加州排日立法の対策


     〔カリフォルニア〕
 米国加 州に於ける排日騒ぎは久しいものだが、昨今更に峻厳を極むる土地法の改訂を一般投票によつて決
せんとするの新運動が初まつてから一層我々の神経を悩ますこととなつた。今日までの形勢によれば、一ケ月後
に行はるべき一般投票の結果が予定通り排日運動者の希望を満足すべきは疑を容れない。斯くては在留同胞の利
                                                     こぞ
書の上から見ても、又日本帝国の面目から云つても由々しき大事である。獣仰視するに忍びずとして我国の朝野挙
つて之を問題にして居るは怪むに足らない。
                ここ                         さか
 排日運動の由来については今滋に詳述するの必要なからう。只昨今特に排日熱の旺んになつたについては少し
                                            ぎんばう
く我々に於て静かに反省するの必要を認めざるを得ない。米国側の誤解、並びに為にする所あるものゝ洩藷其他
                                              シ ベ リア
いろ〈の理由もあらうが、然し最近ペ於ける支那並びに朝鮮に対する我が官僚軍閥の政策の失正や、西伯利出
                             あわ
兵に伴ふ各種の不利益なる風評やが著るしく彼等の反感を煽つたことは特に我々の注意を要する所である。
 排日運動を中心とする日米間の懸案は土地法にあらはれた差別的待遇の外、移民禁止の間遺もある。即ち現に
在留するものに他とは違つた不利益な待遇を与へてやらうと云ふ問題と、更に新なる移民の来任を拒まうと云ふ
問題と即ち之れである。昨今問題となつて居る所謂紳士協約は後者に属するもので、加州が.一般投票によつて改
                                            わた
訂を断行せんとする土地法は前者に属するものである。最近まで我々は此双方に亘つて日本民族の利益を主張し






ヒトー
‥封


                  や
て来たのであつた。紳士協約を罷めて、之から多数の労働移民を送り得るやうにして欲しいと云ふことは、寝年
                          いわ
議会の質問や建議の上にもあらはれて居つた。況んやどの点から視ても、不道理の明白なる差別的待遇の閏邁に
於ておや。然るに今度は、加州の態度の余りに突撃的なるに遠慮してにや、移民禁止の方は全然之を譲歩する代
             だけ
り、せめて差別的待遇の方丈は我ケの要求を容れて貰ひたいと云ふ事にやつて居る。今の処強て差別的待遇問題
                      みち
の此上の悪化を防がんとせば、此外に疏通の途はつかないのだらう。さればにや昨今の新開が、政府が移民禁止
に譲歩して土地法の改訂を阻止せんとするの廟議を決したと云ふ報道に接しても国民は別に其軟弱外交を責んと
もしない。尤も全然理窟で争ふと云ふのなら、差別的待遇の撤廃を求むるのは聴えて居るけれども、移民禁止の
方まで我々の意見に従はせようと云ふのは余り虫の好過ぎる話かも知れない。併し日本と米国とが今日の様な水
臭い伸でなかつたのなら、移民禁止の問題ですら好ましい問題でないとして取扱止れたに相違ない。
 移民禁止に譲歩して、差別的待遇に関する我々の主張を容れしむると云ふのは如何にも出来さうなやうな話に
聴えるが、併し少しく米国の事情を知るものから見れば、之が又なか〈容易な問題ではない。政府は之につい
て果して成算があるだらうか。九月下旬新開の伝ふる所によれば、政府は幣原大使に対し訓電して、コルビー国
務卿と交渉するの基礎たらしむべき目的を以て次のやうな対策を決したと云ふ事である。(一)米国中央政府の諒
解と其斡旋を得て米国議会に高等委員会とでも云ふやうなものを設立せしめ之をして一般投票を阻止せしめんと
         も
する事、(二)若し此第一策にして成功せざる時は憲法違反の理由を以て訴訟を提起せしめ、排日立法を無効なら
                            ていしよく
しむべき事、(三)之でも尚成功せざる時は国際条約に抵触するの理由の下に、改めて上訴せしめ、法律の拘束力
を失はしむること、此三策の何れかを利府することによつて、兎に角在留同胞の不幸を救ふことが出来やうと云
ふのである。併し此方法は政府当局者の予期するが如く果して実効を収むるだらうか。
くノ
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 高等委員会の設置を勧告して一般投票の阻止に尽力せしめようと云ふも、米国政府は果してかゝる勧告を容れ
るかどうか。之を容れて委員会を折角造つても、果して彼は日本の有利になるやうな意味に於て尽力するかどう
か分らない。更に一歩を譲つて大いに尽力したとしても、加州が果して彼等の勧告を聴くかどうか分らない、故
に単に之れ丈では加州の自由行動を拘束すべく余りに無力ではないだらうか。
 次に憲法の精神に反するの理由で、訴訟を提起すると云ふ方法は形の上では第一策よりも遥かに有効だ。判決
の結果は必ず法律の有効無効を明かにすべく、又従来此種の法律にして無効の判決を受けた例もないではない。
併しながら今度の一般投票が無効のものなら大正二年八月の土地法其物が同じく無効であらねばならない。純法
理論の見解が如何様にあれ、前の土地法が今日まで有効に行はれ来つたと云ふ事は一般投票其物をも一応は有効
の推定を受けしむることになる。併し之は単に推定に過ぎない。憲法第十四章には「州は其管轄内にあるすべて
の人に対して均等なる法律の保護を拒むことを得ず」とあeから、此条章によつて差別的待遇の無効を争ふ法律
的余地は十分にある。そこで此方面から突進すると云ふも一つの確実なる方法に相違ないが、併しいよJ・1出訴
したとして米国の裁判所が急速に之を判決して呉れるかどうか分らない。現に繋争中の小沢某氏の帰化権に関す
る訴常についでも明かなるが如く、米国の裁判官はなか〈常識に富んで居るから、此種のデリケートな渉外的
問題についてはなか〈急速な判決を下さない。彼等の腹は恐らく斯う云ふ事を考へて居るのだらう。之を米国
の有利に判決すれば日本が承知せず、又日本の有利に判決すれば国民が承知せず、何れの勝利に判決を下しても
日米国交の波瀾は免れない、然らば斯くの如き訴訟は何れ米国が譲歩するか、日本が譲歩するか、自ら外交上定
まる所あるべきが故に夫れ迄決定を延期して居つた方がいゝと。斯くして彼等はいろノトの口実を設けて、何時
までも延期に延期を重ねると云ふ態度を取るに相違ない。斯くては此第二策によつて急速な解決を見るの望も亦
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      ちなみ              もと
甚だ少ない。因に云ふ、土地法が加州の憲法に戻らざるや否やの問題もあるが、之は法律上の議論としても余程
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六つかしい。のみならず訴訟の上で争ふと云ふ事になれば、日本の有利に解決せらる、の望みは殆んど全く無か
ら、つ。
 第三、条約と抵触するの理由を以て訴訟を起すと云ふ方法も亦前と同様、甚だ実際的見込は立ちにくい。法律
間是としては争ふの余地は大いにある。そして憲法第六章は条約と抵触する一切の法律は裁判官を拘束するを得
ずとあるから、之によつて確実に法律の無効を主張する事は出来る訳だ。併しながら裁判官は恐らく容易に判決
を下さないであらう。
 斯く観ると第二第三策は、確実なるが如くにして而かも殆んど成功を見るの見込は無いとすれば、我々は是非
                                  きようこ
共第一策によるの外はない。而して加州の決心は又頗る輩固なるものがあるかむ}第一策に成功せんとせば勢ひ
                                                    たやす
中央政府をして盛んに威力を加州に加へしめなければならない。併し州権尊重の念の強い各州が果して容易く中
央の勧告を容るゝだらうか。先年学童問題につき日米両国の関係緊張を極た時、時の大統領ルーズヴエルトが高
圧手段を以て加州に特殊の圧迫を加へた事があつた。其結果単に州確保護と云ふ立場のみから加州に応援を申し
出したものが頗る多かつた。故に強ひて中央が威力を州権に振ふと云ふ事になれば、事によると内乱を挑発しな
いとも限らない有様であつた。今度はあの時から見ると事情が一層進んで居るのみならず、米国に於ける一般排
日熟も頗る高潮に達して居るから、中央の圧迫の結果が如何様に進むか分らない。従つて彼国の中央政府に専ら
迫つた所で、州の事は如何ともすることが出来ないのである。換言すれば、中央は最早や州を動かすことは出来
ない。若し滋に州を動かすものがありとせば夫は只一つ民間の輿論あるのみである。然らば我日本は、米国民衆
の輿論を開拓する上にどれ丈け努力して居るか、甚だ心細い。
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      すで                                       あ
 何れにしても已に在住するものに露骨な差別的待遇を与へるのは明白に不当である。此不当に対して我々は厭
                                               かしやく
くまでも米国に抗議する。我々の要求に面を背けて何処までも改むる所なくんば、我も亦遂に仮借する所なく報
復の手段を取るの外はあるまい。併し我々の対策は此処に尽きるのではない。更に他面深く此等の点に就いての
原因を研究して根本的に覚醒改革する所なければならない。此覚悟があつてこそ我々の報復にも意義が附く、之
     ひたすら
れ無くして只管威力を弄ぶのは、所謂暴に報ゆるに暴を以てするに過ぎない。我々は不正に対しては何処までも
                  つまぴち                      ちゆうちよ
争ふ。けれども同時に其因つて来る所を詳かに窮め、改むべき所あれば直ちに之を改むるに躊躇しないのである。
                                        〔『中央公論』一九二〇年一〇月〕