日支学生提携運動



 先月央ば東京に於て日支学生提携運動なるものが起つた。事は北京大学学生卒業生五名が我国学生並に青年思
想家を訪問すべく来京したといふ事に端を発する。数度会見を重ねて大いに疏通共鳴する所あり、今後は彼我相
往来してます〈親善の実を挙げ、並に東洋文化の開発の為めに協力すべき事を誓つたといふ事である。
 すると政府の方では何ういふ訳で此種の運動を国交に書ありと観たのか、此夏休みに同じ目的で支那に遊ばう
といふやうな学生があつたなら成る丈け之を阻止するように、といふやうな通牒を各大学に発したさうだ。両国
学生の提携する運動は国交に害ありとでも観たのであらう。
 去年の暮から本年の春に懸けて、東京帝国大学の学生二名支那に遊び、上海に於ける学生聯合大会に臨み一場
の演説をした○之が駐在日本官憲の忌諦に触れ、斯くの如き者の渡来は甚だしく国交を那げる原因となるから、
以後は斯ういふ種類の者を寄越さないようにといふ注意が来たと開いて居る。
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 今日日本と支那とが精神的に大いに阻隔して居る時に、只挽かに青年学生の間に意思の疏通を見んとして居る。
而して官憲は之を国交に害ありと云ふ。果して此種学生の提携運動は、両国民族本当の親善を害するや否や。
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今日支那と日本とが甘く折合つて居ない事は隠れもない事実である。全体としては甚だ仰が悪いが、其中に在
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つて仲の善い階級が二つある。一つは昔から久しい腐れ縁で繋つて居る両国の官僚軍閥である。一つは昨今新た
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に諒解の端緒の着き懸けて居る青年学生の提携である。而して両国の一般国民は官僚軍閥を繋いで居る腐れ縁が、
実に両国の本当の親善を阻隔し、併せて東洋の平和を脅すものであると信じて居るに対し、官僚軍閥は又青年の
提携運動を以て非常に危険なものと観て居るのである。
 支那の官僚軍閥は、日本のそれが日本の国民に不評判なる以上に、支那国民に不評判である。又事実日本の官
僚軍閥が為す以上に、彼等は自家階級の利益の為めに国利民福を犠牲にして居る。そこで甚だ国民の非難を蒙つ
て居るが、之にも拘らず政権を擁して我儀を押通し得る所以のものは、他国の直接間接の援助を悼んで居るから
である。而して日本の官僚軍閥は支那の形式上の政府を授ける事が即ち其代表する支那民族を援くる所以なりと
の錯覚に陥り、稀には悪意を以てする者もあらうが、多くは支那の為めに計るといふ善意を以て支那の官僚軍閥
の横暴を授けつゝある。斯く観て支那の志士は、自国の官僚軍閥を憎むが如く亦我国の官僚軍閥を憎む。而して
最初は只これ丈けの理由で日本を憎み、夫の排日運動の如きを起したのであつたが、昨今はだん〈東洋の平和
とか世界の文化とかいふやうな高い見地から、官僚軍閥に通有なる一種偏僻な思想を排斥するといふ風に変つて
来た。是に於て彼等の立場は遂に吾々の立場と合致するやうに成つて来たのである。吾々は何故に官僚軍閥の侵
略主義に反対するか、又何故に従来の政府の対東洋政策に反対して来たかは更めて説明するまでもなからう。要
するに吾々は彼我両国の官僚軍閥の提携を東洋の平和を擾乱する禍根であると考へて居る。それにも拘らず両国
の官僚軍閥は民間の反対あるや、自衛の必要からでもあらう、ます〈提携を深くして、而して彼等の提携は即
ち両国の親善なりとする一大錯覚より醒めない。自分達の立場に反対する者があれば、直ちに之を両国国交の妨
害者と看倣す。而かも彼等の所謂国交を深くすれば深くする程、両国民全体の阻隔は大きくなる許りである。
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 官僚軍閥の間違つた政策に累せられて、両国の間柄は永く親しまなかつた。而して其事からいろ〈の苦しみ
と禍とが出て来るめ・で、堪へられなかつた。何とかして親善の実を挙げやうと苦心したが、軍閥と軍閥とが結ん
で居る間は如何ともする事が出来ない。而して軍閥提携の行詰りは猛烈な排日運動となつて現はれたが、斯うな
ると軍閥者流がます〈焦せる。彼の国の軍閥をして高圧的に此運動を抑へやうと努めたけれども、効果の挙る
べき筈は無い。此際に於ける吾々の立場は、本当の親善を挙ぐるの途は先づ自分の過を反省するといふ所から初
めなければいけない。換言すれば侵略的対支政策の非を十分に承認する所から初めなければいけないといふので
ある。さうすれば必ずや吾々は支那の諒解を得る事が出来やうといふのである。此考に対しては随分激しい反対
を受けたが、結局吾々の考は酬ひられた。尤も吾々は支那の青年学生が猛然起つて排日運動を起すや、この感情
的に昂ぶつた排日的暴論の中にも、精密に観察すると侵略主義の排斥といふ一種めL道徳的立場の潜在するを認め
る。即ち彼等も亦吾等と共通の思想的根拠を有するを認めて、彼等も亦話せば訳るといふ感を抱いたのである。
此自信の上に立つて吾々は、本当の日支親善は官僚軍閥を捨てゝも、寧ろ是等の真面目なる青年即ち第二の国民
は提携すべきである事を唱へたのである。多少此点に国民の反省を促すべく努めた事は、本誌の読者の記憶して
下さる所であらう。
 是等の運動の結果にや、支那の方でも日本に対する考がだん〈変つて来溌。初めは日本人は徹頭徹尾侵略主
義者であると認め、猛烈に排日の気勢を揚けたのであつたが、だん〈日本にも彼等と思想上の立場を同じうす
る者ある事が解り、彼等はだん〈吾々は日本人の凡てを排斥するのではない、官僚軍閥の横暴に反対するので
あるといふやうになつて来た。日本にも侵略の日本と平和の日本とあるといふ事は、臆気ながら彼等の認むる所
となつた。今まで日本は侵略主義で一貫して居ると考へて居つた誤を覚つた。而して従来の日支親善は、兵権を
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擁して万民を虐ぐる支那の軍閥が侵略の日本と提携する事を意味したからいけない、是からは平和の日本と吾々
が提携する事にならなければならない、之が本当の日支親善であるといふ風に考へたのである。斯ういふ風な考
は去年の夏頃から両国青年の胸裡に鬱勃として起り、謂はゞ見ぬ恋に憧れて居つたやうな形であつたが、最近漸
く実現の端緒に着いたのが即ち両国学生の提携運動である。是より日支両国は初めて当然あるべき本来の親善関
係に入らうとして居るのに、之を国交に害ありと云ふのは、吾々は甚だ其意を得ない。
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 両国学生の提携運動は誰が何と云つて妨害しょうが、一旦其緒についた以上今後ます〈盛んになるに相違な
い。而して此提携運動の第一に目指す所の敵は官僚軍閥の侵略主義である。故に侵略主義を以て対支政策の根砥
と考へて居る人に取つて、吾々の運動は邪魔になる。さうでない以上、此提携運動は何等非難さるべき道理は無
いのである。
 尤も此運動を非難する者は次のやうな謬見に囚はれて居るのかも知れない。一つは支那の青年の運動の陰には
過激派の手が潜んで居るとする考である。も一つは支那の人の前に日本人が日本の悪口を云ふのが悪いとする考
である。第一の点に就いては余りに馬鹿々々しい疑惑で弁明する勇気も無いが、第二の点に就ては少しく国民の
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反省を促して置く必要がある。支那に「兄弟堵に閲ぐとも外侮りを防ぐ」といふ諺があるが、之を誤解して何ん
な悪い事を内でやつても、外へ行つては黒を自と言ひくるめるのが愛国的態度だと考へて居る人が多い。封建時
代ならばいざ知らず、今日の世の中では以ての外の誤である。外国人であらうがなからうが、黒は黒、自は自と
事実を有りの優に明かにしないでは、何人も真面目に相談に乗らないではないか。昔のやうに彼我の事情が分ら
ず誤魔化しが利くならいい。日本人が何処で何を為たかは、日本人自身よりも外国の人の方が能く知つて居る。

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へ日本では政府の秘密政策の為めに、知つて居るべき事を知らされない事が少くない。) それを鹿爪らしく弁解し
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ては、開く者は寧ろ其白々しさに驚くであらう。日本が弁解すればする程、外国の心ある者が或は怒り或は攣壇
するといふのは、全部正しいとは云はないが、亦決して無理もない点がある。吾々は自分の悪い事は何処までも
共悪を承認し、彼等の非難に相応の理由があるならば進んで之を傾聴し、而して自ら其の改むべき所以を明かに
して話を進める事が、本当の解決に到る唯一の途であると考へる。
 之を要するに、支那と日本とは大体に於て大いに阻隔して居る。之が為めには支那も困れば日本も困つて居る。
何とかして一日も早く親善の関係を恢復せねばならない。それには現に親善の関係を作つて居る一部の運動を拡
張するより外に途はない。然らば現に親善の関係を作つて居るものは何かと云ふに、官僚軍閥と青年学生とであ
る。而して吾々は官僚軍閥の提携に依つて日支親善の実を挙げる事が出来るか、1官僚軍閥の提携は更に国民的提
                                                  さまた
携に拡張せらるゝの見込みがあるか、官僚軍閥の提携を傷けざらんが為めに青年学生の提携を遮ぐるが日本の為
め、将た東洋の為めになるか、是等の点に関する慎重なる考慮を焼はしたい。
                                          〔『中央公論』一九二〇年六月〕