支那・朝鮮の排日と我国民の反省
朝鮮支那の騒動
今年の三月朝鮮に騒動が起つた。莫大な兵を動かして、どうかかうかヤツト鏡め得た事は読者の既に知らるゝ
通りである。五月からまた支那に排日運動が起つて居る0直接日本の手に及び難い所ではあるが、.此方は近き将
や
来に於いて急に飲まりさうもない。兎に角、物質上から云つても精神上から云つても、日本に取つて大いに不利
益な出来事たるは言ふまでもない。殊に之れに依つて自ら誇林する東洋の盟主としでの日本の名誉が見る影もな
く傷けられた事は我々の如何にも残念に思ふ所である。而して当初我国の官民は、此等の騒動の原因を一部不蓮
の陰謀家の教唆に帰したり、東洋に於いて日本と利害を異にする外国人の煽動に帰したりなどしたけれども、斯
▲王る
くの如きは仝で事実を故意に曲解する僻見か、然らずんば巧みに責任を他に転嫁せんとするの好計に出づるもの
であつて決して竜末も事実の真相に触るゝものではない。而してこんな謬見を今日尚懐いて居る者の少からず
ひそ
ぁる事は吾々の私かに遺憾とするところである0今日は何処の民族だつて容易に他人の煽動に乗つて動くもので
はない。よしんば他人の煽動が無ければ容易に動くものでないとしても、少くとも一旦動き出したからには最早
必しも煽動家の証文通りにのみ動くものでないことは明である0そこであゝいふ大騒動になつた以上は、煽動者
の有無如何に拘らず吾々は直ちに彼等民族の間に動もすれば日本に反抗する様になる深い根砥の潜んで居ること
み のが
を見免してはいけない。
くノ
0
1
然らば閏ふ0何が故に朝鮮人や支那人は斯程まで吾々日本を嫌ひ且つ憎むのであるか。
朝鮮人の排日の理由
抑も朝鮮人の独立運動は、天道教や耶蘇教の煽動で初めて起つたものではない。若し此等が多少の関係ありと
できもの さき
するならば、張り切つて居つた腫物をウツカリ突き破つた針の尖位の役目を務めたものに過ぎない。機会があら
ば、あんな大騒ぎになるだけの排日の気分が、かね′ぐ朝鮮人の間に宿つて居つたのである。然らば何んで朝鮮
人は斯程まで日本を嫌つて居つたのかひ
三自にして其原因をいひ尽さうとするならば、日本は朝鮮を亡国扱ひにして居つたからである。或意味に於い
て朝鮮はいかにも亡国であらう○然しながら夫の日韓合邦は、決して日本が朝鮮を征服したといふ形で出来上つ
たものではなかつた0甲と乙と寄合つて新世帯を作るといふやうな意味が併合の詔勅の中にも現れて居る。併合
の後も吾々は盛に何千年来の歴史を説いて、両国民族の親密ならざるべからざるを説いて居る。而して此等の表
向きの理屈は、朝鮮人に従順を要求する時には能く説かれたけれども、日本人の方が丁向さういふ気分になつて
ゐなかつた0官吏も人民も悪く皆征服者の騎慢を以て朝鮮人に臨んで居つた。甚だしきに至つては敵国扱ひにし
て、例へば今度の戦争中独逸人を取締つて居ると同じやうな圧迫をば、彼等に加へて居たのである。見よ、朝鮮
全土は隈なく憲兵を配置されて、宛で戒厳令を布いたやうな状態で治められて居るではないか。日本では例へば
まる
〔務〕
田舎に行つて見ると、警察は皆県知事の管轄の↑に在る0けれども、朝鮮では道長官と警察部長とは全然独立で
ある〇七ふよりも実は警察部長が実際の支配者で、長官は飾り物に過ぎない観がある。警務部長は大抵佐官級
の憲丘ハで、是れが中央の警務総監に隷属し、↑に幾宙の憲兵巡査を支配して朝鮮統治の実権を撞つて居る。而し
/0
0
▲
省
反
の
民
一凶
我
と
日
トート一
山ガ
の
鮮
朝
持
可万
支
て文官の飾り物たる関係は中央に於いても亦同様であるから、朝鮮はつまり憲兵の支配するところと言つて可い。
しかのみならず
是れ宛で朝鮮を敵国扱ひにするものではないか。加之、朝鮮と内地人との間には色々の点に於いて差別的待遇
が与へられて居る。上の方の官吏には成るだけ朝鮮人を使はない。使つても同じ役でありながら、朝鮮人の月給
は格別安い、と言つたやうな事は僅かに其一例に過ぎない。其上彼等には全然言論の自由が与へられて居ないか
ら、此種の不平は勿論、其他一般白本人民が彼等の弱きに附け込んで為す所の各種の横暴も、大抵泣寝入りにな
って仕舞ふ。膏に此等の事実が広く上級為政者の耳目に入らざるのみならず、彼等から不平を訴ふるの機会を奪
ふ結果として、終に陰険なる思想を懐くに至らしめざるを得ない。更に又極端な強制的同化政策を採つて居るか
ら、朝鮮人は益々不平を云ふ。斯くして朝鮮人の遂に日本を憎むに至るのは、残念ながら寧ろ当然と言はなけれ
ばならない。要するに是れまでの朝鮮統治は余りに独立民族たる朝鮮人の心理針無視したものであつた0
支那に於ける排日の理由
支那に於いても亦之れと同様の事が言へる。今度の巴里の会議で、能く日本の「朝鮮政策」といふ事が支那間
はや
題に閑聯して言ひ嚇されたやうであるが、此意味は、日本は宛で朝鮮に対すると同じ筆法で支那に対して臨んで
居るといふのである。是れ多少極端な云ひ方ではあるが、日本が支那に於いて出来る丈広き勢力範囲を獲んと欲
し、而かも夫等の範囲内に於いては独得の支配権を樹てゝ相当に土人を圧迫したといふ事実は、不幸にして十分
に此批難を反証し得ない。圧迫された者は素より平かなるを得ない。直接圧迫されない者でも、自国の一部の揉
もち
欄に憤慨して、日本に反感を有するに至eのは決して怪しむを須ゐない0
いじ
斯ういふ傾向は、実は日露戦争頃から始まつた。日本が支那を苛めた最初の幕は、日活戦争であるけれども、
7
0
1
其後露西亜の蚊屁があつた為めに、支那は寧ろ日本と結んで露西亜に当らうといふ訳であつた。だから日露戦争
前後は支那と日本とは非常に親睦であつた○然るに日露戦争が終つてから、日本はま那に取つて第二の露西亜と
びいき
なり、それから段々彼等は吾々を嫌ひ始めたのである0壷日本晶負といはれた衰世凱までがそろ〈排日の鋒
笹を露し始めたのは、明治四十年の暮頃からである0共後日本は更に支那の政争に千人し、妄を授けて他方を
こぞ
庄へ、斯くして授けたる妄から特別の利権を収めんとする0為めに支那の国民は漸く挙つて憤慨の情を懐くや
うになる0而して日本から授けられた者自身も亦授けられてゐる間は表面黙つて居るもの\恐らく真から日本
の態度を快しとするものではあるまいむ而して日本が支那に勢力を張る為に採る斯ういふ遣り方は、欧洲戦争の
開始後更に甚だしくなつた○恰も鬼の居ぬ間の洗濯をするといつたやうな風で、国民の怨府となれる投破彗派
\
を極力授けて頻りに我国勢力の拡張を図つた0それが為めに我日本は何れ丈支那民衆の憤慨を深うし、更に欧米
諸国の誤解を強めたかわからない。
更に一歩を進めて考へて見ると、日本の官憲が相手にした支那の連中は殆ど悪く選択宜しきを得てゐなかつた。
人はよく言ふ0段棋瑞の諒は支那に於小て最も有力な政治家であると0然しながら彼が長く国民怨府の中心で
あり、壷は日本の後援に依つて辛うじて共勢力を保ちし者たることは疑を容れない。之れに色々の援助を与へて、
そして日本の便宜を図らしむるのは、謂はゞ大家の道楽息子に高利の金を貸すやうなものではないか。尤も日本
の官憲が段祓撃派を授けたのは、支那は武力に依つてのみ統一し得べきものとした誤解にも因るだらう。然し
何れにしても、日本の官憲は支那の多数の国民が熱心に排斥せんとした者ばかりを授けた事だけは疑ひないご」
れでも国民が日本を怨むのを間違ひだと言ひ得るだらうか。
更に日本が今日猶ほ主として授けて居る地方督軍の誰彼に至つては、随分ひどいのがある。日露戦争の頃馬欺
▲8
0
1
省
反
の
】民
国
我
と
日
.ヒト■
】ガ
の
鮮
朝
持
刀刀
支
となつて所領特別任務を帯びて満蒙の奥に秘密の活動を為した日本将校の雇備に応じ、可なりの勲功を樹てたの
もと か
が固で、之れに報いるが為めの意味から、日本が非常に骨折つて遣つたといふので、今日の地位を鹿ち得た者も
ある。けれども彼等の前身を洗つて見れば、中には宿屋の番頭をして居つた者もあれば、遊廓の妓夫を勤めて居
った者もある。政治などといふ頭のテンデ無いは勿論、甚だしきは目に一丁字無き者すらある。こんな連中が督
軍だの省長だのと威張つて居るのだから、国民の不平を云ふのも無理はない。而かも彼等が省長督軍であり得る
のは専ら日本のお蔭だと考ふるならば、此等の馬賊上りの督軍に対する反感が転じて日本に向ふのは亦無理もな
いではないか。
要するに吾々日本は支那に於いても、朝鮮に於けると同じ筆法で、怨ぜれもすれば憎まれもして居るのである。
支那朝鮮に於ける最近の騒動の誘因
右述べた通り、支那でも朝鮮でも共に排日の考への起るべき下地は残念ながら十分に熟して居つた。双何んな
にそれが熟しても、民衆一般の運動は何等か之れを突つつく直接の誘発物が無ければ起らない。而して此誘発の
原因は或は第三者の煽動であることもあるが、然し私の観るところに依れば、是れは矢張り欧洲戦争の結果であ
ると思ふ。蓋し欧洲戦争の結果として民主主義、民族自決主義といふやうな考へは非常に勃興し、戦前に流行つ
た軍国主義などはもう遥かに時勢後れなものとなつた。それに土人彼自身の智的開発も亦助を為して、支那朝鮮
に於ける民心は最近著しく進歩発達を遂げたのである。これに勢を得て遂に今日の様な形勢が出来上つたのであ
る0
只両者の間に幾分違ふ所は、支那では先づ自国に於ける官僚軍閥を排斥するといふ考から起り、而して之れを
(ソ
0
1
かねノぐ授けて居たといふ意味に於いて日本を排斥するといふ事にまで進んだのであるが、朝鮮のは民族自決主
義といふやうな思想に共鳴して、謂はゞ外部の刺戟によつて初めて凝ったのである。何れにしても共に国民的の
深い根抵があつて起つたものである事を見免してはならない。
誰が此責任を負ふか
今や軍国主義の排斥、民主思想の勃興は世界の大勢である○我国も亦到底此大勢に逆ふことは出来ない。そこ
で昨今我国でも此意味の改革が段々要求せられて居るが之は歓ぶべき現象である。即ち日本国民は昨今此新しい
思想に余程傾いて来たと言はなければならない。
けれども事一度外交の開港となると、此点はまだ十分ではない0是れ三には従来外交の事は秘密に附せられ
て居つたので、外国の事情が十分知られてゐないといふ革もあらう0然し外国の事情が解つて居つたとしても、
兎に角国民の思想はまだ頗る単純で、日本の勢力範囲が外国に発展したとでも云ふと、他の事は深く閏はないで、
竺も二もなく之れを喜ぶといふ癖がある0新開などでも時々十分此癖から脱け得ないものもあるやうだ。従つ
て政府が時々間違つた政策を執つても、十分之れを答むる所以を知らずに過ごし、知つても亦十分答めようとも
しない0此点に於いて、対支対鮮の政策を誤つた者は官憲であるけれども、之れを十分に答めなかつた国民も亦
其責任の一半を分たなければならないのである。
然らば日本国民は元来侵略的か
右の如く申すと、日本国民が元来侵略的であるやうに闘えるけれども、是れは必ずしもさうではない。尤も今
0
⊥
ュ
l_
省
反
の
民
国
我
と
日
トこ「
山ガ
の
鮮
朝
けKur
前方
支
日までの日本」国民は誤つて多少侵略的政策を喜んで来た、又は少くとも之を支持して・釆たといふ事実は、正直の
ところ隠す事は出来ない。これだけの事実を観て、西洋人の中には往々黄禍論などを唱へる者があるけれども、
然しこれは必ずしも日本国民本来の性格が侵略的であるといふ断定にはならないと思ふ。然らば何故に本来侵略
的でない日本国民が一時誤つて侵略的政策を支持するに至つたか。それには実は歴史上の沿革がある。
歴史上の沿革といふのは斯うである。明治維新の前後以来、日本は陰に陽に外勢の圧迫を感じて居つた。そこ
で、常に如何にもして彼等と同等の程度まで発展したいものだといふ熱望があつた。而して当時吾々の心配の種
となつた外国の勢力とは取りも直さず外国の兵力である。そこで彼等と対等の域に進まんとする努力は、必ずや
きつこう
彼等と譲碩し得る所まで日本の国防を充実せねばならぬといふ事に来なければならない。さういふ所から今日吾
々の先輩たる元老の政治家連は口では何と言つても、腹の底では国防といふことが実に国家の政務中の一番大事
なものとする考を懐くに至つた。総べて此精神で行くから、朝鮮に於いても支那に於いても、何時でも軍国主義
的に自づと出て行く様になるのである。根本が其処に在るから、動もすると同じ筆法を何処にでも応用するとい
ふ事になり易い。最近西伯利亜で日本官憲の活動が間邁となつて居るのも是れが為めに他ならない。
更に一歩を進めると、此考はやがて又国防の事には外部の容啄を許さないといふ方針になる。滋に於て軍人は
一種の閥をなして一般政界の外に立つ様になる。更に之がまた一歩を進める七、外部の容啄を許すまいといふこ
とで固まつた軍閥は、今度は自分の方から色々な国家の政務に干渉する事になる。最も甚だしいのは東亜の関係
の外交事務に兎や角文句を入れることである。斯うなると最早軍閥の横暴を説かざるを得ない事になる。世間で
はよく政府の外務省か、又は参謀本部の外務省かと罵倒する者〔も〕あるが、之も観様に依つては尤もの話である。
斯ういふ風にして、日本には軍閥といふものが抜属するやうになつた。軍閥が国民の輿論に飽迄も反抗して百
1
1
1
たと え
般の庶政に干与するやうになつた0さういふ所から縦令国民一般が段々開明の域に進んでも、並大抵の事では頑
迷なる官僚軍閥の態度を改めしむる事は出来ない0是れ昨今民間の輿論が進歩的になつたに拘らず、其影響が殆
ど何の変革をも実際社会に及ぼし得ざる所以である。
こればかりならまだ可い0前にも温べた通り、此大事な国防の仕事に兎や角第三者の容啄を許してはならない
やが
といふ所から、躾て軍事に関する一切の活動は全然普通の政務を取扱ふ内閣から独立のものとした。国防の為め
丈けにはこれでもよからうが、これより日本は実際に於いて二重政府を戴く事になる。否、物の勢ひは此処に止
まらない0之等の事情からして国民の啓蒙も亦一般に大いに傷けらる、所があるは多言を要しない。
けれども幸にして欧洲戦争の結果、国民は今や著しく覚醒し始めて居る。又事実上の教訓から云つても、今日
の時勢に於いては到底軍国主義ではいけないといふ事が明かになつた。今のところ軍閥の蚊屁が中々強いので、
思ふ通りに改革の努力も効を奏しそうにないが、然し何れ早晩民間の輿論が遂に軍閥を抑へるの日が来るに相違
ない。又来らせなければならない。
東洋の盟主としての道徳的責任
斯く論じて来れば、日本が支那朝鮮に於いて非難さるゝのは、確かに日本夫れ自身にも責任がある。而して我
等の今日現に蒙つて居る札弾は、大部分軍閥の負ふべき所と思ふけれども、国民も亦全く罪が無いではない。此
点で反省して、吾々が十分に朝鮮人にも支那人にも、尊敬と同情を持ち、自分の非は何処までも之れを非として、
他日に改むるを期しっつ、単純な誠実な態度を以て進んだ1でなければ、彼等の誤解を誤解として幾ら論弁して
も、幾分の身能もなからうと思ふ0支那朝鮮の暴動の原因は、無論彼等民族の誤解にも在るが、然し最も多くの
2
▲
l
淵淵瀾瀾瀾瀾璃祁∠.Lノミ′。
省
反
の
民
国
我
と
日
トヒ「
潜
の
鮮
朝
持
刃万
支
ユノ
ュ
l
責は我国の官僚の負ふべき所にして、又国民全体の反省を促すべき方面も少いとは言へない。今後の日本人が此
点に処して能く誤りなきを得るにあらざれば、東洋に於いて我等の志を伸ぶる事は断じて出来ない。況や従来の
日本の態度に就いては、欧米各国も共に概して猫疑の目を以て観て居るに於いてをや。
〔『婦人公論』一九一九年八月〕