欧洲動乱とビスマークの政策
ドイ ツ
独逸では外交も内政もその根本の政策はビスマークに依りて建てられたのである。しかも今日に至るまで終始
一貫してゐるのである。今日の外交の方針でも、内政上の方針でも時勢が漸次変化するにつれて、種々細目の点
は昔と今と同一とは言はれぬが、その根底となつてゐるものはビスマークの大理想を踏襲して、これを完成する
といふに外ならぬと思ふ。
さてビスマークの大理想とは何であるかといふに、それは従来バラバラになつてゐた独逸民族を統一して所謂
独逸文明といふものを尚ほ一層明白なものにして、その独逸の文明を以て欧洲の中央に覇を唱へるといふことで
あつた○尤も今日の独逸帝国は所謂独逸民族の全部を網羅してはゐない。けれども従来歴史的に非常に散漫して
ゐたものを、あれほどまでに統一したことは実に彼れの偉大なる手腕によつたものと言はなければならぬ。
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而して独逸今日の内治上の大方針は極根本的に見ると国民として猶一層強く独逸国民的意識を持たしめ、また
その意識を助長して、若しこれを妨ぐる分子があれば出来るだけ取り除くか、或は圧迫を加へても統一せる帝国
を完成せんとするにあるのである。
外交の方針も亦これと根底を同じくするものである0即ちこの散漫せる独逸民族を他に対しての国民として代
表して行く上に於いて、国際間に有力なる地歩を占めて行かうといふのである。且つ又独逸が国民的統一を成就
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欧洲動乱とビスマークの政策
することの為めには色々と従来にない外国との国際関係を生じた。その為めに独逸の外交は一層複雑な閏靂とな
つて来た。而してその間の難関を巧みに切り抜けて、独逸帝国の立ち場を国の内に対しても、また国の外に対し
ても強大にしやうといふのがビスマークの理想であり、また彼れの政治上の大方針であつた。ビスマークが退い
た後に至りても大宰相は五度替つたが、常に変らないのは此の独逸政府の大方針であつた。
而して漸次潮つて考へると独逸の勃興といふことが実は今度の欧洲の動乱に深い関係を持つてゐる。或る意
味ではビスマーウの大理想を実行した上では、何うしてもその結末は今度の戦争にならねばならぬ訳ともなつ
」
てゐる。それは何故かと言へば、ビスマークの考へでは、独逸民族を統一するには新しい中心を発見せねばなら
ぬ。その中心になるものはプロシアのホーヘンツオルレン家の外にはないといふことに眼を着けた。然為に従来
オースト‖ソア
襖地利のハツプスブルグ家は昔からの古い家柄で長く独逸民族の皇帝として最も尊敬されてゐたから、それを除
外して、後進のしかも家柄もそれほど高くないホーヘンツオルレン家を上に戴くといふことは余ほど困難である。
その為めには何か此方から口実を設けても嗅地利を揉踊して独逸民族の間に於けるハツプスブルグ家の威厳を打
破した上で、自分がこれに取つて代るといふことにまでしなければならなかつた。その為めに一入六七年の普壌
戦争があつたと見ることができる。
それからして襖地利を除外して独逸民族の大部分を先づプロシアを盟主として糾合することができたとして、
それで欧洲の中央で一の有力なる国家として覇を唱するといふに至るには隣に一の有力なる邪魔物がある。それ
フ ラ ン ス
はいふまでもなく仏蘭西である。そこで碓蘭西と衝突して自分の国の重みを着けることが必要であつた。且つま
た仏蘭西を叩きつけるといふことは独逸民族統一の為めにも実は必要であつた。それは独逸民族の間には実はプ
ロシヤに心服してゐないものがあつて、中には仏蘭西の方に心を傾けてゐるものもあつた。南独逸の如きは皆な
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然うであつた0それ故にそれ等の曖昧な考を持つてゐる者の能産を決定させる為めには仏蘭西と衝突することが
何うしても必要であつた0彼の一八七〇年の普仏戦争はこれが為めに起つたのであつた。この戦争はナポレオン
三世の方からしかけた筈だが、しかし避けやうと思へば独逸には幾らでも避けられる戦争であつた。公平に言へ
ばビスマークが独逸の帝国的発展の為めに好んで、且つ進んで行つたものであるといふことができる。このビス
マークの理想が今日猶ほ漸次行はれて来るのである。
かくして五十年前までは欧洲第二流の国であつた独逸は今日隆々たる勢を以て第一流の階級に進むことができ
た0今日でも独逸の内治外交の方針は此の大理想の実現完成にある。即ち内にはポーランド人やデーン人や或は
アルサスローレン人といふが如さ異分子を圧迫して盛に独逸魂を鼓吹して、軍隊と宗教とのカを以て国民の精神
的物質的統一を計らんとしてゐる。
う0
二
また外交上Y於いては盛に海外の発展せ企て、少しでも虚隙がある所には、自国の政治的並に経済的勢力の拡
わく ▲ば
張を計つてゐる0殖民地経営など、いふことは、独逸は後れ走せに始めたものであるから、通常の手段を取つて
ゐたのでは到底他国と対当の地位に行けないのであつた0それがためには随分無理なことを為た。随つて火事場
・ト ル コ
盗人などといふ酷評も受けたのである0先年独逸皇帝が土耳其を訪問して、バグダツト鉄道敷設権を得たが、そ
の後またアガジイルに軍艦を送つて困難なるモロッコ間遺を若き起したことがあつた。かくの如く絶えず物議の
種子を播いてゐるのも畢克するにその国際的地位を確実ならしめんとするにある。最近では終に露仏などを凌い
で、将に英国を除いては先づ最も強い国となつた○早晩彼れ等は英国をも凌がんとしてゐる。随つて他の国々か
欧洲動乱とビスマークの政策
らしては妬まれもし、靖忌の的となつてゐるのも止むを得ないことであらう。
如上説くやうな考へを持つて独逸が進んで来たのであるから、また斯やうな状態に於いて種々な国と衝突して
辛うじて民族の統一を計つて来たのであるからして、二言を以て言へば後れ走せに出て来て非常に急激に国勢の
発展を計つたのであるから、それだけ独逸は内部にも外部にも非常な危いところがある。国内の方から見ても非
常に危いことがあるが、それは暫く措いて、国外の方を見るとこれ亦決して油断のできぬものがある。何となれ
ば前言せし如く独逸は既に統一上止むを得ずして一度は嗅地利と戦ひ再び仏蘭西と争つた。即ち前と後に故に挟
まれてゐる。その他ロシアの感情を著しく害した歴史上の事実の存することも人の知る所である。・そこで地勢上
から見ると強大なる敵国を三方に持つてゐる。かくの如き国は他にはない。東西南北の一方に強大なる国と境を
接してゐる国はあるが、三方四方強国に境してゐるのは独逸のみである。それ故に独逸は非常な勉強で異常な地
か
位を嵐ち得たが、自分だけで自分の国の安全を保証するだけの準備が出来ぬ。こゝに於いてかビスマークは同盟
といふ政策を考へた。今日の同盟政策の始祖は実にビスマークである。
即ち彼れは到底仏南西と和す可からざるを見るや、巧みに嗅地利を砲き込んで普嗅同盟を作り、この同盟のカ
によりて一方はロシアに当り、一方は仏南西に抗せんとした0その後質朴がチュニスの問題で仏蘭西と葛藤を
生ずるや、また伊太利を誘つて三国同盟の成立を見た。三国同盟の起るや、仏は露と結んで露仏同盟を作つた。
そこで二大同盟が対立することになつて、独逸は先づ当分外患なきことになつた。かくてこの同盟の本を訊せば
悪くビスマークの政策に基くのである。かくして二大同盟各々武装を整へ、絶えず軍備の競争をしてゐるが、同
盟の関係からして容易に戦争にはならず、その間独逸は着々準備して一層大なる進歩発展を遂げた。最近に至り
ては独逸は最早や恐るべき敵を世界上に見出すことができなくなつた。しかし唯一つ何うしても自ら進んで欧洲
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に覇を唱ふるに邪魔物となるのは英国である0それで最近独逸の政策は如何にして英国の勢力を弱むることが出
来るかといふことに全力を注いだ0彼れが土耳其方面に着眼したるは全く此の見解から来てゐることである。即
ち独逸が最近土耳其にゴルツ将軍などを送つて、軍制を改革したりなどしたのは、自分とはさほど利害関係のな
エジプト
いものを強大にして、これによつて英本国と印度との交通を危険ならしめ、追々は挨及も英国の言ふことばかり
は開いてゐないやうなものにして、英国の大西洋方面に於ける勢力を近東の方面に割かせやうとした。斯ういふ
状能芋独逸は英国に楯をつくことになつたからして、英国は終に露仏の同盟に加はつて、こ、に英露仏の協同の
カを以て独逸側に当るといふことになつた0今日の所謂欧洲六大強国が一方は三国同盟側となり、一方は三国協
商側と分れて相対峠することゝなつたのである。
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三
かくの如き形勢を作つたその根本を訊せば、それはみなかのビスマークの独逸帝国建設の事業に遠因してゐる
ますます
と言はねばなちぬ0かく大国が同盟を組んで対略するといふことになれば戦争は倍々困難になつて来るのである。
戦争の機会も少くなる。
さりながら軍備は決して緩める訳には行かぬ0それで是等の国が倍々軍備を整へて所謂武装的平和を味ふこ
とゝなつた0ところが近頃に至りて軍備の負担には制限なくして、国民がその負担に耐へ切れぬことになつた。
それで何とかこゝで局面を転じなければならぬことになつた0即ちこのまゝで行つては国民は戦争の災を免る、
ことはできるが、軍事費の為めに破産するだらうといふ状能だ陥つた。然らば戦争をするも、しないも同じとい
ふことに気が付いたのである0かくの如き考へが始めて国際的に現はれたのは一人九九年の第一回平和会議であ
欧洲動乱とビスマークの政策
る。
此の時ロシア皇帝は、相互に軍備を制限することを約束して、これによりて国民の負担を減少しやうとするの
であつた。しかし此の計画は文字通りには成功しなかつた。尤も此の会議は無為に終つたのではなく、当初開設
の趣意からは多少相隔つてゐるが、種々国際平和に関聯せる新事業が計画された。且つこれよりして世界平和の
理想が余程芽を出して、将に軍備の競争といふことも、何とかして終りを告げなければなるまいといふことは、
一の平和運動の一面として唱へらるゝに至つた。しかし同じ考へは、即ち軍備の際限なき拡張は何うもやり切れ
ないといふ考へは、平和といふ考へと離れて、また多くの人の間に抱かれてゐた。しかし今のまゝでは各国互に
競つていやが上にも軍備を拡張しなければならぬので、一日でもそれを止めるといふ訳には行かぬ。
かく際限なくしては耐らぬから一つ機会があつたら敵の軍備を叩きつけてやらうといふ考へが漸次他の一面に
於いて起つて来た。そこで軍備の限りない制限に苦しむといふことが自ら戦争を誘発するの傾向を示して来た。
さき
即ち近年屡々兵を動かすといふやうな傾向が著しくなつて来た。現に嚢にはバルカン戦争があり、中には幾度と
ヽ ヽ ヽ ヽ
なく露西亜、嗅地利の衝突をきつかけに欧洲全体の大動乱が起りさうになつたことがあつた。たゞこれを防いで
ゐたのは英国の尽力の結果であつた。しかし如何に英国が干渉しても畢尭それは姑息の手段である。根本的解決
は何うしてもつかぬ。が、この佳で行つたのでは到底耐へられぬといふので、戦争でもやつて先づ局面を展開す
るの外はない。それが今日までは兎角同盟政策と軍備競争とを以て平和を味つてゐたが、しかし行く所まで行つ
た結果は一つ大爆発をやらなければならぬといふ時機に達してゐたと思ふ。
うう
斯やうに考へて見れば、今度の動乱の如きは直接の原因は兎も角もビスマークによりて手を着けられた欧洲の
国際関係が、従来のやうな仕組みの上に育つて、それが熟し切つてこゝに先づ一段落を告げて、こゝから更に新
しい面目を以て、別種の色彩を取ることになるのには必要な階段であつたと思はれる。この戦争は何れが勝つか
おわ
負けるか分らぬが、要するに戦争が了つたら次の時代に於ける軍備その他の関係は余程変つて来なければならぬ
と思ふ0又何とかして変らせることについて世の所謂平和論者並に宗教家等の大に活動すべき使命があると思ふ。
何れにしても今日の欧洲の動乱は結局矢張り独逸が中心であつて、その独逸を動かしてゐるものはピスマークの
精神であると思ふ○而して今日は恰かもビスマークの遺業が成熟してこゝで一つ局面を展開して、新しい方向を
取るべき転機にあるものといふことが出来ると思ふ。
〔『六合雑誌』一九一四年一〇月〕
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欧洲戦局と波蘭民族の将来