学園の自由と警察の干渉


 去年十二月一日の早朝京都の警察官憲が京都帝大及び同志社大学の学生三十四名を検挙拘留したといふ事件は、
                       いわゆる
著しく同地学生間の憤激をそ、り、今や彼等は所謂学園の自由を旗峨として盛に警察の干渉に抗弁して居る。学
     かつ
園の自由は嘗て早稲田大学研究室の臨検捜査の際にも問題となつた。あの時も私は本誌上に卑見を公にしたが
〔本巻所収「学園の自由と臨検捜査」〕、今度の事件についても亦同じ様なことが胸に浮ぶのである。
今度の事件について私の考を個条書にして述べると次の様になる。
 第一に学園の自由といふことに就て私は学生側に重大な誤解がありはしないかと思ふ。西洋で昔学園の自由と
唱へて学生の身分に就き官憲の干渉を排斥したのは、学校に一種の刑罰権が認められたからである。所謂学園は
                                                    ドイツ
国家の司法組織に対する一治外法権区域をなしてゐたので、其以上警察的取締は必要とされなかつた。現に独逸
の諸大学中でも少し古い歴史を有するものになると、今なほ牢屋を昔の優に保存してあるのがある。今日は事情
が一変した。刑罰権は国家の一手に集中さるることになつた。従て昔の様な意味での学園の自由は認められぬこ
とになつたのである。故に若し今日なほ学園の自由といふ言葉を用ふるなら、そは研究の自由といふ位に解され
なければならない。そこで警察が必要ありと認めて為す検挙拘留に対して今日の学園は其自由を楯として之に対
          も
抗すべき理由を有たないのである。
 第二に警察は、正当に其権限に属する事件たる限り、学校だらうが寄宿舎だらうが臨検捜索を行ふに妨なく、
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必要あらば検挙拘留したツて一向差支はない。但し学校には学生の取締に付て相当の責任者がある。一応之には
                                                     け たい
かり又は其の協力を求むるは徳義上の義務だと観てもよからう。此点に於て京都の警察官憲に多少の僻怠あつた
ことは当局者自身も認めて居るやうであるが、併しこの点は大した問題ではない。事件が正当に警察の権限に属
するものたる限り、.而して取締上斯くせねばならぬ急須の必要ありとせば、多少学校当局の信頼に裏切つても後
に十分弁解の道は立たう。だから臨検捜査その事は大した問題ではないと思ふのである。只問題は今度のやうな
事件は果して警察官憲の取締るべき正当な範囲に属するか否かに在る。こゝになると私は大なる疑問を抱かずに
は居れぬ。
 第三に警察官憲の正当なる権限範囲なりや否やを判ずるに就き、検挙訊問の結果大した事件でなかつたといふ
ことは全然問題ではない。後に証拠不充分で無罪になつたからとて嫌疑者の告発をば其始めに遡つて不当とする
わけには行かぬ。始め嫌疑をかけたことに相当の理由ありさへすれば、それで警察官憲の面目が十分に立つ。何
も証拠がなかつたではないかザマア見ろといふのは、学生側の立場として感心した能小度ではない。
 第四に警察官憲のにらんだ様な事実が仮りにあつたとして、そは警察の当然取締るべき事項なりや否やと云ふ
点になると、始めて我々は警察官憲と全然その見解を異にする。警察側は日ふ、軍教反対の宣伝ビラを市中に撒
きちちしたキU又日ふ、共産主義の一学説を秘密に翻訳して印刷頒布したと。又日ふ、各学校互に気脈を通じて
主義の宣伝に奔走したと。然らば間ふ、主張の宣伝はなぜ悪いのか。仏教青年会や基督教育年会などは多年全国
的に連絡して学生間に熱心に信仰を宣伝して居る。之をばなぜ黙許して居るか。然るに実際一は許し一は禁じて
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おる。一を黙過して一を許す可らずとするのは、畢尭宣伝その事がわるいのではなくて、宣伝するものがわるい
と認めるからではないか。斯うなると、共産主義なり社会主義なりの研究そのものの可否といふことが問題の核

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心になる。之を取締るといふことになれば正に研究の自由と正面衛突するを免れない。
 尤も専心攻学に余念なかるべき学生の分際として宣伝などに狂奔するはその本分を誤るものだといふ説も立つ。
が、之なら学園内の指導訓練の範囲に専属することで、断じて警察の干渉を許すべき事項ではない。
 斯く考へて見ると、今度の事件で問題の中心となるものは警察官憲が其の権限を誤解したといふ点に帰する。
                                もつば
警察官憲側には又別に相当の見解もあらうが、いづれにしても争点は専らここに存し、検挙拘留その事の可否に
あるのではない。
                  しき
 第五に京大其他の学生が頻りに警察官憲を攻撃するのは全然狙ひ所を間違つて居る。このこと登別述する所で
                                     一そなわ              ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
も明であらう。検挙拘留を問題とするのなら警察側にも強い弁解の道が具つて居る。之に対抗すべき所謂学園の
 ヽ ヽ        は こ
自由は実は旧時代の反故に過ぎぬ。真に争ふべきは警察官憲の頑迷な思想そのも.qに就てゞはないか。権限を超
えて故意に警察力を振り廻したと憤慨すべき問題ではなくして、その砲挿する思想の頑迷低劣なるを憐んでやる
べき問題だ。怒るひまがあるなら丁寧に教へてやれ。私が若し京大学生であつたら、警察礼弾演説会の代りに、
警察官憲を招待して茶話会でも開き、塩煎餅でもかぢり乍ら笑つて昨今世界の大勢を親切に教へてやるだらう。
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