後援として立つてはをるけれども、彼等は平民に動かさるゝ
よりも寧ろ平民を指導する勢力である。常に平民を基礎とし、而かも平民の上に立つて実力ある優等階級が政権
の中心となつてをることは英国政治の特徴である。貴族院の権限縮少は決して単純なる平民的勢力の横暴と見る
べきものに非ずして、名許かりの貴族が其地位を実力ある者に譲つたといふ当然の現象を意味するに外ならない。
要するに英国最近の政治的現象を、健全なる政治的進歩の一の模型として挙ぐるには異議はないけれども、単に
之を社会主義的勢力又は平民主義の勢力の横溢の例として挙ぐるには何となく首肯し兼ぬる気がする。
〔以上『新人』一九一四年七月〕
〔第三回〕
一
本号に於ては第廿六章以下、即先生の積極的意見の本文を読んで得たる感想を述ぶる事に致します。
先生立言の要点は畢竟するに最後の篇、即ち「力の福音」に於て簡明に云ひ表はされてをると思ふ。之を切言
すれば次の三点に帰する様である。第一は自力の養成、第二は皇室中心主義の民族的醒覚、第三は国民的理想の
涵養である。而して前三十余篇は即ち其註釈と見るべさものである。先生は日本帝国の取るべき方針は第一に実
力の養成にありとし、其必要なる所以を国民の心肝に銘ずるために説述尤も努めて居らるゝ。而して先生は其自
力主義を余程意味の強い者に見て居らるゝ。先生自からの命名によれば之を攻勢的自力主義と云つて居らるゝ。
而して之と相対して消極的主張をば排斥尤も努めて居らるゝ。吾人と雖も固より国家の方針として絶対の消極論
には賛成することは出来ない。国家の運命の他力の擁護に待つべからざるは固より云ふを待たない。仮令自力で
も常に攻勢を取る位の勢がなければ、自から守る能はざるは幾多の例が之を証明してをる。若し我が一歩退くな
らば、為に我々は無限に退かなければならぬ破目に陥らねばならぬ事は、先生の所謂「若し敵の驩心を得んと欲
して障隔を撤せんか敵は欣然として無人の地を行くが如く我を犯すべし」(二六二頁)と同感である。故に自から守
る必要から云つても、自から張るの必要あるは云ふを俟たない。されば或程度の攻勢を拝せなければ、自守すら
出来ないと云ふ事も明かである。此点は全然先生と同感であつて、而して我国の政治家が、先生の所謂怖外病
(二七五)に罹つて、対外的発展の方針を過る事あるを遺憾とするも又同様である。
乍併茲で一つ問題となるのは攻勢的自力主義と云つても、無限に攻勢的態度を取ると云ふ必要のないことで
ある。之れは時と場合とに応じて自から順序と程度がある。此順序と程度と云ふ事を見るのが我々にとり大切な
問題であつて、又経世家の最も明瞭に国民に教ゆべき点であると思ふ。先生は此方針の一の適用として、所謂大
陸経営を主張して居る。更に具体的の議論に進んで、彼の北守南進論を笑つて(二九三以下)満蒙経営論(三一二以
下)を主張して居らるゝ。日本今日の方針として、大体に於て此二方針は極めて適切であると思ふ。此立場から
して先生は更に進んで軍備拡張、特に陸軍の拡張を主張せられて居る。先生は固より海陸並行論者で、理想とし
ては何れを主とすると云ふ事はないけれども、しかし当節海主陸従説が時を得顔に跋扈して居るものだからして、
先生は其説を目当に陸軍拡張の方に主として力を入れて居らるゝやうに見える。之れも単純な理論としては、同
感であるけれども、しかし果して陸軍拡張の必要があるかどうか。又差当りの問題として海軍拡張と陸軍拡張と、
何れを最先の急務とするかは、技術上の問題であつて、先生の抽象論丈けでは俄かに賛否を決する事は出来ない。
故に先生の説の主旨には賛成すれども、先生が動もすれば自力主義と大陸経営論と陸軍拡張とを混同して、陸主
海従説に反するものは、即ち大陸地棄論者であり(三二三)大陸地棄論者は即ち自力主義地棄論者であるかの如く
に説かるゝのは承服することが出来ぬ。現に現在の軍備を以て大陸経営に差支へなしと唱ふる有力なる論者もあ
る(七月号太陽、浮田和民氏所論参照)。先生が余りに大陸経営論に熱心で、其ために又陸軍拡張論にも熱心なるも
のあり、大陸経営の手段たる軍備拡張論を目的其ものであるかの如くに説かる、からして、軽卒なる読者は先生
を日して、軍国主義者なりと云ふであらう。現に私の如きも、此書の半分以上を読むまでは、先生を以て陸軍の
提灯持であるかの如くに解してをつた。殊に先生は軍備拡張の利益を無制限に主張してをる。乍併私の考では軍
備拡張が国家の安寧幸福の上に及ぼす効用は決して無制限ではないと思ふ。滋にも経済学上の所謂収穫逓減の理
法が行はるる者であつて、或二疋の程度(時によつて同一ではないが)を超ゆれば、其効用は大に減ずるものであ
053
ニ
町留
る。而して先生は更に軍備と財政との関係に就ては尤も極端なる議論をなして居らるゝ。日く「強兵は富国の因
にして富国は強兵の果也」(三二六)と。先生は国家官能なるが故に万事意の如くなるべしとは思はず…=・黄金万
能カの信者にあらず(三四一)と云はる、が、併し先生は少くとも強兵万能カの信者であるやうに思はるる。先生
は富は相融通して之を用ゆべきも、士気は俄かに他より借る事が出来ぬ。故に富んで兵弱きよりも貧にして兵強
きを取ると云はれるけれど、しかし、貧にして永遠に強兵なるを得るか。先生は貧国強兵の例を挙げて居る。併
し例を以て事を証するならば、貧国にして強兵なるよりも寧ろ富国にして強兵なるが多い。且又貧国にして一時
強兵なるも、暫にして意気汎喪し、遂に敗残の国となつた例は、富国にして弱兵たりしものが、漸次其勢を盛り
けんち
返して天下に雄飛するに至つた例と其数に於て必ずしも軒軽はない。今日貧国強兵なるものが何処にあるか。先
生は富国弱兵の例として仏国を挙げて居るけれど、然しこれは恐らく最近の仏国を適当に解してをる見解ではあ
るまい。勿論此頃の新開では仏国陸軍の暗里高が暴露されてをる。乍併之れは決して仏国の陸軍が特に他の国の
陸軍よりも腐敗して居る事を証明するものではない。恰も収賄事件が暴露されたりとて、日本の海軍が世界最悪
の海軍であると云ふ事が出来ぬのと同様である。
之を要すふに先生は軍備と財政との関係に於て、余りに軍備を過重してをる。所謂財政家の利己的御都合説に
聴いて、軍備拡張を過度に制限せんとするの風潮に対しては大に警戒せねばならぬけれども、しかし軍備拡張が
必要だからと云つて、財政の如何は必ずしも顧慮するの要なしとせらるゝのは決して正当の見解ではない。無論
強兵と云ふ条件なくして富国と云ふ事実は成立しない。乍併、強兵であればとて常に必ずしも富国ではない。強
兵は富国の必要条件なるも、其根本原因ではない。故に財政は決して軍備を度外視しないけれども、又軍備によ
つて其運命を踪踊せらる、筈のものではない。却て財政は国家存立の要務の一として、軍備に向つても有力なる
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要請をなし得るの権利を有するものなるは、腎明なる先生の認めらる、ことゝ思ふ。
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蘇峰先生著『時務一家言』を読む
二
先生は更に進んで此実力を養成して、国家の富強を計るためには、如何なる具体的の問題を取ればよいかと云
ふ事を論じて、一方には君徳の養成を説き他の一方には民意の修養を説き、君民の間を貫くに尚武の精神を基と
する秩序的訓練を以てせんことを説かれてをる。此の議論には大体論としては非常に同感なるが、然し細目の点
に至ると、先生の着眼は常に国家の対外的発展と云ふ事に重きををき、国家内部の整理充実と云ふ事には割合に
重きを置かれて居ない様である。無論先生は外に対しては帝国主義を取り、内に於ては穏健なる社会主義の実行
を説かれてをる(四三一)。故に全然内政の問題を閑却してをるではないが、然u全体の議論の調子はどうも対外
的発展と云ふ方面のみを主として見てをる様に思ふ。斯く私の見る訳は先生が憲政擁護運動に就て下されたる判
こ ぜりあ
断である(三七五)。先生は、憲政擁護運動などと云ふ内部の小擢合ひに、無用の労力を費すと云ふ事は頗る馬鹿
気て居るではないか。今や外に向つて国力を統一して発展すべき場合に際し、内部にて争ふことは甚だ不得策で
あると云ふ御考へである。斯くて先生は政党政治を呪ひ、政党の弊害を説いて居らるゝ。一体に外交の事を主と
して見る人は国内の政争や政党政治を嫌ふ傾がある。乍併外交のみが国家政治の全体ではない。而して外交に於
ては政見が二様に分る、と云ふ事は割合に少ないけれども、内政の問題に就ては政見が一に帰すると云ふことは、
寧ろ実際にあり得ないことである。故に内政問題に就て国論の帰一を期するのは無理である。先生はローズベリ
のろ
−卿の説を引いて、英国に於ても政党内閣を祖ふものあり、却つて日本の現状を羨んでをるものがある(三人七)
と〔云ふ〕事を云はる、けれども、之れは決して英国の輿論ではない。先生は英国の政党政治をば空蝉の殻と云つ
町屠
てをられるけれども、之れは断じて誤りである。又先生は二大政党の対立は勢にあらず、又両立し能はざる問題
と云ふものも極めて少い(三人九)と云はるゝけれど、之れも正当の見解ではない。社会には現状に満足してをる
のと、満足せざるもの即ち現状打破によつて運命を開かんとするものある以上、二大政党の対立は当然の勢であ
る。故に私は先生の如く政党の分立せざるべからざる理由はないと信ずる事は出来ない。尤も政党の現状に満足
してゐないと云ふことは云ふまでもない。乍併理論として政党政治を排斥すべき理由をも知るに苦しむ。先生は
政党政治を排斥すると共に又官僚政治をも排斥して居る(四一〇)。政党政治も官僚政治もいかんと云ふならば、
果してどう云ふ形式の政治がよいのであらうか。先生は破格人材登用と云ふ事を云はれるけれど、斯る抽象的の
名辞丈けでは其意味が分らない。此点に就ては今少し具体的説明が開きたい。若し夫れ憲政擁護運動に至つては
必ずしも之れを喜ぶべき現象とは見ないけれども、然し之を以て全然無意義のものと見ることを欲しない。此点
に就ては余は先生と意見を異にするけれども、然し先生が所謂暴民の喧争に対する予防法を講じ(四五六)、其最
もろ一て
も有力な一策として撰挙権拡張を説かる、のは(四五七)私の双手をあげて賛成する所である。而して之と相並ん
で民意の修養を鼓吹せられ(四五九)之を彼の君徳の養成(四四七)と相並んで民族統一の根本的方針となさんとす
かしこ
る点せ尤も身今の急務を説かれたものと思ふ。特に四百四十七頁以下に於て畏くも聖徳養成の道を説かれる占州は、
経世の一大文字にして何人も襟を正して之れを必読すべきものであると思ふ。
〔以上『新人』一九一四年八月〕
98
〔第四」回〕
蘇峰先生著『時務一家言』を読む
三
予は前項に於て、少しく憲政擁護運動と云ふ問題に触れたのであつた。此運動に対する先生の御意見は三七五
頁以下に出でをるが、之に依つて見ると所謂憲政といふ文字に就て、先生の考は多少我等の見る所と違ふて居る
やうに思はれる。先生は自から憲政といふ文字に二疋の意義を与へ世間普通に云ふ所の憲政と云ふ考は自分の考
とは違ふ、従て誤て居ると云ふ風に説いて居らる、。先生の意見によると、憲政の文字に対する世間普通の解釈
といふものは、君権に抗敵すると云ふ意味に於ての民権の伸長をはかる政治と云ふ袖外ならない。而して憲吸擁
護などと云ふ運動は汝児が「尚之れに托して、其野望を遥ふせんとする」所の運動であると云ふ風に見て居ら
る、。而して此点に於て、「我が国民は憲政と云ふ事に就て根本的の誤解あり」と説かれてをる。然し此見解は
決して正当ではない。日本国民は一般に憲政と云ふことをさう云ふ極端な意味には解してゐない。彼の憲政擁護
運動の唱へられた場合に於ても、無論中には極端なものもあつたらうけれども、大多数は憲政と云ふ文字に、先
生が附せられてをる様な解釈を附してはをらなかつたと思ふ。兎に角先生の議論の中には、反対論者の立場を
ことさ
故らに極端に悪く解釈し痛激に之を批駁して喜ぶと云ふ傾きがあるやうに思ふ。夫れは憲政擁護運動の事ばかり
ではない。軍備縮少論とか、北守南進論とか又所謂消極論者とかの立場を説かるゝ際にも、之等の説をば実際よ
りも、更に極端なものとして説述されて、夫れに対して盛に攻撃されてをる。予は之を公平な態度とは思はない。
先生が自説を国民に適切に教え込むと云ふ目的には非常に適して居ると思ふけれど、公平な議論をすると云ふ立
場から見れば、幾多の遺憾がある。然らば翻つて先生自身が憲政を如何に解釈して居るかと云ふと、之れは先生
桝屠
盛
の如き実際的経給家にも似ず、極端に法律的である。先生は憲政を定義して「憲法に準拠したる政治」(三七五)
と云ふてをる。而して更に其の趣旨を布術して三七九に詳説して居るが、之れはまるで、故穂積博士の憲法論中
たとえば
にでも説いてあるやうな説明で、全然法律論であつて、政治論としては何等の意味がない。例之国務大臣の任免
若くは大臣の章任と云ふ事を論じてある所に就て見ると云ふと、「国務大臣任免の権は憲法上君主にあり何人を
採用するも君主の大権なり」(三七九)とか「大臣は君主に向つて責に任じ、他の何人にも責に任ぜず」と云ふや
うな議論は、之は乾燥なる法律論である。こんな事は君主国体にては大体憲法の有無に拘らず、昔から一貫して
居る所である。我等の所謂憲政と云ふのは、国家の根本原則たる憲法の範囲内に於て、近世の立憲諸国に普ねく
通用する所の政治上の根本的の慣例を意味するのである。例之大臣の任免は君主の大権だからと云つて、君主は
どんな人間を大臣に撰んでも一向さしつかへないかと云ふに、法律上は無論さしつかへない。何となれば憲法に
矛盾しないからである。乍併夫れが国家の為め、国民のためと云ふ政治上の立場からとなれば甚だ困る。そこで
誰を撰ぶかは法律上は君主の勝手なれど、国家国民のためと云ふ立場からどう云ふ人をどう云ふ風にして大臣に
任ずるかと云ふ、大体定つた慣例の生ずるのは当然の勢で且つ又必要である。
そこで憲法と云ふ根本法律の範囲内で、予の所謂憲法的慣例とも云ふべき一の政治上の原則が定まると云ふの
である。さう云ふ政治上の原別に従て憲法を運用し、国政を料理する事を我等は憲政と云ふのである。若しも斯
う云ふ一定の原則が政治上に於て既に固まつて居るに拘らず、君主は勝手に大臣を任免する事が出来ると云ふ法
律論を楯にして、此政治上の原則を揉踊するものありとする時は、滋に初めて憲政擁護の運動が起るのである。
故に憲政擁護の運動は憲法の範囲内に於ける一種の政治的運動にして憲法の法律上の原則を破壊せんとするもの
ではない。憲法の法律上に対する反抗は是れ即ち革命である。革命と憲政擁護運動とは之を混同してはならぬ。
1。。
▼
蘇峰先生著F時務一家言』を読む
されば先生が、「吾人は天下何人も憲政を破壊せんと試みたるものを見ず、而して突然憲政擁護運動の声を開き
しは何ぞや」(三七五)といぶかりたるは之れ即ち先生が法律的の憲政の解釈を以て、政治的の憲政擁護運動に臨
まれたるものであつて、寧ろ先生の誤解である。斯う云ふ風に考へて来るといふと、近年の我国の憲政運動など
云ふものは、先生は之を無意義のものと罵倒し、且つ慨歎せられてをるに拘らず、予は之れに大なる意味があり、
且つ一部政治家に対する大警告であると信ずるのである。
憲政の法律的並に政治的解釈に就ては尚ほ三ロを附け加へたい。憲法と云ふ法律に背いた時には憲法違犯即ち
一廿と
違憲と云ふ問題が起り、憲法上の慣例に惇つたと認むべき事件が起つた場合には、非立憲といふ問題が起る。言
葉の争ひのやうだけれども、違憲と非立憲とは観念の上で明かに区別して置きたい。之を区別することは我国を
初め多くの成文憲法を有する国々を論ずる場合に必要である。然るに英国にては成文の系統的憲法々典がない。
英国の所謂憲法は大体に於て憲法上の慣例の集積と見てよい。従つて英国にては違憲と非立憲の区別はない。非
立憲即ち違憲である。故に「我国にては君主に向つて貫に任じ、英国にては下院に向つて責に任ず」(三八二)と、
彼と是とを単純に比較することは誤解を招き易い。英国に於て其の政府は、我国の政府が君主に向つて責に任ず
ると同じ意味で、矢張り君主に向つて責に任ずるのである。而して英国の政府が下院に向つて責に任ずると云ふ、
一面の政治的意味に於ては、我国の政府も上下両院に向つて真に任ずるのである。唯だ責任の内容如何の問遺に
至ては多少細かい議論の必要はあるが、然し政府が政治上議会に責任のあると云ふ事は、憲政の趨勢に於て争ふ
べからざる点である。
更に進んで然らば政府が如何なる形式にて議会に対する政治上の責任を完ふすることが出来るかと云ふ問題に
なると、滋に初めて政党内閣の利害得失が論ぜらるゝ事となる。先生は英国流の政党内閣は我国政党者流の理想
肌屠
なるも、然し之れは日本憲政のためによろしくないと云ふ考である(四〇九)。其一の理由として英国の政党政治
が、帝国主義を実行する上に、極めて不適当であると云ふことを挙げて居らる、(四二二)。此点に就ては予は正
しばしば
反対の考であるが、舷に之を議論する事は余り煩しく、且つ又他の機会で之れまで蜃政党内閣論を述べたから
略してをく、唯だ三日したいのは英国が其帝国主義を実行するに当つて、政党の対立関係が常に国論の一致を破
つたと云ふ様に見るならば之れは大なる誤である。若し彼の南阿戦争の時に所謂小英国論者の政府反対論があつ
たと云ふ例を引くならば、そんな例は政党内閣に極端に反対なる独逸にも又我国にもある。且つ又多少の反対あ
ることは其反対論の唱へらる、形式方法の如何によつては、決して憂ふべきでない。盲従的挙国一致よりも道理
ある反対論が堂々と唱へらるゝ事は国家のために喜ぶべき事であると思ふ。英国の実際に就て見ると、国家の対
外的大問題に当つては反対論に苦しめられし事よりも、寧ろ却て反対党が国家のために欣然として旧怨を忘れて
政府と提携したと云ふ実はしい例に富んで居る。最近の例を引くならば、バルカン半島の紛乱に際して、外相グ
レー氏に国民的後援を与へて十分に活動せしむるために反対党の領袖ボナーロー氏が蜃々起つて、政府の外交方
針を賛成し、外相其人の手腕を歎質するの演説をなしたるが如き、更に著しきは今度の動乱に際して今にも内乱
が起るべく見えたアイルランド問題に関係する両党の抗争が、無条件で一時停止すると云ふ事に隔意なく協議が
纏まつた如き事がある。之れに比すると九月初めの我軍国議会に於て、政友会領袖の政府攻撃なぞは殆んど唾棄
に催する醜体ではないか。勿論斯の如き差の生ずるは、彼我政治家の人格の高低と云ふ事が原因するのだけれど、
然し政党政治は常に繰るべき挙国一致をも、繰りにくいものにすると云ふ議論は、少くとも英国を例と〔し〕て論
証は出来ぬ。況んや予は政党を排し民間論客の口を鍼し、異論の樹立を人為的に制し、而して盲従的挙国一致を
見るよりも多少道理ある異論を見る方が健全なる国家としては好ましき事であると思ふ。
1。2
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蘇峰先生著『時務一家言』を読む
要するに先生の政治上の根本主義は、貴族主義であると推定せざるを得ない。先生は素より民衆を無視すると
云ふのではない。現に先生は一方は帝国主義を以て国勢を外に張り、他方は平民主義を以て国力を内に充実する
(四二二)と云つて居る。乍併此方針を行ふに当つては少数の賢明なるものが専ら之に与つて、多数の平民には文
句を云はせないがよい。兎角文句を云はすと足並が不揃になつて、特に対外的勢力の発展を妨げるから、平民と
相談してやる事はいかんといふ主義である。先生は「天下と与に天下の政をなし、衆庶と与に衆庶の事を行ふ」
(四二二)と云つて居らる、けれど、之れは文章の勢で斯うなつたので断じて先生の真意でないと思ふ。先生が徹
頭徹尾、民をしてよらしむべし知らしむべからずと云ふ政治主義を抱いて居ら利い事は全体を通じて見る時は極
めて明白である。従て時務一家言全篇は政道の局に当る少数の賢人に対する教訓であつて、一般民衆を教ゆるの
書ではない。否少くとも一般民衆に対して盲動する勿れ、為政の局に当る賢人に従へと教ゆる所の書である。さ
れば政治の公道は一般平民の利益をも十分に図らねばならぬと云ふ事を云て居るけれども、乍併夫れは為政者の
心得として教えるので一般民衆の自覚を喚び起さんとせられて居るのではない。従て先生は社会主義の実行と云
ふ事を推奨して居るけれど其社会主義と云ふのは先生の所謂「穏健なる社会主義」(四三二)「与ふるの社会主義」
(四三四)であつて、即ち独逸を理想とし、人民自らの要求としては飽迄之を抑へて政府の方から進んで社会主義
の利益を人民に与ふると云ふのである。無論人民の要求を待たず、政府が進んで種々社会主義的設備をすること
は結構な事で、之れは政治上の理想的主義である。然し実際に於て人民の要求を抑へてをる国に於て、真に政府
が人民のためになる政治をすると云ふ事は、行はれ得るか何うかと云ふに、之れは断じて行はれない。少くとも
舶彩
なかなか
現在の社会に於てはどうしても社会に種々な階級が分れて、共階級間の利害は却々一致しない。従て一般平民の
階級をして、政治上有効に其主張を述ぶる機会を与へなければ、上の方の階級は常に自分の利益をのみ考へて、
下の階級の利益を揉踊する。金持と云ふものは利己で非国家的の動物であると云ふ事は先生も既に之を認めて居
らる、(一六五)。故に先生の理想とせらる、独逸に於ても所謂「与ふるの社会主義」が他の国に比し非常によく
発達せるに拘らず、一般国民は決して政府の施設に満足して居ない。之れ即ち民衆共物に政治上の権力を与へな
いからである。そこで与ふるの社会主義と云ふ原則に何時迄も服してをる事は出来ない。さう云ふ理想的の現象
が実際に現はる、ならば此上はないけれど、夫れは一篇の理想否空想に止まると云ふ以上は、一般平民が起つの
あつれき
は已むを得ない。此場合に一方に於ては平民の政治的要求を抑へ、而して他方に於ては「区々たる階級的軋轢を
な▲ぐ
事とし、却つて対世界の大計大略を閑却する」(四三望のものとして、之を罵るが如きは、恰も人の頭を榔つて
をいて痛いと云ふなと云ふ如きものであると思ふ。
要するに予は先生を貴族主義をとるものと認め、而して其貴族主義は理想としてはよいけれども、当世に於て
支持すべからざる議論であると信ずる。勿論予は貴族主義がいけないからと云つて、直ちに平民全体に実際的確
カを与へょと云ふのではない。政治の局に当るものは常に少数の賢人であらんことを切望する。然し其の少数賢
人は一般平民を土台として一には民衆を指導教育し、他方には民衆の要求に聴き、其監督を受けて政治をすると
云ふのが一番よいと思ふ。此事も今少し細論せねば徹底しないが、余談に渡るから滋では論じない。唯三日附加
したい事は、先生の憂へらる、が如く、平民に相談して政治をする事になれば、先生の所謂「術頭の物論」(四五
五)と云ふものがやかましくなつて来る。これは随分うるさい。然し之れがうるさいからと云つて、大勢に逆行
する事は出来ないからして、我等は平民政治を主張すると共に、所謂街頭の物論より来る弊害を予防するために、
1。4
監
蘇峰先生著『時務一家言』を読む
大に平民を教育するの必要と責任とを感ずるものである。此点に於ては先生も同感であらうと信ずる。尚此点に 刊‥表芸j頂和崩=
関する愚見は曾つて『中央公論』四月号で発表した「民衆的示威運動を論ず」と題する論文中「民衆運動に対す
やや
る今後の方針」と遺する項に於て、稀審かに論じてあるから、篤志者は就て参考せられんことを希望する。
更に三戸したき事は、先生が民意修養の一手段として軍隊と国民とを接近せしめ、軍隊のカを借りて国民の元
気を養はんとする提案である。先生は軍隊をしてまづ経済関係に於て国民に接近せしめ、更に進んで国民教育の
仕上げを陸海軍に托せん(三三二)事を説かれてをる。先生は文弱よりも武愚(三六九)を取らんとし、其ためには
軍隊と国民とを接近せしめ、所謂「軍隊を以て国民元気の保育場となし、国家元気の貯蓄所とし、女弱、騎著、
遊惰、放逸の諸悪徳を撲滅するの治療所となす。我軍隊は唯だ万一の媛急に備ふるのみに止らずして、国民的生
活の中枢たるべく、又たらざるべからずと信ず」(三六七)と云はれてをる。之計理想としては頗る賛成である
が然し実際論としては幾分の条件を附するにあらざれば、之れに同意する事は出来ない。今日現実の軍隊教育は
諸の点に於て国民の精神を統一する上に非常に功労あるも、又他のより多くの諸点に於て、国民思想の健全なる
進歩を適当にはかつてゐないと云ふ事も殆んど定論である。従て先生の理想とせる境地に達するには軍人に対し
ても国民に対しても、大に従来の能産を改めて貰はなけれぼならぬ。此点に就ては先生が、三三五、及三三八頁
に説かれて居る処は全然同感なるも、乍併、軍備の理想的目的の一は滋にありとの理由を以て二個師団増設に反
対するの議論を呪ひ、之を以て「帝国軍隊の辱を世界の面前にさらし、帝国軍隊の士気を堕落せしめたる者」(三
三六)となすのは如何なものであらうか。余りに陸軍の提灯持に陥つた様な気味があると云はれても、仕方がな
いではなからうか。
帆留
〉ノ習▼
五
先生は本論の最後、第五十五篇以下に於て大和民族の理想を説かれて居る。而して先生は「自閉打破」と云ふ
四字をモットーとして掲げてをる。先生は武断的貴族主義者であるだけに、其の用語も亦甚だ挑戦的であるが、
併し先生の自閉打破と云ふのは白人に対抗して争ふと云ふ様な意味ではないやうである。つまり我々大和民族は
白人の自負心に一撃を加へ、我等も亦彼等と共に世界の経営に与るの権利と能力があると云ふ事を彼等に知らし
め、我が同胞に自覚せしむると云ふにある様である。此点までは私も先生の説に承服する。「自哲人種が世界を
裁物顔に振舞ふは事実」(四七〇)であつて、我々の常に奮慨にたへずとしてをる所である。然し些面には実に
白人が世界を裁物とする雄大なる気塊があるのであると云ふ処を買つてやらねばならぬ。唯不幸にして彼等は自
うぬぽ
智人種以外には世界経営の能力あるものがないと云ふ風に己惚れてをるから、我々は不平なのである。然し我等
大和民族に果して世界を裁物にする丈の雄大なる気塊があるか、どうかと云ふに、此の点は甚だ心細い。亜米利
加に於ける日本人迫害の如きは、先生の四七一貫に云はるゝ如く、単に人種的差別と云ふ事のみによるものでは
あるまい。予は我等日本人は個人として又国民としては他の多くの国民に比して著しく劣つて居るとは快七て思
はないけれども、然も世界の市民として、暫く国家を超越して世界を裁物として経営するの事業に興味を持て居
るか、どうかと云ふ点になると、遺憾ながら然りと答ふる事は出来ない。斯く考ふる時は我々は白人に対して同
等の待遇を求むる前に、先づ我同胞民族に対して、我等自身の長所を自覚するのも必要には相違ないが、又白人
の気塊に鑑みて彼等と同等のレベルに立てよと要求したい。尤も先生は自閥打破の要は白人に向て挑戦するにあ
らずして、先づ白から国民としての人格を彼等に認識せらるべき地歩を占むるにあり(四七二)と云はれてをるけ
1。6
蘇峰先生著『時務一家言』を読む
れども、乍併世界に於ける国民として我等に何の誇るべきものありやと云ふのが根本の開邁である。滋に於て予
は我国民が尚一層正義公道を楯として、神を敬し人を愛する敬虔なる国民とならんことを切望せざるを得ない。
先生も之れと同様の見解を持つて居らる、(四九五)様であるが然し他方に於て先生は「凡そ白人の及ぶべからざ
るは彼は衆にして我は寡なるにあり」(四人一)と云ひ、更に進んで「自閉打破の要は唯だ養カの一あるのみ」(四人
二)と説いて屠る。而して養カとは何かと云へば、全体の議論の上から物質的武力即ち軍備を整ふると云ふ事を
そんたく
意味するは明白であるからして、字句の上の矛盾を取り去つて先生の根本の考へを付度する時は、我国民は専ら
軍備の整頓を以て唯一最高の理想とすべしと云ふことにあるらしい。此点は予は断じて同感が出来ぬ。勿論軍備
の整頓も必要である。然し之れと共に我国民をして横井小楠の所謂「富国に止らず、強兵に止らず、大義を四海
に布かんのみ」と云ふ気塊を持たしむる事が根本的であると信ずるのである。
更に一歩を進めて、先生は我国の民族的国家なるの点せあげて、之を他国に優る特長であると云はれてをる
(四八三)。我日本帝国が尤も筆固なる民族的結束の上に立てをると云ふことは、万国に冠絶する誇るべき特長で
ぁる。されば今日帝国が四方に発展して支那、朝鮮等の異民族を内に包容しても帝国の中枢の結束は竜も接がざ
るのみならず、其民族に対する同化的勢力は極めて旺盛である。唯滋に三口したいのは、我等大和民族は如斯有
利なる境遇に乗じて、朝鮮民族の如き新附の者に対して、如何なる政策をとるべきかと云ふことである。此の点
に就ては先生は明かに説いて居らぬが、矢張り同化主義を取つて居ると思はるゝ(四六九)。予は思ふ、出来るな
らば同化と云ふ事は好ましい事ならんが、実際上に於ては多少進歩したる独立の文明を有する民族に、同化政策
を以て望むのは正当ではないと。且つ各回は皆此主義をとる事に於て失敗の経験をして居る事を三口して置きた
ヽ● 。
しY
脈留
習澗町
六
終りに全体読み終つた後の感想を附け加へたい。予は本書を三度に分読して評論を試みた。従て始めに先生の
意見が斯うであると見たのが、後に至つてさうでなかつたと見ねばならぬ様な事があつて、私の評論にも多少の
撞着があるやうに思ふ。之れは私の読み損ひもあるかも知らんけれど、一には先生の著書が何れかと云へば断定
的で、或一定の思想を系統的に書いたものでないからである。特に先生は或る一方の議論を盛に説かれた後に
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
「さればとて」と云ふ冒頭を以て、前に自分の説いた議論と反対なる説に対しても、自分は必ずしも反対ではな
いと云ふやうな事を三四行書かれる癖がある。例へば先生は一事の大部分を武力の養成と云ふ事を説くに費して、
終りの方に「さればとて余は必ずしも正義の力を打算の外に置く者にあらず」と云ふ様な風の数行を加へてをる。
斯う云ふ風に書かれてをると云ふと、議論としては実は反対のしやうがない。然し只先生が何れの点に重きをを
くかと云ふ事になると、初めて先生の立場と、我々の立場の一致し兼ぬるのを発見するのである。即ち先生が
「カの福音」を説くに当つても、武力を第一義として経済力は第二位にをき、道義カの如きは殆んど之を眼中に
置いてゐないと云ふが如き立場に対しては、私は全然承服する事は出来ないのである。
先生は近頃『時務一家言』の続篤として「日本より見たる世界の政局」と云ふ論文を国民新開に連載してをる。
未だ最初の数篇を読んだばかりだから、結局如何なる議論を述べらる、かと云ふ事は分らないけれども、今迄表
はれた所丈けで判断すると、「夫れ見た事か経済力も道義力も物を云はず、矢張り武力が物を云ふのではないか。
今度の戦争で益々1カの福音」と云ふものゝ有難味が分かるじやないか」と云ふ趣旨を説かるゝだらうと予想さ
る、。然し予は滋に予め断言する。今度の戦争を斯く見るのは楯の一面にして、他の一面に於て我々は西洋各国
1。8
いよい
の、部の武断主義者が、滅茶苦茶に軍備を拡張したから、戦争が起つたのであるとも云へたし、又愈よ此武力の
競争たる戦争に於ても、結局の勝利を決するものは決して武力のみではないとも云へる。最近の電報によると、
英国の蔵相ロイド・ジョージは、「最初の一億は我国も独逸も等しく之を求め得べし、然も独逸の最早求め得ざ
る最後の一億は終局の勝利を我国に与ふるもの也」と云ふ演説をした。我等は之を以て実のない机上の空論と見
倣すことが出来やうか。若し夫れ交戦国双方の国民の道義カを比較し、一方は其低きが故に世界の同情を失ひ、
他方は高きが故に同情を惇すと云ふ点などを省みる時は思ひ半ばに週ぐるものがあらう。之を要するに本書は非
常に教訓と暗示に富み国民の惰眠に一大警告を与ふると云ふ意味に於て近来の好著たる事疑ひなけれども、然も
立言の大趣旨に至つては、吾人は不幸にして之を中正穏健の議論と認むるに躊躇する。妄評多罪。
〔以上『新人』一九一四年一〇月〕