水平運動の勃興
一度僕の紹介で本欄の読者に見へたことのある千虎俚人君より再び次の一篇を寄せて来た。時節柄頗る注目すべき重要問題だと思ふので次に其全文を披露する。
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最近水平運動なるものが大変世間の注目を牽いて居る。水平運動とは水平社の運動を意味する。水平社は即ち所謂特殊部落の解放を目的として集つた部落有志者の団体である。我国には目下全国に亘つて約三百万の特殊部落民が居るさうだ。長い間不当にも有らゆる屈辱と迫害とに虐げられた彼等が、最近新思潮の刺戟を受けて遂に自家解放の為に奮起するに至つたのは実は寧ろ当然であらう。今や彼等には階級的差別待遇に対する烈しき反抗的感情が燃えて居る。而してその集団的威力に至つては決して侮る可らざるものがある。彼等の地位は露西亜に於ける猶太人にも比すべく、其運動は重大なる一社会問題として決して看過すべからざる性質を有するものだ。従来這般の問題に着眼したものに公道会及び同愛会がある。熱心その解決に努力したのではあらうが、許はゞ知名の人のする恩恵的施設に過ぎず、特殊部落民からは売名的のものとさへ観られて居つた。従つて兎角十分に其の信頼を継ぐことが出来なかつた。孰れにしても此種の運動は、労働運動などゝ同じく、第三者が主なる活動の中心たる間は真剣なものとなり得ないものだ。故に漸く昨今に至り、特殊部落中の先覚者が長い間鬱積せる感情を爆発して遂に自ら起つて解放運動の蜂火を挙ぐるに至つたのは、自ら来るべき処に勢の押し来れるものにして、先に我々は真剣なる一社会運動として注目を怠る可らざる所以を観るのである。
とにかく此の水平運動は、労働運動や朝鮮人労働運動等と相並んで現代の日本に於ける最も真剣なる民衆運動の一つとふ謂つていゝ。
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特殊部落民の集団運動が、欧洲大戦後に起つた無産階級解放乃至民族自決等の新思潮の刺戟に由るものなることは、疑を容れない。全国に散在する部落民大同団結の気運は、大正十年の末頃から著しくなつた。而して水平社の創立は、京都を中心とし、奈良、大阪、滋賀、東京等の各府県の運動を連絡せる結果であつて、京都に於て其創立大会を開いたのは、大正十一年三月三日である。当日岡崎公会堂をめざして集るもの全国部落の代表者四十名、中々盛況であつた。而して此大会は次の如き綱領と宣言とを発表したのである。
綱 領
一、我々特殊部落民は部落民自身の行動によつて絶対の解放を期す。
一、我々部落民は絶対に経済の自由と職業の自由とを社会に要求し以て其獲得を期す。
一、我々は人間性の原理に覚醒し人間最高の完成に向つて突進す。
宣 言
全国に散在する吾が特殊部落民よ、団結せよ。長い間虐げられて来た兄弟よ。過去半世紀に亘る種々なる方法と多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が何等の有難い効果を齎さなかつた事実は、夫等のすべてが、吾々によつて又他の人々によつて常に人間を冒涜されて居た罰であつたのだ。そして此等の人間を勦るかの如き運動がかへつて多くの兄弟を堕落させたことを想へば、此際吾等の中より、人間を尊敬することによつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ当然である。
兄弟よ。
吾々の祖先は自由平等の渇仰者であり実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた。呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は涸れずにあつた。そうだ。そして吾々は此の血を享けて人間が神にかはらうとする時代に会うたのだ。犠牲者が其の烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が其の荊冠を祝福される時が来たのだ。我々がエタであることを誇り得る時が来たのだ。
我々は必ず卑屈なる言葉と怯儒なる行為とによつて祖先を辱しめ人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが如何に冷たいか、人間を勦ることが何んであるかをよく知つて居る我々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。
水平社はかくして生れた。
人の世に熱あれ。人間に光あれ。
大正十一年三月三日 全国水平社
創立大会の後、水平運動は恐ろしい勢を以て進展した。その波動は瞬く間に全国に及んだ。而して三月下旬に起つた別府的ケ浜事件は更にこの運動に油を注いだのであつた。四月二日には京都府水平社の創立大会が開かれ、同十四日には埼玉県で、同二十一日には三重県で水平社が生れた。五月十日には奈良県の創立大会があり、七十二の部落が挙つて之に加入するを見た。東京にも水平社が出来た。和歌山にも生れた。更にまた少年水平社、少女水平社なるものも創立された。此種の運動は大阪にも起つた。全国の皮革事業界を勤して居る西浜の大部落中にも共鳴者は少からず出来た。熱烈なる宣伝の結果、八月二十五日には大阪水平社の創立大会が開かるゝに至つた。西浜大部落に於ける成功は実に此地方水平運動の進展に一飛躍を促すものであつた。十一月十日には愛知県水平社の創立大会あり、同二十六日には兵庫県のそれがあつた。
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斯くして出来た水平社は、不断の宣伝と共に、差別待遇の事件起るや必ず往いてその解決に努力しつゝある。従来泣き寝入りですました侮蔑圧迫に対して、彼等は今や毫末も仮借する所なく徹底的解決を期して居る。例へば穢多と云ふ様な言葉が発せられたとする。水平社は直に其非を責め、厳重なる制裁を要求する。近頃新聞紙上によく「小生今般穢多云々と申したる件誠に御申訳無之謝罪仕候也」といふやうな詫証文を見るは之が為である。そして斯んな事件が起る毎に水平運動の勢を増して行くは言ふまでもない。
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本年の三月二日より三日に亘つて第二回の全国水平社大会が京都の岡崎公会堂に開かれた。参会するもの三府二十七県の代表者五千人、背後に約三万の社員を控へて居るといふ。(一)労農ロシアに於けるユダヤ人の視察、(二)治安警察法第十七条の撤廃、(三)普通選挙問題(四)小学校及軍隊内部に於ける差別撤廃、(五)水平社大学、(六)少年少女水平社、(七)婦人水平社等に付て協議を凝らした。日本労働総同盟を始め、朝鮮人労働団や米国・布哇方面の同志から送り来つた二百四十余りの祝電の披露もあつた。此の大会で宣言・綱領・決議の協定を見たが、宣言と綱領とは前掲と変らないから茲には繰り返さぬ、決議文だけを次に挙げやう。
一、我々に対し穢多及び特殊部落民其他の言行によつて侮辱の意志を表示したる時は徹底的糺弾をなす。
一、東西両本願寺に対する募財の拒絶断行を期す。
一、政府其他一切の侮辱的改善及び恩恵的施設の根本的改革を促す。
右の決議中にも見ゆる通り、水平運動と本願寺との関係はまた頗る注意を要する。昨年の四月十日、全国水平社は決議の結果東西両本願寺にあてゝ、「向後二十年間我等部落寺院及門信徒に対し如何なる名義による募財をも中止されたきこと」を通告した。之が募財拒絶の皮切りで、第二回大会でも之を繰り返して居る所を以て見れば、その決意の程は窺はれる。加之第二回大会の二日目には、会衆は十数丁に亙る大示威行列をなして先づ東本願寺の御弥陀堂にくり込み、満場一致左の決議をなしたのであつた。
我等水平社員は東西両本願寺開宗七百年に対する募財を拒絶す。
此決議文を東本願寺に差出して後、この大行列は更に西本願寺に向ひ、同じく之を差出し且本堂を占領した。代表達はこもぐ賽銭箱の上にのつて本願寺攻撃の演説をはじめ、中には銅貨を阿弥陀本尊に投げつける者もあつた。「偶像を破壊せよ」とは会衆一般の異口同音に叫ぶ所であつたと云ふ。
抑も本願寺は多年特殊部落に伝道を続け、多数の忠実なる信徒を有つて居り、少くとも他宗に比し著大なる勢力を此部落に布いて居る筈である。然るに何故斯くも反抗を向けらるゝのであるか。是れ両本願寺が部落民の信仰深きに乗じ従来過当な募財を要求するを常としたからであらう。部落の経済的疲弊の主なる一因は確にこの募財にあるとは、多くの人の一致する所である。孰れにしても水平運動が部落解放の第一眼目として先づ経済的改善に着目し、東西両本願寺に向つて反抗すると云ふ破格の挙に出でたのは、当今の改造思潮とその一面の基調を同うするものとして、太だ注目に値する現象と謂はねばならぬ。
猶も一つ注意すべきは、部落僧侶間に亦一種の運動の起りつゝあることである。本願寺は従来特殊部落を伝道区域としながらも、部落の僧侶即ち穢多寺の住職はとくに之を忌避し嫌悪する風があつた。之に不快の感を抱いた僧侶は、水平社に投じて本願寺の官僚的統制から免れんとした。堂斑を投げすてゝ独立せんとする黒衣同盟は斯くして起つたのである。水平運動の傍系を為すものであるが、本願寺に取つては是亦僅かに一個の脅威であらう。
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この新しい水平運動に対し、政府当局の態度は如何と云ふに、直接には厳重に之を取締ると共に、間接には温情主義的な部落改善策に由て部落民の気勢を和げんと欲するものゝ様である。新聞の伝へる所に依れば、内務省警保局の得能保安課長は最近次の様な意見を洩したとやら。「我々は水平運動をどう取締るかといふよりもどうしたら円満に発達するかといふことに頭を痛めて居る。綱領宣言を見ると実に立派だが、どうも動もすると秩序を乱し易い。不用意の言葉の中に侮辱的な言葉があつたとて、二三百人も押しかけて謝罪文を新聞に出させるとか。こうなれば立派な直接行動だから、我々は十分取締らなければならないが、それ以上に斯うしたことが社会の同情を失ひ、識者の擯斥を招く所以であることを水平社のために遺憾として居る。(中略)尤も彼の人々が差別待遇を受けて居ることは、全く不合理なことであり国家の不利益であつて、我等も深く同情して居る。内務当局も水平社の運動に対しては、積極的助長主義を取ることとして、社会局からも予算が提出してあるが、我々と両々相俟つて、此の不合理な問題を解決したいと思つて居る云々」。
政府は昨年までは部落改良費として二十一万円を予算面に計上し、以て三百戸以上の部落の道路改修費其他に充てゝ居たが、今年からは地方改良費と改称して四十九万円を計上し、従来の二十一万円を控除した残額二十八万円で、部落民に学費を補給し、他日其の中心人物たるべき者の養成にあつるとか。本年の予算に於ては各種の項目概して昨年よりも削減されて居るが常なるに、独りこの地方改良費のみは、教育費の国庫補助と社会事業費と相並んで増額を見たのは、以て当局の意のある所を想見すべきである。併し乍ら斯くして果して所期の目的は達せられ、部落の改善と部落民の感情融和が夫れ丈で成功するだらうか。政府の部落改善方針なるものも、部落解放の真諦にふれ、彼等の要求の核心にタツチするでなくては、却つて恐る、意外にも部落民の思想感情を悪化するの結果を見ざるやを。本期の議会に於ける星島二郎君の質問の次の一節の如きは、此点に於て大に味うべきものがあると思ふ。曰く、地方改良といふ表面に義名を掲げて居るものゝ地方改良費の使途には尚ほ頗る疑しいものがある(中略)。政府は部落民の視察、監督、取締等に密かに心を痛めて居るらしく、今予算を増して益々之を厳重にすることになれば、それだけ部落を悪化し、水平運動に油を注ぐこと、なつて、其結果は由々しき大事を惹起するかも知れない云々と。
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最後に水平運動について特に注意すべきは、その無産階級化的傾向である。言ふまでもなく、この運動の創始の精神は階級的差別撤廃に在つた。だから其運動のリーダーはもと中産階級たるを妨げず又現にさうでもある。が併し、この運動の進展に連れて漸く無産階級的色彩を帯びつゝあるを我々は看過してはならない。何となれば、愛蘭にしても印度・埃及乃至朝鮮にしても、所謂民族独立運動が段々其勢を増し真剣味の加はるのは、概して其無産階級化と形影相伴ふを常とし、而して我が国部落運動の発展の概勢亦やゝ之に共通するものあるを思はしむるからである。況んや今日の特殊部落は、被征服民族たると同時に経済的弱者の地位に居るに於てをや。
斯く考へると我々は当然に水平運動の前途と一般労働運動との連繋に思ひ到らねばならない。何となれば、現下の資本主義的経済組織の下に於て、彼等のみの経済的解放の成功は期することが出来ないから。さうすると、彼等は経済的解放に成功する為に先づ労働運動と提携するに至るやもはかられない。労働運動に従事する者の中、早くも此趨勢を見て取り、無産階級解放運動はまた同時に部落解放の問題をも解決するものなりなどゝ揚言するもあれど、窮極の目標が全然同一でない所に、多少掛引の入る余地はある。良かれ悪かれ、水平運動と労働運動とは勢に於て大に接近するの傾向に置かれて居る。接近することに由て両者共に大に其気勢を高むべきは云ふまでもないが、巧に之を連繋し且つ之を永続せしむるは、また双方リーダーの誠意とタクチクとの力に待たねばならぬ所であらう。
いづれにしても水平運動は最近起つた民衆運動の中最も顕著なものである。而して之が研究は経済的、社会的、倫理的等の立場からも大に論弁せらるゝを要すると思ふので、本篇を切ツ掛けに大に各方面の論策の発表を希望する次第である。
〔『中央公論』一九二三年四月〕