早稲田の騒動に辟はれた反動思想の擡頭



 早稲田大学の最近の騒動に就て何か話せと云ふ事だが、事件の経緯に就ては新聞に現れて居る事の外何にも知
らない。随て詳しい、且つ正しい事実に基いての批評をする資格は無いが、唯可なり詳しく新聞に報道されて居
る事実だけに就て見ると、世間でも評判して居るやうに、学校当局の一部と軍閥の一部との協議の下に行はれた
る、可なり拙い芝居を見るの外はないやうだ。学校も軍閥も思切つてくだらない事をやつたものだ、と寧ろ、憫
笑に堪えない。が併し之を妨害せんとして、当日会場に押し掛けた文化同盟とやらの連中の仕打も亦くだらない
程度に於ては軍事研究団の連中と相下らないと思ふ。
                                              そそ
 軍事研究団の成立が早稲田大学の歴史に取つて、不名誉だとしても、それを雪ぐの途は他に幾らもある。日を
異にして或は少くとも場所を異にして、正々堂々と反対のデモンストレーションをやる途は決して塞がれて居な
                             わぎわぎ
い筈だ。気に喰はないからと云つて、人のやる仕事の中へ態々押掛けて妨害すると云ふのは、翌日の会合に縦横
                                            やuリかた
倶楽部とやらが飛込んで腕力を振つたのと其罪決して相下らない。どつちを見てもあの遣方は紳士らしくない、
公明正大を欠いて居る。若し早稲田学園の自由の為めなりと云ふ事が本当なら、彼等の何れもが共に自由の精神
を揉鋼して居る事に疑ひはない。此点に於て吾々は殊に自由とか改革とかを叫ぶ人々の為に其軽挙を惜むのであ
る。殊に私自身一種の自由主義であり、一種の改革論者であるだけ、珠に自由主義改革主義の為に奮h闘して居る
人々に特別の同情を持つて居るだけそれだけ此点を遺憾とするの念が殊に深い。
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ュノ










⊥よ





」田


 早稲田騒動に附帯して起つた種々の出来事の中、最も強く吾々の目に映ずるものは反動的の勢力の近来殊に著
しく接頭した事である。反動思想などと云ふものは何時の世にもあるものだ。殊に最近のやうに可なり突飛な改
          あた          つ
草論の行はれる際に方つては反動論亦之に伴れて猛烈になるものだが、併ながらそれが一つ一つの社会的勢力と
        ふる
して相当の威力を揮ふと云ふことは実は近来の事だ。去年位までは、それ労働運動だ、それ小作人の運動だ、或
                         ばつこ         ひそか
は無政府共産主義だとか云つたやうな風の運動が可なり抜思し、頑迷者流をして窃に国家の前途を憂ひしめたの
                               もた
であつたが、去年の後半期からソロ〈反動の勢力が頭を撞げ、今年春の関西に破ける水平運動対卦粋会の騒擾
に於て、反動的勢力の勃興は著しくなつた。国粋会は元からあるのだけれども、あれがあれだけの塊つた勢力と
して動くと云ふことは矢張り之を一つの珍らしい現象と見なければならない。それでもまだ吾々は、あゝした勢
力は国粋会のやうな所には動く、まさか日進の学問を修めて居る学生の中などにはさう這入つては居まい、這入
つて居つても極めて微々たるものであらうと想像して居つたのに、今度の早稲田騒動に於て所謂縦横倶楽部の抜
屁を見、直接之に属して居るものは少数であるとしても、学生の全体が或は貰按底を傍観し、或は進んで之を制
する勢力の結束を見ないのは、一面に於て多数の学生が消極的に反動思想の蚊屈を援助して居るものと云つても
差支へない。学生の多数が反動思想の積極的の味方だと云つたら語弊があるか知れないが、併し少くとも其消極
的支持なくんば、あれだけの威を発揮することは出来ない筈だ。して見れば是亦所謂反動思想が学生の間にも這
入つて行つたと云ふことを見なければならない。兎に角是は昨今の最も注目すべき現象として吾々の注意を怠る
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つ「ノ
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ベからざる所であると思ふ。
                   イ タ Hツ ア
 尤も此勢ひが今後益々発展し、今に伊太利などのやうに反動思想が天下を風靡するに至るであらうなどと見る
のは、或は杷憂に属するかも知れない、が併し所謂社会改造を標棟する諸々の運動が従来のやうな勢ひで拡がり
得ないと云ふことは事実疑ひない。即ち昨今の形勢は是等改造諸運動の鼻先をひし折つた形にも見える。

′4
1
      三

 斯う云ふ最近の変調は之をどう説明すべきものか、どう云ふ所に原因すると考ふべきものか。
                            ロ シ ア
一つの理由は世界一般の風潮の影響であるとも云へる。露西亜に反動思想が起つたと云ふことは或は言へぬか
も知れないが、種々な方面に於て従来の政策を凄和して居ると云ふ報道は、即ち多少同じやうな考が流れて居る
                    フランス             ドイツ
と云ふ事を語るものであるかも知れない。仏蘭西伊太利の事は言はずもがな、独逸に於ても、南方には反動的勢
力がなか〈盛だと云ふ事だ。して見れば戦争後各国を風靡した自由改新の風潮は西洋諸国に於ても昨今ちよつ
       寸■」f
と其鉾先を軋まれて居る形になつて居る。而して是は一体どう云ふ所に原因するかと云ふに、種々な理由があら
うが、其中最も著しいものゝ一つは、所謂改造的諸運動は戦後勢に乗じて勃興し来り、余りに時勢の寵に流れて、
     あ せ
過度に或は焦慮つて其主張の実現を社会に強要した形跡があると云ふことであらう。どんな善い事でも度を過ぎ
て強ひられゝば厭になる。酒を飲んではいけないと云ふ理窟は万々承知して居つても、多年飲酒の習慣に馴染ん
             にく
で居つた者には急にやめ悪いと云ふ事情もあらう。自分一人の道徳的修養の方針としては一刀両断、断然凛酒す
べしと云ふも差支へないが、之を社会の総ての人に強制する規則としては急にやめ悪い事情の人もあらうと云ふ
事実に妥協して、自分の確信を若干値引すると云ふ必要もあらう。所がうつかり値引をすれば又反動思想家に尭









⊥ふ





」田


         もそれ
ぜられると云ふ虞もあるので、改造論勃興の当初は、正札の通り、自分の言分を主張すると云ふ必要もあつたの
だらうが、其処は実際問題として自ら手心の存する所であるべきのに、最近数年間の形勢は所謂正義を主張する
者に其正義を文字通りに強要すると云ふ嫌ひのあつた事は疑を容れない○専制の人に嫌はるゝは、単に政治に於
てばかりではない。思想に於ても亦然り、道徳に於て亦然り、自由だとか、解放だとか、或は社会の改造だとか、
さう云ふ主張には、主張共ものゝ根抵に於て正しいのであるけれども、其実現を期する手段方法に於て多少強制
の分子を加へて、人の嫌悪を挑発する嫌ひがなかつたとは言へない○さう云ふ所が自ら社会一般の人心に、初は
賛成したが今は少し厭になつた、謂はゞ惚れた女も女房にして見て少々鼻につき初めたと云ふや、つな嫌ひがない
でもない。而して是と同じやうな事情は我が日本に於ても之を見るのである。是が一つJもう一つの原因は、自
由改革を主張する諸運動の間に従来のやうな結束が幾らか減つたと云ふ事であるb・総て改革の運動が起つた当初
は、現状打破の後、如何なる理想的天地を作るべきかの先きの根本問題を考へるよりも、先づ差当り自分達の運
動の前途に横はる障碍物を除かう、即ち現状を打破しようと云ふ事を専一に考へる。高等学校に人身のは大学に
入る為だけれども、大学に入るには先づ高等学校に入らなければならぬと云ふ所から、中学卒業生は高等学校の
入学試験に及第することを一生に於ける最大の事業なるかの如く思ふのと同じ事だ。さうすると現状の打破と云
ふことが殆ど差当り唯一の目的であるから、其目的の為には有らゆる改造運動者は皆な一致提携が出来る。さう
           ことこと
して反動運動が起れば悪く結束して之に対抗することも出来る○だから運動の初期に於ては反動的勢力に対して
も相当強い結束的威力を示すことが出来たのだ。所が段々運動の歩を進めると、現状を打破することに成功すれ
                                 ま ぎ
ば無論言ふまでもない事だが、まだ成功しなくとも、掛か将来の見当もつくと云ふことになれば、ソロ〈先き
の根本問題に考が移る。即ち高等学校の入学試験に及第すれば初めて大学の事を思ふやうなものだ。さうすると
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一4
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将来の理想に就ては、或は甲と云ふ意見を持つ者もあれば、乙と云ふ意見を持つ者もあつて、其間に種々な区別
が出来る。其中で最も大きな別れ方は、所謂理想主義的立場に立つ者と、唯物的立場に立つ者とであつて、其間
には到底事を共にすべからざる重大なる差別がある。詰り向ふ側に渡る為には同じ掛に乗つ.た。船頭がどうして
                          いじ
も船を出さないと云ふ時には一緒になつて船頭を碧めた。殆ど其為には死生を共にすると云ふ所まで行(。けれ
                                さ
ども船頭がやつと納得して船に乗つて見ると、倦て向ふ側に渡つてからは、自分は東に行くが他の者は西に行く。
さうすれば先きに死生を共にし、君と僕と一生離れまいなどと言つた事が無意味になる。成程先きの事を考へれ
ば、あの人と俺とはさう何時までも事を共にすることも出来ない筈だと云ふことに気がつく。それで同じ社会改
造と云つても、将来如何なる社会を作るかの理想の点に反省し始めると、今までの友達も友達ではないと云ふこ
とになる。敢て喧嘩をすると云ふ訳ではないが、限られたる問題に就て提携することは出来ても、徹頭徹尾全人
                                      〔橿〕
格的に提携すると云ふ訳には行かない。理窟を云へば始めて穏かな話だが、それが又実際問題になると、彼が裏
切つたとか、彼が俺を売つたとか云つたやうな感情の疎隔も伴つて、実は相当猛烈なる喧嘩にもなるのだ。さう
云ふ所へ反動的勢力が起つたとすると、又昔のやうに共同の強敵が現れたのだけれども、一旦感情の疎隔を見た
のだから、元のやうに命懸けで共同提携すると云ふ訳には行かなくなる。場合に於ては元の仲間が反動者流に著
             わ亡り
められることを腹の中で噴つて居る者もあらう。少くとも復た最初の第一線に返つて共同の戦線を張ると云ふこ
とは困難になる。是が又最近反動的勢力を践属せしめて居る一つの原因だらうと思ふ。
 要するに改造運動家が自己の正義を主張するに焦慮つた事から、社会の同情を失つたと云ふことが反動思想の
壌頭を促した積極的の理由。それから改造運動が段々歩を進むるに従つて其間に分派を生じた、それが又感情問
題などを伴つたと云ふ事が、反動思想の撞頭に対して改革諸運動の結束的対抗を十分にし得なかつたと云ふ消極
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一4
1
的の理由である。









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 斯う考へれば、反動的勢力最近の撞頭は慶ぶべきか否かは別問題として、避くべからざる自然の勢であると云
ふ事は疑ひない。さうすれば是は今後段々盛になるか、さうして伊太利などのやうに、是等のものゝ代表的勢力
が遂に天下を取ると云ふやうな事になるだらうか。此問題に関しての私の考は三日にして言へば、否と答へざる
を得ない。換言すれば西洋のやうな風に盛にはならないと思ふ。無論一時的にはもう少し盛になちぬとも限らな
いが、結局に於て大した根砥のある運動とは思はないのである。
 何故かと云へば、西洋の反動的勢力には単に右言つたやうな、時勢の産物であると云ふ事の外に、もう一つ積
極的の根拠がある。日本の方は改造論者の不謹慎な失敗と云ふやうな事に基く、謂はゞ自分自身に余り深い発生
的理由を持たない現象であるから、相手方の態度が変れば又元の通りにならぬとも限らない。之に反して西洋の
はさう云ふ勢ひに乗じたのではあるが、反動思想其者の中に又自ら発生を促す所の深い内面的の理由があるので
               ヤ ソ
ある。それは何かと云へば、耶蘇教殊に天主教の宗教的狂熱である。伊太利のファスシスチ運動の蔭にはカトリ
ック教会があると云ふことは昨今公然の秘密だ。又各国の官僚が国内の中心瀾運動に対して障壁としてカトリッ
ク教会を利用するに如何に苦心して居るかと云ふ事も、既に識者の洞察して居る所である。是等の点を考へて見
        オ・−ストけノア
れば、例へば彼の襖地利のメツテルニツヒが、或は又彼の露西亜のポビエドノスチエフが、吾々から見ては驚く
べき程の頑迷だと思はれる程の思想を持つて、自分自身は是で以て世界を救ふのだ、是で以て世界を大なる禍か
ら救ふのだと云ふ意気組を持つて飛出して来たやうなものである。斯う云ふ一種の確信に基いて居るのだから、
ュノ
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なか〈根砥が深い。
 所が日本の反動思想にはさう云ふ根抵が無い。唯々変つた新しい事を嫌ふと云ふ一種の本能に動いて居ると云
ふ所に或渇意味の強味はあるが、併し積極的の確信がないだけ、戎る点まで鼻つぱしが強いが、相手方の出様一
っに依つては、訳もなく折れる。日本最近の歴史は又実に或る意味に於て之を証明して居ると云つて宜い。何か
新しい説が起ると、何時でも日本の社会は之を容れない。飽くまで容れないぞと云ふやうな激しい能違を執つて
居りながら、時勢の風向が少し変ると訳もなく折れて来るではないか。そこで私は日本に於ける反動的勢力は
たと え
仮令此上どんなに盛になつたとしても、それは畢尭一時的のもので、結局に於ては宜い加減な所で引込むものと
                                                     うつ
考へて居る。それだけ又改革主義に対する庄力も弱いので、革命などと云ふ不祥な事はなく、スラ〈と遷り変
る点に一種の特長は持つて居るが、其代り敵も味方も深刻に物を考へると云ふ風が乏しいと云ふ脱がないでもな
 ヽ一〇
−∨
 とは云ふものゝ、差当りの所は反動的勢力がもう少し進むかと考へる。何故ならば全体の空気が反動思想の勃
興に順調な形勢を示して居るからである。開く所に依れば最近の早稲田騒動でも縦横倶楽部とやらの連中は随分
腕力を揮つたと云ふ事である。さうして警察の方面は之を余りやかましく取締らなかつたと云ふ非難もある。無
論私は事実の真相を知らない。けれども新聞の報ずる所に依れば当局では可なり猛烈な言葉を以て学生側を脅し
ても居つたし、殊に文化同盟に多少の関係ある大山、北沢、佐野の諸教授を少しでも疑はしい点があれば容赦な
                            かたがた
く処分するなどと云ふ不穏の言葉をも発して居つたから、穿々以て官憲が文化同盟側に甚だ同情がなかつたと云
ふ事だけは断定し得る。大山、佐野、北沢の諸君は既に相当に名を知られた学者であり、警察と云へば職務上か
らしても英人物の程は知らないとは言へぬ筈だ。是等の諸君が如何に尊敬に催いする立派な人格の持主であるか
ノ4▲
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1
捗ど









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′と云ふ事は、世既に定評ありと云つて宜い。警視庁や内務省のどの役人を持つて行つたつて、人格の点に於て是
等の諸君に優ると断定し得る者は、さう沢山あるだらうか。それにも拘らず、是等の諸君が不穏の運動の謀士か
の如くに見傲し、さうして場合に依つては之を処分するに躊躇しないなどと云ふのは、言ふ事自身は勝手かも知
                                             しばら お
れないが、其実際に及ぼす結果如何はもう少し慎重に考へて貰ひたいと思ふ。彼等の良否の批評は姑く措いて、
反動的勢力が益々接尾し、官憲が又斯うして不謹慎な態度を執ると、恐らく折角散漫しかけた改革諸運動家は、
又昔の第一線に返つて結束することにならぬと保証することが出来やうか。苦しさが極端になると犬と猿でも共
同する。犬猿を相争はしめて漁夫の利を占めんとする功利的見地から見ても、昨今の官憲の遣方は確に自家撞著
だ。着められる方の運動家は、或は心中一種の脅威を感じて居るかも知れない。けれども社会革新の機運を無理
にも早く助長したいなどと考へて居る者から言つたら、官憲と反動的勢力の昨今の勃興に対して、心窃に快心の
笑を湛えて居るかも知れない。何故ならば之に依つて折角散漫しかけた諸勢力の機械的結束を再び実現すること
が出来るかも知れないから。併しながら斯の如くなることは反動的思想から言つて自家撞着であるばかりでなく、
改革運動の健全なる発達から言つても、決して慶ぶべき事ではない。結果は唯々社会全体を不幸な混乱に陥らし
むるに止まるのである。
      五

 鹿を逐ふ者は山を見ずと云ふことを言ふ。差当りの目的を達する為には猫も杓子滝結束した方が宜いと考へる
かも知れないが、私共の考では運動の初期に於ては成程猫も杓子も結束したが、段々時代が進むに随て銘々結局
の目的を内面的に反省する所から、段々彼と我と提携が出来ないなと考ふるに至るのが進歩の当然の順序だと思
くノ
ノ4
1

ふ。さうして銘々の結局の理想に反省し、彼と我との分野が極まり、其上で差当りの目的の為に或る範囲内で提
携すると云ふことになるのが本当だと思ふ。盲目的の提携ではいけない。彼と我との理想の異なる所を十分に知
り尽して、・譲るべからざるは初から譲らない、譲り得べき所に於て事を共にすると云ふ所に、社会の本当の進歩
が生れると思ふのである。であるから我国の社会運動家の中に最近当初の盲目的結束が段々弱りつゝあつたと云
ふ事は寧ろ一つの進歩の徴候だと思ふ。けれども実際の運動家からは此結束の弛頚に堪へられなかつたと見えて、
何とかして元通り塊めやうと云つて随分苦心して居つたやうだ。此一両年此の方、一部の人々が所謂社会主義者
の大同団結を策して苦心至らなかつたのは、詰り這間の事情を現はすものである。実際家は困つた事だと考へた
らう、併し斯うなるのが当然の順序だと私共は喜んで居つたのだ。さうして再び大に結束すべくんば、昔の戦線
に戻つて結束してはいけない。一旦日の開きかけた者は再び元の盲目に返る訳には行くまいではないか。目が開
                ひら
きかけた以上は尚ほ⊥層聡明を啓いて、黒自の別を明かにして、其区別の意識の上に相対的共同を策するの外は
ない。斯くして私は大体に於て順調に進んで居つたと思ふのに、昨今反動が再び起つて、さうして是等の点に反
    いとま
省するに暇あらしめず、改革諸運動をして再び又元の機械的聯合に後戻りさせやうとする傾向のあるのは私の最
                                                                     ヽ ヽ ヽ
も不幸と思ふ所である。盲目的聯合からは、どの途立派なものゝ生れやう筈はない。反動的勢力がどだい一種の
                                 きし                               ま
盲目的運動なのだ、盲目的運動と盲目的運動相軋る所、其間如何なるものを生ずるかは識者を侯たずして明かで
                            あ せ
あらう。吾々は改革運動家に向つても、此際一時の形勢に焦慮つて周章狼狽せざるなからんことを希望せざるを
                           な      たくま
得ない。さうして反動運動家に向つても一時の形勢に押れて横暴を達しうすることの彼等に取つても、如何に恐
/んU
′4
1
るべき結果を持ち来すやを反省して貰いたいと思ふ。
        わすら
る反省を一煩はさゞるを得ない。
殊に此際に於て官憲の執るべき態度に就ては、最も慎重な
                〔『解放』一九二三年七月〕