国際問題に対する米国の態度の矛盾



 講和会議に於ける国際聯盟の提案は、もともと主として米国の提唱に繋(か)かるものたるに拘らず、米国自ら其成
案の批准を拒まんとして居る事は、或る方面からは遺憾とせられ、或る方面からは激しく非難されても居る。而
して批准拒絶の理由は種々あるけれども、主として問題となるのは第十条である。第十条は「聯盟国は聯盟各国
の領土保全及び現在の政治的独立を尊重し、且つ外部の侵略に対し之を擁護することを約」し、之を犯すものあ
る時は聯盟理事会が本条の義務を履行すべき手段を講ずるとある。そこで例へば欧羅巴の真仲に本条の予見せる
が如き事実が突発し、聯盟理事会が之に対する手段として亜米利加や其他に出兵を要求したとする、其場合に亜
米利加が直ちに其請求に応じて出兵せねばならぬといふ義務を負ひ度くないと云ふのが批准反対論者の言分であ
る。そこで之に対する種々の修正案があるが、其中尤も勢力ある説は、其際に出兵すべきや否やの最後の決定権
は之を議会に留保しようといふ説である。而して此際にモンロー主義といふのが盛んに論客の話頭に上つた。即
ち米国は米大陸の事に欧洲諸国の干渉を排斥すると同時に、欧洲の事には全然傍観の態度を執るといふ事を依然
国是として守り度いと云ふのである。
 講和会議に於て米国がモンロー主義承認の一項を挿入せしめんとした時、吾々は之を以て米大陸に於ける合衆
国の独占権を主張する利己的提案なりとして大いに非難せんとしたのであるが、成程モンロー主義には確かに此
〓何もあるけれども、他方には他国の事には干渉しないといふ極めて消極的な二何もあるので、而かも合衆国の
之を主張したる理由は此消極的方面であつた事は、後に会議の議事録等を見て明白になつた事であつた。米国が
                            ト ル コ        しゆんきよ
如何にモンロー主義の此消極的方面の確守に熱中して居るかは、土耳古の委任統治を断然峻拒した事に於ても明
白であらう。委任統治だらうが何だらうが少しでも他人の事に手を出し度いといふ当節柄、遣らうといふ者まで
拒まうといふ所に、吾々は米国の特異なる立場を見てやらなければならない。
 妖…らば他人は他人、俺は俺といふのが合衆国の一貫した立場かと云ふに、必ずしもさうではない0現に合衆国
 よ そ ・
は他所の国の事に昨今随分干渉して居る。其最も著るしいのは山東問遺に関する事実上の干渉であらう。此点に
                                               だ
就ては随分日本の国論をも沸騰せしめた。殊に支那に味方して日本を抑へるといふ態度に出た丈け、吾々は大い
に之を憤慨したのであるが、然し又亜米利加の立場に成つて考へて見れば、事柄の善悪は兎も角として、之は唯
一種の排日的感情の自然の発露とのみ観るべからざる理由がある。之も山東問題に関する彼国識者の所説を冷静
                    よ
に読めば分る。彼等の考ふる所に拠れば、昔はいざ知らず是からは他所の国の事を他所の囲の勝手として放任す
る訳には行かない。此世界全体を住み心地の好いものとする為めには、物騒な事をする隣人の生活に干渉すると
いふ事は妨げない。隣りに火薬を取扱ふ商人があれば、火事を免がれんが為めに吾々は其隣人の為すがまゝに傍
観t得ないと同様に、軍国主義などを振舞はす者があれば、吾々は全体の安寧の為めに之を何とか処分するの必
要を思ふ。斯ういふ所から世界の平和を念とする是れからの国際生活に於ては、新に一種の干渉権を認めなけれ
ばならない事になる。独立国家は互に干渉すべからずといふ原則は、戦争以前の国際法の認めし所であつたが、
                   ニュノでい
戦後の新国際法に於ては必ずしも之に拘泥すべきではない。斯ういふ考は別に意識的に学界の新原則として承認
されるといふ訳ではないが、自然の趨勢として今日之が輿論の中に活きて働いて居る事は事実疑を容れない0此
                              しばら
原則の適用として山東間是に干渉するのは正しいか正しくないかは姑く別問題として、兎角米国が外国の事に文
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句嘗ふ事其自身は決して彼等の理性に根拠の無い者ではない○之を毒の感情に基く過失と見るのは大いなる
あやま
謬りである。
さうすると滋に最近の国際間遺に対する態度は明白に二つの互に相容れざる思想に動いて居る事を認めなけれ
ばならない0即ち妄には世界の新形勢に応じて新形勢に動きながら、他の一面に於ては旧き因習を固執して、
新国際関係に対する特殊の地位を要求せんとして居ることである0此矛盾は如何に之を解釈すべきものであらう
か。
之に就て先づ考の内に容れて置かなければならないのは、米国には現に此二つの相容れざる思想が今日十分調
和されずして現存して居るといふ事である○即ち妄にモンロー主義といふ因襲に固執する旧い思想があり、又
他方に一切の旧慣に拘らず新形勢を作り又は之を指導して行かうといふ新しい傾向と、此二つが思想的に戦ひ
つ、ある事を認めなければならない○借て其1に更に考ふべきは、此二つの傾向の何れが今日最も強く民衆を支
                           さ
配して居るかといふ事である0此点に関して予が最近米国の一般論調を静かに観察して得たる感想に拠れば、新
                    イギりス                      すべ
しい傾向即ち世界全体を我が事として、英書利の事であらうが支那の事であらうが、世界中の凡ての出来事に興
味と責任を有つといふ方の思想が根本の基調を成すと考へる0従つて山東問題に就て大いに他国の事に干渉する
       ・,℃.
といふ態度が、此根本基調の当然の顕はれであると観なければならない。
 然らば滋に問題となるのは、独り国際聯盟の豊に就て、何故に米国が極端な消極的態度に出でたか。而かも
之が保守的思想家より特に主張さる、に止まらずして、世の所謂新思想家と認むべきものの中にも相当に強い反
対がある○此点は余程慎重なる攻究を要する所であるが、予の観る所に拠れば、米国民の此態度は米国の民衆が
国際聯盟の本当の精神に触れて居るといふ所に求むべきものであらうと思ふ0言葉を換へて云へば、国際聯盟の
本当の精神を了解し、又之を実現せんとして居るが故に、現在の国際聯盟に反対するのである〔と〕思ふ。今之を
                                フ ラ ン ス
反対の側から説いて観ると、国際聯盟の成立に最も熱心なる仏南西などは、米国側から見ると真に聯盟の精神に
                           ドイツ
忠実なるものではない。聯盟に対する仏蘭西の立場は、独逸の復讐に対する有力な防波堤として聯盟のカを利用
せんとする所に在る。独逸に村しで仏蘭西は今日尚ほ飽くまで喧嘩腰で、敵を信じ己を捨てるといふ淡白な能心度
に出で得ない。之も無理もない点はあるが、然し余りに此点に執着して居るといふ事は、あれ丈けの聯盟規約に
対してすら英、米、仏の同盟条約を得て初めて同意した事に拠つでも分る。それ程猫疑の眼を以て隣邦を見て居
                 ねが   ひつきよう
るのだから、彼が国際聯盟の成立を巽ふのも、畢克之を利用せんが為めである。之れ真に聯盟の精神を解するも
のに非ず、従つて亦之を忠実に運用するか何うか分らない。此点は或る点まで英青利に就ても云へる、之を米国
は観て居るのである。即ち誠意無き連中に運用さるる聯盟に加入し、英仏の利用する所となつて出兵の責任を荷
ふといふ訳には行かないと云ふのが米国の立場である。さういふ所から国際平和に誠意の無い英仏が国際聯盟論
者に成り、之に誠意のある米国が反対の側に立つといふ奇観を呈するに至つたのである。
 斯くして米国は今日の聯盟に其佳加入する事が出来ない。少くとも理事会の決定に一から十まで盲従する訳に
は行かない。そこで之に反対するが為めに見出した口実がモンロー主義である。或は旧式のモンロー主義論者が
滋に好機会を得て飛び出したのかも知れない。何れにしても吾々は此国際聯盟に対する特異な態度の内に、米国
の国際聯盟の主義精神に対する、当初より一貫した志向を看取する事が出来る。吾々は国際聯盟に対する現在の
態度を基として、山東問題に対する彼等の態度の矛盾を指摘せんとならば、之れ一見我国に取つて好都合のよう
に見えるけれども、之れでは更に彼等の急所には当らない。寧ろ山東問題に対する彼等の態度を諒として、更に
此精神に基いて国際聯盟の完成に努力せん事を促すべきである。
〔『中央公論』一九二〇年二月〕
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