YMCA万国大会に於ける話題
(来る四月北京に開かeべき)
キ‖ソスト
来る四月四日から九日まで、北京で基督教学生育年会の第十一回万国大会が開かるこしとになつて居る。此大
すこぶ い べつ
会で懇談さるべき題目を一つの参考案として北京から送つて来た。数は頗る多いが之を五種類に彙別してある。.ト
第二類以下は普通の信者にも一卜通り答案は与へ得らるゝと思ふが、第一類は国際問題及び人種問題と銘打ち、
多少専門的智識がないと即答し兼ぬる底のものだ。殊に時節柄軽卒に答へると誤解を招き易い種類のものである。
日本の基督教界には、従来政治上の問題などには立ち入らない方がいいといふ考が強かつた。従つて特に之を
避くるか、然らざるも世間流通の俗見に捉らる、人の少く無いのは予輩の遺憾とする所である。何の問題だとて
我々の手を触れて悪るい問題はない。政治問題の如き此節最も基督教主義の指導を要するものではないか。
斯んなことを思ひめぐらしつ\第一類に例示した諸問題に簡単に答へて見る。之に由て吾々はまた今日の支
那の教友がどんな事を考へて居るかの大概をも察知することが出来て面白い\ヾ
全体で十四間ある。之に限る意味でないことは言ふまでもない。大体こんなことを懇談し合つて見やうといふ
趣意なのである。
(一) 国家間及人種間の誤解衛突の主たる原因は何か。
之に対して「人種の相違」といふことを以て答ふる人があるが、之は無条件には納得出来ない。
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くるし
を碧めた畑したのは未開時代のことで、今でも野蛮人の間にはある。世の中が開けると、段々同類だと云ふ観念
が強まり、始めて見た人でも彼も亦我と同じ様な感情や欲求を有するものだと疑はない様になる。後には毛色目
色の相違にも一向頓着しない様になる。此意味に於て文化の開発の一つの象徴は同類意識の拡張だといへる。人
間を自然物としてのみ観れば、人種の相違は誤解衝突の原因なり得るが、絶へず発達する霊体として観れば断じ
て然らずと許はなければならぬ。少くとも基督教の信仰からすれば人種の相違といふ様なことは断じて衝突の本
質的原因ではあり得ない。但し未開不文の人類の間に於ては今猶然ることあるは敢て承認を拒まない。
現に多くの国家や種族の間には誤解衛突の事実〔が〕あるが、一体あれは何に因るかといふに、之等は概して歴
〔遡〕
史の結果である。即ち過去に於て長い間烈しく相戦つたといふ遺伝的記憶がその原因なることが多い。更に通つ
て此の事の原始的原因を探ると、或は人種の相違といふことであつたかも知れないが、今は此本源より離れて、
只久しい間喧嘩して互に苦めら〔れ〕たといふだけで、互に和合し兼ねて居るといふ次第だ。
がえん
なほ之を外にしては強国の横暴といふこともある。強い者が弱い者に譲るを肯じないといふ様な事情もあらう。
要するに人種の相違といふ様なことは、決して誤解衛突の根本的原因ではない。文化の相違とかいふやうな事
かぞ
も算へ得るが、併し今日の様に交通も開けては、各自固有の文化を異にしても、其間互に相当の理解もあるから、
之を誤解衝突の根本原因と視ることは出来ないと思ふ。
(二) 人種間には根本的な差異ありや。分離と結合と何れか強きや。
人種の相違といふことは疑ふ可らざる事実で、我の汝に非るが如く明白であるが、只此相違といふことは、人
類としての世界的結合を妨ぐるものかといへば、我々はさうは考へぬ。結合といへば直に同化といふこと〔を〕連
想するが、予輩は同化を以て根本的に不可能なものではないかと考へてゐる。併し同化の不可能といふことは決
して結合と両立せざるものではないと思ふ。
かえつ
手には手の役目あり、足には足の役目がある。而かも人としての有機的結合を妨げない。否、却て手が足の真
似をするやうでは困るのだ。相異れる人種として各相異れる天分を賦与せられた以上、各人種は各々其特長を発
ゆえ ん
揮して其天分を極度に開展せしむることが、実に人類としての有機的結合を本当に発達せしむる所以である。
人種の相違といふことを中心とする分離と結合とは、互に相戦ふ観念ではない。従つて其間に強弱を論定せん
とするは間違だ。各人種は其天分の開展に於て大に分離すべく、而かも之あるが為めに結合を妨ぐることはない
と観ねばならぬ。
(三) 教育に由て結合を強むるを得るや。
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無論である。人類の世界的結合を妨ぐるものは偏見である。偏見は無智の賜である。教育のみ独り之を打開し
得る○但教育の方針が人類本然の自然の性能を粁ぐるや、γ町砂嵐てはいけない○
さいのエノ
(四) 人種中将に政治的材能に富むものあり、従つて全体の政治の事は専ら其人種に托するは人類の利益なり
との思想は正当なりや。
多くの人種中或るものは特に政治的材能に長ずるといふ事実はあるだらう。個人にしても其の天分は必しも同
一でない。種族に就ても此点は同一だらうと思ふ。併し其為に全世界の政治を其人種に一任するの可否に就ては、
容易に速断は出来ない。
分業の利益といふ事から観れば、右の説を肯定しても差支ない様だが、併そは全世界の人類が郎げ一体たるの
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社会意磯を内面的に完全に発達せしめた上の話である。人類の生活の遣い先の目標が此処に在るは申すまでもな
いが、現在の所世界の人類は未だ此処まで往つてはゐない℃人種と人種との間には誤解もあれば嫉視もあり猫疑
もある。之には永い歴史がありて容易に抜け難いのだ。之を取り去ることに努力するは我々の勤めであり、又基
督教の発達は吾々の此努力を甚だ効果あるものにするのだけれども、兎に角現在の世界は吾々の理想にまだ中々
速いのであるから、其処に整然たる一体社会に行はるべき分業を直に行ふのは得策でないと思ふ。
民族自決主義は少くとも現代に通用する真理である。政治的材能に長ぜざる民族にも、他より圧せらるこしと
なくして安穏なる生存を遂げ得る様な、住み心地よき世界に立て直すといふのが、現代国際精神の第一原理であ
る。
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(五) 独立を維持し得ざる国民及他民族の脅威となる様な行動に出づる国民ある場合に執るべき手段如何。
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戦争以前には、互に国家の独立を尊重すべしとの考から、漫りに他国に干渉す可らずといふ原則が立つて居つ
わのでか 〔弱〕
た。国際法が斯うした個人主義を基調としては自ら強いもの勝になり、強い者は蒼められ通しである。夫れが世
界紛乱の基だといふので各方面に改造の精神が起つたのだから、此新要求のほとばしる所、最早従前の所謂非干
▲bと
渉の原則は必しも左程重視せられなくなつたのは、自然の道理である。野心のために他国に干渉するは固より許
されぬが、世界の平和の為には非干渉の原則も譲らねばならぬことになつた。先づ此事を念頭において本間題を
観る必要がある。 .
此の新しい観点からすれば、独立し得ざる国民に対しては好意ある援助が与へられねばならぬ。速に独立し得
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るに至る様たすけなければならぬ。他国の脅威となるやうな国民に対しては、共同のカを打てする替告が与へら
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(六) 善を以て悪に勝つの基督教主義は国際間題にも適用せられ得るや否や。
無論である。悪に対するに悪を以てするは如何なる場合にも許されない。只何が悪かに付てが形式的に考へて
うそ
はいけないと思ふ。禁酒といへば絶対的に酒精分に触れぬとか、嘘をいはぬといへば君父の秘事でも遅疑なく人
に洩らすと云ふ風に、概念的に各自の行動を規律することは吾人の執らざる所である。行為は芸術でありたい。
嘘をいはぬに感服し、嘘をいふ処に亦無限の味ひを見る。要は人格そのものである。
(七) 国民は個人と同じ意味に於て人格を有すといひ得るや。
之は何の意味で出されたか分らない。文字に現れた所では純然たる社会学上の問題であつて、宗教的会合に特
殊の関係ある様にも思へぬから答弁を略する。
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(八) 基督教国が他国〔の〕侵掠を蒙れる場合には何を為すべきや。そが基督教国に非る場合に於て基督信徒た
る国民の為すべき所如何。又基督教徒は如何なる場合に国家に服従を拒心べきや。
此問題に対する答案は、戦争以前に在ては甚だ困難態むのであつた。弱い者の強い者に対する、其為すが優に
おうくつ
委して何等其柾屈を訴ふるを得なかつたからで凍る、。今日に在つては、斯かる小弱の者にも真に其の処を得ささ
ぅといふ気分の強い時勢となつたのだから、斯かる国家は固より、国民も亦益々斯かる気分の濃厚になる様につ
いたず
とむべきである。強い者には気自ら誇るの弊あると共に、弱い者には徒らにひがむといふ疾がないでない。中正
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を失ふことは全体の空気の改善に妨げあること今も昔も変らない。少し頭を提げ始めた小弱者に遺憾な点はいつ
も此辺にある。
基督教徒に取つて信仰と国家的服従との衝突が問題となつた時代はもう過ぎたと思ふ。今日の国家は正面から
〔こと〕
宗教の信仰を捨てよなどといふものはない。国家の命令は吾々の生活の外形に及ぶに止るので、之に従ふことが
信仰と矛盾する様なことは殆んどない。内心の信仰は如何なる場合でも立派に今日の臥家から保障されて居る。
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もし夫れ一見両者相容れぬ様な事があつたとしても一方信仰を確拝し一方国家の所命に服し、其間国家を道徳的
に導くに最善の努力を尽すことに依で良心の満足を得る途は幾らもあると信ずる。
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(九) 戦争は基督教と両立するや。戦争に依て基督教の精神を現はし得るや。若し然らずとすれば、如何なる
きよ
場合に戦争の手段に訴ふるを是認さる、や。又目的は手段を潔むといひ得るや。善の実現のために悪を為し
得るや。
あらかじ
戦争は基督教と両立せず。已むを得ずして自衛の為に起つは予め概念的に之を是否すべきでないと思ふ。目的
は如何なる場合にも手段を潔めず。凡ての良きものは必ず良き手段よりのみ来る。一歩一歩善き事を積むことが
独り終局の善の到来の因を為すものである。此意味に於て吾々は基督教徒として戦争に絶対に反対する。
但し国家の命令として出陣の命を受けたる場合に、之に抗拒して服従をM夢ぬのが基督教徒としての義務か、
更に進んで他を煽動までして出征せしめぬ様に努むべきやは一つの大きな実際問題だ。而して之は独り基督教徒.
に限るのではなく、仏教徒にも起り得る問題である。自分の立場は飽くまで堅く把持するも、他の行動を批評す
るときには此問題に対しても概念的に型に捉へらるこ」とは慎むべきである。
(十) 教会は事実上由際関係の発達に助成し得るや。教会は戦争を防止し得べさや。得るとせば如何なる変化
を必要とするや。世界の基督教学生青年は教会と社会とを助けて戦争を避くるの途の発見を助け得るや。
世界の進歩の一つの著しい象徴は同類意識の発達だとは先きにも述べた。四海同胞の人道的精神は基督教の最
も高調する所、従つて国際関係の尭達に最も有効に(間接ではあれど)貢献し得るもの教会の如きはない。只此目
的を最も適切に達するためには、教会に取つてもつとよく実際の問題を理解することが必要だ。積極的に之に触
し びゆうせつ
れないまでも、世上の俗説に捉へられて、識らず〈坊間の謬説に無意識的に誤られぬ様戒心するを要する。此
点に於て最も望をおかるゝは学生青年である。何となれば彼等は一方に於ては比較的過去の歴史の影響を蒙るこ
と薄く、他方に於ては新しき時代の脆縛に最も敏感であるからである。青年会ほ大に此方面に使命を感ずる所な
くてはならぬ。
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(十一) 国際紛擾排除の精神及方法として何を吾人は提供すべきや。
之を内にしては人道主義の徹底である。之を外にしては国際的交通に依る人道的精神の実際的訓練である。国
際間題の研究も必要だが、根本に於て先入の偏見があつては時として事実の正視が妨げらるゝものである。故に
吾々は自ら人道主義に徹底し、凡ての物の考へ方が人道主義的になつて居るやうにしなければならぬ。之と同時
に夫が空理空論であつてはいけない。実地に証明して之を体験してゐなければならぬ。此意味に於て今度の万国
大会の如きは正に絶好の機会といふべきである。
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(十二) 個々の学生信徒が自ら国際的精神の滴養をはかる方法如何。
之についても大体前と同じ主意のことを言ふの外はない。但之についての具体的方法としては、如何にして諸
国の学生青年に蜃々相会合して相識るの機会を頻繁に提供すべきやを講究しておきたいと思ふ。
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(十三) 異種族間の離婚は正当なりや又奨励すべきものなりや。
(十四) 例へば加州濠洲の如きに於て、経済上の理由と文明並に生活標準の異るの理由等により、外国移民排
斥政策を取り居るが、之が是非得失に関する見解如何。
之については特別の専門的智識を予定する特別の問題として一般の解答を求めて居るのではないから略さう。
之についての僕の意見は追て他日述ぶる機会もあらう。
斯く一通り答へては見たが、我々の日常生活は一つの芸術であるべきで、一の典型的々概念に依て支配さして
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は不可ぬ。怒らないと一旦誓つた以上どんな事があつても腹を立てぬと頑なに考へては、人生も頗る殺風景なも
のだ。怒らない人といふに味ひあり、其人がまた時に怒るといふにも面白い処がある。其処に人格の統一ある時、
吾々は信仰の華がいろ〈に咲き分れて人生といふ花園を快きものにしてゐるのだと考へる。
さうはいふものゝ、あんな問題を出されて見ると、日本人としては何となく気が後れる感がする。何となれば、
過去の日本が余りに東洋に強者の権利を主張し過ぎた結果として、今や事毎に被告の地に立たされる嫌なきを得
ないからである。兎につけても吾々は正直なる基督信徒として、出来る丈卒直に出来る丈淡泊に事実を見、譲る
べきは最も大胆にゆづつて、常に正しい事の味方たるの実を挙げたいものだと思ふ。〔『新人』一九二二年三月〕