欧洲戦局と波蘭民族の将来
一
今日の欧洲戦争を政治歴史の上から見ると、種々の面白い事が多い。之れは単に現に戦争に関係してをる独嗅
及英仏露の諸国に就て興味が多いばかりでなく、夫等の国の間に介在してをる諸々の部分的の民族関係の上に非
常に面白いのである。其中でも尤も興味の多いのは独仏の境上に於けるアルサス・ローレーンと、嗅露の境上に
ここ
於けるガリシア及び独嗅露三国に跨つてをるポエフンド民族である。法では其中のポーランド丈けを取つて、今
回の戦局との関係を簡単に述べて見たいと思ふ。
ボ・−ランド
波蘭と云ふものは目下既に戦争の終局を予想してをる人の頭に、問題に上つてをる。若しも戦争が多くの人
ロ シ ア
の予想するやうに、結局独嗅の敗北に帰すると云ふと、独壌は旧ポーランド領の大部分と云ふものを露西亜に割
譲する事になるだらう。而して露西亜は此割かれたる波蘭領に自国領のポーランド地方を加へて、之に広大なる
自治権を与へ、一のポーランド国と云ふものを作るだらうと云ふ風に見られてをる。波蘭の事は又戦争の初めに
於ても世界の問題に上つた。夫れは露西亜皇帝が卒先して、ポエフンド人に対して政治上自治権を与ふるの詔書
を発表されたと云ふ事である。然も其詔書は独り自国領のポエフンドばかりでなく敵国内に於ける波蘭人に対し
ても発せられたのである。斯くして露国はポーランド民族の歓心を買ひ、之を村独嗅戦争に利用せんとしたので
ある。夫れ丈けポユフンドと云ふものは今度の欧洲戦争には余程面白い関係を以てをるのである。
うう
ポーランドが昔欧洲の真申で、隆盛を極めたる王国なりしは、今更申すまでもない。而して先づ一七七二年八
月、露、普、襖の三国に分割せられ、次に一七九三年一月、露普の二国に分割せられ、一七九五年十月三度び露
普襖に分割せられて全く滅亡して仕舞つた事も歴史上に明かなる所である。之より旧波蘭王国と云ふものは三介
しかしながら
して各露普襖の支配を受くる事と成たのである。乍併ポーランド人は決して亡国の民を以て安ずるものではな
やや
い。ポーランドの亡国を論ずるもの稀もすればポーランド民族と云ふものを勢ひの衰へた人民であるかの様に考
ふるけれど、波蘭亡国の原因は時の為政階級たる貴族官吏の腐敗であつて、人民全体には夫程責任がないのであ
る。つまり人民は腐敗に腐敗を重ねた上流階級に国を売られたので、国民全体夫程腐敗してゐなかつたのみなら
ゼ ル マ ン
ず、少くとも当時の欧洲に於ては尤も開明の民族で、露西亜、日耳鼻の諸民族よりも寧ろ高い文明を有して居つ
たのは事実である。故に彼等は分割はされたけれども決して露西亜やプロシヤ等の支配に甘んずる者ではなくし
て、常に波蘭民族性の維持を主張し、旧波蘭王国の再興を求めてやまなかつた。此要求の尤も盛なるものは、露
オー・ストHソア
領ポーランド地方である。之れ露西亜に割かれたるポーランド地方は人口に於て、他のプロシヤ、襖太利に割か
れたる部分に比敵するのみならず、汲国の首府ワルショウを有し、最も発達したる地方を色合してをつたからで
き はん
ある。ナポレオンのために一度之れ等のポーラ〔ン〕ド地方は露西亜の鴇絆を脱したが、一入一五年のヴインナ会
議はポーランド民族の要求を参酌して、露領波蘭のみを以て一の白から治むる王国となして、露国皇帝の下に之
を置く事にした。夫れでも人民は不服であつて、常に全然独立せんことを図つてをつた。然して其独立運動は一
八三〇年十一月の一揆暴動を以て極点に達し、其結果却つて独立自治を奪はれ、一八三二年二月遂に露西亜の一
わ
州となり了はつた。次で一人六三年にも独立運動があつたが、之れも間もなく露国軍隊の破る所となつて、一人
六七年全然露西亜の専制の下に服する事になつたのである。近年に至つて、露国の同化政策が盛に行はれてをつ
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欧洲戦局と波帝民族の将来
たが、日蕗戦争後の革命以来稽や寛大になり、露語並びに波語を学校で教ゆる事を許さるゝ様になつた0然しポ
ーランド人の独立心は今猶非常に強烈にして露西亜に対しては特に非常なる敵憬心を持てをる0日露戦役後多少
寛大の政治を行ふとは云へ夫れまでの露国の高庄武断の政策は彼等の到底忘る能はざる所である0彼等は法律上
露西亜臣民であるに拘らず彼等自身は決して露西亜人であるとは云はない0若し我々がむ卦か僻鮎辺に於て露領
の波蘭人に会つて、貴下の国簿は何処かと尋ねると彼等は必ずポユフンド人と答ふるに相違ない0其場合に我々
が現今波蘭と云ふ国がないと云ふ事を指摘して、法律上露国人たるべき事を云ふならば、彼等は奮然として怒り
を発すであらう。斯様な民族が露西亜の西方、独嗅と墳を接する地方に蜂居してをる0かう云ふ民族の間を通過
するにあらずんば露国は大兵を独壌の境内に入る毒が出来ないのである。然も波欄人は露国に警尤も影j
たる人民で、プロシヤ附近は露国にて尤も産業の発達したる、富有なる地方であ、誉」とを思ふ時に、露西亜は如
何に是等の地方に対して、今度の戦争に就て苦心したかゞ想像せらるゝのである〇
二
ポーランド人が其支配者を嫌ふと云ふことは露西亜のみならず、プロシヤでも同様である0プロシヤの東方、
ポーランド
露西亜と国境を壊する地方には約四百万の波蘭人が居る0プロシヤは之等の民族を同化せんとして非常に厳格
なる抑圧政治を行つたが、さらでだに独立心のつよい波蘭人は益々之れに激して反抗の気勢をあげたのである0
そこでプロシヤの東に於るポユフンド人と、独人との争と云ふものが、久しい間の問題となつて、特にプロシヤ
の西部ウエストフアリア地方に工業が勃興して来るにつれ、波蘭人と雑居せし独逸人が段々西方に移住し、為め
に東方に於ける独人の勢力が段々減退するに及んで、プロシヤの政府は大に驚いたのである0そこで莫大の金を
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投じ、有ゆる辛辣なる手段を以て妄には波蘭人を圧迫し、他方には此地方に於ける独逸人の勢力を人為的に助
長せんとした0然るにポーランド人は却つて之に赦せられて敵慢心を増し、壷協同してプロシヤ政府の同化政
策に反抗し、更に進んでプロシヤ政府の有ゆる政策に反対を試みんとしてをる0此政府村苧ランド人の争は局
外から見れば誠に壮観である0而して今星の処、波蘭人は着々勝利を占め、独人の勢力は日に〈減退してを
る0現に汲蘭人はプロシヤ政府の勢力に反抗する目的を以て宗政治的団体に纏まり、十八人の代筆を議会に
送つてをる0之等の議員は常に社会民主党と結托して政府反対の有力なる分子をなして居る事は人のよく知る所
である0斯う云ふ風にポーランド人は極力独逸の政府に反抗してをるのであるから、之又露西亜に於ける波蘭人
の様に所謂攣丁身中の虫であつて、今度の戦争に於ても、独逸政府の尤も苦心した事であると思ふ。
終りに襖領の苧ランド人は如何0此方は他の二固に於ける同族よりも余程いゝ地位に居る。襖太利にては波
蘭人の尤も多く居るのはシレジヤ、モラヴイア及びガリシヤの地方であつて、之等の地方はボヘミヤ人又はルセ
アニア人とポーランド人との雑居する処であるから、波商人は直接ゼ〜マン人と交渉がない。彼等は唯だ妄ボ
ヘミヤ人に村し、他方〜セアニヤ人に対して反抗して居るのである0而してボヘミヤ人は今日のボヘミヤ地方に
警ゼルマン人と尤も仰が悪いから、ポーランド人は却つてボヘミヤ人を協同の敵とするゼルマン人と提携する
の傾きがある0されば襖太利に於ては素よりゼルマン人が我物顔に振舞つては居るけれども、民族関係の複雑な
るだけ、他国に於けるが如く異民族の虐待がなく、殊にポ与ンド人は其中にも好遇せられてをる方で、帝国議
会に於ては波蘭人は多くの場合に於てゼルマン人と結托し、其領袖にして蜃々宰相の印綬を帯びた人もある。今
日聯邦政府の大蔵大臣べリンス亨の如きは波蘭人であるが皇帝の覚えも目出度いと云ふ事である。斯う云ふ次
第で襖太利ではポーフンド人はたいして政府に反対ではないから、此度の様な動員の場合に警も、露独両国に
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欧洲戦局と波繭民族の将来
於けるが如き苦心はなかつたと思ふ。けれども彼等が露独両国に於ける同族と提携して、将来独立の国家を建設
しゃぅと云ふ希望を有する事、少くとも露独両国に於けるポーランド人と同胞であると云ふ、つよい意識を以て
居ると云ふ事は争ふべからざる事実である。一九二年十二月余の彼地滞在中、襖太利の衆議院に於て、一人の
ポエフンド出身の議員が次の様な緊急動議を出した事がある0日く「露西亜政府は波蘭領の一県セルムを割きて
露西亜の一州に加へたり。之れ一人二九年ヴインナ会議にて定めたる旧波蘭領土不分割の原則に反するが故に、
政府はよろしく調印各国に通知して抗議を露国政府に提出せしむべし」と○之れに依つて見ても、彼等の意気込
は分る。故に嗅太利領のポーランド人と云ふものは、別に嗅太利国政府の帝絆を脱したいと云ふ熱烈なる希望は
ないとしても、万一露独に於ける同胞が合して一に纏ると云ふ時には、自分も之れに合体したいと云ふの希望を
抱くであらうと思ふ。
今日波蘭人の全体の人口は露領約二十万、襖領五百万、独領四百万で、合計約二千万であつて、一独立の国家
をなすに何の不足はない。今日までの処は、露西亜、独逸、嗅太利と云ふ強大なる国家の支配に属して居るから
して、其支配を脱すると云ふ事は到底不可能であると思はれて居つた0然し独立再興の運動は決して昔から絶え
たのでなく、彼等は現に之まで種々の秘密結社を作つて此事を計画してをる0中にもパウル・リーデルスキーを
長とする秘密結社の如きは、他の各種の秘密運動と同じく、倫敦に本部を設けて、内々盛に活動して居ると云ふ
事である。此度の動乱に際して之等の連中は必ずや暗中に大飛躍を試みてをるに違ひない〇
三
波蘭人の欧洲に於ける地位は以上に述べたる如くであるが、然し如何にあせつてもポーランド人は彼等自身の
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運動のみによつては、到底独立回復の望みはあるまい0然し露独などが進んで彼等に其希望を逢する機会を与ふ
ると云ふ事は、殊に今日の場合には決して不可能の事ではない0夫れは独領に於ける彼等は独逸政府に反対し、
露領に於ける彼等は露国政府に反対して、纂の戦争に於て彼等は無条件では快く本国を助くる者でない。けれ
ども独領のポーランド人は独逸政府と反対であるからとて、其敵国たる露西亜の便宜を図ると云ふ訳にも行かな
い0何となれば露西亜も亦彼方に於ける同胞を虐ぐる所謂波蘭民族の敵であるからである。此の点は露領ポーラ
ンド人も同様である0斯くして露独に潜がる苧ランド人と云ふものは各本国を助けもしないが、又之を妨げて
たまた
敵の便宜を図る事も出来ないと云ふ、壷奇妙な境遇にあるのである0而して此事は偶ま露西亜若しくは独逸の
聡明なる政治家に活躍の機会を与ふるものであつて、即ちある有利なる条件を提げて、波蘭人を味方に引入る、
事の出来る余地があるのである0即ち波蘭人の民族的要求と云ふものを聴用すると云ふ条件の下に且つ此条件を
他日必ず実行すると云ふ誠意を了得せしむる事に成功するならば、波蘭人を自分の味方に引入れると云ふ事は必
ずしも出来ない事ではない0果せるかな、露国皇帝は開戦早々全波蘭民族に対して将来完全なる自治を与ふべき
詔書を発せられた0之れが事実とすれば、且又波蘭人は此露西亜皇帝の誠意を信じたとすれば、之れは露西亜に
ま
とりて非常な強味で、独逸は此点に於て非常なる失敗をしたと断言せざるを得ない0此点は尚ほ後報を侯つて論
断せねばならぬのであるけれども、兎に角露西亜側は余程波蘭民族の精神的助力と云ふものを得てをる様に見え
る0独逸の外交は此点に於ても大に失敗して居るやうである。
露西亜皇帝が前述の約定をせられたと云ふ事によりて見ると、其当然の結果として露西亜皇帝は、戦争に勝利
を得て平和の局を結ぶに当り、独襖二国に対して旧ポーランド領の割譲を迫り、而して之を自国領の波蘭人に与
へて、彼等をして絶つた一国をなさしむるの義務がある0之れも軽々には予言が出来ないが、今臥まで到着した
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欧洲戦局と波蘭民族の将来
る断片的な電報を綜合して判断すれば有り得べからざる事と云ふ訳には行かぬ0若し此波南国と云ふものが、王
国の形か共和国の形か知らないが、兎に角一国として成立を見ると云ふ事になると、之れは世界の将来の上に非
つまぴら
常に重大なる影響あるを考へねばならぬ。此点は審かに論ずれば際限はないが、簡単に結論丈けを云へば、
〔延〕
第一、波蘭の独立は露、独、嗅三国間の緩衝地となり、是等相互間の衝突の機会を少からしめ、引いて世界の
平和に貢献する処甚大である。
第二、露、独、嗅三国は波蘭あるがために直接に国境を接する部分が非常に少くなるからして、従来の如く国
境に広大なる兵備をなすの必要がなくなる。之一には世界の平和に貢献し、二には之等三国をして幾分軍備の負
担から免かれしめて、一層文化の開発にカを注がしむる事が出来る所以である0
第三、波蘭が露西亜の斡旋の下に独立自治を得る事になれば、之に続いて起ら.嶽にしても早晩フヰンランドの
独立自治といふ問題が起るに相違ない。若しフヰンランドがポーランドと同様の地位に置かる、といふ事になれ
ば露西亜は南には波蘭、北にはフヰンランドといふ二国を巧みに操縦するの必要上、政治の方針は面目を一新し
て、必ずや自由の立憲政体になるに相違ない。従来通りの武断政治では到底波蘭、フヰンランドの様な民族を心
服せしむる事が出来ないのである。此点に於てポユフンドの独立は一には露西亜の政治的進歩に貢献し、二には
斯くして間接に世界平和の道程の上に一歩を進むるに至らしむるであらう0
第四、更に今一つの影響を述ぶれば波蘭独立の結果フヰンランドが独立自治を得るものとすれば、其結果、
魂魂恥噺が賽露西亜の侵略を恐るゝ原因が消滅し、従つて夫等の国々が無用の資を軍備拡張のために費す
の必要がなくなる。今年三月初旬、瑞典で、露西亜の侵略を懸念する処の国民が、国の四方から国都に集まるも
の数万人、一大示威運動を試みて軍備拡張を国王及政府に追つた事は人の知る所である0もしフヰンランドが自
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治を得たならば斯ういふ様な心配も自然消滅するであらう。
斯ういふ風に考へて見ると、波蘭の統盲治と云ふ事は、其事自身は左程たいした問題ではないけれども、其
直凍間接の結果として、世界の平和に及ぼす影響は非常に大なるものありと思ふから、我等は戦局の進行に伴ふ
てポーランド民族の運命といふものに注意を怠ることが出来ないのである。(九月十五旦
〔『基督教世界』一九一四年一〇月二二旦
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〈Y憩艦■ll