133
陸軍拡張に反対す
d濁り彗
、幣
陸軍拡張に反対す
昨今新開の伝ふる所に拠れば、寺内内閣は辞職と共に陸軍拡張計画、即ち廿五年間の継続事業として、費額二
十億円に達する軍団編成案を原内閣に引継いだといふ事である。又一説に拠れば、来年度から直ちに新規計画に
基く拡張は差控へる事に折合が着いたとも云ふ。何れにしても陸軍方面には近き将来を期して大々的拡張の計画
ある事は疑ない。其名義が拡張であるか、充実であるか、又は編制替であるかは間ふ所でない。又今年提出する
か来年提出するかも我々に取つては同じ事だ。唯拡張共事については断じて反対の意見を有するものであつて、
而して今より之を国民に警告して置くの必要を認むるものである。
反対の理由は之に伴ふ必然の結果たる増税を非とするが為めではない。勿論無用不急の事業の為めに増税をす
る事には断じて反対せねばならない。併し陸軍拡張が実際緊急必要な事業であるならば、増税も亦己む可からざ
るのみならず、今日の国民は之れ以上の増税に堪へぬ程の窮境に陥つて居るとも思はれない。一部の政客は動も
すれば民力休養の名の下に廃減税を唱ふるけれども、併し彼等の所謂廃減税の結果は少数の納税者の利益を計る
事に止り、決して多数国民の負担を軽くするものではない。若し真に多数の国民に一層の休養を与へんとならば、
第一に為す可き事は税制の整理であらう。従つて現在の如く租税の負担が下に重く上に軽く、而かも新たに起す
あ
租税は常に比較的下に重き方面に漁さらるゝと云ふ従来の慣例から推せば、此上増税する事は如何にも多数民衆
を圧迫する事になる。それでも予輩は未だ我々国民には、真に必要とあらば少し位の増税に堪へぬ事は無からう
抑留
昏匿臣訂−.∨
と思ふ。況んや税制の整理をなした上ならば、公平なる基礎の上に銘々相当なる租税の増課に必ずしも反対する
くみ
ものではない。故に増税を非なりとする単純な論拠から、陸軍拡張に反対する議論には与しない。故に問題は陸
軍の拡張其事が緊急必要の仕事か否かに帰する。之が緊急必要の仕事なら、今の億で多少の増税をするも又止む
を得ない。此上増税しては民百姓が困ると云ふなら、先づ断乎として税制の整理をするがい、。
予輩の反対する所以は、直裁に陸軍拡張其事を、不急無用の仕事と信ずるからである。新内閣は国防の充実を
以て、産業交通の改善発達、教育の刷新と共に、其全力を傾倒すべき三大政綱として居るが、国防の充実を緊急
の時務とする点に於ては全然同感である。此点から観て海軍の充実乃至拡張は目前に迫つた緊急の間違である。
今日の我国の海軍は世界に於ける海軍の近時の長足の進歩を暫く度外としても、海国たる日本の立場から観て余
りに貧弱である。然し海軍拡張の必要を説くは今予輩の直接間道とする所ではない。転じて陸軍は如何。欧洲戦
争の経験に鑑み、或は編制替をするとか、或は特科隊の整頓をするとか、或は飛行機隊なり装甲自働車隊なり、
其他各種の新設備をする事も必要であらう。之が為めにする若干費額の要求に対しては国民は喜んで之を応諾す
るであらう。唯然しながら内容の整頓充実以外に如何なる名義を以てするにしろ、此上に規模を拡大するの実に
対しては絶対に反対の意を表せざるを得ない。
独り日本ばかりではない。西洋諸国に於ても従来の歴史上、陸軍の拡張には兎角反対が多い。夫れにも拘らず、
政府が紛々たる群議を押し切つて無理な拡張を断行する。其中に外交上の紛議が起り、之が遂に戦争となつて、
無理に作つた軍隊が大いに用をなす。「それ見た事か」と云うて先きの反対論者を屏息せしめ、軍閥をして独り
Jノロシア
先見の明を誇らしめた例に乏しくない。普露西の国会議員が対列国関係の平安状態を夢想して盛に反対の声を挙
げたに拘らず、所謂鉄血演説を以て議会多数の言論を圧迫し、斯くして作つたる軍隊が直ちに普嗅戦争の用をな
246
陸軍拡張に反対す
した。日本でも臼清戦争なり、又日露戦争なりに於ては常に之に類した経験を積んで居るので、陸軍拡張論者は
のこ のぞ
動もすれば、他畑臍を噛むの悔を飴すべきを以て倣然として反対論者に薄まんとする。併しながら歴史は常に繰
り返すが如くにして又必ずしも繰り返さない。繰り返すと繰り返さゞるとは一に繋つて時勢の変に在る0時勢の
変を知らずして何時でも歴史は繰り返すものと観るのは迂愚之れより甚しきはない。妖…らば何を以て時勢の変な
りと云ふか。一に日く、来らんとする戦後に於ける国際主義の隆盛、二に日く、我国の周囲に於ける軍国の絶滅
即ち之れである。但し一に就いては人に依つて其見解を異にする者はあらう。故に暫く之を争はない0が大いに
譲つて戦後は依然戦前と同様に軍国主義の旺盛を極むるものと仮定しよう。斯くても事実として争ふべからざる
第二の事実は断じて我々に陸軍拡張の口実を提供するものではない。
戦後に於て軍国主義旺盛を極むべしとすれば、之に応じて我も亦軍国的経営ほカを注ぐの必要あるは云ふを倹
たない。併しながら我国にして戦前に於ける独逸の如く、手当り次第に侵略的経営を蓮うせんとせざる以上、自
ら退き守るに充分なるカを養へばいゝ。従つて国防整頓の範囲目標は、我と接触すべき敵の勢力の打算である0
而して海上は彼我の接触を甚しく困難ならしめざるも、陸上は領土相近接する特殊の国を除いては、彼と我と相
接触すると云ふ事は先づ絶対にない。之れ海軍に於ては或は英米を顧慮し、或は独仏を顧慮して我拡張計画を立
てざるべからざるも、陸上に於ては専ら我と相接触する邦国のみを眼中に置いて可なる所以である0然らば支那
が依然として呉下の阿蒙たり、露西亜が軍国として全然崩壊し、仮令他日復興し来る事ありとするも、危険なる
軍国としての復活に非らざるの極めて明白となれる今日、我国の陸軍が何を目標として拡張計画を立つべきやは、
明々白々一点の疑を容れない所ではないか。
斯く言へば、拡張論者は、或は露西亜の崩壊に伴ふ独逸勢力の東漸を説くかも知れない。又参戦の結果として
謝磨
、Z
戦後に残るべき米国の大陸軍を説き来るかも知れない。併しながら米国は如何に大陸軍を擁するとも、之を以て
ゆた
我に庄倒し来る事は事実の上に於て之を許さない。且つ又米国の如き財政の餞かな国でも、今度の戦争に支給し
て居るやうな給料を払つては、到底平時何百万と云ふ大兵を養ふには堪へまい。給料が安くては生活程度の高い、
且つ又労銀の高い米国では兵を得る事は困難である。故に米国が戦後大陸軍国となるべしと観るのは、全然謬妄
の見たるのみならず、仮令なつたとしても、彼の畏るべきは陸軍に非らずして、寧ろ其海軍にある。若し夫れ独
力東漸の説に至つては独軍勢カの不振を極むる今日に於ては、最早一片の杷憂と認むべきではないか。独逸が勝
つものならばまだしも、あゝ負け込んで降を敵の軍門に乞ふに至つた以上、少くとも列国は将来決して露西亜を
彼の践屁に委するものではない。仮令列国の圧迫が十分功を奏せずとするも、露国民の超国家的思想と趣味とは、
決して独逸軍閥の抜屁を許すものではない。露西亜が国家的に崩れたから、独逸の思ふ通りになると観るのは余
りに露西亜人を知らざるの言である。露西亜が独逸の軍国主義に庄倒さる、の危険と、独逸の軍国的民衆が露西
亜の超国家的趣味に捲き込まるゝの危険と何れが多いか、蓋し智者を侯たずして明かである。独力東漸を以て我
が陸軍拡張の口実となすが如きは、来年の雨に、晴天の今朝雨傘を持つて出るよりも尚遠い用意である。要する
に今度の戦争は、東洋に於ける我国の国防的地位を、少くとも陸軍の方面に於ては全然一変した。縮少の理由は
あるけれども断じて拡張の理由はない。従来軍閥並びに軍閥に左右せられたる歴代政府の統治方針の誤りが、植
民地に於ける排日思想を興奮せしめた結果、之が警備の為めに今俄かに軍備を縮少する事は出来ないかも知れぬ。
彼等の過去の罪が偶々彼等に縮少反対の口実を与へて居るのであるが、彼等が欧洲戦争と云ふ異常の事変に依る
国民の眩惑に乗じて、急遽拡張の計画を遂行せんとするならば、我々は断じて之に反対の声を挙げなければなら
ない。
248
身/
勿論特科隊の整頓とか、新規計画の増設とか云ふ個々の部分的拡張には必ずしも反対する者ではない。此等は
拡張と云はんよりは、寧ろ充実と云ふべき性質のものであらう。何れにしても彼等が隠す所なき説明を与へて我
々に要求する以上、我々は真率に其是非得失を研究して賛成すべきものには快く賛成するを厭はない。唯一般の
主義として何等の名目を以てするに拘らず此上規模を拡張すると云ふ事には原則的に絶対の反対を叫ぶ者である。
故に之が為めにする増税を否認するは勿論、所謂「現在の歳入の範囲内に於て」する拡張にも反対である。(新
内閣は此意味にて軍閥の要求を容るべしとの説がある。国民の監視を要する所である。)又何時ぞやの政府でや
ったやうな、陸軍部内に於ける他の方面の節約に依つて得たるものを財源として拡張すると云ふやうな、一見尤
もらしくて極めて不合理な案にも断じて賛成は出来ない。斯くして無理に節約し得べくんば、寧ろ之を取上げて
他の急を要する事業に差し向くべきである。
〔『中央公論』一九一八年一一月〕
陸軍拡張に反対す
抑留