波蘭問題の教訓
講和条約が出来、国際聯盟に関する各種の会合が重ねられても、未決の問題尚頗る多く、動もすれば平和を脅
かさんとする陰鬱なる空気は、殊に附叡山に於てまだ可なり濃厚である。就中、波蘭問題の如きは最近に於て
なかんすく ボユフンド
其最も著しきものである。波蘭問題はチェック・スロヴアック新共和国との国境の劃定について滝可なりの困難
を予想されたのであつたが、昨今は意外にも卸酔酔との間に大いなる蹴蹴が生じ、之がいろ〈な問題と関聯し
て頗る中欧の風雲を険悪ならしめて居る。
露波紛争の差当りの起因は、波蘭の無謀なる野心と之に対する露西亜側の憤激にある。波蘭が旧い民族的伝説
ひ
の無謀なる実現を空想して、不法の侵略主義を試みたことが間遺を若き起した基といはれて居るが、其真に英仏
さ
のブルジョア政治家の隠密の後援はなかつたらうか○而して之に対する露西亜側の憤激も左ることながら、彼等
だ
は又之を対英仏政策に利用せんとしてゐることは極めて明白な事実である。此れ丈け考へても此間蓮は決して単
純な問題でない事が明白である。従つて此事件は、現に欧米の政治家を悩まjて居る各種の複雑なる国際間題の
一つの標本と見てもいゝ。斯く観る時に、我々は此事件の真相を攻究することによつて、現代国際関係に関する
幾多の教訓を学ぶことが出来る。
一体今度の平和を由来せしめた根本の思想から観れば、波蘭間違の如きは決して解決の困難な問題ではない。
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もたら しばしば
所謂平和を粛した根本精神の何かについては本誌に於ても屡々之を述べた。之については根本的に我々と見解を
異にする人も少からずあるやうだが、兎に角我々は近代に於ける世界の人の共通の悩みと共通の悶えとが人道主
か
義の希望に導かれて、過去の歴史に深く根ざして居る幾多反対の思想と悪戦苦闘して、漸く嵐ち得た精神的勝利
なわ
の記念物と見て居るものである○過去の歴史に根ざして居る反対の諸思想は、無論今尚相当に有力だ。之に対す
すで
る悪戦苦闘は今後も,水く続くに相違ない。而して之にも桝bず勝敗の数己に明かなりとする我々と同じ立場を取
るものもあるが、また悪戦苦闘の容易に収らざるを観て、全然前途を悲観する論者もないではない。斯う云ふ立
ア ジ ア
場の人から観れば波蘭問題が紛糾し、其他軒覿軌や中央亜細亜乃至東亜に事件が紛糾するのを観て、当然の現象
だと云ふに相違ない。けれども我々は此等の現象は過去の歴史に深く根ざすいろ〈の伝統、いろ〈の関係が
容易に滅びざらんとして藻掻く苦闘の現はれに過ぎずして、新精神から観ればいは違みの苦しみと観ていゝと
も が
思ふ。我々は新精袖の最後の勝利を信じて疑はない○只産みの苦しみを出来る丈け軽減せしむることは、新生児
〔袖手〕
の将来の健全の為めに必要であるから、今日此俵終始傍観するを得ない。そこで何が新精神の平穏な発展を妨ぐ
いまし
るかを慎重に攻究して自ら教へ又世を警もる必要を認むるものである。
平和を導いた根本思想から観れば波蘭哩題の如きは、頗る簡単な問題だと云ふ事を述べた。何故ならば此等の
問題に関する戦後新精神の規準となるものは、民族自決主義であるからである。特殊の民族には人種、言語、歴
史、風習等を参酌⊥て当然の範囲を認むべく、其範囲は理論1自ら表する所あるべきを以てゞある。然るに之
さんしやく
が理想通りに行かなかつたのは、各民族に民族的利己心が強かつたからである。是に於て我々は理想の正直な実
現を妨ぐる第一の原因として民族的利己心の旺盛を挙げなければならない。民族的利己心を民族自決主義と共に
。
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訓
教
の
題
間
蘭
波
、様に民族主義と云ふ言葉で綜括さるゝ事があるが、之は明白に区別して用語の紛更を避けなければならない。
或る民族が過去に於て他の民族を征服した事や、或は他民族の領土を占領した事の歴史に執着して、自家権力の
不当なる拡張の承認を要求することや、又は少くとも自家民族の利益の為めに他を犠牲にするも辞せざらんとす
る利己的方針を称して民族主義と云ふ事があるが、併し之は各民族に其民族当然の地位を確保し、彼をして自主
的に其運命開拓の任に当らしめんとする意味の民族主義とは根本的に其立場を異にするものである。此後の意味
に於て我々は民族主義を現代精神の一面の現はれと云ふ。而して前の意味に於ける民族主義は即ち之とは全く反
対の主義なのである。而して此意味の民族主義が今日尚相当に旺盛を極むることは波蘭が即ち之を以て誤り、露
ハンガリー
西亜がまた之に誤まられて、過度の圧迫を加ふるに於て明白にあらはれて居る。句牙利などに於ては、自己の領
土が聯合国側の単独意志によつて勝手に切り割かれた事に憤慨の情を燃やしたと寿ふ丈けで、極端に反動的の専
制的政府を国民が許して居ると開いて居る。其他製靴にしても仏蘭西にしても一度自家民族の利害と云ふ問題
フ ラ ン ス
ノヽら
になると、即ち理性が閣まさるゝと云ふ例を我々は蜃々観るのである。所謂民族的利己心が如何に今日世界の聡
明を掩ひ、著しく平和を脅して居るか、我々は深く反省する所なければならない。どうせ何処でも之で行くのだ
から我々も亦大いに利己的方針で突進すべしと云ふものあるに至つては沙汰の限りである。
民族的利己心の相当に強かるべきことは講和会議に於ても明白に知られて居づた筈の事実である。之を抑へて、
公明な、道理に基いた所置をすると云ふのが講和会議の本来の仕事であつたから、此会議を指導した政治家は、
此旧い利己的思想と戦ふには十分の勇気を奮ひ起す必要があつた。然るに彼等は此等の問題は他日の専門的攻究
の結果に任かすと称して、断然たる決定をしなかつた。滋に我々は第二の原因として各国の政治家が目前の功を
せんじよ
挙ぐるに急にして、根本的に禍根を婁除するの勇断を欠いたことを挙げなければならない○現に波蘭間遷でも、
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も
若し講和会議で万難を冒して国境を定めて居つたら、或は今日のやうな紛擾を来さなくて済んだかも知れない。
もつと そし
尤も各国の政治家夫れ自身が実は皆、利己の塊だと護る人もあるが、併し余りに功を急いだキ忘ふ点に於ては、
特に我々はウイルソンに最も多くの遺憾を感ぜざるを得ない。尤もいろ〈実際について研究して見たなら、余
儀ない事情もあつたらう。が、今度の問題に限らず一般に政治家が動もすれば現前の事実に威庄されて、理想の
所命に勇ならざるの欠点は之を認めなければならないと思ふ。
第三には英仏両国が余りに露波両国の紛争を利用したと云ふ事実をも指摘しなければならない。あらゆる間違
を自国の有利に利用することは夫れ自身答むべきことではない。けれども利用に熱中するの極、大局の打算を誤
まり、却て無用の紛糾を来すことは厳に之を慎まねばならない。英仏が強いて波蘭を助けんとしたことがい、か
わるいか、之も問題になるが、授けるにしても、両国は各々自家の立場に執着して援助の程度を同じうしない。
英は仏に反し、露西亜にも相当の秋波を寄せた事は露との通商開始が自国の利害に重大の関係があるからであら
ロンドン
う。此目的の為めに開かれんとして居る倫教会議を中心として英露がいろ〈交渉して居つたと云ふ事は仏の余
り快しとする所ではなかつた。どうすれば此問題が欧洲全体の平和の上に最も都合よき解決を告ぐるかと云ふ事
が主七る問題でなく、どうすれば此問題の解決によつて自国が最も多く利し、又は最も少く傷けられて済むかを
のみ考へるなら、円満なる解決を見ないのは当然である。
尤も英仏の此問邁に対する政策が一致しても、其儀之を強行し難い事情がある。此両国が波蘭を極力援助する
に決しても、那鮎が両国派丘ハの国内通過を許すまい。其外外交上いろ〈の削鮎があらうが、之にも増して大き
な障擬は国内に於ける労働者の反対である。英でも仏でも各種の労働者団体は、同じ労働者の支配する露西亜に
味方し、自国プールジヨアジーの支持せんとする波蘭の為めにする露国との開戦には極力反対を絶叫して唇る。
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⊥
訓
教
の
題
間
砺
波
英仏のプールジヨアジーがボルシエヴイズムを徹頭徹尾嫌つて、盲目的に波蘭を授けようとすると同じく、労働
者は又只労働者と云ふ名の為めに、理が非でも露西亜に味方すると云ふ備僻の零度を固執して居るのは、昨今殊
に著しい現象である。理非の弁別を超越して社会階級の間にか、る盲目的反感の横溢して居ると云ふ事がまた平
和な理性的解決を妨ぐる第四の凰因として数へ〔られ〕なければならない。労働者、資本家と云ふ社会階級の間に
こふノきよ
は、現在の事実として超ゆべからざる溝渠あることは疑を容れない。さればと云つて資本家のすることは一から
十まで排斥すべきもの、労働者のなすことは一から十まで味方すべきものとするなら、世界の人の心の底に新た
に芽生えた道理の光りは永久に承服を拒むであらう。西洋の或る社会主義者の団体は只同主義者と云ふ丈けの理
由で、幸徳秋水一派の処刑に多大の同情を表し、多額の慰問金を送らんとしたとか開いて居るが、其処まで極端
いつさい はふ
に行かなくとも、相対抗する二派が、朝に一城を譲れば更に夕に一砦を屠らるる卦怖れて、理が非でも先づ第一
線を固守すると云ふ態度は資本労働の争に於て常に観る所である。此等の点よりして政治家は国と国と縦断的に
相争はんとして居る時に、労働者は各国を通じて其社会階級の間に横断的抗争を打立てんとして居る。横と縦と
相交錯して事件を紛糾せしむるのみならず、其陰には又歴史に拠らんとするものと世界的の共通な理性に活きん
とするものとの思想上の争が更に其紛糾の根砥を深からしめて居る。
之を要するに波蘭問邁夫れ自身が相当に複雑な問題である外、更に戦後新たに起り、其解決を将来の長い苦闘
の後に決せらるべき、而して現に大いに戦はれて居る思想的問題が背景をなして居る。之れ独り波蘭問題のみに
限つた事ではない。滋に我々は此等俗界の政治問題が、同時に深く思想問題と相連絡することを知り、従つて之が
解決は単純に政治家の手にのみ任すべからざる所以を知らなければならない。 〔『中央公論』一九二〇年九月〕
スノ
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若し講和会議で万難を冒して国境を定めて居つたら、或は今日のやうな紛擾を来さなくて済んだかも知れない。
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尤も各国の政治家夫れ自身が実は皆、利己の塊だと護る人もあるが、併し余りに功を急いだと云ふ点に埠ては、
もつと そし
特に我々はウイルソンに最も多くの遺憾を感ぜざるを得ない。尤もいろ〈実際について研究して見たなら、余
儀ない事情もあつたらう○が、今度の問題に限らず一般に政治家が動もすれば現前の事実に威圧されて、理想の
所命に勇ならざるの欠点は之を認めなければならないと思ふ。
第三には英仏両国が余りに露波両国の紛争を利用したと云ふ事実をも指摘しなければならない。あらゆる間違
を自国の有利に利用することは夫れ自身各むべきことではない。けれども利用に熱中するの極、大局の打算を誤
まり、却て無用の紛糾を来すことは厳に之を慎まねばならない。英仏が強いて波蘭を助けんとしたことがい、か
わるいか、之も問題になるが、緩けるにしても、両国は各々自家の立場に執着して援助の程度を同じうしない。
英は仏に反し、露西亜にも相当の秋波を寄せた事は露との通商開始が自国の利害に重大の関係があるからであら
ロンドン
う○此目的の為めに開かれんとして居る倫敦会議を中心として英露がいろ〈交渉して居つたと云ふ事は仏の余
り快しとする所ではなかつた。どうすれば此問題が欧洲全体の平和の↓に最も都合よき解決を告ぐるかと云ふ事
が主たる問題でなく、どうすれば此間邁の解決によつて自国が最も多く利し、又は最も少く傷けられて済むかを
のみ考へるなら、円満なる解決を見ないのは当然である。
尤も英仏の此開港に対する政策が姦しても、其儀之を強行し難い事情がある。此両国が波蘭を極力援助する
に決しても、蹴欝両国派兵の国内通過を許すまい。其外外交上いろ〈の削い欝あらうが、之にも増して大き
な障擬は国内に於ける労働者の反対である。英でも仏でも各種の労働者団体は、同じ労働者の支配する露西亜に
味方し、自国プールジヨアジーの支持せんとする波蘭の為めにする露国との開戦には極九反対を絶叫して居る。
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英仏のプールジヨアジーがボルシエヴイズムを徹頭徹尾嫌つて、盲目的に波蘭を援けようとすると同じく、労働
者は又只労働者と云ふ名の為めに、理が非でも露西亜に味方すると云ふ偏僻の態度を固執して居るのは、昨今殊
に著しい現象である。理非の弁別を超越して社会階級の間にかゝる盲目的反感の横溢して居ると云ふ事がまた平
和な理性的解決を妨ぐる第四の凰因として数へ〔られ〕なければならない。労働者、資本家と云ふ社会階級の間に
こちノきよ
は、現在の事実として超ゆべからざる溝渠あることは疑を容れない。さればと云つて資本家のすることは一から
十まで排斥すべきもの、労働者のなすことは一から十まで味方すべきものとするなら、世界の人の心の底に新た
に芽生えた道理の光りは永久に承服を拒むであらう。西洋の或る社会主義者の団体は只同主義者と云ふ丈けの理
由で、幸徳秋水一派の処刑に多大の同情を表し、多額の慰問金を送らんとしたとか開いて居るが、其処まで極端
いつさい ほふ
に行かなくとも、相対抗する二派が、朝に一城を譲れば更に夕に一砦を屠らる有卦飾れて、理が非でも先づ第一
線を固守すると云ふ態度は資本労働の争に於て常に観る所である。此等の点よりして政治家は国と国と縦断的に
相争はんとして居る時に、労働者は各国を通じて其社会階級の間に横断的抗争を打立てんとして居る。横と縦と
相交錯して事件を紛糾せしむるのみならず、其陰には又歴史に拠らんとするものと世界的の共通な理性に活きん
とするものとの思想上の争が更に其紛糾の根砥を深からしめて居る。
之を要するに波蘭問題夫れ自身が相当に複雑な問題である外、更に戦後新たに起り、其解決を将来の長い苦闘
の後に決せらるべさ、而して現に大いに戦はれて居る思想的間砥が背景をなして居る。之れ独り波蘭問題のみに
限つた事ではない。滋に我々は此等俗界の政治問題が、同時に深く思想問題と相連絡することを知り、従つて之が
解決は単純に政治家の手にのみ任すべからざる所以を知らなければならない。 〔『中央公論』一九二〇年九月〕
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