第四〇三・四〇四合併号(昭一九・七・一九)
   国難撃敵の好機たらしめん
   サイパン島戦闘経過
   緊急なる戦局に臨みて       東条内閣総理大臣談 ′
   サイパン島戦訓          大本営海軍報道部
   電波兵器 戦時農園問答(五)    技 術 院

国難、撃敵の好機たらしめん



 サイパン島遂に敵の掌中に陥る。痛恨の極みである。想へ
ば敵上陸以来二旬余に亘るわが陸海将兵の善戦苦闘、昼とな
く夜となくスコールのやうに降り注ぐ敵の砲弾、爆弾、照明
弾の下、皇土断じて死守せんの一念焔と然えて、激闘がつゞ
けられた。敵上陸部隊が、強引に進出し来るや、或る時は
戦車めがけて肉薄、これを炎上せしめ、或る時は爆弾を抱い
て、敵陣に挺身攻撃を加へ、敵の心胆を寒からしめたが、敵
の物量攻撃の前には戦勢如何ともなし得なかつた。
 タポーチョ山が陥ちた頃には、わが火砲は破壊され、弾薬ま
た殆んど撃ち尽し、飲むに水なく、わづかに木の葉を噛じり蝸
牛を食つて奮戦する者もあるといふ状態となつた。恐らく将
兵の多くは、「死ぬ方が楽だ」とさへ感じたに違ひない。し
かし、この米鬼の暴虐を目の前に見て、誰一人としてこの苦
悩に負ける者なく、最後まで戦ふ気魄はいよいよ昂まつてい
つた。「大津中隊の奮戦に比すべき皇軍の真面目を発揮せるも
の枚挙に遑あらず」と現地指揮官は、最後の報せで、如何に
皇軍の真面目が発揮されたかた述べてをられる。
 しかし最後を決すべき秋は来た。敵戦車を支ふるに一門の
火砲なく、残るはたゞ肉弾のみ。指揮官の肚も、将兵の肚
も決つた。待つは最後の攻撃命令。「重傷にして起つ能はざ
る約三千名の傷兵は魂魄戦友と共に突入を誓つて自決を見る
に至る・・・」あゝこの傷兵三千名の心持、またこれを介添し
た戦友の心持は如何ばかりであつたらう。
 かくして七日未明より、恨みは深い敵揚陸地点チャランカノ
アめざして壮烈な最後の攻撃は敢行された。最高指輝官南雲
海軍中将を陣頭に、陸海一体となつての突撃、「一人でも多く
の米兵を屠らん」のたゞ一念、願ふはうるはしの本土、敵米英
の不逞の野望に汚されざることであつたらう。

 「最後に天皇陛下万歳を高らかに唱へ、茲に皇國の必勝を
確信し、完爾として悠久の大義に生きんとす・・・」

 これが、南海の孤島に散華した将兵の最後の声であり、現
地指揮官より伝へられた最後の報告の結びであつた。
 この厳粛なる最期を想ふにつけても、我々の心痛むは最後
まで踏みとゞまつてゐたわが在留同胞のことである。第一次
欧州大戦後、この島がドイツの領有からわが南洋委任統治領
となつてから二十余年、わが同胞は営々としてこの島を拓き、
甘蔗畑は全島を蔽ふに至つた。カナカ、チャムロ等の原住民
も皇化に浴し、島に七つの国民学校とガラパンには中学校や
女学校も設けられてゐた。そして情勢が緊迫してからは、在
留邦人たちは自ら開拓した土地への愛着もあり、飛行場の建
設など、涙ぐましい協力を惜しまなかつたのである。

 「サイパン島の在留邦人は終始軍に協力し、およそ戦ひ得
る者は敢然戦闘に参加し概ね将兵と運命を共にせるものゝ
如し。」

 大本営発表のこの一節に、我々は、日本人である以上、最後
の瞬間においては、およそ武器を執る者は皆武器を執つて戦
つたことが想像できるのである。
 たとへ非戦闘員であらうとも、撃敵の気合は一つ、最後の
突撃に際しては、椰子の槍を作つて敵陣に突入して米兵を蹴
散らした勇士もあつたであらう。また銃撃する米兵の横脇か
ら徒手これに組みついて咽喉笛を切つた若者もあつたであら
う。かゝる詳細を知る由のないことは遺憾に堪へないが、必
ずやあの明治維新の際における会津白虎隊のやうな青少年の
勇戦奮迅ぶりや、あの戦国時代に城と運命を共にした如き、
日本女性の最期も見られたことであらう。わが子を殺して自
害した妻の情景など想像するだに息づまる思ひがする。
 この人々は果して何を思つてゐたであらうか。太平洋を壟
断し、日本民族を滅ぼさうとして悪鬼の如く迫り来つた米鬼
どもへの復讐あるのみであらう。将兵も在留邦人も、同胞は
みんな死して皇土を護ると、島を朱に染めて護国の神となら
れたが、英魂永遠に生き、我々と共に神州を護り、今も我々
と共に戦つてをられるのである。
 時いまサイパン敵手に陥るとも、その護国の精神は永遠に
生く。我等一億、誓つてこの仇を討たざるべからず。



 「大日本は神国なり。」サイパンの勇士をして、皇國の必勝を
確信し、莞爾として悠久の大義に生かしめ、敵米英の侵寇の
前に、七生報国、その復讐を誓はしめたものは、我々一億の持
つこの民族的信念にほかならないのである。
 万世一系の國體は神意である。神より受け、何百億、何千
億万、算へることすら出来ぬ我々の祖先によつて護持され
て、こゝに至る。正に世界の光であり、全人類の光である。こ
の國體を護持することは、生を現代に享けた我々一億の光栄
である。
 しかして神国の在るところ、これ神州。聖なる國體の下、
聖なる國土、我々はこの世界に冠たる誇りと感激の中に、皇
國三千年の歴史を築き上げ、天壌無窮、皇運の進展を期して
ゐるのである。
 従つて一度、聖なる國土を侵さんとするものあれば、日本民
族の聖なる怒りは烈火の如く発する。遠くは元寇の役を想起
し、近くは日清、日露戦争を回顧すればよい。
 元寇、弘安の役は、来襲した元軍合して四千数百隻、十数万
と推測される。我が方とは比較にならぬやうな軍船を集め、
石火矢と称せられる鉄砲の如き新鋭火器を持つてゐた。天佑
神助の下、神風によつてそれは覆滅されて、国難は危機一髪で
救はれたが、神風を願ふ前に、当時の国民が上下挙つて、如
何に、聖なる怒りに燃え上つてゐたかを想起しよう。
 文永の役の直後、軍船を造つて元に先制作戦をすベしと計
画した北条時宗のあの闘志、弘安四年、一たぴ元寇到るや
亀山上皇は石清水八幡宮に熱願をこめさせ給ひ、社の鳩までが
悉く西に飛んだと固く信じてゐた当時の国民のあの熱情、
敵が北九州の一角に上陸を企図するや皇土断じて守ると、悪戦
苦闘、同胞の屍を積んで一歩も退かなかつた防人たちの勇戦、
また小舟で軍船に斬込んでいつた河野通有等の戦闘精神・・・
この聖なる怒りあつてこそ、神風も吹き國體は護持され、國土
はつひに汚されなかつたのである。
 今や、敵米英は、不逞にもこの神州日本の抹殺を怒号し、皇土
の一角を汚らはしき軍靴によつて汚しつゝある。マーシャル
に、サイパンに、敵はあの星条旗を掲げて、さらに聖なるわ
が本土に迫らんとしてゐるではないか。
 我々が今にして、この神州を断乎守り抜かずして、上 
陛下に対し奉り、また我々の祖先に、また我々の子孫に対し
て何の申訳があり得ようか。
 一億決死、神州断じて守り抜かん。



 敵迫り、国難至る。国内戦場たらんとす。
 サイパンが敵の掌中に陥つたから、すぐにわが本土に本格
的大空襲が来ると脅えるには当らないが、敵はサイパン飛行
場を頻りに整備し、すでにB24を飛ばしてゐる。在支空軍は
わが陸軍の先制作戦に大損傷を受けてゐるとはいへ、すでに
再度北九州に飛来し、その蠢動また予想されるところ、さら
に敵機動部隊の動静等を思ひ合はせるとき、わが本土が戦場
となる日に備へねばならぬ。
 本土の戦場となるの日、まづ考へられることは敵の空襲で
ある。わが本土に対する今までのゲリラ空襲をもつて、今後
の空襲を甘く判断してかゝることは危険である。一たぴ大空
襲を受ければ、相当な被害を受ける。大震災程度の被害も考
へられよう。さらに悪いことに、空襲は地震と異つて一度
きりではないから、人心の不安動揺の大きくなる虞れもあ
る。
 また空襲ばかりではない。敵が沿岸に近接して、わが本土
の一角を砲撃し、或ひは上陸を企図することも考へられよ
う。
 さうなれば、我々が直接敵襲にさらされ、国土防衛の任務
を持場々々に応じて分担するのである。
 そもそも銃後に対する敵襲の狙ひは、軍事施設、重要工
場等の破壊もあるが、主として国民の士気の沈滞、戦意の喪
失にある。敵米英がベルリン、ハンブルク等に連続的に加へ
てゐる、いはゆる「絨毯爆撃」や超低空銃爆撃による非戦闘員
の殺傷などは、正にこの手であるが、ドイツ国民の旺盛な戦
闘精神を沈静することが出来ないどころか、かへつて敵愾心
に火をつける結果を招いてゐる。
 ベルリンすでに昔日の面影なく、数々の名所遺蹟や繁華街
は廃墟と化したが、その尨大なる鉄と火薬の破壊力を以てし
ても、ドイツ国民の戦意と闘志とを破壊することは出来ない
のである。焦土と廃墟の中に如何なる物理的攻撃に対しても
不死身の、逞しき精神力と闘魂が沸々と盛り上つてゐるの
である。
 空襲に対しても最後まで戦ふ者は必ず勝つ。盟邦ドイツの
敵襲に対する戦訓は他山の石とせねばならない。
 北九州に対する敵の空襲に際して、我々の横溢せる防衛精
神は既に遺憾なく発揚された。或る工場のガスタンクが弾片
を受けてガスを吹き出すや、敵機が頭上近くにゐるにも拘は
らず、折から居合せた工員数名が人梯子を作つてよぢ登り、
粘土で体当りの応急修理に成功した敢闘美談もある。某市の
或る隣組では、素手よく燃える焼夷弾を衣に投げ出して、家
を焼失より救ふなど、敢闘の事例は数限りない。時至れば発
す。身を以て国土を護らんとするの気魄は我々の中に漲つて
ゐる。
 敵襲何年恐れるに足らず。一億決死の肚さへ出来れば、国
難に撃敵の勝機をつかみ得るのである。



 真の戦ひはこれからである。これからが真剣勝負なので
ある。
 もともと大東亜戦争はその本質において、倒すか、倒され
るか、生きるか、死ぬかの徹底した真剣勝負である。この本
質を見失つて来たのは、緒戦以来のお互の甘さであつた。
 ハワイ真珠湾以来の相次ぐ戦果の累積がお互の胸の中に確
乎たる必勝の信念をたゝみ込んだ反面、知らず知らずの中に、
戦争の将来に対する甘さを培つて今日に及んだこともまた
否めない。
 その間、敵は戦争と四つに組んで立直つた。真珠湾に攻撃
を受けて目を醒まし、我々に対する復讐に一億三千万の民衆
を駆り立てた。そしていま表玄関から、勝負々々と挑戦し
て来てゐるのである。例へていへば、これが当面の戦ひで
ある。
 敵の戦意はなかなか旺盛だ。甘く見てはいけない。だが、か
なり焦つてもゐる。流石に呼吸は早い。眼も血走つてゐる、
切先に震へが見える。これが我々の相手である。我々はよく
相手を見抜かねばならない。この敵に我々はどう出るか。胆
を据ゑて、じつと正眼に構へる。じつと敵をにらんで、最後
に面をたゝき切る。己を殺して、しかも生きる。肉を切らし
て骨を切る決死の戦法である。
 この期に及んで、身に傷一つ受けず、勝ちつばなしにしよ
うといふのは、虫のよすぎる話である。どつちが倒れるか、
倒すか、すれすれのところまでいつて勝負はきまる。それま
でには傷も受けよう、痛みもしよう。苦しくもあらうが、そ
こで歯を喰ひしばつて最後まで頑張り抜いた方が勝つ。
 最後まで戦ふ者の勝利は、世界歴史が我々に教へてゐる。
古代ギリシャもローマも、国家の運命を賭し、民族の精根を
尽してよく戦つた。
 西紀前四百八十年のアテネといへば、ペルシャの大軍に攻
め込まれ、街は焼き払はれ、市民は難を附近の島々に逃れ、
アテネの運命は旦夕といふ時である。この危機に直面したア
テネに人物がゐた。テミストクレスの指揮の下に国民は奮起
し、サラミスの海戦で、べルシャの艦隊を破り、アテネを救
ひ、大国ペルシャを抑へてギリシャの基礎を築き上げたので
あつた。
 ローマとカルタゴとの争闘には、幾度か興廃の岐路が訪
れた。第一回ポエニ戦争で、ローマはカルタゴからサルジニ
ア、コルシカ両島を奪ひ、北イタリアを征服して幸先を祝つ
てゐた。敗れたカルタゴは秘かに復讐の誓ひを固めてゐた。
カルタゴの志士ハンニバルは大挙ローマに迫り来つた。カン
ネーの合戦、それはローマの大敗に終り、ローマは危く滅亡
の危機に逢着した。この時ローマ人を頑張らせたのは「古来
ローマは戦争で敗れて敵と和したことはない。」といふ必勝の
信念であつた。必ずやハンニバルに復讐するといふローマ国
民の闘志は、遂に形勢を挽回し、勇将スキピオ、カルタゴに
遠征して最後の勝利を獲得した。
 大国といへども闘志を失へば敗れ、小国といへども闘志を
以てすれば勝つ、そして歴史を書き換へてゆく。それが世界
における国家民族興亡の歴史であるともいへよう。
 人聞と人間との戦ひにおいてもさうである。こんな小男が
と思ふやうな者でも、真剣になると恐ろしく強い。決死にな
ると想像も出来ない力を出すものである。大男も、小男に咽
喉笛を噛みつかれては、遂に参る。決死の勇である。国家と
国家の戦争。民族と民族との戦争において、学ぶべきはこの
点である。
 我々の真剣勝負の相手は、世界の大国と豪語する敵米英ど
もである。



 敵を撃ち砕くの力は、一億決死の覚悟から生れる。一旦死
ぬ決心をした男は強い。国家も同じだ。国民全部がその肚を
きめてかゝると実に強い。闘志満々、敵を前にして異常の力
が産れて来る。
 戦局はいよいよ緊迫して来た。我々の母屋の庇(ひさし)に火が燃え
ついた。「実に敵はしやくにさはるですな」「戦局はどうでせ
う」などと、憤慨したり、心配したりしてゐる人々が多い。大
事な時だ。国のためにみんなで大いに憂へ、大いに怒るの
は結構である。しかし、徒らに狼狽したり、拱手傍観してそ
の日その日を空しうしてゐては、敵を喜ばせるのみである。
 我々は戦争の傍観者であつてはならない。敵と戦つてゐる
のはお互一億国民である。軍人も官吏も、重役も、産業戦士
も、百姓も区別はない。みんな一つになつて敵とぶつかつて
ゐるのである。一億が戦闘員なのである。
 戦局が心配だつたら心配をなくなすやうにみんながそれぞ
れの職場、持場で渾身の力を出すことである。そしてあのサ
イパンの仇を討たう。
 サイパンの勇士たちは、死処を得たのを悦びつゝ護国の神
となられた。何の不平もいはれず、何の注文もされなかつ
た。それはその後に続くもの、後に来るものを固く信じてを
られたからに相違ない。
 「後に続くもの」もとより我々の最も光栄とするところ、この
国家重大の秋、直接銃を執つて立つ、男子の本懐これに過ぐ
るものはない。しかし現下戦勢に徴するとき、敵の科学と物
量とを恃む攻勢に相対する者の責任もまた大きい。生産、科
学、技術等に対する緊急措置こそ、現下の至上命令である。
 まづ飛行機を、船を、・・・すべての重要軍需産業は、前線
にも劣らぬ今日の決戦場である。しかし飛行機生産といつて
も関連するところは広い。およそ如何なる工業もこれにつな
がりをもたないものはなく、国民の殆んどすべての営みが、
これに結びつく。
 すでに日本中のすべての職場、持場が戦場であり、一億国
民のすべてが、その職場、持場で敵と鎬を削つてゐるので
ある。日本の産業戦士は敵米英の産業戦士に、日本の農民は
敵米英の農民に勝たねばならない。学徒も戦場に、工場に、
農村に敵米英の学徒を打ちのめす実力と闘魂を発揮せねばな
らない。
 或る工場の調べによると、機械について正味働いてゐる時
間は、工場に来てゐる時間の半分よりも遙かに低いといふ。
雑用や連絡などに使はれる時間が如何に大きいことか、かう
いふことが諸所にあらう。
 いろいろ言分や理由もあらうが、まだ創意工夫の幅も広
い。やりとげる熱意と努力の問題ではなからうか。
 この隘路を突破するのが戦争であり、勝利への道である。
「誰かがやつてくれるだらう」と人をあてにしたり、「あゝした
らどうだらう、かうしたらどうだらう」などと迷つてゐたの
では戦さには間に合はない。つまらぬ形式や理屈や不急な仕
事は、戦勝の暁までお預けして、今日の日にぜひ必要なこと
に限りある力を集中しよう。
 一億の目標は唯一つ、敵をやつつけることである。
 一億国民はお互に兄弟であり、戦友である。お互に、つま
らぬことで責め合つたり、咎め合つたりする態度はやめよう。
お互に胸襟を披いて智慧を出し合ひ、工夫をし合つて、改め
ることは改め、よいと思つたら直ちに実行に移してゆかう。
 正に総決起の秋だ。今こそ大きく踏切り、一億の潜めら
れた底力を発揮して敵にこれをぷちつけ、打ち砕いてやら
う。

 


常会を一層真剣に

 未曾有の難局に当面してゐます。仇敵を打ち滅ぼす
ためにも、わが国土を護るためにも、
 私どもの真の底力を発揮するのは今で
す。

 今こそ私どもは一丸となつて奮ひたち、互に助け合
ひ、励まし合ひ、この国難を突破する決意を固め、今
月の常会は特に次ぎの事項を話し合つて、必ずこれを
実行しませう。
イ、常会は、この戦ひを勝ち抜くための重要な相談をする集
りです。お互は一層真剣な態度で行ふこと。
ロ、これまでの常会は、この難局に立つお国につくすため、
少しでも手ぬかりがなかったかどうかを深く反省し合ひ、
さらに心を新たにし、精一杯御奉公につとめること。
ハ、当局の指示をよくきゝ、自分勝手な判断で、戦局を語つた
り、
 徒らな不平不満などはやめて、強く明
るく戦ひぬくこと。

                      八月の常会徹底事項