朝鮮青年会問題



朝鮮統治策の覚醒を促す −
 新年の諸新開に於て原総理大臣が斎藤朝鮮総督と共に兎も角も堂々と意見を発表したといふことは、割合に世
間に反響は無かつたとは云へ、近頃珍しい現象と謂はねばならぬ。原宰相の意見に就いても述べて見たいやうな
点が若干無いではないが、今は姑く之を措く。滋には斎藤総督の宣言に閑聯して、少しく朝鮮統治上の問題に就
いて三日して見ようと思ふ。
 斎藤総督の宣言其者に対しては、実は大体に放て異論を挿むべきものを認めない。只だ物の言ひ方が如何にも
大名が家来にでも訓示するかのやうな、又は長官が属官に訓示するかのやうな、倣然たる態度を取つて居るのが、
研か温厚にして平民的なる斎藤総督共の人にふさはしくない様な気がする。斎藤総督其人の人格の現はれとして
は、もつと謙抑な、もつと温か味のあるものであつて宜かりさうに思ふ。殊に末段に至り、筍くも当局の方針に
反するものに付ては仮借する所無く処分するぞなどといふ辺りは、無論当局のことには相違無いが、何となくミ
リクリスチックの臭ひが強い。尤もこれは恐らく斎藤総督が自分で書いたのではなからう。併し斎藤総督の率ひ
て行つた部下の中には、朝鮮統治に就いて前の時代とは違つた新しい思想を有つて居る者も少くないと開いて居
              かどば                          こころもと
ったのに、あんな角張つた文章を作るやうでは、一寸心許ないやうにも思はるゝ。
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斎藤総督の宣言其者に就いて言ふべきことは外に無い。唯だ斎藤総督の下に於ける朝鮮統治の当局者は事実果
して総督の示すやうな立派な精神で朝鮮民族に接して居るかどうかゞ予輩の備に懸念する所である。寺内、長谷
川時代に於ける朝鮮統治の失態は、今日最早何人も疑はざる所であり、最近の朝鮮に於ける各般の不安動揺主と
して滋に其の原因を有することも亦言を待たない。而して是れに依つて我が日本はどれだけ損害を被つて居るか
                                          か
分らない○故に我々は先般総督の更任と共に、新に多大の期待を朝鮮統治の前途に繋けたのであつた。否な独り
我々日本国民ばかりではない、実に世界全般の耳目が挙つて新総督の施政如何に注がれたのであつた。それ程ま
でに我々は新当局者の手腕を悼んで居eのであるが、彼等は果して這の期待に反かず朝鮮の統治に立派に成功す
るだけの十分なる能力を有つて居るだらうか。これが実に我々の甚だ懸念に堪へない所である。
 朝鮮統治の成功不成功を単に外面的施設の如何に依て決するの時期は最早過ぎた。総督は宣言に於て誇つて居
らるゝ0日く合併以前に於ては、批政百出、土民塗炭に苦しむのみであつたが、新に日本の統治を受くるに至つ
て、殖産興業も開発せられ、交通機関も整備し、其の他色々の物質的開発の結果、彼等の幸福は昔日に百倍した
と0成程これは其の通りであらうが、併⊥さういふ外面的の色々の施設を整備したといふこと丈けで、朝鮮統治
の能事了れりと思ふならば、是れ大なる誤りである。どんなに外面的施設を整へても、朝鮮人の「心」を得なけ
れば何にもならない。これが実に去年三月の大騒動以来の教訓に依つて、我々日本国民の深刻に経験した筈のも
のではないか。故に今後朝鮮統治に本当に成功せんとならば、先づ第一は朝鮮人の「心」を得ることに力めなけ
ればならない。而して我々が斎藤総督並びに共の部下の当局者に望む所又期待する所も、実に専ら此点にある。
単に殖産興業がどうの、交通機関がどうのといふ方面だけの整頓ならば、何も我々はそれ程多大の希望を特に彼
                                                                        ヽ ヽ
等に繋くる必要を見ない。そこで我々の問題とするのは、現在の当局者は果して朝鮮統治上の肝要な此こつを呑
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込んで居るかどうか、即ち彼等朝鮮人の「心」を得るに成功するの能力を有するや否やの点に在る。
 斯ういふ問題になると、固より外面的に現はれない問題であるから、一に具体的に例証を挙げて論ずることは
出来ない。けれども我々は最近起つた在京の朝鮮人青年会問邁に対する所謂当局者の態度なるものに就いて、図
らずも此等の間遺に関する当局者の見識を論じ得る一具体的事実に遭遇した。尤もこれは或る一部の噂に過ぎな
い。噂を取つて直ちに之を議論の問題とするのは、研か軽卒の嫌ひ無きに非ざるも、但だ之は相当に信用するに
足る方面より得た噂であるのと、又丁度朝鮮統治を論ずるに都合のい、問題であるので、暫く之を主題に着りて
論評を試みて見やうと思ふのである。
 青年会問題といふのは斯うである。東京神田に朝鮮人の基督教青年会の会館と寄宿舎とがある。これが在留朝
鮮人青年学生数百名の唯一の集会所であり、又随つて各種の陰謀の策源地にな懲此処を中心として在京の青年
学生は、上海の所謂独立政府なるものと聯絡もあるやうである。故に之を撲滅して仕舞ひたいといふやうな希望
を当局者は有つて居たといふのである。尤も之を撲滅するといふことが、色々の関係上、出来ないといふなら、
何とかして之を日本人の管理に置く訳には行くまいか。孝ひ朝鮮に於ては、「組合教会」が総督府と提携して朝
鮮人の教化に努めて居るから、其の組合派に属する日本人牧師にでも朝鮮青年会を管理せしむる訳には行くまい
か。少くとも此の青年会に附属する寄宿舎だけは廃したい。而して此処に居る学生は、別に総督府保護の下に一
っの新たなる寄宿舎を建て、其処に収容して監督したいといふやうなことを考へたのである。これが去年の暮頃
専ら我々の間に伝はつた噂であるが、若しこれが本当であつたとするならば、甚だ愚策であり又朝鮮統治上の蒙
昧を証拠立てる所の有力なる材料でなければならない。
 尤も去年の暮、斯んな噂があつたのは一時の事で、今日までの所その一端すら実現して居ないから、一部の人
■ヽノ
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がそんなことを一寸考へたといふ位に止まつて、所謂当局者が熱心に之を計画したといふ程のことではないらし
い○果して然らば今頃之を問遭とするのは少しく適当を欠いて居るかも知れない。のみならず、三日年会の興廃
はそれ自身極めて小なる問題であるから、之を取つて朝鮮統治の方針がどうの斯うのといふのは、亦少しく不穏
当のやうにも思はれる。併しながら予輩が此の問遺を先に持ち出すのは、敢て当局者を攻撃する意味でもなけれ
ば、又斯んな噂を本当だと信じて議論するのでもない。只だ斯ういつたやうな思想が今日猶ほ、表面には現はれ
ないが、矢張り朝鮮統治の任に当る人々の胸の中に存在して居るといふ事実は疑ひ無いから、それで之を着りて
一つ議論して見やうと思ふまでゝある。本当に我々の理想とするやうな朝鮮統治の成功を見るには、右の様な思
想は根本から、之を正して置くの必要がある。独り当局者許りではない、民間の識者の間にもあんな考は今日猶
ほ相当に深い。どうしても朝鮮の統治に根本的に成功するには、独り官吏社会の考ばかりでなく、国民全体の朝
鮮人に対する考が覚醒するを必要とするから、乃ち之を一の機会として、我々内地人が対朝鮮人の態度を正すの
                   た・王た士−
は頗る必要のことであると考へる。会々斎藤総督の宣言などを見て此事に思ひ附いたので、即ち此の一篇を寄せ
て教を大方に請ふ次第である。
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      二

 先づ問題を極く小さい所から始めて、段々と歩を進めて行かう。
朝鮮人青年会は、噂の通り、今日まで多年の間陰謀の策源地と当局から認められて居た。去れば何か集会があ
ると其度毎に、警察の露骨なる監督を受くるは勿論、平素に於ても、常に密偵が其の附近を迂路ついて居る。祈
痔会などを静かにやつて居る場合にすら、探偵が其処に臨場して高声で話し合ひ、其の静認を破るといふやうな
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無礼は、予輩も蜃々聞いた。そこで青年会が果して基督教的修養の場所といふ正当の目的を超へて、各種の不都
合なる陰謀の策瀬地に利用されて居るといふは、一体事実なりや否やといふ問題が起る。之に対して予輩は此の
観察が或意味に於ては正しく、又或意味に於ては正しくないと答へる。
 或意味に於て正しいといふのは、青年会が蜃々独立運動などの策源地となつたといふ事実は疑ひ無いからであ
る。けれども、基督教育年会といふことゝ陰謀の策源地であるといふことゝの間には、必然の関係があるのでは
ない。基督教青年会なるが故に必然に陰謀の策源地となつたといふのでなくして、朝鮮人の青年学生に取つては、
此処の他に集会の場所が無く、青年会は即ち彼等が公然集まり得る唯一の場所であるから、そこで自から陰謀の
策源地となつたまでの事で席る。即ち青年会は偶然に陰謀の策源地となつたのであつて、若し此の二者の間に必
然の関係ありと観る者あらば、其の観察は正しくない。即ち予輩が或意味に於て正しくないかと云つた所以であ
る。であるから、若し青年会を撲滅したら如何なるかと云ふに、彼等は必ずや他に秘密の集会所を作るだらう。
彼等がいろ〈の陰謀を廻らし、其の為めに集会の場所を必要とするといふことは、青年会とは何等関係が無い。
此の要求が偶々青年会に依つて満たされるのであるけれども、若し青年会が無かつたなら、他に秘密の場所が出
来て、却つて其処から更に一層危険なる計画が企まる、であらう。そこで予輩は寧ろ常に斯う考へて居る。若し
朝鮮人の間に初めから青年会のやうなものが無かつたならば、彼等は絶へず色々の所に秘密に会合して、警察の
    士−こと
方では渦に取締りに困るだらう。その結果寧ろ青年会のやうなものを造つてやつた方が宜くはないかといふやう
な考が起るに相違無いと。であるから青年会といふ建物の存在することは、寧ろ一つの安全弁であつて、之を撲
滅するとか又は之を閉鎖するといふのは、以ての外の短見と詔はなければならない。
 青年会が事実蜃々陰謀の策源地となるからといつて之を撲滅するのは、安全弁を取り去つて遂に悪性の爆発を
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促すに過ぎないことは前述の通りである○故に青年会が陰謀の策源地となるといふことが苦になるなら、之を撲
滅するよりも、先づ彼等が諸種の集会を必要とする所以の原因を能く考へてやる必要があらう。まさか絶対に彼
等を集会させぬといふ訳には行くまい。絶対に彼等の集会を禁ずるは、どの点から見ても甚しい不正であると同
時に、又事実斯ういふことは出来るものでもない。公然集会するの機会を彼等から奪へば、秘密の集会となつて、
                       わそ        み
却つて一層危険なるバチルスの此の間に養成せられる虞れのあることは火を括るよりも明白ではないか。此の点
に就いて我々は朝鮮統治の局に当るものに慎重なる省量を求むると共に、尚ほ又直接此の建物の取締の任に当る
所の警視庁並びに警察署の官吏諸君にも大なる反省を促したい。
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      三
 青年会が陰謀の策源地となるのは、外に適当な建物が無い為めに彼等が之を利用するまでのことであつて、青
年会其のものゝ本来の活動と何等直接必然の関係があるのでないから、青年会の指導者を換へるといふ事はまた
何の役にも立たないのである0噂の伝ふる所に拠れば、今更青年会を撲滅するといふことも不穏当であるから、
せめて青年会の指導者を換へる訳には行くまいかと考へたと云ふが、斯の如きは徒らに平地に波瀾を生じて、寧
ろ悲しむべき結果を生ずるに過ぎないだらう。
                          はくなんくん
 今日朝鮮人青年会の幹事として指導の任に当つて居る自南薫君は予輩の親友であつて、実に立派な温厚の紳士
である0之をしも不都合の人物と認むるならば、真面目の朝鮮人の間には一人も適任者を見出すことは出来ない
と謂ふことにならう0青年会が朝鮮人青年学生の鬱勃たる元気に対する安全弁であると云つたと同じ意味に於て、
白君の如さ温厚なる紳士が幹事の地位に居るといふことは、又青年学生の元気を過度に奔放ならしめざる所以の
息抜であるとも謂へる。白君を青年会指導者の地位より失ふは、膏に朝鮮人青年会に取つての損失である許りで
                                                        も
なく、我々内地人の立場から観ても、非常の損失と謂はなければならない。仮し人は自君其人を不適当としても、







朝鮮人青年会のことは、須らく朝鮮人に自治せしむべきであつて、内地人が
而かも当局者などが
之に干
渉するといふは、甚しき時勢後れと謂はなければならない。殊に自君の後任として、朝鮮語を解し朝鮮の事情に
通ずる日本人を入れやうなど、いふ考は、愚も亦甚しいと謂はねばならぬ。何となれば、日本人を入れたからと
いつて、当局の希望する様な結果は断じて得られないからである」朝鮮人青年学生の多数が独立の見識無き愚昧
の輩であつて、一から十まで指導者の言ふことに盲目的に従ふものであるならば、指導者次第で彼等を如何やう
にも動かすことが出来やう。一般の民衆を愚民扱ひにして、自分の思ふ通りにどうにでも動くものと観るのは、
                       〔の〕
兎角官僚政治家の通弊であるが、今日の人間はさう軽々しく人は思ふ通りに動←ものではない0況んや朝鮮の青
年学生は、殊に日本其のものに対して、一種特別の感情に燃へて居るに於てをや。故に日本人などが此の間に入
つて行てはどんな立派な人が行かうが、直ちに排斥せられて仕まうに決つて居る。若し又其の日本人が例へば官
憲の威力を借りて逆襲の態度に出でん乎、青年学生は其の日本人を置きざりにして青年会を去つて仕まうに相違
無い。共結果は折角青年会といふ傘の中に集まつて居つたものを、取締の手の及ばない所々方々に散乱せしむる
やうなものであつて、危険此の上も無いと謂はなければならない。
 殊に組合教会の人をして指導の任に当らしむるといふのは、以ての外の愚策である。予輩は自ら組合教会に属
して居るものであるが、それでも朝鮮に於ける組合教会の伝道は、精神的に全然失敗であるといふことを断言し
て慣らないものである。斯く云へば、多数の教友は或は不快に感ぜられるかも知れない。けれども、予輩は日本
の為めに又朝鮮の為めに、組合教会は新規蒔直しをやらなければ、到底真の基督教的精神を朝鮮人に伝ふること
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は断じて出来ないと確信して疑はないものである。それ程組合教会は今日朝鮮人の間に信頼を失つて居る。其の
信頼を失つて居るものを、唯だ基督教徒といふ名前だけで指導者の地位に強ひやうと云ふのは、決して彼等の心
を得る所以ではない。
 要するに、どの道日本人が彼等の中に入つて行つたのでは駄目だ。若し日本人として誠実に彼等を援助し、又
は親切に彼等を指導してやらうといふならば、遠くから彼等に誠意を示すの外に道は無い。冷静に彼等の希望を
聴き、彼等の民族的要求に相当の敬礼を払ひ、彼等の拠つて以て立つ所の「正義」を後援するといふだけの実意
を披渡するでなければ、我々は到底精神的に彼等に接近することが出来ないのである。
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 寄宿舎を廃するといふやうな噂さも、若し斯んなことを一人でも考へて居るものがあるとすれば、是れ亦甚し
い愚策と謂はざるを得ない。今日内地の学生に取つても、一般に適当な寄宿舎の無いので大に困つて居るが、殊
に朝鮮人台湾人若くは支那人などになると、最も此の点に困つて居る。心あるものは此に非常の同情を寄せて、
何とかして寄宿舎でも造つてやらうと心配して居る際だのに、今在る寄宿舎を廃すと〔い〕ふのは、膏に著しく彼
等の感情を害するに止まるまい。尤も別に半ば官営の寄宿舎を造つて、之に収容してやらうといふのかも知れな
いが、それはつまり形に得て、精神に失ふの外、何の役にも立たないのである。台湾人の方はこれでやつて居る。
けれども台湾の方のやり方も、あれで十分成功であると考てゐるならば大に誤りである。どうせ我々が金音便つ
て彼等の便利を図つてやらうといふのなら、もう少し上手な遣り方がありさうなものだ。今日までのやり方は、
金許り沢山便つて少しも彼等の信服を得ない、極めて下手なやり方だ。而し其信服を得ないのは当然の理である







   やや
のに、動もするとこれだけ世話しても恩に感じない怪しからぬ奴だなどと罵る。罵らる、ものが悪いのでなくし
て、罵るものが無識なのだ。予輩は友人と謀つて、最近或る外国の学生の為めに寄宿舎を造つてやつたが、金を
集め寄宿舎を造つて、それを全然無条件で其外国留学生の団体に贈呈した。監督どころか、何等の条件も設けな
い。さうすると却つて向ふが寄宿舎の経営其の他に就いて色々と相談に来る。固より斯ういふ美はしい結果を予
期して無条件贈呈といふ方法を採つたのではないが、俗諺にもある通り、損して徳取れといふことは、策略とし
ても上乗のものである。初めから監督するの取締るの世話してやるのといふのでは、到底目的を達するものでは
ない。
     五

 上述の如く在留の朝鮮人青年学生が、絶へず会合して陰謀に耽るといふことは、三日年会の小間違ではなく、
もつと重大なる問題を含むものである。我々は先づ此事に気着かなければならない。そこで単に青年が此の如き
企を為すに至る所以の根本を深く反省することが必要なのである。
 人によつては、朝鮮人青年学生が全部斯る不穏の挙動に出づるのではなく、極く少数の者が誰かの煽動に因つ
てやるのだなど、楽観するものもある。併しながら予輩の観る所に依れば、直接積極的に之に閑はる者は或は夫
れ程多数でないかも知れないが、受動的に之に関係するもの若くは少くとも之に同情共鳴するものを算へるなら
ば、殆んど全部が皆其の仲間であるといつて宜からう。一人も残らず十人が十人まで同じやうなことを考へて居
るといふのが、抑もどういふ訳か、之針問題とすべきであると思ふのである0只だ少数の人が煽動に乗つて騒ぎ
                      や かま
廻るといふだけの問題なら、我々は何も之を矢釜しく云ふ必要は無い。二三の警察官諸公に任せて置いて十分安
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心の出来る問題である。けれども事実は全く之に反し、十人が十人まで動揺して居るといふのだから、共処に何
等か根本的に考ふべき問題があるのではないかと考ふるのである。
 此事を考ふるに当つて予輩の常に甚だ遺憾とすることは、世人の多くが之を兎角法律的にのみ観ることである。
法律的に観るといふのはどういふ事かと云へば、即ち彼等を以て朝憲を素乱し国法を揉踊する不蓮の逆徒と観る
ことである。成程朝鮮人は法律上日本の臣民である。日本臣民にして而かも日本の支配を脱しやうといふのだか
ら、彼等の行動の法律的評価は言ふまでもなく一種の反逆罪である。反逆罪は刑法上の罪の中でも最も重きもの。
そこで此等の運動に関係する朝鮮人々、世人は動もすれば不遥の暴漢と罵る。先達て上海の独立政府から呂運亨
といふ人が来た。あの時、逆賊を帝都の真申に呼寄せて之を優遇したのは怪しからぬといつて、大に政府に向つ
て喰つて掛つた者があつた。法律的にのみ観れば、戌程それに相違無い。併しながら此の如く観て而して之に法
律の要求する取扱を其の俵加へるといふことが、一体朝鮮問題を根本的に解決する所以であるかどうか。此処が
我々の真面目に又冷静に考ふべき問題である。
 朝鮮人は法律上日本臣民であるに相違はない。けれども事実に於て朝鮮人は大和民族ではない。大和民族の造
る所たる此大日本帝国に於ては、朝鮮人が継子の様な地位にあることは、事実の上にどうしても隠すことが出来
ない。。朝鮮人が日本といふ国に対して我々内地人と同じやうな忠実の心を有つて貰ひたいといふことは、我々の
熱心に希望する所ではあるけれども、急に之を有てと強ゐる訳に行かないは勿論、持たないからとて之を不都合
呼はりするのは甚だ酪である。少くとも此の如き魂を有たなければならぬものとして彼等を取扱ふといふが如き
は断じて穏当でない。内地人が反逆を企らむといふのなら、それこそ真に許す可ざる不遥の暴漢に相違無いが、
純粋の大和民族でない朝鮮人が、而かもあのやうな状態で併合され又あのやうな状琴で統治された朝鮮人が、日
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本国に対して内地人と同じやうな考を有ち得ないのは、我々としては遺憾の事ではあるが、自然の成行としては
亦巳むを得ないと思はるゝ。そこで朝鮮人の立場から云へば、日本の国法に反抗するといふことは、純粋の道徳
        あなが
的立場から観て強ち不蓮の暴行といふことは出来ない。内地人の反逆なら、同一の罪を法律的にも道徳的にも之
を排斥するに矛盾を感じないけれども、朝鮮人のことゝなると、法律的には排斥すべきことであつて、而かも道
徳的には大に之を諒とすべき理由があるのである。随つて之に不蓮兇暴といふやうな道徳上の汚名を冠するのは、
我々としても良心が許さない。斯ういふ所から、相手が朝鮮人である以上、単純に法律的見地よりのみ批判する
のは、決して彼等を正当に取扱ふ所以ではないと思ふ。
                          さば
一体内地人間の問題としても、法律一点張りで物事を捌くといふのは考へ物である。一体法律など、いふもの
は元来頗る器械的のものである。外形の表識に依つて器械的に物を定めるといふ醜から、往々実際に合はない結
果を生ずる事がある。且つ又時勢が段々に変つて来ると、前の時代には社会の状態に能く適合して居つた法律も、
新しい時代には適合しなくなるといふこともある。そこで法律は屡々改正することを必要とし、又改正を見る前
に於ても、比較的余裕のある解釈をすることが必要であるとせられて居る。法律の解釈が余りに末節に拘泥した
り、乃至時勢の必要に応ずる適当の改革を怠ると社会の為めの法律が却つて社会の進歩を妨げるといふやうな結
果をすら見る。之を要するに、法律と云ふ者は器械的に極められるものであ畑、其改正を見るまでは、時勢の進
歩がどうならうが、一向頓着なぐ一本調子で進むものであるから、今日のやうな特に変遷の劇しい時代に於ては、
法律の規定と時代の道徳的意識と合はないやうなことも往々にして起る。従つてまた道徳上の一般観念に於て善
良なる臣民と見られて居る者が、往々法律の名に放て忌まはしき刑罰を受けると云ふやうな場合もある。之も一
度や二度ならいゝが、度重つて来ると段々良心の方が法律の制裁に反感を有つといふやうなことになる。即ち制
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心の出来る問題である。けれども事実は全く之に反し、十人が十人まで動揺して居るといふのだから、其処に何
等か根本的に考ふべき問題があるのではないかと考ふるのである。
 此事を考ふるに当つて予輩の常に甚だ遺憾とすることは、世人の多くが之を兎角法律的にのみ観ることである。
法律的に観るといふのはどういふ事かと云へば、即ち彼等を以て朝憲を素乱し国法を揉踊する不遥の逆徒と観る
ことである。成程朝鮮人は法律上日本の臣民である。日本臣民にして而かも日本の支配を脱しやうといふのだか
ら、彼等の行動の法律的評価は言ふまでもなく一種の反逆罪である。反逆罪は刑法上の罪の中でも最も重きもの。
そこで此等の運動に関係する朝鮮人を、世人は動もすれば不迄の暴漢と罵る。先達て上海の独立政府から呂運亨
といふ人が来た。あの時、逆賊を帝都の真申に呼寄せて之を優遇したのは怪しからぬといつて、大に政府に向つ
て喰つて掛つた者があつた。法律的にのみ観れば、成程それに相違無い。併しながら此の如く観て而して之に法
律の要求する取扱を其の俵加へるといふことが、一体朝鮮問題を根本的に解決する所以であるかどうか。此処が
我々の真面目に又冷静に考ふべき問題である。
 朝鮮人は法律上日本臣民であるに相違はない。けれども事実に於て朝鮮人は大和民族ではない。大和民族の造
る所たる此大日本帝国に於ては、朝鮮人が継子の様な地位にあることは、事実の上にどうしても隠すことが出来
ない。朝鮮人が日本といふ国に対して我々内地人と同じやうな忠実の心を有つて貰ひたいといふことは、我々の
熱心に希望する所ではあるけれども、急に之を有てと強ゐる訳に行かないは勿論、持たないからとて之を不都合
呼はりするのは甚だ酷である。少くとも此の如き魂を有たなければならぬものとして彼等を取扱ふといふが如き
は断じて穏当でなけ。内地人が反逆を企らむといふのなら、それこそ真に許す可ざる不蓮の暴漢に相違無いが、
純粋の大和民族でない朝鮮人が、而かもあのやうな状態で併合され又あのやうな状能ぞ統治された朝鮮人が、日
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本国に対して内地人と同じやうな考を有ち得ないのは、我々としては遺憾の事ではあるが、自然の成行としては
亦已むを得ないと思はる、。そこで朝鮮人の立場から云へば、日本の国法に反抗するといふことは、純粋の道徳
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的立場から観て強ち不蓮の暴行といふことは出来ない。内地人の反逆なら、同一の罪を法律的にも道徳的にも之
を排斥するに矛盾を感じないけれども、朝鮮人のこと、なると、法律的には排斥すべきことであつて、而かも道
徳的には大に之を諒とすべき理由があるのである。随つて之に不蓮兇暴といふやうな道徳上の汚名を冠するのは、
我々としても良心が許さない。斯ういふ所から、相手が朝鮮人である以上、単純に法律的見地よりのみ批判する
のは、決して彼等を正当に取扱ふ所以ではないと思ふ。
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一体内地人間の問題としても、法律一点張りで物事を捌くといふのは考へ物である。一体法律などゝいふもの
は元来頗る器械的のものである。外形の表識に依つて器械的に物を定めるといふ折から、往々実際に合はない結
果を生ずる事がある。且つ又時勢が段々に変つて来ると、前の時代には社会の状琴に能く適合して居つた法律も、
新しい時代には適合しなくなるといふこともある。そこで法律は屡々改正することを必要とし、又改正を見る前
に於ても、比較的余裕のある解釈をすることが必要であるとせられて居る。法律の解釈が余りに末節に拘泥した
り、乃至時勢の必要に応ずる適当の改革を怠ると社会の為めの法律が却つて社会の進歩を妨げるといふやうな結
果をすら見る。之を要するに、法律と云ふ者は器械的に極められるものであ勺、其改正を見るまでは、時勢の進
歩がどうならうが、一向頓着なく一本調子で進むものであるから、今日のやうな特に変遷の劇しい時代に於ては、
法律の規定と時代の道徳的意識と合はないやうなことも往々にして起る。従つてまた道徳上の一般観念に於て善
良なる臣民と見られて居る者が、往々汲律の名に放て忌まはしき刑罰を受けると云ふやうな場合もある。之も一
度や二度ならいゝが、度量つて来ると段々良心の方が法律の制裁に反感を有つといふやうなことになる。即ち制
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                                                     えノ一一−
度と良心との反目を生じ為めに色々国内に面倒のことも起る0其の点を旨く裁いて行くのが即ち政治家の手腕で
あらう0此の種類の手腕を、我々は実に朝鮮の統治1日本の政界に取つて全く新しい経験たる−に特に之を
期待せんとするものである。
 朝鮮人の所謂陰謀は、外面の形は成程反逆罪に相違無い0内地人なら一歩も仮借することの出来ない大罪であ
る0併しながら朝鮮人のことゝして見れば、こゝに多少諒とすべき点が無いでもなく、仮りに日本の政治に対す
る幾多の誤解が原因であるにしても、彼等の要求する所の中には、猶ほ若干の道理があることをすら認めない訳
には行かない○況んや最近十年間の臥本の統治に幾多の失政あるに於てをや。彼等の中には、只盲目的に日本に
反対するといふものもあらう0此の種の輩に対しては固より我々も大いに争はねばならぬが、若し彼等が個人並
びに民族の自由の為とか、制度上並びに社会1に於ける正義の確立の為めとかいつたやうな信念に立つて、日本
                                                 たとえ
の統治を批判し、更に其の根本要求を貫徹するが為めに色々の主張を為すといふことであれば、仮令形が法の秩
序に対する反抗であつても、全然之を斥けるといふ訳には行かない0単に日本に反対するからといつて、それ丈
けで彼等を不連呼ば、りするのは、極端にして編狭なる国家主義者のことである。寧ろ国家をして正義の確立に
協力せしめようとするのが我々の立場ではないか0然らば彼等の拠つて以て立つ所の根本原理は、即ち亦我々の
拠つて以て立つ所と同一の根本原理であることを認めて、之に相当の敬意を表するの必要がある・。唯だ日本に反
対するの故を以て彼等を罵倒し日本臣民としての法律1の義務違犯といふことだけで彼等を責めるのでは、真に
心から彼等を日本の統治に服せしむることは出来ない0若し我々が彼等の要求に対して飽くまで大いに争はんと
するなちば、其の戟ひの武器は必ずや彼等の亦信奉する所の原理共者でなければならぬ。此原理に立つて妄に
於ては我々自身も深く反省して、朝鮮統治に根本的大改革を加へると共に、更に他方に於いて東洋の大局を達観
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し、披等と協力して最高の正義の実現の為に努力するの態度に出でなくては、朝鮮統治の前途に永久に光明は来
ない0
 然るに我々内地人が、朝鮮人の反抗に対して執る所の武器は、一から十まで国家主義である。而かも低級なる
国家主義である。彼等は国家の上に国家を指導すべき一段と高い原理に拠つて立たんとして居るのに、我は夫れ
ょりも遥か低い処から兎や角云ふのだから、彼等は我々の逆襲に凍しても心中びくともしない。最近上海から来
た呂運亨君は、滞京中幾多の政治家と会見したやうであるが、彼が一種の道徳的根拠に立つて其の主張を述べて
居るのに対して、内地の政治家は極めて旧式の武器を以て之に応接したらしい。そこで折角の会見も殆んど何等
の解決も発展も見ずして物別れになつたやうである。何れにしても」我々は彼等の主張と運動と、就中其の最も
純真なる主張と運動とに対しては、漫然不蓮呼ば、りをせず、道徳上多少尊敬すづきものあるを認めて、先づ相
当の敬意を之に払ふといふ雅量を持ちたいと思ふ。其の上で始めて我々は彼等と対等の地位に立ち、対等の武器
を以て、東洋の大局の為めに問題の根本的解決を相談することが出来るのである。
                                         〔以上『新人』一九二〇年二月〕
      六

 さういふと、論者或は「日本の国家に反対し独立を企てるやうな逆賊を尊敬するといふのは怪しからぬ、筍く
                                    な一王なか
も日本に反対するものは一から十まで之を抑へ附けなければならない、生中優遇などをするから、却つて彼等は
附け上るのだ」と非難するものもあるだらう。これにも一応の理由はある。犬や猫やを可愛がつてやると附け上
                           ないがし
る卜同じやうに、蒙昧の人間はとかく恩に馴れて我々を蔑ろにするといふやうなことも全く無いではない0朝鮮
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一スノ
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の大部分は、今日猶ほ未だそんな風の蒙昧状能だあるといふことも疑ひ無いが、併しながら、我々は此等蒙昧の
階級のみに着眼してはいけない0否、其の中の最も優れたる階級に着眼しなければならない。何故ならば、彼等
の同族の間に或る高度の開発を遂げた階級の在るといふことは、蒙昧なる階級もやがては其処までは行くといふ
ことを意味するからである0人間は動物のやうに何時までも蒙昧の社会に止まつて居るものと考へてはいけない。
彼等は絶へず発達する所の霊妙なる活物である〇一寸の虫にも五分の魂といふことは、当さに殖民統治の局に当
る者の服暦すべき金言でなければならない。
 且つ又、仮令国法を揉鋼し、正面から我々に反対するものでも、之を無下に敵視するは古来の武士道の精神で
もない0敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同にする所から、互に尊敬し合ふといふのは、
昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか0去年の十二月帝劇に於て「安宅の関」といふ芝居があつた。義
経弁慶は頼朝に取つては不倶戴天の敵である0富樫左衛門は時の政府の命令を受けて国賎を逮捕するの任務を負
ふて関を守つて居る○其処へ義経弁慶の一行が飛び込んで来た0富樫は行政上の職責として、此の国賊を是非と
も逮捕すべき責任のあるのに、臣として義経に対する弁慶の忠誠に感激して、遂に之を免してやつた。其上諸国
の関所に対するパツスをさへ贈つた0今日の乾燥なる法律論から云へば、飛んでもない不都合な役人と云はねば
ならぬが」富樫左衛門彼自身は、其の間に何等の煩悶をも感じない0見物人も亦寧ろ富樫に同情して居る。何故
かといふに、即ち彼は敵味方の区別を超越した最高の道徳即ち君臣の義といふものを弁慶に認めて、之に無限の
感懐と尊敬を感じたからではないか0今日の言葉で申すならば、国家を超越する所の最高の正義は、国法以上に
                                   ノ
尊敬すべき者であaいふ考を現はしたものに外ならない0であるから、富樫左衛門は弁慶の縄を解いた後、
 「斯かる剛勇無双の忠臣に非道の縄を繋けたる罪、弓矢八幡赦させ給へ」と述懐して居る。即ち此の最高の道徳
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に対しては、彼は行政上の職務を完うするが為めに縄を掛けたことをさへ、一種の罪悪と観ずるに至つた。若し
斯ういふ思想が日本古来の精神であつたとするならば、例へば先達て日本に来た呂運亨君の如き、形の上に於て
は逆賊に相違無いが、彼の抱懐して居る所の正義の観念に対しては、我々は之に無限の尊敬を払ひ、彼を優遇し
てやつたといふことに、日本国民として何等反感を有つべき筈は無いと思ふ。
 要するに、朝鮮人を適当に取扱ひ朝鮮問題を適当に解決するが為めには、今日少くとも富樫左衛門以上の雅量
を国民全体が有つことを必要とする、少くとも当局始め天下の識者がこれだけの雅量を有つてなければ、どうし
ても先に満足の解決を見ることが出来ないと思ふ。

 といつて、余輩は彼等朝鮮人青年学生の主張を全然是認せんとするものではない。唯だ彼等を道徳上の破廉恥
漢やなぞと一緒に不蓮呼ばゝりすることは、やめて然るべきだと思ふのである0否更に進んで彼等の拠つて以て
立つ所の立場には、相当の尊敬を表すべきであると考へるのである。日本人といふ立場に立つて観ればこそ、彼
等を不都合とも思へ、一旦地を換へて我々が彼等と同じやうな境遇に立つたと仮定したならどうであらうか0
 彼我対抗の関係に於て、我々は彼等を不都合といふが、彼等は亦彼等自身の毎動を初めから正しいと信じて居







るのみならず、朝鮮人中日本の官民と特別に接近して居るもの
即ち我々が信頼するに足ると認めて居る連中
があると彼等は非常に之を軽蔑する。甚しきは之を売国奴扱ひにすらする0此の如く柏反した感情を我と彼とが
懐くといふことは当分のところは己むを待ないのであつて、斯の感情の存在する限り彼等の動揺は容易に鎮静に
帰する見込は無い。然らば他に適当の場所がない限り青年会が常に不穏な企の策源地に利用さるゝといふ事実も
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当分の間は己まぬだらう。
そこで、青年会が各種の運動の策源地となるのは、偶々是れが竺の集会所であるが為めであつて、青年会の
奉ずる所の基督教が、必然に排日運動と関係があるのではない○故に或一部の人の考ふるが如く、基督教徒が特
に排日を煽動するといふ風に観るのは誤りである0少くとも文字通りに受け容れらるべき観察ではない。
尤も排日運動などに狂奔するものが基督教徒の中に特に多いといふことは、或は事実であらう。併しながら、
そは耶蘇教が本来排日的要素を多分に含んで居るからといふのではなくして、耶蘇教が最も開発せる人間を沢山
出して居るからであらう0蓋し朝鮮人も近来耶蘇教に依つて色々の点に誓大に覚醒せられて居る。其の覚醒せ
られた頭で以て社会の現状を見ると、琵幾多の不平と不満とを感ぜざるを得ない。斯くして妄にまた領土の
支配者たる日本の政府に不平の鋒先を向けるといふのも、怪しむに足らないのである。これは独り朝鮮に限つた
ことではない○日本内地に於ても、官僚軍閥の失政に対して猛烈に反対の声を揚げるものは、案外に耶蘇教徒中
に多いではないか0無論耶蘇教徒のみとは限らない0筍くも開発した人間で、誰一人今日官僚軍閥の施政を謳歌
するものはあるまい0朝鮮人といふ立場から是の統治を見る時には、無論其間に幾多の誤解はあらう。けれど
も、従来の朝鮮の統治に対しては、日本内地の識者すら大なる不平を抱いて居る○況んや開発せる朝鮮人彼自身
に於てをや0頑冥者流は、自己の失態を棚に1げて、或は自己の失態を強ゐて蔽はんが為めに、頻りに排日的運
動の原因を外に向けんとして居る○そこで動もすれば耶蘇教徒が排日を煽動するのだなど去ひ、甚しきは宣教
師やら米国号を引合に出す○数多き宣教師の中には多少排日運動に関係のある者が無いともいへまい。けれど
も朝鮮人の日本に反対する所以の根本は、朝鮮人自身の心の底に伏在して居るので、他の煽動に因つて始めて起
                                                             な
るものと硯てはいけない0之を是れ考へずして、只だ徒らに教会とか宣教師とか専ら外のものに責任を塗すり附
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けやうとするのは、叫には徒らに余計の敵を作るの愚を敢てする事なるのみならず、又これに依つて一国民をして
自ら反省するの必要を忘れしむるの恐れがある。
 宣教櫛と独立運動との関係に就いては、我国官民の間に重大の誤解がある棟だ。総督府の見解もこれに就いて
ははつきり定まつて居ないらしい。曾て宣教師は独立運動に全く関係が無いといふ様な、ことを発表したことがあ
るのに、最近赤池警務局長は之とはうらはらに大に関係があるといふことを明言して居られる。けれども、赤池
警務局長の発表したものを、我々が先入の偏見なく、冷静に読んで見ると、寧ろ警務局長の言ふ所に甚しい無理
解があるを発見せざるを得ない。予輩はあれを見た当時、当局者がこれ程宣教師に対して又耶蘇教に対して、無
理解であるかといふことに実は驚いた。三自弁明する所あらんと欲したけれども、時を得ずして已んだのであつ
              ノ〔                                           ∩
た。予輩は此の問題に関しては外にも論ずべき多少の材料を有つて居るけれどむV単に赤池局長の提供した材料
だけを見ても、我々は未だ宣教師と独立運動との必然的関係を断定することは出来ないと思ふ。無論宣教師の中
にも不都合のものは若干居らう。初めは誤解から起つたにしろ、今は殆んど感情的に日本のすることは一から十
まで嫌ひだといふやうなものも若干はあるらしい。而して此の如き強い反感を懐かしむるに於いて、日本の官民
も与つてカあることは勿論であるが、此等の点は今敢て深く論じないとして、たゞその大多数の宣教師が、一か
ら十まで日本其者に反感を有つて居ると心ふならば、是れ大に誤りである。にも拘は〔ら〕ず、日本の官憲が宣教
師の態度を誤解する所以如何といへば、之は日本側の方に重大なる誤解がある為めだと思ふ。そは何かといふに、
宣教師について筍くも日本の領土内にある以上は、善いことであれ悪いことであれ、日本政府の為す所は悪く之
を弁解してやるべき筈のもの、少くとも執鮮人の前にて之に非難の声を加へてはいけないもの、といふ考である0
日本の政府は宣教師に対して斯かることを要求するのは果して正当であらうか。我々国民ですら、政府の為す所
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を其所信に従つて非議するに何の妨もないではないか。善いことは善いといひ、悪いことは悪いといふに差支な
いではないか0而して政府の失態に対して反抗の声を揚げるものある時に、若し其の言ふ所に道理あらば朝鮮人
だらうが、日本人だらうが、我々は之に同情を寄するを惜まない。況んや宣教師などの如き兎も角も国家以上の
「正義」を以て拠る所として居る連中に於てをや。其の拠り所から観て、日本政府の為す所に幾多の誤りがあり、
之に対抗する朝鮮人の主張に、大に同情すべきものありと思ふなら、彼等が朝鮮人に味方をしたとて、決して宣
教師たるの本分に反くものと謂ふことは出来ない。要けたゞ真に同情すべきものを誤らないか如何に在る。何れ
にしても些細の事実を取て宣教師が煽動したとか、独立運動に関係があるなどといふては、一般の世間は余りに
日本人の狭量なるを笑ふであらう。
 之を要するに、当局者を始め、我々日本人は、朝鮮問題に就いては余りに神経を過敏ならしめて居る。少しで
                        かつ
も我々に都合の悪い出来事が起ると、直ぐに紡として怒る。これでは到底問題を根本的に解決するの能力ありと
自負することは出来ない。我々はもつと寛大の精神を有たなければならない一。彼等の立場には十分の了解を与へ
て、彼等と少くとも共通の立場に立つて、言はゞ敵の執る所の武器を以て敵を納得せしむるだけの用意が無けれ
ばならない。それには我々自身が先づ以て正しい立場に立つて居ることを必要とするは言ふまでもない。

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     八
                                                   ゆる
朝鮮人の排日運動は、日本人から見れば、真に不都合の計画であり、日本の国法から観ても、容すべからざる
曲事であるには相違無いが、朝鮮入の立場としては、決して之を道徳上排斥すべき罪悪とは謂はれない。朝鮮問
題を根本的に解決するが為めに、我々日本人は、先づ第一に間違なく此の立場に立つことが必要であると思ふ。
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現に排日連動とか独立運動などをやつて居る連中の首動者は、日本に反対するといふことの外に於ては、何れも
皆道徳上叫点の非難すべき点無き立派な紳士であると開いて屠る。先達て日本に来た呂運亨氏の如きも、何処へ
出しても引けを取らない立派な教養のある紳士である。又在留朝鮮人青年学生でも、警視庁などの眠から見て危
険視して居るもの程、皆な学識品格に於て優良なる青年である。其の優良なる青年が此の如き運動をなすといふ
のだから、我々日本人としては大に反省するの必要があるといふのである。詐偽をしたとか、泥棒をしたとか少
くとも平素無節制なる粗暴の青年が野次馬的にやる仕事なら、我々は固より之を歯牙に掛くるに足らぬ。優良な
る青年が挙つて之を為すといふのであれば、少くとも我々は先に大に反省するの必要々見るのである。要するに、
今日朝鮮人青年学生の動揺は優良なる分子が中堅となつて居るのだから、到底之を抑へ切れるものではない。又
飽くまで之を庄追するの態度に出でゝは、結局朝鮮人は永久に日本を離れるばかりである。彼等の運動は、決し
て他よりの煽動の結果ではなく、全然自発的のものである。盲滅法に日本に反対するのではなくして、日本の失
政に反対し、一個の正義の理想に動いて居るのだから、そこで自づから外部の同情をも若き得れば、又同胞民衆
の後援をも得ること、なるのである。彼等は今日既に朝鮮民族の中堅を以て任じて居るのみならず、近き将来に
於ては十分に之を率ゐる丈けの地歩を占むるであらう。而かも亦世界の同情をも待つ、ある。して見れば、日本
が結局朝鮮と本当の精神的提携をなさうといふならば、此等の中堅分子を手に入れなくては駄目だ。故に予輩は
いふ。朝鮮間遺を根本的に解決するが為めには、外面上一番猛烈なる排日的分子と先づ提携するを心掛くべきで
あると。
 従来の当局の方針を見るに、又退いて民間の議論を見るに、日本に反対するやうな不都合な奴は飽くまで之を
排斥せよ、蝕くまで其の撲滅を図れといふ謂はゞ圧迫一点張りであつた。、而して朝鮮人の如何なる部分を手に入

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1

                     わすか      つな
れんと努めたかといへば、過去の情勢に依つて線に社会的生命を維ぎつ、ある所の、而して前途には何等光明の
将来を有しない所の、所謂衰亡階級のみであつた。成程経歴だとか年功だとか財産門地だとかいふ外形的条件を
並べたならば、彼等は今日朝鮮人中の有力者であらう。けれども明日の朝鮮は決して彼等の掌中には無い。にも
拘はらず、当局者などは之をさへ手に入れておけば、又之に十分カを貸してさへ置けば、青年学生の如きは訳も
なく抑へ得べしと考へたのであつた。是れ程誤つた考は又とあらうか。従来は全然此の方針であつたから到底治
まらなかつた。又此の方針で今日も進まんとするから、昨今の動揺も到底治めきれないのである。
 最近十年間の治鮮の失琴は、全く此の誤りに基いて居る。新総督の下に於ては、此の点を全然改めて掛るので
あらうと思つて居つたが、まだ十分でないやうに見へる。最近の世界の事情に通ずる水野政務総監も居ることで
あるから、何れ早晩朝鮮統治の局面も、新たなる面目を開くことゝは思ふけれども、開く所に拠れば、今日猶ほ
一般官界の思想は頑冥にして、首脳者の新しい考も十分に徹底しないやうだとの事である。何れにしても今日は、
最早国民は此の点に大に醒めなければならない。此の上愚図〈して居つては、やがて取返しのつかぬことにな
るだらう。同じやぅなことは支那問題に就いても云へるが、朝鮮間遁に就いてすら猶ほこんなにマゴ〈して居
るのだから、支那の問題を片附け得ないのも無理がない。併し此優にして已むべきでない。如何すれば宜いかは
自ら前言に表れてゐると考へる。偶々青年会問題に関する流言を耳にし、之を機会として平素の所懐を述べた次
第である。

                                         〔以上『新人』一九二〇年三月〕ノ