軍縮会議の提唱に関連して
軍縮会議の提唱に関しては別項の小篇に於て多少詳しく私の所見を書いて見た〔「軍縮開演の狙ひどころ」
『中央公
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つム
わわ
論』四月号〕。之を書き了つてから後に新開で軍縮提唱の米国の真意に警戒せよと云ふ様な説を読んだ。之につい
てまた斯んなことを考へる。
こんたん
世の中の事は、之を発議した人の魂胆通りになることもあれば丸でその思惑の外れることもある。世上の大勢
と個人の私意との交渉にはなかなか面白いものがある。
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軍備縮少の要求が世界の大勢だとすれば、発議者たる米国大統領の隠し有てる魂胆の如き深く顧慮する必要は
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あるまい。我々はこの大勢に巧に乗ることに由て、米国を引き摺り隠れたる魂胆を働かす余地なからしむること
も出来よう。但し軍縮の要求が世界の大勢であるとしても、それに付ての研究が十分ならず従つて具体的には未
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だ何の走る所なしとすれば、当事者の個人的私意が強く働いて大勢の帰着の不当に柾げらるる恐れなしとせぬ。
この限りに於て、噂がもし少しでも拠り所のあるものなら、所謂米国の底意なるものに多少警戒するの必要はあ
ら、つ。
併しそれとても、斯の噂におぢて裁から折角の催しに尻ごみする必要は毛頭ない。
所謂「大勢」なるものの社会的威圧は概して相当に強いと観ていゝ。故に我々に一番大切なのは、一つには
「大勢」 の何であるかの洞察をあやまらざることであり、次にはその「大勢」を更に助長することを怠らざるこ
、…卜産重宝
とである。軍縮提唱の参加は、会議そのものが欝仰卸町に終るとしても、之を必要とする大勢を助長促進する上
に多大の貢献なし上せぬ。国際的にも国内的にも平和の風潮を興隆する絶好の機会として、色々の意味に之を利
用したいものだと思ふ。
〔『中央公論』一九二七年四月〕