華府会議成績批判の標準



                                                                                                        や かま
 ワシントン
○華府会議の成績に就いて成功、不成功の批評が新開などにも論ぜられて居るが、今度の議会でも定めし矢釜
敷い問題になる事であらう。併し成功、不成功と云ふも、何を標準として之れを論ずるのか此点が甚だ明瞭でな







 ヽ 。
しY
o或人は此前のむ卦講和会議に比して今度は成功だと云ふ。各種の会議に於ける日本全権の手並は、此前の会議
 すこぶ まで
では頗る拙か′つた。之れに比較すると今度の全権連中は先づ可成りよくやつたと云へる。無論十分満足は出来な
いが、併し今日の事情の下に於てあれ以上の人物を使臣として遣ると云ふ事は一寸難かしい。此意味に於て今度
の会議では、多少日本も面目を上げたと云ひ得るかも知れない。が、併し之れ丈けで以て日本が実質的に今度の
会議に成功したと云ふ事は出来ない。之れ多数の国民が全権の人選に一部の満足を表しっ、、尚ほ全体の成績に
                   ゆえん
就いては概して不成功を叫んで止まざる所以である。
○華府会議の不成功を説く者の中最も多く開く説は、全権使臣が結局当初の主張を貫徹し得なかつたと云ふ事で
                            いわゆる
ある○海軍協定の主力艦比率の問窺にしても、四国協約の所謂、日本本土の解釈問邁や、又防備制限区域間是に
                                                          こ
しても、譲歩に譲歩を重ね当初十を要求したものが結局せい′〃ト七八を得るに止まつて居る。悠んな例は他の国
にはない。日本独町譲歩せられたと云ふのが、丁度国民の眼には我々独り損失を忍んだと云ふ風に見えるので、
全権使臣の腑甲斐なきに憤慨すると云ふ訳なのである。之れも一応尤もではあるが、併し我々は全権の腰の弱い

′4
2
進丁










のを今更非難しても仕方がない、のみならず此問題は冷静に考へて見ると、もう一段高い所から観察して見る必
                                               かかわ
要がなからうか。早い話が我々が友達と一緒に三越に買物に行つたとする、正札が附いて居るにも拘らず我輩独
り値切つて見たとする。負けて呉れる筈もないから、結局正札通りに買つて来た。此場合当初の主張を貫徹し得
なかつたと云ふので、我輩独り損をしたと云ふ訳には行くまい。尤も店に依つては正札なるものゝ怪しい場合も
ある。其時に値切らないのは無論損だ。であるから問題は第一にあの場合値切つて特別の要求を出したのが正し
いかどうか、第二に値切るのが相当だとして其値切り方の程度が其当を得て居つたかどうか、第三に相当な値引
                                                                      ヽ ヽ ヽ ヽ
をさせるために十分努力したかどうかと云ふ点に帰する。斯う問題を分けて冷静に且つ慎重に事件のいきさつを
見ると、我々は今度の会議に於て本来得べかりし物を特に失つたと見るべきかどうかの大体の見当は付くだらう
と思ふ。
                                             ア メ 川フ カ
○当初の要求を貫かないのが悪いと云ふ説の中に、当方の要求の正否の議論を棚に上げて、只亜米利加の尻馬に
乗つたのが頼に触ると云ふ議論もある。此考への中には発議者たる亜米利加の提案其物が元来利己的なものだと
                                       ず
見る考へもあるが、又之れ等の実質的内容までに入らずに、只訳もなく他国の提説に引き摺られて行くのが面白
くないと云ふ立場もある。良い事でも、悪い事でも人のやつた事に附いて行くのが厭だと云ふやうな事は積極的
                          や や
に自家独特の発案を出す丈けの独立的見識を欠く者の稀々もすれば執る態度で、云はゞ瘡せ犬の遠吠のやうなも
のである。亜米利加の発案だらうが、或は飛んでもない弱小国の発案だらうが、道理のある主張には悦んで従ふ
と云ふ雅量を我々は大国民の襟度として持らたいと思ふ。若し夫れ亜米利加の発案が実質的に彼れの利己的野心
に出づるものであると云ふ説に至つては、公平に見て果して之れを適切に証明する事が出来るかどうか。若し之
                              たちま
れが立派に証明し得るものなら我々は他の参列諸国と共に忽ち之れを粉砕するに苦しまなかつた筈である。

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2

               い け
○当初の主張を貫かないのが不可ないと云ふ主張の中で、所謂当初の主張其物に譲るべからざる価値があつたと
見る考へは大に傾聴するの価値はある。之れを容易に譲るべからざるの根拠と理由あつて、而も之れをオメ′\
と譲つたと云ふなら之れは明白に失敗だ。只此際価値批判の標準を何処に置くかに就いては少しく眼界を広くす
るの必要があると思ふ。そは此度の会合は世界の平和を促進すると云ふのが主たる目的である。之れが為には一
国のみの利益の多少犠牲に供せざるべからざるは止むを得ない。只今日の時勢に於ては犠牲の提供にも多少の制
限なきを得ない。我々個人の生活に於ても公共事業に金を寄附するのを辞すべからざるが、併し社会が総ての人
                                  一匂
の生活を未だ確実に保障して居ない限り、総ての有てる物を投げ出すと云ふ訳には行かない。自家独立の体面を
                                                    たの
維持する事と、世界全体の幸福の為めに貢献する所と、其間に適当な均衡を保つて行く処に政治家の手腕を侍む
のである。斯う云ふ考へからすると我々の所謂当初の主張なるものは、日本と云ふ立場其物の利益の為めであつ
た事は疑ひがないが、之れと同時に世界の平和の促進を妨げる麒のものでなかつたかどうかを吟味しなければな
    たと い
らない。仮令日本其物の利益を若干犠牲に供しても、若し夫れが世界全体の平和と幸福とに頗る貢献するもので
あつたなら、其犠牲を忍んだと云ふ事が即ち会議の目的から見て成功であつたと云はなけれぼならない。何故な
れば我々は多少の犠牲を忍ぶ事に依つで今度の会議に参加するに至つた高尚な目的の達成に大に貢献する処あつ
たからである。而して斯くの如き犠牲を我日本独り払つたのでない事は云ふまでもない。予輩の此立場は今度の
会議で日本の譲歩した者は皆正しいのだと具体的に主張するのではない。只抽象的に判断の標準としては斯う云
ふ立場も念頭に置かなければならないと云ふ事を主張せんとするのである。
○ところが此立場に対して全然正反対の見地に立つ批判が可成り妨間に多いやうだ。兎に角日本の為めに主張す
るのは少しでも余計に主張すべきで、一点一劃の譲歩でも一切の譲歩は総て之れ失敗だと見るのである。之れに
2
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進丁
い標









依つて他国がどう云ふ影響を受けやうが、又全体の空気がどうならうが一向構はないと云ふのである。云はゞ囲
                                                                            ま
際的個人主義を極度に固執する態度だ。併し之れは今日の国際協働の精神と相容れないものである事は云ふを侯
たない。国際会議など云ふものは表向き何と云つても皆慾と慾との競争だと見るのが彼等の立場であるが、之れ
                                                  ヽ ヽ  くノヽ
等は丁度三越の正札だつて買ひやうに依つては負けない革もあるまいとたかを括つて行く田舎者と同じ態度だ。
                    しばしば
斯う云ふ立場の甚だしき時代錯誤である事は蜃々述べたから、今改めて論じない。つまり斯う云ふ考へで居る以
上は到底我々は現時の国際関係に於て重要な積極的役目を働く事は出来ない。
○我々は兎に角華府会議の招待に対して欣然快諾の意を表した。今更ら金持ちの寄附のやうにお付き合ひには出
すが出来る丈け少く出さうと云ふやうなケチな態度は執り度くない。政府の考へはどうであつたか、又全権の手
腕がどうであつたか、即ち此度の会議の成績に就き若し成功、不成功を論ぜんとならば、我々はどうしても次の
標準を執る事を忘れてはならない。(一)会議の成績が果して世界平和の進歩に幾分でも貢献したか。(二)之れに
貢献したとすれば斯くの如き結果の成立に就いて日本はどれ丈け積橿的に貢献したか。(三)此世界的目的と日本
独自の利害との調和は如何。全体の目的の為めに余りに独自の利害を傷けるやうな事はなかつたか。又其反対に
                                 もと
独自の利益を過度に主張する事の結果今迄が進歩に戻るやうな事はなかつたか。独り自ら戻らざりしのみならず、
他国が同じやうな誤りを為すものを十分に制したかどうか。而して之れ等の層準から考へて見ると此度の会議に
於ける日本全権の活動は決して見事な成功と云ふやうな事は出来ない。が、只会議の成績其物に就いては大体に
於て世界全体にも、又日本にも有利な効果を将来に持ち来すべきものだと信じて居る。
                                          〔『中央公論』一九二二年二月〕
ユノ
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愛蘭開港解決の側面観
 アイルランド
 愛蘭問題がシン・フエン党の英愛条約の承認に依つて目出度く解決を告げた事は、最近の電報に依つて読者
                     ただ
諸君の既に知らる、所であらう。此問題が膏に英国にとつて重大な問題たるのみならず、又世界的に非常に重要
     も
な意味を有つて居るものである事は、去年十月号の本誌にも之れを論じた事がある〔本巻所収「愛南開題の世界的重
要意義」〕。他の問遺に隠れて此問題の比較的我々の耳目から遠ざかつて居るのは予輩の甚だ遺憾とする所である。
併し先に重ねて此方面の事は説かない。滋には又他の方面から此問題の我々に与ふを重大な教訓を考へて見よう
と思ふ。
 去年の暮までの模様に依ると、愛蘭問題は容易に解決しさうに見えなかつた。前記十月号の本誌にも説いた如
く、ロイド・ジョージの声明せる極度の譲歩は実質的には愛蘭民族の容認し得る所であつたけれども、彼等の闘
将として戴くデ・ヴアレラは形式間邁に拘泥して最後まで英本国と妥協せんとしなかつた。即ち彼の立場からす
      ど だ
れば、問題は何れ丈けの譲歩を英本国から得るかでなくして、愛蘭は本来独立の民族であり、英本国の之れ迄愛
蘭を統治して居たのが間違ひであつたと云ふ、名義を正したいと云ふのである。云はゞお前の金を十円貨ふと云
ふのでなくして、共十円は本来俺の物だと云ふ事にしたいと云ふのである。甲から乙に十円の金を移すと云ふ実
▲質の一間題には文句はない。只名義を何うすると云ふのである。ロイド・ジョージは飽く迄愛蘭民族を英国王の忠
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′4
2










                                                                    ヽ ヽ ヽ
誠なる臣民として之れに広汎なる自治を認めやうとするのであるから、此形式問題にこだはつて居る以上は到底
解決を見るべくもない。であるから愛蘭問観は或意味に於ては殆ど解決し、「又或る意味に於ては殆ど解決の緒に
も着いて居ないと云ふ有様である。
 所が最近愛蘭では、多数はデ・ヴアレラの頑強なる態度に反対し、実質的に得たるものを以て満足し、之れで
解決を告げやうとする事になつた。其の結果デ・ヴアレラは大統領の職を退き愛蘭議会に於て云はゞ少数党の地
位に立つ事になつた。多数党鈍鮎漸英愛条約の批准を議決した事は既に読者の知らる、処であらう○
 さて斯くの如き現象は一見するとデ・ヴアレラに対するロイド・ジョージの勝利であり、又或意味に於ては愛
蘭に対する英国の勝利であるやうに見える。が、併し之れを勝サた負けたの見地から批評するのは大に誤りであ
                                                  かぶと
ると思ふ。そは日本の労働争議などに於て常に見るが如く、一方が刀折れ、矢尽封で如何とも為し難く、遂に兜
                                        きわま
を脱いだと云ふのとはまるで趣きを異にするやうである。愛蘭民族は決して進退谷つたのではない。ロイド・ジ
             み な
ヨージの提案を以て適当と見傲し、デ・ヴアレラの立場を固執するの必要なしとして条約の承認と云ふ事になつ
                     くだ
たのである。即ち余儀なくして敵の軍門に降つたのではなく、自ら問題となつて居る解決を相当と認めて折合つ
たのである。滋に本当の意味の妥協がある。窮して折れたのではない。
                               はん甘い
 そこで問題となるのは初めデ・ヴアレラを戴いてあれ程頑強に英本国に反喧した愛蘭民族が、どうして斯くも
やすやす
易々と妥協的態度を執るに至つたか。一見すれば余りに腑甲斐ないやうであるが、共処に予輩は一つの大なる教
訓を見出すのである。此点を明かにする為めに例を日本の労働争議に取らう。資本家乃至官僚は余りに争議の長
                                  【ママ〕
引くのを恐れて一種の妥協案を出す。労働者も余りに長引くの苦痛に堪立かねて此位の案なら容れても好いと云
くノ
′4
2

ふ考へになつたとする。が、併し彼等は資本家乃至官僚の誠意を信ずる事が出来ない。窮余斯くの如き提案で一
  まとま       やが
時の繰りは着けるが、躾て労働者の昂奮状態から収るに及んで、更にどん〈喰ひ込んで来る。約束も何もあつ
たものではない。して見るとうつかり甘言に乗る訳には行かないと云ふ事になる。案其物は好いとしても、之れ
を容れると云ふ事は其先き又どんな苛酷な案で苦しまなければならぬか分らないと云ふ事になる。併し同じやう
な考へは資本家の方にもある。労働者の要求はそれ丈けの問題としては之れを認むるに苦痛はない。が、今日一
                         たくま
歩を譲れば他日二歩、三歩と飽くなき慾望を達しうして来るに相違ないと見る。斯くて彼等はお互に相手方の主
張を其佳に見ず、更に飽くなき要求の第一歩と見て居る。二言にして云へば彼等は互に相手方の誠意を信じない
のである。公平誠実に問題の紛糾を収め、出来る丈け平和の状態を長く続けやうとする考へはないと見える。斯
                                                      あら
う云う風に相手方の誠意を疑つて居れば、「旦云ひ出した事は無理にも押し通さずには居れない。即ち総ゆる手
段を以て完全な勝利を博する事の外に自ら生くる途がないと云ふ事になる。斯くして争ひの極度に紛糾するのは
多くの場合に於て当事者間に誠意の流れて居ない事を証明するものなのである。
 其半面に於て紛糾せる問題が結局に於て円満なる妥協を見るのは、時としては物事を徹底的に持つて行かない
と云ふ精神町弱点の発露である事もあるが、多くの場合に於ては当事者の誠意を相互に信頼すると云ふ事実を語
                                二一よ か
るものである。愛蘭問題の如きもロイド・ジョージの提案は一時の胡魔化しでない筈だと愛蘭民族は見た。ロイ
ド・ジョージも亦愛蘭民族は一旦独立を得たら何をするか分らないと云ふ風に疑つても居ない。蕊に誠意の信頼
があるから実質的ペ満足な解決があれば形式的の点に深く拘泥せずして解決すると云ふ事にもなるのである。先
に我々は大に学ぶべき何物かゞ存する事を思ふ。
/。
′4
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                                        ロ シ ア
 我々はレーニンが英国政治家の如く妥協的弾力性を有たぬ事を怪まない。露西亜のやうな極度の圧制の行はれ
た国に於て誠意の信認が政界に流れて居る筈がない。妥協は露西亜に於て無論禁物であらう。レーこ;の露国に
於て偉いのは一には其の非妥協的態度にある。けれども単に非妥協的だと云ふ点丈けで、同じくデ・ヴアレラを
  ひと なみ は
彼と均し並に諌める訳には行かをい。′デ・ヴアレラを惜し気なく棄てた愛蘭民族に又一種の面白味があると思ふ。
昨今日本の一部の人の間にはレユーンなどに同情して、非妥協的能産が最も男らしい立派な行動だと云ふ風に見
る者があるけれども、同じ筆法で英国や愛蘭の妥協性を罵倒する者があるなら大なる誤りである。我々は寧ろ朝
鮮問題などに於ては勿論の事、内政間遺などに就いても容易に妥協的態度に出で難い程度に在る事を甚だ遺憾と
する者である。
                              .、南中央公論』一九二二年二月〕










7
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2

華府会議協定の側面観
 ワシン一トン
 華府会議の成果たる諸協約は昨今漸をおうて発表されて居る。其大要は既に新開にも報道されて、一卜通り
は内容についての批評も公にされた。之等に関する詳細の評論は何れ今後時々本誌の論題に上ることがあらうが、
滋には只吾々が之をうけ更に之に基く各種の施設をするに当つて、如何なる態度を持すべきかに関し、一二の注
意を述べて置きたいと思ふ。
 華府会議の成果たる各般の協約に付てはやがて批准の問題が起るだらうが、之に付て早くも協約の憲法違反を
説く者がある。日く、海軍縮少の如き又属領諸島の防備の如き、もと皆陛下の専決親裁を憲法上の要件とするも
                                                 じゆスノりん
の、之を内閣の権限に奪つて全権使臣が勝手に取極めるのは越権でないか、否、憲法上の大切な要件の揉鋼では
ないかと。
                                        そ
 憲法の理論として右の提説の誤なることは論を待たないが、仮りに然うだとしても、今日の世界の形勢は、我
国ひとり斯んな形式論に拘泥して折角の協調を破ることを許さない。吾々は今やもつと広く経世的眼光を鋭敏に
して世界の平和に実質的貢献を為すべきを要求されて居る。
 甲の町では道路は左側を行くものと決めてある。然るに乙では右ときめ、丙では中央と定まり、区々まち〈
\召“凋召濁り日代V増ヨjパ憎。Wう〆。.。∃X、貞11−パ題q層濁当月当。Y絹り。d凄
                                                        いわ
になつて居る。交通機関の発達に伴ひ各町村の往来が頻繁となつて来ると之れでは大変不便になる。況んや交通
                             ここにわいて
機関にもいろ〈の新奇なもの、発明を見るに於ておや。於是広きに亙る交通の安全を期せんとて、各々の町
の代表者が集つて或る事を相談することになる。此時もし、かくして出来た新協約が従来の規定に背くとて不満
                   う ぐ
を表するものあらば、人誰れか其迂愚を笑はぬ者があらう。
 未開草創の時代なら、格別の意義なき規則にも無理にも服従を強制して人々を法的生活に訓練するの必要はあ
ったらう。現代の文化人には、形式よりも先に内容の意味の方が重ぜらるゝ。而して斯うした立場から法制共も
                              けだ
のの改革が叫ばれるのだが、其の叫びの甚しき今日の如きは蓋し従来に共比を見ざる所である。有らゆる方面に
                       な
於て改造の力強く唱へらるゝ今日に於て、佑ほ過去の規則に拘泥して時代の要求せ抑へんとするは、子供の身長
      ののし
の伸びたるを罵つて強いて去年の衣物に甘ぜしめんとするのに外ならない。










 斯くいへばとて僕は只漫然として法律の権威を侮蔑するのではない。況んや憲法おや。然れども、今日の如く
急激なる変遷を経過しっ、ある時期に際会しては、法の権威も時代の要求には一歩を譲らねばならぬと思ふ。
「時」が新しき秩序を作るのだ。憲法の規定−而かも其の誤りたる解釈に累されて新時代に相応する新秩序の
                         し                         し
創成を阻むのは、往々反動思想の巧妙なる発露と}準えらるゝの恐れあるのみならず、少くとも時勢を識らざるの
そしり
談を免れない。
 但し華府会議の成果が新時代の新要求を完全に表現するものなりや否やは別個の問題である。現に米国上院に
於ては、此観点から近く辛刻なる批評を受けんとして居る。かうした内容の吟味からではなく、只憲法の在来の
                                 そ     もう▲まい
型に入らざるの故のみを以て其の採否を決せんとするのなら、夫は余りに曖昧な時代錯誤だといふのである。
8
′4
2
9
′4
2

僕は子供の時斯う云ふ話を開いた。仙台の藩祖伊達政宗が諸大名と共に家康の前に出で、
いよいよ
愈々封禄の辞令を貰
                                           わぎ
ふと云ふ時、家康は改宗の名を呼び上げ、奥州仙台三十一万石と云ひ渡した。政宗は故と聞えぬ振りをしたので、
家康は更に一段と声を張りあげて三十一万石と繰り返したのを、政宗すかさず合せて六十二万石有り難く頂戴と
御受けしたと云ふのである。無論事実あつた話ではないが、機智によつて勝を制するといふ点に世俗が一種の値
           よ
打を認めた気持は能く分る。而して国際談判などは万事此の調子で囲利国益を謀るべきものとする思想は、実は
今日でも多くの人々の胸の中に往来してゐる棟だ。所謂使命をはづかしめぬ人材とは、斯うした当意即妙の機智
                             ナこぶ
に富む者をいふとさへ考へて居る者が頗る多い様である。
 斯う云ふ頭で今度の華府会議の成績を観る。遺憾の点甚だ多いことは申すまでもない。が、また見様に依ては、
頗る成功と云へぬでもない。理窟なしに無理押しに押した所も可なりある棟だからである。併し僕等の考では、
斯ういふ頭で現代の国際談判を観るのは、飛んでもない誤りだと思ふ。
                                                  こうあん
 国際関係が事実上道理に依て支配されず、弱い者は虐げらる二万で、強い者同志はまた一時の筍安をぬすむ
為に各自の盲ひ分を調節しやうといふのが、所謂国際間題であつた昔の時代に在つてなら、其談判に掛引の余地
                         まる        か
あるは固より言ふを待たない。冷静な国民の判定を全で眼中に置かない夫の議会の論難と同じ様なものだ。下ら
 すlき
ぬ隙に揚足を取り、つまらぬ欠陥に乗じて相手を困らせて喜ぶのだから、悪く智慧の伸びた者が一番調法がら
る、。国家の利益とか、世界の平和とか、本当に実のある問題に通ずるだけの者は殆んど無用の長物祝されて仕
舞ふのである。
       も はや
 併し今日は最早こんな時代ではない。少くとも戦後の世界は大に面目を一新した。旧来の弊習を一掃したと云
つたら若干言ひ遇の嫌あるかも知れぬが、主たる潮流が世界の平和と幸福との実質的確立に在る事だけは疑を容

′ヽノ
2










れぬ。斯くして国際的協同の精神の漸く盛ならんとする時に、ペテンに掛けて人をごまかす様な小策は、最早黙
                    かく
つて通されまいではないか。腹に一物を蔵して出掛けて来る政治家の間には、御互だからまだ叶いとして正直な
周囲の民衆が承知しない。昔なら会議の談判をさへうまく切り抜ければ万事が耶つた。今は談判の席上に於ける
表裏一切の事情が直に赤裸々にさらけ出されて、永久に世界の民衆の道徳的批判の的になるのである。民衆の同
情が今後の国際関係に重要な作用を為すものなる限り、我々は大に昨今の新形勢に眼を開いて、国際談判に対す
る態度を改めなくてはなるまい。
      .ばなし
 之を政宗の昔噺にくつ付けて考へる今日の頭で往けば家康の三十一万石といふ見当が正しいか、・政宗の六十二
万石といふ要望が正しいか、当時の天下の客観的形勢に基いて判断されるので、偶然の言ひ懸りできめるなどい
           たと い
ふことは許されない。仮令家康と政宗との掛引で多少の出入があつたとしても、仙台藩の禄高の幾ら位であるべ
きかは道理上始めから走る所がある。華府会議に於ける海軍割当の決定の如きも此の見地から是非すべきであつ
て、全権の出様に依てはもつL割が能く定め得たるべしと思ふのは大間違である。若し夫の割当に不満だとすれ
ば、そは独り帝国全権を責むるばかりではなく、会議其ものを責めなければならない。
                                      しばしば
 大局から観て今度の華府会議の協定は其の当を得て居るかどうか。之に付てめ愚見は屡々述べたから今また之
を繰り返さないが、世人が一般に此問題を正当に解するに当つての一つの障害となるものは、東洋に於ける日本
の従来の地位といふ事であると思ふ。この点を反省する毎に僕はつくぐ強者の悲哀といふ感に打たれざるを得
ないのである。
 先に両親に死別した孤児があるとする。莫大な遺産を管理する為に叔父御が世話を見る事になる。其の苦心に
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くノ
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依て本人も立派に育ち財産も殖へた。斯くして長い年月を経るに従ひ少しく叔父御の我佳が現れて来る。子供も
もう一本立になつたから御世話は入らぬと、そろ〈叔父の排斥が始つて来る。遺産の管理に依て優勝な地位を
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くノ
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占め、之を利用するともなしに種々便益を得て居つたのに、急に逐ひ除けられては立つ瀬がない。
折角有つて居るものに執着し未練を残すのは概して人情の常だ。無理に除け〈と責められると、
じつ                                    おだやか
日の恩を忘れたかと云ひたくなる。従来の歴史を無視してひた責めに責めて来るのも穏でないが、
のみならず、
     のう
あべこべに異
なまなか
生中恵まれた
る地位に置かれた者が兎角その地位に執着して公平の態度に出で得ないのは悲しむべき事実だ。理窟がなくとも
強い者は或る点まで既に有てる物を保留し得る。此意味に於て強者のカを認めるが、併し此カあるが故に、譲る
                  かお そむ
べき時に譲り得ずして時勢の要求に面を背ける。我々が自分の生活を道義的に組み立てゝ行かうとする時、つく
ぐ強者の悲哀を思はざるを得ないのである。
 日本の東洋に於ける地位は正に親戚の子供を預る叔父さんの夫れだ。西欧諸国の侵掠を幾分喰ひとめたといふ
功労がないでもない。併し功労があるからとて己れの言ふことには万事従へと強ふるのは正当であるまい。最近
       やや         あや王ち
の日本は強者の動もすれば陥る所のその過に陥らなかつたと誰か言ひ得るものぞ。斯くして段々生長しっ、ある
子供達の聞から非難の声が起る。今度の華府会議では日本は或る意味に於て被告の地位にあつた。此の事を吾々
は忘れてはならない。
 日本に対する今日の世界の要求は、東洋平和の確立である。実質的に且つ積極的にこの仕事の完成のために指
導的地位に立たん事である。而して強者としてのカに恋々たることは全然此使命と両立しない。東洋に於ける強
                                                       二
者なるが故に此大使命を与へられながら、強者なるが故に従来の地位に未練を残して造の世界的期待に裏切る様
では是れ実に日本国民の耽辱ではないか。
〔『中央公論』一九二二年三月〕


一る





山国

A
C
M
Y