日支両国大衆の精神的聯繋



 本誌は前号に於て〔前掲〕、戴天仇君の渡来を機とし、日本民衆の全体に代るの意味を以て、国民党に依て代表
せらるる南方支那の改革運動に満脛の同情を寄する旨を述べ、併せてまた彼等の誠意に悼んで彼我の間に解決せ
らるるを要する二三重要の問題に閑し我等の悍る所なき注文を開陳したのであつた。細目に亘つては猶大に論ず
べき点あるは言ふを待たないが、その大綱に於て日本民衆の新興支那に対する要請は略ぼ之に尽くると観てよか
らう。不幸にして帰りを急ぐ戴君から之に関する何等の意見を与り開き得なかつたのは、吾人の大に遺憾とする
所であつた。
 所が三月の未つ方から支那の調子は少し変つて来た。戴君の俄に帰りを急がれたのもその為ではなかつたらう
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か。そは外でもない、共産党と国民党との露骨な内争が表面に現れたこと是である。人或は之を左右両翼の軋轢
といふ。この言ひ方は必しも当らない。少くとも我国の無産階級運動部内に於ける左右両翼の争の如きものと思
はれては困る。之等の点は滋に詳説するの遥はないが、要するに共産党の進出撞頭、之から蒙る国民党正統派の
最近の庄追は、かねぐ気遣はれたことではあるが、近来更に一層両者の反目軋掛を鋭くし、今や所謂南方政府
の勢力は将に二分せんとするの危機に瀕して居るかに見えるのである。その結果差当り我々に取て一つの重大な
る問題が起つた。そはこの相争ふ二つの党派につき何れを以て隣邦民衆の希望を代表する正統勢力と観るべきや、
又執れを以て信頼と期待とを寄するに足る、換言すれば支那の健全なる良心を代表する中心勢力と認むべきやの








】国



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スノ
一スノ
点是れである。我々日本国民の態度がきまつても、交渉すべき対手が判然しなくては困る。判然するまで待つと
いふも一策だが、出来るものなら早く之を見定め陰に陽に之を声援するのも悪くはない。我々は支那の時局の一
日も早く安定に着かんことを翼ふも、同時にまた我から進んで声援支持すべき勢力の執れなりやを穿整するの必
要もあらうと考へるのである。
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 吾人の観る所を卒直に云はしむるなら、支那の中心勢力は、また中心勢力たるべきものは、巨人孫文先生の
〔衣〕ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
遺鉢をつぎ三民主義の綱領を厳守する国民党の外にはないと確信する。孫文先生の遺志の何であるか三民主義の
何であるかは、既に余りによく知られたる事柄である。その積極的内容を外にして、更に国民党の本体を鮮明な
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らしむる消極的標準はといへば、一つには徹頭徹尾軍閥と相容れざることであり、又一つには所謂共産党の事実
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上の指揮を受けざることである。世間に往々蕗介石君の張作森との妥協を伝ふふむのあるが、若し之が実現せ
ん乎、蒋君は最早断じて国民党の正系を代表するものではない。我国の論客中にも往々南北を妥協せしむべしな
どと説くものあるが、之は少くとも国民党に対〔し〕ては不可能を迫るものである。若しそれ共産党に至ては、本
来その根本主義に於て三民主義と相客るるものに非ず、何の見る所ありてか故孫文先生がその来投を許した以上、
国民党の統制に服する限り党内の活動を認めなくてはなるまいが、若し被れが自ら進んで指導の位地を占取する
が如きことあらん乎、之れ取も直さず三民主義の鹿骨な揉踊でなければならぬ。支那に於て最近国民党内の内証
の伝唱さるる所以その因実にこゝにある。若しこの内証が、伝ふる所の如く、共産党が国民党内に喰ひ入りその
中央支配権を墾断せんと狂奔する所から起つたものとするなら、我々は之に対抗して三民主義の忠実なる遵奉に
終始せんとするものの方を正統なる国民党となし、之を声援することに依て支那国民全体の真の要望に少しでも
実現の機会を多からしむる様、骨折らなくてはならないと考ふるのである。
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つ「ノ
つ「ノ

 支那の内争はどう決まるか。之に依て我々の態度も自ら同一なるを得ない。併し忠実に三民主義に終始するも
のは、日本の民衆からの尽くる所なき声援を期待することが出来る。彼等が三民主義に終始する限り、我々も亦
             はか
安んじて東洋の将来を共に諮り得ることを疑はぬからである。
 支那にむ色々の考の人があるが、日本にも種々雑多の思潮がある。日支両国民の共存共栄の真諦に徹し、最も
正しく東洋将来の平和的発展を策する為には、お互に内部に於て亦この先多くの戦を関はねばならぬ。而してこ
の際に方り、支那に於ける軍閥若しくは共産党の多少の抜底が如何に日本の国論を険悪にするか分らない。恐ら
く支那に於ても、日本に於ける真の輿論の何れに存するやが明白でない為め、正しい議論の不当に非難されるこ
とも再々であらう。それが為にも我ケは日本民衆の真の要求を滋に改めて高調力説するの必要を感ずるものであ
                    くりこと
る。之と同時に国内の同胞に向つては、繰言ながら、支那の本当の勢力を決して見誤らざらんことを忠告せざる
を得ない。
 斯うした吾人の立場は、自らまた、日支両国の中堅勢力の何等かの聯繋を希望するといふ結論を導くべきは、
識者を待たずして明であらう。此問題に付ては他日また稿をあらためて説くことにする。
                                    〔『中央公論』一九二七年五月「巻頭言」〕