大学に対する思想弾圧
前号にも述べた共産党検挙事件〔本巻所収前掲論文〕に関連して、其後各官立大学に対する政府の思想弾圧なる間
しようどう
題が一時朝野の耳目を肇動した。形式上は必ずしも政府の高圧的命令に出でたるに非るの外覿を装ふも、その美
しようよう
当局の直接間接の奨漁に基いて色々の措置が各大学に於て取られたるの事実は、之を蔽ふことが出来ない。学生
なかんすく
の組織する各種団体の解散も一応は臥逼となるが、就中教授の地位を文政当局の指令に依て動かせるの一事に至
ヽ ヽ ヽ
ては決して軽々に看過することは出来ぬ。最近起つた問題としては既にきまりのついた事柄に属するも、同じ様
lのらた
な事はこの先きも起らぬと限らぬから、六日の菖蒲の嫌はあるが、前号に云ひ洩らした二三の点をまた更めて論
じて置かうと思ふ。
当局の官憲は特に検挙せられた学生の学籍を調査し、最も多くの嫌疑者を出した学校に重大なる責任あるかの
如き口吻を洩らして居る。その学枚に一種の責任あることは私も認める。併し之から推して学生の思想はその学
ぶ所の学校の教ふる所に依てのみ作らるると考ふるならば大なる誤りであらう。今日の学生が何に依てその思想
を作るに至るかは、もツと精密に考慮して貰ひたい。
右の点をはツきり考へぬ人は、学生の危険思想の責任を直に教師に帰する。教師が間違つたことを教へぬ限り
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庄
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思
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劉
大
学生が不都合な考を懐く筈はないと云ふのである。枢密院や貴族院辺には斯う云ふ考に基いて頻りに大学教授の
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処分を論ずるものがあるさうだが、今日の大学教授中斯くして処分さるるに値するものありや否やは姑く別問題
として、私は右の如き意見を開く毎に、彼等が自分の昔の経験に基いて今日の学生を判断して居るのでないかを
想ひ、思はず微苦笑を禁じ得ないのである。
ヽ ヽ
ごく古いことをいへば、初期の大学は名称は大げさだがその実小学の上級か中学の下級程度のものに過ぎなか
った。幼稚な頭で西洋人から新しい学問の講義をきく。一から十まで講授の内容を其佳金科玉条としたことは云
ふまでもない。今の枢密院の人達などは皆此時代に教育された人なのである。モ少し後の時代になると、日本の
教育機関も可なり整頓し大学の如きも漸く其の名称に催するものに進みつゝあつたが、一般社会の学術の進歩が
まだ甚だ低かつたので、矢張り教師の講義以外に学問を求むることは出来なか?た。現に私は明治三十七年に東
京の帝大を卒業したが、その頃でも、先生の講義を筆記したノートの外に手軽に智識慾を満足すべき参考書とて
もと
はなかつた。固より直凍に原書を読みこなす余裕はない。僅に早稲田大学で出版した洋書の翻訳はあつたが、可
ず さん
なり杜撰で安心が出来ぬと云ふ有様であつた。私の時代ですら斯の如しとせば、更に十余年も前に大学を卒業し
た人達の状態や思ひやるべしである。詰り彼等も亦教師の詩授を金科玉条として鵜呑みにしたのである、否、鵜
呑みにせざるを得なかつたのである。故に彼等が斯うした自分達の過去の経験に基き、学生の思想は則ち教師の
講授の正直なる継受なりと考ふるは無理もない。
併し斯く考ふるは余りに今日の時勢を無視し又余りに今日の学生を蔑視せるものである。年取つた人達は余り
書物を読むまいから分らぬも無理はないか、最近に於ける我国学界の進歩は二十年三十年前に比し実に隔世の感
あ亡つ
がある。教育の普及と共に一つには高等遊民の殖へた為でもあらうが、凡ゆる新旧の洋書はどん〈彼等に依つ
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て邦語に移さるる。之につれてまた独立研究の発表も少くはない。勿論之を西洋の進歩に較べたなら未だ〈云
しんしんこ
ふに足らぬのかも知れぬが、我国自身としては進歩の勢駿々乎として実に素晴らしいものがあると謂はねばなら
ぬ。従て学生の気風も亦自ら一変した。彼等の好学心は獣州つて居ても慎多な刺激を外界から受ける。周囲の状況
は教師の講授のみを学問の淵源とすることを最早彼等に許さぬのである。多読乱読は必しも正しい纏つた智識を
ねが
青年に与へない。私共は寧ろ今日の青年学生がモ少し教師の系統的な講授に親まんことを巽ふて居る。それ程に
今日の学生は実は外界の刺激に累され過ぎて居るのである。故に優れた学生の中には、教師の思想に承服せず相
当の筋を立てて見事に抗論して来るのも少くはない。要するに今日の青年は、老先輩諸君の青年時代とは全く違
つた気持で全く違つた雰囲気のうちに居る。青年学生の斯うした現状を無視して彼等の思想傾向を云々するは、
ゆ え ん
断じて当面の急務を解く所以ではない。
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くノ
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学生の危険思想の責任を専ら教師の講授の内容に帰するの誤りは、更に処分さるべき不良教授の選定に於て一
層大なる過誤を重ねた。罪人を滋処にあると予定してか、る下級の警官が無理に罪人を作る様なものである。そ
れに世間の頑迷者流が〃劉しい。政府に対し相当に威力を有する方面でも此事を以て頻りに政府に追つて来る。
斯くして政府は之等の理由からしても何等かの処置に出づるを急がねばならぬことになる。如何の人を処分すべ
いと】よ
きかに付て慎重に攻究する達がないのだ。この点に関し最も遺憾なのは、当の大学に意見を徴さなかつたことで
はか
ある。教師の思想に関する問題につき、大学そのものの意見に何等諮ることなくして軽々に処分するといふは、
余りにも無暴なる仕方だと思ふ。
滋についでを以て一寸大学教授の地位の自由と云ふ事につき三一口したい。大学を特別の自治区域と認めたこと
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は、西洋の昔の歴史に根拠する一種の伝説にして、今日は最早何処の国でも文字通りに之を認めては居ない。
たゞ実際の取扱上大学の如きは多分に自治を認めてやつた方が得策だと云ふ意味にこの言葉の用ゐられることは
ある。併し法規上大学に限りて特に上司の監督の外に立つを許さるるのではない。従て大学教授も官吏としては
矢張り文部省の支配を受け、相当の理由あれば休職もされ罷免もされるのである。そんなら大学教授は普通の学
校教師と全然同一の地位に在るのかと云ふに、唯一つ相違がある。普通の学校教師はその教ふる事の内容に付て
も文部省の監督を受ける。故に例へば督学官と云ふ様なものを設けそれをして講授の内容を視察せしめ又その報
うんあう
告に基いて教師の進退をきめることも出来るのである。然るに大学になると、此処は学術の藷奥々究める処だか
ら、他にその攻究講授の内容を批判し得べきものはあり得ない。大学自身が相当の方法を以て其判定を下すのは
いえど
い\上司たる文部省と錐も研究諦授の適不適を論ずるの資格は制度上から云・つ・・てもない。故に大学教授はその
思想の内容に付て地位を動かさるることは絶対にない筈である。外の理由で動かさるる場合にも之を拒み得るの
ではない。研究と講授の内容に付て絶対に自由だと云ふまでである。この意味に於て而して只この意味のみに於
て大学教授の地位は自由なのである。故に最近の事件に於けるが如く、若し政府当局鈍朝が大学の意見を徹する
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ことなくして教授の思想を勝手に批判し次いで其の処分を要求したとすれば、その形式の如何に拘らず、其が不
法の処置であるのみならず又実に文政上の根本原則に違背するものたるは明白である。
大学に諮らないのはまだ恕する。政府は処分さるべき不良教授を選ぶに付て次の方面の意見を大に参考とした
ヽ
嫌はないか。若し少しでもその嫌ありしとせば、その選定の著しく杜撰なるも亦怪しむに足らぬのである。山元
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
老級の老先輩 之等の人達は今より十余年前デモクラシーを危険思想とした時代の世評を今なを記憶に留めて、
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それに基いた種々の進言を政府に向けると云ふことである。滑譁タな反動団体の使偶たる政客の一団 貴族院辺
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に多い。それ丈け愚論たることの明白なるに拘らず頗る政府を拘束するカがある。之等の人達は共産党が一二名
大学から出たと開いて大学全体を赤化したと観たり、社会主義者が髪を長くしてゐると開くと髪の長いものを社
会主義者と独断する。共産主義も社会主義も無政府主義も民主主義も皆一緒にして、少し変つた気を吐く者
ことこと ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
は悪く危険人物と観るのだから堪らない。褐沁幕y警察 この両者は職掌柄教師や学生の行動をよく調べる。そ
の結果某の教授は如何なる学生(又はその団体)と接近して居るとか又は課外にどんな書物を講授して居るとかを
ヽ ヽ
詳細に報告する。その報告を冷静に検閲するをあやまると、誰れがどの学生を煽動したとか又誰れがどんな思想
ヽ ヽ
を鼓吹したとかの謬見を作るに至るの恐れがある。必ずしも報告そのものが悪いとは云はないが、その報告の見
ヽ ヽ ヽ
方をあやまつて不当に其々教授を傷けた様なことは全然なかつたらうか。倹ュ党貞 政友会内部からの進言も直
接間接に利いた様に疑はれる。一体学者の立場は物事を理想的に観るから実際政治家とは根本的に相容れぬ析が
ある。殊に日本の政党などは最も手きびしい礼弾を学者から受ける立場に居る。この点は与党たると野党たると
を間はないのだが、政友会は幸か不幸か政権を取つて居つた期間が永い丈けに多分に学者の槍玉に挙げられる。
いで
政友会が特に悪いのではない、有力な政党だけにさう云ふ運命を免れぬのである。孰れにしても右の如き理由で、
今日政治経済の時事問題を論ずる学者で一人として政友会に味方するものはない。否、その殆んどすべてが猛烈
な批難を差向けてやまぬのである。是れ両者の間に自ら感情の疏通を欠くに至りし真因であるが、之れがまた過
般の選挙に於て露骨に現れた。そこで学者の実際運動に関係するの不謹慎と云ふ論理をこゝにも当てはめて、無
理に不良教授の中に之を包含したと云ふ風説がある。事の真偽はよく分らぬが、ブラック・リストに載つて居る
人名の中で斯うで滝解せねば到底その意味の分らぬ数名あることだけは疑ない。
要するに煙もない処に火を探す様のものだ、強て之が火だと何物かを差出さねば責任は済まぬので、手当り次
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第にそれらしいものを鎗玉にあげる。選択其当を得ざるも怪むに足らぬ。それに肝腎の聴くべき処には三戸の相
談もなく、却て聴くべ・からざる処の意向に多く動かされるのだから、遂に杜撰を通り越して飛んでもない乱暴な
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ものとなつたのだ。水野文相の聡明早くこ、に気付き実際の処分をその甚しきに到らしめなかつたのは勿怪
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の倖であつた。
当局の処置斯の如く見当を外づれて居る以上、之に依て所期の目的の達せられぬは当然である。単にそれだけ
ならいゝ。私は思ふ、却て之が当局の憂へた事態を益々煽揚するの結果になりはしないかと。何々以て之を云ふ
かと云ふに、(一)当局の処置は要点を外づれてゐる丈けに若い者の眼には単純な無用の弾庄と映じ益々その態度
ブ レ ーキ
を硬化すべきを以てである。次に(二)所謂左傾教授の処分は青年学生の無思慮な盲動から制動機を撒する様なも
のである。世間では所謂左傾教授を以て常に好んで学生を煽動し、学生と共に或は学生の陰にかくれて不都合な
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運動を指導して居ると見倣す様だが、是れ事の真相を知らざるの甚しきものである。斯かる教授と一部の学生と
大体の思想的傾向を同うすることはある。併し如何に経験が浅くとも教授の職を奉ずる程のものは、一面青年学
生の清新発湘なる熱意に同情しっ、も他面必ず熱情に基く行動にも自ら二疋の限界あるべきを能く心得て居る。
故に彼等は多くの場合に於て軽々しく学生と事を共にしない。謂はば彼等は寧ろ学生の盲動に対し制動機の役目
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をつとめて居るのである。之をよくも弁へずして、彼等を挙げて一掃すべしと云ふのは、一体学生の盲動を何処
まで深みに陥らせる積りなのか。真に学生を善導しようと思ふならば、私はもつと〈所謂左傾教授を利用する
ことが必要だと思ふ。
それも老先輩方が考ふる様に今日の学生も一から十まで教授の講義を金科玉条とするのならいゝ。外部の刺戟
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を遠慮なく受けて若さにまかせて勝手な世界を展開させんと焦る。真面目なだけ頭から之を抑へつける訳には行
かないが、又一面に於て之を正しきに転向せしむる為には大に彼等と戦ふの必要を痛感させられる。所謂左傾教
授はこの意味に於て従来烈しく青年学生と戦て来て居るのである。勿論彼等は青年のい、方面を大に助長しては
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居る。一面に助長の功をいたすを以てこそ、又他面よくその弊賓を矯正し得るのではないか。青年学生の熱情に
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動かさるる行動は到底抑庄を以て之を阻め得るものではない。若し先に些でも彼等の盲動を制し之を善導するの
効績を国家に捧げて居る者ありとせば、そは警察にあらず裁判官に非ず又断じて文部省の役人にあらずして実に
少数の所謂左傾教授に外ならない。私はこゝで左傾教授と目されて居る人の全部を弁護するのではない、個人々
々に付てはまた別に論ずべき点もあトつ。只大体論としては、所謂左傾教授の処分は正に制動機を撒して電車を
坂の上から下走せしむるの類で、危険之よりも甚しきはないと思ふのである。
〔『中央公論』一九二八年六月〕
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観
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山間
同
合