共同戦線論を評す
共同戦線論の是非 共同戦線といふことが一部の社会主義者から叫ばるゝ。万国のプロレタリアートよ団結せ
ょなどのマルクスの古典的標語でも持て来ると、思慮浅き年少輩の熱血は容易に奔騰する。併し共同戦線を張り
得る時代はもう過ぎ去つたのではあるまいか。
私は元来共同戦線を以て労働運動必然の戦略なりとは考へない。唯其の初期に於ては之を絶対的に必要なりと
信ずるものである。下層階級の利害が凡ゆる方面に於て揉崩されて居ることに気附いた当初は、被害者全部がカ
を合せて共回復に努力せなくては到底その目的を達し難い。けれども一卜通りの主張を貫き公けの問題につき発
ひるがえつ
言権を認めらる、といふやうな時代になると、進んで建設的方針をも立てねばならぬ所から、翻て自家の理想
はか
に諮るの必要が起る。従て運動の方針にも漸次個性的特色が鮮とならざるを得ない。同じ汽車に乗つて同じ土地
がまぐち
に旅するのだといふ丈けでは漫然と暮口までを共同にする訳には行かなくなる。落ち付く先での仕事が彼と我と
必しも同一なるを得ないからだ。この事を我国政治運動の初期の歴史に徴すると、藩閥打破の為には大同団結も
叫ばれ且策せられもしたのだが、議会一たび開けてよりは同じ民党でも協調が中々容易でなかつた。政党内閣の
慣行が認められてよりは、政党の分立はいよ〈動かし難い勢となつたではないか。之と同じ様に、共同戦線は
労働運動の永遠の虎の巻ではない。が、真の初期に於て必要なることは明白に認めざるを得ぬ。
然らば労働運動の現状に於て共同戦線は必要かといふに、私は之を必要とする時代はまだ去らないと考へて居
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め▲ぐら一
る。資本家の政界に於ける勢力、官界に於ける頑迷思想の横行などを思ひ廻すと、共同戦線の必要はまだあると
信ずるのである。そんなら今日之を主張し力説して物にしてはどうかといふ段になると、吾人は残念ながら悲観
うしな
論をとらざるを得ない。なぜならば共同戦線を実現する機会は、労働運動家自身に依つて疾くに亡はれてしまつ
たからである。
一体共同戦線といふものは其の必要が起つたからとていつでも実現出来るといふものではない。之れの実現に
は一定の前提条件が具備せられて居なければならぬ。然らば
そ一句そ
共同戦線の許さるゝ条件 とは何かといふに、・外でもない、公正互譲の精神である。抑も労働運動者は改革精
神に燃ゆる熱情家であり、従て理義に鋭敏で主張に潔癖なるを常とする。其の為めか識らず〈我執偏僻に陥る
の欠点を免れぬ。且つ此種の人には敵方から来る巧妙なる誘惑もあるので、之に備ふる為には凡ゆる妥協論に警
戒する様自らも心掛け他にも勧めることが必要になる。其処から妥協互譲を何となく罪悪祝し、思想上の独断的
又専制的態度を是とする傾向も自然に生ずる。斯う云ふ人々が相集つて共同戦線を張るのである丈け、大局に着
眼し其宜しきを失はず適当に相譲り相許すの雅量はとくに最も必要である。斯く最も困難とすることが最も必要
とせらるゝ丈け、主動者に取つて大に骨が折れる訳だが、此間また殊に主動者に慎むべきは、功を急いで小策を
ぬす
弄せぬことである。一時の安きを倫んで小策に失敗した例は甚だ多い。而して我国の労働運動はこの点に於て従
来如何の成績を挙げて居るか。
あや王
私の観る所にして謬りなくんば、我国の労働運動はもと比較的穏健着実な人々に依て始められた。是れ幸徳一
いわゆる
派の陰謀に累されて所謂主義者の表面的行動が全然封じられた跡を承けたからでもあらう。然るに其後段々社会
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主義者との連絡が結ばれ、労働者階級間に於ける社会主義の浸染も広く且つ深くなつて往く。其後また内証に依
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論
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戦
同
共
て分裂したり、分裂したものが反日したりした現象もあるが、段々階級意識の烈しくなるに連れて、資本家階級
なんぴと
に対する共同策戦の必要が痛感せらる、に至つた。所が実際に之を力強く説いたものは何人かといふに、何れか
といへば左傾派の人に多かつた。之が実に共同戦線の必要益々盛にして其の機会を永遠に逸した重なる原因にな
る。
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私は今日之を以て左傾派の人々を責めやうとするのではない、況して左傾派の誰れ〈に責任があると指摘し
やうとするのでもない。只大体の傾向としては、(一)左傾派の人々は最も事功を挙ぐるに熱心であり其の結果動
そしり
もすれば鹿を逐ふに急にして山を見ざるの讃を免れなかつた、(二)且共同戦線を張るにしても、大衆をかり集め
る捷径として彼等は手段を択ばなかつた傾がある、(三)而して集つた大衆をば自己の意の俵に統御しやうと専檀
的行動に出たことも争はれない。最近でも此派の人々は、あらゆる団体に自家の→党を送り、漸を以て幹部の地
位を一味の掌裡に乗取り、斯くして自己の思ふ様な大同団結を作り上げんとして居る。うまく行けば御手際だが、
さう旨くは問屋が卸さない。他の一部の人々は漸く此派の人々を悪辣恐るべしとするに至つた。そして彼等に依
て専ら唱へらるゝの故を以て共同戦線論は眉に唾して開くべしとさへ説くに至つたのである。
共同戦線論は昨今に至りて再びまた高調されて居る。而して之を高調する者は極端左傾派の人に多きは言ふま
でもない。私共の耳には「個性をすて己れの部下となつて奴隷的に働竹」といふ様に聞える。又彼等の悪辣を憎
む者に対し失望的悲鳴を挙げるに此好名辞を濫用するのではないかとも疑はれる。共同戦線の必要とされる今日、
其の不当なる過去の濫用の為に、この名辞の立場の斯くまで誤られるに至つたことは返すぐも残念である。
共同戦線論の最近の運命 は三口にして尽せる。駄目!と。労働総同盟は明瞭に左傾派に対して宣戦を布告し
ひさし おもや
た。政治研究会も庇を貸して母屋を取られた形に於てはツきり二つに割れた。もう斯うなつては仕方はない。共
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同一致の悪夢より醒めて、之からは各々奉ずる所の信念に根拠し、間口は狭くとも奥行のある運動を各種の方面
かえつ
から別々に進めるの外はあるまい。此方が労働者階級にも却て落ち付きが出来てい、かとも思ふ。之から先きの
健全な労働運動は、共同戦線論を葬つた廃墟の上からそろ〈頭をもたげるのかも知れない。
〔『中央公論』一九二五年一一月〕