(六)明治時代第四期
   (明治二十九年頃より四十二、三年に至る)

 

日清戦争と国民の自覚
 内に保守的国粋主義漸く磅磚せんとするに当りみて、外に日清の戦役あり、内外等
しく意想外とする所の大捷を得て、我国の実力は自他の共に認むる所となるや、茲
に国民的精神は更に其光焔を盛にせり、此に於て従来、欧化と云ひ国粋保存とい
ふも極めて漠然たるものにして、要は名に依りて異を立つるの嫌なきにあらざり
しも、日清戦争以後に於ては夫等の主義なるものも内容漸く明瞭を加へ、従来の如
く物を一概に論じたるの風を脱するを得たるの観あり。 之れ学者によりては之
を名けて自覚時代と称する所以なり。
湯本武比古「日本倫理学」
 二十八年九月に湯本武比古は日本倫理学を國學院雑誌に連載して日本の固有
道徳を論じ、國體の本領を明かにせり。 其大意に云ふ。

言挙げせぬは我国上古の美風
 言挙げせぬは我国上古の美風なり。彼の儀則節文の如きも先づ之を具備して
而して後人を之に従はしめたるものにあらず。其幽微なる原動こそ皇祖諸天
神に出でたるなれ、之をして主義たらしむる所の所謂忠信、義務を果たすの精神
は却りて先づ大に皇祖諸尊の発暢せしめ給ふ所なり。 肇國とは単に土地を開
き人民を殖するの謂にあらず、一定の国士内なる住人は国家の実体なりと雖も、
国家其ものは此住人にあらずして却て之を支配する所の理念なり。 皇祖は言
挙げせずして国を肇め給ひたり。惟神の道は言挙せぬ間に成り、敬神の教は言
挙げせずして行はれたり。是れ倫理学上の上乗なり。我惟神の道は世界人類
の道とする道の中に就きて最も高く尊きものなり、而して君臣の関係の千古に
渉りて渝ことなき所以は其の親子の関係と混和一致して、臣の君を奉ずるこ
と単に君としてのみならず、又時に子として之を俯庇し給ふにあり、斯く忠孝一
致の国に於てのみ君臣の分は渝ることなきを得るものなり。

大日本教会 其主義 柴田峡治・大日本教
と、翌二十九年五月には柴田峡治は稲垣乙平、加藤弘之、湯本武比古、品川彌次郎等数
十名の賛同を得て大日本教会を組織せり、其主義とする所は「教育勅語を大経典と
し之を社会全般に普及し感化の実績を収めんと欲す」るにあり。次て首唱者柴田
峡冶は大日本教なる一書を著して教育勅語を講明し、国家主義を高調せり。
穂積八束・国民教育愛国心
 翌三十年六月には穂積八束は「国民教育 愛国心」なる一書を著して我國體と祖先教と
の関係を説き、最も此国家主義の為めに気を吐くあり。其大要に云く、

國體及び国民道徳の基礎は祖先教に淵源す
 我が日本固有の國體と国民道徳との基礎は祖先教に淵源す。祖先教とは祖
先崇拝の大義を謂ふ、我が日本民族の固有の体制は血統団体なり、我が固有の国
民道徳たる忠孝友和信愛の道は一に祖先先崇拝の大義に溯源し、血統団体を保
維するの軌轍たり、我が堅固なる家国の体制は祖先教の基礎に存し之を千古に
建て之を萬世に伝ふるは我が民族の特質にして我が國體の精華たる所なり。
 血統は之を観光に受け之を子孫に伝ふ、故に其団結は永久なり。 利害を以て
離合断績するむ得ず、之を統一するものは祖先の威力なり。家に在りては家長
は祖先の威力を代表し、家族に対し家長権を行ひ、国に在りては天皇は天祖の威
霊を代表し国民に対し統治権を行ふ。
 汝の父母を敬愛し其の慈愛なる保護の権力に従順なるの至情は延て之を其
の父母の父母に及ぼすべし。吾人の祖先の祖先は即ち畏くも我が天祖なり。
天祖は国民の始祖にして皇室は国民の宗家たり。 父母拝すべし、況や一家の祖
先をや、更に況や一国の始祖をや。
人は信仰に依りて動作す
 人は信仰に依りて動作す、限定せられたる人智は宇宙の現象を総合して之を
其根底の真理に照明し、絶対の理法を自覚して行動すること能はざればなり。
吾人の祖先は肉体の外に不死の霊魂あることを確信し、又子孫を慈愛する父母
の威霊は顕界に於て其肉体を亡ふも、尚幽界に在りて其子孫を保護すと確信せ
り。 是れ祖先崇拝の大義の淵源にして敬神の我が国教たる所由なり。我が固
有の國體、民俗、祖先の祭祀を重んずるより重きは無し、 我が祖先崇拝の大義は
国民の確信に出で、不朽の國體は之に由りて其基礎を立て、国民の道徳は之に由
りて深厚なり。 斯の民を千古に溯り万世に亘りて保持する者は此の國體の精
華たる我が固有の祖先教のカなり。
家を合して国を成す
 国は個人の合衆なりといふは我が国史の事実に反す。国民は家族制に依り
て分属し家む合して国を成す、家籍を以て国民籍の基礎となすは此の所由なり、
若我が固有の祖先教を打破し、家制を廃することあらば、延て皇室の神聖なる源
由を侵犯するの虞あらん。
国は統治権に依りて保護せらるゝ民族の団体
 国は統治権に依りて保護せらるゝ民族の団体なり、我が統治権は之を国民の
始祖に受け之を其の直系の子孫に伝ふ。皇統は民族同祖の正系正統の子孫に
して皇室は国民の宗家なり。天皇は統治権を天祖に受け之を皇胤に伝ふ。皇
位は天祖の霊位なり、天皇が国民を保護するは天祖に対する任務なり、国民が皇
位に、忠順なるは天祖の威霊に服従するなり。 祖先教に由り構成せられたる血
統団体は其の社会の主力を崇拝す。 故に法令の本源たると同時に教義の源泉
たり、其崇拝は崇拝すべき理由ありて之を崇拝するなり、怪力む迷信するにあら
ざるなり。
日本の主権は神聖なるが故に敬愛せらる
 外国の主権は強大なるが故に服従せられ、我が国の主権は神聖なるが故に敬
愛せらる。

と、国家主義的風潮斯の如き時に当りて、先きに掲げたる大日本教会は、此年五月、其
機関雑誌「日本主義」を発行して其主張する所を宣伝す、其主義綱領は左の如し。

雑誌「日本主義」 主義綱領

 日本主義によりて現今我邦に於ける一切の宗教を排撃す、我国民の性情に反
対し、我建国の精神に背戻し、我国家の発達を阻害するが故なり、而して之に代ふ
るは国家主義を以てするなり。
 君臣一家は我國體の精華なり、之れ我皇祖皇宗の宏遠なる丕図に基くものに
して、万世臣子の永く景仰すべき所なり、故に国祖及皇宗は日本国民の宗家とし
て無上の崇敬を披瀝すべき所、日本主義は是故に国祖を拝崇しいて常に建国の抱
負を奉体せん事を務む。

綱目十ヶ条
と、而して其綱目として掲ぐる所は一、国祖を崇拝し、二、光明を旨とし、三、生々を尚び、
四、精神の円満なるを期し、五、清浄潔白を期し、六、社会的生活を重んじ、七、国民的
団結を重んじ、八、武を尚び、九、世界の平和を期し、十、人類的情誼の発達を期するの
十ケ条にありと称す。
木村鷹太郎 日本主義国教論
 此主義の為めに最も努力したるものは木村鷹太郎にして其意見は三十一年三
月に単行本として公にせられたる「日本主義岡政論」に最もよく現はれたるが故に
今其大概を掲げん、曰く、

 日本主義は保守的国粋主義に非ず、卑屈なる外国崇拝の軽跳主義に非ず、日本
の自我を守りて生物学の原則に従ひ、外来の文物を我に同化し、以て自我を養ひ、
以て自主の実現を期するものなり。
先づ国教を定めよ 国民精神の統一 国家主義に害ある宗教を厳禁せよ
 先づ国教を定めざる可からず、国教とは国家が其目的、其主義、及其理想を定め
国民に其信奉を求め、其教育を力むるを云ふなり。 之を国民精神の統一と為す、
而して国家にして国民の精神を統一せんと欲せば其思想、其道徳、其宗教、其嗜好、
其祭礼、其節等を統一し、苟も国家の目的と理想とに合はざる者は悉く之を禁止
せざる可らず。 殊に宗教に於て然り、国家主義の理想に害あるローマ教グリー
キ数、ゼスヰツト教等は厳禁せざる可らず。 自由も国家の精神に反するものは
許可す可らず。
国教の基礎条件
 此意味に於て国教を定めざる可らず、其如何なるものを基礎条件とすべきか
といふに、一、国民性の発表せるもの、二、國體と和合すべく、三、国家的なるべく、
四、国家の歴史上常に好意を有し、國體を汚したることなきものたるべく、五、生々的に
してよく国家的生物原理に適合せるもの、六、快活にして心身共に健康を旨とし、
常に希望進歩の念を持ち、厭世悲哀を励ます事無きもの、七、教理的実行的に國體
に従ひ、皇室と密接なる関係を有し、中心をこゝに置き、之を至上と崇むべきもの、
八、精神の高尚優美を貴ぶと同時に実際を重んじ、質実を奨励し、実力を養成する
ことを教ふるもの、九、国民的国家的たるを以て又よく祖国を愛するものたるべ
く、十、平和を理想とするも亦尚武の精神を有するもの、十一、健全なる精神の美術
を発生するを得るもの、十二、教育的にして科学に反せず、迷信を唱へざるもの、十
三、女子を卑しまず相当の位置を認むるもの、十四、日本を世界の中心と考ふる所
の国民的自信大抱負を有するものたるべし。
 我国の歴史を見るに悉く以上の理想によりて発展し来れるものなり。
 吾人の神とは吾人国民の祖先とし、或は国家の至上とし、或は其徳、或は其至上
権に於て或は吾人の理想として崇拝する所のものなり、

と、斯くの如き理想を以て「日本主義」紙上に高唱せるもの、其反響頗る大なるもめあ
り、此「日本主義」の前唱者ともいふべき「日本人」第三改刊六十二戟ハ三十一年l二月)に湯本
武此声が「日本主義を主張すLと題して論詮せる如きは詮者素よら「日本主儀」同人な
るが故に常然の論旨在るも同主義碑礪の一方南なり。大要に日く、
  吾人日本主義む主張すと雄も敢て湿らに排外を主張せず、囲憶の精華即ち国
 粋の保存を誼′、と維も亦敢て漫らに自己む過常に許債せず、我等固人たるもの
 軍に又裔凍の頓智に懸々たるペけんや。国家の文明富強ほ進め以て皇基を振
 起すべき為め智識む世界に求めざる可らず、世界の英華を阻噂せざる可らず、然
 れども西洋がの開化を学ぶ所には開化其者が目的にあらずして皇基を振起し、鐘
                                             ▲▼
 図の精神を凝揮すべき目的の一方便のみ、吾人此主意よら日本主義を主張し、日
 本国粋保存を説く、然も之を後家の偏狭頑飼と同一視し、以て吾人の精細を誤解

234

 せざらん事を望む。
と、次で「臥本人音二十五故にr紛々たら帝鈎主義しと題する社説を掲げて日く、
                                                 ●
  近時帝図主義頓に瀬を撞げ殆ど人の率ふ可らざるものゝ如し。然れども其‥
 意義に至らては一定の説なし、我邦に放ては必ずしも欧洲に■於け叩るものを其ま
 ゝ用ゐるを要せず、要言すれば意法発布の勅語ほ、   。
   我が祖我が宗は我が臣民観光の協巽に侍ら我が碇固を肇造し以て無窮ほ
  垂れたり。之れ我が神重なる祖宗の威と泣に臣民の忠茸勇武にして固を優
  し、公に殉以、以て此の光輝ある囲史の戌跡を飴した頂なら・股我が臣民即ち
  組余の忠良なる臣民の子孫なるを回想し衰の於が意を奉燈し虚が事を輿頓
  し、粕輿に和衷協同し」益々我が瀞固の光柴を中外に宣揚し、剋宗の遺業を永久
  に輩固ならしむるの希望を同じくト、此の負槍を分つに堪ふ′る事を疑はざる
   な一り。         。
 と、あるむ偉せば以て過誤なtとす。皇闘主義即ち之帝団主義ならとせば須ぺ
 上文載銀する朗を捜して可なみ。
と、而して之等同人中、木射と共に他の磯淘に依らて最も此主義の食めに健闘した

  l一      ■ll1




                                                                                        一  山一日q
るものは高山林次郎に」て其主張は雑誌「太陽−に続々費表ぜられた。卜d即ち第三
巻十三観ハ三十年六万)ほ「日本主義を費すLと題して論じて日く、ハ大意)
 1本邦文化の性質を考へ衰数及温徳の歴史的掲係を審かにし、汎く人文発展の
 原理に徹して国家の進歩と世界の凝建とに於ける殊遍粕朗の理法を認め、史舵
 本邦趣囲の精銅と団民的性情の特質とに照鑑し。我周家の肺凍の食めに、菩等は
 誠に日本主義を費す。
  日本主義とは何・どや、国民的特性に本ける自主狗立の精神に凍らて銀喝曹初
 の抱負む発揮せん事を目的とする朗の道徳的原理即之なり。
  音等は日本主義に依らて現今我邦に於ける一部の宗教を排撃す。即ち宗教
 を以て我固民の性情に反対し、我・建駒の精神に。背戻し盛岡家の凝達を阻嘗する
 ものとなサものなみ。宗教とは現資生活の自然的経混にょらて到達す可らぎ
 る一種超計然的理想む思慕し、或超理的方法に依らて之に到達し得ペしとする
 朗の一種の信念なみ。之が西洋にあらては英文化ほ及ぼしたる朗大ならし竜、
 我邦にては然らず、係数も行はれたる如くほして資は其皮粕のみ行はれた`
 基督数も其主とする所管国民の情と粕反せ多、我国民の思想は由凍現世的にt

235

 て遊牧間的にあらず、多少幽界の観想はあらしと雑も之を其活済々地たる現世
 的思想に較ぶれば索よh二芸ふに足らヂ、首般の改造進歩は悉く皆現在に裁て為
 すペきのみぜを厭ふて過るゝ朗無く、現世む外にして人生ある乙となし・我囲
 民の国民的抱負の偉大なる威に神凝降臨の事蹟に照して首世の臣民が其遺業
 む奉捜して怠らざる朗なり。敢曾約生活を付び、国民的団結む重じ、君民一家忠
 孝撫子の遺徳を維持するは現世。的国民として盛観建国の鴻周を大成すべきの
 運命を治へる所以にあらずや。
  宗教は到底国家の利益と祖背反す由家は現世に立ち宗教は未凍を鉛ぶ、固家
 は差別を立て宗教は平等を説く。其間自ら相容れず。
  蓋し国家は人類敬達の必然の形式なり。人は一人にして生息する能はず、家
 族々成す、家族にして生活する事能はず政令を生ず、融合の上更に統治の主樺を
 確定して之を制御す。要は民衆最大の率編を金岡するにあり。此理想は悌耶
 の如き宗教とは決して相容れず、即ち日本主義を立てんとする所以なり。然ら
 ぜ日本主義とは・如何なるものぞ。
  君民一家は我図憶の精華な、り。之れ箕に我皇祖皇宗の宏速なる正岡に基く
                                                                               宗:巨krd′haト”♭巨




   周題′        Z胡Z   潮瀾瀾湖     −。Z。ノ
 ものほして濁世臣子の永く景仰告会所なか。故畑圃祖及皇宗は日本圃民の
 宗家として無上の崇敬を扱渥すべき朗、日本主義は即ち囲祖を崇拝して常に鐘
 固の抱負を奉捜せん事を努む。
と、績て「日本主義と哲琴しT日本主義に対する世評む慨すL、「世界主義と国家主義−、r宗教
と国家」→基督教徒の妄想L、「国家的宗教」→岡家至上主義に対する吾人の見解し、「国民道徳
 の危機」等の論文を公にして日本主義を高唱し、三巻二†戟ハ三十年十月)には「基督教
徒の逢迎主義しと題する論文を掲げて、基督致が我図憶に迎合せんとするの階む笑
 ひ、且つ、如何に迎合するも根本的に改襲せざる限らは倒底我日本主義と容る1能。
 はざるものなるむ詮く。其概略に臼く、
   今を去る三月前「日本主義」記者は其第二淡ほ於て「宗教家の語勢忽然一襲と題
 し†左の1如き短評を掲げき。
  「宗教は国家的なる可らず、固民的なる可らず、是正の宗教は萬人普通世界的在
 らざる可らず」とは貸に是一ケ月前までの宗教家の語調ならしなり。然るに今
 日は忽ち一襲して折衷的となり、曾て其眼中に置かざらし朗の「国家」「均民」を言ふ
 に華甘んとせり、乙れ何の原因ぞ、他無し唯吾人の「日本主義」の新運動の堀固速

236

 慮在る大組織と其厳粛在る固家的数理の敵す可らざる事賓と論理とを樽へ開
 き、未だ是主義の敏速せざるに先ち衰心恐憎の念を起し、他乱闘家駒周民主義に
 改詮し、適合せんの準備として今日よら折衷的語調を取ら承れるものに外なち
ザ。しと、
  吾人は其動機が「日本主義L記者の云ふが如く在るやは知らざるも、最定年年に
 基督数碇の語調に著しき鍵化あらし乙とは事資なり。吾人は此蓬迎主義を賓
 す、如何にして日本の歴史と基督致との連絡む成就せんか、之れ逢迎問禎の第一
 義なり、一基督教徒は六合雑誌官九十七故に論じて日く、
  廠米に於て基督数が敢曾の大勢力たe朗以は、其図の歴史と連絡して相離
 す可らざればむり、欧米諮図が由らて以ヱ且つ朗の・根底は基督故に関係なき
  は無し、然るほ我日本の基督数は宣倖日付筏きに因るとは云へ、未だ吾歴史と
  連絡を全うする都能はヂ、其盛衰は日本国家の盛衰と竃も閑係する所在し、苛
  も世界の大勢と列固の交際とほ鑑むるものは我日本が基督数を等閑祓する
  乙との固家の蜃達に甚だ不利益の畢たるを螢知するに難からざるべし。と、
 之れ宗教の俗化衰亡痙落なみ、逢迎主義の弊滋に到る。六合雑誌の記者は更
 に共言を績け、基督数と日本歴史との連絡の方法を述べて円く、。





  ∵基督教は進で政治的要素となるむ要す。
 ニ、敢曾的運動の最要素と在るべし。
 1三、外交上の勢カとなるを要す。
 あゝ基督教徒は三十年の宣個に国民l性の慈ほ動かす可らざるを見て其脚地を
 政治外交の上に求めんと欲するか、其志や善し、而も一宗教が政治吐合の要素と
 なり、外交上の勢力とならんが為めには、国民性備の中に如何に沫遍在る根萌を
 有せざる可、レざるかを悟らず、徒に自家勢力の極衰を回復せんが為めに菩楚煩
 隠するの妖憫殺すペし。
  更に基督教徒の中最も先見あら畢識あるものは更に」歩を其逢迎主義に進
 めて、日本建闘の精神及び矧想に鑑みて、皇室及び神造の為めに基督教の教義を
 樽合せり、一基督数牧師が六合雑誌官九十九故に於て
   今や我帝図は建樹以凍の大理想たる悶固遊牧の大理想む凝揚して、更に狗
  立自治の大本む完うせんと欲す¢ 是時に歯て区々陳腐なる富鋼強兵論を以
  七団民を戚奮せしめんと欲す、亦隈ならずや、薔人は唯大に日本人が・開閉以密
  抱懐せる敬天の精銅を費識して、そが思祓の下に図を為し、民を為し、我皇室を

237

  中心として一国の神民法に極東に勃興する者なる・を自ら覚らん乙とを欲す。
 と、論じたるは即ち此傾向を表はせるものなり、然れども之最も拙なるものなり。
  日本国民の敬天の思想は観光数に出で\国家の中心臣民の宗家たる皇室の
 上に革まる。吾人の依つて以て図を為し、民を為し、一国の神民としで極東に勃
 興するの運命を有するを得たるは皇祖皇宗の正岡に本く。
  並頃公父数の唱道者は是蓬迎主義を橙績し、更に官歩を進めて直に大勝にも
 基督数と押遣との抱合一致を絶叫せり。論者は素−基督数の先駐にして押遣の
 熱心なる研究者なり。以為らく、神造は其本家の有神論を研磨して国家の基礎
 を軍国にし、密室の尊厳を擁護し、臣民の品性を高何ならしむべき天職を有する
 ものなり、是天職の自覚は、山崎むして天御中主神む推合せしめ、本居、平田をして
 産蜃神を崇敬せしめ、黒佳をして天照大神の御開運を新願せしめたり、之れ新日
 本の欝勃たる大精神に指導せられて雄大なる一神数を生み出すの已むむ得ざ
 るに到らしなみ。触れども山崎、本局卒甲黒任去らて是大精神亦塵き氾。今や、
                                                                                                                                                                                                                             ノ
                                                                                     \
 日本・は一大新天地む開き、新日本の大理想を造らんとす。之れ須らく世界的大
 理想にょみて養成せられざるべからず。世界胡大理想とは何ぞ、即ち公父致を
l■F臥臣臣卜巨卜巨‥。ミFデ  ー。†



                                                   。。つjづ題』

 み、とへ「宗教」七十、七十∴)日本主義は神造の復興と稀せらるゝも、現に自ら宗教に非
 ず、賓践道徳の主義ならと宣言せるほあらずや。大日本の大。精神、大理想は明に
 固祖崇敬圃家至上の主義の中に合著せらると宣言せるもの、豊濁ら吾人の日本
 主義のみならんや、宗教家以外の忠誠なる団民の亦等しく認識する所、即ち所謂
 公父教なるもの何の閲する所ぞ。                 ■
と、顧れば数年以前に於て閲粋論者が、我ヒ台の制必ずしも西洋の代議制に矛盾す
るものにあらず上述べて以て我開粋を締護せるもの・と地位粕輯換せるものにし
て驚くべき襲化といふべし。
 次で二十二就ハ十一月)に「我国牌と新版固」と題して共闘家主義を主張して日く、
  我図膣の宇内に冠絶せる乙と帝団々民たる吾人が中外に誇る所在り。此天
 下無双の図憶は要するに君臣の特殊なる閲係よら凍れるもの在り。即ち此帝

 図の闘士は皇剋皇宗の創定したる所、其国民は概ね神教皇族の末裔にして、祖先
 以家督是域内に生息し」系の皇族に奉仕したらしなり。即ち皇室は宗家にし
 て臣民は未族なり。趣図常初の家長制度は二千五官年を経由しイ大に其範固
 を漬張したるも。其本家の精神には異壁あるなし。我図憶の特性は此君臣一家

238

  てふ国民的意識に起源せるものなり。
  世に一種の論者あり、君臣一家の囲憶を難じて日く、「君臣一家を以て我国膣の
 基礎となさんが馬めに」家なら氾民人を我国民の中に包合し易からざる乙と
 明けし、然らば君臣一家に重きを置く乙とは果して能く我図の膨脹的図是と軸
 容礼ペきかしと。
   此新版固に臨むには如何との問題は権力関係の外なし。即、内ほ此君民一家
 の箪団なる囲憶を作らて北ハカを以て新版固に臨み、一両に仁慈を施すの外。なし。
と、史に四巻十故には「駒輝保存主義と日本主義」と題し・て、明治二十年後に起らたる
反動的国粋主義と日本主義との同じからざるむ述ペイし日く、
                                   ノ
   開粋保存主義と日本主義とは其系統を同くするも、自ら其内容を異にす。日
 本主義は世界今日の時局に度し、日本固史の狗立進歩と、日本閥民の安寧事頑と
 を保全せんが食めに最も適切なる固民道徳の茸行主義を立て、之にょらて閲圃
  の人心を統−するにあり。是に於て先づ縦に成敗の跡を過去の歴史に教し、横
 に興亡の理を世界の大勢に求め、開腹」民性を中心として虜く・且つ深く持他内外
  L111I
 の事物に対して持飯在る商量を遂げて以て一団思想の指針たらん乙とを期す


                                                                                                       ■




   るな
  8本主義は図鰹の維持と民性の満足とを以て国家の濁立。固民の事頑を保各
 し得べき二大制約と覆し、是二大制約を中心とし核子とし−以て内外諸種の文物
 に対して公平なる研究を試み、是研究の結果にょらて収拾遽揮を行へら・
と、是等非常の熱心を以て主張せられたる日本主義は、共反響蹴る強烈ならしは勿・
論なるが。又其内容に就きて一二の反対論無きにあらず。姉崎正治が「8本主義に
促す」と題して太陽三食二十四銃ハ三十年十二月)に、日本主義は復古的精神に基きて外
務の迷信的宗教を排斥せんとするは可なり。更に進んで其主義む歴史的に明澄
し。其主義が依づて以て立つといふなる既成の深遠なる歴史的研究の給果む公に
 せ・ざる可らず、社務の朗ほては其外国、外形のみむ宣揚して其内質を示し居らざる
 の嫌あり、と論ぜるが如き、又早布田文章記者が日本主義は野に叫べる換言者の牽
 に非ずして中に熱誠無く理想無く人物無しと述べたる如き、中島徳威が、日本主義
 の理想は已に共具性的記載を得たり、然れども未だ其班論的根壕を有せずと批難
せるが如澄即ち之なり。叉宗教を排斥するに対して秤宴照は太陽三巷十入戟ハ三
十年九月) に虚数対日本主義Lと題して、係数的立場よト、之む反駁して日く。

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   此頃、彿数は非国家主義にして。大に国家に書竜む輿ふと主張するものあり。
。之れ併数を知らざるものなろ戚陀の慈悲は弘大飯逮夜れども父母妻子を苦し
  めて他を恵むは之を戒め、君主に対して忠義の薄舶在るやといふに、四思の中に
 君恩なるものあらて図王に忠義を毒す乙とを説く壷は係数は非団家、非世界丘
 義なり、非国家非世界主義なるが故に能く国家的世界的に鷹用利益在る乙とを
  得る在り。
 と、悌数家特有の謎語的語調む弄するの嫌あらと雄もやゝ基督数が迎合的に出で
 たると相似たるものあり。兎も角も日本主義の瀞力頗る強烈頂らしを見るペし。
  三十二年十月三十日には→教育勅語の盤旨を遵奉資行し普く家庭に及ぼし図艮
 の品性を癖養するむ目的とする」塀の大日本賓行合なるものが組織せられたる如
 きも其結果ならずとせず。此年二月に、盤きに祭天台俗詮を崩して故の反論を招
 ける久米邦武が、拘憶論なるものは懸薔心よら起らたる迷想ならと断言せる如き
 異例あらと雄も、一般に此日本主義的理想を以て図濃親を凝表せるもの多し。今
 其三十四、五年頃までの同値に舶適せる論誼の主なるものを要約して此に掲げん。
 加藤弘之は東洋哲寧六編六故に「日支南開の図憶の異同」と題する論文を掲ぐ、日

                                                                                                                ソrL1。。。訂。む巨





淵瀾
       ヽ
 ′ヽ
  日本国鰻の大原則は憲法第三早第一條にある「大日本帝国は萬世一系の天皇
 之む統治す」とあるもの即ち之なり。之れ三千年承の大事賓在ら惑法は只之を
  文字に記したるのみ。
と、同年八月林賓臣は帝国教典なる審を著して日く、

  磯が大日本瀞圃の固憶は天賦の君主固膣なり。其由凍は皇祖皇宗の天美に
 起均す。君民一組同族の血統鞠憶なら・固は衆人組合払て土地を和治ふ義な
 み、其囲捜組合の膣南を指して圃憶といふ・共同囲憶は治者即君主、及び被治者
 即ち人民を要す。共二者は絶対的に尊卑を異にし、同琴中、直系正統の食族之れ
 に君位し、支系分統の卑族之に従属す。
  我図憶を人憶に此するにぜは内閣。手足は臣民、頚臓は皇室なみ・・
と論じ、更に附録として帝国数憲なるものを掲げて日く−
  大日本図憶は祖宗神皇の天栄に由凍せる天賦の君主同性にして、萬世一系の
 皇統と、倶ほ萬世襲吏す可らず、君民一祖同族の血統にして虚義の本源・国家の基
 礎の存する所、唯一濁食の皇上億兆に革臨し由民之ほ従属す、血胤系統を重んじ・

23a

 組先む追速敬慕し≠我の繁粂長計む図るべし。土地の所有権古家皇室ポ蹄し、
  政府の公有たり。皇上之を祖宗よら受領し玉へる朗、土地の所有権臣民に在る
 乙と度し、唯だ耕転殖産業藩のため政府よら之む嶺賦せらる、のみ。
   闘家は祖宗神皇の遺訓に則り、呈上之を統治し。膚世一系の呈上祖宗神皇の威
  登を代表し、無限の大横を以て之を特裁専治し給ふ。祖宗神皇の御遺訓たる天
  地の公道に基き、皇上之が萬磯を公論に決し給ふ。民主図憶たる世界一般の通
  則を以て囲民之を概言し之を論議す▼るを得ず。
   皇祖皇宗む崇拝し奉り、各自の祖先を厚く祭ら以て報本反始の睦む毒すべし。
 と、次に、三十三年二月、先きに王道論を著したる鳥尾小浦太は人造要論む公にし、囲
 憶に論及して日く、
 ●
   我が団憶の至炭なるは人の臆想を以て無形の至食む立つるむ許さず、皇剋即
  ち神に在まして其居ます虞を天と稀す。神といひ祖といひ王といふも、皇祖の
  外に決して別の至尊なし。天壊無窮の神勅に因で君民の分際は一身の元首股
  肱の如く、神代の昔よら既に形に見分れて轟未水際乳る〜謂なし−壇れ即ち神悼
  め婁在り。





     Z濱
  西欧の諸国は古流土ら」神教を奉ず、故に其俗最も天道む重んじノ人造む軽祀
 す。是を以て其聾者と挿する輩も大概此先天の気習を稟け、乃ち君臣父子夷婦
 の倫も人馬習慣の規範にして天意にあらず、天然の法にあらずと思惟するもの
 多し。写れば進んで人造を講究せざるのみならず、却て其家囲を捨てゝ世界人
 類を一祓し、此の人類自然の有成を大観し、各々理窟を求め、一新詮を唱ふるを以
 て能事となす。是れ頗る高伶のやうなれど其貨は世界人類の大桐は悉く此妄
 想界よら生起し凍る。敢曾読も是よら出づ、典産読も是よら出づ鹿政府賞も是
 ょら出づ、優膠劣敗説も是よら出づ、天賦の入植読も是よら出づ。
  王民は一国の憶なり、奇は卑に依らてあり、貴は賎に依らて保ち、上層は下層に
 依らて存す、賎厳美麗の宮殿も其基礎土婁の上に安立す。されば閥を保つの遣
 は斯民を刺し、斯民む養以、斯民の桐書を去るむ以て先とし急とす。徒に他の所
 謂開化を競うて狗ら功利の碇の志を沸しむべきにあらず。
と三十四年三月に小柳一戚は人造原論む著はし、我が皇祖の立て賜へる鞠鰹に宇
 宙道義の三大原則備れらとて、其三大原則む掲げて円く、
   「我が天皇の萬世一系なるは我が国民が忠孝の至誠む守る所以夷の楠氏を