両者の正しい関係と間違つた関係
−知識階級と無産階級の相互抱合論−
○無産階級必しも無識でなく、有識階級にも無産なるものは頗る多い。無産階級と有識階級とは本来相対立すべ
き観念ではない。然るに当今社会問題などの実際的取扱に於て、此二者を対立させて何等の不合理を感ぜざるは
どう云ふわけか。思ふにこれ、この両者に或る特別の限定的意義を附し、互に連絡する一団中自ら対立する二つ
のかたまりをいふと解するからではあるまいか。
○第一にこの言葉は、所謂無産階級運動(広義の)に直接間接の関係ある者に就てのみ用ゐらるゝ。斯種社会的運
動と没交渉の部面に於て、無産階級対有識階級は今のところ格別の問題となつて居ない。第二に所謂無産階級運
動に於ては、主として智能的要素を分担するものと実行的要素を分担するものと二つある。或は運動を指導する
ものと実行の衝に当るものと分けてもいゝ。後者が所謂無産階級たるは言ふまでもないが、前者は後者の出なる
と又は外から来り投ぜるものなるとを間はず、均しく之を有識階級と呼ぶことになつて居る。斯う考へると二者
の対立の意味はよく分る。
○所謂有識階級は、無産階級それ自身の中より出るのが好ましいことなのであらう。併し斯種運動の初期に於て
は、之を外から迎へるといふのが普通であつた。何も知らなかつた無産者に取つては之も必要であつたらう。が、
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段々と訓練と経験とを積むに従ひ、他所の手をからずに凡ての必要なる部分を自分達の一手にやるといふことに
なるのは、亦自然の順序であらう。この事はまた右両者の窮極本来の関係を暗示するものと謂ふことが出来る。
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○無産階級の運動に有識階級の参加は不要有害だと云ふ議論がある○この考の正しいかどうか帆威論ぜらる、
問題だが、之は次の二つの場合を区別して考ふる必要があると思ふ。一は現実に見る様な有識階級が有り難いの
もつと
かどうかの点で、他は元来有識階級なるもの、参加が道理上必要があるのかどうかの抽象的の問題である。尤も
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凡そ有識階級なるものは、一旦其地位に挙げらるゝと、必ず皆現に見る様な下らぬものになつて了ふものだと決
めて掛るのは別論である。
○今日我国に於て、現に無産階級運動の指導の任に当つて居る人々は、極めて少数なる例外を除いては、所謂無
産階級出身の人ではない。少くとも筋肉労働を売つて辛うじて生命を繋いで居た者が仲間の推薦に推されて己む
を得ず其任を引受けた、といふ様なものは殆んどない。概して骨外から手伝へに来たやうな人ばかりだ。斯う云
ふ種類の人がいつまでも運動指導の任に当るといふは、本来不自然な事だから、其意味に於て有識階級が段々忌
避さるゝに至るのは已むを得ない。が併し、今日日本の運動はさうすることに十分適当な時期に達して居るだら
うか。
○無産階級以外の義勇有識者流の欠点は、無産者としての本当の体験を欠くことである。どんなにつとめても、
も
子を有つたことのない者に本当の親心は分らぬ様に、義勇有識階級者流では、完全に運動の全体を指導する土と
つね やや
が出来ぬのだ。彼が斯く云ふ本然的欠点を自覚して毎に謙遜な助言者たるに甘んずる間は無難だが、動もすれば
自分の思想なり計劃なりの価値を過信し、之を極度に遂行せんと強ひたがるので、破綻が起る。若し夫れ英人の
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個人的過失乃至不徳に因る種々の失態の加はるあれば、破綻は更に大きくなる。我国無産階級運動に於ける有識
者流の失敗が、其原因を多く這般個人的過失に有するの事実は、我々をして大に考へさせるものがある○
わずら
○併し我国に於て、有識階級排斥論の流行を見るのは、実は所謂有識階級から煩はさられたといふ体験に基くと
いふよりは、書物で読んだ西洋の説明の講売りの又聞きに因る方が著しいのではなからうか。概していふに、特
に社会問題については、最近一般に西洋にはやつた偏つた説明が無反省に受け容れられて、公式の様に言ひ嘲さ
れる傾きがある。日く直接行動。日く階級闘争。日く議会制度否認○日く何。日く何○而して有識階級の排斥と
いふことも亦斯種公式の一つに外ならぬのではあるまいか。
○西洋では、過去に於て有識階級が相当に無産階級の為に尽したには尽したが、結息に於て無産階級の本当の要
求は、彼等に由ては達せらる、ものでないといふことを、深く〈経験した。之と伴つて又多年訓練の結果、自
分達仲間の中に本当に指導の任を尽し得る有識分子は今や続々と輩出して居る。斯くて人に頼んでは駄目だ、自
分でもやれる、と云ふ消極積極両面の条件が兼ね備つたので、そこで始めて有識階級排すべしといふ議論は、意
外の破綻を現はさずに、故障なく行はれ得るのである。而して、之れ丈けの条件も具らぬのに、漫然有識階級の
排斥を唱ふるのは、実は丁度子供が大人の真似してあぶない芸当をするやうなものなのである。
。さればと云つて僕は、現今我国の無産階級に今まで通り所謂有識階級の指導に盲従すべきだと勧むるのではな
ひ
い。僕がこゝに特に読者の注意を若かんと欲するは、義勇有識階級が散々にポロを出し、所謂消極的条件は十分
かかわ
に備つて居るに拘らず
且又有識階級排すべしとの議論は盛に唱へらるゝに拘らず−今なほ実際に於ては矢
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張り彼等の指導助力が大に悼みにされて居るといふ顕然の事実に付てである。是れ事実は理論よりも雄弁に、無
産階級運動は到底有識階級の指導助言を無視し得ざるを語るものと思ふからである。
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○僕は無産階級と有識階級との本質的関係を、曾て医者と病人とに響へて説明したことがある。所謂無産階級運
動は病をなほすといふ要望の痛烈なる発現だ。といへば其が医者の為の問題でないことが第一に分る、併し病に
ど う
苦む病人自身は如何すればこの疾を癒すことが出来るかを詳かに知つては居ない。之を知るには専門の智識が要
る。少くとも広く深い教養なしに之を適当に処置することは出来ない。滋に医者の助言を必要とする理由がある。
無産階級運動に有識階級の参加するを要する本質的理由は畢克こ、に在るのである。
○俗諺に、自分の事は自分が一番能く知つて居るといふ。之は一面の真理であるが全部の真理ではない。何処が
痛いかは病人自身でなければ分らない。が之を処置する方法に至ては彼自身の全然知らざる所である。自分の事
あたか
は自分が一番よく知つて居るからと云つて、無産者運動から全然有識階級を排斥するのは、宛も医者に無相談で
手療治をするに限るといふやうなものだ。危険此上もない話である。
○不幸にして従来の医者は、其の与へられたる分を守らず、借越にも病をなほすといふ問題を自分の仕事なるか
の如くに考へて居つた。病人に就いて其Y苦痛を親切に聴くの労を取らず、自分の狭い経験を根拠として、勝手
に相手方の疾患は、肺にあるの胃にあるのと独り決めに決めた。そして之に基いて投薬配剤した。斯くして有識
階級は、無産者運動に取つて遂に煩累とならざるを得ない。併し乍ら之は指導者助言者の心掛の間違つた結果で
あつて指導助言そのことに本来有害無用の性質が固着してゐるのではない。
○故に僕は最近の有識階級排斥論を以て、極端を矯める為の極端論と為し、其表現に用ゐらる三日辞に過度の誇
張あるを己むを得ずと許し、その本来の意味は有識階級の借越に対する弾劾に過ぎぬと認めるのである。若し彼
が正しい地位に立ち還り、名医と同じ様に単なる助言者として其責任を尽すことになるなら、そは無産者運動に
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取て固より大に歓迎すべき所でなければならぬ。この点に十分はつさりして居ることは、運動の確実なる進歩の
為に.極めて必要だと思ふ。
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○要するに、僕の此問題に対する見解を約言すれば次の如くである。
一、無産者運動は、何処までも無産階級の運動である。当人の体験と熱情とに依てのみ成功し得べき運動であ
る。
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二、但し如何にして共目的を達すべきやに就ては有識階級の助言に待たねば分らぬ。無産階級は自家の智能の
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有限なることと有識階級に悼まざる可らざる所以とを、十二分に知恵して居なければならぬ。
三、無産者運動と有識階級とは不可離の関係に在るものだが、之をして当然の効果を挙げしむる為には二者が
常に正しい関係に在ることを必要とする。而して正しい関係といふの何を意味するかは、上来述ぶる所に依
て自ら明であらう。
〔『中央公論』一九二三年六月〕