加州土地法の合法性


 本月二日を以て行はる、一般投票の結果、
                 かかわ
余りの間、民間の議論が沸騰せるに拘らず、
【カ川ノフオルエア〕
加 州土地法は、結局予期の如く成立するであらう。この一ケ月
                          あた
何等の光明を本間〔題〕解決の前途の上に見ること能はざりしは、大
一6
ュノ

正二年八月の土地法制定の当時と同一である。幣原大使が日本政府の訓令の下に、国務卿コルビーと何等かの解
決をつけるだらうとの予想も結局一片の風説に終つた様だ。政府としても、此の問題を如何ともする能はざるは、
                      あきらめ                けだ
此の前の土地法の時、歳を重ねて進めた交渉を加藤外相が遂に諦をつけてうち切つたのと同じ趣意に出づる。蓋
し今次の新土地法は前の土地法の修正に過ぎずして、新らしい何物も加はつておるのでない。今度の土地法に就
      〔方】
て日本の口に仮に要求し得るものありとすれば、そは、大正二、三年の時にも、請求し得べき筈であつた。あの
時、如何とむ仕方がないとして手を引いたものとすれば、今度も同じく如何とも手をつけることが出来ないので
                                 ちが
ある。要するに問題の性質はあの時と今度と全然同一である。強ひて異ふ処を求むるなら、あの時は、中央政府
に日本の立場を諒とする同情があり、中央の威力を利用して出来るなら、加州を庄追せんと、試みたに反し、今
                    むし
度は、中央政府に以前程の熱情がない、寧ろ表面から州権尊重の伝来の原則を楯にとつておるかの如く見ゆるこ
とである。そは大統領選挙委員の選挙に加州の郡部が重大な関係を有する為めであ古か分らない。
 加州土地法が1新旧両法を通して1不当な差別的待遇をしても、我々に於て如何ともすることが出来ない









と云ふのは、一つには、問題の事項が専ら州の権限に属することなるが為めである。州の専属的権限に対しては
        ようかい
米国中央政府に容啄の権がない。これ建国以来の伝習的原則である。而して日本としては、米国内の出来事に就
て、直接州と交渉することは出来ない。そこで結局中央政府の容啄を許されざる事項に就き、その中央政府に向
つてのみ交渉を開き得るのであeから、加州の官憲が自発的に日本の要求を容れて呉れるにあらざる限り、問題
は少しも発展し得ないのである。而して加州が日本の要求を進んで容れて呉れる見込は今の処全然ない。即ち本
                              ゆえん
問邁が我が日本にとつて如何ともすることの出来ないといふ所以である。
  一七
 只若し舷に一つ問題を発展せしめ得べき道ありとすれば土地法の合法性を米国の法廷に争ふといふことである。
同法の適用によつて不利益を蒙むるものは、米国政府と共に、裁判所に向つてその無効を争ふことが出来る。そ
こで我国でも、米国政府を促してこの手続を執らしむべしとか、又は在留日本人をして訴訟を提起せしむべしと
              なが
か主張する者があつた。然し乍ら、この主張には、果して、充分なる理論上の根拠があるだらうか。これ、余の
本篇に於て主として研究せんとする問題である。これに附随して、今又、理論上の根拠があるとしても、実際上
            よ
当面の問題をこれに拠つて解決し得るの見込ありや否やを考へて見たい。
 土地法の合法性は第一に、加州の法廷で争ひ得、第二に合衆国法廷でこれを争ひ得る。前者の場合に於ける争
点は、加州の憲法に違反せざるや否やの問題であり、後者の場合に於ては、合衆国憲法及び日米通商航海条約と
ていしよく
抵触する処なきや否やの問遊である。先づ第一に加州憲法と土地法との関係から考へて見よう。
 加州の憲法と土地法との関係を論ずるに当り、第一に引合に出る箇条はその第一章第十七条である。日く、
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つ「ノ
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  「市民タルヲ得ル外国人ハ此ノ州二於ケル善意ノ居住者クル間不動産以外ノ一切ノ財産ノ取得、所有、利用、
  移転及相続二関シ生来ノ市民卜同一ノ権利ヲ有ス」。
  「但シ、斯ル外国人ニシテ本法施行ノ際不動産ヲ所有スルモノハ依然所有者クルコトヲ得」。
  「州議会ハ今後相続又ハ遺言ニヨリ斯ル外国人ノ取得スルコトアルベキ不動産ノ処分二就キ法律ヲ以テ特別
  ノ規定ヲ設クルコトヲ得」。
 然し乍ら、この箇条は、市民たるを得〔ざ〕る外国人に不動産の取得、所有、処分等を禁ずる趣意でないことは、
実際の取扱上、此の規定あるに拘らず、一般に外国人には市民たると得ざるとを間はず、土地に関する取得所有
処分の権利を認めておつた事実によつても分かる。但し不動産の所有権を一般外国人に認めておつたのは、特に
これを禁ずる規定がなかつたといふ消極的の理由あるに止まり、条約でも、国法でも積極的にこれを保障するも
のがあつたのではない。唯外国人の土地所有権に就ては、市民たるを得る外国人に限り、昔しから所有し来つた
不動産に就き憲法上の保障はある。何れにしても、加州の憲法は外国人に不動産の所有権を禁ずるといふ規定も
無ければ又許すといふ規定も無い。而して土地に就き如何なる法規を設くるやは、加州の権限に属するが故に、
その限りに於て、土地法は憲法違反ではない。何んとなれば或種の外国人に不動産の所有権を禁ずるといふこと
は右第十七条と抵触しないからである。
 そうすると問題は、土地法の如く、市民たるを得ると得ざるとに依つて外国人に区別を設くるめが憲法違反に
ならないかと云ふ点に移る。この点から引合に出る条文は加州憲法第一章第一条である。日く、
  「凡テノ人ハ生レ乍ラ自由ニシテ独立ナリ、而シテ奪フ可ラザル権利ヲ有ス、生命及自由ヲ享有シ、之レヲ
  防禦スル権利、財産ヲ取得シ保存シ保護スルノ権利、=…・即チ之レナリ」
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ュノ
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1


 この条文は不動産の所有権をも凡ての人に通じて、保障するの趣意なることは明白である。唯滋に所謂「人」
と言ふのは如何なる意味に解釈すべきものなるかが問題になる。これに就ては、これを合衆国市民に限るといふ
説と、合衆国市民に限らず凡ての人類と解すべしとの二説がある。
 合衆国市民に限るといふ説をとる者は主張して言ふ。斯く解せざれば、第一章第十七条の規定の意味が分らな
い、第十七条は第一条の例外を為すものと見ることは出来ない。何となれば、例外を為すものなら、「不動産上
の権利は取得するを得ず」といふ風に規定してゐなければならないから。不動産以外の一切の財産云々とあるの
は第一条に規定しなかつた別種の人に就いて規定したものであるからである。そこで、第十七条は外国人に関す
る特別の規定であり、従つて、第一条は、合衆国市民に関する規定であると見なければならないと言ふのである。
 凡ての人類と見るべしとの説をとる者は言ふ。第一条に已lmeロと書いてあるは対し、第二条には、殊更らに
焉旦仲とある。米国市民を意味する文字と別つて已−mgと書いたのはこれ、市民以外の凡ての人類を包括する
意味ではないか。
 以上の二説を比較するに、若し第二説をとることとすると、第十七条は市民となり得る外国人に関する例外規
定であつて、この規定に漏れたものは第一条の本則に拠るといふことになる。従つて、市民となり得ざる外国人
に就ては、何等の規定がないめだから、土地所有権も市民同様に保障されたやのと言はなけれぼならぬ。尤も憲
法第十九条、第四条には、
 「市民トナリ得ザル外国人ノ在留ハ州ノ安寧二有害ナリト認ム、州議会ハソノ権限内二於テ一切ノ手段ヲ尽
  シテ斯ル外国人ノ来住ヲ阻止スベシ」
とあるから、帰化権なき外国人を帰化権ある外国人以上に優遇する結果にはならないと言ふ者もあらうが、然し、
(ソ
つつ′
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ばならない。故に例へば、日本人の如きは、
その帰化権の有無に就ては、少くとも法律上は多少の疑はある
けれど、今は、実際の取扱に従つて帰化権なきものと定めて置く−少くとも、加州憲法の範囲に於ては、第一
                                                               う
章第一条の所謂「人」に関する第二の解釈をとれば、帰化権ある外国人以上の優遇を享くる結果になる。そこで、
             ど
憲法制定当時の考へが如何うであつたか、或はその考へを現す為めに適当の文字が使はれたかは分らないが解釈
上の問題としては、どうしても第一説をとらねばならぬ。
 その結果は如何うなるか。
一、凡ての権利に就き、憲法上の保障あるは米国市民のみに限る。
 二、外国人に就ては、
 戟A帰化権を有する者は、川、不動産以外の一切の財産の取得、所有、利用及相続に関し、生来の市民と同
 一の権利を有し、梶A不動産に就ては、本法制定当時これを所有する者に限り依然所有権を有し得る、M、
  此の種の外国人が相続又は遺言に依りて新に不動産を取得したる場合に就ては、州議会は法律を以て特別
   の規定を設くることが出来る。
                              なかんすく
 の、帰化権を有せざる者に就ては、憲法上何等の保障がない、就中、支那人は州の安寧に有害なるものとし
   て来任を拒まるこ」とがあり得る。
 加州憲法の解釈が上述の如しとせば、土地法の憲法違反にあらざることは明白である。










 土地法と米」国憲法との関係に就ては憲法補則第十四童丁に、
  州ハソノ管轄内ニアル凡テノ人二対シテ均等ナル法律ノ保護ヲ拒ムコトヲ得ズ
と云ふ規定あるを楯として、土地法の無効を法廷に争ひ得べしとする者がある。然し乍ら、この規定は、凡ての
人に絶対的均等保護を保障する意町でないことは云ふ進もない。例へば日本の憲法にした処が、その規定する処
の凡ての人に対する所有権の保障といふことは、特別の場合に法律が特殊の人に特別の制限を加ふることを妨げ
ない。斯くの如き憲法の原則の例外を為す法律は直に憲法違反といふべきではなく、その例外たる事柄の性質が
憲法の趣旨に背くや否やが問題となる。これと同様に加州の土地法が特殊の人に対する土地所有権を制限したと
いふこと夫れ自身が憲法違反となるのではない。若し問題となるなら、そは、市民となり得ざる外国人を特に除
外したといふ点でなければならぬ。憲法は凡ての人に対して均等の保護を与ふろエビを原則とするも、相等の理
由ある差別的待遇は絶対にこれを認めざるの趣意ではないのである。従つて、加州の土地法が差別的待遇の条項
を含むといふことが直に憲法違反の理由となるのでないから、これを法廷に争ふて勝算歴心たるものあるといふ
訳には行かない。問題が一歩進んで帰化権なき外国人を特別の目標にするのが正しいか正しくないかと云ふ議論
になれば、賛否両様の説があるに相違ない。この点に於て、この方面よりする出訴も果して目的を達するや否や
 わばつか   いわ
甚だ覚束ない。況んや我々の言分が仮りに正しいとしても米国の法廷が迅速忙これを解決して呉れる見込甚だ少
いに於てをや。
終りに日米通商航海条約との関係を見よう。加州土地法は、市民たるを得ざる外国人は条約の規定の範囲内に
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ノ4


於てのみ不動産若くは不動産上の利益を取得、保有、使用、譲渡することが出来るとある。然らば、条約は如何
なるものに就て、不動産若くは不動産上の利益を取得し得るかと言ふに、「家屋、製造所、倉庫、及店舗を所有
又は賃借」することが出来るのである。約言すれば、商工業用に就てである。この範囲内に於ては、日本人も米
国市民同様の完全なる保護を享くべきことは、条約第一条第三項の規定に依つても明かである。日く、
  両締約国ノ一方ノ臣民又ハ人民ハ他ノ一方ノ版図内二於テ其ノ身体及財産二対シテ常二保護及保障ヲ享受ス
  ベク而シテ内国臣民又ハ人民卜同一ノ条件二服スルニ於テハ本件二関シ内国臣民又ハ人民二許与シ若クハ許
  与スルコトアルベキ所卜同一ノ権利及特権ヲ享有スベシ。
 然し乍ら、農業用の土地に就ては、何等の規定がない。即ち農業用の土地は条約の保障する処にあらざるが故
に、米国側が特別の法規を定めても、条約違反と言ふことは出来ない。加州土地法は条約規定の範囲といふ条件
の下に農業用の土地に就て帰化権なき外国人に差別的待遇を与へんとするものであるが、我々は、遺憾乍ら、条
約を楯としてこれを抗争することは出来ない。
 次ぎに最恵国条款を理由として争ふべしとする説もあるが、これも表面だつて争ふといふ段になると、我々の
言分ペ根拠がない。何故なれば、条約第十四条には、最恵国条款の適用あるは、通商及航海に関する丁切の事項
に限るとあり、農業経営に就ては何等言及してないからである。第十一条、第十二条、第十三条等にも、同じ様
な規定があるが、然し、一として、農業用の土地に就て、最恵国条款の適用を迫るの根拠となるものがない。
これをようするに
要 之、条約違反を楯として争ふには、根拠が余りに薄弱である。
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 以上述べたるが如く出訴の方法によつて問題の解決をつける見込は極めて少ない。そこで更らに、仲裁々判に
これを付すべしとする説もあるが、米国は恐らく、これに同意しないだらう。然らば米国と改めて土地所有権及
借地権を日本人に保障するの新条約を締結したらいいとか、又何等かの方法で帰化権を獲得したらいいとかの説
もあるが、これは恐らく、単なる一方の希望に止まることである。最近我国の論壇に聯合高等委員会を設置して
                                              わ」きま
これに解決の全権を託そうといふ鋭もある様だが、これは、米国の国情と問題の性質を弁へざる空論である。
 何れにしても、この問題は法廷に訴へるとか、条約上の義務としてこれを認めしめようとか、表面だつた理窟
                                                                こ
を以て対抗するのでは到底解決の見込はない。余輩も土地法の合法性を明にせんとして種々理窟を捏ねて見たが、
こうゆう理窟の説明がこの間題の相談に重きを為すものとは更らに考へて偽ない。蓋し日米問題は、箇々の事柄
に就て理論上の意見が相違するといふことが争の原因となつたのではなく、もつビ根本的の原因から互に阻隔反
感する様になつた結果として箇々の問題に意見の相違を来す様になつたのである。前者なら法廷に於ける理論の
解決が同時に争の根本解決になるけれども、後者にあつては、箇々の争点が解決されても、阻隔反感が残つてゐ
る以上、手を替へ品を替へ、紛糾した問題が現はれて来る。然らば、日米間題の如きは、差し当り、我々の蒙む
る不便不利益に就て応急の処置をとることが勿論必要だが、結局、本当の根本問題まで突入しなければ解決の端
緒だに捉まへることは出〔来〕ないだらうと思ふ。
                                      いとま
 この見地からして、如何なる解決案があるかは、今先に、述ぶるの達がないけれども、唯、困難なるこの間題
の処理に当つては、我々は先づ少なくとも次の二点に慎重なる注意を払ふことが必要であると思ふ。第一は、米
国人の日本人を排斥する真の理由を冷静に研究することである。この点の研究に於て我々の特に注意せねばなら
ぬのは、必ずしも米国人自身の言葉を信用すべからざることである。我々が他人を批評する時に、思ふ通りのこ
えノ
ノ4
1


とを露骨に言はないのを常とする様に、彼等の言ふところの言葉そのものが本当の排斥理由だと考へてはいけな
い○も一つ注意すべき点は、以前は、日本人を排斥するものは、多数の日本人の居住する加州に著しかつたが、
                                           ぴ まん
此頃は、日本人に同情して加州の能伽度を苦々しく思つておつた他の方面に中々排日思想の弥漫したことである。
                                   やや
是等の点に就て我々自ら反省するの必要がある。第二に我々日本人は動もすると昂奮して一から十まで相手方を
あ ぎま                                   【詰〕
悪し様に言ふ癒があるが、日米問題に就ては特に冷静を持して彼に対して吃責の言を加ふべき範囲を最も明白に
限界する必要あることである。例へば米国が日本の移民を拒絶するといふことは、夫自身に於て不都合の処分で
はない。日本だつて、公安の維持上或る種の人の上陸を拒むといふ必要はあらう。然し、如何に好ましからざる
人であるとしても、一旦在住を許した以上、これに殊更らに、差別的待遇を与ふるのは、どう考へても、正しく
ない卜故に土地法の問題に就て最も明白に我々の彼を非難し得る点は差別的待遇の点のみである。
                             かえ
 之等の点を念頭に置きつ\日米間題から我々も冷静に復り、之れを一箇の国際道誼の問題として静かに協定
の方法を考へるといふ外に根本的解決の道は断じてないと思ふ。
                                   〔『国際法外交雑誌』一九二〇年二月〕
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