『新人』の国家宗教 木下尚江
国家を議するの好機会
宗教が一代の実力を有するの時は、必ず「国家的宗教」の
キ川7スト
形体に於てす、欧洲諸国の基督教の如き、日本に於ける仏教
の如き皆な然らざるは無かりき、外観は慮れが為めに壮厳真
いえど やっくつ
に人目を眩するに足るありと維も、精神上の矛盾と柾屈とは、
同時に其内面に於て腐敗堕落の種子を播きつ、あることを思
はざるべからず、近時の日本に於て基督教は非国家主義の故
ここ
を以て強大なる政権の下に庄伏せられたり、妥に於てか各派
た 士▲
の基督教、皆な頭を低れ膝を柾げて「国家」の歓心を買ふこ
きゆスノきゆ・つ
とに汲々す、而して教会財政に於て外国伝道会社との関係上
もつと ふ き
尤も不靖の地位に在る組合教会は、国家主義と提携するが為
と
めに尤も自由の態度を執れり、即ち昨冬の同教会総会に於て、
「東野の伝道」「国家の尊重」を決議したるが如き、今日普
通の政治思想たる「東洋の平和」「国家の膨脹」と併行し得
るものに非ずや、而して組合教会の精神を尤も明白に代表す
るものを、海老名弾正君となす也、
「日本魂の新意義を想ふ」と云へる本年一月の雑誌『新
人』の社説は、海老名君の筆に成りて、其の「国家的基督
教」を極めて雄大に宣言せるもの也、只だ思想明白を欠ぎ、
論理数々断絶して脱線の観あるを遺恨となせり、幸徳秋水君
即ち之に向て一評を試むるや、二月の『新人』は一秀才の手
に成れる「国家魂とは何ぞや」の一文を掲げて、更に国家魂
けだ
の基礎を説明せり、蓋し「国家的宗教」は将来我国の思想界
に於て確に一大勢力を占有すべきもの、吾人此の機会を利用
いささ
して聯か「国家」を議す、亦た可ならずや、
う74
国家は終局の目的に非ず
一月の『新人』は弁じて日く
’て一句そ
抑も人類はもと孤棲するを得ず、個人の物質上井に精神
上の生活は決して社会国家を離れて存在するものに非ず、
即ち各個人は皆社会国家なる団体の一員として常に其団
体の意思に統制指導せらる、ものなり、この各個人の内
外一切の生活の最上の規範たる「団体の意思」を国家精
神又は国家魂と云ふ、=…・不帝独立と束縛とは相容れず、
故に今こ、に各個人の上に在りて之を統制する一大意力
ありとすれば、そは必ずや各個人共通の意思に共根底を
有せざるべからざるや弁明を待たず===
是れ「国家」の哲理的基礎と其理想とを説明せるものにして、
吾人が宿論たる民主々義の依つて建つ所なり、何の異議か是
言ノ有も…虎瀾
参考篇
れあらん、
然れ共記者が直に筆を転じて「故に現今の論壇に於て国家
もし
魂を目して君主若くは貴族の声なりと為す者あらば是れ甚し
ふ ばう
き誕妄の言たり」と論断したるは何ぞや、若し法科大学の講
堂に於て国家と君主と混同するものあらば由々敷事件なり、
然れ共現実社会に於て進歩せる国家の哲理的理解を有するも
のは比較的少数にして、且政府及び有権者が国民の旧信仰を
あ いわゆる
煽動して自家便宜の政略に充つるを見ずや、記者の所謂「主
ゆえん
権者が永久に能く主権者たるを得る所以は一に国家の権力を
着実に顕表する〔の〕点に存せずんば非ず」 の如き、吾人に取
つては平々凡々自明の真理たりと錐も、日本国民の一般感情
は正に之を以て国体の精華を毀損する民主的僻論となすべき
也、
しかのみならす
加 之吾人は法学の講座に於てすら、尚ほ且つ記者と吾
人と一致する「共通意思の国家基礎」論が果して能く明了に
み
唱道せらる、や否を疑はずんばあらず、看よ、日本帝国に於
ける主権の基礎を何処に置くべきやは、現に愛国的法学者の
苦心焦慮する最大問題に非ずや、『新人』 の秀才は平然とし
て言はん、「各個人共通の意思」と、然れ共彼等愛国的法学
者は正に記者の言に戦慄すべきなり、而して之を「祖先教」
の旧信仰に求めて、始めて僅に意を安んじた.り、是れ我が学
問界に一種の権威を有する穂積兄弟博士等の態度に非ずや、
「共通意思」論の如きは決して我国民の輿論に非る也、
『新人』の秀才よ、乞ふ書斎の窓を開いて実社会を看よ、
文明の結果は同胞の間を割きて貧富両民族に分類せんとする
▲よ・丁一∫す
の傾勢日に益甚だし、何の処にか「共通意思」を基礎とせ
る国家の理想は実現せらる、や、記者は国家の理想を説きた
るのみ、惜しむべし未だ竃厘だも時勢に触れず、
然れ共更に之よりも大なるものあり、記者は国家生存の哲
理を求めて「共通意思」に到着せり、如何せん人類の「共通
意思」は「国家」に依て完全成就したるに非るなり、万国対
あつれき
時して競争軋轢す、是れ明月に「共通意思」の撞着なり煩悶
なり、是れ宗教と国家とが到着併行提携すること能はざる所
以、又た海老名君等の国家的基督教が遂に論理の透明を欠ぐ
所以、而して『新人』の秀才が筆鋒を磨せざるべからざる最
難所とす、何となれば基督教の理想は最初より人類同胞てふ
「共通意思」 の至極に在れば也、
かく
此の如くにして『新人』の秀才が弼郎の国家哲論も国家的
あた わわ
宗教論の為に何等の瀾充をも為すこと能はざるに了れり、い
でや直に大将海老名君の手元に参向して三コロの批評を試みん、
国家宗教の根本的誤謬
海老名君日く「個人の仏陀あるは吾人之を開く、国家の仏
しんし
陀あるは吾人未だ之を開かず、 − 個人の神子あるは吾人之
弼屠
を開く、国家の神子あるは吾人未だ之を開かず」と、又た日
にほんだ王しい
く「吾人は日本魂を信ず、又宇宙のロゴスを信ず、神子帝国
の実現を信ぜざらんとするも得ざるなり」と、英気諷爽誠に
古予言者の余韻あり、然れ共遂に無意義不論理の大言壮語に
過ぎざる也、
海老名君は日本を以て世界未曾有なる仏陀神子の国家的権
化となさんことを理想せらる、然れ共是れ国家自身の本来と
し
して到底成す能はざる所也、個人は神子たるを得、爾かも国
家は能はず、其故何ぞや、社会的大意思は元と各個人の心裡
に包蔵せらる、或は現はれて「家庭」となり、膨脹して「国
家」となり、更に発展して「世界」となり「四海同胞」とな
る、故に理性感情の開展発育極めて高朗熱烈なるものは、以
ヤ ソ
て「神子」 の品性を実現すべし、耶蘇の如き、釈迦の如き即
ち是れ也、然れ共「国家」なるものは社会的意思の発展史に
於ける中途の段階にして、神子仏陀の大品性を実現し得べか
らざるは元より其所なり、神子仏陀の大品性に到達せる耶蘇
釈迦の如きが最初より「愛国」 の帝絆を脱却したる所以亦た
知るぺきに非ずや、
然るに海老名君は日本を解するに不可思議なる心理的尺度
を以てせり、臼く「日本魂は由来国家魂なりき、今や大進し
一セと
て世界魂たらんとす − 吾人が世界魂と云ふ固より国家魂を
」Tで lTで
軽視するの意にあらず。大国家魂の中には既に業に世界魂は
潜伏し居る筈なり」と、「日本魂は国家魂なり」、是れ吾人が
数々愛国詩人等の歌詠中に見たる所なりと錐も、心理的倫理
的の研究に於て人生を理解せんとする場合に於ては全然無用
の形容詞に非ずや、国家其物が人類意思の発現なるの理は
『新人』の秀才が既に弁じたる所の如し、世界魂は是れ人類
共通意思の到達せずんば已まざるべき目的なり、是れ国家魂
の中に潜伏し居るに非ずして各個人の魂中に最初より包蔵せ
らる所のもの、吾人は海老名君が強て「日本魂は国家魂な
り」てふ独断的前提を設くるの理を解すること能はざる也、
不幸にして海老名君は日本を説くに「人」を単位とせずし
て「国家」を単位とせり、愛に於てか「国家」をして 「世
みち よ
界」に発展せしめんと欲せば是非共戦争征伐の途に依らざる
べからざるの結論に到達す、然り、是れ海老名君の熱心なる
戦争論ある所以也、然れ共吾人は進で間はざるべからず、
(一) 国家の内容を如何にすべきや
▲◆
国家的外観の膨脹に対する海老名君の希望は略ぼ之を察
し得べきが如し、然れ共世界的日本たらしむるに就て、
今日の日本の有形無形の内容にて事足るや否や、
(二) 基督教の神と、日本の主権者との関係に就ての
説明如何
えんぜん
由来日本国民の主権者に対する、宛然一種宗教的崇拝の
情あり、一袖教たる基督教が従来嫌忌せられしもの、共
う76
琴鸞ミで
なるべく
真因こ、に在り、而して基督教徒も亦た可成避けて一に
国民の憤怒を買ふなからんことに努めたるもの、如し、
然れ共既に基督教を提げて「神子帝国」を建設せんと欲
するに当りては、先づ主権者に対する国民の宗教的崇信
心に無事平穏の首肯を与へざるべからず、
(三) 露国皇帝の希望との相違点如何
吾人の見る所を以てすれば、露国皇室積年の欲望も亦た
海老名君等の希望と格別相異せざるが如し如何にや、
海老名君は余が師事する所の長者なり、『新人』の諸秀才
は余が尊信する親友なり、只だ不幸にして思想の立地に於て
一致せざるものあるが如し、一論ある所以なり、
〔『直言』一九〇五年二月一二日〕
参考篇
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初出及び再録一覧
本邦立憲政治の現状 3
『新人』一九〇五年一月・二月、二回連載0
のち『近代日本思想大系17吉野作造集』(松尾尊允編、
摩書房、一九七六年)に収録。