白耳義と仏蘭西の政党

     一仏自両国民の覚醒
               フラン ス ベ ルギー   ドイツ
 この度の戦争に於て、多くの人々は仏蘭西や自耳義などは、独逸の軍隊に対抗して一溜もなく撃破されるであ
らうと予想してゐたのであるが、事実は之に反して、自耳義も伸々独逸軍を悩ましてゐるし、仏蘭西も兎に角に
対当の勢を今日尚維持してゐる。これ全く深き仔細のあることである。
一体独逸の陸軍が伸々に強いことは、勿論初から判つて居たが、仏蘭西も自耳義も近来大に覚醒して、独逸に
対抗するの準備を整へて居たことは、知らない人が多い。自耳義は中立国で、暢気に大平の歓楽に酔つて居たや
ぅに考へられて居たし、仏蘭西は人口も年々減少し、一時欧洲に覇を唱へたは昔の夢となり、今日では敗残の国
                            あなが          で ・
といふ風に観られてゐた。成る程これも数年前迄のことを言へば、強ち酷評とのみ云ふことは能きなかづたかも
知れないが、近来は大に其趣を異にしてゐるのである。
 で、此両三年の形勢を見ると、仏南西は伸々馬鹿にできない勢力を振ひ起して居るし、自耳義も亦大に軍備を
整へて居たのである。唯独逸は余程以前から軍隊の編制を完備して居たから、それで遅ればせにやつて来た仏蘭
西や自耳義は及ばなかつたので、今日まで多少独逸の軍隊が優勢であるのは、全く独逸軍隊の編制の賜である0
編制が勝つたので、何も独逸そのものが勝利を占めたのではない。

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     二 複雑なる政党関係
仏蘭西では、殊に普仏戦争以来、盲として独逸に対する敵慢心を忘れたことはない。何とかして独逸に復讐
            おしなべ
しやうといふことは、上下押並ての希望である0故に其軍備の計画の如きも、専ら独逸を想定敵として整へられ
      ま       イギリス       イタリア
て居ることは、論を侯たない0殊に此頃は英書利と親善の関係にあり、伊太利とも、旧怨を捨て、和親の関係を
結んだからして、独逸の外には目当とするものが全くなくなつた。
斯様な次第で、仏蘭西は独逸との戦争を仮定して、之に対する軍備を整頓することに、全力を注ぐ可き筈であ
つた0勿論従来も随分此為に工夫もせられ、又金も費されて居るのであるが、併し悲しいことには国内政党関係
が非常に複雑で、かゝる重大な国家問題に就いても、伸々議論が纏り難かつたから、それ故独逸の仏蘭西に対す
る軍備に比較すると、常に手遅れであつたのである0即ち編制の点に於て大に独逸に劣つて居た。
 之は畢克、仏蘭西がその内政上の政党関係から煩を受けて居ると云つてよい。一体政党の関係の複雑して居る
                  ヨーロッパ            オーストリア
と云ふ点で湾実は独逸の方が寧ろ仏蘭西よりも甚しい0欧羅巴の中で、此関係の最も錯雑して居るのは嗅地利
ハンガリー            ばか                         っい
旬牙利である0句牙利の議会には十許りの政党があるが、嗅地利の方には無慮六十ある。之に亜では独逸であつ
て、十五を数へる0之に比較すると仏蘭西の政党は七つ八つに止まるのであるから、独逸よりも楽な訳であるが、
併し独逸では所謂帝王神権説を採り、万機を皇帝が親裁し、帝国宰相は皇帝の命を体して万般の政治を行ひ、帝
国議会の勢力から超然として居るから、政党の複雑なる関係は直接には政府を動かさない。
三 責任内閣
自耳義と仏蘭西の政党
 これにはんし
 反之仏蘭西の方は所謂責任内閣の制度で、議会の過半数の勢力を後援とするものでなければ内山閤に立つこと
 で
が能きない。仏蘭西の大統領は、普通に政争の外に超然として居るべきもので、如何なる有為の政治家も、一旦
大統領になると、直接政争には関係しないことになつて居る。それ故に直接に政治に関るものは内閣である。そ
の内閣は議会の過半数を後援とせねばならぬのであるが、その過半数たるや、英国に於けるが如く、一の党派を
占むることは能きない。何となれば仏南西は所謂小党分立の国であるからである。
 されば議会で過半数の勢力を求めんとするには、二つ以上の党派が聯合せねばならぬ。処が、政党の離合集散
は先づ常なきもので、従つて過半数の基礎の如きも常に動揺する。であるから動揺する過半数の勢力を基礎とす
る内閣も、亦甚だ動揺するのである。内閣の交迭の頻繁なことは、仏蘭西は伊太利と共に最も有名な国である。
故に政府の方針と云ふものは、常に確固不動ではない。一定の目標を立て\堅忍不抜の精神を以て一事を成功
するといふことが乏しい。
 仏蘭西の政策が如何に確固たる基礎を欠いて居るかと云ふことは、その第三共和国創立以来、今日迄四十余年
間に内閣の交迭が五十回に及んだといふ事実によつて明白である。之を独逸に比較すると、独逸現今の帝国は仏
蘭西の第三共和国と殆ど時を同じうして、発生したのであるが、その間に帝国宰相は僅かに五回しか変つて居な
い。初代はビスマルクでカプリーヴイ、ホーヘンローエ、ビューローを経て」現在はビートマンホルウエツヒで
ある。

 斯の如くにして独逸は、大体一定の方針を立てゝ、議会で何と云はふが一切構はず、どん〈断行する。そこ
で軍備問題の如きも予定の計画を実行することが能きる。然るに仏南西の方は計画はあつても、実行が之に伴は
ない。即ち毎年起るところの政変の為に、その鋒先が鈍らされるのである。現に、現大統領の下に於ても五度内
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閣の交迭が行はれた0妄二二年の有総理大臣となつたポアンカレーが、昨年の京大統領に選まれて其職を
辞するや、次で宰相の位置に立つたのはブリアンである0此内閣は二ケ月で倒れ、同年三月バルツウ之に代つた。.
バルツウ内閣は昨年十二月に瓦解して、デユーメルグ内閣之に代つた0此内閣は本年の六月に至つて辞職し、之
に代つて起ちたるは、仏蘭西政界の者宿リボーであつたが、此内閣は成立の翌日、↑院の信任投票に破れて辞職
し、社会党の名士ビビヤーテ1が代つて内閣を組織し、以て現今に至つて居る。

     四 急進党と保守党
斯様に内閣が頻々交迭することは、軍事1から観れば、仏蘭西にとつて妄弱点である。仏蘭西の政党は、言
ふまでもなく共和主著が中堅であるが、その右と左とには、保守的の党派と、極端なる急進的の党派とがある。
保守的の方は、かの僧侶党の如き、帝政党の如き、国民党の如き、或は又王党の如き之であつて、共和政治に
対する頑迷なる反動派とも見ることが能きるのである○其勢力は、固より今日微々たるものである。
 又極彗還流の方は、所謂社会党の諒であつて、之にも二流がある〇一は七月三十日に巴里の伽排店で暗殺
せられたと伝へられたジョーレースを首領とする合同社会党と、之に加はらざる独立社会党貞とである。・
 彼等は共に現在の共和政治に満足せず、更に妄を進めて極端なる改革を、現社会に加へやうとするものであ
る0此勢力は伸々侮り難いので、殊に本年四五月の総選挙には、彼等社会党の勢力が非常に増大したと云ふこと
 である。
 中央なる共和党も亦種々なる分派がある0而して共間必ずしも表するものでない0其或は左席共和党と移し、
或ひは進歩党と杯するものは、その内の穏健なる分子であつて、所謂急進党又は急進社会党と称するものは、そ
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自耳義と仏蘭西の政党
の相過激なるものである。此共和党中の二派は常に反目して容易に融和しない。急進派の頭目コング、クレマン
ソー、カイヨー等は、温和派の領紬ポアンカレー、ブリアン等に対抗して、その反目今や頗る感情的に走つて居
る。
                           しりぞ
 故に事の善悪に拘はらず、一方は他方の提議を無暗に排くる傾がある。之即ち仏蘭西に於ける国務の進行を妨
ぐる最も著しき原因の一と見られるのである。かのクレマンソーは、昨年春の大統領選挙のときに、如何にポア
                      あ王ね
ンカレーの当選を妨碍したかといふことは、普く人の知ることである。されば此頃は、温和派の方が却て激して、
遥かに保守党の一部と提携し、急進派に対抗する一大温和党を創設せんとするの運動を企て、ブリアンが専ら之
に斡旋してゐたことは、之又人の知るところである。
 目下の処では、急進派が勝を占めて、盛に抜属して居たのであつたが、戦争の結果、一時この争を止めてゐる
やうである。
  ついで
 尚序に言つて置くが、仏蘭西にはサンヂカリズムといふものがある。然し之は、其主義として現今の政党政治
には、全然関係しないと云ふことになつてゐるから、一種の社会主義ではあるけれ共、社会党とは何等関係がな
い。否サンヂカリストは、社会党を罵倒し、且つ之と事を共にすることを嫌つてゐる。
     五 モロッコ事件

 以上の次第で、内閣の交迭が頻繁なために、軍備は如何にしても手遅れとなり、仏蘭西の弱点ともなつたので
ある。此弱点は、普仏戦後久しく天下奉平であつた為に、全々忘れられてゐた、処が此暫く消えてゐた仏南西の
敵慢心に、再び火を点じたものは一九一一年のモロッコ事件である。此時仏蘭西と独逸とは将に戦端を開かんと
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した、唯英書利が仏蘭西を緩くることが明らかになつた為に、独逸は手を引いてしまつたから、戦争にはならな
                かんか
かつたけれ共、左もなくば確かに千曳を交ゆるに至つたに相違ない。此時は欧羅巴で余程警戒した。それが為に
戦争と云ふことが、仏蘭西人の頭に現実に響いた○即ち独逸との戦争といふことが、目の前の問題となつたので
ある0そこで仏蘭西の人間は俄かに真面目になつてきて、不思議な程愛国的精神が勃興して来た。一九一二年の
一月に、ポアン〔カ〕レーが内閣を組織するに至つたのも、畢克愛国心の勃興の発現である。その以前は内閣は、
モロッコ問題の処方に蕾んで、議会でも蹴鋭が絶えず、つまり内紛の為に無用に精力を浪費して居たのが、亘
                         や
モロッコ事件に覚醒したる仏蘭西人はト到底従来の行り方ではいけない、有力な人士に内閣を組織せしめ、而し
て有力な政府を造らなければ、独逸に対抗することが能きないと云ふので、そこでポアンカレーを総理大臣に推
し、彼の下に政界の静々たる一流の人物を挙げて政府を組織せしめたのである。故に時人は此内閣を称して、大
人内閣と呼んだ。
 これ程にも仏蘭西人が真面目になり、殊に青年が覚醒して、非常な元気を振ふと云ふことは、頗る見物であつ
た0所謂志気旺盛といふ形容詞は、此当時の仏蘭西の青年に、初めて見ることが能きた。此状能還今日も無論続
いて居る○であるから、元気といふ点から見れば、独逸は確かに仏蘭西に劣つてゐると思はれる。唯遺憾ながら
                                           はかばか
日の覚め方が遅かつたので一生懸命にやつても軍隊の組織が到底独逸に及ばない。そこで戦争で捗々しい利を占
めてゐないのである。
 三年兵役を実行してから、兵力に於ては独逸と大なる逢庭はない。志気は無論仏蘭西が優勢である。然も戦争
に思ふ通りの利のないのは、全く軍備の編制が悪いからである。その編制に引けをとつてゐるのは、如上の政党
関係が複雑してゐるからである。
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自耳義と仏南西の政党
      六−白耳義の政党
  ベ ルギー
 白耳義の政党関係は、仏南西程に複雑ではない。自耳義の重なる政党は三で、第一は保守党、第二は自由党、
第三は社会党である。
 保守党は即ち天主教の擁護を以て、その主なる目的とするので、従つて僧侶党とも称せられ、これが三十有余
年来、白耳義の政権を撞つてゐるので、今日のブロックヴイル内閣も、保守党に属するものである。保守党は一
党派で議会の過半数を占めてゐる。自由党と社会党とは、長い間一致団結しなかつたけれ共、一昨年の総選挙の
時に、保守党を倒す為に同盟した。が、それでも彼等は保守党を倒すことが能きなかつた。
 斯の如く保守党が勢力を占めてゐる所以は、同国の選挙法が、金の有るもの、教育あるもの、其他要するに社
会の上流にある所謂保守的分子に、一人に二票三票の投票権を与へて居るから、自耳義は普通選挙制を採つて居
るに拘らず、保守的分子が常に大多数を占むるのである。これ自耳義に於て近年選挙法改正の要求が盛な所以で
あつて、現に、此処に昨年四月には、社会党は大同盟罷工を計画して世界を驚かしたことがある。
 右の様な次第で、自由派と保守派とは、内政上の諸問題に就て、互に喧嘩して居る。併し、国家的の大問題に
至つては、必ずしも反撥するとは限らない。
 殊に軍備の問題に就ては、彼等の意見は大体一致して居る。即ち全体として自耳義人は仏蘭西に同情があつて、
独逸を嫌つて居るから、若し独仏両国開戦すると云ふことであれば、白耳義は必定仏蘭西に味方する。で、自耳
義も仏蘭西を緩けて独逸に当る為には、相当に軍備を整へる必要があつた。
 処が久しく泰平に安じて、自耳義は之等の準備を怠つてゐた。其怠慢に対して一大警醒を発つたのは、是又モ
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ロッコ事件であつた0即ちモロッコ事件は、今迄夢の如く感じて居た戦争といふことを、明瞭に眼前に映ずるや
うにされた0共処で戦争が起つたならば如何するといふことが、人々の頭の中に浮んで来た。殊に独逸と仏蘭西
とが戦争するやうになれば、自耳義は戦略上の要地であるから、独仏のいづれからか、必ず侵入せらるゝ運命を
もつてゐる0が、目下の実状によれば、種々の点に於て仏蘭西が不備であるから、先づ白耳義に入つて来る者は
独逸である0自耳義から云へば、仏蘭西が入つて来ることは、又我慢も出来るが、独逸から侵略せらるこ」とは、
黙過する訳にはゆかない。そこで自分で自分の中立を守る丈の備をして居るか如何かといふことを省みるのは当
然である。
 殊に此頃、若しも独仏開戦すれば、英書利は十五万の大兵を自耳義に上陸さして、仏蘭西を授けるといふやう
な風説が府はれた。

      七 自耳義の軍備
                                                   や か王
 斯かることから、軍備問題が俄かに世人の注目を若いて、新開雑誌其他の論客、政治家の間に、非常に八釜し
く論議せらる、やうになつた○否問題となつたのみでなく、一九一一年の九月十四日には、万一のことを虞れて
                         いよいよ
予備を召集し、遂に同年九月廿三日に至つて、愈々軍備問題に関する質問が議会に於て堂々と述べられるやうに
                                                  で
なつた0その質問の要点は、自耳義軍備の現状は、万一の場合に、果してその守を仝ふすることが能さるや否や、
                                          ば ひつ
開くところに由れば、現在将校は全数の約三分の一欠員であるに、其優に放任しあり、砲兵の馬匹の如きも現在
の実数は所要数の半に満たず、殊にアントワープ、リュージュ、ナミユールの要塞は甚だ不完全なり、武器弾薬
の如きも亦甚だ不完全にして、且不足して近世的でない。かくても陸軍大臣は其職責を尽したと云ふかといふの
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自耳義と仏南西の政党
であつた。
 此質問を提出したのは、自由派のムヴーユ氏で社会党貝も之に賛成したのは実に奇観たるを失はない。殊に社
会党は、国防の充実の為には、相当の出費をも辞せないことを発表した。以て独逸に対する国防と云ふことが、
如何に国論の一致して要求するところであるかを知ることが能きる。尤も此時陸軍大臣のヘルポー将軍は、一々
弁解をしたのであるが、多少の怠慢といふことは、自分自ら之を認めざるを得なかつたのである。
之に関する信任投票は、政府党が議会に於ける過半数を占めて居る御蔭で、十二月ニ。、七十三票に対する八
十二票で政府の勝利に帰したけれども、其後新開等の攻撃絶えず陸軍大臣は遂に翌年二月二十四月、責を引て辞
職し、一時首相が陸軍大臣の職を兼摂してゐたが、四月の三日に至つて、ミシェル将軍が之に代つた。
 爾来政府は鋭意陸軍法の攻究調査に腐心し、遂に一昨年の十二月五日に、一の法案を議会に提出した。之より
先、十一月十一日、陸相ミシェル氏は、議合はずして辞職し、首相之を兼任して以て今日に及で居る。
     八 自耳義の徴兵

 従来自耳義では、徴兵制度は確立して居なかつた。一九〇九年の法律は、一家一人を限り兵役に服従せしむる
主義であつたのを、今度は一般兵役義務の制度を採り、毎年三万三千人づ、徴募し、一年志願の制度をも認むる
に至り、かくて平時にありては、十五万、戦時にありては三十三万三千を得るの計画を立てた。此為に費すとこ
                  フラン
ろは、初年度に於て、二億三千四百万法に上ると云ふことである。
                                        〔討〕
 此法案が翌年、即ち昨年の二月十三臥、初めて議員の闘議に上つた。五月廿八日に至つて、六十二票に対する
一〇四票の多数で、下院を通過し、やがて又上院をも通過したのである。
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                                                し そちノ
一説に依れば、自耳義が斯く自国の軍備を八釜しく云ふに至つたのは、仏蘭西の使吸に出づるといふ者がある。
                  いで
之は恐らく左様であるかも知れないが、執れにしても、自耳義がモロッコ事件に刺戟せられて、初めて独逸に対
する防備を充実し、その為に巨額の金を消費したといふことは、疑のない点である。
左様云ふことが確定してから、戦争の突発迄に、僅かに一年間の間隔しかないから、自耳義の防備の事業は、
勿論未だ完成して居なかつたには相違ないが、世人一般の予想に反して、自耳義があれ程頑強な抵抗を独逸に対
して試みたと云ふことは、決して偶然のことではなかつたと思はれる。
                                    〔『六合雑誌』一九一囚年一一月〕
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巨a巨F.■.【El
欧洲戦局の予想