第四三四号(昭二〇・二・二一)

 戦ふ朝鮮の姿           朝鮮総督府
 戦場台湾の相貌         台湾総督府

戦ふ朝鮮の姿    朝鮮総督府

 

 戦局の苛烈化に伴ひ、我が国土もいよい
よ戦場となつた。朝鮮の空にも既に昨年九
月以来、しばしば支那大陸よりする敵B29
が侵入し、南鮮の一部では悪鬼の盲爆の洗
礼すら受けたのである。殊に最近、敵機の偵
察飛来はその度数頻繁となり、近く本格的
空襲の前触れを思はせるとき、戦ふ半島二
千六百万民はますますその闘魂を沸らせ、
仇敵米英撃滅に憤激を昂めると同時に、わ
が国戦力源の有力な一環として負荷された
重大使命の完遂に和協一致、総力発揮に努
めてゐる。
 この秋に当り昨年十二月二十四日、朝鮮
人の処遇について劃期的改善要綱が発表さ
れたことは、盛り上る皇民精神に一段と拍
車をかけ、さきに実施された徴兵制の感激
と共に「我等は皇國臣民なり」の信念と覚悟
をいよいよ固くし、それは直ちに一切を捧
げて「忠誠を以て君國に報ぜん」と迸(ほとばし)る赤
誠となつて前線銃後に咲き匂ひつゝある。

朝鮮における皇民化

 決戦酣のレイテ湾の敵艦船に対し、世界
戦史に類例のない必死体当り攻撃を敢行し
た皇軍神鷲中に、相次いで朝鮮出身の松井、
林伍長の名を見出し、或ひはまた敵飛行場
の真只中に強行着陸した薫空挺部隊に金原
軍曹ありと聞いた一億国民は、その一瞬、
電撃に似た感激に打たれた記憶はなほ新た
なものがあらう。戦局日に悽愴を極むる
秋、今や完全に皇民化せる多くの朝鮮同胞
が、かの特攻隊勇士の心を以て心とし、祖国
日本の危急に赴かんと烈々たる日本精神に
燃え立つてゐるもの決して少なくないのであ
る。これが併合以来僅か三十有余年を経た
朝鮮の現実の姿であることは、大東亜戦争
以前の朝鮮に対する認識しか持ち合せぬ人
人にとつては、恐らく驚異の一語に尽きる
であらう。
 朝鮮統治の方針に関しては、畏くも韓国
併合に際し特に詔書を賜ひ、併合の宏謨と
民衆綏撫文物開発の聖旨を宣明し給ふた
が、大正八年八月、朝鮮総督府官制改革に
際し重ねて詔書を賜ひ、「其ノ民衆ヲ愛撫
スルコト一視同仁朕カ臣民トシ秋毫ノ差
異アルコトナク」と仰せられたのである。歴
代総督統治の眼目は常に有難き聖旨に
帰一し奉ることに努めてきたのであるが、
満洲事変起り更に支那事変勃発するや、朝鮮
民衆は挙げて国民的感激に覚醒し、皇民化
運動は自発的に拍車をかけられるに至つた。
 その頃、北上する軍用列車の勇士を駅毎
に激励慰問する半島婦人や、可憐な学童の
心からなる歓送の情景は、内地以上に感激
させられたものであることは、多くの帰還勇
士から聞かされた通りである。
 また国防献金に恤兵慰問に、鮮内の愛国
熱は日毎に高まり、中にはその日暮しの飴
売り老人が刻苦して貯めた貯蓄をそつくり
献金したり、死期の迫るを知つた老面長が
自ら立てた国旗掲揚塔の下に坐し、皇居を
遙拝して大往生を遂げ、皇國臣民への道を
最後まで部民に訓(をし)へて世人を感激せしめた
のもこの頃であつた。
 一方、青年の間には従軍志望の声漸く高
く、満洲、北支の現地居住者またほ国境方面
の青年は続々と皇軍に従軍し、或ひは通訳と
して、運転手として活躍、中には天晴れ護国
の英霊と化した者も少くなかつたのである。

志願兵から徴兵へ

 「我等も日本人である限り栄誉ある皇軍
の一員として起ちたい」との半島に漲ぎる
熱望に応へて、昭和十三年四月陸軍兵志願
者訓練所が設置された。この訓練所を出た
志願兵の入営後の成績は、内地人兵に伍し
何等の遜色なく、既に戦線の華と散り、栄
誉の金鵄勲
章を拝受し
た勇士も少く
ない。また彼等
の遺族の態度は
例外なく立派なもので、内地人と一点異る
ところのない健気さを示してゐる。
 朝鮮出身兵の戦場におけるめざましい働
きぶりについては、かの有名な李仁錫上等
兵の戦死をはじめとして、客臘全国に伝へ
られて感激も新たなレイテ島における松
井、林両神鷲や、薫空挺隊の金原軍曹等の
忠烈勇武の極致にみる通りであるが、なほ
かくれたる勇士が続出しつゝあることは
最近伝へられた次ぎの一例でも知られよ
う。
 バーモ作戦に当り数々の偉勲を樹て、遂
に友軍部隊主力の突進に際し鬼神の勇を揮
つてイラワジ敵陣を爆砕 天皇陛下万歳を
奉唱して壮烈な戦死を遂げた朴村官彬上
等兵(平安北道渭原郡鳳山面古堡洞出身)
がある。同上等兵に対し、さきに軍司
令官から感状を授与されたが、今回そ
の不滅の武功が畏くも上聞に達した
旨、去る一月二十八日陸軍省から発
表された。これは朝鮮出身兵として
最初の光栄に輝くものである。
 朴村上等兵は志願兵であるが、従来も上
述の如く朝鮮出身志願兵は多数の志願者
の中から厳選された優秀なものが極めて多
く、苛烈な第一線にあつても内地兵に遜色
のない活躍をつゞけ、金鵄勲章を賜はつた
勇士も相当数に上つてゐるが、今回朴村上等
兵が授与された個人感状こそは、内地将兵
の中でも殊勲抜群の者のみが担ふ栄誉であ
り、なほこの朴村上等兵のほかにもこれに
準ずる優秀な朝鮮出身兵が続いてゐると
いはれてゐるのはまことに力強い限りであ
る。
 かやうに朝鮮出身兵の成績は予想以上に
素晴らしいいものがあり、半島民度の向上と
愛国的至誠は遂に認められて、昭和十八年
八月、待望の徴兵制は朝鮮に実施
せられた
のである。まことに過去三十余年の朝鮮統
治の努力はこの劃期的制度の実施によつて
大きく結実したとみるべきであり、全鮮二
千六百万の民衆はこれより名実ともに日本
臣民たるの光栄に浴することになつたので
ある。

国語普及の状況

 徴兵令の施行によつて昭和十九年度適齢
者から入営せしむることとなつたが、一番困
ることは壮丁の中には相当多くの国語不解
者があることであつた。これに対して総督
府では各地に青年特別錬成所を開設して、
入営前国語習得を主とする内地的躾の錬成
を行ひ、相当の成績を挙げたのであつて、
この制度は現在も引続き入営前壮丁の皇民
錬成道場の役目を果しつゝある。
 元来、国語を使用することは皇国臣民と
しての先決条件であるが、従来の教育普及
状況からして、国語の全面的常用といふこ
とはなかなか困難な事情にあつた。しかし、
最近初等教育施設の拡充は年毎にめぎまし
い発展を辿り、昭和二十一年からはいよい
よ朝鮮にも義務教育制度を実行することに
なり、朝鮮人が誰でも国語を聞いたり、話
したりすることのできる時代もそんなに遠
い将来のことではない。
 現在国語を自由に使ふものは、統計上で
は全人口の二割ぐらゐ、片言交りで話せる
程度の者を加へると三割七分ぐらゐといは
れてゐるが、これは老人から赤ん坊まで含
めた全人口からみた率であるから、実際社
会に活動する成人、殊に老人を除いた成人
の男子のみについてみるときは、自由に話
せる者は確かに五割以上に達すると思はれ
る。国語を片言も知らぬといつたやうな青
年男子は、よほど出舎か山奥へでもゆかね
ばみられぬのが普通である。従つて今日で
は少しも朝鮮語を解しない内地人でも、よ
ほど片田舎でない限り日常の言葉に不自由
はないと思つて差支へない。

朝鮮は急変した

 朝鮮は満洲事変から支那事変を経てその
全貌を急激に変へた。しかもその変貌の度
合は近年加速度的となり、大東亜戦下の現
今においては日々刻々非常な速度で変りつ
つある。それは過去の貧弱な朝鮮認識や、
見聞を基礎としての尺度では全く用をなさ
ないであらう。
 では朝鮮はどういふ工合に変りつゝある
か。一言にしていへば、人も物もすべてを
挙げて日本的になりつゝあるといふに尽き
る。即ち日本内地と同じやうに、ひたむき
に大東亜戦争に勝ち抜くために総立ちにな
つてゐる。その農業において、地下資源
の開発において、重工業の新興において、
労務の供出、徴兵制実施による青年の総
出陣において、今や半島を挙げて剰(あま)すとこ
ろなく殉国の至誠に奮起してゐるのであ
る。
 朝鮮人は最早や内地人に対して特異の存
在ではなくなつたのであつて、朝鮮人は九州
人、東北人といふ意味においての称呼でし
かない。すでに過去の朝鮮人は現に起ち上
つた新らしい朝鮮人とは別個のものである
といはねばならぬ。
 かといつて朝鮮のあらゆる部面におい
て、今日内地同様になつてゐるかといふと、
まだそこまではいつてゐないことも事実で
ある。内地は三千年の光輝ある歴史の上
に、維新以来八十年に垂(なんな)んとする努カによ
り今日を築いてきたのであつて、朝鮮は併
合以来僅々三十余年で内地に追随しようと
いふのである。従つて或る部面では驚べ
き進歩をして、殆んど内地に遜色なきに至
つてゐるが、多くの面ではまだまだ遠く
内地に及ばぬ点があるのはむしろ当然であ
る。かゝる取残されてゐる面を一日も早く
内地の水準に引上げるのが朝鮮人先覚者の
責務であると共に、内地人に与へられた任
務である。

豊富な人口と土地

 さて朝鮮の人口は如何ほどあるかといふ
に、半島在住だけで約二千四百万人であ
る。この他、内地在住約二百万、満洲在住
も殆んどこれと同様、支那に約二十万、
合計四百二十万人あるといはれるから、朝
鮮人全体では約二千八百万人以上に達する
勘定であつて、我が国の人口を一億とし
て、その四分の一強を占めてゐるわけであ
る。
 尤もこれだけの人口が昔からあつたので
はなく、併合当時の統計では千三百三十
万となつてゐるから、その頃からみると実
に二倍余の増加を来してゐるのである。李
朝末期の秕政の後を承けた総督治績の一端
を示すものとみるべきであらう。
 ききにも述べたやうに、朝鮮人は内地へ
約二百万人出てゐるが、内地人の半島進出は
その半分にもならぬ七十万人である。全国
的に朝鮮人の最も多く集団居住してゐるの
は京城、大阪の順序であつて、大阪には朝
鮮人四十二、三万が居任してゐるといはれ
てゐる。ところが京城は内地人の一番多く
居住してゐる地であるが、その数は僅か十
七万である。
 併合以来三十余年にもなるのに、なぜ内
地人は朝鮮へ僅か七十万しか渡らなかつた
か。朝鮮は土地が狭いのではなからうか。
それとも気候が甚だしく不良のためであら
うか。
 朝鮮は本州から滋賀県を除いたくらゐの
面積である。これくらゐのことも内地では
往々知られてをらず、朝鮮を九州や台湾くら
ゐの広さに思ひ、甚だしきは内地の一県くら
ゐに比する向もある。内地の田舎に帰省
すると、京城へ帰つたら平壌または新義州
の誰彼によろしくといつたやうな伝言を頼
まれてよく苦笑させられる。これも朝鮮を一
府県くらゐの広さに思ふから起ることで、実
際は釜山から新義州までの距離は、東京か
山口県の岩国までに匹敵するのである。
 気候について一言すると、朝鮮は内地方面
では酷寒の地と思つてゐる向が多い。だ
いたいにおいてやゝ大陸的気候の特色を帯
び、寒暑ともに内地に比して激しい方では
あるが、北部地方は内地の関東北部から東
北地方の気候に類似し、中部以南は近畿、
中国地方と殆んど変りはないのである。殊
に秋から冬、冬から初春にかけて一点の雲
もない晴朗な天気が続き、非常にすがすが
しい気持は内地で味はへぬ恵まれた自然の
地である。朝鮮は内地に次いで大東亜共栄
圏内における最も勝れた健康地の一つとい
ふことができる。

農業朝鮮

 朝鮮はもともと農業国であり、過去の平
年作の年には六、七百万石の米を主として
内地へ移出してゐたので、朝鮮の米は相当
以前より内地に知られてゐた。不幸にも最
近数年間は旱害及び風水害等による凶作が
続いたが、将来恒久的旱害対策としての水利
施設が完成して、朝鮮の米作にあまり豊凶
なく、産米増産計画の三千五百万石が確保
される暁には、わが国の食糧問題は_方に依存
することなく、永久に解決できるはずである。
 それはともかく、差等つて本年の朝鮮に
おける食糧事情は、昨年の凶作と一方、時局
に伴ふ需要増のため相当の窮_を予想され
てゐるが、一粒でも多くの米を内地移出に
振り向け軍需にも御奉公しようと、鮮内で
は甘藷、馬鈴薯の増産と、蔬菜、山野草の利
用等によつて糧穀の消費規正を励行すると
共に、十九米穀年度以降、主要食糧増産の国家
管理を実施し、また昨春以来、主要農産物
に生産責任制をとり、供出の強化に官民一
致の努力により、穀倉朝鮮の面目にかけて
能ふ限り内地の食糧事情緩和に協カしよう
と意気込んでゐる。三年も続いて内地への
米移出は不振であつたとはいへ、過去にお
ける朝鮮農業の内地の食糧に寄与した功労
と、現在の滅私供出の奉仕は相当買はれて
もよいと思はれるのみならず、将来におけ
るわが内地の食糧問題解決の鍵は遠き南方
にあらずして、近き朝鮮にあることを銘記
すべきであらう。
 米以外の農産物もいろいろあり、雑穀の
増産も急務とされてゐるが、殊に本年は甘
藷、馬鈴薯の増産を企画してゐる。なほ時局
下見逃せぬものに朝鮮の綿がある。綿は戦
争に欠くべからざるもので、朝鮮の綿がこ
の大戦に非常に大切な役目を果してゐるこ
とは申すまでもない。朝鮮では昔から在来
種の綿を栽培してゐたが、併合以来、苦心奨
励し来つた陸地綿の栽培は見事な成功を収
むるに至つたのである。

地下資源の宝庫

 半島における地下資源は極めて多種であ
り、また豊富である。
 いま内地に少いか、また殆んど全く産せ
ず、しかも現代科学戦に欠くべからざる鉱
物で朝鮮に多く産するものを挙げると、お
よそ次ぎのやうなものがある。
 鉄、タングステン、水鉛、マグネサイ
ト、霞石(アルミエウム、ソーダ及びカリ
の鉱石)、明礬石(アルミニウム及びカリ
の鉱石)、礬土頁岩(耐火材またはアルミ
ニウム鉱)、黒鉛、無煙炭、螢石、重晶石、
石綿、雲母、藍晶石(特種高級耐火材料)
燐鉱(弗素系の燐灰石)、珪砂(ガラス原
料)、各種稀有元素鉱物
 これらの鉱物はいづれも優秀な兵器を造
り出すため重要な素材となつてゐる。殊
に咸鏡南道のマグネサイトは世界に比類の
ない優秀な鉱床といはれ、軽金属原料とし
て欠くべからざるものである。また江原道
には霞石、京畿道には藍晶石(らんしやうせき)、紅柱石、珪
線石等を産し、朝鮮は世界的に稀な特殊
鉱物産地として登場してゐるのである。そ
の他、新鋭武器をつくるに必要な「タンタ
ラム」「エオビウム」「セリウム」「ジルニウ
ム」「べリウム」鉱等の鉱床が各
地に発見され、戦前輸入に俟つほかなかつ
たこれらの稀有元素の産地として、朝鮮の
地下資源は極めて重要な地位を占めてゐる。
 兵器増産に最も大切なのは鉄と石炭であ
るが、鉄鉱石は各地に産出する。なかんづ
く茂山鉄山は貧鉱ながら埋蔵量においては
世界有数のものである。南方鉱石の輸送難
に伴ひ、内地製鉄所に対する補給源として、
朝鮮の鉄鉱石は重要性を加へてきたが、そ
れはまた朝鮮における製鉄業が大東亜戦
下、無煙炭の小型溶鉱炉による銑鉄産
出といふ新製鉄法が実施せらるゝに至つて
一層の活気を呈するに至つた。
 朝鮮における有煙炭の生産はその重要の
半分に充たない貧弱さであるが、無煙炭は有
名な平壌の寺洞を中心に素晴らしい生産を
示し、鮮内の需要を充たして内地、満洲方
面に輸移出する状況である。この利用方法
の研究が戦時下に完成したことは、戦ふ朝
鮮の燃料問題の大半を解決し得たものとも
いはれよう。
 朝鮮の特質としてぜひ認められねばなら
ない点は電力の開発についてである。朝鮮
は地勢及び降雨状態等の関係上、水力電源が
頗る多く、従つて良質豊富な電力が比較的容
易に得られるのである。これらの発電企業の
中には未完成のものも多いが、また極めて大
規模な施設が完成して尤大な電カを出し、
大工業の動力源となつてゐるところもある。
 豊富な地下資源と良質の電力と得易い労
力の三拍子揃つた朝鮮に、時局下、工業の勃
興するは当然の成行きであり、支那事変以
来、朝鮮を変貌せしめたものは実に工業、
特に重工業の新たなる登場であつた。
 併合当時の朝鮮は総生産額の八十%が農
産額で、工業額の如きは僅かにその四%に
しか当つてゐなかつた。それが満洲事変以
後、工鉱業の生産額が頗る顕著な発達を辿
り、支那事変以後さらにその傾向著るしく、
現今ではむしろ農産額を超過する程度の勢
ひを示してゐる。工業の内容についても、
以前僅かに繊維工業といつたやうな軽工業
に過ぎなかつたものが、最近では電気化学
工業、重工業の類が主なものとなつてゐる。

労務給源地半島

 朝鮮の戦力増強寄与について見逃すこと
のできぬのは豊富な人的資源の動員であ
る。時局の進展に伴ひ、内地方面の労務受給
現況に鑑み、昭和十四年度以来、国民動員計
画に基づき、朝鮮から毎年内地及び樺太、
南洋方面に多数の労務者を送出してきた
が、これら労務者はいづれも国民動員計画
産業たる鉱工業、土木建築方面に就労
し、内地人労務者に比して何ら遜色なく、特
に重筋、耐熱、地下労働方面では体格が優
れてゐるため好成績を挙げつゝある。これ
ら送出労務者については、総督府当局とし
て特に渡航前の各種訓練を行ひ、内地的生活
に順応し得るやう努め、現在では内地にお
ける重労働部門の大部分を半島人労務者が
背負つてゐることは周知の事実でもある。
 また南方に対する送出労務者も戦前から
相当数に達し、大東亜戦勃発後は軍要員と
して皇軍勇士と共に敵弾下、最前線に挺身
活躍、設営隊全員が将兵と共に運命を共に
し、壮烈な戦死を遂げたことは一億国民の
胸を強く打つたのであつた。
 その後、戦局の進展と共に内地における労
務の需要はますます激増し、一方、鮮内にお
ける緊急生産拡充事業の遂行に伴ひ、鮮内
労務事情も漸次逼迫を告げるに至つたた
め、これが確保対策として総督府では昨年
二月から鮮内重要工場、事業場の現員徴用を
皮切りとして一般国民徴用を全面的に発動
すると共に、昨年十月以降は銃後応召の精
神を基調とする一定年齢暦に対する横断的
徴用を実施し、また、これと並行する農村労
務の再編成、或ひは学徒動員等により、極力
労務給源の確保と需給調整の万全を期しつ
つある。
 特に内地方面に対する送出労務者に対し
ては、各道に労務者訓練所を設置すると共
に、釜山及び麗水には送出労務者錬成所を
設け、幹部及び一般労務者の精神、規律、
作業、訓練及び国語講習等、資質錬成に努め
てをり、これら送出労務者は内地各事業場
に就労後、極めて良好な成績を挙げ、戦ふ日
本の戦力増強に挺身、多大の寄与をなして
ゐることは周知の通りであるが、これは半
島労務者自身、皇國勤労観に漸次徹しつゝあ
ることを物語るもので、これを助長し勤労
効率の最高発揮を期することこそ急務であ
り、この意味で総督府では勤労動員援護会
を設けて勤労援護の万全を期してをり、同
時に内地その他における労務受入側の半島
人労務者に対する温かい思ひ遣りと、労務
管理の徹底を最も強く要望されてゐろとこ
ろである。

国民総力運動

 朝鮮における国民運動は国民総力朝鮮聯
盟を最高指導機関とし、これに次ぐ各道(県)
聯盟、さらに府、郡、島、邑面聯盟、部落聯
盟といふ縦の組織に対し、最下部組織たる
愛国班(隣組)を横の組織とし、半島二千六
百万同胞悉くが固い精神的結集をもつて一
致団結、皇国臣民たるの錬磨を積み、内鮮
一体、この曠古の征戦完遂にひたむきな真
心を捧げてゐるのである。
 国民総力運動の根本精神は内地の大政翼
賛運動と何等異るところはないこと勿論で
あるが、その内容、性質、方法、機構等に
おいて半島の事情により若干特異性のある
ことを忘れてはならない。とくに国民総力
運動の特質があるのである。即ち
一、國體の本義に透徹し特に半島同胞の皇
   國臣民としての資質の向上に重点を置い
   てゐる。
二、運動の眼目は臣道実践、職域奉公の実
   践運動で、政治運動たるの性格を有して
   ゐない。
三、運動の発足において従来の国民精神総
   動員運動及び農山漁村運動の二大運動
   と、これに経済、産業、文化に亘る物心
   各面の運動を摂取統合して展開された。
四、機構においては総督を総裁に、政務総
   監を副総裁に推戴し、国民総力朝鮮聯盟
  事務局を指導中核体として道聯盟以下、
  府、郡、島、邑面、部落各聯盟を一貫する経
  として行政機構と表裏一体の形を以て運
  動の指導、指令が下達される。しかして最
  下部組織として、地域にあつては約十戸
  を単位に、或ひは職域に愛国班を結成、こ
  れを緯とし運動の実践に挺身してゐる。
 以上四点が朝鮮における国民総力運動の
特異性であるが、しかしてこの運動の理念
としては「國體の本義に基づく道義朝鮮を
確立し、二千六百民の総力を直接戦力増
強の一点に結集、以て大東亜戦争の完勝を
期す」ことに二千六百万同胞の総力が結集
されてゐるのである。
 運動の理念と特質は右の通りであるが、
これらに基づいて展開される国民総力運動
は如何なる目標に向つて進みつゝあるか。
 運動の最高指導機関たる国民総力朝鮮聯
盟の現在における運動方針を挙げてみると
一、内鮮一体の徹底 二、国民信仰の確
立 三、皇民錬成の徹底 四、皇道文化
の作興 五、仕奉増産の強化 六、決戦
生活の徹底 七、徴兵制度の完遂
の七項目であり、この具体目標はいづれも
半島の国民運動において欠くことのできな
い重要な目標のみで、これらの浸透、完成
こそ朝鮮の質的一大飛躍を約束するもので
ある。
 右の運動目標に具体的解説を加へると、
内鮮一体の徹底は端的にいつて朝鮮におけ
る国民運動の基本的なものであり、これの
具現によつてのみ他のすべての運動目標が
実を結ぷのである。従つて国民総力運動に
あつては、内鮮一体具現へ最大の力点が置
かれることも当然のことといはなければな
らない。しかして内鮮一体の根本精神は一
視同仁の聖旨に副(そ)ひ奉ることであり、今や
二千六百万同胞は、さきの処遇改善の殊遇
に感激を高め、内鮮一体の実は大御心の奉
戴とともに急速に深められてゐる。殊に古
代の史実は内鮮人の密接不離なる肉身的関
係を裏書するものとして、近来この方面に
対する研究が積極的に進められてゐる。
 次ぎに国民信仰については、各家庭に神
棚を祀り、朝夕家族が礼拝し神棚を中心
に家庭の日常行事を行ふまでに浸透してゐ
るが、さらにこの環境を進めるべく、一面(村)
に一祠を奉斎する運動が展開され全鮮
一千二十の神祠を奉斎するまでに至つた。
なほこの神祠に奉仕する奉務者、副奉務者
の養成も併せ実施され、数回に亘り錬成が
施され、現在七百三十八名の奉仕者を送
り、国民信仰の正しい指導に当つてゐる。
 国民信仰の確立に伴つて皇民錬成も重大
な運動目標であり、国民総力聯盟では、あ
らゆる機会をとらへて禊(みそぎ)錬成に、軍隊式調
練に、勤労奉仕に、我が國體の把握に邁進し
たが、殊に禊錬成は行的修行を通して森厳
なる國體把握への最短距離として、指導者
も被指導者も火の如き熱意を以て続けられ
てゐるのである。
 皇道文化の作興も朝鮮の国民運動に課せ
られた大きな問題の一つであるが、これに
は過去の米英的文化の一掃が先行しなけれ
ばならない。従つて文化運動は破壊と建設
の両面に活溌な推進を示してゐるのである
が、なかんづく国語の普及徹底は文化運動
の源泉であるとして全面的に力を注がれて
ゐる。殊に徴兵制の実施に関連して、国語
の普及は最も緊急必須な文化動員施策とし
て、長期に亘る国語常用全鮮運動が強カに
展開されてゐる。
 朝鮮の持つ戦力資源の豊饒は大東亜聖戦
に欠くべからざるものとされ、行政面にお
いてはすべての施策を増産の一途に集中し
てゐるが、国民総力運動においても精神面
よりこれが促進を取り上げることも主要目
標の一つでなければならない。これが仕奉
増産運動である。
 それは全鮮の鉱山・工場の職域聯盟に仕奉
隊を結成し、これを軍隊式組織の下、皇國勤
労観体得による増産敢闘を促すのである。
既に現在朝鮮に二千を超える鉱山・工場仕
奉隊が結成され、勤労は即ち 天皇に仕へ
奉る道であるとの大義に徹し、決戦増産に
挺身してゐる。
 これに伴つて全鮮商業経済人を網羅し、
地域的に結成された商業仕奉隊がある。商
業仕奉隊は全鮮の府、郡、島、聯盟を単位
とし、國體の本義に基づき皇國商業道に徹
し、一致団結して商業仕奉の誠を竭さんと
してゐるのである。しかして経済統制の諸
施策に協力するとともに、物資配給の適正
円滑と低物価の維持に貢献寄与せんとする
のである。これが指導部としては分隊長以
上各隊幹部を以て組織してゐる幹部協議
会、さらに関係官庁、総力聯盟役員、商工
経済会役員等を以て組織してゐる指導委員
会が積極的に頭脳的役割を果し、仕奉隊の
運営をますます活溌ならしめてゐる。
 増産に対する仕奉運動と並行して積極的
に展開されてゐるのは徴用令その他による
勤労動員に対しての運動の展開で、これが
ため国民総力朝鮮聯盟事務局はさきの改組
に際し勤労部を設け、勤労動員による労務者
とその家族に対して趣旨の徹底と援護事業
を行ひつゝあるのである。
 決戦生活の徹底は今日まで相当顕著な実
績を挙げてゐるが、戦局の推移は一層国民
に対し、物心両面に亘る極度の決戦生活確
立を要求してゐる。これに鑑み、一般愛国
班の決戦即応生活態勢確立に関しては、あ
らゆる機会と方法を以て強く呼びかけられ
てゐる。しかして決戦生活確立の隘路とも
いふべき下意上通の欠如を補ふため、最近
各主要都市聯盟に戦時国民生活相談所を設
け、直接愛国班員と膝をつきこ合せて生活上
の諸問題につき懇談を遂げ善処することと
してゐるが、效果は大きく注目すべき施設
である。
 決戦生活面の運動半径は極めて広いもの
がある。金属回収に、諸物資供出に、国民
貯蓄強化に、時宜に応じて極めて適切な方
法を以てそれぞれ運動を展開し、常に予想
以上の成果を収めてゐるが、この半面の功
績は半島同胞の皇民たるの自覚による戦争
完勝への献身的協力がなされてゐることを
忘れてはならない。
 最後に、朝鮮の国民総力運動中特筆すベ
きは徴兵制度完遂のための運動展開である。
徴兵制の施行は一視同仁の大御心によるも
のであることはいふまでもないが、この劃
期的な制度は半島同胞に異常な感激と歓
喜を与ヘ、皇國臣民としての崇高な奉公を
果し得る道の拓かれたことの光栄を戴き、
涙ぐましい努力と精進が重ねられてゐる。
国民総力聯盟は徴兵制施行に先立つて全鮮
津々浦々に対し、趣旨の徹底と心身錬成に
乗出し、昨年最初の入営に際しては見事
苦心が報いられ、立派な壮丁を営内に送る
ことができたのである。本年も第二回徴兵
に即して国語全解運動に、甲種合格運動に
熱情的の努力が続けられ、栄えある軍門に
一人でも多くの壮丁を送り、奉公の赤心を
竭(つく)さうと官民一致で猛進してゐる。松井、
林両神鷲等の殉国精神はいまや半島全壮丁
の精神として、撃敵へ新たなる憤激となつ
て燃え上つてゐる。

(朝鮮総督府)