朝鮮統治策に関して丸山君に答ふ




 僕の一小論文が朝鮮総督府の幹部に在る官人の目に止まつた事は非常に光栄とする所である。殊に平素最も尊
            かたじけの
敬する丸山鶴書君の批評を辱ふした事は私の最も愉快とする所である。遠慮無く白状すれば私漑多年朝鮮総督
府の統治方針には可なり強い反対の意見を有し、従つて可なり強い非難を放つて来たのである。其の結果随分公
 〔両〕
私方面に於て敵を作つて来たが、又我々の誠意を諒とせらるゝ少数の方々も在つセ、非難する事に依つて新に得
た親友もある。又夫れ程心安くない方の中でも、真に此の人こそ国家の大事を計るに足る人才だと敬服して居る
人もある。前の総督府時代に於ては、僕は最も多く関屋君の如きに敬服して居たが、丸山君は現総督府の下に於
て吾輩の最も尊敬する一人である。丸山君は朝鮮統治に於て何れ丈けの経給があるかは知らない。唯だ氏が学生
時代から誠意の人であり、警視庁時代、内務省時代に於ても、其の熱誠と、其識見とに於て群を抜いて居た其の
まれ
竿に見る才識から判断して、朝鮮に於ても必ずや傑出したる手腕を示すであやっと想像して居るのである。こん
な事を云ふと余りに御世辞めくが、僕は心にも無い事を云ふのではない。真に斯く思ひ而して斯くの如き人を論
敵として最も関心して居た朝鮮問題を論ずる事を愉快とする余り、思はず斯く云ふのである。丸山君の如き人と
議論を交ふる事が貯仰削り問題の要点を明にするか分からないからである0
 丸山君は僕の論文を読んで大いに共鳴したと云はれるが、僕も亦同君の論文を読んで共鳴する処が頗る多い。
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殊に君の論文の第三項の如きに対しては最も大なる感激を以て氏の熱誠に服せざるを得告。然し互に共鳴する
点を説き合ふは本論文の目的とする処ではない0此処には唯だ相互の意の疏通せざる所を明にして御互の間に、
且又世上に向つて問題の要点を明白にする事が必要であるから、閑話休讐して直ちに、余の同君と見る所を異
にする点一二を簡単に論じょう0尚附け加へて申して置き度いのは、細かい点を挙げれば見る所を異にする点が
一二に限らないが、枝葉に亘るは反つて本文の開明を曖昧にするから之も略して置く0すると問題は二つになる。
;は青年会の問題である〇一つは独立陰謀に関する問題である。
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青年会と総督府取締り方針との関係に関する事実に就ては大体丸山君の述べらるゝ処の通りであらう。之に就
ても具体的の事実としては多少申し度い事があるけれども、そんな細かい点はどうでもよい。唯だ青年会に対す
る僕の意見は(一)朝鮮青年会は今あるがまゝに発達さしてよい0又発達さす可きである。(二)なまじか之に手を
若けるのは宜しくないのみならず、反つて彼等の心理に逆らひ徒に平地に波瀾を起すの嫌があると云ふに帰する。
丸山君は、「殺風景な単なるドーミトリーに過ぎない今の青年会」を物足らないとして之に娯楽の設備をさする
とか、朝鮮語を解し日本語を能くする親切な外国人を監督の任に当らしめ様と云ふ様な事を考へて居らるるが、
其の親切は飽く迄も之を諒とするけれども、夫れが余計な御世話だと云ふのである0娯楽の設備を彼等が要求し
て居るか、又之が第一の必要であるか0現今青年会の監督として、あの聡明にして誠実なる自南薫君を以て何故
不足なのか0独り総督府の役人許りでない、朝鮮の学生などを世話したがる人に僕の常に不満とする所は本人の
要求、本人の必要を深く考へないで、自竺個の考で余計な世話をして徒らに平地に波瀾を起す所にある。誠意















の岡垣でない。どうする事が我が誠意を最も披漉し得る事になるかの問題である。之は僕の経験する所であるが、
僕が何か批評をすると相手方は、いや俺は誠心誠意を以てやつて居ると云ふ。僕は彼等に誠心誠意の無いと云ふ
のではない。其の誠心誠意を通る様にやれと云ふのである。道徳的要素に科学的要素を入れよと云ふのである。
個々の問題はどうでもよい。そし▼て僕は諸君の誠意を疑はない。唯だ其の誠意を如何にすれば充分有効に現はし
得るかと云ふ方法に異議があるのである。
 総督府並に役人諸君が留学生の為めに非常に骨折つて居らるゝ事は余の疑はざる所であるけれども、唯だ留学
生の必要と要求とを充分に了解して居るかどうかに就ては今尚大いに疑つて居る。而して是の如j腹で僕が兎や
角批評する所以は全然留学生の世話から手を退けと云ふ意味で無い事は云ふ迄も無い。「親切に世話をし、相談
相手にもならう」と云ふ事が悪いから止せと云ふのが僕の趣意であると云ふ凰に丸山君の考へられたのは全然誤
解である。大いに世話すべきであるが、今迄の様な態度でやつては結局世話した事にならないと警戒すると云ふ
のが僕の趣意である。丸山君の云はる、様に、留学生諸君も大半は偏量偏狭に相違ないけれども、彼等をして是
                           〔半〕
の如く偏狭ならしめた事に就ては、一般の責任は我々にもあるから無論此の点を彼等にも責む可きであるが、唯
だ彼等を責めた丈けでは為めにならない。我々日本人としては、先づ日本人の対朝鮮人観を改むるのが先決問題
だと云ふのが日本人としての僕の衷心からの叫である。丸山君の云はる、様心「真面目なる一般内地人に、より
多く接触を保たしむる様に努力する事が、本統に朝鮮人に同情を表する所以である」と云ふに全然賛成であるが、
唯だ問題は如何にして朝鮮人を内地人に、より多く接触せしむる事が出来るか。之には先づ第一に我々が謙遜し
て朝鮮人の心理を尊敬し、彼等の云ふ処為す処の中に、尊敬す可きものを正直に見てやると云ふ雅量がなければ
ならない。己の意を以て他に強制すると云ふ態度では、どんなに熱誠と温情とがあつても彼等と本当に友達とな
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る事は出来ない0親切は道楽にやる事ではない○之には研究が伴はなければならない。昔心が伴はなければなら
ない0此の点に於て僕の青年会間遺に対する態度が若し少しでも丸山君の完全な了解を得なかつたとすれば、そ
は唯だ僕の前の論文の説き方が不完全であつたが為めであらうと、甚だ漸悦に堪へない次第である。
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      三
次に最も大事な点は、独立陰謀に関する道徳的判断の問題である○之に比較すると前の青年会問題の如きは、
ほんの枝葉の問題に過ぎない0此の方の見解が決まれば前の問題に就ての議論は自ら氷解す可きである。此の点
に関する丸山君の思想は僕等の考と余程近い様であつて、又可なり距離がある様にも思はれる。
                                                一そも.そも
第一に、丸山君は独立陰謀を僕が道徳的〔に〕是認するものと見て居られる様だが之が抑の誤りだ。「祖国の恢
復を図るものは志士である、陰謀を企つる事は道徳1の善事である」と絶対的に断定した覚は無いけれども、若
しさう取られる様に僕の論文が書かれてあつたとするなら、それは僕の不明として謝して置かう。けれども全体
の文章の上から解釈しても明なる通りに、僕の趣意は朝鮮民族独立運動の根本的動機には道徳的なものが有ると
云ふ点であ告独立運動をするのが総べて道徳的に善であると云ふのが過りである様に、独立運動する事が総べ
て道徳的に不善であると云ふ事は出来ない0独立運動者の中には道徳的に非難すべからざる、否尊敬すべき動機
から之を企て、居るものがあると云ふ事を見てやらなければならぬ○之を見た上でなければ、我々が朝鮮人の立
場を充分に了解して其上に彼等と共に提携すべき所以の道を樹つる事が出来ないと思ふのである。
 尤も之に就ては道徳と法律との関係が問題となる0丸山君は「道徳と法律との限界」と云ふ文字を使はれて居
るが之が頗る不明晰な言ひあらはし方である0少くとも僕等の様に道徳を以て国家以上のもの即国家を指導すベ











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き所謂超国家的規範と認むるものに取つては、与へられたる問題の場合に、道徳と法律との限界を云々すべきで
はないと考へて居る。と云つて僕は所謂国民道徳又は国家道徳を否認するものではない。唯だ其の国家道徳なり、
国民道徳なるものは、個人道徳と云つても、又すべての個人に通ずる意味の道徳を意味する様に、其の当該国家
内に桐蹄する狭い意味には解せない。此の点に於て我々の云ふ道徳的観念は法律と其本質を異にせずして、しか
も大いに其の領分を異にする所以である。であるから法律は須らく道徳的観念の要求に合すべきであるも、法律
の命ずる所は必しも道徳の命ずる所と一致するとは限らない。道徳上是認せらるべき事で、否道徳上少くとも諒
とせらる、事で、法律上罪とせらるゝ事は我々日常の経験に於ても決して珍らしい事ではない0故に実際問題と
しては、法律と道徳と云ふものは一致せるものではない。之を出来る丈け一致せしめて行かうと云ふのが即ち政
治家の手腕である。例へば朝鮮独立の問題にしても、法律的には逆賊であつても遺徳的には大いに其の心事を諒
とする所に政治家の手腕を発揮せねばならぬと考へる。法の非とする処がすべて道徳上罪であると見るのは余の
平素唾棄して己まざる、偏狭なる国家主義者の立場であつて、丸山君の如き明白に人道主義的立場に立つて居る
方々の取らるべき立場ではない。然し、こんな小理窟は素より御互に充分わかつて居る事であると思ふから此処
にはくどくどしく説かない。
 丸山君は「朝鮮が日本と併合して、朝鮮人が日本人となつた以上、日本の国法を遵守し、国憲を重んずること
が、法律の要求であつて、同時に道徳上の至善であるべき筈」と云はれて居る。法律の要求が道徳上の至善であ
るべきは政治上に理想であるが、之を現実に肯定するは思想上大なる過りである、のみならず、朝鮮人に是の如
き要求をなすのは形式上もとより当然の事ではあるが、然し政治家の見識としては、之が朝鮮統治の理想であつ
て直ちに現在の朝鮮人に之を求むるの難きを知らなければならない。現に丸山君も此の道理を理解せらるる迄に
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は長い努力がいる、此の倍念自覚を植ゑ附けて行く事が統治の要諦であると云はれて居るから、此の日鮮融合の
理想を最後に到達せらるべき目標として居らるゝ事は疑を容れない0然らば、朝鮮人に全然日本人と同一の能産
を求むると云ふ事は、最後の到達点であつて決して出発点ではない0朝鮮人が法律上日本人だからと云つて此の
前提の下に政策を決定しやうとするなら、それは法律を知つて政治を知らず、従つてスタートと決勝点を混同す
るものである○出発点と到達点との混同は殖民地統治上最も用心して避く可き事とせられて居る。余程注意深い
人でも動もすれば此の点は誤る事を常とすると云ふので、殖民政策の書物などには、くどい程説いて居る事であ
るから、丸山君も篤斗此の点に就ては御研究になつて居る事と思ふけれども、お書きになつた所に依つて見ると
           とくと
此の点は研か明瞭を欠いていると思ふ○而して之と同様な謬見は今日迄僕の遭遇した殆どすべての朝鮮論者の誤
解であるが故に、此処に特に此の点を高調せんとする所以である○繰り返して云ふ、我々は朝鮮人に向つて日本
の国法を遵守し国憲を重んじ、日本国法の要求を以て同時に道徳1の至善であると彼等が考ふる様に努力せねば
ならないけれども、かう考ふべき筈であると決めて彼等に臨む事は益々彼等を反撥して日本に背かしむる事にな
る。
 そこで丸山君の所謂朝鮮放棄論に就て三富ざるを得ない○君は朝鮮統治に関する余の理想が朝鮮放棄ではな
いかと疑はれて居るが、或は丸山君の云はるゝ様な立場からは放棄論になるかも知れない。何故なれば出発点と
到達点とを取違へ、前提と結論とをごつちやにして、法律的に形式的に奴隷的服従を強ふる事に依つて、朝鮮と
日本とを結び附けて置かうとするものこ止場には絶対に反対するから、さういふ形式的意味に於ては断然朝鮮を
放棄すべきであるL考へて居るけれども、我々は形式的に棄てる事は実質的に堅く結ぶの端緒である、もつと高
い道徳上の立場で彼等と結ぶ事を根本の理想とする○此の理想から云へば、或一派の人々の考へて居る様な朝鮮
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.統治策は寧ろ朝鮮民族拒絶論になると思ふから、我々を朝鮮放棄論者とする人々は実際に於て朝鮮拒絶論者たる
ものと考へて居る。云ふ迄もなく僕は日鮮融合提携を以つて東洋平和の根軸であり、又日本の対東洋策の根帝で
あると考へて居る。此の理想はもとより丸山君と全然同一であると考へて居るが、唯だ如何にして此の理想を実
現する事が出来るか、今迄の様なやり方は朝鮮を捉へんとして益々彼等を遠ざけるに過ぎない。そこで我々は従
来のやり方に根本的に改革を加へて、もつと道徳的な、もつと実質的な所で彼等と結ぶべしと云ふのである。然
らば即ち彼等に臨むに徒に形式的服従を以てせず、もつと共通な、もつと高い立場を取つて行かうではないか0
従つて又朝鮮人の行動の中にも若し高い道徳的立場があるなら之を是認し、少くとも之を諒とする事に依■って彼
我融合の一新境地を開かうではないか、と云ふのが僕の立論の根拠である。
一体丸山君などは朝鮮統治の理想を何処に置いて居らる、のであらうか。同化か独立か、形式的融合か実質的
融合か。当局者として統治の責任を感じて居らる、以上、此の点に関する明答を承り度い。僕は多年の学術的研
究の結果として此処に断言する。同化は先づ殆ど不可能である。若し朝鮮人を形式的に日本人たらしめんとする
のが朝鮮統治の理想であるならば、これ程非科学的な事はない。然らば朝鮮統治の理想は日鮮両民族の実質的最
高原理に於ての提携でなければならない。此処に於て我々は彼等に臨むに、否彼等と我々との間の関係を規律す
るには、必ず普遍的な基礎に立つて一致提携を図らねばならぬ。特殊的の立場に於ては断じて融合は出来ない0
日本の国法に反いてはいけないと云ふのが日本の立場である。祖国の恢復を図ると云ふ事は、日本人たると朝鮮
人たると支那人たるとを間はず、普遍的に是認せらる可き道徳的立場である。此処に共通な或る最高の原理を見
ると云ふ事が即ち日鮮両民族の本当に丁致提携すべき新境地を発見する事だらうと云ふのが僕の立場である0之
                                 かくのこと
を性急に朝鮮放棄論などと考ふるのは浅見も亦甚しい。丸山君をして如是き誤解を懐かしめたのは、或は僕の前
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の論文の不完全な為めであつたであらう、よく事をわけて議論を進むれば恐らく同君の了解を得る事が出来るに
相違ない。
 最後に丸山君は僕の気分には共鳴するが問題を取扱ふ態度には承服が出来ないと云はれて居る。趣意には賛成
だが態度には反対だと云ふ事は、何を意味するか、一寸了解に苦しむが、唯だ誤解の無い為めに三口して置き度
い事は、僕はかういふ渉外の問題に就ては議論の使ひ分けをしない事にして居る。朝鮮人に物言ふ時には、かう
いふ態度、支那人に物言ふ時はああルふ能産と、態度を二三にする事は少くとも今日の世の中には通用しない、
又さうしてはいけないと考へて居る。売主の所に行つても買主の所に行つても、又嫁を貰ふ方に行つても嫁を遣
る方に行つても、全然同じ事を云ひ得ると云ふ、公明正大の態度でなければ今日の人間は承知しない。生半可な
政治家は、所謂人に依つて法を説く事を当然の原則と心得て居るものもあるが、是程間違つた事はない。殊にか
ういふ郡が殖民地統治の議論に頗る多い事を遺憾とする。丸山君がかういふ誤解を懐かれて居ると云ふのではな
いけれども、如何に此の種の誤解をなす人が多いかわからないから、序を以て此処に三日する所以である。
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 丸山君の質問に対する答解として、此の論文は甚だ不完全なものである。が、之を機会として十二分の理解と
疏通とを得る迄考究を続けん事は、余の希望であり、恐らく又我々同人の熱望であらう。朝鮮の問題に対しては、
此の外に又色々の人から質問を受けた点もあつたので、始めはもつと充分に、もつと詳細に論ずるつもりであつ
たけれども、或る私事の為めに妨げられて今回は其の意を尽す事が出来なかつた。此の論文は極めて倉卒の際に
辛うじて軋来た次第であるから、僕一個としても丸山君を初め其他多くの人の更に一層突き込んだ教へに壊して、









仙閑






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此の肝要な問題をもつともつと深く論究するの機会を作り度いと考へて居る。朝鮮問題に関する論静が之を以て
終を告げざらん事を切に希望する。余一個としては又次号に放て述ぶる所あるつもりである0
                                        〔『新人』一九二〇年四月〕.