青島専管居留地問題に就いて
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チンタオ
此の際青島に専管居留地を設定すべきや否やといふ問題を、之に.附帯して起るべき色々の点の考察を姑らく度
外に置いて考へるならば、私は全然反対である。此のことは本年の夏此の問題の始めて八釜しくなつた頃、或雑
誌に書いたこともあつた。当時青島に於ては、在留民大会を開いて色々決議文を発表したり、又日本に代表者を
派遣して朝野の間に色々の運動をしたり又は演説会を開いて輿論の喚起に努めたりなどして、所謂青島市民の意
見なるものは、可なり明白に我々に知られたのであつた。而して此等の意見に私は一つも聴くべきものを見出さ
ない、殆んど何等正当の根拠を見出すに苦しんだので、あれだけの理由では、専管居留地を設定しなければなら
ないといふ主張に賛同することが出来ないといふ私の立場を公けにしたのであつた。然るに其の頃東京に滞在し
て居つた青島居留民の代表者数名の方の〉訪問を受けて、色々先方の言ひ分を聴かされたので、又当方の意見をも
研か述べたことがあつた。其の時此等の諸君は、自分達は正式の代表貝で、d演説会などをやつて輿論の喚起に努
めて居るのは、我々とは丸で別個の運動であるといふやうなことを説明せられた。此の両者を混同して同じ運動
ついで
と見た所から、私の考に多少の誤解もあつたので、次手があつたら之を明かにして置かうといふ約束をしたこと
もあつたから、滋に此のことを断はつて置く。私も二回程演説を聴いたが、其の演説の調子は極めて低級のもの
であつた。あれでは恐らく識者を首肯せしむることは出来なからうといふ印象を得た、此の印象は今日も変らな
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い。而して所謂青島市民の代表者と称する方々の意見は、此等の演説会で発表せられた意見とは大に違ふといふ
したた
のであつた。其の内此等の人の意見を詳細に書き認めたものを頂戴することになつて居るが、まだ之を受取つて
居ないから、改めて此等の諸君に愚見を述ぶるの機会も有しない訳であるけれども、其の後段々新開其の他の報
道で、多少は此等の人の意見も分つて来た。けれども今日の処、私は私の従来の立場を少しでも変ずる何等の必
要を認めないものである。即ち私は依然として、青島に専管居留地を設定しなければならないといふ必要を認め
ることが出来ない。外に他の重大なる理由を挙げて説得せらる、に非ずんば、今日の私の考では、青島に専管居
留地を設定することは、日支国交に害あるのみならず、日本に取つても益する所が無い。寧ろ日本の将来永遠の
利益といふ考から見て有害であると信ずるのである。
処が昨今青島に専管居留地を設定すべしといふ議論が、まさか之を政争の為掛に現内閣を攻撃する手段に供す
るといふ意味ではあるまいけれども、貴族院の一角並びに憲政会方面に於て段々八釜しくなつて来た。青島の専
管居留地は当然自明の道理、其の他条約並びに宣言に基く既得権利を地棄するといふことは怪しからぬといふや
ぅな立場で、政府に肉迫せんとするの気勢を揚げて居るが、中にも最近憲政会臨時大会に於て、加藤総裁の為し
た演説に拠れば、青島に於ける既得権利の喪失は、満蒙に於ける特殊地位の地棄と共に、東洋に於ける帝国の地
位を著しく動揺するものであるといふ風に説いて居られる。国権拡張利権の伸展は渦に景気の好い話で、之を取
るのに何も遠慮する理由は毛頭無い。けれども唯だ問題は、之を取るとして果して国家永遠の利益なりや否やと
いふことに存する。加藤総裁の如く所謂錬達の国士にして、猶且つ編狭なる利己的外交論者と共に山東の一角に
小利権を樹立するに恋々たるは、余輩の首だ怪しむ所である。
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青島に専管居留地を設くべきや否やの点に就いて、今日まで之を設くるを必要とするの真の実質的理由を挙ぐ
るものを聞かないのは、余輩の甚だ遺憾とする所である。何故に専管居留地で無ければならないか、専管居留地
でなければ、我が日本の要求はどうしても徹底することが出来ないか。一体さういふことを通じて日本の支那に
求むべきものは何であらねばならぬか、其のあらねばならぬ所のものは、何故に専管居留地を設定しなければ得
られないか。此等の点を社会的に経済的に又両国交通の大義に基いて、真に納得の出来るやうに説かれたものは、
まだ一つも見えない。而して世上に説く所の多くの専管論は、殆んど皆な形式上の浅薄なる議論に過ぎない。
或人はいふ、専管居留地の設定は、其の外の多くの利権と共にこれは大正四年の日支交渉に基く条約並びに宣
言に依りて得たる既得の権利である。既得の権利なるが故に之を地棄することが出来ないと。之などは最も明白
なる形式議論の標本である。此の議論で行けば、条約若くは宣言に基いて得たものならば、仮令我れに取つて有
害なるものであらうが何であらうが、皆な取つて置けといふ議論である。之も一つの見解に相違無いが、今度の
講和会議のやうに、従来の行掛りを棄て、一旦一切釘つ杷航になつた積りで、総てのものを投げ出し、其の上で
真に自分の立場に必要なるものを取らう。即ち従来の行掛りを忘れて今度は此の世の中を総ての人の住み心地好
き世界たらしむj為めに根本的改造を行はうといふ、さういふ原則の承認せらるゝ今日に於て、実質的意義如何
に拘はらず、唯だ条約で得たから宣言で得たからといふ形式上の根拠で、一旦取つたものを無理に何時までも抑
へて置かうといふのは、余りに時代錯誤も甚しくはあるまいか。戦争以前に於て之を主張するならば宜い、戦争
以後に之を主張するのでは、少くとも道徳的原因が無い。.無論我々は前に極めた条約や宣言を無効といふのでは
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ない、随つて此の条約並びに宣言の範囲内に於て、之に基く権利を主張することは決して不当でない。併しなが
ら今日の世界改造の世の中に於ては、法律上の当不当は事実に於て第二第三の問題であつて、第一に主として着
眼せらるべき問題は、真に其の必要があるかどうかといふことでなければならない。
次に青島には既に色々日本の神社などがある、これが若し共同居留地といふやうなことになれば、神社其のも
のに対しても甚だ済まないではないかといふ議論もある。神社は国家の重大なる利益に比して尚ほ大に大事なも
のであるとしても、之を内外人共同の住居区域内に置くといふことが、何で其の尊厳を傷けることになるか。西
洋人だつて日本に来れば、我々の中に於て彼等は自ら其の教会堂を造つて、矢張り宗教上の目的を十分に達して
居るではないか。我々が宗教的尊崇のシンボルを建てる時は、之を全然外国人の勢力の及ばない区域内に建てな
ければならないとするのは、余りに排外的に過ぐるの嫌ひは無いか。少くとも我々が我々の崇敬の対象物を民族
もと こと
的の小さいものにして、勅語に所謂之を中外に施して惇らずといふやうな方面を故さらに閉塞することになりは
しないか。若し我々が我々の中だけに置かないで、西洋人の中にも持出して、而して我々の道義の光りを異国の
人にまで輝かさしむるといふ気塊あつて然るべしではないか。斯ういふやうな点から見ても、神社を閏遺として
専管居留地設定論の根拠とするが如きは、偶々以て説くものの極めて偏狭なる島国根性を暴露するものではある
まいか。
又斯んなことをいふ人もある、今度彼等に譲歩しては、騒ぎさへすれば何時でも目的を達するものと支那人を
して附け上らしめる、外の点は兎に角として、此の点が一番大事だといふ。これも能く考へて見れば愚論である。
向ふが附け上らうが附け上がるまいが、・向ふが要求しやうが要求しまいが、我々は我々の立場を取つて、自主的
に問題を極めれば宜い。我々の考で譲歩すべからずとすれば、何処までも譲歩しない、譲歩すべしと極めるなら
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ば、誰が何と云はうと譲歩する。形は向ふの要求があつたから之に屈したやうにならうとも、そは厭ふ所でない。
唯だ裁こそ正しい道理には何時でも屈する、然らざるものには如何なる場合にも屈しないといふ儀然たる態度を
執りさへすれば、間違ひ無いではないか。向ふが附け上るだらう、向ふがどう思ふだらうといふことを顧慮して、
自分の真実の要求如何に頓着なく、他動的に物事を決定するといふのは、外交上に於て最も慎しむべきことに属
する。
此等色々の点を考へて見ると、私は専管居留地論者の説には少くも承服することが出来ない。外にもつと尤も
な議論があつて私を納得せしむるならば格別、今の所は私はどうしても私の根本的の見地に立つて、専管居留地
設定論には何処までも反対せざるを得ない。
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三
私が専管居留地設定論に反対するのは、而も専管居留地設定が日支交渉の結果たる条約に基く権利なるに拘は
らず、之を地棄しても構はないと考へる所以は、大正四年条約締結の当時と戦後の今日とは全く時勢が違ふ、国
際関係を支配する根本思想が変つて来た■といふことに基く。一体私は個人と個人との間でも、国家と国家との間
でも1総て人類の生活関係の間には、一つの至道的原理が働いて居ると観るものである。併し世間には此の考に
反対するものもあらう。人間には盲目的の生存慾ある許りであつて、個人と個人との間、国家と国家との間には、
互に権勢を競ふ争ひがあり、道義的原則の其の間を支配するものあるを考へることが無い。即ち人と人、国と国
とは、互に相排し旦に相関ふを以て常態とする。斯ういふ風に宇宙を全然考へる人から見れば、私のやうに常に
至道的原理が人心を支配するといふやうな説は、全然空想に見える。が、斯ういふ極端な見方は、余自身之に反
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対するのみならず、今日多数の人の認むる所ではない。然るに更に之に一歩を進めると、個人と個人との間は成
程道義の支配を認めることが出来るけれども、国と国との関係は全くこれと其の本質を異にするものであつて、
其の間に何等道義の支配を受けることが無い。即ち国家と国家との間には唯だ争闘あるのみである。斯ういふや
ぅな見方をする人から云へば、国際関係などといふものは、行き当りばつたりで、自然界と同様、二疋の進化の
法則はあらうが、人間の理想によつて其の方向を決定するといふやうなことはない。随つて此等の立場を取る人
は、国際関係を規律すべき道義的原則の存在を否認するのである。
併し此の立場は、前にも繰返し述べた通り私の取る所ではない。私は常に一種の至道的原理が国際関係を支配
して居ると考へる。若し此の如き道義的原則が国際関係を支配して居なかつたとすれば、そは特別の理由に基く
特別の変徴であると考へる。私と反対の立場に立つ人は、否なそれが常能懲だといふ・であら〔う〕が、此の説には私
は与みしない。そこで私の立場からいへば、戦争以前、西洋諸国には殺伐なる競争を以て物質的利益を図る為め
に、お互に相排斥して居つたのは一種の変態である。而して他に特別の理由があつて、此の変琴は又容易に破る
ことが出来なかつたのみならず、又相当に永続すべき運命にあつた、併しこれは畢克変態である、本理由は猶ほ
外にある。即ち一種の至道的原則に従つて、或る一定の方向に平和的発展を遂げるといふのが人類生活の本理由
であつた。それを本理由とするに拘はらず、不幸にして特別の原因から、国家間に権力と武力との忌むべき競争
があつて、而もそれが容易に止むことの出来ない結果として、十九世紀の文明には非常の煩悶と焦慮とがあつた。
而して其の結果が即ち今度の戦争である。されば今度の戦争に於ては、殊に戦争より直接に非常に苦がい深酷な
る経験を嘗めたる欧洲人は、又々斯ういふ悲惨な境遇に立ちたくない、今度の戦争の結末に於ては、国際戦争の
動機を根本的に解決したいものだ、今までのやうな不安の世界に生活することは渦に心元ない、今度の戦争を磯
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として、此の次の世界は鷹て文明に達して最も住み心地の好いものにしなければならないといふやうな考が起つ
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た。此の考が非常に世界の民心を一変して、今までのやうに国際関係は鉄火を以て極められてはいけない、これ
からは是非とも道義を以て最後の決走者にしなければならないといふ風に考へるやうになつた。尤も今日は古い
時代から此の新しい時代に移る過渡期に属するから、此の新しい考が総ての問題に徹底して居るとは云はない。
あたか 【性〕
まだ古い思想も大に優勢である。けれども古い思想は宛も老人の如く、情勢的優勢が猶ほ備然として動かすべか
らざる如くに見えるも、併し将来の実権は、一見無勢カなるが如くに見える少年青年にある。即ち今後の大勢に
就いて論ずるならば、国際関係はこれょり益主道義的原則の支配といふ色彩が強くなるであらう。これが即ち戦
前と戦後に於て、世界の形勢が全然変つた或は変らんとしつゝある所以である。
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共の結果として戦後の世の中には、如何なる場合にも侵略主義の横行を容るさない、他国の領土を其の国民の
意に反して、如何なる名義に於ても侵略することを容さないといふ考が起つた。此の考の如何に強烈であつたか
といふことは、今度の講和会議に於て独逸の或る植民地が、大体に於て如何に処分されたかといふことに依つて
も分る。又今度の講和会議に於て、戦争半ばまでの侵略時代の古い条約が、条約として依然国際法上の効力を主
張し得ながら、如何に其の道徳的権威の影が薄かつたかといふことに於ても分る。戦争開姶当時、例へば英書利
と露西亜とは斯ういふ密約を結んだといふ、仏蘭西と露西亜とは斯ういふ利益の交換に関する密約を結んだとい
ふ、此の種の条約は無論条約として国際法上の効力がある。けれども此等は、或る場合に於ては殆んど実際問題
を決定する場合の拠り処とならないのみならず、偶々此の如き条約に依つて自分の主張に確実なる根拠を与へん
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と努むると、そは常に冷評を以て迎へられたではないか。即ち昔の古証文の道徳的権威は、殆んど地に墜ちたの
である。尤もさればといつて、総ての古い時代の証文は、皆な道徳的無効といふべしだと考へるのではない。こ
れも条約の実質に依るけれども、新しい時代の新しい道徳思想と相容れないものは、兎も角も皆な道徳的権威を
失つたと請はれなければならない。であるから今度の講和会議に於ても、古い証文は斯うだの、密約には斯うあ
とnリき
るのといふやうな議論は、殆んど多くの人の敬服を買はないで、条約の如何や取極めの如何といふことに拘はら
ず、単刀直入、高尚なる道義的原則の下に立つ議論が意想外に重を為したではないか。さういふ所からして、我
らは先づこれだけのことを考へなければならない。山東問題などに就いても、大正四年の宣言や条約を口実とす
ることは、決して国際法上誤りではないけれども、それでは至つて道徳的権威が無い。少くとも今日の時勢に於
ては、道徳上に拠り所があるなら、条約を無視した取極めを無視したやうな議論でも、相当に聴かれるといふ時
代であることを我らは知らなければならない。山東省に関する取極めが、其の事柄の性質上道徳的に無効たるべ
たて
きものかどうかは姑らく別問題として、我々が此の問題に対して、条約を楯として解決せんとするに当り、若し
相手方若くは第三者が、そんな古証文を引つ張つて来ても承知しないぞといふ態度を取つた時に、我々は一応彼
等の立場にも相当の理由を持つ、少くとも此の如き立場に対して、今日の時勢が相当の敬意を払つて居るといふ
ことだけは覚悟しなければならない。
そこで問題は、青島問題殊に専管居留地問題が、今日の道徳思想の容るさない侵略主義の色彩を帯びるかどう
かといふことである。侵略的色彩を帯びないならば、条約及び取極めを証拠として、我々は既得の権利を主張す
るに何の妨げが無い。が、若しも侵略的色彩を一つでも帯びるといふならば、我々は之を主張すると否とは法律
上我々の自由だけれども、之を主張するには甚だ道徳的困難があるのである。随つて少くとも今日の時勢に於て、
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一般の承認と同情とを博することは、極めて難いといふことを覚悟しなければならない▼。此の点が即ち我々の寧
ろ此の際小の虫を殺して大の虫を生かさんが為めに、小なる空名の利権を棄てゝ実質的に本当の親善を支那に於
て確立せんが為めに、此の如き小問題は快く之を譲歩すべきものであると考へる。青島の市民諸君は勿論のこと、
憲政会並びに貴族院の一部などが、之を天下の大間遁なるが如くに騒ぐのは、甚だ大人げ無きのみならず、所謂
蛸牛角上の一端に拘泥して、我が国永遠の大を誤るの誹りを免かれないことを憂ふ。
けれども私は滋に青島に専管居留地を設定するといふことは、果して侵略的色彩を帯びるか否かといふことに
就いては、反対論者の意見を尊重する意味に於て、猶ほ多少の余地を置かう。けれども唯だ反対論者に向つては、
少くとも彼等の言論其のものには、侵略的の嫌疑を受くるに十分なるものがあることを警告しなければならない。
例へば彼等は、共同居留地になつて外国人が入つて来れば我々は困るといふ。人の国に居つて商売をするに、何
故に外国人の雑居を拒まなければならないとするか。天下の公道の一角を劃して、之に他人の侵入を拒み、自分
の独占に帰せしめんとする時に、世間が之を猫疑の眼を以て見るのは当然である。我々は唯だ表て向き我々に侵
略的野心が無いといつただけでは、世間は決して満足しない。戦国時代の外交の如く、初めから自と極つたもの
を黒と云ひくろめて、それで首尾能く勝づのが智者と呼ばれた時代ならばいざ知らず、今日は黒いものは黒、白
いものは自といふ総て事実の明白なる科学的認識の上にのみ、本当の政策を立て得る。此の点に就いて、我々の
同胞が自分の都合の好いやうな得手勝手の議論を吐いて、而も相手方が我々の侵略的野心を疑ふのは失敬だなど
といふのは、之を開いて一時の痛快を感ずることは出来るけれども、之を以て外国人との問題殊に神経過敏なる
対支那問題を解決すべしとするならば、大なる誤りである。
何れにしても、私は青島専管居留地問題には、今の所絶対に反対の意を表する、日本の永遠の利益の為めに、
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又当今世界を流れて居る高尚なる理想の為めに。此の問題の何れに決するやは、問題それ自身は極めて小さいけ
れども、これが日本国民の今日の外交界に処する態度の一つの現はれとして見る時には、実に軽々に看過すべか
らざる重大の問題である。
〔『東方時論』一九二〇年一月〕
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