朝鮮の牛馬鶏犬



 朝鮮で二十年足らず農業に従事してゐる一友人からの手紙に、斯んなことが書いてある。
 ・・・・=私の長い間の経験に依ると、朝鮮では犬や鶏や馬牛まで内地産のものと心理状挙が違つてゐる様です。
 例へば内地の馬は、放ておいてもやがて必ず主人の側に来り又飼主の家に帰りますが、朝鮮の馬は、放つた
 ら最後、主人を見捨て家にも帰らず、二日でも三日でも野山に遊び暮します。この点は牛も犬も鶏も普同じ
 事です。殊に犬などは至つて意気地がなく、緑に喧嘩もしませんが、又甚だ忠実でもありません。概して頗
 る物質的です・・・∵
 朝鮮産の家畜だけがさうなのか、内地産のものでも朝鮮に置けばさうなるのか。その辺までは書いてないが、
私の想像に依ると、十分に飼糧をやらないからではあるまいか。若しさうだとすれば、之はまた一面に於て、朝
鮮の農家が如何に疲弊を極めて居るかを物語るものでなくて何であらう。農民の疲弊が家畜の性質をまで変へた
とすれば、朝鮮の統治を預つて居る日本としては、もつと慎切に考ふる所がなくてはなるまい。
                       つ
 猶ほこの手紙の末段に、昨今米価の低落に伴れて、人夫の賃銀も終日働いて男は五十銭、女は二十銭まで下つ
たと書いてある。之で一家族の生活を支へねばならぬのでは、成る程家畜に物を食べさす余裕のないのは怪むに
足らない。それでも大多数の農民は不平もいはず一生懸命に働いて居るといふ。それだけ我々日本人は彼等に対
してノ層大なる貫任を感ずべき筈ではないか。              〔『婦人公論』 叫九二七年二月〕