新書古書〔東京数学会社雑誌〕
・あがな
此頃新に購つた古本の中に東京数学会社雑誌といふがある。第一号より第三十五号までの合本で、初号は明治
十渾十一月、終りの号は明治十四年四月の発行になつて居る。其後何号まで続いたかは、数学会社そのもの、存
続のことと共に知らない。名称の示す通り数学会の機関雑誌で僕達の仕事には直接関係もないので、今骨を折つ
て之等を調べる気にもならない。
体裁は其頃流行の型と見えて四六版十五六枚(後には二十枚を超える様になつたが)の日本紙刷である。かの明
六雑誌などと同一だ。毎週一回土曜日刊行といふ公告は大抵実行された様である。内容は算術代数幾何三角を始
すこぶ
め高等数学の諸部門に亘り、其の問題と答解を掲げたもので、今から見れば頗る幼稚な雑誌だが、当時に在つて
は最も新しい学問の最も高い研究の発表であつたのだらう。そは記者乃至会員の中には当年の科学者や後の碩学
いで
を網羅して居るのでも分る。但し執れにしても内容の詮議は僕には分らぬ。只この古い出版物を手にして見ると
先輩の苦心攻学の紀念といふ意味の外に、僕達の立場から観ても面白い事があるので、夫れで滋に之を主題とし
て一二言する気になつたのである。
猶言ひ残したが、同雑誌は第八号(十一年七月発行)までは木板で、第九号(同年九月発行)から活版になつて居
る。明治の初年なら格別、此頃まで木版を使つた雑誌は外にあまり見当らないやうだ。又今なら数学会といふベ
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くノ
き所を数学会社と呼んだのも面白い○今日会社といへば殆んど例外なく商事会社を連想するが、当時は必ずしも
ヽ ヽ ヽ ヽ
さうでなかつた0福地源一郎先生の『会社弁』(明治四年出版)には、立派に「会社トハ総三白般ノ商工会同結社・
セシ者ノ通称ニテ常例英語1コンペ子」「コ〜ボレーション」の適訳二用ヒ来り」と書いてあるも、此の限定
された意味に世間では久しく用ゐなかつたらしく、現に例へば明治十三年に出版した尾崎行雄氏訳の『泰西名家
幼伝』には、英の「ローヤ〜・ソサイテー」を釈して「大学者の会集せる会社」となし、又仏の「フレンチ・イ
ンスナチユート」をば「碩学鴻儒の集会して究理数学化学等諸般の学科を討究する為め設立し七る仏蘭西会社」
い つ
と解説して居るのを見る0会社といふ字が何時頃より今日意味する様な限定的術語となつたかは精密に究めて置
きたいと思ふ。
又も三序に目についたのは、会員の呼び方である0各号雑誌の扉の裏に社則の大綱が載つて居るが、之には
ついで
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入社人といふ字が使つてある0第二十号(十二年十二月発行)に至つて、初めて社員の文字が現れる。又入社せん
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と欲する者は毎土曜日の定期集会に会場に来て名刺を出せとあるが、この名刺の文字の初めて見へたのが第十三
号(十二年三月発行)で、其以前は名簿とある○今は名簿といへば多数の人の姓名を書き列ねた簿冊の意だが、滋
0 0
では住所姓名票の義たること疑ない。
*
発行の趣意は、初代の社長にして恐らく発企人の一人であつたらうと思はるゝ神田孝平先生の筆で、初号の開
こ けだ
巻第一に「東京数学会社雑誌彗ロ」として書き示されて居る○其中に斯んな文句がある0「蓋シ数ハ理ノ証ナリ。
証明ナラザレバ理顕レズ0い朝も理ノ辟レンコトヲ求メバ数ソレ講明セザル可ケンヤ」。数学は昔から之を講明し
いわゆる
た者が無いではないが、概して云ふに所謂土人は算数の事を甚だ重んじなかつた。西学の開くるに及んで其風大
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雑
社
会
学
数
京
棟
書
古
書
新
に変りはしたが、余習未だ尽く去らずして斯学の効は「未ダ公衆一般ノ実益ヲ為スニ及バ」ない0「是此会ヲ設
ゆ え ん
ヶクル所以ナリ」と云つて居る。而して此の会の仕事としては次の七綱目を挙げて居る。一日、内外古今数学関
係の書籍を蒐輯する事。二日、各人の質問を受けば必ず之が益を為す事。三日、会中不審の件は弘く公衆に質問
すべき事。四日、西洋数学書を翻訳すべき事。五日、既に翻訳せる者は之を印行すべき事〇六日、諸名義(今な
ら術語と云ふべき所か)訳例等を二疋すべき事。七日、毎会議定する所は輯録して印行すべき事0本雑誌は即ち
なかんすく
此の第七日に応ずるものである。又この雑誌によると、第一日以下の仕事も相応にやつて居つた棟だ0就中第六
日の努力に関しては其功の頗る感謝に催すべきものがある様に思ふ0毎週一回の定期研究会は、最初湯島昌平館
で開いたが、十三年四月よりは京橋日書町の共存同衆館に会場を移したとある0丁度此時神田氏社長を辞して柳
ないこう
猶悦と云ふ人が代つた。色々内部に内証があつた結果らしい0執れにしても之を磯として会務に一大刷新を加へ、
一時衰へかけたのが再び生気を復した様に見へるのである。
明治十年十二月の議定に係る社則仝六ケ条は第三号の終りに掲げてあるが別に言ふべき程の特色はない0会員
は有名を超え、漸を逐うて殖へて居るが、其中には神田孝乎先生を姑めとして菊池大麓、荒井郁之助、寺尾寿、
村岡範為馳、小川健太(次の誤ならん)郎、上野清、相浦紀道、中牟田倉之助、伊藤璧口等の諸先生の名が見へる0
いささ
中にドクトル・センデルといふ外国人の見へるのはまた聯か異彩を放つて居残
第九号(十一年九月発行)に「十月始メヨリ毎週二次(火金曜)高等数学ヲ革ン且質問ヲ受ク有志諸君細詳ヲ知ラ
ント欲セバ来議アレ蠣殻町三丁目九番地三沢舎菊池大麓」といふ広告が載つて居る。菊池先生が雑誌以外に於て
も斯学普及の為に尽された功労を想像することが出来る。
此頃の学術雑誌はどの位刷つた者だらうか。之は第二十五号の附録に載つて居る表で分る○特別の場合には千
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くノ
部刷つたが、普通には五百を限りとしてある0而して其中会員に配るのを外にして、市中に売れたのは最初は四
百三石もあつた棟だが、やがて四五十に減り、遂に十以↑に降る様になつた0之が十三年春の改革を見るに至つ
た一原因でもあるらしい。
十三年春の改革で神田先生が勇退されたことは前にも述べたが、之等の事は先に詮索するの必要はない。之等
の事どもは第二十五号附録にも出て居る0この附録はつまり之等の報告のために作られたものな町だ。此中に吾
人の注意に催するのは寧ろ改正されたそ十三ケ条の規則中の次の数ケ条であらう。先づ第九条を見るに日く、
いえど
「本社ハ数理ヲ研究スルガ為二設ケクル者ナレバ、数学ヲ教授スルコトヲ為サズト維モ社員ハ勿論広ク世間ノ質
問二応ジ、之ガ答弁ヲ為スベシ0質問ノ事項通常ナ〜モノハ学務委員之ヲ担当シ、六十日ヲ限り之ヲ答弁ナシ、
掌項高尚ナル者ハ並絹ク社員二通知シ其答ヲ募り、九十日ヲ限り質議者二答フ可シ。其理深遠ニシテ解シ難キ者
あまね
ハ、広ク宇内ノ数理大家二解義ヲ請フテ質読者二答フルコトアルベシ」と0滋に学務委員といふのは、事務委員
に対して専ら学術事項を担当する役員のことである0次に第十妄を見る0日く「公私中小学校二於テ数学教員
撰挙ノ時其試験ヲ本社二請フトキハ、委員協議ノ1之ヲ弁スベシ」と0又第十二条に日く「数学教員測量者等ノ
雇人、試験ヲ本社表フトキモ前条二比準スベシ」と0内容たる仕事の性質の変つてゐる点の外、撰挙なる文字
の特殊の用例が注意に値すると思ふ。
*
前に斯学術語の妄といふ事がこの会の重要な仕事であり、又此方面に大なる効績の認むべきものある旨を一
言した0所謂名義訳例の妄は、始め久しく着手を怠つたが、十三年八月よりいよ〈研究協定する事にしたの
である0之については此の事業の中心となつて働いた中川将行といふ人の功は実に大なるものがあるやうだ。最
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初の革案も概ね此人の手に成つて居る。当初この為の会合は毎月一回であつたが、十四年一月よりは二回となり、
も・つしあわせ
又過半数できめると云ふ申合では中々確定を見ないといふので、後には五人の賛成なきは全然廃棄し、五人以上
の是とするものは、過半数の同意なしと錐も合格せらるものと為して事業の進行を謀つたと云ふ。今日の術語の
多数は斯かる先輩の苦心に依つで出来たものである。
訳例の協定については中々異論があつて、さう易々と決まつた者ではないやうだ。第二十九号(十三年十月発
0 0
行)に「ユーニット」の訳語に関する記事がある。今日の訳語単位といふことに何時きまつたものやら、此時の
0 0
研究会では、「議論紛々遂二決セズ、肝付兼行君発議シテ日ク程元卜訳スベシト。賛成者ナキヲ以テ其議消滅」
したとある。之に就て中川将行氏は、「余草案者タルヲ以テ議場二之ヲ賛成スル能ハズ、遺憾亦極ルト云フベシ」
とて、改めて賛成の理由を次の如く開陳して居る。日く「程は国語「ホド」ト調斗。則物ノ度ヲ云フ。熱度ノ度
ノ如シ。=・…故二程ハ量卜其意通スルコト明カナリ。然レドモカ量卜云テカ程卜云ハズ。里程航程卜云テ里〔量〕
航量卜云ハズ。蓋シ用語ノ習慣然ラシムルナリ。故二程ハ即チ度也、数也、即チ数量卜通ズ。凡ソ数量ヲ算スル
ニハ必ズ先ヅ其元ヲ立テザルベカラズ。角度ノ大小ヲ算スルニハ一度ヲ以テ其元トシ、米麦ノ多寡ヲ算スルl六
〇 〇
一石ヲ以テ其元トス。==:故二二度一石ノ如キモノヲ総称シテ、数量ノ元則チ程元卜訳スベキナリ。且ツ程元ノ
にわか
字面ハ、見テ遽二解スベカラザルニ似タリ。是レ其最モ妙ナル所トス」と。之等の記載に依て観ても、先輩が如
何に訳語をきめるに苦心されたかが分るであらう。
最後に此頃新にボツ〈起り始めた取引上の新事例が如何なる未熟の言葉で言ひ現されたかを示すべき一項を
以てこの小篇を結ばう。そは第三十四号(十四年三月発行)の巻末に出て居る数学書出版の予約募集広告である0
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くノ
発著川北朝彗野清両氏の連名で次の文字が載せられてある0「余輩数理拡張ノ為メ、有志ヲ募り、数理書共
同出板ノ薬屋サントス0之ガ端緒ヲ開カンガ為メ、突氏軸式円錐温法ノ出板二着手シ、己二其第一冊(全巻
わか 〔湖〕
六分の一)印刷成り株主諸君二頒テリ0然ルニ株主未満二付、尚江潮有志者二告グ0方法ヲ知ラント欲セバ、東
京麹町区富士見町六↑町二番地↓野塾へ尋問次第報道スベシ」0株だの株主だのといふ文字が当時非常に広く使
はれた事は之でも分るが、之はまた特別の研究として面白い琴目になると思ふ。
〔『国家学会雑誌』一九二二年九月〕
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▲菅
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