第四〇三・四〇四合併号(昭一九・七・一九)
   国難撃敵の好機たらしめん
   サイパン島戦闘経過
   緊急なる戦局に臨みて       東条内閣総理大臣談 ′
   サイパン島戦訓          大本営海軍報道部
   電波兵器 戦時農園問答(五)    技 術 院

サイパン島の戦訓   大本営海軍報道部


襟を正して聞く
全員戦死の悲報

 さきにアッツ島、ギルバート島(マ
キン、タラワ両島)並びにマーシャル島
(クェゼリン、ルォット両島)における皇
軍全員戦死のことあり、今また内南洋
の防壁要関サイパン島における皇軍将
兵全員戦死の悲報あり、痛恨憂憤まさ
に言語に絶し、一億全く熱鉄を呑むの
思ひである。しかもサイパン島はマー
シャル島と同様、わが委任統治領とし
て皇化に浴すること二十有余年間、日
章旗の飜つたところであり、幾多在留
同胞が南方開拓に活躍してゐたところ
である。そしてこの在留同胞は、去る
六月十五日、敵米軍上陸以来約二箇月
に亘り、終始皇軍に協力して涙ぐまし
い奮闘を続けて来たが、遂に皇軍将
兵の全員とともに概ね運命を共に
して南海鎮護の華と散つたのである。
 大東亜戦争開始以来、敵軍によつて
皇土が蹂躙されたのはマーシャル島と
今回のサイパン島であるが、これは今
を去る六百年前、元寇の役において蒙古
の大軍十四万が壱岐、対馬の両島を侵
略し、両軍のわが同胞が全員悲壮なる
戦史を遂げたる当時の国情と極めて類
似せるものであり、今回サイパン島失
陥の局面は、元寇の壱岐、対馬失陥の
それよりも、その戦争規模と機動力の
大なるにおいて、従つてまたその損害
の大なるにおいて、より大なる国難を
意味するのである。
 しかも敵は「この次ぎの停車場は東
京だ」と嘯き、依然有力なる機動部隊
をマリアナ海面に遊弋せしめつゝ、さ
らにその一部を東京の鼻先である小笠
原島方面にまで出没させ、虎視眈々と
して日本本土空襲の機会を窺はせてゐ
るのである。戦局は正に重大である。
我々はいま南海防衛に殉じた陸海将兵
並びに在留同胞の英霊に襟を正すと共
に、その戦闘経過を一応振返つてみよう。

戦闘経過

六月十一日
   十三日



六月十五日














六月十六日

六月十九日
   二十日




六月二十三日






六月二十四日















六月二十六日




六月三十日



七月二日






七月三日





七月四日


七月五日










七月八日




七月九日



七月十日








七月十六日
機動部隊、マリアナ諸島東
方海面に出現、サイパン、
テニヤン、大宮島等を砲爆
撃す。

空母、戦艦を基幹とする大
機動部隊掩護下にサイパン
上陸(兵力約二ヶ師団)。な
ほ、敵機動部隊は数群に分
れてサイパン周辺に行動、
これに対して、我が航空部
隊は連日猛攻を加へるとと
もに、陸上戦闘に密に協力
し、テニヤン砲台また敢然
砲門を開いて敵の上陸を阻止す。
一方、機動部隊小笠原諸島
に出現、硫黄島及び父島を
空襲す。

機動部隊、硫黄島を空襲す。

聯合艦隊の一部、マリアナ
諸島西方海面に出動し、三
群から成る敵機動部隊を捕
捉して、先制攻撃を加へ、
激闘二日間に及ぶ。

敵艦載機、戦爆約七十機、
大宮島に来襲。我が方、指
揮官機を先頭に凄烈な空戦
を展開す。なほ、同島附近
洋上で敵機動部隊を発見、
至近弾多数を与ふ。

機動部隊、硫黄島を空襲す。
この間、マリアナ諸島のサ
イパン、テニヤン、ロタ、
大宮島、カロリン諸島のパ
ラオ、トラック方面に対す
る敵機の来襲頻繁。
なほ、サイパン島の敵は猛
烈なる砲爆撃下、戦車を伴
つて逐次北上。我が部隊は
ガラパン町の大部、タボー
チョ山の線を保持して邀
撃、士気極めて旺盛。この皇
軍将兵の敢闘に対し、在留
民のうち多数の武器なき同
胞婦女子も協力。

十一日以来二十六日までに
大宮島に対する敵機の来襲
機数、延二千七十三機に及
ぶ。

機動部隊の一部、大宮島、
ロタ島に近接し、爆撃を反
復す。

サイパン島アスリート飛行
場には敵小型機数十機、大
型機若干が発着し、サイパ
ン港方面には敵大型飛行艇
二十数機が着水。敵艦大宮
島を砲撃す。

機動部隊、硫黄島を空襲す。
一方、サイパン島の我が部
隊は引続き概ねガラパン、
タボーチョ山、ドンニーの
線で優勢なる敵と激戦。

機動部隊、小笠原諸島に出
現、硫黄島及び父島を空襲。

敵は飛行機及び艦艇の爆砲
撃の掩護を受けつゝ戦車を
伴ひ、サイパン島東北部の
我が陣地に突入し来り、戦線
彼我錯綜、諸所に紛戦、我が
部隊は陸海軍一体となり寡
兵奮戦す。
敵テニアン、大宮島を砲爆
撃、父島、ヤップ、パラオ
を空襲。

敵機十数機大陸基地より再
び北九州を空襲す。我が航
空部隊アスリート敵飛行場
を爆撃。

敵機動部隊大宮島を砲撃、
ヤップ、トラック、テニヤン
を空襲。

サイパン島東北端随所に血
戦行はれ、我が軍マッピ山
附近において敵陣に肉薄攻
撃を敢行す。テニヤン島北
西海面に空母二隻、巡洋艦、
駆逐艦三十隻より成る敵機
動部隊出現、大宮島にも砲
爆撃を加へ来る。

陸海軍部隊全員戦死と認め
らる。


跳梁する敵の大機動部隊

 米軍がサイパン島奪取を敢行した理
由は、これを米国自体の国内情勢より
みれば、大統領選挙を数カ月後に控へ
たルーズベルトの政略的戦術ともみ
られないわけではないが、しかし、そ
れよりも我々が最も重視しなければな
らぬことは、敵生産力の上昇といふ現
実である。即ち、たとへそれがルーズ
ヴェルトの政略的戦術であらうと何で
あらうとも、とにかく空母六十隻、戦
艦二十隻と無数の補助艦艇、輸送船を
浮べて、傍若無人に洋上を乱舞し得る
のは、何といつても敵の物量の力、
即ち尨大なる生産力である。いま敵が
太平洋に出動せしめてゐる海、空勢力
を敵側報道によつてみれば、次ぎの如
きものである。

一、サイパン島沖に出現してゐる米第五十
 八機動部隊は、中将マーク・ミッチェルの
 指揮下にあり、海軍史上最強最大の艦隊
 で、日本本土をはじめ、太平洋どこの戦
 域へでも直ちに千機の飛行機を繰り出す
 ことが出来る。
一、第五十八機動部隊の火器は、米軍の基
 準砲兵隊七十隊に相当し、巨大の沿岸砲
 台に匹敵する巨砲等、各種の火砲八百五
 十門を装備してゐる。同部隊はいはゆる
 「艦隊列車」によつて、本国基地から遠隔
 の水域でも作戦でき、補給船団が後方に
 控へて、機動部隊の主力がどこへゆかう
 とも、燃料、食糧、代替機、操縦士等を
 補給してゐる。
一、現在、作戦に従事中の米国艦隊は八艦
 隊であり、これら艦隊は従来の機動部隊
 の勢力を統合したもので、「機動艦隊」と
 呼ばるべく、その作戦の目的に従ひ、勢
 力及び艦隊の構成に相違がある。太平洋
 水域の艦隊勢力は次ぎの如くである。

 イ、中部太平洋 太平洋第三艦隊(司令
   長官、中将ウィリアム・ハルゼー)及び同
   第五艦隊(司令長官、大将レイモンド・
   スプルーアンス)
 ロ、西南太平洋 西南太平洋第七艦隊
   (司令長官、中将トーマス・キンケイド)
 ハ、アリューシャン 太平洋第九艦隊(司
   令長官、中将フランク・フレッチャー)

一、太平洋作戦に参加してゐる空母勢力
 は現在六十隻に上るが、本年末までには
 百隻に達しよう。

敵の我が本土空襲企図

 敵はかくの如き大機動艦隊と、莫大
なる物量に物をいはせて、マーシャル
島からトラック島を一跨ぎいしてサイ
パン島へと強引に基地を前進させたの
である。この驕敵の露骨なる挑戦に対
し、我が聯合艦隊もつひに開戦以来二
年有半の沈黙を破つて、同方海面にそ
の一部を出動せしめたのである。しか
しながら無念にも我が聯合艦隊は、敵
に対して決定的打撃を与へ得ず、サイ
パン島はわが忠勇同胞全員戦死の尊
き犠牲において、つひに敵の手中に委
ねなければならなかつたのである。
 そしてサイパン島を手に入れた敵
は、依然、同島周辺海面に当時大機動艦
隊を遊弋せしめ、さらにテニヤン島、
大宮島への上陸の機会を狙つてゐるも
のの如く、また敵は小笠原島、硫黄島
へもしば/\空爆を試みつゝ、支那大
陸基地空軍と相呼応して長駆日本本土
爆撃をも敢行せんとするの態勢を示し
てゐる。サイパン・東京間は約二千三
百キロ、先般北九州へ来襲したB29爆
撃機は三トンの爆弾を積んで六千キロ
を飛翔し得るから、東京往復は決して
難事ではない。敵は絶対に本土爆撃を
執拗に繰返すことであらう。銃後国民
の防空体制と真剣な心構へが既に用意
されてゐるだらうが。我々はこの際、
もう一度われ/\自身の心に訊ねてみ
なければならぬ。

戦局好転の鍵は
生産人の手に

 しかし敵が対日攻勢の基地をサイパ
ン島へ突出せしめたことは、これを
戦略的見地から見れば、敵はそれだ
け補給線を長大化せしめた結果、敵が
サイパン島を完全に利用するために
は、補給戦(ママ)の長大化に随伴する物量の
消耗と各種の困難を生ずることにな
り、この点においては敵は著るしき作
戦の脆弱性を持つことになる。従つて
敵がサイパン島を奪取した結果より生
ずる戦局の重大性は、固よりこれを冷
静かつ正確に認識して、これが対策に
万全を期さねばならぬが、さりとてサ
イパン島失陥を絶対に悲観すべきでは
ない。何故なればこの敵の脆弱点を捕
捉し、これを撃摧するなれば、むしろ
戦局転換の好機は現段階にありといひ
得るからである。
 しかしながら敵はこの補給線の長大
化に伴ふ作戦上の脆弱性を、尨大なる
物量の生産によつて超克せんと企図し
てゐるのである。従つて日本軍が敵の
脆弱点を衝くためには、敵の物量に対
抗し、これを撃摧し得るに足る一定限
度の物量を絶対に必要とする。物量
が物をいふ近代戦争においては、如何
に敵側に大きな脆弱点があらうとも、
赤手空拳のみを以てしては、その脆
弱点を衝くことは到底不可能である。
 つまりこの段階を捕捉して敵の不逞
なる侵寇企図を粉砕し、我が軍が攻勢
に転移するためには、絶対に銃後生産の
増強を必要とするのであつて、極
言せば、この好機把握の鍵は全く
銃後生産人の掌中に収められてゐ
るのである。皇軍将兵は何時、如
何なる条件においても進んで殉
国の人柱となつてゐる。それは
天皇陛下に殉ずることを無上の
光栄と考へてゐるからであり、
同時にまた銃後を絶対に信じてゐ
るからである。サイパン島に散つ
た将兵も、在留同胞も、誰一人として
「飛行機が足らぬ」と不平をいつた者
はないであらう。即ち彼等は、銃後は
死力を傾注し最善を尽してくれたと確
信してゐたからであり、その確信を持
ちたるが故にこそ彼等は完爾として
悠久の大義に生きることが出来たので
ある。前線将兵は銃後への絶対信頼の
上に満足して戦ひ、安んじて死んでゆ
くのである。しかる時、我等いま一た
び殉国英霊の前に襟を正して、虚心、わ
が身辺を反省しようではないか。果し
て我等は毎日の職場において足らざる
ところなきや、或ひは生活態度におい
て恥ぢるところなきやと。

サイパン同胞の
殉国精神をみよ

 戦局は確かに我にとりて苦しくなつ
て来た。しかし我が方が苦しいときに
は、敵もまた苦しんでゐる。いかに資
源豊富な敵であるといつても、あれだ
け尨大な物量と人的資源の消耗を補充
することは決して生易しいことではな
い。敵も確かに死物狂ひで生産し、生
命を投げ出して戦つてゐる。
七月十二日フォレスタル米
海軍長官は、米軍の損害に
ついて、「一万五千余名の犠
牲者を出した」といつてゐる。いかに
悲惨なものであつたか、およそ想像が
できよう。
 しかし、かくの如き莫大な損害をも
顧みず、戦友の屍を乗り越えて勇敢に
戦ひ来るところに、我々は侮り難い敵
の熾烈なる戦意を正視しなければな
らぬのである。敵の侵寇企図が、日本
民族を地球上より抹殺せんとする露骨
なる野獣性と、全世界に君臨せんとす
る貪婪飽くなき野望とに発足するもの
なることは勿論である。しかし我等は
敵の戦争目的の如何に拘はらず、とにか
く勇敢かつ執拗に挑戦し来る旺盛なる
敵の戦意を絶対に軽視すべきでない。
 近代戦においては物量が戦局を左右
することはいふまでもないが、しかし
最後の勝敗を決定するものが国民の戦
意にあることは、古今東西の戦史の等し
く示すところである。国民が抗戦意志
を喪失したるときは既に敗戦である。
 サイパン島在留同胞は六月十五日、
敵上陸するや、老若男女を問はず皇軍
に協力一体となつて挺身し、銃を執り
得る者は悉く銃を執つて、皇軍将兵と
共に敵陣に突入して、壮烈な戦士を遂
げ、また銃を執り得ざる者は概ね自決
して護国の華と散つたものと信ずる。
我等は在留同胞のかくの如き殉国精神
の顕現にこそ、日本民族絶対不敗の潜
在力と必勝の信念を力強く感得するの
である。敵の誇示する機械力と物量力
は、時に山獄崩すべく大海をも飜すべ
し、されど絶対に奪ふべからざるは一
片殉国の志である。
 必勝の信念とは決して空念仏的なお
題目に非ず、一切を捧げて国難に殉ず
る無言の行動にこそ顕現されるのであ
る。サイパン島在留同胞は肉弾の突撃
によつて、我等に必勝の信念の何たるか
を行動の上に明示したのである。サイパ
ン島殉国同胞の心を我等の心として、今
こそ我等は一切の私心を去り、すべてを
捧げて戦争一本に帰一し、速かに戦力
の増強に貢献せねばならぬ。身体髪膚
これを父母に受く、敢へて毀傷せず、百
千日これを厭ふも唯一日 大君の御為
に捧げ奉らんのみ。国家存亡の岐路に
直面して、いま一億奮起せずして何時
の日か日本民族奮起の秋があらう。