國體論史 内 務 省 神 社 局
緒 言
言ふことは易く而かも実蹟を挙ぐるは甚だ難し、就中人心の機微を制し思想を動かさんとするが如き殊に然りとす。近時思想界の動揺に際して、或は危険思想の防遏といひ、或は其の善導といふが如きこと盛に識者の間に唱道せられ、消極、積極の両方面より之が対応の方策を講ずるもの多種多岐殆ど屈指に遑あらず、其の極めて緊急の事なるは識者を待つて後知るべきにあらずと雖、実際に当りて克く其の目的を達するは容易の業にあらず、正常なる思想の根底に依拠し、且つ非常の覚悟と渾身の熱誠とを以て之に当るにあらざれば到底其の功を期すべからず、而して爰に単に正当なる思想と称するも、そは各種の思想問題に対しては、固より之に相応して夫々適切の対策を樹つべきはいふまでもなし。
此の多種にして多様なる思想問題の中、国民の対国家観念乃至国民道徳の問題の如き殊に最も重大なるものなり、之に対して施すべき措置亦種々あるべしと雖も、就中、我國體の淵源を明かにし、国民をして國體に関する理解を徹底せしむる如きは最も緊要にして且つ最も有效なる方法なりとす。此に於て本局は嘱託清原文学士をして主として徳川時代以降現今に至るまでの間、諸学者の我國體に関する所論を調査の上序に従て之を編述せしめ、併せて國體観の問題に関係ある諸種の事実を叙せしめたり。期する所之に依て我國體の由来を理解せしめ、且つは古来の学者が國體に関して如何なる解釈を施したるかに就ての概要を知らしむると共に、国民思想の指導に当らんとするものゝ為めに亦聊参考資料たらしめんとするに外ならず。
大正九年十二月 内 務 省 神 社 局
凡 例
國體なる語の内容は極めて広汎なり。試に近く明治天皇の詔勅に現はれたる所に依て拝察するも、或は国家の名分とい如き、意味に用ゐられ(明治元年八月奥羽に下し給へる勅語)或は国政、国の秩序などいふ意味に用ゐられ(二年正月毛利敬親を徴する勅語)或は国風(思想上の)などいふ意味に用ゐられ(二年九月刑律を改撰するの勅語)或は国の精神の意味に(四年九月服制を改むるの勅語)、其の他、国の組織(九年九月元老院議長熾仁親王ハ国憲起草ヲ命ずる勅語)、国の建て方(十五年一月陸海軍人に下し給へる勅語)等種々様々の意味に用ゐられたリ。従て古来の学者が國體なる問題ヲ論究するに当リても多種多様にして一定の範囲の定まれるものなきに似たり。今此の篇を成すに当りては成るべく広き意味に採りて出来得る限り種々の見方に拠る國體論を網羅する乙こに努めたり。
此の篇啻に我國體に関する諸学者の見解を知らしむるを目的としたるにのみ止まらず、兼て思想指導者たるべき人々の参考資料に供せんと欲したるものなるが故に、諸学者の論旨を指示せるの外勉めて其の本文を摘要し読者をして直ちに先哲先輩の思想に接せしめん事を固れり。篇中一々其の出所を掲げあるを以て、更に進で深く先進学者の遺方を汲まんと欲するものは、夫々其の原書、原文に遡りて研鑽せられんことを望む。
大正九年十二月 編 者 誌
目次
前論
徳川時代前に於ける國體観念の発達
本論
(一)徳川時代前期
(二)徳川時代後期
(三)明治時代第一期
(明治初年より八、九年に至る)
(四)明治時代第二期
(明治八、九年より十八、九年に至る)
(五)明治時代第三期
(明治二十年頃より二十八、九年に至る)
(六)明治時代第四期
(明治二十九年頃より四十二、三年に至る)
(七)明治時代第五期
(明治四十三年頃より明治の終に至る)
(八)大正初期
(大正の初より欧州大戦の起るまで)
(九)現代
(欧州大戦勃発以後)
(十)余論
目次 終
大正十年一月 八日印刷
大正十年一月十一日発行
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