学生間に於ける社会科学研究の問題
早稲田大学当局が先頃学生の軍事教育反対演説会を禁止したと云ふ事件は、種々のことを私共に考へさせる。
さぞ
制度としできまつたものを示威運動的に執拗に学生から反対されるのでは、当局者も撫困ることであらう。斯う
した問題に付て反対の気勢を挙げやうとならい殊に学校内の運動としてやるのなら、学生諸君の側に於て亦格別
慎重な態度を取るを賢明とすべく、此点に於て学生諸君に反省を求むべき点も多々あつたらうとは思ふ。が、当
局者が唯ひたすらに高庄的禁止命令を以て無理押しに学生の熱情を抑止せんとするのは、どう考へても思慮ある
方農と称することは出来ない。
なかんずく ようかい こ ろう
就中早大当局の禁止理由として挙ぐる所の「学生は時事問題に容唆すべからず」との説に至ては、謬妄固随
も亦甚しい。今日の様な時代に於て、政治法律を学ぶ青年に時事問題の論究を阻止するは、去勢にも比すべき無
謀な教育法である。実際社会に何等かの効果を顕さうとする底のキヤムペインをやるのなら、学生の分際を超え
た不当の行動として之を取締るに相当の理由はある。此「分際を超えぬ」との注意を加へつ\自由に時事問題
を論究させるのが寧ろ学校当局の指導に期待さるゝ点であり、同時に亦公民教育の徹底を図る最要の方法ではな
やや
いか。若い者の常として動もすれば常規を逸するの憂はあらう。だから全然之を阻止すべしと云ふのは、所謂
あつもの なます
彙に懲りて胎を吹くの痴態にひとしく、余りに臆病な処置ではないだらうか。
もつ▲ば
併し早大当局の禁止命令は、実際のところ、純ら斯の理由のみに出でたものではあるまい。之はたゞ表面の理
7
7
1
由として仮用されたもので、根本は恐らくもつと深いところにあるのだらう。そは何かと云ふに、即ち昨今各学
校に頻々として起て居るかの社会科学研究団に対する庄迫と共通の思想が働いて居るのではなからうか。若しさ
うだとすると、事はもはや一早稲田大学の問題ではなくなる。
高等学校程度以上の諸学校に、この数年来、社会科学の研究を標梼する団体が生れて居る。名称は区々になつ
て居るが、社会主義に共鳴し進で更に之が研鋸を目的とすることは皆同様である。社会主義の共鳴者が学生間に
殖へるのは一体憂ふべき現象なりや否やに付ては、別に大に論ずべきものあるが、仮りに之を大に憂ふべしとす
かな
るも、今日の教育当局者のやるやうに高圧的に之を禁止するのは、果して其目的に協ふや否や大に疑なきを得ぬ。
そこな
目的に協ふ協はぬは暫く別論としてむ為に青年を無用に克奮せしめ、冷静自由なる研究心を害はしむるの弊に
至つては、実に痛心に堪へざるものがある。若し今日の青年を目して時の流行に血迷て居ると云ふ者あらば、吾
人は血迷て居る者は寧ろ教育当局者の方に多いことを指摘せんと欲するものである。
もつと
尤も教育当局者の立場に同情して考へて見るに、学生間に於ける所謂社会科学研究の現状には何等危惧すべき
点なしといふわけには行かないかとも思ふ。指導者としての老婆心から、あ、でないかかうでないかと心配する
のは無理もないと考へらるゝ節もある。試みに疑惧の種となるべき二三点を挙げん乎、(一)彼等のうちには或る
・つしな
種の′社会理論を無条件に信奉するといふ先入の偏執に捉へられ、自由討究の若々しい弾力性を喪ふものはないか、
(二)本当の意味の研究を離れ、寧ろ宣伝といふ方に格別の興味を感じ、共結果反対の立場に対する寛裕の徳を
うしな きらい
亡ひ、自家の主張を無暗に他に強制するといふやうな嫌はないか、(三)宣伝に興味を感ずるの結果、学生に
ふさわ
相応しい自由な論究よりも外形的勢力の振張といふことに焦り過ぎ、それ大会だそれ全国聯盟だと、丁度政党の
拡張運動のやうな空騒に浮身をやつすことがないか。数へ上げれば外にもあらうが、先づ之等は当局者としても
。。
7
1
トレ巨臣巨−.二
一い濁硝州汀湖バ州州湖瀾濁瀾川礪悩瀾州慨州濁儀式淵」巾当u礪州川題u‥“絹ぜづ月ハqほ。∨嘗〇Vつ−.芸rfり宕′与】乳1繋嘗、。“、1ョノ¥」→Jれ・‥▼
し竜一11り、ゼ、丸.当Hj.‥3.当1逮ヨ一
山
題
間
の
究
研
学
科
会
社
る
ユTノ
掛
に
間
生
学
9
7
1
又学生自身としても最も戒心を要する点であらうと思ふ。学生の教養訓育に心思を労する者に取て、之等は決し
て等閑に附すべき瀾題ではないと思ふのである。
それにしても、之等は教育当局として森厳なる警察的取締を以て臨むべき問題では断じてない。如何なる方策
を可とするやは滋に論ずるの限けでないが、早大当局を始め現時多数の教育当局の執る所の手段が、学生間に於
い一;し
ける一種流弊の警むべきものあるを認めながら、之に対する自家の指導責任を丸で忘却した驚くべき失当の処置
たること丈けは疑ひない。若し夫れ単純な社会主義思想の研究そのものをすら恐るべしとする者に至ては、吾人
わし
はもはや之に対して海ふべき言葉を知らない。(十一・七)
〔『中央公論』一九二五年一二月「巻頭言」〕