日本魂の新意義を想ふ
                 〔海老名弾正〕

 個人の仏陀あるは吾人之を開く、国家の仏陀あるは吾人未
だ之を開かず。個人の聖人あるは吾人之を開く、国家の聖人
                 しんし
あるは吾人未だ之を開かず。個人の袖子あるは吾人之を開く、
                     インド
国家の神子あるは吾人未だ之を開かず。印度は個人の仏陀を
生じたれども、国家の仏陀を生ずること醐はざりき0支那は
個人の聖人を起したれども、国家の聖人を起すこと能はざり
  ユダヤ                   ぎようばうわ
さ。猶太は国家の神子を見んと欲して観望措く能はざりしと
いえど
錐も、個人の神子を祝したるのみにして共民族年来の宿望は
之を体逢すること能はざりき。日本に於ては古来聖人なし、
                                    よ
仏陀なし、又神子の顕現なし。然りと錐も日本の国家魂は能
く聖人を奉迎して君子国を造りたり、能く仏陀を尊崇して浄
                             まさ
土の経営をなしたり、今や又神子を渇仰して将に神の国を実
        けだ 士▲た
現せんとする、蓋し亦期し難きことにはあらざるべし。日本
には偲人として厭ふべきものあり、陵むべきものあり、笑ふ
べさものあり、然れども国家としての大日本魂は実に愛すべ
く敬すべく又慕ふべきものなり。個人としては聖人を棲むる
ものあらん、然れども国家としては未だ聖人を尊ばざるを開
かず、個人としては仏陀を排斥するものあらん、国家として
は未だ仏陀の大徳を慕はざるを開かず、個人としては御子を
顧みざるものあらん、国家としては未だ神子の惇愛を拒否す
                           あ
るを開かず。此国家が大進して神子魂と同化せんこと豊に期
すべからずとせんや。
 大日本魂は不可思議なる国家魂なり。日本民族は管此魂に
                        かつ
指導せられ啓発せられつ、あるなり。吾人は未だ嘗て此魂を
超絶して之を指導する偉人あるを開かず。愛国者も活眼家も
                                        ・ヘノ
偉人も豪傑も此魂の指導によりて偉人たるをえ豪傑たるを得。
 試に思へ、彦九郎や君乎や山陽の如き果して明治の王政を
想像し得たりしや否。象山や東湖や小楠の如き果して明治の
文運を想像し得たりしや否。西郷も木戸も大久保も勝も今日
の如き帝国の隆盛を夢想することすらなし能はざりき。大隈
伊藤の二傑の如き、幸に維新の当初より今日まで生存して帝
国の発展を目撃するものも、事々意想外に出るを驚きつ、あ
るにあらずや。是等の偉人は陽に帝国を指導するの観あれど
も、こは頑愚なる個人や党派を指導するものにして、彼等自
身は常に大日本魂に啓発せられ指導せられつゝあるなり。此
大日本魂は正しく帝国を指導する火の柱なり雲の柱なり。帝
国の偉人等は事大小となく其貴衰に出るを見て、且驚愕し且
歓喜して日く斯くまでとは想はざりしものをと、彼等は帝国
の発展を見て未だ嘗て嘆美の声を発せざりしはなし。試に去
             なんぴと
年の此頃の事を回想せょ。何人も露国東洋艦隊が池上の鴨の
う70
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参考篇

如く追ひ廻され射撃せらる、を想像し得たりしものはあらざ
                                      王さ
るべし。何人も日本兵が斯くまで連戦連勝して、今や方に五
十万の露兵と沙河に対陣するを想像し得たりしものはあらざ
るべし。沈重ならざる人々の空想は取るに足らず、静に国運
の発展を観ずるものは驚かざらんと欲するも得んや。誰れか
                           も  そ
大胆にも此日本魂の旺盛を予言し得たりしぞ。若し夫れ予言
者ありしならんか、そは僅に大日本魂の一斑を窺ひ得て、之
を謳歌したるものにして、其想像力は余りに謹慎なるを以て、
其発展を予言すること能はざりき。子平彦九郎以下東湖小楠
      も はや
の言と錐も、最早過去の小予言として古典に葬られたり。吾
人は彼等が見んと欲することも得ざりしものを見、彼等が開
かんと欲することも得ざりしものを開くなり。彼等の最も吾
人に接近するものは四十年を去らざるなり。しかも彼等は吾
人の目撃するものを想像することすらなし能はざりき。吾人
をして若しキリストの言を仮りて言はしめんか、彼等小楠の
如き又東湖の如きは予言者中の最大なるものなりと錐も、し
かも現代の最小なるものにも及ばざること甚だ達し9今や大
日本魂は帝国を那辺に指導しっ、あるか、吾人は之を明知す
                  あと
ること能はず、只謹んで其発展の逃を追ふに過ぎざるなり。
しかも此魂を指導するものは皇天上帝なり、決して人にはあ
らざるなり。上天は此大日本魂を指導し啓発して今や如何な
                          もと
る転化をなさしめんとしつ、あるか、吾人固より予言者にあ
らざれば、之を知り得る明なしと錐も、亦少しく窺ふ所なき
にあらず、敢て之を言ふは、必ずしも不当にあらざるべし。
読者幸に吾人の管見を披渡するを許せ。
 日本魂は由来国家魂なりき、今や大進して世界魂たらんと
す。日本魂は由来民族魂なりき、今や大転して人類魂たらん
とす。吾人が世界魂といふ、固より国家魂を軽視するの意に
             すで すで
あらず。大国家魂の中には既に業に世界魂は潜伏し居る筈な
り。若し国家魂にして世界魂の種子を有せざらんか、そは最
早発展の内容なきなり。其宿る所の国家は僅に小国家として
存在するを得るのみ、否国家としての存在すら吾人之を危ま
ざるを得ず。何んとなれば世界魂の種子を有する国家魂にし
て、始めて偉大なる国家を形成するを得べければなり。吾人
は開く、日露戦争は日本人より観れば、国家自衛の戦争なり
と。然り、固より然あるべきことなり。然りと錐も此魂が血
の洗礼を受け領したる暁は如何。吾人は信ず、最早国家自衛
              Nレ らい
の標語を再びせざるべし。爾来此大日本魂は世界平和、少く
               き し
とも東洋文化を以て其旗峨となし、其主眼となし、其動機と
                         けだ
なすに至るや智者を待て始めて知るべきにあらず、蓋し国家
其もの、保全は最早気遣ふの要なければなり。
 吾人が人類魂といふ、固より民族魂を蔑視するの意にあら
ざるは読者の諒とする所ならん。大民族魂の中には既に業に
人類魂は潜伏し居るべき筈なり。人類魂なきの民族は決して
\ ̄/、1
拘留

永存すべき実質を有せざるあり。アングロサクソン民族は今
や北米の天地ミシシッピー河の氾濫する原野に於て欧洲諸民
族の融化を期しっ、あり。日本民族は爾来満韓の天地遼河の
氾濫する平野に於て、東洋民族の融化を遂行し能はざらんと
するか0東洋人に最も接近する露人の如き、い郡ぞ此大融化の
感化を免るこ」とを得んや、否欧米諸民族も此天空開閥の天
地に於て人類的融化の勢力に抵抗することを得ざるべし。若
し夫れ日本魂が此大融合を遂行すること能はざらんか、其宿
る所の民族は漆小なるそれにして、其生存を保全せんこと蓋
         いやしく
し亦知るべからず。苛も人類魂の実質を有するあらんか、そ
が東洋民族を融化して、之に此大日本魂を吹き込んこと何ぞ
難事とせんや。此時に当て日本魂は公明正大なる博愛主義を
標棟して、東洋の天地に其旺盛を極めんこと吾人疑はんと欲
して猶疑ふこと能はざる所。
 此の如く大進化を遂行し、大発展を完成すべき大日本魂は
       ▲の き人事ん
其起因する所、豊に僅々二千五百年史を以て足れりとせんや。
吾人は此日本魂が必然宇宙魂に共本源を深うするを承認せざ
るを得ず。其本深からずして此の如く末栄ふるものは吾人未
だ之を開かず。故に吾人は断言す。大日本魂の出処は深く又
遠く宇宙魂の中に存せざるべからずと。其二千五百年の歴史
      こんげ
魂は宇宙魂の権化に外ならずとせんや。妖州らば則ち宇宙魂と
 ヱても▲そ一セ
は抑何ぞや。宇宙魂は天地の公道にして、吾人は之をロゴ
                  ヨ ハネ
スと言はんと欲す(ロゴスは道と訳サ約翰伝第一章の総論を見よ)。
ロゴス支那の一個人に化身して聖人を起せり、其感化はヒマ
レヤ山の北部を圧す。ロゴス印度の一個人に権化して仏陀を
           ア ジ ア
生めり、其大慈悲心は亜細亜全洲を照らして余す所なし。ロ
  士−た
ゴス復一個の人格となりて猶太を往来せり、其英気樽愛は今
 ‡■さ
や方に世界人類を霊化しっ、あるなり。ロゴス大国家魂とな
りて未だ頼現し来らずと維も、其化身は豊に一個人に止まる
べきものならんや。吾人之をキリストに開く、神の国は必ず
顕現すべしと、神の国は則ちロゴスの固なり。神の国の顕現
 キリスト                                かつ
は基督以来クリスチャンの最大理想なり。彼等嘗て之を教会
発展に於て観想し、其聖なる公同教会に於て之を実現せしめ
んと熱中せり。其高大なる志望は吾人の驚嘆を憲起するの価
値ありと錐も、彼等は国家の神聖を無視したるを以て共志望
を逢すること能はざりき。国家は其神聖を侮辱せらるべきも
のにあらず。爾来欧米のクリスチャンは其国家に於て神の国
を実現せしめんと企図したるや否、吾人之を知らずと錐も、
大日本帝国は奮進邁往して之を実現すべきものにはあらざる
可きか。其大日本魂は此理想を実現せしむべき霊化あるもの
にはあらざるか。ロゴスは一個人に権化してすら、其権威拒
むべからず、そが国家に化身して顕現し来らんか、其権威の
壮大なる、其感化の深遠なる、吾人の想像せんと欲するも能
はざる所。
う72
彗 革
 現今の日本魂は名誉の為に振ひ、覇気の為に揚り、又は義
務の為に起つといふ。然れども日本魂が其由て来る大本源を
自覚するときは、豊に名山誉といはんや、豊に覇気といはんや、
豊に義務といはんや。此魂が其由て来り又其栄えゆく将来を
                とうとう                     ほとばし
確信するときは、冶々として天地の大本源より造り、渾然た
る大慈悲心となり、大博愛心となりて億兆に臨み万国を照ら
すに至らんこと知るべきのみ。其公明正大の元気を呼吸して
活動し来る光景は、豊雨雪風雷の自然的変動に比すべけんや。
大日本魂が其由て来る所に潮り、大悟してそが天長地久栄え
行く将来を想望し、国民の罪悪と奮闘勇戦し、聖霊のバプテ
スマを受くるに至らんか、是時こそ大日本魂がロゴスの化身
となり、大日本帝国が神の国と霊化すべきの時なれ。是れ開
   ほうふつ
閥以来彷彿として支那の聖人に顕現し、又猶太の予言者やギ
リシャの賢哲の観想に顕然として存在したる大理想にして、
                          あ あ
未だ嘗て円満に実現したることなきものなり。鳴呼朝日花や
        ぎ‥ぎ     そぴ
かにさす東洋の天親々として独り聾ゆる大日本帝国は果して
此理想国を実現し得るの運命を有せざるか。吾人は日本魂を
信ず、又宇宙のロゴスを信ず、神子帝国の実現を信ぜざらん
  とするも得ざるなり。
h篇

参 L
〔『新人』一九〇五年一月〕
弼舶留