国際聯盟は可能なり
国際聯盟の実現の可能なりや又は不可能なりやの問題はこれまで随分論ぜられた。予輩はこ、にこの問題の内
容を研究して、これに対する解答を与へたいと思ふ。此度の大戦の結果として、世界人類は著しく平和熱が昂つ
とうじん
たことは覆ふべからざる事実である。戦争は実に悲惨事である。莫大な人命と国費を蕩尽してさて得るところの
ものは如何と冷静に顧みれば、国運を賭して殺教戦を行ふのは実に馬鹿々々しいいそれ政戦争は避け得らるべき
と
ものならば、成るべく避けたい0何んとかして戦争と云ふ悲惨事を人類の生活から婁除したいと云ふことがこの
せんじよ
大戦の結果として痛切に感ぜられたのである。
ところが一方に於ては、戦争を是認するものがある。戦争に依りて世界が進歩するのである、世界文明は戦争
のある度に更新するのである、文明を改造するのは戦争に依らねばならぬと云ふものもある。然れども、戦争を
す り
是認するのは、例へば世の中に拘摸や泥棒があるから、社会が進歩するのである、拘摸や泥棒がなかつたならば
なま
一般に人々が傾けて、少しも警戒心がなくなる、泥棒の刺戟がないから、社会の進歩も発達もないと云ふ論と同
一の愚論で、竜も採るに足らぬ論である。然しこの社会から泥棒を絶滅したい、人間の大切な勢力を単に拘摸や
泥棒を用心する為めに浪費したくはないトもつと有意義な事業にその勢力を用ゐたいと云ふのが一般の人々の考
であらう。それと同様に、人類生活から不生産的な悲惨な戦争は何んとかして再び起らぬ様にしたいと云ふのが、
つつノ
今日では世界全般の要求となつたのである。この要求が、今回国際聯盟と云ふ間邁で具現されたのである。軍国
ドイツ さか
主義の本家本元の独逸に於てすらも、この度の革命に依つて、戦争は影をひそめて、平和熱が蛾んになつたので
ある。
なんぴと
世界人類の衷心の要求として、国際聯盟その物の性質上何人も異論はないが、たゞ、それが実現の方法如何は
問題である。平和確保其物の可否は問題ではないが、その実現の方法が異論百出する困難なる問題である。
哲学者カントは『永久世界平和論』と云ふ著述を発表して、永久的世界の平和を希望したのであるが、永久の
しばしば
世界平和は古来学者の蜃々説いたところで、問題その物は決して新しいものではない。然し、これは多くは学者
の学究的な理想論で、実際の政治に立脚して論を立てたものではない。学者の思索攻究からなつた単に抽象的な
理想説に過ぎないのである。勿論実際の政治的見地から多くの政治家も永久的なる世界平和論を唱へたるものも
すくな スイス オランダ
砂くはない。然し今迄これを唱へた政治家は多くは、小弱国の政治家である。瑞西、和蘭、ルクセンベルグ、
エジイノト インド
挨及、印度、又はシャム等の強大国間に介在して常に圧迫不安を蒙つてゐる弱国の政治家が、自国の安定保全を
維持せんが為めに唱へた論である。弱国の政治家は正義、公道、国際法を楯に取つて強国に訴へ、強国の圧迫よ
なが
り脱せんとするのである。正義公道又は国際法の厳守は弱国の独立保全の最も大切な武器である。然し乍ら、大
にわ
国の政治家は弱国の政治家の主義その物には勿論賛成であるが、遽かにその要求に応ずる訳には行かぬ?プリン
シプルとしては賛成であらうが、弱国の主張通りにやれば、強国の利益は全然打破せらるこしと、なる。英国は
挨及や印度を放棄して、独立国とせねばならぬ。日本は朝鮮も台湾も棄てねばならぬと云ふ論になる。
それ故大国の政治家も、真に正義公道に熱中してゐるもの以外には、小国の主義主張に耳を傾けずに、なるべ
く敬遠主義を採つて来たのである。一八九九年産国皇帝が提議した万国平和会議は別問遺として、これまで、年
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際
国
デンマーク
々平和会議、国際法研究会が小国に開催されたのである。ところがその平和会議を主催するものはいつも、丁抹、
ベ ルギー
和蘭、自耳義、瑞西キ石ふ様な弱国の政治家である。平和会議や国際法会議の時などはこれら小国の一流の政治
家が出て堂々と意見を述べる。強国からは第三流四流の政治家がほんの義理合に出席して、無言のま、隅の方に
控へてゐるに過ぎぬのである。か、る時には強国の言論はいつも振はぬのである。
小国の政治家が如何に力んでも大国の政治家は真面目に之を援助しない中には、その主張には竜も権威はない。
もと
実際問題としては少しも威力がない。平和保障の為めに国際的原則を作らねばならぬと云ふ主張は、素より大国
の政治家の是認するところなるも、自国の利害問題よりいつも、之れに触るゝを避けたるが故に、・今迄実際問題
とはならなかつたのである。平和論はこれまで、一種の空想、又は弱国の言草として軽蔑されたのは之が為めで
ある。
・〔ノら
万国平和論、国際会議は必ず真面目に討究さるべき問題であるが、憾むらくはこの間是の提唱者はこれまで常
アンダー・イスチメート
に弱国の政治家であつたので、その価値を低下されたのは誠に残念である。万国平和論や国際的正義は独逸な
どでは痴人の夢として相手にしなかつた。独逸に取つてはこの問題はその国是に全然反してゐるのであるから、
敬遠してゐたのは無理もないことである。それ故にこの説を権威あらしむる強国は一国もなかつたのである。
ところがこの度の大戦争の結果、弱国の政治家がその独立安全を保たんが為めに利用し来つた問題は、強国の
政治家に依りて真面目に論議されたのである。これ今回の大戦の生みたる最も重大にして価値ある問題である。
即ちウイルソン大統領やタフト氏に依つて唱へられた「平和強制同盟」、又は英国の前外務大臣グレー卿の唱
導せる「国際聯盟」は強国は率先して国際的正義を確立して、永久世界平和を実現せんとする努力を実際的に表
はしたものである。今回のヴエルサイユ講和会議に於ても講和その物の本質はさして重大なる問題に非ざれ共、
国際聯盟問題即ち世界改造の根本問題に就ては幾多の難点もあり又議論もあるであらう勺然しこの間砥の詳細な
る案件は今日まで発表されないのであるが、国際聯盟は如何なる条件に依りて確立されるか、又はこの条件は今
いささ
日の国際関係より見て可能なりや否やをこ、に研か研究して見たいと思ふ。
予輩は国際聯盟の確立の原則として三箇の主要条件が必要であると思ふ。第一は、国際聯盟の規約を完全にす
ること、第二は、国際法を強行せしむる法律を制定せしむること、第三は国際的制裁権を確立することである。
じゆうりん
国際法は文明の進歩するに従つて今日まで大に発達した。然かも独逸軍国主義に依つて一度は揉踊せられたる国
際法も戦後はその権威を恢興して益々発達する運命を有してゐることは予輩の予言し得るところである。国際法
其物の発達は敢て疑ふところないのであるが、世界平和の最も重要なる国際法強制組織の成否が問題である。
たと い
或る一部の論者は仮令国際同盟が組織さる、とも、表面は国際法は公平であらうが、実際に於ては、大国の利
益を得る様に国際法を行使するであらうと説くものがある。つまり大国は権力を以つて独逸の様に国際法を勝手
に解釈して、小国の利益を無視して、小国は依然として圧制を蒙つてゐるのであるから、真の世界平和などは実
現さるゝ由はないと云ふのである。然しこれは国際法の権威を認めぬ論で真に国際法が列強承認のもとに魂窟さ
れたならば、国際法は実際に権威ある制度として国際的正義を実現することが出来るのである。法の命ずるとこ
ろ大国も小国もないのである。国際法より見れば諸国平等であるべきだ。然るに国際法の強制組織を設けると云
ふ問題は、議論のあるところで、果して、今日の世界の状態より観て国際法の強制組織を実現することを得ざる
ものなhノや。
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これに就て説をなすもの〔が〕ある。と云ふのは一国内、即ち単一なる主権を有する国家に於ては強制組織は成
立し得る。然るに多数.の独立国即ち多くの主権者が各自割拠せる国際間には強制組織の実行は不可能である。一
国と国際関係とはその本質を異にしてゐるのであるから、国際間には、一国内の如く、法則、道徳を以て制束す
ることが出来ないのである。国の内部には主権者の制裁があるが、国際間には之がない。国際間に超越して絶対
の主権者がなく、単に列国が便宜上約束した法則であるから、一国が之を揉踊してもその国を制裁する絶対の主
権者又は権力はないのである。
や
開戦当初独逸は自耳義の中立を揉踊したのであるが、国際上の絶対的主権者がないから、己むを得ず、揉崩さ
い つ
れた国家が武力に訴へて自国の自由独立を保全せねばならぬ。それ故つまるところは何時も戦争となるのである0
正邪の争ひを解決するには戦争あるのみであると云ふ説を立てるのであるが、.掛しこの議論は余りに法律論に
とらわ
囚れてゐると思ふ。一体国内に統一的制裁カが実質的に発揮されたのは極めて最近のことである。封建時代には
統一的な制裁カと云ふものがなかつた。地方に依りて制裁カが異なるのである。例へば仙台藩と熊本藩とでその
制度法律は異なるのである。それ故仙台藩で当然制裁を加へらるべき者が、熊本藩に於ては何等制裁をなすこと
なくその偉放任する例もある。罪科その物に対する法律的見解は藩に依つて異にしてゐるのである。即ち仙台藩
で悪いことをした人間が熊本藩に飛び出せば別に所罰されないこともある。他藩に行つて悪事をなしても自分の
藩に帰れば、その所罰を蒙ることがない。これは利害関係が薄々に依りて異にしてゐるからである0ところが自
分の藩内に悪人があれば之を制裁し様と思ふのは、直接利害関係があつて、悪人に制裁を加へて置かなければ、
その団体の生活の安全が脅かさるゝからである。自分の生活の安全が脅かさる、ところに初めて之が制裁の必要
さと インター・デペンド
を覚るのである。即ち制裁の如何は、その人の生活に、密接に関係することに依つて定まるのである。
ところが文明の進歩に伴つて、社会は段々有機的になり、個人の生活範囲が拡大し、個人生活の影響は相互的
になるに従つて、利害関係も段々拡大した。
封建時代には、多くは個人的利害又は藩の利害に基いて制裁を下したのであるが、今日では個人生活の安国は、
その村、郡、県、或は国の安固と密接な関係がある。文明の進歩に伴つて社会に一つの統一カが出来たのである。
而してこの利害関係に基きたる制裁カは国際的に拡大したのである。勿論国際上の制裁力はまだ国内の制裁カの
如く権威がなく又徹底せぬのは事実である。然し制裁力は漸進的のものであるといふことを心得ねばならぬ。
例へば一国が実に専横を極める。国際法に違反しても、自国の利益を計らんとして、他国に迷惑をかける。そ
れでは他国は困る。自国の存在さへも脅かされることになる。初めの中は列国は黙視してゐても、一国が不法行
しらずしらす
為を重ねると、仏の顔も三度にて、列国間に不知不識の中に制裁力が段々力を得て来るのである。独逸の如きも
よ・つちよう
余りに横暴を極めたので、列国の義憤が合一してこ、に独逸膚懲の制裁力が発現したのである。これ今回の大戦
の原因である。
えんせいがい だんき でい
支那に於ても、衰世凱や投棋瑞の様な、圧制主義者や武断派がクーデターをやつて国会を揉踊することを反覆
・つち
してゐる中に、これではいかぬ、どうかせねばならぬと云ふ決心が国民間に益々カを得て来る。正義の力は正義
を揉踊さる度に益々反撥的にそのカを得てくるのである。而して遂には正義は国民の輿論となつて、到底之を揉
踊することが出来ない様に厳然たる制裁カとなるのである。即ち制裁カは一種の社会的勢力となるのである。利
害関係を共通にした一種の国際法の原則である。それ故社会的には国際的制裁力は社会全体の確信がなければ行
はれぬ。確信が制裁の根本である。
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封建時代の制裁はその制裁は自己のインター・デペンドされる範囲に限られてゐたのであるが、今日は個人の
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生活は著しく拡張された。個人の生活は社会のあらゆる方面の影響感化を受けてゐる。今日は交通頻繁、経済上
に於ても相依り相助け、個人生活から社会的勢力を分つことが絶対に出来なくなつたのである。昔の様に、生れ
故郷に死ぬるまで居る人も段々砂くなり、必要に依つては諸方に転々して生活を営まねばならぬ時代となつたの
であるから、個人の考へも勢ひ社会的、国際的にならざるを得ない。それ故、民衆の幸福安寧を破らんとするも
のがある時には、何人にも共通的にその影響を蒙るのであるから、全体を通じたる即ち共通的制裁カに訴へて、
こら
邪悪を懲さねばならぬ。国際的制裁力も国民が国際的道義を自覚する時に、必ず実現せらるべきものである0そ
れ故、国際的強制が今日の世界に成立することを得ぬと云ふ議論は甚だ根拠がないものと見ねばならぬ○
三
由来人間には同類意識と云ふものがある。人間は社会的動物であると云ふが、個人の生活そのものが既に小な
る社会を形作つてゐるのである。相頼り相助けると云ふ傾向が一面人間の本能とも云ふべきもので、その範囲が
漸次発達して、国境を越えて国際的に拡大さる、時にはこ、に人類共同の意志が生ずるのである。国際的正義に
対する各国民共通の意志があれば、これを打破せんとするものに対する共通的制裁がなければならぬ。又経済上
に於ても、世界各国密凍なる関係がある。今回の大戦に於て我国の蒙つた経済上の影響は実に甚大なものである0
善悪ともに痛切なる影響を受けてゐるのである。
欧米の経済界が動揺すれば直接に我国民の経済生活に動揺を来たすのである。それ故に、精神的の同類意識と、
物質的生活の相互影響をよく研究すればV国際聯盟は必ず実現せらるべき運命にあると思ふ0
ところが幸に欧米人は一般に国際的正義に対する精神的の基礎が確立してゐる。日本では門を出づれば七人の
けし
敵みりとか人を見たら泥棒と思へ等と云ふ実に怪からぬ言草があるが、これは封建時代の偏狭なる家族主義の生
じたる欠点で、同類意識即ち社会意識の教養がない証拠である。今日欧米では東洋人に対しては人種的僻見は余
りない棟だ。人種上の差別からいがみ合ふのは野蛮人のみである。日米間遺の根本は人種間違であるとは蜃々説
かれたことであるが、然しこれは通俗の人間の云ふことで、日米間の紛議は決して単に人種間邁からではない。
厳密に云へば全く経済上の開港であると思ふ。ただ人種の差は、風俗、習慣の差を伴ふのである。それ故相違の
点を互に理解せぬ時には甚だ面白くない事件も生ずるのである。その誤解を一掃するにはどうしても国際的教育
を国民に施す必要がある。即ち同類意識を訓練せねばならぬ。
経済上に於ても前述の如く、各国民は割拠してゐるのではない。今日の経済組織は単位を個人又は一の団体に
のみ置く事が出来なくなつたのである。経済組織は全く世界的となり国際的となつた。経済組織は一単位である
から、他国の経済界の動揺は直接に自国の経済界に影響する今日の世界文明は経済上に於ては一単位であるから、
国際間の戦争は不可能であると云つたノルマン・エンゼルの説は依然として正しいと思ふ。
さか
国際平和の主張は十九世紀後半期より次第に旺んになつて、一入九九年露帝の提議に依て万国平和会議を開催
するに至るまセ発展し軍備制限問題も同会議で討究されたが、独り独逸が反対したる為めに軍備制限問題は直に
葬られた。軍備制限問題はその物の性質上各国一致せねば実行することが出来ないのである。丁度商売人の組合
と同様で満場一致して規約を定めなければ、組合制度が成立する訳には行かぬ。一人九九年の万国平和会議に於
ける軍備制限問題も独逸の反対に会つて直に頓挫し、独逸が軍備を拡張すれば、勢力の均衡上他国も亦軍備を拡
張せねばならぬことになる。一八九九年以後列強が国力を傾到して軍備拡張に腐心したのはこの点であつて、軍
備拡張の競争其物の為めに軍備を拡張したのではない。全く他国との均衡上行はれたることである。年々競争的
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国
に軍備を拡張すれば国民の負担は益々重くならざるを得ない。各国ともに国費の三分の一は不生産的なる軍備拡
張に消費して仕舞ふのである。それ故軍備拡張の経済的大負担に堪へ切れぬ国家は已むを得ず、間諜や秘密探偵
ど こ
を仮想敵国に放つて、その機会を探らんとする。それ故国際間は百鬼夜行の姿である。国際平和は如奈で保つこ
とぜ出来よう。これが極端になつて遂にこの度の大戦が開始されたのである。
それ故国際間の放任主義の不可なることはこの度の大戦争に依りて痛感された〇一国が朝蹴なる行為をなすこ
とが出来ない様に、国際間の統一的制裁カは益々必要になつたことを証明された。諸強国の戦後の決心は、国際
的制裁カを確立することでなければならぬ0
統一的制裁カを国際間に確立せんとするは世界一般の要求であるが、これが、此度の大戦に米国が参戦せるこ
とに依りて明かに証明された。英仏は自由、正義を呼号して独逸と戦争したのであるが、英仏の自由正義も幾分
割引せねばならぬ。と云ふのは英仏は独逸とは経済上、政治上其他の方面に利害が相反対してゐるのであるから、
かんかく
独逸を倒さねば自国の存立さへも危いのである。それ故聯合国が戦争をしたのは経済上又は政治上の拝格から来
てゐるのである。然るに米国は独逸と戦争をしても領土的又は経済上には何等得るところがない。得るところが
ないのみならず戦争に参加すれば、中立を保つて得たる経済上の好況が影をひそめて仕舞ふのである0
戦争に依つて利益したる富を莫大な軍費に徒消するのは結局損である。損であることを知りつゝも米国は奮起
して参戦したのは、損得に超越した崇高なる国際的正義を自覚したからだ。即ち神聖なる国際的制裁カに訴へて、
世界の平和を確立したいと云ふ理想から奮起したのであつた。米国の参戦は野心を伴はざる正義公道の自覚から
1
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であつたことを知らねばならぬ。
予輩は初め、米国は先づ聯合国側に立つて参戦することはあるまい。米国は自ら進んで左様な損をする国では
ロ ー マ
ない。米国大統領は羅馬法王と共に戦争を調停して大戦乱終結者の名誉を得るのであらうと信じてゐた。然し独
あた
逸の兇暴を長く座視するに忍びず、正義人道の為めに奮起して、済世橿難の責に膚つたのである。米国が参戦し
いや
たのは単にルシタニア号やサセックス号が独逸潜航艇に撃沈された為めではない。筍しくも一国の参戦は汽船が
一二隻撃沈された位で決行さるべきものではない。それ故米国の参戦は人類幸福の根本なる崇高なる原則の為め
である。近代に於て政治上や経済上の争ひを外にして、純然たる主義又は理想の為めに国運を賭して戦争したの
はたゞ米国あるのみである。即ち米国は戦争に対して、新紀元を劃したものである。一国家の横暴に対する国際
的制裁を実行したのである。それ故国際法の強制はこの度の大戦に依りて可能であると断言する事が出来ようと
思ふ。既に国際法の強制にして可能ならば、国際聯盟も亦、世界の大勢上必ず可能なるものと見ねばならぬ。国
際聯盟を実現せしむるあらゆる要素が益々多分に国際間に生ずる新時代は既に到来したのである。
ひるがえ
翻つて国際聯盟問遺に対する我国の態度は如何。日本が聯盟に加入するの可否を論議するものが多いが、予
輩は可否は最早や問題にならず、聯盟に処する国民の準備が肝要であると思ふ。我国はその位置欧米とは遠く
へだた・
距つてゐるから、聯盟に加入する必要はないと云ふ者もあるが、これは採るに足らん愚論で、日本は依然封建時
代の鎖国主義のもとにあると考へてゐる眼裔豆の如き過去の人間の云ふことである。政治上、経済上、精神上世
界人類は相依り相助けてゐる時代に、距離の遠いも近いもない。世界は一つのオルガナイズされた有機体であ
る。殊に戦後は支那を中心として、我国は経済上に於て、欧米と極めて密凍なる関係を結ばざるを得ない。支那
間遺に於て、日本は精神上物質上欧米と融合する機運に進んでゐる。講和会議に於て日本は東洋に於て優越権を
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求むる代り西洋の方は譲歩せょと云ふ者もあるが、日本は地中海に艦隊を流して、聯合軍と手を携へて共同の目
〔ママ〕
的と戦つたではないか。我国は大いに英米仏と世界改造の大事業に参与して、永久世界平和を実現する権利があ
る。(文虫貫在記者)
〔『六合雑誌』一九一九年一月〕
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