英国炭坑争議と我国小作問題


 本誌前号に於て、英国労働争議の起因経過等に関する諸家の説明を研究せられた諸君は、我国の小作問題が種
々の点に於て頗る彼国の炭坑争議に似て居ることに気付かれたであらう。其の本質に於て頗る相似たる所あり、
                                          も
従つて共の解決の方針に付ても結局被れに倣ふべき多くの理由を有つと私は考へる。然るに官憲や地主などの態
                  しようじよう ただ
度はといふ段になると、彼と我と実に零壌も膏ならざる相違がある。こ、が英国と日本との異る所といへばいへ
る。併し何れにしても、英国に於ける炭坑争議の経過が我国小作問題の解決に→犬暗示を与ふるものたるは疑な
く、英国坑夫の主張が漸を以て着々聴容せられ行くの形勢には、また大に吾人の意を強くせしむるものがある。
                            ろうだん
 第一に事業が土地に定着し、且つその土地が少数所有者の壁断に帰して居る点に於て、英国の炭坑業と我国の
小作農業とが甚だよく似て居る。只彼に在ては外に企業家といふ中間階級があるが、我にはそれがない(ありと
すればそは小作人彼自身だ)。之が一つの相違といへばいへる。
                                        ど
 さてこの土地所有といふことは、本来其上に行はれる生産業に対して何れ丈けの発言権を有し得るものか。還
               さかのぽ
く其土地を所有するに至つた因縁に遡るまでもなく、単に土地台帳に自分の名が登録されて居ると云ふだけで、
他人の粒々辛苦の結果を大半掠め取るといふは、どうしても今日の倫理観念が承知しない。英国に於て土地所有
                      くだくだ
権が今日如何に取扱はれんとして居るかは滋に管々しく論ずるまでもなく、我国にても少くとも学者間の論究に
7

2

                   エ●
は、此点に閑し、自ら喀ぼ一定する所があると考へる。只実際の取扱如何といふ段になると、今猶ほ土地所有権
は他の一般所有権と同じく、絶対的なものとして神聖視されて居る。我国の小作問還も実は、この伝統的思想に
8

2
一大転回の来ないうちは
殊に地主階級自身が其の頑迷なる能心度から醒め且社会に対する道徳的責任に反省し
ない限hソは
容易に好ましい解決を見ることはむづかしいと思ふのである。
 次に富の直接の生産者は、彼に在ては坑夫であり、我に在ては小作人である。此点も似て居る。若し企業家を
も直接生産者の一人に数ふべくんば、この資格をも兼ぬる我国の小作人は、英の坑夫よりも、富の生産者として
の意味に於て、一層強いと謂はねばならぬ。従て生産された富に対する権利に於ても、我国の小作人は決して英
の坑夫よりも薄弱であつてはならぬ道理である。
 英国に於ては、坑夫の賃銀は優先に支払はるる。我国に於ても、事実に於ては(理論上認許されてゐるのでは
ないが)小作人の収得は地主に先んずると云つていゝ。併し其の最低額に至ては如何にも低い。近年小作料の段
々下がつて行くことは事実だ。下がる度毎に地主はきまつて採算上その忍び難きを訴へる。斯くて小作料の決定
                                           つね
は形式上ともかく地主小作人の協議に依るのではあるが、其際に標準とさるるのは、毎に地主側の投資としての
採農であつて、決して小作人の生活ではない。無論小作人は生活が苦しいからとて小作料の引下を哀願する。地
主はまた勢に迫られ、実際の採算上どうかかうか忍び得る範囲までは譲歩もする。併し採算といふことは要する
に小作人の要求を拒絶する当然自明の障壁となつて居り、世間も亦之を当然の事と認めて怪まない。が、よく考
へて見ると、元々の小作料のきめ方が不当に地主に厚かつたのだから(地主が主人で小作人はその隷属とされた
時代の惰性と観れば之も致方がない)、一挙に思ふ存分の引下げをやらぬ限りは、何度之を繰り返しても小作科
一パ川1「凄−一jJj仙り川jルJ..絹〉バ」爺=jlく」Jビ、イノhJゐ.九ハ一川づ‖り羊。 一




」国






一国

        や
引下げの必要の恨まざるは当然だ。と云つて、小作料の引下げが今なほ地主に対する哀願と云ふ形で要求されて
居る間は、思ひ切つた引下げの実現を見る望も絶対にない。
 英国では、富の直接の生産者として坑夫は、生産されたる富に対して第一の要求権ありとされる。従て彼等の
生活必需品は何事を措ても絶対に保障されねばならぬとされて居る。坑夫の生活の必要が十分にみたされて後、
                あずか
企業家や地主は始めて若干の分配に与り得る。是れが実に英国産業界の正義なのである。地主といへども之に対
しては二言の異議を挿むものはない。
我国でも本来なら、第一に小作人の最低生活線といふものがきめられ、之を標準として其の最低収得額が理論
              なか
上きめられねばならぬのでは無つたか。其辺のことは、森本博士や那須博士あたりに聞いたら、之を確定するに
決して難しいことはなからうと考へる。
 仮りに小作人の最低収得額といふものがきまつたとしても、其を取り去つた残りの全部が当然地主に帰すべき
ものかといふにさうではない。英国では、坑夫の所得に対して企業家の所得(此の中に地主の所得も含められて
ゐる)なるものが法定される。之を払つて猶ほ剰余あれば、亦之を二疋の割合で親方に分ける。即ち英国の正義
は、残りの全部を企業家の所得に許さないのである。我国の地主の地位が理倫上英国の企業家よりも猶ほ薄弱な
ものなることは前にも述べた。然らば英国の企業家以上の要求権を地主に認め難きは云ふまでもなからう。仮り
 しばら
に姑く一歩を譲つて、英国の企業家同様の地位を認めてやるとしても、その所得は、姑く英国の例を以てするな
ら、小作人のそれの一割五分でいゝわけだ。卒然として斯んなことを云つたら、地主も役人もびつくりするかも
知れぬ。固より私にも英国の炭坑業の例が其億我国の小作問題にあてはまると言ひ張るつもりはない。只大体の
▲9

2

理論の筋道を示すに止まるのであるが、兎に角冷静に考へられたなら、私のこの仮定にも多分の真理あることは
認めらるるであらう。
 い“す
 孰れにしても、小作人の為には最低所得高をきめてやる必要があり、地主に対しては最高所得額をきめておく
必要がある。併し我国小作問題の現状はこの当然の要求と相距る頗る遠きものがある。且近き将来に於て好まし
い改革を見るの見込もないことは云ふまでもない。

1
2
 そこで我国の小作人が生活権確立の旗職の下に小作料の低減を叫ぶのは当然だといふことになる。従て小作争
議の今後益々面倒になるのも怪むに足らぬ。漫然之を困つたものだなどと憂ふるのは、時勢に盲目にして徒らに
惰眠を貪るものの寝言に過ぎず、我々はどこまでも公平なる第三者として、漸を以て正しき解決に達するやう事
態を適当に導くことに心掛けねばならぬ。殊に斯うした態度は最も切に官憲の人達に要求されねばならぬと私は
                       な
思ふ。所が我国の官憲はどう云ふものか今仇ほ所有権を絶対万能とするの観念に捉はれて、地主小作人を主従関
係と観る昔ながらの封建的因習から今以て脱け切らず、甚しきは小作人の地主に対する強要は一種の恐喝だなど
といふ謬想にこだはつて、地主の保護は即ち正当なる所有権の保護、加ふるに是れ正に社会的秩序を維持する
ゆえん        しき
所以だなどと考へ、切りに小作人に不当の干渉を加へんとする。この点になると、彼我官憲の思想には実に天地
の差がある。英国の保守党政府でも、理に於て時代の正当なる要求は決して誤り観なかつた。処が違へば斯くも
思想の違ふものかと、正しきことの中々に行はれ難きを歎ずる次第である。
かく云へばとて私は、我国に於ける総ての小作争議を現にみな正しいと主張するのではない。我国の小作問題




一国






一凶

1
1
2
の本質を明にするのがこの小篇の目的で、幾多現実の小作争議に対する私の批判は自ら別問題だ。現実の問題と
しては其の要求の不当なるものもあらう、又不当なる方法を以て要求の強要されてゐるのもあらう。どんな正当
な要求でも、之を貫くに正当な方法を以てすることを怠つては、その要求に自ら重みのなくなるのは已むを得な
い。不当なる方法を択んだといふ点に道徳的欠陥を暴露するの誘因を作り、之に基く社会的不信が禍根となつて、
遂には社会をしてその当然の要求にさへも耳目を掩はしむるに至る。斯の如きは世上に決して珍らしいことでは
ない。さういふ所から、現実の問題に対してはまた種々別種の批判を加ふるの必要はあるが、一般的概論として
は、何と謂ても、我国今日の小作人の立場は、之を極度に且つ無条件に振張する必要があると信ずる。官憲も、
地主も、時としては一般世人も、小作問題に於ける「正義」をば余りに低く評価し過ぎて居る。英国炭坑争議の
経過を見て昨今ことに此の感を深うして居る次第である。
                                         〔『中央公論』一九二六年七月〕